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第二〇章 道中でのパーティ内騒動
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Ⅰ
グリフォンを倒してから、二週間ほどが経過していた。あれから、ひたすら依頼をこなしていた葵羽たちは、資金が潤ったため、街を後にすることにした。夜のうちに街を発つ。
街に滞在していた際に、葵羽が雲海を見たことは、誰にも伝えなかった。唯一知っているのは、共に見た相棒である、刀のみであった。
次の街に向かって、歩き続ける葵羽たちは、会話を繰り広げながら、足を止めることは無い。夜のうちに、ヴァンパイアであるスカーレットが動けるうちに、行けるところまで進む予定であった。
あれから、あの見目麗しいエルフの青年とは、一度も会っていなかった。意外とすんなり諦めてくれたのだろう、とカイルやスカーレットがほっと一息ついていたのは、記憶に新しい。
葵羽はといえば、特に心配もしていなかったので、普通に受け入れて過ごしていただけであった。むしろ、二人が妙に警戒していたため、それがなくなったことに苦笑したほどである。
葵羽はエルフの青年のことを思い出す。
……リュミエルは、悪い奴ではないと思っていたしな。話がまったく噛み合わないことだけが、難点だったが。
葵羽は思い出して、つい苦笑してしまった。悪い者ではないが、話が噛み合わなくて疲れたことを、よく覚えている。それだけは、勘弁願いたいものだった。
話を聞いてくれない相手が、あれほどに厄介であったとは、初めて知った。今後は、初めて会った者が、話の通じる者であることを願うだけである。
久方ぶりの旅路は、何故だか妙に落ち着いてしまった。宿泊していたことが、苦痛であったわけではなかったが、長く滞在していたことが中々なかったため、旅のほうがしっくり来てしまうのだろう。
夜のため、星がよく見えた。それに、口元を緩めながら、ふと今更ながらに思い出したことがあった。
当の本人が、何も言わなかったため、すっかり忘れていたが、大丈夫なのだろうかと急に心配になってくる。
葵羽は前を歩いていた、目的の人物に話しかけた。
「……なあ、スカーレット」
美しいヴァンパイアが振り向く。スカーレットはきょとんとして、葵羽を見つめた。言葉を待っているようだった。
葵羽は静かに言葉を紡いだ。
「お前、あれから一度も血を吸いたいとか言わねえが、ヴァンパイアとしては問題ねえのか?」
静寂に辺りは包まれたのであった。
Ⅱ
スカーレットが予想していなかった言葉だったらしく、彼女は一度目を瞬いた。
葵羽は静かに続ける。
「あの街にいてから、二週間以上、俺たちは一緒にいるはずだ。だが、初対面の時以降、お前は一度血をもねだったことがなかっただろう? 身体に異常とかはないのか?」
葵羽がそう言えば、少し前を歩いていたカイルも「そういえば」と言葉を零す。カイルはそのまま続けた。
「確かにそうだね、葵羽の言う通りだ。夜移動したり、昼間寝ていることはあったけど、血のことは一度も言ってないかも。ヴァンパイアのことって、よく分からないけど、スカーレットは大丈夫なの? ぱっと見は大丈夫そうだけどさ」
カイルの言葉に、葵羽も頷く。
そう、スカーレットは初対面の時以降、一度も「血を吸う」とは言っていないのだ。
葵羽を狙ってきたあの初対面の時は、確実に血を吸おうとしていた。
だが、仲間となってから、一度もそのことを口にしたことはなかった。食事は、いつも葵羽たちと同じように食べ物を口にしていた。血を飲んでいるところなど、一度も見ていないのである。かと言って、夜に別行動をしている様子もなかった。
葵羽は黙ったままのスカーレットを見つめる。彼女は何も言わない。葵羽は口を開いた。
「スカーレット、勘違いしないで欲しいんだが、お前が言いたくないなら、言わなくていい。仲間として、知っておきたい気持ちはあるが、話したくないなら無理に言わなくていいんだ。お前の身体に異常がなく、体調不良もないなら、それでいい。――ただ、一つ言っておくぞ」
葵羽はそこで一度言葉を区切った。スカーレットに歩み寄る。靴音が、静かな道で、よく響いた。
スカーレットの目の前で足を止め、彼女の顔をじっと見る。ゆっくりと目の前にいる美しいヴァンパイアへ手を伸ばした。その手が触れる瞬間、スカーレットがびくりと反応する。それを見届けてから、ゆっくりと彼女を怖がらせないように、彼女の頬に触れた。
少しだけ、頬を朱に染めた彼女が、上目で葵羽を見つめる。
葵羽は視線をしっかりと交わらせ、それから言葉を紡いだ。
「――無理は、するなよ」
「……!」
スカーレットが息を呑んだのが分かった。
葵羽は続けて言葉を紡いだ。
「お前が困っていると言うなら、俺はちゃんと助ける。身体を壊す前に、体調を崩す前に、必ず俺に言え。何を言われたとしても、受け止めてやるから」
「あ、おは……」
葵羽はちらとスカーレットの顔を見て、顔色を確認した。あまりじっと見ていると、逃げられる可能性もあるため、さっと確認する。
顔色は悪くなさそうだし、唇の色も問題ねえな。俺は医者でもねえし、ヴァンパイアのことも詳しくねえけど、スカーレットが倒れたら困るのは、本当だからな……。
葵羽はスカーレットの頬に添えていた手を、彼女の顎に移動させる。ぐいっと顎を掴んで上に向かせ、自分の顔を近づけた。スカーレットの瞳を覗き込みながら、優しく言葉を告げる。
「――お前が大事なんだ。絶対に、無理だけはするな」
葵羽がそう言えば、スカーレットは一気に顔を赤くした。口をぱくぱくと開閉させて、言葉にならない言葉を零していく。すると、急にボンッと音がして、スカーレットから湯気が出てきた。そのまま、葵羽に向かって倒れ込んでくる。
葵羽は慌てて受け止めた。
「お、おい、スカーレット! 大丈夫か!?」
葵羽が慌てて声をかけるが、スカーレットからの返答はない。顔を真っ赤にさせたまま、ぐるぐると目を回している彼女は、完全に気絶していた。
一方、それを見ていたカイルは、頭を抱えていた。思わず、ため息をつく。利き手ではない手で頭を抱え、利き手は忙しなく動いていた。何故かと言われれば、他でもない。葵羽の語録を作るため、必死に記録しているからである。利き手を動かしてしっかりと記載しながら、カイルは呆れて言葉を紡いだ。その言葉は、葵羽に届くことは無かった。
「……葵羽自身が、スカーレットに追い討ちをかけてどうするの……」
Ⅲ
揺られている身体によって、スカーレットの意識はゆっくりと浮上した。まだぼんやりとしている頭を必死に働かせて、自分が何をしていたのかを思い出そうとする。
ゆっくりと目を開いた先には、誰かの服が視界いっぱいに広がっていた。ぼーっとそれを見ていれば、頭上から声がかかる。
「起きたか」
聞き覚えのありすぎる声に、スカーレットは顔を上げた。上には、至近距離で葵羽の顔があった。一気に頭が覚醒し、思わず暴れてしまう。
「おい、暴れんなって」
葵羽は力を強くして、スカーレットを抱き込んだ。どうやら、スカーレットを横抱きで抱えたまま、葵羽は歩いていたようだった。
一気に熱くなった顔を、スカーレットは両手で覆い隠した。
葵羽は首を傾げながら、その体勢のままでスカーレットに説明し始める。
「覚えてるか? お前、急に倒れたんだぞ。とりあえず、夜のうちに移動したほうがいいだろうから、お前を抱えて移動することにしたんだ。カイルと話し合った結果だからな」
葵羽の言葉を聞いて、スカーレットは両手を外して、ぎろりとカイルを睨む。「何故、阻止しなかった」、そう視線で訴えてやれば、前を歩いていたカイルが振り向き、足を止めて両手を上げた。降参と言わんばかりの状態で、カイルは言葉を紡ぐ。
「……言っとくけど、スカーレット、俺は一応止めたからね。スカーレットを運ぶなら、俺かセレストのほうがいいって、ちゃんと言ったから。聞かなかったのは、葵羽だからね」
「お前なあ、女性のスカーレットを、カイルに任せるわけにはいかないだろう。カイルがそんな奴じゃねえとは分かっているが、スカーレットが起きたら混乱するだろうが。セレストだって、スカーレットが落ちないように気にしながら歩くのは、気が気でないだろう?」
「言っておくけどね、葵羽。スカーレットは確実に今混乱しているよ、君のせいで」
「何故だ」
葵羽とカイルの会話は全然スカーレットの頭の中に入ってこなかった。いまだに会話は続いているが、一言も記憶には残らない。頭の中はパニック状態で、何を言えばいいのかも、何をすればいいのかも分からなかった。
本当なら、「倒れたのは葵羽のせいだ」とか、「カイルのがまだ良かった」だとか、いろいろと言いたいことはあったはずなのに、何も出てこなかった。
とりあえず、葵羽の腕の中から脱出することを目標とし、スカーレットは葵羽に声をかける。
「……わ、悪い、葵羽。もう、大丈夫だ、歩ける、から……」
「顔を真っ赤にしたままで、説得力があるわけねえだろ。そのまま大人しくしておけ。大丈夫だ、落とさねえから」
葵羽はぐっと力を入れて、スカーレットをしっかりと抱きかかえる。
自然と近くなる距離に、スカーレットはさらに顔を赤くした。葵羽は前を見ていて、スカーレットの視線に気がついていないようだった。
スカーレットはどきどきとうるさくなり続ける胸の辺りにある服をぎゅっと握る。行き場のない手に無理やり場所を与えてやった。
聞こえて、しまいそうだ……!
いつもよりも近い位置にいる葵羽に、自分の鼓動が伝わってしまいそうで、不安になる。高鳴る鼓動を無理やりにでも押さえつけたくなった。
今日はなんだか、葵羽に振り回されている気がする。いや、いつも振り回されてはいるのだが、それ以上だと思うのだ。
きっと、目の前にいるかっこいいこの女性は、無自覚で行っているのだろう、と思う。
だったら、今だけは――。
スカーレットは少しだけ、目の前にいる、いつもより近い距離にいる葵羽に甘えることにした。すり、と顔を彼女の胸元に静かに擦り寄せたのであった。
Ⅳ
葵羽はスカーレットが擦り寄ってきたことに気がついていた。珍しいな、と思う。だが、それに触れることはなく、ただ受け入れるだけであった。
葵羽は自分がいた世界でも、何度かこうして女性を抱えて移動したことがあった。理由はまちまちで、友人が怪我をしたり、同級生が今回のスカーレットのように急に倒れたりしたためであった。
何回か行ったからか、どう抱えればいいのかは分かっているし、スカーレットは予想以上に軽かったため、難なく行うことができた。
急にスカーレットの視線に気がつく。葵羽はスカーレットをちらと見て、それから声をかけた。
「どうした?」
そう問いかけてやれば、腕の中にいる彼女は、「いや……」と言葉を零した後、ぽつりと呟く。
「慣れて、いるな、と思って……」
「ああ。何回かこうして抱きかかえたことがあるからな」
葵羽は頷いて淡々と返した。足元を確認しながら、答えてやると、それに返ってきたのはスカーレットの不服そうな声であった。
それに対して首を傾げて見せれば、スカーレットはふいとそっぽを向いてしまう。それから、またぽつりと呟いた。
「……私以外にも、こうして抱えたことが、あるのだな」
葵羽はそれを聞いて、きょとんとスカーレットを見つめた。スカーレットとの視線は交わらない。
葵羽はそれを見て、くすりと笑ってしまう。
「……昔の話だ。ここでは、お前が初めてだよ」
葵羽は優しい声音で、真実を伝えた。嘘は言っていない。カイルやスカーレットには、自分がいた世界のことは話していないが、この世界ではこうして抱えたのは、スカーレットが初めてであった。彼女にしか、していないことは、事実なのである。
スカーレットは言葉に違和感を覚えたようだった。不思議そうな顔で見つめてくる彼女は、何も言わずに視線だけで投げかけてくる。
葵羽はそれを受け止めて、ふっと笑っただけであった。
「――お前以外に、今はしていないということだ」
葵羽がそう言えば、スカーレットは再度顔を赤くした。
前を歩いていたカイルが突然足を止めて、振り向く。それから、思いついたとばかりに、言葉を投げかけてきた。
「葵羽の鈍感ー。天然ー。人たらしー」
――鈍感。
カイルに続いて、冬景色が、その後にさらにシークとセレストの鳴き声が続く。珍しくセレストの上に乗って葵羽と別行動していたシークは、何故だか楽しそうであった。
葵羽はそれに対して、「聞こえているぞ」と低い声で返してやる。そうすると、カイルとシーク、セレストはさっさと前へ進んで行った。冬景色は知らん顔をしている。
葵羽は小さく「ったく」と言葉を零してから、腕の中にいる女性に視線を戻した。スカーレットは顔を両手で覆い隠しており、表情を窺うことはできなかった。だが、真っ赤に染まっている耳は隠せておらず、それを見て再度くすりと笑ってしまう。
葵羽は思わず呟いていた。
「――可愛いな」
カイルが葵羽に向かって、「スカーレット接触禁止令」を出すまで、あと少しである――。
グリフォンを倒してから、二週間ほどが経過していた。あれから、ひたすら依頼をこなしていた葵羽たちは、資金が潤ったため、街を後にすることにした。夜のうちに街を発つ。
街に滞在していた際に、葵羽が雲海を見たことは、誰にも伝えなかった。唯一知っているのは、共に見た相棒である、刀のみであった。
次の街に向かって、歩き続ける葵羽たちは、会話を繰り広げながら、足を止めることは無い。夜のうちに、ヴァンパイアであるスカーレットが動けるうちに、行けるところまで進む予定であった。
あれから、あの見目麗しいエルフの青年とは、一度も会っていなかった。意外とすんなり諦めてくれたのだろう、とカイルやスカーレットがほっと一息ついていたのは、記憶に新しい。
葵羽はといえば、特に心配もしていなかったので、普通に受け入れて過ごしていただけであった。むしろ、二人が妙に警戒していたため、それがなくなったことに苦笑したほどである。
葵羽はエルフの青年のことを思い出す。
……リュミエルは、悪い奴ではないと思っていたしな。話がまったく噛み合わないことだけが、難点だったが。
葵羽は思い出して、つい苦笑してしまった。悪い者ではないが、話が噛み合わなくて疲れたことを、よく覚えている。それだけは、勘弁願いたいものだった。
話を聞いてくれない相手が、あれほどに厄介であったとは、初めて知った。今後は、初めて会った者が、話の通じる者であることを願うだけである。
久方ぶりの旅路は、何故だか妙に落ち着いてしまった。宿泊していたことが、苦痛であったわけではなかったが、長く滞在していたことが中々なかったため、旅のほうがしっくり来てしまうのだろう。
夜のため、星がよく見えた。それに、口元を緩めながら、ふと今更ながらに思い出したことがあった。
当の本人が、何も言わなかったため、すっかり忘れていたが、大丈夫なのだろうかと急に心配になってくる。
葵羽は前を歩いていた、目的の人物に話しかけた。
「……なあ、スカーレット」
美しいヴァンパイアが振り向く。スカーレットはきょとんとして、葵羽を見つめた。言葉を待っているようだった。
葵羽は静かに言葉を紡いだ。
「お前、あれから一度も血を吸いたいとか言わねえが、ヴァンパイアとしては問題ねえのか?」
静寂に辺りは包まれたのであった。
Ⅱ
スカーレットが予想していなかった言葉だったらしく、彼女は一度目を瞬いた。
葵羽は静かに続ける。
「あの街にいてから、二週間以上、俺たちは一緒にいるはずだ。だが、初対面の時以降、お前は一度血をもねだったことがなかっただろう? 身体に異常とかはないのか?」
葵羽がそう言えば、少し前を歩いていたカイルも「そういえば」と言葉を零す。カイルはそのまま続けた。
「確かにそうだね、葵羽の言う通りだ。夜移動したり、昼間寝ていることはあったけど、血のことは一度も言ってないかも。ヴァンパイアのことって、よく分からないけど、スカーレットは大丈夫なの? ぱっと見は大丈夫そうだけどさ」
カイルの言葉に、葵羽も頷く。
そう、スカーレットは初対面の時以降、一度も「血を吸う」とは言っていないのだ。
葵羽を狙ってきたあの初対面の時は、確実に血を吸おうとしていた。
だが、仲間となってから、一度もそのことを口にしたことはなかった。食事は、いつも葵羽たちと同じように食べ物を口にしていた。血を飲んでいるところなど、一度も見ていないのである。かと言って、夜に別行動をしている様子もなかった。
葵羽は黙ったままのスカーレットを見つめる。彼女は何も言わない。葵羽は口を開いた。
「スカーレット、勘違いしないで欲しいんだが、お前が言いたくないなら、言わなくていい。仲間として、知っておきたい気持ちはあるが、話したくないなら無理に言わなくていいんだ。お前の身体に異常がなく、体調不良もないなら、それでいい。――ただ、一つ言っておくぞ」
葵羽はそこで一度言葉を区切った。スカーレットに歩み寄る。靴音が、静かな道で、よく響いた。
スカーレットの目の前で足を止め、彼女の顔をじっと見る。ゆっくりと目の前にいる美しいヴァンパイアへ手を伸ばした。その手が触れる瞬間、スカーレットがびくりと反応する。それを見届けてから、ゆっくりと彼女を怖がらせないように、彼女の頬に触れた。
少しだけ、頬を朱に染めた彼女が、上目で葵羽を見つめる。
葵羽は視線をしっかりと交わらせ、それから言葉を紡いだ。
「――無理は、するなよ」
「……!」
スカーレットが息を呑んだのが分かった。
葵羽は続けて言葉を紡いだ。
「お前が困っていると言うなら、俺はちゃんと助ける。身体を壊す前に、体調を崩す前に、必ず俺に言え。何を言われたとしても、受け止めてやるから」
「あ、おは……」
葵羽はちらとスカーレットの顔を見て、顔色を確認した。あまりじっと見ていると、逃げられる可能性もあるため、さっと確認する。
顔色は悪くなさそうだし、唇の色も問題ねえな。俺は医者でもねえし、ヴァンパイアのことも詳しくねえけど、スカーレットが倒れたら困るのは、本当だからな……。
葵羽はスカーレットの頬に添えていた手を、彼女の顎に移動させる。ぐいっと顎を掴んで上に向かせ、自分の顔を近づけた。スカーレットの瞳を覗き込みながら、優しく言葉を告げる。
「――お前が大事なんだ。絶対に、無理だけはするな」
葵羽がそう言えば、スカーレットは一気に顔を赤くした。口をぱくぱくと開閉させて、言葉にならない言葉を零していく。すると、急にボンッと音がして、スカーレットから湯気が出てきた。そのまま、葵羽に向かって倒れ込んでくる。
葵羽は慌てて受け止めた。
「お、おい、スカーレット! 大丈夫か!?」
葵羽が慌てて声をかけるが、スカーレットからの返答はない。顔を真っ赤にさせたまま、ぐるぐると目を回している彼女は、完全に気絶していた。
一方、それを見ていたカイルは、頭を抱えていた。思わず、ため息をつく。利き手ではない手で頭を抱え、利き手は忙しなく動いていた。何故かと言われれば、他でもない。葵羽の語録を作るため、必死に記録しているからである。利き手を動かしてしっかりと記載しながら、カイルは呆れて言葉を紡いだ。その言葉は、葵羽に届くことは無かった。
「……葵羽自身が、スカーレットに追い討ちをかけてどうするの……」
Ⅲ
揺られている身体によって、スカーレットの意識はゆっくりと浮上した。まだぼんやりとしている頭を必死に働かせて、自分が何をしていたのかを思い出そうとする。
ゆっくりと目を開いた先には、誰かの服が視界いっぱいに広がっていた。ぼーっとそれを見ていれば、頭上から声がかかる。
「起きたか」
聞き覚えのありすぎる声に、スカーレットは顔を上げた。上には、至近距離で葵羽の顔があった。一気に頭が覚醒し、思わず暴れてしまう。
「おい、暴れんなって」
葵羽は力を強くして、スカーレットを抱き込んだ。どうやら、スカーレットを横抱きで抱えたまま、葵羽は歩いていたようだった。
一気に熱くなった顔を、スカーレットは両手で覆い隠した。
葵羽は首を傾げながら、その体勢のままでスカーレットに説明し始める。
「覚えてるか? お前、急に倒れたんだぞ。とりあえず、夜のうちに移動したほうがいいだろうから、お前を抱えて移動することにしたんだ。カイルと話し合った結果だからな」
葵羽の言葉を聞いて、スカーレットは両手を外して、ぎろりとカイルを睨む。「何故、阻止しなかった」、そう視線で訴えてやれば、前を歩いていたカイルが振り向き、足を止めて両手を上げた。降参と言わんばかりの状態で、カイルは言葉を紡ぐ。
「……言っとくけど、スカーレット、俺は一応止めたからね。スカーレットを運ぶなら、俺かセレストのほうがいいって、ちゃんと言ったから。聞かなかったのは、葵羽だからね」
「お前なあ、女性のスカーレットを、カイルに任せるわけにはいかないだろう。カイルがそんな奴じゃねえとは分かっているが、スカーレットが起きたら混乱するだろうが。セレストだって、スカーレットが落ちないように気にしながら歩くのは、気が気でないだろう?」
「言っておくけどね、葵羽。スカーレットは確実に今混乱しているよ、君のせいで」
「何故だ」
葵羽とカイルの会話は全然スカーレットの頭の中に入ってこなかった。いまだに会話は続いているが、一言も記憶には残らない。頭の中はパニック状態で、何を言えばいいのかも、何をすればいいのかも分からなかった。
本当なら、「倒れたのは葵羽のせいだ」とか、「カイルのがまだ良かった」だとか、いろいろと言いたいことはあったはずなのに、何も出てこなかった。
とりあえず、葵羽の腕の中から脱出することを目標とし、スカーレットは葵羽に声をかける。
「……わ、悪い、葵羽。もう、大丈夫だ、歩ける、から……」
「顔を真っ赤にしたままで、説得力があるわけねえだろ。そのまま大人しくしておけ。大丈夫だ、落とさねえから」
葵羽はぐっと力を入れて、スカーレットをしっかりと抱きかかえる。
自然と近くなる距離に、スカーレットはさらに顔を赤くした。葵羽は前を見ていて、スカーレットの視線に気がついていないようだった。
スカーレットはどきどきとうるさくなり続ける胸の辺りにある服をぎゅっと握る。行き場のない手に無理やり場所を与えてやった。
聞こえて、しまいそうだ……!
いつもよりも近い位置にいる葵羽に、自分の鼓動が伝わってしまいそうで、不安になる。高鳴る鼓動を無理やりにでも押さえつけたくなった。
今日はなんだか、葵羽に振り回されている気がする。いや、いつも振り回されてはいるのだが、それ以上だと思うのだ。
きっと、目の前にいるかっこいいこの女性は、無自覚で行っているのだろう、と思う。
だったら、今だけは――。
スカーレットは少しだけ、目の前にいる、いつもより近い距離にいる葵羽に甘えることにした。すり、と顔を彼女の胸元に静かに擦り寄せたのであった。
Ⅳ
葵羽はスカーレットが擦り寄ってきたことに気がついていた。珍しいな、と思う。だが、それに触れることはなく、ただ受け入れるだけであった。
葵羽は自分がいた世界でも、何度かこうして女性を抱えて移動したことがあった。理由はまちまちで、友人が怪我をしたり、同級生が今回のスカーレットのように急に倒れたりしたためであった。
何回か行ったからか、どう抱えればいいのかは分かっているし、スカーレットは予想以上に軽かったため、難なく行うことができた。
急にスカーレットの視線に気がつく。葵羽はスカーレットをちらと見て、それから声をかけた。
「どうした?」
そう問いかけてやれば、腕の中にいる彼女は、「いや……」と言葉を零した後、ぽつりと呟く。
「慣れて、いるな、と思って……」
「ああ。何回かこうして抱きかかえたことがあるからな」
葵羽は頷いて淡々と返した。足元を確認しながら、答えてやると、それに返ってきたのはスカーレットの不服そうな声であった。
それに対して首を傾げて見せれば、スカーレットはふいとそっぽを向いてしまう。それから、またぽつりと呟いた。
「……私以外にも、こうして抱えたことが、あるのだな」
葵羽はそれを聞いて、きょとんとスカーレットを見つめた。スカーレットとの視線は交わらない。
葵羽はそれを見て、くすりと笑ってしまう。
「……昔の話だ。ここでは、お前が初めてだよ」
葵羽は優しい声音で、真実を伝えた。嘘は言っていない。カイルやスカーレットには、自分がいた世界のことは話していないが、この世界ではこうして抱えたのは、スカーレットが初めてであった。彼女にしか、していないことは、事実なのである。
スカーレットは言葉に違和感を覚えたようだった。不思議そうな顔で見つめてくる彼女は、何も言わずに視線だけで投げかけてくる。
葵羽はそれを受け止めて、ふっと笑っただけであった。
「――お前以外に、今はしていないということだ」
葵羽がそう言えば、スカーレットは再度顔を赤くした。
前を歩いていたカイルが突然足を止めて、振り向く。それから、思いついたとばかりに、言葉を投げかけてきた。
「葵羽の鈍感ー。天然ー。人たらしー」
――鈍感。
カイルに続いて、冬景色が、その後にさらにシークとセレストの鳴き声が続く。珍しくセレストの上に乗って葵羽と別行動していたシークは、何故だか楽しそうであった。
葵羽はそれに対して、「聞こえているぞ」と低い声で返してやる。そうすると、カイルとシーク、セレストはさっさと前へ進んで行った。冬景色は知らん顔をしている。
葵羽は小さく「ったく」と言葉を零してから、腕の中にいる女性に視線を戻した。スカーレットは顔を両手で覆い隠しており、表情を窺うことはできなかった。だが、真っ赤に染まっている耳は隠せておらず、それを見て再度くすりと笑ってしまう。
葵羽は思わず呟いていた。
「――可愛いな」
カイルが葵羽に向かって、「スカーレット接触禁止令」を出すまで、あと少しである――。
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4/1 お気に入り登録数50突破記念ssを投稿してすぐに100越えるもんだからそっと笑ってる。ありがたい限りです。
4/4 通知先輩が仕事してくれずに感想来てたの知りませんでした(死滅)とても嬉しくて語彙力が消えた。突破記念はもうワケわかんなくなってる。
4/20 無事完結いたしました!気まぐれにオマケを投げることもあるかも知れませんが、ここまでお付き合いくださりありがとうございました!
4/25 オマケ、始めました。え、早い?投稿頻度は少ないからいいかなってさっき思い立ちました。突発的に始めたから、オマケも突発的でいいよね。
21.8/30 完全完結しました。今後更新することはございません。ありがとうございました!
田舎暮らしと思ったら、異世界暮らしだった。
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俺だけに効くエリクサー。飲んで戦って気が付けば異世界最強に⁉
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