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第八章 「……許さねえ」

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 Ⅰ

 ――転生局清算部。
 通称、「奈落」。

 現在、アチラはそこにいた。
 局長に頼まれた依頼を引き受けて、足を運んでいたのである。
 清算部部長であるソウウンと、ここの研究者であるサイガと一緒に、これから清算部の現状を知るために現場に足を運ぼうとしていたのであった。
 アチラは二人を見て盛大にため息をつく。
「いやさあ、ソウウンは分かるよ?    ここの部長だし、案内してもらわなきゃいけないから一緒に行くのは理解できる。理解できるんだけど……、なんでお前も一緒なの?」
 アチラの視線は、サイガに向けられている。
 アチラはじとっと何か言いたげな視線を向けるが、サイガはそんな視線を向けられてもものともしなかった。むしろ、視線を向けられても、嬉しそうである。サイガは嬉しそうに告げた。
「もちろん、愛しの君と一分一秒でも長く一緒にいたいからさ!    離れたくないね!」
「お帰りくださーい」
 アチラはサイガの言葉に間髪入れずに言い返す。全力拒否の意思を込めて告げたが、その想いは相手には届かなかったらしい。動く気配はなかった。
 アチラは相手にするのをやめることにした。無駄な労力になることを理解しているからである。これ以上、貴重な時間も使われたくなかった。
 アチラはソウウンに向き直る。
「ソウウン、しっかりと現場を歩きたいんだけど、良いかな?    実際に見て原因を探りたいからさあ。あと、現在のここに所属している転生者のリストを見せてくれるかい?」
「承知しました!」
 アチラの言葉に、すぐに了承したソウウンは光のごとく飛んでいく。応接室を颯爽と立ち去る彼の背中を眺めながら、アチラはボソリと「さすが信者」と呟いていた。
 パチンと指を鳴らして、しまい込んでいた大鎌をどこからともなく取り出す。立ち上がって担ぎ上げれば、ガチャリと音が奏でられた。
 これから向かう場所は、いわば戦場である。武器の一つや二つ、所持していたほうが無難なのだ。自身の身を守るためにも、おそらく必要だと考えられる。
 転生者がたくさんいるのだ、しかも、厄介だと考えられた転生者ばかりがこの場所には送られてくる。牙をむいてこないとも言えないし、そんなことはないだろうが武器を隠し持っているかもしれない。つまり、用心するに越したことはないのだ。
 アチラが大鎌を担ぎ上げれば、向かいに座っていたサイガがキラキラと目を輝かせていた。研究対象を見つけたと言わんばかりの視線である。
 アチラはそれを見て、何か言われる前にフイと視線を逸らした。質問攻めにはなりたくないからである。
 すると、サイガが何か言う前に、タイミング良くソウウンが戻ってきた。扉を壊すのではないかというほど勢いよく扉を開いたソウウンは、多少息切れしながらもハッキリと告げる。
「お待たせしました!」
 アチラはそれを見てソウウンに近づくと、彼の肩に空いている手を置いた。
「早、というかナイスタイミング。ソウウン、さすが。褒めて遣わすよ、今度何か奢るねえ」
「あ、アチラさんから、奢っていただける……?    それは、僕が天に召される日ですか……?」
「帰って来い」
 何かよく分からないことを言い始めたソウウンをバッサリと斬り捨てたアチラは、彼の手からリストを奪う。颯爽と奪われたにもかかわらず、ソウウンは文句の一つも言わなかった。むしろ、まだどこかに飛んでいっているらしい。精神が帰ってきていない様子である。
 アチラは気にすることなく、リストへ視線を走らせる。大体の情報を頭に入れてから、ふーんと声を漏らす。それから、二人に声をかけた。
「行くよ、ソウウン。仕方がないから、ついでにサイガも」
「どこまでもお供します!」
「もちのろん、行かせてもらうよ、愛しの君!」
 ……キャラが濃いなあ。
 アチラは二人の言葉を聞きつつ、ぼんやりとそんなことを思い浮かべる。ほかの者からしたら、アチラも相当キャラが濃いほうではあるのだが、そんなことは棚に上げているのである。
 それから、三人はソウウンを先頭に、応接室を後にするのであった。



 Ⅱ

 応接室を出たアチラたちが向かったのは、清算部の「現場」と呼ばれる場所であった。

 そこは、実際に清算が必要と判断された転生者たちが、清算するために行動する場所であった。そこでは、常に清算部の人員が監視役に回り、鋭く目を光らせている。というのも、過去に逃げ出す者や不正をする者がいたことから、この体制になったのであった。
 想像してもらうなら、現代で一般的に言われている「地獄絵図」を思い浮かべると良いだろう。「監獄」なんて言葉も合うかもしれないが、それでは生温い気がするのである。
 また、この「現場」と呼ばれている場所は、先ほどアチラたちがいた応接室や事務所となっている建物からガラス張りで簡単に見られる。現代で例えるのであれば、「工場見学」を思い浮かべてもらえれば分かりやすいだろうか。事務所で働いている者でも、「現場」で異変があった時にすぐに対処できるように、発見しやすくしてあるのだ。

 アチラたちは、そんな「現場」を現在進行形で歩いていた。
 事務所にある隠し扉から、こっそりと「現場」に降り立つ。扉が見えていると、逃げ出そうとする転生者に利用されてしまうからである。常日頃から監視役に徹している清算部の者が目を光らせているものの、万が一にもないとは言い切れない。小さな芽すら摘んでおかなければ、完全に安心はできないのだ。
 つまり、転生局は現代の市役所のような場所であり、監獄のような場所でもあるため、常日頃から警戒心を持って働かなければいけないのであった。
 ソウウンを筆頭に、アチラ、サイガの順で進んでいく。背後にサイガがいるのは正直に言えば落ち着かないのだが、アチラが中心にいれば不測の事態が起こったとしても瞬時に対応ができるため、この順番となったのであった。何せ、武器を所持しているのはアチラのみであるのだから。
 アチラは久しぶりに入った「現場」を見渡し、呑気に口を開く。
「いやー、壮観だねえ。これぞ、まさに『地獄』ってやつなのかなあ。行ったことないけど。行きたくもないけどねえ」
「その例えは喜んで良いのか、悲しんで良いのか……?    分かりませんね……」
「愛しの君にはそう見えるということだね!    私からしたら、愛しの君との時間が重要すぎてそれどころでは――」
「黙ってろってえの」
 この場だけ、不自然なほどに、軽快な会話が成り立っていた。もっとも、アチラがサイガに対してだけ返す言葉は、殺伐としたものであったが。
 アチラは怒りを込めて言葉を返した後、改めて周囲に視線を巡らせた。

 ――清算部の「現場」は、いわば転生者の罪の清算の場。
 とは言っても、そんなに重たいわけではない。地獄と比べれば、遥かに優しいところである。
 簡単に言えば、自分の罪を見直して、こうすれば良かった、ああしていれば良かったとつらつらと反省の文章をひたすらにしたためていくだけである。その反省から、来世ではこうすれば良い、こうしていきたいという思いが生まれていく、という狙いからだった。要は、後悔を元に次に生かす、ということである。
 だが、これにも念には念をの厳しいチェックが入る。清算部の監視役がチェックをし、内容に不備や反省の色が見えない場合は、一から書き直しである。さらに、逃げ出した場合は、その分のペナルティが追加されるのだ。つまり、ただ書けば良いというものもないし、簡単とは言えイカサマもできない。
 要は、苦行は苦行、というわけであった。

 現代の大学の講義のように机が並べられ、一定の距離を保って一人一人が原稿用紙と向き直っていた。カリカリとペンを走らせていく音だけが室内を満たしている。
 時折、清算部の者に引きずられるようにして中に戻されている転生者を見かける。やり直しを食らったか、はたまた逃げ出したが戻されたか。
 泣く泣く帰ってきている彼らを見て、アチラは一つ息をつく。
 馬鹿だねえ、素直にやればそれで済むのに。
 転生することには、何も条件はない。誰であろうと、転生するその権利は持っているからだ。
 だが、そのまま転生すれば、また新たな過ちを犯すかもしれないし、同じ過ちを繰り返すかもしれない。要は、「歴史は繰り返される」、そう言われていることを少しでも減らすために導入されたシステムなのである。
 なんて、偉そうなこと言ったところで、人間の感情ばかりはどうにもならないからねえ……。俺たちは多少手助けをしているだけに過ぎないわけだし。
 難しいねえ、とアチラは悔しく思う。だが、それ以上のことを望んではいけないのだろうと考えるのをそこまでにした。感情に蓋をして、記憶の彼方に飛ばしてしまう。
 アチラたちはできることを行っているわけだ。それ以上のことを考えたところで仕方がない。それを理解しているからであった。
 人間の感情は、数えだしたらキリがない。喜び、怒り、哀しみ、楽しみ、幸福、不幸、反省、後悔……、これ以上にも感情はあるが、すべてを制御することなどできないのだ。それが最初からできているのであれば、アチラたちの仕事はなかっただろうし、理不尽な思いをする人間もいないことだろう。
「……世界の秩序、か」
 アチラがポツリと呟けば、それが前を歩いていたソウウンの耳に届いたらしい。足を止めることなく振り向いて尋ねてくるが、アチラはそれをはぐらかした。
 ソウウンはそれ以上聞いてくることはなかった。
 さすがは信者、一瞬そう思いつつも、アチラは自身の思考に再度身を委ねた。
 世界の秩序、なんて言葉にすることは簡単だが、それが保たれているのか、保たれていないのか、それは個人の感覚による判断となるだろう。アチラからしたら、保たれていないに一票入れるが、自分から主張するつもりはさらさらない。
 もとより、そんな大それたことを話し合いたいとも思わないのだから。
 ふと、アチラは転生者の一人に目を留めた。見覚えのある姿に、思わず「お」と声を上げる。ソウウンとサイガが何事かと動きを止める中、アチラは気にすることなく我が物顔で歩き出した。ルートから外れ、ツカツカと目的の人物の元へと歩み始める。
 ちょうど、目的の人物は清算部の監視役に食ってかかっているところであった。
 アチラはそこにヒョコリと顔を出した。内心はからかう気満々である。
「やあやあ、悪役令嬢さん、お久しぶりー。しっかり清算しているかい?」
「あ、あなた、あの時の……!」
 アチラが飄々と声をかければ、少女は顔を青ざめさせた。さすがに忘れられなかったらしい。
 そう、この人物は以前、アチラが審判して「奈落」に送り込んだ転生者、錦小路にこという少女であった。
 少女はアチラへと標的を変え、食ってかかった。
「私をこんなところに追いやって……!    訴えてやるから、覚悟しなさい!」
「おやおや、あれからだいぶ時間が経っているというのに……。まだ、自分の立場が理解できてねえの?」
 アチラは少女の言葉に目を細めた。蒼い瞳が冷たく少女を捉えて離さない。
 少女は以前の恐怖を思い出したのか、ビクリと身体を震わせた。
 アチラは興味がなくなったかのように、少女から視線を外す。それから、少女の目の前にあった原稿用紙をおもむろに手に取り、視線を走らせた。内容を読み終わると、眉の間には深い皺ができていた。
「……間違いなく、やり直しだねえ。何も反省していないじゃん。何この文章、読むだけで腹が立つねえ」
「私が反省することなんて、何もないわ!    私は――」
「じゃあ、一生ここにいるつもりなんだあ。可哀想にねえ」
 アチラは少女の言葉を遮ると、蔑むかのように見下ろした。少女が怒りのあまりに顔を赤くする中、アチラは気にすることなく続ける。
「良いかい?    君たちの第二の人生を送るために、この清算は必要なことだ。……ここにいる君たちは前世で間違いを犯した、罪を犯したんだ。だから、ここにいて、ここで清算を行わなくてはいけない。俺たちは君たちの手をまた黒く染めたくないし、今よりももっと次の世界が平和になって欲しいから。安全で平和であることが、多くの人間が望んでいることと思うからだ。……ここから出るには、清算を終えなくてはいけない。つまり、ここにいる理由も分からずに、ここから出られることはないってこと」
「だ、だから……!」
「確かに、清算は一つの行動でしかない。だが、それには重要な意味がある。……君は自分が間違っていないのに、ここに送られているって思っているらしいけど、それ自体が間違っているってどうしたら理解するのかなあ?」
 アチラは目を細める。鋭く光る蒼い瞳が煌めいていた。少女が何も言わないのを良いことに、アチラはさらに続ける。
「――今の君をここから出すつもりはない。変わるつもりがないなら、転生はないと思ったほうが良いねえ」
 アチラはそれだけ告げると、喚く少女には目もくれずに立ち去る。
 喚く少女がその後どうなったのか、アチラには知る由もなかったのであった。



 Ⅲ

「お見事!    愛しの君!」
「うるさい。……あー、やっぱりあいつ腹が立つなあ。相手にしたくない」
 アチラはフードをグイッと深く被り直し、ぶつくさと文句を言う。サイガの前を通り過ぎ、そのままソウウンの前も通ろうとする。
 ソウウンは不思議そうにアチラに尋ねた。
「それにしても、どうして助言なんかを?」
 アチラはその言葉にソウウンへと視線を向ける。
「言ったでしょ、転生できないって。清算の意味も間違えているっていうのに、文句だけ言っていたらどうしようもないよねえ。……清算は、過去の自分を見直すもの。だけど、それは重要視されていない。つまり、清算は一つの行動に過ぎないってこと。……自分でそれに気がつくことができない奴は、いつまで経っても変わることなんてできないんだから」
 アチラはそれだけ告げると、颯爽と歩き始めた。
 その背中を見て、ソウウンは告げる。
「……優しいですね、アチラさんは」
 その言葉が耳に届いたアチラは、振り返って怪訝そうな顔でソウウンを見る。それから、しっかりと否定した。
「何言ってんの、そんなわけないじゃん。優しい奴の言葉じゃないでしょ?」
「いいえ、優しいと思います。だから、一生ついて行こうと思っているんです!」
「重たい」
 アチラはため息混じりにそう言って、今度こそ歩き始めた。
 ソウウンとサイガは顔を見合せて口元を綻ばせる。そして、前を歩く優しい死神の背中を追うのであった。

 それから、一行はさらに歩き続けた。アチラはくまなく周囲へと視線を張り巡らせる。いまだに原因らしい原因は見えてこない。先ほどの少女のような場合は、珍しくもないはずだ。そういう人間が集まっていると見ていい場所なのだから。
 アチラの中にある、「奈落」を歩き回る前から感じている嫌な予感は、いまだに消える気配はない。アチラの頭の中では、警鐘が鳴り続けている。
 それは、何かを警告するかのように、そして、まだ気がついていないのかとでも言うかのように――。
 何か……、何かあるはず……。
 自身の嫌な予感というものは、嬉しくもないが何故か必ず当たってしまう。予言と言っても過言ではないほどの影響があるのだ。ほかの者が聞いても疑うだろうが、アチラは自身の予感を信頼していた。それほどに今まで影響があって、助けられてきたのだから。
 アチラたちはとにかく歩いた。当てもなく歩いていき、やがて順番すら忘れてアチラが先頭へと出る。二人の声などまったく耳に入らないほどに歩いて、周囲へとくまなく視線を走らせ、違和感の正体を突き止めるために奔走した。
 そうして、どれぐらいの時間が経ったのだろうか。アチラの目に、一人の転生者の姿が目に留まった。アチラは足を止め、その転生者の様子をじっと観察する。
 その転生者は、女性であった。ペンすら持とうとしていないその姿に、アチラは違和感を覚えたのである。顔を俯かせ、何かをずっと呟いていた。焦点の合っていない目が、紙へと向けられているが、きっとそれは視界に入っていないのだろう。
 アチラはじっと見つめる。
「何だ、何て言っている……」
「アチラさん?」
 ソウウンたちが不思議そうに見ていた。ソウウンがアチラの名を呼んでも、それに応える余裕はない。
 アチラたちと女性ではかなりの距離がある。アチラはその場を動くことなく、じっと女性の口元を観察した。遠すぎて何を言っているかは分からないものの、口の動きは分かりそうだった。別に近寄っても良いのだが、女性は怖がるだろう。先ほどの転生者のように食ってかかるどころか、逃げ出す可能性がある。それだけは避けたい。
 アチラはじっと口元を見た。唇の動きを読んで、呟いている言葉を解こうとする。
 ……わ、だ……、わたし……ダメ……、……わたしは、ダメ……っ!
 アチラはそれを理解すると、ハッと何かに気がついた。手元にあるリストに視線を落とす。
「ソウウン、彼女は!?」
 アチラの急な問いかけに驚いたソウウンだったが、返答には答えていた。
「へ?    えっと、最近送られてきた方で、だいたいあんな感じで――」
「誰が送った!?    俺たち審判者の中で、誰が担当していた!?」
 いつになく焦るアチラを見て、ソウウンもサイガも顔を見合わせるが、ソウウンはきちんと答えた。
「か、カズネさん、です。第一階層の――」
 アチラはそれを聞いて、やっぱりと思うと同時に奥歯をギリッと噛み締めていた。

 ――嫌な予感が、当たってしまった。

 迂闊だった、そういうことか……!
 アチラは送られてきた転生者のことは把握していた。送られた理由も知っている。だが、その理由は担当した審判者が書いたもの。上辺だけの情報で理解した気になっていたのである。
 もっとしっかり調べておけば……!

 後悔したところで、時すでに遅し。
 だが、これからの対応は、まだできることがある――。

 アチラはソウウンに指示を出した。
「ソウウン、事務所に戻る!    それから、すべての転生者のリストを再度出して。これよりもこと細かく詳細が載っている奴!    特に、担当者と判別した理由が欲しい!」
「は、はい!」
「大至急!」
 アチラがソウウンに告れば、ソウウンはすぐに事務所に向かって駆け始めた。その後ろを、サイガも追って行く。
 アチラも事務所に戻ろうとした。だが、踵を返して女性の前へと出現する。その間にもソウウンたちは事務所に近づいていたが、アチラはどうしてもこの女性を放っておくことができなかった。怖がらせることは重々承知した上で、彼女へと近づくことを決めた。
 このまま立ち去るわけにはいかない。
 彼女の横に出現すれば、焦点の定まらない視線が、アチラを見上げてくる。だが、女性は逃げなかった。それだけ、何か追い込まれているのだろうと推測する。
 アチラはその視線を見て、内側で燻る怒りを覚えた。だが、無理やりそれを押さえ込み、彼女の視線と合うようにしゃがみ込むと、優しく笑いかける。
「……ごめんね。君は、この場所にいるべきじゃない。すぐにここから出してあげる」
 アチラの言葉が届いたのか、女性はピクリと反応を示した。だが、すぐに小さく呟く。
「わたしは、ダメ……」
 アチラはそれを否定した。
「違う。君は、ダメなんかじゃない。むしろ、ダメなのは俺たちのほうだ。……君はすぐにここから出られる。だから、君が君自身を追い込まないで。君を傷つけないで。君を、大事にしてあげて」
 アチラはそう言ってから、優しく女性を抱き締めた。それから、一等優しい声で告げる。
「よく、頑張ったね」
「……っ」
 すると、女性の瞳からポロポロと雫が溢れ出した。ようやく焦点が定まり始めたのを、一目見て理解する。
 アチラは優しく彼女の頭を撫でてから、近くの清算部の監視役へと声をかけた。指示を出すまで彼女の清算をストップさせるように告げると、すぐに事務所に駆け始める。
 蒼い瞳に、燻った炎を宿しながら――。



 IV

 アチラが事務所に戻れば、すでにソウウンは新たなリストを出してくれていた。アチラはすぐに目を通し、パラパラと書類を捲っていく。それから、小さく「やっぱり」と呟いた。視線をそのままに、アチラは告げる。
「……ソウウン、分かったよ、原因」
「え、本当ですか!?」
 ソウウンが嬉しそうな声を上げるが、アチラはその顔を見ることができなかった。資料に視線を向けたまま、さらに続ける。
「うん。……腹立たしいけどね」
 アチラの最後の言葉は耳に届かなかったのか、通常運転でサイガが口を開く。
「さすが愛しの君!    この短時間で分かるなんて!」
「……まあ、ね」
 今のアチラには、言い返す余裕はなかった。
 アチラはリストにペンを借りて書き込んでいく。内容を確認して、該当する者に丸印をつけていけば、それだけでかなりの人数になった。
 こんなにも、いたのか……。
 アチラは悔しくなる。唇を噛み締め、印をつけ終わるとリストをソウウンへと返却した。
「印をつけた者はだ。清算は必要ない。すぐにここから出してあげて、俺の元に送って」
「へ?    ど、どういうことですか?」
 ソウウンは状況を理解することができていないらしい。
 戸惑う彼に、アチラはフツフツと湧き上がる怒りを押さえ込みながら、低い声で告げた。
「……本当、腹立たしいよ。まさか、だったとはね」
「……え」
 ソウウンの零れた言葉には反応を示さず、アチラはそのまま清算部を後にした。
 湧き上がる怒りを押さえ込めなくなりそうで。早々に退出したのである。
 スマートフォンをローブのポケットから取り出し、素早く電話をかける。かける相手は決まっていた。相手はすぐに出た。
「局長?    はいはい、お疲れ様でーす。……うん、『奈落』の原因が分かったよ。……ああ、分かる?    今ね……、どうしてもぶん殴りたい奴がいるんだよねえ」
 電話をしているアチラの声は、いつもの何倍も低い。話し方は通常と相違ないものの、その言葉からは怒りが滲み出している。
 普段の蒼い瞳が、燻る怒りの炎と混ざり合っていて、紫のように見えた。

 本来のサファイアをアメジストに変えるほどに、彼は、怒り狂っている――。

 目の前には誰もいないが、アチラの前には一人の姿が映るようであった。目を細めてしっかりとその姿を捉える。
「……許さねえ」
 アチラは電話をしていることも、ましてやその相手が局長であることも忘れ、冷たく低く言葉を放つ。

 ――その姿は、まさに今から相手の魂を狩らんとする、「死神」そのものであったのだった。
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