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第二四章 「俺の名は、そのためにあるんだから」

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 Ⅰ

 アチラが転生局から向かった先、それは――。

 アチラは口元をヒクつかせていた。目の前の光景に、さすがに目を疑いたくなる。
 ちなみに、あれ、これってデジャヴとか思ったアチラは無理もないだろう。少し前に、同じように口元をヒクつかせていたことが実際にあったからである。
 もっとも、まったく違った場面で、まったく違う場所でその状態であったため、認識のズレと錯覚してもおかしくはなかった。
 アチラは目の前の光景から目を離せずに、ポツリと言葉を零していく。自分が呟いたことではあったが、なんだか遠くから聞こえたような気がした。
「……これが、本当の地獄絵図かあ」
 アチラは遠い目をして、目の前の光景を呆然と眺め続ける。自身の職場に似たような場所があると話に出たこともあったが、実物を見てみると雲泥の差があることを理解した。

 ――アチラがやって来たのは、転生局にある「奈落」もとい清算部のさらに地底の奥深くにある、「地獄」と呼ばれる場所で。

 そこに来たのは、強力な助っ人として頼りたかったがために、その人物に会いに来たのである。
 だが、アチラは地獄に来るのは初めてのことであった。しかも、今の今まで地獄に来るとは思ってもいなかったし、来ようと考えたこともなかった。そのため、目の前の光景に頭がついていかないのである。思わず立ち尽くして光景を呆けて見てしまうのも無理はないだろう。
 ……おいおい、よくこんな所で仕事ができるなあ。
 アチラは失礼ながらもそんなことを考えてしまう。
 当たり一面に見渡す限り存在する亡者の数々、時折起こる怒声、湧き起こる断末魔のような叫び……。それに加えて、地に足が着いている場所とは思えないほどの熱さ。暑い、という一言では語れない熱さ、なのである。
 アチラが普段来ているローブですら邪魔に思える。風通しが悪く、汗は常に次から次へと溢れ出てくるのだ。正直に言えばローブを脱ぎたいのだが、荷物になるのは目に見えているし、なんといっても自分のアイデンティティである。
 できれば、このままいきたい、この姿のまま話を終えたいと思うのだ。
 アチラはやれやれと首を振り、気を取り直して周囲を見渡した。キョロキョロと目的の人物を探していれば、急に自分の身体に影が差した。アチラは見上げるようにして相手を見る。
 目の前には、自分の倍ぐらいある背丈の、どう見ても人じゃない姿をしている者がいて。
「誰だ、てめえは」
 地を這うような声が、アチラに向かって問いかけられる。
 襲いかかるような声であったが、当のアチラはケロッとしていて。
「いや、そっくりそのまま返すけど」
 アチラは首を捻る。アチラの倍ぐらいの相手を見上げて、見覚えがないなあと思った。
 当然だろう、アチラは初めてこの地に来たのだから。
 うーん、本当に誰だろう……。
 アチラはのんびりとそんなことを考えた。
 アチラの倍ぐらいある身長を持つ者は、確実に人間ではなかった。頭から二つの耳が生えており、全身筋肉質な身体が隠されることなく晒されている。よくよく見てみれば、顔は牛のようだ。だが、二本足で立っているところを見る限り、ただの牛ではないだろう。
 初めて来た場所で、初めて見る相手で。それでも、アチラは警戒することはなく、ただ大鎌を担いだ状態で相手を観察しているだけであった。
 さすがに、ここでことを荒立てたら悪い、よなあ……。
 アチラはうーんと唸りつつ、自身の頭を乱雑に掻く。さすがに目的の人物に迷惑を被ることだけは避けたかった。なんといっても、今回は個人的に頼みごとをしに来たのだ、相手がそんなことを気にするとは思えないが、少しでも機嫌は取っておきたいところ。
 だが、アチラが悩んでいる姿が相手を苛立たせたようで。相手はアチラへと手にしていた棍棒で、アチラに襲いかかった。
 それをアチラはヒラリと避けて、距離を保った状態で着地する。相手の間合いに入らないようにしているのは、さすがの一言に尽きるだろう。
「……あんまり酷いことしたら、俺があの人に顔向けできなくなるんだけど」
「貴様、何を言って――!」
「――やめぬか!」
 突如、アチラと相手を止める第三者の声が、天から降り注ぐ。
 その声にアチラは聞き覚えがあり、思わず小さく「おっ」と声を上げた。救いの声だと思ったのである。
 対して、相手――牛頭ごずはビクリと身体を震わせた。顔を青くさせ、持っていた棍棒をゆっくりと地に下げる。
「牛頭よ、その者は我の知人。我のところに連れてこい、良いな」
「し、しかし――」
 牛頭と呼ばれた者は、天の声に言い返す。
 だが、それを第三者は許さない。
「黙れ、勝手に手を出すことは許さぬ」
 アチラはそれに助け舟を出すかのように、天に向かって叫んでみた。本当に届くかは半信半疑であったが、何事もやってみるに限る。それに、第三者の予想はできている、アチラが目的としてきた人物の声であったからだ。
「地獄の王、ごめんねえ。急に来ちゃったから、部下の人が戸惑ったと思うー。あと、驚かせたと思うんだよねえ」
 地獄の王の姿はないものの、アチラは一方的に言葉を紡いだ。声を張り上げて、とりあえず言いたいことを全部先に伝えてしまう。
 すると、アチラの声はきちんと届いていたようで、返事が天から注がれた。
「構わぬ、こちらへと足を運べ、アチラよ。牛頭よ、案内せい」
 地獄の王の声が、地獄の辺り一帯に轟いていく。
 目の前で納得のいっていない顔をしている地獄の番人に対して、アチラはただニコリと笑って見せるのであった。



 Ⅱ

「急に来たことには驚いたぞ、アチラよ」
「ごめんねえ、どうしても外せない急ぎの案件でさ」
 アチラは地獄の王の前で笑って見せる。
 あれから案内されたのは、地獄の王の間で。どうやら、ここで地獄の王が、地獄行きとされた者たちをさらに振り分けているらしい。アチラが入ってから、何人かの行き先を決めている姿を見て、感心してしまうほどであった。
 それにしても、とアチラは思う。
 デカすぎでしょ、地獄の王……。
 アチラの目の前で玉座に腰掛けている地獄の王は、転生局に来ている時よりも四、五倍は大きいだろう。
 アチラは見上げ続けている状態であるため、だんだん首が痛くなっているのを理解する。本当は首を下げたいところだが、話をしているのに俯いている状態では礼儀がなっていないと思われるだろう。
 ……まあ、でもそうか。俺たちのところに来るのに、本来の大きさであったら入れないもんなあ。これ、門前払いの大きさだよねえ……。
 アチラはやれやれと小さく首を振る。
 おそらくだが、地獄を束ねる者として、威厳の問題なのだろうとアチラは考える。
 地獄は、言葉は悪いものの、言ってしまえば超がつくほどの大罪人が集まる場所。
 殺人、強盗、詐欺……、非人道的な行いを上げ始めたらキリがないだろう。それらを行った者たちが、ここに集まってくる。
 アチラも転生者を審判する立場として、そういう者をたくさん見てきた。だからこそ、統率者の存在が、威厳が必要になってくることは十分理解している。

 だが――。

 ――今さらだけど、俺……、すげえ人と話をしていたんだなあ。

 アチラは今さらながらに自分の行いを振り返って、申し訳なく思う。
 心の中で、大鎌を問答無用で振るってごめんね、と謝罪しておいた。
 百聞は一見にしかず。
 まさに、この言葉の通りである。
 アチラは初めて地獄に来たが、地獄の王の存在が大きいことをこの場に来て初めて痛感した。
 転生局で話している時とはやはり違う。この場を収める者として、そしてこの場を取り仕切る者として、誰もが認める存在となっているのだ。
 アチラが物思いに耽っていると、地獄の王は腰をかがめつつ顎をさする。そして、アチラへと近寄って言葉を紡いだ。
「それで?    今日はどうした。急ぎの案件とのことだったが、また転生局長殿のお達しか」
 アチラはその言葉に表情を引き締めた。フルリと一度横に首を振り、それから蒼い瞳を地獄の王へと向ける。
「……いや、今日は局長は関係ない。個人的な頼みなんだ」
「ほう……」
 地獄の王が目を細める。それから、アチラを制止すると、人払いをし始めた。アチラが話しやすいように場を整えてくれているのだろう、地獄の王の間にはアチラとこの間の所有者のみが取り残される。
 アチラは感謝を述べてから、本題に入る。真剣な表情で、重々しく口を開き、今までの経緯を語るのであった。



 Ⅲ

 アチラが話を終えるまで、地獄の王は一切言葉を発することはなかった。話の腰を折ることもなく、ただただアチラの話に耳を傾けて、集中して聞き入って。
 アチラはだからこそ話しやすかった。とにかくすべてを聞いたうえで判断してほしいと思っていたからである。すぐに目の前の相手に話が通っていくような、そんな直感すら生まれていた。
 アチラが話し終えると、重たい空気がこの間を包んでいく。
 地獄の王はしばらく顔を右手で覆っていたが、やがてゆっくりと手を外して、同時に重たく息を吐き出した。それは、強風となり、時に暴風となり、アチラを飛ばすかのように横を通り過ぎていく。
 アチラはそれをじっと見つめ、彼の言葉をただ待った。
 地獄の王は頭を抱えている。
「……そんな話を、信じろと言うのか」
 地獄の王は、アチラが経験してきた出来事に疑問を抱いている様子であった。
 無理もない、アチラも実際に見なかったら笑い飛ばしていたかもしれない。
 だが、それは嘘偽りない、少し前に起きた事件と呼べる出来事で。
「……嘘偽りない、事実だよ。俺が、地獄の王、あんたに嘘をつくと思う?」
 アチラは蒼い瞳に強い光を灯して彼へと向ける。
 地獄の王はそれを見て、さらに頭を抱えた。アチラの言葉が本当だということを、理解したのだろう。
「……我に頼みごとをするほどまでに、お主が警戒することなのか。大体にして、局長殿を差し置いて――」
「――ねえ、地獄の王。この世界においての最悪のパターンって、なんだと思う?」
 アチラは地獄の王の言葉を遮って問いかける。
 地獄の王は急に問いかけられたことによって、眉を中心に寄せた。皺を刻んだ状態で、自分より遥かに小さい存在の「死神」を見下ろす。
「……それは、転生局が壊れること、ではないのか。今じゃ、あそこが中心的な組織だ」
「違う」
 アチラは地獄の王の言葉を一刀両断した。
 思わず、地獄の王の顔が険しくなる。
 だが、アチラは気にすることなく続けた。
「確かに、転生局が壊れたら困ることもある。転生者は次から次へと現れているのが現状出しねえ。でも、それは最悪なパターンではない」
「……勿体ぶってないで早く言え」
 地獄の王が先を促す。
 アチラはそれを聞いてゆっくりと口を開いた。
「……最悪のパターン、それは――」
 アチラは蒼い瞳に影を指す。そして、確信しているかのように告げた。
「――それは、転生局の『奈落』に存在している者たちと、地獄に存在している者たちが、協力関係を築くこと」
「――っ!」
 ガタリ、思わず地獄の王が玉座から立ち上がり、椅子が大きく悲鳴を上げる。椅子が倒れることはなかったが、地獄の王が席に着くこともなかった。呆然と立ち尽くしているのだろう。
 アチラはそれをじっと見つめたまま、さらに続けた。
「……今まで、そんな可能性は万に一つとしてなかった。だけど、今は違う。元転生者が事件を起こした、それは揺るぎない真実。そして、警戒すべきところは間違いなく転生局に存在している『奈落』と、地獄。ここには、言ってしまえば大罪人が多くいる場所。転生局だけでなく、地獄ですら壊す可能性もあるということ。つまり――」
 アチラは一度言葉を区切る。そして、鋭い瞳で地獄の王を射抜いた。
「――もうすでに、転生局だけの留まる話ではなくなっている。これは、転生局だけではなく、この世界自体の存続にかかわる問題になってきているんだよ」
 アチラの言葉は、強く地獄の王へと突き刺さる。地獄の王は短く唸った。予想よりも大きな事件が起きていると理解したに違いない。倒れ込むように玉座に腰掛け、頭を抱えながら力無く言葉を発する。
「……天使長には」
「話していない。彼女には動揺して欲しくないし、正直に言ってもしことが起こったとしても、そこまで侵攻させる気はサラサラないよ。……考えた時に、可能性が一番高く警戒する場所は、『奈落』と地獄。彼らが協力して二つの場所を破壊するとしたら、本気で破滅の危機だ。特に、その二つは場所が近いほうだからねえ。だから、俺はあんたに協力を申し出に来たんだ」
 アチラは自分の考えを述べながら、覚悟を見せるかのように瞳を煌めかせる。サファイアの輝きは、誰にも消すことはできないだろう。
 それを見た地獄の王が、その覚悟に応えるのに大した時間はかからなかった。



 IV

「……分かった、お主の意向に付き合おう」
「……助かるよ、地獄の王」
 二人はほっと少しばかり気を抜いて笑い合う。
 だが、地獄の王はまだ疑問が生じているようで。
「時に、アチラよ。我は何をすれば良いのだ」
「……地獄で何かしら異変が怒ったら教えて欲しいんだ。些細なことでも良い。ただ、局長には内緒にして欲しいんだ、俺が独断で動いているようなものだからねえ。……今回の転生者だって、急に反乱を起こしているようなものだからねえ。もっと前に転生はしているはずなのに、今さらってところだから。つまり……」
「……今、この世界で異変が起き始めている、そういうことか」
 地獄の王の言葉に、アチラは深く頷く。
 その姿を見た地獄の王は「なるほどな」と呟いてから、改めて疑問を口にした。
「しかし、アチラよ。万が一にでもそのようなことが起きたとしたらどうするつもりだ。……に関しては、多少なりとも理解しているが」
 以前、アチラは地獄の王と天使長に少しだけ語ったことがある。それは、天国と地獄をまとめている二人の統率者が知っておいたほうが良いと、アチラが判断したからであった。

 万が一の時、予測できない事態が起こった時、最後の砦となるのが、ということを――。

 アチラは地獄の王の言葉に頷く。
「取り越し苦労なら、それで良いんだけどねえ。……任せてよ、地獄の王」
 アチラは大鎌を握る手の力を強くする。それから、フードを深く被り直した。その奥からは、いまだにサファイアの光が零れ出ている。
 アチラは長く息を吐き出しながら、低く透き通るような声で言い放つ。
「……は、そのためにあるんだから」
 アチラはそれだけを告げてから、何かを考え込むように顔を俯かせる。

 そう、俺の名は、このためにある――。

「……誰にも、手を出させはしないよ」
 アチラの覚悟の籠った声は、地獄の王の間で重く響き渡った。
 それを、地獄の王は悲しそうに、そして残酷なものを見るかのように、見下ろしていた。


 二人は各々、強く祈る。
 口に出さないのは、その予感が当たって欲しくないからか、それともただ口にすることをはばかられたか。

 いずれにせよ、彼らは祈ったのだ、今考えていることが、取り越し苦労であることを――。
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