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第二二章 共有の時間

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    Ⅰ

    スカーレットが起きてきた夕方の時刻、空はだいぶ暗くなりつつあった。
    葵羽とカイルは笑って声をかける。
「おはよう、スカーレット」
「おはようー。もう、俺たちの『おはよう』はよく分からなくなってるねー」
「お、おはよう……」
    スカーレットは二人を見て、顔を俯かせたまま小さく挨拶を返した。
    葵羽とカイルは顔を見合わせる。スカーレットの様子がおかしいことに、気がついたのであった。原因はおそらく、寝る前の会話であるだろうと、二人は踏んでいた。
    葵羽はスカーレットの話を聞くのを後にし、とりあえず彼女の気を紛らわせるために、違うことを話すことにした。葵羽自身も、スカーレットに話しておこうと思っていることが、先ほど出来たからであった。
「スカーレット、お前が寝ていた間に、一つ話しておきたいことが出来てな。聞いてくれるか?」
「……何?」
    スカーレットが怪訝そうな顔で、葵羽を見る。急に鋭くなった視線を受け止めつつ、葵羽はふっと笑って見せた。
「シークとセレストのことだよ」
「……シークとセレスト?    彼らがどうかしたのか」
「まあ、見ていな」
    葵羽は二匹を呼び寄せて、先ほど試した魔法をかける。その光景を不思議そうに見つめてくるスカーレットをそのままに、葵羽は二匹を彼女の前に出した。それから、二匹に声をかける。
「ほら、シーク、セレスト。ご挨拶だ」
「……は?」
    スカーレットはそれを聞いて、間の抜けた声を出した。「何を言っているんだ?」、彼女がそんな顔をしているため、葵羽はくすりと笑ってしまう。
    だが、そこに二つの声が届いたのである。
『こんばんは、スカーレットさん!』
『お初にご挨拶させていただく、スカーレット殿』
「……!?」
    スカーレットは二つの声を聞いて、驚きに目を見開く。
    それを見たカイルは、あははと笑った。
「あはは、混乱してるねー」
「ここまで分かりやすく混乱しているスカーレットは初めてじゃないか?」
「それはないね。葵羽、君が確実にいつもスカーレットを混乱させているんだからね」
「どういう意味だ」
    スカーレットと二匹から少し離れた位置で、葵羽はカイルと会話を繰り広げる。カイルの言葉に首を傾げた葵羽だったが、それに深く触れることはせず、二匹に歩み寄る。
    背後で呆れたようにため息をついたカイルには、後で一発お見舞することを、葵羽はこっそり決意した。
    それはとりあえず置いておくことにし、二匹を優しく撫でながら、スカーレットを見た。
「最初に話しかけたのがシーク、その後がセレストだ。話し方が全然違うよな、俺も驚いたよ。魔物でもだいぶ性格とか変わるんだな」
『ご主人、ちゃんと僕、挨拶出来たよ!』
『主、スカーレット殿が固まっているように見えるが、大丈夫なのだろうか?』
「ああ、まあ、大丈夫だろう」
    葵羽は苦笑しつつ、二匹を撫でる手を止めることはなかった。
    すると、シークが声を上げる。
『ねえ、ご主人。僕、カイルさんのことも、スカーレットさんのことも、セレスト兄ちゃんみたいに呼びたい!』
    葵羽はシークの言葉を聞いて、ふっと笑った。
「そうか。それは、カイルとスカーレットに直接確認してみな。ちゃんとお願いしてくるんだぞ」
    葵羽はそう言って、シークの背中を軽く押してやる。シークは元気よく頷くと、二人の元に飛んで行った。
    対するセレストは、葵羽の手元にいたが、少し耳を垂らしていた。しょんぼり、という効果音がつきそうなその感じに、葵羽は首を傾げる。
    セレストはおずおずと言葉を紡いだ。
『……主、我もシークのように、皆のことを呼んだほうが良いのだろうか?』
「無理しなくていいぞ。あれはシークがそう呼びたいだけだからな。それに、お前はちゃんと敬称つけていただろう?    それで問題ないさ」
    葵羽はセレストの頭を強めにわしわしと撫でてやる。セレストは安心したようで、主の手に頭を擦り寄せた。
    少し離れた位置で、シークとカイル、スカーレットが会話をしている。嬉しそうな二人の声が届いてきていた。シークのお願いは聞いてもらえたようであった。
    さて、と――。
    葵羽はセレストを連れて、彼らに近づいたのであった。



    Ⅱ

    スカーレットはすっかり気分が上がったようであった。膝の上にシークを乗せて、優しく撫でている。どうやら、相当シークの「お姉ちゃん」呼びがお気に召したようであった。
    葵羽はカイルと顔を見合わせ、笑い合う。気分が良くなったのはほっとしたが、これからどうするかを考えなくてはいけなかった。
    さて、どう切り出すか……。
    葵羽はスカーレットを見ながら考える。無理やり聞くのはよくないと思うのだが、逆に本人から話しにくいことでもあるかもしれない。
    スカーレットが自分から言うのを待つか、それとも優しく聞き出すようにするか……。スカーレットはどうして欲しいんだろうか……。
    起きてからすぐに俯いた状態だったため、あえて先にシークとセレストの話をして、気を紛らわすようにしたわけではあったが、逆に話を切り出しにくくしてしまったかもしれない。気が紛れた点に関しては成功したが、その後の対応で葵羽は大いに迷っていた。
    スカーレットが自分から話を切り出したほうがやはりいいのだろうか。自分から言い難い可能性が高いなら俺が聞くんだが、それがスカーレットを苦しめたりしないだろうか……。
    葵羽はしばらくスカーレットの様子を窺うことにした。
    スカーレットは膝にシークを乗せて、優しく撫でている。シークとセレストには、いまだに魔法を発動したままとなっているため、会話は継続して行うことが出来た。
『スカーレット姉ちゃん!』
「ああ」
『えへへ、姉ちゃん!』
「……うん」
    楽しそうだな。
    葵羽はふっと口元を緩めていた。
    シークは姉と呼べる存在が出来たことが嬉しいのだろう。尻尾をぶんぶんと振りながら、スカーレットを何度も呼んでいる。
    スカーレットも姉と呼んでもらえることが嬉しいのか、いつもより優しい顔をしていた。
    葵羽がじっと彼女を見ていれば、その視線に気がついたらしく、スカーレットからじとっとした目を向けられる。スカーレットは小さく聞いてきた。
「……なんだ」
    葵羽は「いや、」と零した後に、ふっと笑って見せた。
「いや、シークもスカーレットも可愛いな、と思ってさ」
    葵羽が笑って告げれば、スカーレットは顔を真っ赤に染める。シークは嬉しかったようで、ぶんぶんと尻尾をさらに強く振っていた。
    葵羽の横に座っていたカイルは、盛大にため息をついた。
「……葵羽、その顔やめてあげなよ。スカーレットがさらに混乱するから」
「?    何がだ?」
「そうだよねー、気がついてないよねー、知ってたよ。葵羽、すっごい慈愛に満ちたような顔しているんだよ、やめてあげて」
「……そんな顔しているか?」
「してる、してる。本当に無自覚なんだから」
    カイルは何度も頷きながら、しっかりと利き手を動かしてメモをしている。メモ帳の枚数は、だいぶ増えているが、それはきっと葵羽が気がつくことはない。
    葵羽は首を傾げたが、それ以上触れることはなかった。それから、スカーレットへと視線を戻した。
    スカーレットは顔を俯かせて、顔から熱が引くのを待った。熱が引いたのが分かると、顔を上げて、葵羽を見る。
「……葵羽、昨日の話をしてもいいか」
「……ああ、頼めるか、スカーレット」
    葵羽が頷いて見せると、スカーレットはほっとしたようだった。それから、静かに語り始めたのである。



    Ⅲ

    スカーレットはシークを撫でながら、静かに語る。
    昨日の夜、スカーレットがヴァンパイアでありながら、血を要求してこないことを聞いて、答えがまだ貰えていなかった。その答えが、ようやく今分かるのである。
「……最初に言っておくが、体調は悪くない。というのも、血は飲めていたからだ」
「そうか、体調が悪くないならそれでいい。それにしても――」
「血って、いつ飲んでたの?    そんな素振りなかったと思ったけど」
    スカーレットの言葉に、葵羽は安堵した。しかし、すぐに次の疑問が出てくる。それは、カイルによって、紡がれることとなった。
    スカーレットは一つ頷いて、続きを語る。
「血のストックがある。それを、いくつか持っているんだ」
「うえっ!?    血のストック!?」
「あー……。カイル、お前、話を聞くのはやめておくか?」
    スカーレットの言葉に、過剰に反応したカイルを見て、葵羽は声をかける。こういう話は、カイルは難しいかもしれない。以前の状況を知っている葵羽は、カイルの様子を窺う。
    だが、カイルは悩んだ末に、横に首を振った。
「……ううん、俺も仲間だし、スカーレットのこと聞いておきたいから。……大丈夫」
    カイルは強い意志を持った目を向けた。
    葵羽はそれに口元を緩めた。
    カイルも、前進しているんだな……。
    葵羽が感心していれば、カイルが急に顔を青くして葵羽へ力なく腕を伸ばしてくる。
「あ、あおはー……。一応、俺の手だけ、握っていてくれない……?」
「俺が感心した時間を返せ」
    葵羽はそう返しつつ、一つため息をついた。それから、カイルの手を握ってやる。しっかりと握ってやった後、そのまま視線をスカーレットへと向ける。頷いて見せれば、スカーレットも頷いた。スカーレットは続きを話し始める。
「……人がたくさんいるところでは言えないが、基本的に動物の血でも、人間の血でも変わらない。飲めれば問題ないんだ。だが、人混みの中では難しいし、旅をしていれば特にすぐに飲めるわけではない。だから、血のストックを購入している。毎回飲まなくても問題ないからな、二日に一回ぐらいのペースで飲んでいる」
「なるほど。ストックはいつ購入しているんだ?」
「基本は夜中だ。だいたい、仲間に売ってもらう。仲間の中でも店を出している者もいてな、夜中にひっそりとやっている店だ。人目につかないところにあるから、こっそり行って買っている」
「……状況は分かった。だが、出かける気配は、まったくなかったと思ったんだが……」
    葵羽が言葉を零せば、スカーレットは頷く。
「気が付かないようにしていたからな。完全に寝静まった時や、葵羽たちがいつも以上に疲れている時に抜け出していた。基本的に少量の血で問題ないから、人だとしても、動物だとしても命を奪うことはない。ストックがない時は、動物を捕まえて吸ったりしたこともある」
「へえ……」
    葵羽がちらりとセレストを見てみれば、気配に敏感なセレストもスカーレットが抜け出していたことには気がついていなかったらしい。横に静かに首を振った。
    そして、葵羽は内心驚いていた。表情には一切出さないが、スカーレットの話を聞いてヴァンパイアの認識がだいぶ変わったのである。
    葵羽のいた世界では、ヴァンパイアと言えば、人の血を吸い尽くす、というイメージがあった。少量の血でも問題ない、そんな話は少なかったように思えた。
    世界が違ってくると、話も変わってくるのかもな。
    葵羽がそう思っていれば、そこに届くのは、今まで黙っていた刀の声。
    ――スカーレットの言っていることに嘘や偽りはない。この世界のヴァンパイアとは、そういうものだ。それに、スカーレットが抜け出していたのは、私は知っていたぞ。
    いや、言えよ。
    冬景色の言葉を聞いて、葵羽はすぐに返答した。強めの語気に冬景色はつんとそっぽを向いてしまった。
    内心ため息をつきながら、葵羽は一つ頷いた後に、スカーレットへ確認する。
「……血のストック、後どれぐらいあるんだ?」
「しばらくは問題ないはずだ」
「そうか。……なあ、スカーレット、一つ提案なんだが」
    カイルとスカーレットの視線が、葵羽に向けられる。葵羽はその視線を受け止めつつ、静かに口を開いた。
「その血がなくなったら、俺の血を飲むか?」



    Ⅳ

    沈黙が闇の中に訪れる。
    最初に沈黙を破ったのは、もちろんカイルだった。
「ええええええええええええ!?    急にどうしたの、葵羽!?」
「カイル、うるせえ。……いや、少し考えた結果ではあるんだが」
    葵羽は一度言葉を切った。それから、言葉を選びつつ、紡いでいく。
「もちろん、スカーレットさえ良ければの話だ。スカーレット、血を購入するにしても、金は結構かかるんだろ?」
「まあ、そうだな。種類はたくさんあるが、中身によって値段は相当変わってくる。美味しいものを求めれば、それ相応の金はかかるな」
「な、なんかあれだね……。それだけ聞くと、俺たちが食事にお金をかけるのと、変わらないんだね……」
「だが、別に人の食事も食べるわけだし、葵羽がそこまでしなくてもいいとは思っている。まあ、最初は確かに貰おうとしていたわけだが――」
「俺の血が美味いかどうかは分からないが、それなら金はかからないだろ?    ――俺は、スカーレットに吸われるなら、別に構わないが」
    葵羽は首元をさらけ出しつつ、そう告げる。綺麗に首元が鎖骨あたりまで見えていた。
    スカーレットはそれを見て、ごくりと息を呑む。だが、すっと顔を背けて、小さく呟いた。
「……少し、考えさせてくれ」
「分かった。嫌なら嫌でいい、無理強いするつもりはない。悪いな」
「葵羽が謝ることではないだろう!    わ、私のことを考えてくれたわけだし……。礼だけは、言っておく……、あ、ありがとう……」
「ああ」
    頬を赤く染めながら、そっぽを向いて告げるスカーレットを見ながら、葵羽はふっと笑って頷く。
    そんな二人から離れて、カイルとセレストは様子を見ていた。シークもスカーレットの膝元から飛び立ち、セレストの頭にちょこんと乗る。だが、すぐにセレストに頭から下ろされ、目元を隠された。真っ暗な視界のまま、シークはキョロキョロと首を動かす。セレストは何がなんでも手をどけなかった。
    カイルは小さく呟く。
「……ねえ、俺たち完全に存在忘れられているよねえ?」
『あれ、ご主人は?    セレスト兄ちゃん、見えないよ?』
『お前にはまだ早い』
    ――出来れば、私もこちらに含めて欲しいところだがな。
『……苦労するな、冬景色』
    ――お互いにな、セレスト。
    冬景色はいまだに葵羽の傍にいるが、意識だけを彼らに向けたようであった。
    すでに聞きなれた刀の声に、シークもセレストも驚かない。だが、セレストは冬景色を労わるように声をかけ、冬景色もそれに返したのであった。

    一人と二匹、そして一振りの言葉は、離れた主人たちの元には届かず、虚しく空に消えていったのであった。
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