30 / 31
第二九章 「俺の、新しい名前、か……」
しおりを挟む
Ⅰ
「頼むよ、ユクト。俺を――消して」
アチラは迷うことなく、ユクトへと告げた。
周囲に緊張感が走る中、アチラはそう言って寝転がっている。その顔はとても満足しているものであった。
だが、それを良しとしないのは、ユウで。
「ちょ、ちょっと待ってくれ、アチラ! お前を、消すって……!」
「そのままだよ。俺がここにいても仕方がないからねえ。……第一、転生局内で揉め事を起こしたことには変わらないし、局長の指示も仰がなかったしねえ。今回は完全に俺の独断なわけだし。……それに、力を使い切ったら消えると思ってたのに、消えなかったしさあ、読みが外れたよ。なら、ユクトに頼んだほうが確実だしさ」
アチラは身体を起こさずに、重たそうに右手を掲げる。顔の上まで持ってくると、じっとその手のひらを見つめた。まだ、実体が存在しているということである。それに、指は完全に存在している。創作物などでよく見る、身体が透けているとかもなさそうであった。
多分、力自体はほとんど残っていないんだろうけどねえ……。
あれだけの転生者を相手に、ほとんど休むことなく無我夢中で大鎌を振るい続けた。大鎌以外の武器も、とにかく振るっていた。適材適所、そう言わんばかりに戦闘の状況によって次から次へと武器を取りだし、振るって、振るって、振るい続けたのだ。
ふと、今さらながらに思い出す。
ああ、そうだ。消える前に……。
アチラは右手をゆっくりと動かし、指を鳴らす形へと配置させる。そして、綺麗にパチンと一つ指を鳴らすと、ユウとシノビ、カズネの三人の前に各々の武器が現れた。
ユウの前に、聖剣が。
シノビの前に、刀が。
カズネの前に、二丁の拳銃が。
それぞれ主の前に参上し、地面に刺さっている。聖剣や刀は鞘ごと刺さっていた。二丁の拳銃だけが、刺さることを拒否し、地面に重なって横たわっている。
呆然と自身の武器を見つめる三人に、アチラは口角を上げた。
「返しておくよ、皆の武器。……まあ、俺が転生者を叩き伏せるのに使っちゃったからさあ、それが嫌なら処分しといてよ」
「な、にを……」
「ああ、俺の大鎌のこと、忘れてた……。転生局に寄付しても良いけどなあ、大鎌使いたい奴いるのかなあ……。俺の後任が来たら、意外と気に入るかも……、局長に任せようか」
「アチラ!」
アチラは普段通り、軽口を叩きながら淡々と話していく。自分がいなくなること前提で話すが、その表情には悔いはなく。
それを咎めるかのように、シノビが強く名前を呼んだ。
だが、アチラはそれを聞いても、懐かしそうに笑うだけであった。
「……シノビにそうやって叱られるのも、これで最後だと思うと、少し寂しいねえ」
「やめろ、私たちはそのようなことを望んでいない」
シノビは苦虫を噛み潰したような表情をしながら、強く否定した。眉間に深く皺を刻み、アチラを睨んでいる。
それでも、アチラはただ事実を述べるだけだった。
「望んでいようが、いなかろうが、俺はここからいなくなる。それに、いたって困るだけだよ。転生者相手にあれだけ武器を振るったんだからねえ。いくら転生者側が謀反を起こしたとしてもさ」
「お主が悪いわけでは――!」
「転生局の危機を知りながら、全員に教えることなく単独行動したんだ。これは重罪。転生局を束ねている局長ですら、知らなかったんだからねえ。……俺が、責任を取らないといけないでしょ」
アチラはシノビがどれだけ引き留めようと、耳を貸さなかった。
シノビの言葉は、アチラには届かない。それが分かって、シノビは顔を歪ませた。殴ってでも止める、ユウたちにはそう言っていた彼だが、今のアチラを見て手を出すことはできないと思ったのだろう。彼が行動をすることはなかった。
シノビが黙れば、今度はカズネが口を開く。ただ、彼女は戸惑っている様子で、唇が震えていた。
「な、んで……、だって、私だって……!」
言葉はちゃんと紡がれていなかったが、その言葉だけでアチラは理解できた。きっと、カズネは自身の間違いのことを言っているのだろう、と。
カズネの言葉は、きちんと言葉にならずに、雫と共に零れ落ちていった。
アチラはそれを見てもやれやれと言わんばかりに首を軽く横に振る。
「カズネのとは、また全然違うでしょ。カズネの場合、やり方は間違っていたけど取り返しがつかなくなる前に軌道修正できた。……俺のとはわけが違う」
「けどっ……! でも……っ!」
カズネはもはや言葉にすることすら叶わなかった。両手で顔を覆って、崩れ落ちてしまう。嗚咽が聞こえてくるのに、そう時間はかからなかった。
アチラは苦笑する。ただ、そこには優しさが含まれていて。
「……カズネって、そんなに泣き虫だったんだ。知らなかったなあ」
アチラはどこか嬉しそうに言葉を紡いでいた。知らなかったことを、消える前に知れたのは嬉しいと思ったのである。
そして、いまだに黙り続けているユウはといえば。呆然と立ち尽くしているように見えたが、彼の身体に沿って置かれている両手がきつく握られていて。小刻みに震える拳が、怒りなのか、悲しみなのか、感情はよく分からなかった。
じっとアチラが黙って見ていれば、ユウはようやく口を開く。何とか言葉を吐き出した、そんな様子であった。
「なんで、こんなっ……! お前が……、アチラが何をしたって言うんだよっ……! 俺はっ……、俺たちにはっ、感謝しかないっていうのに!」
「……ユウも、泣き虫だったんだねえ」
アチラは見逃さなかった、ユウの頬を伝う一筋の光を。
目の前で涙を零す二人を見て、アチラはつい困ったなあと思ってしまった。これでは、去るにしても去りにくい。
……こんな状態で、俺がいなくなってもやっていけるのかねえ。
きっと、転生局自体は上手く回っていくのだろう。おそらく、ユウが審判者の筆頭になって、シノビがそれを補佐し、カズネが今よりも仕事に打ち込むはずだ。自分がいなくなった穴埋めを探すことにはなるだろうが、そうなったとしても何とかなるとは思っている。
ましてや、局長がいるのだ。大抵のことには動じないはずだし、局長がいれば指示も滞りなく出ていくはずだろう。
首謀者のことは確かに気がかりだったが、もう体力も気力も使い果たしていた。謀反を阻止できたことを理解したら、それだけで力が抜けてしまったのである。
本当に疲れた時って、こうも無気力になるものなんだなあ……。
アチラは他人事のようにそう思った。
立ち上がろうとは思わない。
これ以上、考えることもないだろう。
自分は手を尽くした。あとは任せよう、そう思えて仕方がなかった。
一度目を閉じる。ゆっくりと深呼吸して、雑念を取り払うと、アチラは視線のみをユクトへと向けた。仰向けで大の字で寝転がっている姿は、変わらなかった。
「ユクト、頼むよ」
アチラは再度「執行人」である彼女へと依頼するのであった。
Ⅱ
「頼む、やめてくれ、『執行人』! 大体にして、何故今頃になって君が――!」
「それが、ユクトの仕事、だからだよ」
叫ぶように懇願するユウの言葉に答えたのは、アチラであった。
アチラは知っている、「執行人」であるユクトが口を開くことはないことを。
だからこそ、アチラは答えたのである。目を伏せ、最期の時を待ちながら。
ユウたちは動きを止める。視線は、「執行人」ではなく、答えたアチラへと向けられた。
アチラはゆっくりと口を開く。
「ユクトが『執行人』と呼ばれているのは、特に深い意味があることなんだ。それは、ユクトが唯一、罪を断罪できる審判者だから」
「だ、んざ、い……?」
カズネが呆然とアチラの言葉を繰り返す。
アチラはそれを肯定した。
「そう。……本来、俺たち審判者の仕事は、転生者の前世の行いを審判し、第二の人生を歩む手伝いをすること。その中には、『奈落』に送ることも含まれているけど、まあ、つまり、一言で表すなら審判するのが俺たちの仕事ってことになるわけ。ここまでは良いよねえ?」
アチラがゆっくりと目を開いてユウたち三人へと視線を送れば、彼らは間髪入れずに頷いた。自分の仕事だから、当然だろう。
アチラはそれを確認してからさらに続ける。
「第五までの階層を設け、転生者の前世によってその階層は決まる。罪の軽い者ならカズネに、罪の重い者なら俺に、って感じだよねえ。……だけど、ユクトが担当している第三階層だけは違うんだ」
「え……?」
誰の口から言葉が零れたのか、そんな些細なことには誰も触れず。ただ、アチラとユクトだけは違うと断言できた。
アチラはさらに説明する。
「第三階層――。それは、俺たち第四、第五階層と、シノビたち第一、第二階層を区分するための境界線であり、そして彼ら転生者を裁く場所。簡単に言えば、処刑場、ってところかなあ」
「しょ……、処刑場だって!?」
ユウが声を裏返して叫ぶ。顔を青ざめて耳を疑っているようであった。
シノビやカズネも驚きを隠せずにいた。
アチラは予想通りの展開に、思わず苦笑してしまう。
「とは言っても、『奈落』行きにする俺たちとほとんど変わらないよ。ただ、ユクトの場合は罪を斬って捨てることができる。だから、あまりに度が行き過ぎている場合は、ユクトが先にその罪を斬って捨てるということをしているわけ。だからこそ、ユクトは『執行人』の名を得ているんだ。そして、それを可能としているのが、その薙刀」
アチラはユクトが手にしている薙刀をチラリと確認する。
ユクトは薙刀を手に立ったまま、ピクリとも動かなかった。
アチラは淡々と説明を続けていく。
「俺が集めた武器の一つだけど、元はどうも処刑場とかで使われていたみたいでねえ。結構、恨みつらみが込められていたんだけど、俺が手にしたらすんなりと言うこと聞いたんだよねえ。まあ、相性みたいなやつなのかなあと思って気にしてなかったんだけど。……それが今、この世界に飛ばされて、同じような役割を担っている。ユクトは基本的に話さないし、何かと『執行人』として向いていてねえ。彼女は普段から幾人もの転生者の罪を斬って捨てて来たんだよ」
アチラの語りは、どこか物語のように作られたものに聞こえた。だが、アチラの視線は真剣そのもので。それが話を真実だと語り、そして虚しくも思えた。
「俺の集めた武器は、今でこそ人自体を傷つけることはない。それは、昔と今では行いが違うからなんだろうねえ。そして、罪の証でもあるんだろうねえ……、二度と人を傷つけないように、と。まあ、それで良いんだけどさあ」
「どういう、こと……?」
カズネはいまいち分かっていないようで、戸惑いつつも問いかける。
アチラは肩を竦めた。
「さあねえ……。でも、多分だけど、今まで簡単に人のことを斬って捨てていた俺が、簡単に人から奪わなくなったからってことなんじゃないかなあ、とは思っているよ。特に、ここで働くようになってから人にはほとんど影響が出なくなったからねえ。今じゃあ傷つけることはなくても、気絶したりとか、多少考え方に影響が出たりするぐらいだからねえ。……まあ、人を斬りたくて斬っているわけではないわけだし、良いんだよ。ただ……、大鎌を振るうたびに、自分の罪が垣間見える気がして、良い気はしなかったけどねえ……」
アチラはそうやって話して、悲しそうに目を伏せる。だが、すぐに「さて」と切り替えて普段の声音で言葉を紡いでいく。
「ユクト、長くなったけど頼むよ。いつまでもこうしていたくないしさあ」
アチラは身体を起こすことなく、逆に力を抜いて依頼した。
ユクトは再度頷き、アチラの元へと足を運ぶ。そして、カチャリと薙刀を構えた。それは、断頭台のようで。
ユウたち三人は、我に返って止めようとする。知らない間に、武器が行く手を阻んでいて、すぐには止めに入ることが叶わなかった。声だけで阻もうと、悲痛に張り上げる。
「アチラ!」
「――楽しかったよ、本当にねえ」
アチラの言葉を合図に、ユクトは問答無用とばかりに薙刀を振り下ろす。
そして、ユウたちが必死に手を伸ばす中、無情にも薙刀はアチラの首をめがけて、振り下ろされたのであった――。
Ⅲ
「アチラ!」
振り下ろされた薙刀を見て、ユウが悲痛な声で名前を呼ぶ。
ユウたち三人の目には、知らぬ間に涙が溜まっていた。
だが――。
「あ、れ……?」
アチラはゆっくりと目を開く。
確かに振り下ろされたはずだった。薙刀が当たった気はした。痛みはよく分からなかった、それは諦めや疲れがあったからなのだろう。
それでも、確かに自身に薙刀が振り下ろされたことを、頭の片隅で理解していた。
――だというのに、アチラの姿はまだそこに存在している。
「な、んで……」
アチラは自身の手のひらを見つめてから、首元に手を当てる。
感触がある、温かさもある。そして、確実に首は繋がっていて、しかも身体が消える気配はない。
アチラは慌てて身体を起こした。軋む身体が悲鳴を上げ続けるが、それどころではない。ユクトと距離を詰め、彼女へ問い詰める。
「ユクト、どういうこと……!?」
アチラは珍しく動揺していた。それは、自分が最期を覚悟していたから。
転生局を守るために、転生者に大鎌を振るった。
局長への報告をせずに、独断で行動した。
そして、自分の最後の力を振り絞り、消えるのを覚悟に武器を振るい続け、この場を収めた。
だからこそ、最期を迎えたと思った。
なのに、アチラは消えることなく、変わらない姿でそこにいる。
ユクトはアチラに詰め寄られても焦ることなく、どこからともなくスチャッとスケッチブックとペンを取り出した。
ユウたちは初見だったからか、ギョッと目を剥くも、あまりに驚きすぎてしまい声が出なかった。
アチラが見守る中、ユクトはサラサラと何かをスケッチブックに書き込むと、ダンと書いた面をアチラへと向ける。ほとんどアチラの顔の真ん前であった。
アチラは少しばかり首を仰け反らせ、それから文章に目を走らせる。
「……『私は確かに斬った、お前の罪を』って、いやいや、だったらなんで俺が――」
「――きっと、お前の罪はすでに清算が終わっていたのだ」
目の前で、アチラの言葉を遮りながら、「執行人」が口を開く。
それに対して、アチラたちはぴしりと動きを止めた。「執行人」を見たまま、ピクリとも動かない。
ユウたちだけではなく、アチラも固まっている。そして、時間がしばし経ったところで、ユクトを除く全員が目を見開き、あんぐりと口を開ける。
アチラが代表して疑問を口にした。
「……ユクト、話せたの!?」
「……心外だ。お前が以前言ったのだぞ、いつまでも変わらないものはない、と」
アチラはしっかり三拍考え込んでから、頷いた。
「いや、確かに言ったけど」
「……理由はどうあれ、私を外に出させたのだ、それ以上にこの場所の事は動いた。ならば、私の刻も動くということ。そして、お前が積んできたものも、無駄ではなかったということだ」
ユクトは今までが嘘だったかのように、流暢に言葉を紡いでいく。スケッチブックとペンはどこかにしまい込んだのか、捨てたのか……、手元にはなかった。
アチラはその様子をポカンと見つめる。今まで記憶にあったユクトと違いすぎて、頭が追いつかない。だが、ハッと我に返ると、続けて詰め寄る。
「け、けど、俺がここに残っているのはおかしいでしょ!? 転生局の危機に、すべての力を使い込んだはずなのに……!」
「それでも、お前がここに残っていることが、何よりの証拠だろうな」
第三者の声が、割って入る。
声の方向へと視線を動かせば、そこには――。
「きょ、局長!?」
ユウが驚きながらも声を上げる。
それもそうだろう、先ほどまで抜け殻のようになっていたのを、彼らは見ていたのだから。
もっとも、アチラは知らない話ではあったが。
局長であるレイは、普段と変わらず堂々とした姿でそこに立っている。毅然とした態度で、五人の元へと足を運んできていた。
局長はアチラへと視線をやり、それからため息をつく。
「……私もお前が消えるのではないかと、気が気でなかった。事の事態を聞いて、もはや手遅れだと思っていた。だが、お前はこの転生局でずっと変わらずに尽くしてきた。それだけ報いたと言うことなのだろう。つまり、今さら消える必要はないということだ」
「いや、でも、局長……! 犯人だってまだ分かってないのに……!」
「それならば、ソウウンがすでに捕らえている。どうやら、局員の一人が場をかき乱して手柄を立てるつもりだったらしい。転生者が近頃様子が違っていることや時代の流れに気がついて、利用できるのではないかと考えたそうだ。そして、手柄を立てれば、お前たちと同等になれるかもしれないと踏んでいたそうだ。まあ、要するに、私の目も曇ったということだな」
レイはやれやれと首を横に振る。自分に呆れているのだろう。
アチラはレイの言葉を聞きながら、そうかと頷く。
内部の者が関係しているに違いないとは思っていた。だが、まさか局員だったとは。転生者の一人が、と予想していたが、どうやら外れていたらしい。しかも、すでにソウウンが捕らえているときた。
アチラは予想外にトントンとことが進んでいて、またポカンとしてしまった。
そんな中、局長が説明を続ける。
「今頃、ソウウンとサイガによって、拷問もとい尋問が始まっていることだろう。お前のことを好んでいる者ばかりだ、手加減を知らないはずだ」
「え、嬉しくない」
アチラは我に返ってバッサリと斬り捨てる。
確かに、「絶対的な信者」と称されるソウウンと、「変態」と称されるサイガだ。アチラをここまで疲弊させたなどと知れば、手加減どころか問答無用で処罰することだろう。それこそ、今回の犯人は地獄を見るかもしれない。
普段のアチラらしい発言に、局長であるレイは苦笑した。
「……何はともあれ、お前の行いはすでに良い方向に動いたということ。そして、お前の名も、変わる時期だということだ」
「……はい?」
局長の言葉に、アチラは耳を疑った。
名を変えるというのは、どういうことだろう。
そもそも、そんなに簡単に名前を変えられるとでもいうのだろうか。
頭が正常に働いていかなかった。
そんな中、声を張り上げたのはユウで。
「というか、局長! さっきと全然様子が違うんですが!? さっき、抜け殻みたいになっていましたよね!?」
「え、待って? そしたら、俺のスマホに連絡入れていたの誰? すごい着信の数だったんだけど?」
ユウの言葉に、アチラの中では新たな疑問が浮かんでくる。衝動的に聞き返せば、冷静になったシノビが口を開く。
「それは、私たちが入れたもの。どうせお主のことだ、私たちの着信では出ないだろうと思って、局長が抜け殻になっている間に拝借した」
「うん、シノビらしくてなんだか安心した」
アチラはようやく着信の数に納得がいって、何度も頷いてみせる。
対して、局長であるレイはといえば、なんだか恥ずかしそうで。おそらく、自分の情けないところをさらけ出したからだろう、申し訳なさそうに肩身を小さくした。
「いや、情けないところを見せた。それもユクトのおかげだ。ユクトが来て、断罪した後の可能性の話をしてくれなければ、どうにもならなかったはずだ」
「え、何? 何の話?」
アチラは周囲で飛び交っている会話の内容がよく理解できていない。
状況を説明してくれたのは、他でもないユクトで。
「……局長は自我を失いかけていた。『死神』、お前が消えると知って」
「……仕方がないだろう。私にしてみれば、アチラは息子のような存在だった。悪ガキの頃から見ているのだ、消えると分かれば我も忘れる」
レイは情けなさそうに頭を抱える。
アチラはその言葉にきょとんとして。
「え、俺いつから局長の息子になったわけ?」
「……貴様はいちいち茶々を入れないと気が済まないのか。そう思っていたというだけの話だ」
レイはアチラをギロリと睨む。呼称が「お前」から、「貴様」に変わったということは、多少なりともキレそうになっているということ。
アチラはそれに気がついて、苦笑した後に口を噤んだ。
けど、そしたら俺は……。
どうして良いのか、分からなかった。最期を迎える気満々だったのに、状況は転じてしまった。
アチラは迷いながらも口を開いた。つい、顔が俯いてしまう。
どんな表情をして立っていれば良いのか、分からなかった。
顔向けできないと思ったら、顔が勝手に下へと向いてしまっていた。
「……けど、俺は――」
すると、アチラの言葉を遮るように、局長が口を開いた。
「――愛知楽」
局長の言葉に、アチラは顔を上げる。蒼い瞳が、煌めいた。
「お前の名は、今日から愛知楽となった。もう、忌々しい修羅の道を貫くものではない。お前の清算は終わったのだ。……愛を知って楽しんで行く、それが今後のお前の人生だ」
局長は口元を緩めて、優しく告げた。
その言葉を、アチラは噛み締める。
言葉にならない、数々の感情が湧き起こって仕方がなかった。
アチラは煌めく蒼い瞳で、局長であるレイを見つめるのであった。
IV
「う、そ……」
アチラは言葉を零す。まだ信じられなかった。
俺の名前が、変わる……。そんなこと、今まで考えたことなかった……。
驚きを隠せないアチラへ、局長はさらに告げた。
「お前はもう、自分の過去に囚われなくて良い。その証拠が、今この時だ。お前はこの地でそれだけ償ってきた、この場所に報いたのだ。過去の呪縛から解放される時だ」
「俺の、新しい名前、か……」
アチラは自身の新しい名前を繰り返してみる。
名乗ることが嫌で、漢字の名前を今まで封じ込めてきた。
思い出したくなくて、自ら茶化すかのように決まった台詞を吐いていた。
それが、今、変わろうとしている――。
アチラは何度か頭の中で名前を繰り返す。
だが――。
「……なんか、それはそれで恥ずかしいんだけど」
「貴様、文句が多いな」
アチラが不満を述べれば、局長は怒り口調で言い返す。眉間に皺が寄っていて、呼称が変化していることから、かなり危ない状況だ。
アチラはそれを見ても特に何かを言うわけではなく、ただ「そっか……」と一人納得していた。そして、また後ろから地面に倒れ込む。大の字で寝転がり、何も見えないはずの天井を見上げた。
ユウたちが名前を呼びながら駆け寄ってくる。彼らは同僚の顔を覗き込み、そして口を噤んだ。
アチラは蒼い瞳を輝かせていた。宇宙の輝きにも劣らないその瞳には、確かに膜が張っていて。
静かに、一筋流星が流れて行ったのである――。
アチラはゆっくりと口を開いた。嬉しさを噛み締めるかのように、一言一言をゆっくりと……。
「そっかあ……、俺、まだここにいられるんだあ……。あの、名前とも別れられるんだあ……。そっかあ……、そっかあっ……!」
アチラの小さく零れていく声が、周囲に響き渡っていく。その声は、確かに嬉しさを宿らせていた。
誰かの、安堵した声が零れた。
誰かが、泣いている声が聞こえた。
誰かの、笑っている声がした。
今は、疲れも今後のことも頭にはない。
ただ、各々が幸せを噛み締めて、感情を吐露していたのであった――。
「頼むよ、ユクト。俺を――消して」
アチラは迷うことなく、ユクトへと告げた。
周囲に緊張感が走る中、アチラはそう言って寝転がっている。その顔はとても満足しているものであった。
だが、それを良しとしないのは、ユウで。
「ちょ、ちょっと待ってくれ、アチラ! お前を、消すって……!」
「そのままだよ。俺がここにいても仕方がないからねえ。……第一、転生局内で揉め事を起こしたことには変わらないし、局長の指示も仰がなかったしねえ。今回は完全に俺の独断なわけだし。……それに、力を使い切ったら消えると思ってたのに、消えなかったしさあ、読みが外れたよ。なら、ユクトに頼んだほうが確実だしさ」
アチラは身体を起こさずに、重たそうに右手を掲げる。顔の上まで持ってくると、じっとその手のひらを見つめた。まだ、実体が存在しているということである。それに、指は完全に存在している。創作物などでよく見る、身体が透けているとかもなさそうであった。
多分、力自体はほとんど残っていないんだろうけどねえ……。
あれだけの転生者を相手に、ほとんど休むことなく無我夢中で大鎌を振るい続けた。大鎌以外の武器も、とにかく振るっていた。適材適所、そう言わんばかりに戦闘の状況によって次から次へと武器を取りだし、振るって、振るって、振るい続けたのだ。
ふと、今さらながらに思い出す。
ああ、そうだ。消える前に……。
アチラは右手をゆっくりと動かし、指を鳴らす形へと配置させる。そして、綺麗にパチンと一つ指を鳴らすと、ユウとシノビ、カズネの三人の前に各々の武器が現れた。
ユウの前に、聖剣が。
シノビの前に、刀が。
カズネの前に、二丁の拳銃が。
それぞれ主の前に参上し、地面に刺さっている。聖剣や刀は鞘ごと刺さっていた。二丁の拳銃だけが、刺さることを拒否し、地面に重なって横たわっている。
呆然と自身の武器を見つめる三人に、アチラは口角を上げた。
「返しておくよ、皆の武器。……まあ、俺が転生者を叩き伏せるのに使っちゃったからさあ、それが嫌なら処分しといてよ」
「な、にを……」
「ああ、俺の大鎌のこと、忘れてた……。転生局に寄付しても良いけどなあ、大鎌使いたい奴いるのかなあ……。俺の後任が来たら、意外と気に入るかも……、局長に任せようか」
「アチラ!」
アチラは普段通り、軽口を叩きながら淡々と話していく。自分がいなくなること前提で話すが、その表情には悔いはなく。
それを咎めるかのように、シノビが強く名前を呼んだ。
だが、アチラはそれを聞いても、懐かしそうに笑うだけであった。
「……シノビにそうやって叱られるのも、これで最後だと思うと、少し寂しいねえ」
「やめろ、私たちはそのようなことを望んでいない」
シノビは苦虫を噛み潰したような表情をしながら、強く否定した。眉間に深く皺を刻み、アチラを睨んでいる。
それでも、アチラはただ事実を述べるだけだった。
「望んでいようが、いなかろうが、俺はここからいなくなる。それに、いたって困るだけだよ。転生者相手にあれだけ武器を振るったんだからねえ。いくら転生者側が謀反を起こしたとしてもさ」
「お主が悪いわけでは――!」
「転生局の危機を知りながら、全員に教えることなく単独行動したんだ。これは重罪。転生局を束ねている局長ですら、知らなかったんだからねえ。……俺が、責任を取らないといけないでしょ」
アチラはシノビがどれだけ引き留めようと、耳を貸さなかった。
シノビの言葉は、アチラには届かない。それが分かって、シノビは顔を歪ませた。殴ってでも止める、ユウたちにはそう言っていた彼だが、今のアチラを見て手を出すことはできないと思ったのだろう。彼が行動をすることはなかった。
シノビが黙れば、今度はカズネが口を開く。ただ、彼女は戸惑っている様子で、唇が震えていた。
「な、んで……、だって、私だって……!」
言葉はちゃんと紡がれていなかったが、その言葉だけでアチラは理解できた。きっと、カズネは自身の間違いのことを言っているのだろう、と。
カズネの言葉は、きちんと言葉にならずに、雫と共に零れ落ちていった。
アチラはそれを見てもやれやれと言わんばかりに首を軽く横に振る。
「カズネのとは、また全然違うでしょ。カズネの場合、やり方は間違っていたけど取り返しがつかなくなる前に軌道修正できた。……俺のとはわけが違う」
「けどっ……! でも……っ!」
カズネはもはや言葉にすることすら叶わなかった。両手で顔を覆って、崩れ落ちてしまう。嗚咽が聞こえてくるのに、そう時間はかからなかった。
アチラは苦笑する。ただ、そこには優しさが含まれていて。
「……カズネって、そんなに泣き虫だったんだ。知らなかったなあ」
アチラはどこか嬉しそうに言葉を紡いでいた。知らなかったことを、消える前に知れたのは嬉しいと思ったのである。
そして、いまだに黙り続けているユウはといえば。呆然と立ち尽くしているように見えたが、彼の身体に沿って置かれている両手がきつく握られていて。小刻みに震える拳が、怒りなのか、悲しみなのか、感情はよく分からなかった。
じっとアチラが黙って見ていれば、ユウはようやく口を開く。何とか言葉を吐き出した、そんな様子であった。
「なんで、こんなっ……! お前が……、アチラが何をしたって言うんだよっ……! 俺はっ……、俺たちにはっ、感謝しかないっていうのに!」
「……ユウも、泣き虫だったんだねえ」
アチラは見逃さなかった、ユウの頬を伝う一筋の光を。
目の前で涙を零す二人を見て、アチラはつい困ったなあと思ってしまった。これでは、去るにしても去りにくい。
……こんな状態で、俺がいなくなってもやっていけるのかねえ。
きっと、転生局自体は上手く回っていくのだろう。おそらく、ユウが審判者の筆頭になって、シノビがそれを補佐し、カズネが今よりも仕事に打ち込むはずだ。自分がいなくなった穴埋めを探すことにはなるだろうが、そうなったとしても何とかなるとは思っている。
ましてや、局長がいるのだ。大抵のことには動じないはずだし、局長がいれば指示も滞りなく出ていくはずだろう。
首謀者のことは確かに気がかりだったが、もう体力も気力も使い果たしていた。謀反を阻止できたことを理解したら、それだけで力が抜けてしまったのである。
本当に疲れた時って、こうも無気力になるものなんだなあ……。
アチラは他人事のようにそう思った。
立ち上がろうとは思わない。
これ以上、考えることもないだろう。
自分は手を尽くした。あとは任せよう、そう思えて仕方がなかった。
一度目を閉じる。ゆっくりと深呼吸して、雑念を取り払うと、アチラは視線のみをユクトへと向けた。仰向けで大の字で寝転がっている姿は、変わらなかった。
「ユクト、頼むよ」
アチラは再度「執行人」である彼女へと依頼するのであった。
Ⅱ
「頼む、やめてくれ、『執行人』! 大体にして、何故今頃になって君が――!」
「それが、ユクトの仕事、だからだよ」
叫ぶように懇願するユウの言葉に答えたのは、アチラであった。
アチラは知っている、「執行人」であるユクトが口を開くことはないことを。
だからこそ、アチラは答えたのである。目を伏せ、最期の時を待ちながら。
ユウたちは動きを止める。視線は、「執行人」ではなく、答えたアチラへと向けられた。
アチラはゆっくりと口を開く。
「ユクトが『執行人』と呼ばれているのは、特に深い意味があることなんだ。それは、ユクトが唯一、罪を断罪できる審判者だから」
「だ、んざ、い……?」
カズネが呆然とアチラの言葉を繰り返す。
アチラはそれを肯定した。
「そう。……本来、俺たち審判者の仕事は、転生者の前世の行いを審判し、第二の人生を歩む手伝いをすること。その中には、『奈落』に送ることも含まれているけど、まあ、つまり、一言で表すなら審判するのが俺たちの仕事ってことになるわけ。ここまでは良いよねえ?」
アチラがゆっくりと目を開いてユウたち三人へと視線を送れば、彼らは間髪入れずに頷いた。自分の仕事だから、当然だろう。
アチラはそれを確認してからさらに続ける。
「第五までの階層を設け、転生者の前世によってその階層は決まる。罪の軽い者ならカズネに、罪の重い者なら俺に、って感じだよねえ。……だけど、ユクトが担当している第三階層だけは違うんだ」
「え……?」
誰の口から言葉が零れたのか、そんな些細なことには誰も触れず。ただ、アチラとユクトだけは違うと断言できた。
アチラはさらに説明する。
「第三階層――。それは、俺たち第四、第五階層と、シノビたち第一、第二階層を区分するための境界線であり、そして彼ら転生者を裁く場所。簡単に言えば、処刑場、ってところかなあ」
「しょ……、処刑場だって!?」
ユウが声を裏返して叫ぶ。顔を青ざめて耳を疑っているようであった。
シノビやカズネも驚きを隠せずにいた。
アチラは予想通りの展開に、思わず苦笑してしまう。
「とは言っても、『奈落』行きにする俺たちとほとんど変わらないよ。ただ、ユクトの場合は罪を斬って捨てることができる。だから、あまりに度が行き過ぎている場合は、ユクトが先にその罪を斬って捨てるということをしているわけ。だからこそ、ユクトは『執行人』の名を得ているんだ。そして、それを可能としているのが、その薙刀」
アチラはユクトが手にしている薙刀をチラリと確認する。
ユクトは薙刀を手に立ったまま、ピクリとも動かなかった。
アチラは淡々と説明を続けていく。
「俺が集めた武器の一つだけど、元はどうも処刑場とかで使われていたみたいでねえ。結構、恨みつらみが込められていたんだけど、俺が手にしたらすんなりと言うこと聞いたんだよねえ。まあ、相性みたいなやつなのかなあと思って気にしてなかったんだけど。……それが今、この世界に飛ばされて、同じような役割を担っている。ユクトは基本的に話さないし、何かと『執行人』として向いていてねえ。彼女は普段から幾人もの転生者の罪を斬って捨てて来たんだよ」
アチラの語りは、どこか物語のように作られたものに聞こえた。だが、アチラの視線は真剣そのもので。それが話を真実だと語り、そして虚しくも思えた。
「俺の集めた武器は、今でこそ人自体を傷つけることはない。それは、昔と今では行いが違うからなんだろうねえ。そして、罪の証でもあるんだろうねえ……、二度と人を傷つけないように、と。まあ、それで良いんだけどさあ」
「どういう、こと……?」
カズネはいまいち分かっていないようで、戸惑いつつも問いかける。
アチラは肩を竦めた。
「さあねえ……。でも、多分だけど、今まで簡単に人のことを斬って捨てていた俺が、簡単に人から奪わなくなったからってことなんじゃないかなあ、とは思っているよ。特に、ここで働くようになってから人にはほとんど影響が出なくなったからねえ。今じゃあ傷つけることはなくても、気絶したりとか、多少考え方に影響が出たりするぐらいだからねえ。……まあ、人を斬りたくて斬っているわけではないわけだし、良いんだよ。ただ……、大鎌を振るうたびに、自分の罪が垣間見える気がして、良い気はしなかったけどねえ……」
アチラはそうやって話して、悲しそうに目を伏せる。だが、すぐに「さて」と切り替えて普段の声音で言葉を紡いでいく。
「ユクト、長くなったけど頼むよ。いつまでもこうしていたくないしさあ」
アチラは身体を起こすことなく、逆に力を抜いて依頼した。
ユクトは再度頷き、アチラの元へと足を運ぶ。そして、カチャリと薙刀を構えた。それは、断頭台のようで。
ユウたち三人は、我に返って止めようとする。知らない間に、武器が行く手を阻んでいて、すぐには止めに入ることが叶わなかった。声だけで阻もうと、悲痛に張り上げる。
「アチラ!」
「――楽しかったよ、本当にねえ」
アチラの言葉を合図に、ユクトは問答無用とばかりに薙刀を振り下ろす。
そして、ユウたちが必死に手を伸ばす中、無情にも薙刀はアチラの首をめがけて、振り下ろされたのであった――。
Ⅲ
「アチラ!」
振り下ろされた薙刀を見て、ユウが悲痛な声で名前を呼ぶ。
ユウたち三人の目には、知らぬ間に涙が溜まっていた。
だが――。
「あ、れ……?」
アチラはゆっくりと目を開く。
確かに振り下ろされたはずだった。薙刀が当たった気はした。痛みはよく分からなかった、それは諦めや疲れがあったからなのだろう。
それでも、確かに自身に薙刀が振り下ろされたことを、頭の片隅で理解していた。
――だというのに、アチラの姿はまだそこに存在している。
「な、んで……」
アチラは自身の手のひらを見つめてから、首元に手を当てる。
感触がある、温かさもある。そして、確実に首は繋がっていて、しかも身体が消える気配はない。
アチラは慌てて身体を起こした。軋む身体が悲鳴を上げ続けるが、それどころではない。ユクトと距離を詰め、彼女へ問い詰める。
「ユクト、どういうこと……!?」
アチラは珍しく動揺していた。それは、自分が最期を覚悟していたから。
転生局を守るために、転生者に大鎌を振るった。
局長への報告をせずに、独断で行動した。
そして、自分の最後の力を振り絞り、消えるのを覚悟に武器を振るい続け、この場を収めた。
だからこそ、最期を迎えたと思った。
なのに、アチラは消えることなく、変わらない姿でそこにいる。
ユクトはアチラに詰め寄られても焦ることなく、どこからともなくスチャッとスケッチブックとペンを取り出した。
ユウたちは初見だったからか、ギョッと目を剥くも、あまりに驚きすぎてしまい声が出なかった。
アチラが見守る中、ユクトはサラサラと何かをスケッチブックに書き込むと、ダンと書いた面をアチラへと向ける。ほとんどアチラの顔の真ん前であった。
アチラは少しばかり首を仰け反らせ、それから文章に目を走らせる。
「……『私は確かに斬った、お前の罪を』って、いやいや、だったらなんで俺が――」
「――きっと、お前の罪はすでに清算が終わっていたのだ」
目の前で、アチラの言葉を遮りながら、「執行人」が口を開く。
それに対して、アチラたちはぴしりと動きを止めた。「執行人」を見たまま、ピクリとも動かない。
ユウたちだけではなく、アチラも固まっている。そして、時間がしばし経ったところで、ユクトを除く全員が目を見開き、あんぐりと口を開ける。
アチラが代表して疑問を口にした。
「……ユクト、話せたの!?」
「……心外だ。お前が以前言ったのだぞ、いつまでも変わらないものはない、と」
アチラはしっかり三拍考え込んでから、頷いた。
「いや、確かに言ったけど」
「……理由はどうあれ、私を外に出させたのだ、それ以上にこの場所の事は動いた。ならば、私の刻も動くということ。そして、お前が積んできたものも、無駄ではなかったということだ」
ユクトは今までが嘘だったかのように、流暢に言葉を紡いでいく。スケッチブックとペンはどこかにしまい込んだのか、捨てたのか……、手元にはなかった。
アチラはその様子をポカンと見つめる。今まで記憶にあったユクトと違いすぎて、頭が追いつかない。だが、ハッと我に返ると、続けて詰め寄る。
「け、けど、俺がここに残っているのはおかしいでしょ!? 転生局の危機に、すべての力を使い込んだはずなのに……!」
「それでも、お前がここに残っていることが、何よりの証拠だろうな」
第三者の声が、割って入る。
声の方向へと視線を動かせば、そこには――。
「きょ、局長!?」
ユウが驚きながらも声を上げる。
それもそうだろう、先ほどまで抜け殻のようになっていたのを、彼らは見ていたのだから。
もっとも、アチラは知らない話ではあったが。
局長であるレイは、普段と変わらず堂々とした姿でそこに立っている。毅然とした態度で、五人の元へと足を運んできていた。
局長はアチラへと視線をやり、それからため息をつく。
「……私もお前が消えるのではないかと、気が気でなかった。事の事態を聞いて、もはや手遅れだと思っていた。だが、お前はこの転生局でずっと変わらずに尽くしてきた。それだけ報いたと言うことなのだろう。つまり、今さら消える必要はないということだ」
「いや、でも、局長……! 犯人だってまだ分かってないのに……!」
「それならば、ソウウンがすでに捕らえている。どうやら、局員の一人が場をかき乱して手柄を立てるつもりだったらしい。転生者が近頃様子が違っていることや時代の流れに気がついて、利用できるのではないかと考えたそうだ。そして、手柄を立てれば、お前たちと同等になれるかもしれないと踏んでいたそうだ。まあ、要するに、私の目も曇ったということだな」
レイはやれやれと首を横に振る。自分に呆れているのだろう。
アチラはレイの言葉を聞きながら、そうかと頷く。
内部の者が関係しているに違いないとは思っていた。だが、まさか局員だったとは。転生者の一人が、と予想していたが、どうやら外れていたらしい。しかも、すでにソウウンが捕らえているときた。
アチラは予想外にトントンとことが進んでいて、またポカンとしてしまった。
そんな中、局長が説明を続ける。
「今頃、ソウウンとサイガによって、拷問もとい尋問が始まっていることだろう。お前のことを好んでいる者ばかりだ、手加減を知らないはずだ」
「え、嬉しくない」
アチラは我に返ってバッサリと斬り捨てる。
確かに、「絶対的な信者」と称されるソウウンと、「変態」と称されるサイガだ。アチラをここまで疲弊させたなどと知れば、手加減どころか問答無用で処罰することだろう。それこそ、今回の犯人は地獄を見るかもしれない。
普段のアチラらしい発言に、局長であるレイは苦笑した。
「……何はともあれ、お前の行いはすでに良い方向に動いたということ。そして、お前の名も、変わる時期だということだ」
「……はい?」
局長の言葉に、アチラは耳を疑った。
名を変えるというのは、どういうことだろう。
そもそも、そんなに簡単に名前を変えられるとでもいうのだろうか。
頭が正常に働いていかなかった。
そんな中、声を張り上げたのはユウで。
「というか、局長! さっきと全然様子が違うんですが!? さっき、抜け殻みたいになっていましたよね!?」
「え、待って? そしたら、俺のスマホに連絡入れていたの誰? すごい着信の数だったんだけど?」
ユウの言葉に、アチラの中では新たな疑問が浮かんでくる。衝動的に聞き返せば、冷静になったシノビが口を開く。
「それは、私たちが入れたもの。どうせお主のことだ、私たちの着信では出ないだろうと思って、局長が抜け殻になっている間に拝借した」
「うん、シノビらしくてなんだか安心した」
アチラはようやく着信の数に納得がいって、何度も頷いてみせる。
対して、局長であるレイはといえば、なんだか恥ずかしそうで。おそらく、自分の情けないところをさらけ出したからだろう、申し訳なさそうに肩身を小さくした。
「いや、情けないところを見せた。それもユクトのおかげだ。ユクトが来て、断罪した後の可能性の話をしてくれなければ、どうにもならなかったはずだ」
「え、何? 何の話?」
アチラは周囲で飛び交っている会話の内容がよく理解できていない。
状況を説明してくれたのは、他でもないユクトで。
「……局長は自我を失いかけていた。『死神』、お前が消えると知って」
「……仕方がないだろう。私にしてみれば、アチラは息子のような存在だった。悪ガキの頃から見ているのだ、消えると分かれば我も忘れる」
レイは情けなさそうに頭を抱える。
アチラはその言葉にきょとんとして。
「え、俺いつから局長の息子になったわけ?」
「……貴様はいちいち茶々を入れないと気が済まないのか。そう思っていたというだけの話だ」
レイはアチラをギロリと睨む。呼称が「お前」から、「貴様」に変わったということは、多少なりともキレそうになっているということ。
アチラはそれに気がついて、苦笑した後に口を噤んだ。
けど、そしたら俺は……。
どうして良いのか、分からなかった。最期を迎える気満々だったのに、状況は転じてしまった。
アチラは迷いながらも口を開いた。つい、顔が俯いてしまう。
どんな表情をして立っていれば良いのか、分からなかった。
顔向けできないと思ったら、顔が勝手に下へと向いてしまっていた。
「……けど、俺は――」
すると、アチラの言葉を遮るように、局長が口を開いた。
「――愛知楽」
局長の言葉に、アチラは顔を上げる。蒼い瞳が、煌めいた。
「お前の名は、今日から愛知楽となった。もう、忌々しい修羅の道を貫くものではない。お前の清算は終わったのだ。……愛を知って楽しんで行く、それが今後のお前の人生だ」
局長は口元を緩めて、優しく告げた。
その言葉を、アチラは噛み締める。
言葉にならない、数々の感情が湧き起こって仕方がなかった。
アチラは煌めく蒼い瞳で、局長であるレイを見つめるのであった。
IV
「う、そ……」
アチラは言葉を零す。まだ信じられなかった。
俺の名前が、変わる……。そんなこと、今まで考えたことなかった……。
驚きを隠せないアチラへ、局長はさらに告げた。
「お前はもう、自分の過去に囚われなくて良い。その証拠が、今この時だ。お前はこの地でそれだけ償ってきた、この場所に報いたのだ。過去の呪縛から解放される時だ」
「俺の、新しい名前、か……」
アチラは自身の新しい名前を繰り返してみる。
名乗ることが嫌で、漢字の名前を今まで封じ込めてきた。
思い出したくなくて、自ら茶化すかのように決まった台詞を吐いていた。
それが、今、変わろうとしている――。
アチラは何度か頭の中で名前を繰り返す。
だが――。
「……なんか、それはそれで恥ずかしいんだけど」
「貴様、文句が多いな」
アチラが不満を述べれば、局長は怒り口調で言い返す。眉間に皺が寄っていて、呼称が変化していることから、かなり危ない状況だ。
アチラはそれを見ても特に何かを言うわけではなく、ただ「そっか……」と一人納得していた。そして、また後ろから地面に倒れ込む。大の字で寝転がり、何も見えないはずの天井を見上げた。
ユウたちが名前を呼びながら駆け寄ってくる。彼らは同僚の顔を覗き込み、そして口を噤んだ。
アチラは蒼い瞳を輝かせていた。宇宙の輝きにも劣らないその瞳には、確かに膜が張っていて。
静かに、一筋流星が流れて行ったのである――。
アチラはゆっくりと口を開いた。嬉しさを噛み締めるかのように、一言一言をゆっくりと……。
「そっかあ……、俺、まだここにいられるんだあ……。あの、名前とも別れられるんだあ……。そっかあ……、そっかあっ……!」
アチラの小さく零れていく声が、周囲に響き渡っていく。その声は、確かに嬉しさを宿らせていた。
誰かの、安堵した声が零れた。
誰かが、泣いている声が聞こえた。
誰かの、笑っている声がした。
今は、疲れも今後のことも頭にはない。
ただ、各々が幸せを噛み締めて、感情を吐露していたのであった――。
0
お気に入りに追加
3
あなたにおすすめの小説
SSSレア・スライムに転生した魚屋さん ~戦うつもりはないけど、どんどん強くなる~
草笛あたる(乱暴)
ファンタジー
転生したらスライムの突然変異だった。
レアらしくて、成長が異常に早いよ。
せっかくだから、自分の特技を活かして、日本の魚屋技術を異世界に広めたいな。
出刃包丁がない世界だったので、スライムの体内で作ったら、名刀に仕上がっちゃった。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/fantasy.png?id=6ceb1e9b892a4a252212)
ローグ・ナイト ~復讐者の研究記録~
mimiaizu
ファンタジー
迷宮に迷い込んでしまった少年がいた。憎しみが芽生え、復讐者へと豹変した少年は、迷宮を攻略したことで『前世』を手に入れる。それは少年をさらに変えるものだった。迷宮から脱出した少年は、【魔法】が差別と偏見を引き起こす世界で、復讐と大きな『謎』に挑むダークファンタジー。※小説家になろう様・カクヨム様でも投稿を始めました。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/fantasy.png?id=6ceb1e9b892a4a252212)
異世界に転生したら?(改)
まさ
ファンタジー
事故で死んでしまった主人公のマサムネ(奥田 政宗)は41歳、独身、彼女無し、最近の楽しみと言えば、従兄弟から借りて読んだラノベにハマり、今ではアパートの部屋に数十冊の『転生』系小説、通称『ラノベ』がところ狭しと重なっていた。
そして今日も残業の帰り道、脳内で転生したら、あーしよ、こーしよと現実逃避よろしくで想像しながら歩いていた。
物語はまさに、その時に起きる!
横断歩道を歩き目的他のアパートまで、もうすぐ、、、だったのに居眠り運転のトラックに轢かれ、意識を失った。
そして再び意識を取り戻した時、目の前に女神がいた。
◇
5年前の作品の改稿板になります。
少し(?)年数があって文章がおかしい所があるかもですが、素人の作品。
生暖かい目で見て下されば幸いです。
転生したら最強種の竜人かよ~目立ちたくないので種族隠して学院へ通います~
ゆる弥
ファンタジー
強さをひた隠しにして学院の入学試験を受けるが、強すぎて隠し通せておらず、逆に目立ってしまう。
コイツは何かがおかしい。
本人は気が付かず隠しているが、周りは気付き始める。
目立ちたくないのに国の最高戦力に祭り上げられてしまう可哀想な男の話。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/fantasy.png?id=6ceb1e9b892a4a252212)
無限に進化を続けて最強に至る
お寿司食べたい
ファンタジー
突然、居眠り運転をしているトラックに轢かれて異世界に転生した春風 宝。そこで女神からもらった特典は「倒したモンスターの力を奪って無限に強くなる」だった。
※よくある転生ものです。良ければ読んでください。 不定期更新 初作 小説家になろうでも投稿してます。 文章力がないので悪しからず。優しくアドバイスしてください。
改稿したので、しばらくしたら消します
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/fantasy.png?id=6ceb1e9b892a4a252212)
元おっさんの俺、公爵家嫡男に転生~普通にしてるだけなのに、次々と問題が降りかかってくる~
おとら@ 書籍発売中
ファンタジー
アルカディア王国の公爵家嫡男であるアレク(十六歳)はある日突然、前触れもなく前世の記憶を蘇らせる。
どうやら、それまでの自分はグータラ生活を送っていて、ろくでもない評判のようだ。
そんな中、アラフォー社畜だった前世の記憶が蘇り混乱しつつも、今の生活に慣れようとするが……。
その行動は以前とは違く見え、色々と勘違いをされる羽目に。
その結果、様々な女性に迫られることになる。
元婚約者にしてツンデレ王女、専属メイドのお調子者エルフ、決闘を仕掛けてくるクーデレ竜人姫、世話をすることなったドジっ子犬耳娘など……。
「ハーレムは嫌だァァァァ! どうしてこうなった!?」
今日も、そんな彼の悲鳴が響き渡る。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/fantasy.png?id=6ceb1e9b892a4a252212)
異世界成り上がり物語~転生したけど男?!どう言う事!?~
繭
ファンタジー
高梨洋子(25)は帰り道で車に撥ねられた瞬間、意識は一瞬で別の場所へ…。
見覚えの無い部屋で目が覚め「アレク?!気付いたのか!?」との声に
え?ちょっと待て…さっきまで日本に居たのに…。
確か「死んだ」筈・・・アレクって誰!?
ズキン・・・と頭に痛みが走ると現在と過去の記憶が一気に流れ込み・・・
気付けば異世界のイケメンに転生した彼女。
誰も知らない・・・いや彼の母しか知らない秘密が有った!?
女性の記憶に翻弄されながらも成り上がって行く男性の話
保険でR15
タイトル変更の可能性あり
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/fantasy.png?id=6ceb1e9b892a4a252212)
元ゲーマーのオタクが悪役令嬢? ごめん、そのゲーム全然知らない。とりま異世界ライフは普通に楽しめそうなので、設定無視して自分らしく生きます
みなみ抄花
ファンタジー
前世で死んだ自分は、どうやらやったこともないゲームの悪役令嬢に転生させられたようです。
女子力皆無の私が令嬢なんてそもそもが無理だから、設定無視して自分らしく生きますね。
勝手に転生させたどっかの神さま、ヒロインいじめとか勇者とか物語の盛り上げ役とかほんっと心底どうでも良いんで、そんなことよりチート能力もっとよこしてください。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる