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第二八章 語られる真実
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Ⅰ
葵羽たちは豪邸と呼べる里長の家に足を踏み入れていた。案内人であるはずのリュミエルといえば、すでに中に足を踏みいれていて。戻ってくる気配もない。方向も部屋の位置も分からないまま、足を進めている状況だ。唯一、家の中にある人の気配だけを頼りに、彼らは前へ前へと進んでいたのであった。
屋敷の中は、想像よりもはるかに多く部屋があって。それにしては、人の気配は少なかった。屋敷とも呼べそうな家と比例して、家政婦やお手伝いさんがいることによって人数が多いかと思いきや、そうではなさそうである。
最後尾を歩いていたスカーレットが冷たく言い放つ。
「……妙に広い屋敷だな。中を歩くだけで気分が下がる」
「スカーレットはなかなか厳しいね……」
葵羽のすぐ後ろを歩いていたカイルが苦笑いした。乾いた笑い、と言ったほうが正しいかもしれない。きっと、カイルはこれからのことを考えて胃を痛めているに違いない。
葵羽は二人の会話に耳を傾けてはいたものの、その会話に口を挟むことはなかった。
口の中がカラカラと乾いている。生唾を飲み込むものの、焼け石に水の状態だ。気休め程度にしかならなかった。鼓動がドクドクとやけに強く脈を打っている。
葵羽が思っている以上に、どうやら緊張しているらしい。
いや、これは――。
……恐怖、か。
葵羽は冬景色のことを知りたいと思っていた。その思いに嘘偽りはない。だが、知ることを恐怖だとも捉えている自分がいた。
自分の知らない、自分と出会う前の隠された一面を持つ冬景色。「呪いの刀」、なんて呼ばれていたものの、今まで実態の分かっていなかった刀である。
持ち主の意思と反して、持ち主が生きている限り、そばにいる刀。「そばにいる」、その言葉だけを受け取るのであれば、主人に従順と言ってしまえるし、聞こえは良いだろう。だが、裏を返せば、付き纏っているわけなのだ。置いてきてしまったとしても、意志を持って捨ててきたとしても、必ず主人の元へと戻ると言われている。それを葵羽は見たことも、体験したこともないが、身をもって体験したことなら他に思い当たる節はある。
……冬景色が、身体を乗っ取ったあの感覚。
忘れることはないだろう。自分の意思とは反して動いていた自分の身体。それは元々聞いていた話ではあったが、葵羽の脳裏には焼き付いて離れることはない。
……知らなくてはいけない。たとえ、どんな真実が待っていたとしても。
葵羽の手には勝手に力が入っていく。妙に身体が重たく感じていた。
隣で警戒しながら歩いていたセレストが顔を上げて短く鳴いた。兄貴分の背中に乗っていたシークも心配そうに葵羽に顔を向けてか細く鳴いた。二匹は動きを止めて葵羽をじっと見つめて様子を窺っている。
葵羽は二匹を見て、ふっと口元を緩めた。足を止めてから、ゆっくりと頭を交互に撫でてやる。
「……悪い、大丈夫だ。シークもセレストも、ありがとうな。疲れていないか」
葵羽がそう問いかければ、二匹は嬉しそうに鳴くだけだった。尻尾がブンブンと振られてはいたが。
葵羽は二匹を見て再度口元を緩めてから、真剣な表情に戻して前を見る。
「……その先のはずだ」
長い長い廊下の先、その先にはいくつかの人の気配がする。まだ多少距離があって微かな気配ではあるが、間違いないだろう。
葵羽は止めていた歩を進める。隣にはシークとセレストがいて、背後にはカイルとスカーレットが続く。
葵羽たちは廊下の先にあった、奥の部屋の扉に辿り着くと、勢いよく開け放ったのであった。
Ⅱ
扉の先にはリュミエルがいて、葵羽たちを見るとぱあっと顔を輝かせた。その奥に座っているのは、小さなエルフだった。小さい、というのは語弊があるかもしれない。身長が低いだけなのだろう、子どもサイズのエルフが椅子に腰掛けていたのである。相手はじっと葵羽たちを見つめていた。しばらくして葵羽たちから視線を外すと、相手はリュミエルに問いかける。
「……リュミエル、そやつらか」
リュミエルは嬉しそうに返事をした。相手は頷くと、葵羽たちに向き直り、静かに口を開く。
「……手短に話そう、刀の持ち主よ」
「……あんたも、俺と話をしたくなさそうだな」
葵羽の声が自然と低くなった。
思い出すのは、里の中を歩いてきた時のこと。負の感情をすべて詰め込んだかのような視線を一斉に受けたまま、葵羽たちはここまで来たのである。それを思えば仕方のないことなのかもしれないが、だからといってそうすぐに納得のできるものではない。ましてや、自分一人ならまだしも、カイルやスカーレットにまでその視線が向けられることには、腹が立っていた。自然と声が低くなるのは、どうしようもないのである。
しかし、エルフは首を横に振った。
「そうではない。……申し遅れた、この里の長を務めている者だ」
「……樹神葵羽だ。彼らは俺の仲間だ」
里長だと名乗った者に、葵羽は自身の名前だけ名乗った。カイルやスカーレットの名前は意図的に伏せる。
里長としか名乗っていない相手に、わざわざこちらが礼儀を尽くして全員の名前を教えることもないと考えたのだ。
里長はそんな葵羽の言葉にも嫌な顔一つせずにふむと頷いた。
葵羽はそんな相手に問いかける。
「話したくないのが違うというのなら、一体理由は何だ。わざわざ手短に、なんて前置きつけるんだ、それ相応の理由があるのだろう?」
「……そうじゃの、もっともな話じゃ」
葵羽の問いかけに、里長は深く頷く。葵羽の言葉に今回も嫌な顔は一つせず、納得しているかのように相槌を打っている。葵羽が待っていれば、里長はゆっくりと口を開いた。
「皆、気が気じゃないのじゃよ。お主たちには悪いが、一刻も早く里を立ち去って欲しい。そう思っている」
「待て、呼びつけたのはそいつだぞ!」
里長の言葉に声を上げたのはスカーレットだ。ビシッとリュミエルに指を突きつけて言い返す。里長はその言葉に頷いたものの、すぐに「じゃが、」と返した。
「……いつ、その刀が暴走するとも限らん。話を聞いたら、早々に立ち去れ」
「貴様――!」
「よせ」
里長が冷たく言い放つのに対して、スカーレットは怒りを顕にした。だが、葵羽はそれを片手で制した。スカーレットの物言いたげな視線を受け止めつつ、葵羽は静かに首を横に振る。スカーレットはそれを見て渋々引き下がった。
葵羽はそれを見届けてから、里長に再度向き直った。
「……仲間が失礼した。もっともな意見だとも思うが、こちらもすぐに納得のいくものではない。……俺は、冬景色の話をリュミエルから初めて聞いたし、今まで他に知っている者もいなかった。とりあえず、俺が納得するまで話はしてもらうぞ」
葵羽は里長を見つめる目を細める。里長はその視線を真っ正面から受け止め、そして息を吐き出した。やれやれ、そう言わんばかりである。
「……分かっておる。とは言っても、我らが話せることも、そう多くはないのだ。分かっていることは少ない」
里長は一度言葉を区切った。しばしの沈黙の後、再度口を開く。
「――では、語るとしよう。その刀が起こした悲劇を」
葵羽は里長の言葉を聞いて、さらに目を鋭くするのであった。
Ⅲ
「――その刀、冬景色と呼ばれるその刀が、我らの里を紅に染め上げたのだ」
里長の言葉は、ゆっくりと紡がれていく。物語のように勝たられるそれに、葵羽たちは言葉を紡ぐこともなく、ただただ耳を傾けた。里長は気にすることなく、淡々と語っていく。
「その刀、そう、逆刃刀というそうだな。刃が向けられなければ、斬られることはない。最悪、骨が折れる程度で済むはずだった。……だが、この刀の持ち主は、刃をわざわざ我らに向けた。次々と放たれる氷や雪たちに、我らの仲間は為す術なく飲み込まれていった。……忘れもしない、あの紅に染まっていく氷。徐々に、徐々に、紅が濃くなっていくのだ。我らの仲間は、骨すら残すことなく、消されたのだ。……今ですら、悪夢として見るものよ」
葵羽たちは語られる真実に、息を呑んだ。言葉を紡ぐことも、息すら難しいように感じてしまう。
予想はしていたが……。
葵羽は思い出していた。
葵羽の脳裏に焼き付く、九の型のことを。以前、葵羽の身体を乗っ取った冬景色が放った、唯一の殺人技。氷に人を捕らえ、徐々に紅に染まり、そのまま砕かれた、あの技のこと。氷の中から何かが出てくることはなかったので、大方予想はしていた。
それにしても――。
まさか、これほどとは……。
冬景色を使っていた前の主人のことは、葵羽には分からない。だが、冬景色は逆刃刀で、普通に振るうだけなら多少の怪我で済むはずのものを、わざわざ刃を向けて振るっていたというのである。どういう真意だったのかは分からないにせよ、いくつか予測はできる。
命を奪うことに抵抗がなかったのか、仕方がないと思っていたのか、もしくは――。
それすらも、楽しいと感じていたのか。
すべてが予測に過ぎない今、答えを導き出すことは難しい。冬景色はおそらく何かしら知っているだろうが、きっと話すことはないだろう。無理やりに聞くことはできるかもしれないが、葵羽はそこまでしたいとは思わなかった。
それに――。
それが、冬景色の意思だったのか、前の主人の意思だったのか、それすらも分からないしな……。
葵羽の手に勝手に力が入っていく。どうにもできないこの気持ちを押さえつけることしか、今の葵羽は手段として持ち合わせていない。
だが、一つ確認しておきたいことはあった。
葵羽は一つ息を吐き出すと、里長に向き直る。そして、ゆっくりと真剣な声音で問いかけた。
「……その刀を持っていた奴の様子が、変わったと感じたことは、あったのだろうか?」
葵羽の言葉に、カイルとスカーレットがじっと視線を向けてくる。葵羽は確認しているのだ、冬景色が相手の身体を乗っ取った様子があったのか、と。皆まで言わないものの、彼女はそう問いかけているのだ。
二人は目の前で見ていたから、よく理解していた。もし、冬景色が最初から主人の身体を乗っ取っていたとすれば、話は変わってくるが、それでもその些細な違いを確認しておきたいのが、葵羽の思いである、二人はそう受けとっていた。
だが、里長は首を傾げた。
「はて? それはよく分からぬが」
「……そうか」
葵羽は頷くだけだった。しかし、今の答えで、とりあえず途中から冬景色が前の主人を乗っ取ったことはないのだと理解する。もっとも、実際にその現場を目撃していないため、どうしても予想の範囲内という形になってしまうのだが。
葵羽は間髪入れずにさらに問いかけた。
「……俺は、冬景色を封印したいと考えている。それについて、何か知っていることはあるか」
「……封印、じゃと」
里長の眉がピクリと反応した。片眉が上がったことを認識しつつも、葵羽は言葉を続ける。
「俺の次の持ち主をわざわざ作るつもりはない。そもそも、俺の旅の目的は最初からそれだけだ。……歴史は繰り返すものではない、そうではないか?」
「……」
「何か知っているのなら、教えて欲しい」
葵羽の言葉を聞いて、里長は黙った。リュミエルは最初から口を開くつもりがないらしい。ただただ、葵羽と里長の会話を眺めているだけであった。里長は何かを考える素振りを見せたまま、しばらく沈黙していた。
どれだけの時間が経過したのだろうか。おそらく、体感しているよりも短い時間を沈黙が皆を包み込んでいた。葵羽は急かすことなく、里長の言葉をただ待っていた。
やがて、静寂を里長が破った。
「……本当は、お主の命を奪ってでも、その刀を壊す気でいた」
里長の言葉に、スカーレットが反応を示す。自身の武器に手をかけ、ギラリと瞳を狩人の目に変化させていた。セレストが低く唸り声を上げている。
葵羽は冷静であった。彼らを制して、里長の次の言葉を待つ。里長は一つ長い息を吐き出すと、ゆっくりと告げた。
「――西の果てへ行け。そこに、その刀を封印する祠があると言われている」
「……祠」
「正確な場所は分からぬ。だが、その祠の前でその刀と対峙して勝てば、封印できると聞いたことがある」
「待て、それは誰に――!」
葵羽の言葉を遮るかのように、里長は一冊の書物を投げて寄越した。葵羽はすんなりと片手で受け止める。真っ黒な表紙のそれには、何も記載されていなくて。表紙にも、背表紙にも、すべてに何も刻まれていない本を、葵羽はじっと見つめた。ただただ分厚い、その本を眺めていれば、里長の言葉が紡がれる。
「持って行け。……我らが話せることはそれだけじゃ」
葵羽はそれを聞いて、里長がこれ以上何か言うことはないと判断した。本をしっかりと抱えて、それから里長へと一礼する。
「……感謝する」
それだけ告げると、葵羽はすぐに背を翻した。足を止めることはない。扉を開け放ち、部屋を後にする。背後から、慌ただしくカイルたちが着いてくるのを耳にしながら、葵羽が振り返ることはなかったのであった。
Ⅳ
その後、すぐに慌ただしく里を出た葵羽たちは、本を手にしたまま、呆然と立ち尽くしていた。まだ、里の入口に近い場所で、葵羽の手元にある本を全員で囲んでじっと見つめている。
リュミエルが追ってくる気配はなかった。一言も話さなかったことと、何か関係があるのかもしれない。もしかしたら、ここで会うのが最後になるかもしれない、そう葵羽は悟っていた。だが、わざわざ戻って声をかけることはないだろうと、頭の片隅でそう考えて結論付ける。縁があるというのなら、この世界でまた会うだろう、そうも思った。
意識を手元の本に戻す。葵羽は一つ息をつき、静かに口を開く。
「……行き先は、決まったな」
「詳しいことがこれに書いてあるのかな。あんまり詳しく話してもらえなかったし」
「まったく、最後まで自分勝手な奴らだったな」
三者三様に反応を示す中、葵羽はエルフの里のほうへと、一度頭を下げた。それから、皆に向き直って、少し前から考えていたことを告げる。
「……西へ向かう前に、少し寄りたいところがあるんだ。付き合ってくれ」
葵羽の言葉に、カイルたちは文句一つ言うことなく、ただ頷いた。
ようやく見つけた、封印の情報。
葵羽たちは、次の場所を目指すために、動き始めるのであった。
葵羽たちは豪邸と呼べる里長の家に足を踏み入れていた。案内人であるはずのリュミエルといえば、すでに中に足を踏みいれていて。戻ってくる気配もない。方向も部屋の位置も分からないまま、足を進めている状況だ。唯一、家の中にある人の気配だけを頼りに、彼らは前へ前へと進んでいたのであった。
屋敷の中は、想像よりもはるかに多く部屋があって。それにしては、人の気配は少なかった。屋敷とも呼べそうな家と比例して、家政婦やお手伝いさんがいることによって人数が多いかと思いきや、そうではなさそうである。
最後尾を歩いていたスカーレットが冷たく言い放つ。
「……妙に広い屋敷だな。中を歩くだけで気分が下がる」
「スカーレットはなかなか厳しいね……」
葵羽のすぐ後ろを歩いていたカイルが苦笑いした。乾いた笑い、と言ったほうが正しいかもしれない。きっと、カイルはこれからのことを考えて胃を痛めているに違いない。
葵羽は二人の会話に耳を傾けてはいたものの、その会話に口を挟むことはなかった。
口の中がカラカラと乾いている。生唾を飲み込むものの、焼け石に水の状態だ。気休め程度にしかならなかった。鼓動がドクドクとやけに強く脈を打っている。
葵羽が思っている以上に、どうやら緊張しているらしい。
いや、これは――。
……恐怖、か。
葵羽は冬景色のことを知りたいと思っていた。その思いに嘘偽りはない。だが、知ることを恐怖だとも捉えている自分がいた。
自分の知らない、自分と出会う前の隠された一面を持つ冬景色。「呪いの刀」、なんて呼ばれていたものの、今まで実態の分かっていなかった刀である。
持ち主の意思と反して、持ち主が生きている限り、そばにいる刀。「そばにいる」、その言葉だけを受け取るのであれば、主人に従順と言ってしまえるし、聞こえは良いだろう。だが、裏を返せば、付き纏っているわけなのだ。置いてきてしまったとしても、意志を持って捨ててきたとしても、必ず主人の元へと戻ると言われている。それを葵羽は見たことも、体験したこともないが、身をもって体験したことなら他に思い当たる節はある。
……冬景色が、身体を乗っ取ったあの感覚。
忘れることはないだろう。自分の意思とは反して動いていた自分の身体。それは元々聞いていた話ではあったが、葵羽の脳裏には焼き付いて離れることはない。
……知らなくてはいけない。たとえ、どんな真実が待っていたとしても。
葵羽の手には勝手に力が入っていく。妙に身体が重たく感じていた。
隣で警戒しながら歩いていたセレストが顔を上げて短く鳴いた。兄貴分の背中に乗っていたシークも心配そうに葵羽に顔を向けてか細く鳴いた。二匹は動きを止めて葵羽をじっと見つめて様子を窺っている。
葵羽は二匹を見て、ふっと口元を緩めた。足を止めてから、ゆっくりと頭を交互に撫でてやる。
「……悪い、大丈夫だ。シークもセレストも、ありがとうな。疲れていないか」
葵羽がそう問いかければ、二匹は嬉しそうに鳴くだけだった。尻尾がブンブンと振られてはいたが。
葵羽は二匹を見て再度口元を緩めてから、真剣な表情に戻して前を見る。
「……その先のはずだ」
長い長い廊下の先、その先にはいくつかの人の気配がする。まだ多少距離があって微かな気配ではあるが、間違いないだろう。
葵羽は止めていた歩を進める。隣にはシークとセレストがいて、背後にはカイルとスカーレットが続く。
葵羽たちは廊下の先にあった、奥の部屋の扉に辿り着くと、勢いよく開け放ったのであった。
Ⅱ
扉の先にはリュミエルがいて、葵羽たちを見るとぱあっと顔を輝かせた。その奥に座っているのは、小さなエルフだった。小さい、というのは語弊があるかもしれない。身長が低いだけなのだろう、子どもサイズのエルフが椅子に腰掛けていたのである。相手はじっと葵羽たちを見つめていた。しばらくして葵羽たちから視線を外すと、相手はリュミエルに問いかける。
「……リュミエル、そやつらか」
リュミエルは嬉しそうに返事をした。相手は頷くと、葵羽たちに向き直り、静かに口を開く。
「……手短に話そう、刀の持ち主よ」
「……あんたも、俺と話をしたくなさそうだな」
葵羽の声が自然と低くなった。
思い出すのは、里の中を歩いてきた時のこと。負の感情をすべて詰め込んだかのような視線を一斉に受けたまま、葵羽たちはここまで来たのである。それを思えば仕方のないことなのかもしれないが、だからといってそうすぐに納得のできるものではない。ましてや、自分一人ならまだしも、カイルやスカーレットにまでその視線が向けられることには、腹が立っていた。自然と声が低くなるのは、どうしようもないのである。
しかし、エルフは首を横に振った。
「そうではない。……申し遅れた、この里の長を務めている者だ」
「……樹神葵羽だ。彼らは俺の仲間だ」
里長だと名乗った者に、葵羽は自身の名前だけ名乗った。カイルやスカーレットの名前は意図的に伏せる。
里長としか名乗っていない相手に、わざわざこちらが礼儀を尽くして全員の名前を教えることもないと考えたのだ。
里長はそんな葵羽の言葉にも嫌な顔一つせずにふむと頷いた。
葵羽はそんな相手に問いかける。
「話したくないのが違うというのなら、一体理由は何だ。わざわざ手短に、なんて前置きつけるんだ、それ相応の理由があるのだろう?」
「……そうじゃの、もっともな話じゃ」
葵羽の問いかけに、里長は深く頷く。葵羽の言葉に今回も嫌な顔は一つせず、納得しているかのように相槌を打っている。葵羽が待っていれば、里長はゆっくりと口を開いた。
「皆、気が気じゃないのじゃよ。お主たちには悪いが、一刻も早く里を立ち去って欲しい。そう思っている」
「待て、呼びつけたのはそいつだぞ!」
里長の言葉に声を上げたのはスカーレットだ。ビシッとリュミエルに指を突きつけて言い返す。里長はその言葉に頷いたものの、すぐに「じゃが、」と返した。
「……いつ、その刀が暴走するとも限らん。話を聞いたら、早々に立ち去れ」
「貴様――!」
「よせ」
里長が冷たく言い放つのに対して、スカーレットは怒りを顕にした。だが、葵羽はそれを片手で制した。スカーレットの物言いたげな視線を受け止めつつ、葵羽は静かに首を横に振る。スカーレットはそれを見て渋々引き下がった。
葵羽はそれを見届けてから、里長に再度向き直った。
「……仲間が失礼した。もっともな意見だとも思うが、こちらもすぐに納得のいくものではない。……俺は、冬景色の話をリュミエルから初めて聞いたし、今まで他に知っている者もいなかった。とりあえず、俺が納得するまで話はしてもらうぞ」
葵羽は里長を見つめる目を細める。里長はその視線を真っ正面から受け止め、そして息を吐き出した。やれやれ、そう言わんばかりである。
「……分かっておる。とは言っても、我らが話せることも、そう多くはないのだ。分かっていることは少ない」
里長は一度言葉を区切った。しばしの沈黙の後、再度口を開く。
「――では、語るとしよう。その刀が起こした悲劇を」
葵羽は里長の言葉を聞いて、さらに目を鋭くするのであった。
Ⅲ
「――その刀、冬景色と呼ばれるその刀が、我らの里を紅に染め上げたのだ」
里長の言葉は、ゆっくりと紡がれていく。物語のように勝たられるそれに、葵羽たちは言葉を紡ぐこともなく、ただただ耳を傾けた。里長は気にすることなく、淡々と語っていく。
「その刀、そう、逆刃刀というそうだな。刃が向けられなければ、斬られることはない。最悪、骨が折れる程度で済むはずだった。……だが、この刀の持ち主は、刃をわざわざ我らに向けた。次々と放たれる氷や雪たちに、我らの仲間は為す術なく飲み込まれていった。……忘れもしない、あの紅に染まっていく氷。徐々に、徐々に、紅が濃くなっていくのだ。我らの仲間は、骨すら残すことなく、消されたのだ。……今ですら、悪夢として見るものよ」
葵羽たちは語られる真実に、息を呑んだ。言葉を紡ぐことも、息すら難しいように感じてしまう。
予想はしていたが……。
葵羽は思い出していた。
葵羽の脳裏に焼き付く、九の型のことを。以前、葵羽の身体を乗っ取った冬景色が放った、唯一の殺人技。氷に人を捕らえ、徐々に紅に染まり、そのまま砕かれた、あの技のこと。氷の中から何かが出てくることはなかったので、大方予想はしていた。
それにしても――。
まさか、これほどとは……。
冬景色を使っていた前の主人のことは、葵羽には分からない。だが、冬景色は逆刃刀で、普通に振るうだけなら多少の怪我で済むはずのものを、わざわざ刃を向けて振るっていたというのである。どういう真意だったのかは分からないにせよ、いくつか予測はできる。
命を奪うことに抵抗がなかったのか、仕方がないと思っていたのか、もしくは――。
それすらも、楽しいと感じていたのか。
すべてが予測に過ぎない今、答えを導き出すことは難しい。冬景色はおそらく何かしら知っているだろうが、きっと話すことはないだろう。無理やりに聞くことはできるかもしれないが、葵羽はそこまでしたいとは思わなかった。
それに――。
それが、冬景色の意思だったのか、前の主人の意思だったのか、それすらも分からないしな……。
葵羽の手に勝手に力が入っていく。どうにもできないこの気持ちを押さえつけることしか、今の葵羽は手段として持ち合わせていない。
だが、一つ確認しておきたいことはあった。
葵羽は一つ息を吐き出すと、里長に向き直る。そして、ゆっくりと真剣な声音で問いかけた。
「……その刀を持っていた奴の様子が、変わったと感じたことは、あったのだろうか?」
葵羽の言葉に、カイルとスカーレットがじっと視線を向けてくる。葵羽は確認しているのだ、冬景色が相手の身体を乗っ取った様子があったのか、と。皆まで言わないものの、彼女はそう問いかけているのだ。
二人は目の前で見ていたから、よく理解していた。もし、冬景色が最初から主人の身体を乗っ取っていたとすれば、話は変わってくるが、それでもその些細な違いを確認しておきたいのが、葵羽の思いである、二人はそう受けとっていた。
だが、里長は首を傾げた。
「はて? それはよく分からぬが」
「……そうか」
葵羽は頷くだけだった。しかし、今の答えで、とりあえず途中から冬景色が前の主人を乗っ取ったことはないのだと理解する。もっとも、実際にその現場を目撃していないため、どうしても予想の範囲内という形になってしまうのだが。
葵羽は間髪入れずにさらに問いかけた。
「……俺は、冬景色を封印したいと考えている。それについて、何か知っていることはあるか」
「……封印、じゃと」
里長の眉がピクリと反応した。片眉が上がったことを認識しつつも、葵羽は言葉を続ける。
「俺の次の持ち主をわざわざ作るつもりはない。そもそも、俺の旅の目的は最初からそれだけだ。……歴史は繰り返すものではない、そうではないか?」
「……」
「何か知っているのなら、教えて欲しい」
葵羽の言葉を聞いて、里長は黙った。リュミエルは最初から口を開くつもりがないらしい。ただただ、葵羽と里長の会話を眺めているだけであった。里長は何かを考える素振りを見せたまま、しばらく沈黙していた。
どれだけの時間が経過したのだろうか。おそらく、体感しているよりも短い時間を沈黙が皆を包み込んでいた。葵羽は急かすことなく、里長の言葉をただ待っていた。
やがて、静寂を里長が破った。
「……本当は、お主の命を奪ってでも、その刀を壊す気でいた」
里長の言葉に、スカーレットが反応を示す。自身の武器に手をかけ、ギラリと瞳を狩人の目に変化させていた。セレストが低く唸り声を上げている。
葵羽は冷静であった。彼らを制して、里長の次の言葉を待つ。里長は一つ長い息を吐き出すと、ゆっくりと告げた。
「――西の果てへ行け。そこに、その刀を封印する祠があると言われている」
「……祠」
「正確な場所は分からぬ。だが、その祠の前でその刀と対峙して勝てば、封印できると聞いたことがある」
「待て、それは誰に――!」
葵羽の言葉を遮るかのように、里長は一冊の書物を投げて寄越した。葵羽はすんなりと片手で受け止める。真っ黒な表紙のそれには、何も記載されていなくて。表紙にも、背表紙にも、すべてに何も刻まれていない本を、葵羽はじっと見つめた。ただただ分厚い、その本を眺めていれば、里長の言葉が紡がれる。
「持って行け。……我らが話せることはそれだけじゃ」
葵羽はそれを聞いて、里長がこれ以上何か言うことはないと判断した。本をしっかりと抱えて、それから里長へと一礼する。
「……感謝する」
それだけ告げると、葵羽はすぐに背を翻した。足を止めることはない。扉を開け放ち、部屋を後にする。背後から、慌ただしくカイルたちが着いてくるのを耳にしながら、葵羽が振り返ることはなかったのであった。
Ⅳ
その後、すぐに慌ただしく里を出た葵羽たちは、本を手にしたまま、呆然と立ち尽くしていた。まだ、里の入口に近い場所で、葵羽の手元にある本を全員で囲んでじっと見つめている。
リュミエルが追ってくる気配はなかった。一言も話さなかったことと、何か関係があるのかもしれない。もしかしたら、ここで会うのが最後になるかもしれない、そう葵羽は悟っていた。だが、わざわざ戻って声をかけることはないだろうと、頭の片隅でそう考えて結論付ける。縁があるというのなら、この世界でまた会うだろう、そうも思った。
意識を手元の本に戻す。葵羽は一つ息をつき、静かに口を開く。
「……行き先は、決まったな」
「詳しいことがこれに書いてあるのかな。あんまり詳しく話してもらえなかったし」
「まったく、最後まで自分勝手な奴らだったな」
三者三様に反応を示す中、葵羽はエルフの里のほうへと、一度頭を下げた。それから、皆に向き直って、少し前から考えていたことを告げる。
「……西へ向かう前に、少し寄りたいところがあるんだ。付き合ってくれ」
葵羽の言葉に、カイルたちは文句一つ言うことなく、ただ頷いた。
ようやく見つけた、封印の情報。
葵羽たちは、次の場所を目指すために、動き始めるのであった。
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16歳の女子高生 佐藤美咲は、神のミスで交通事故に巻き込まれて死んでしまう。異世界のグランディア王国ルナリス伯爵家のミアとして転生し、前世の記憶と知識チートを授かる。魔法と魔道具を秘密裏に研究しつつ、科学と魔法を融合させた夢を追い、小さな一歩を踏み出す。
45歳のおっさん、異世界召喚に巻き込まれる
よっしぃ
ファンタジー
2月26日から29日現在まで4日間、アルファポリスのファンタジー部門1位達成!感謝です!
小説家になろうでも10位獲得しました!
そして、カクヨムでもランクイン中です!
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スキルを強奪する為に異世界召喚を実行した欲望まみれの権力者から逃げるおっさん。
いつものように電車通勤をしていたわけだが、気が付けばまさかの異世界召喚に巻き込まれる。
欲望者から逃げ切って反撃をするか、隠れて地味に暮らすか・・・・
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小説家になろうで執筆中の作品です。
アルファポリス、、カクヨムでも公開中です。
現在見直し作業中です。
変換ミス、打ちミス等が多い作品です。申し訳ありません。
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