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第五章 謎の男

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    Ⅰ

    葵羽は男の言葉を聞いて、沈黙した。刀から手は離さない。むしろ、強く刀を握る。男が動く気配はなかった。男の意図を読めずにいる。
    だが、彼女の中で、答えはとうに決まっていた。
「断る」
「……へ?」
「では、失礼する」
    葵羽は男から視線を外すと、出口へ向かって歩き出す。男は慌てて彼女の肩を掴んだ。それを、シークが噛み付いて阻止する。離れた男の手が、再度彼女に触れることはなかった。
    男の騒ぐ声を聞きながら、葵羽が足を止めることは無い。シークが肩にいることを確認して、颯爽と去ろうとする。
    だが、男は引き下がらなかった。
「た、頼むよ、話を聞いて欲しい!」
「……何故」
「君にしか出来ないんだって!」
「……それは変な話だな。ここは冒険者ギルドなんだから、俺以外にも冒険者はいるはずだ。俺にしか出来ないなんてことはないはずだろ」
    まず、俺以外の人間のほうが、この世界に詳しいことは間違いないしな。
    胸中で考えていると、男は首を振る。
「そんなことはない!    君ほどの実力者はそうそういないし!」
「……どうでもいいが、名を名乗ろうともしない奴と話はしない。おまけに、今日は怪しい奴にここで二人も遭遇してるんだ。怪しむな、疑うなってほうが無理があるだろ。そういうことだから、失礼する」
    葵羽は頑なに拒み続けた。男に向かって放った言葉は、本音である。「武器・防具店」の店主は良い人だったが、ここで会った奴の印象ははっきり言ってまったく良くない。女だからと馬鹿にしてくる奴に、ドラゴンのシークを手に入れようとする奴。そんな二人に出会っていては、信用することのほうが難しい話だった。仮に、目の前の男が怪しくなかったとしても、簡単に信用するつもりはない。
    自分の判断が、今後に左右されてくる。特に、仲間が危険に晒されるとなれば、さらに用心するに越したことはない。
    葵羽は男に再度告げた。
「悪いが、他を当たってくれ」
「……ま、待ってくれ!」
    男の懇願するような声に、葵羽は足を止めた。振り返れば、男の真剣な表情が待ち構えていた。どちらかと言えば、切羽詰まっている、といったほうが正しいのかもしれない。
    余裕のなさそうな顔に、葵羽は根負けした。自分でも甘いかもしれないと思いつつ、刀から手を離す。
「……分かった、話だけは聞いてやる。その前に、名前だけ名乗れよ。初対面で名乗りもしない奴と話そうとは思わん」
「!    ありがと!    俺、カイル!    よろしく」
    よろしくするかは、話を聞いてからなんだが……。
    葵羽は盛大にため息をついたのだった。



    Ⅱ

    ギルド内では、飲食できる場所もあり、そこで男と向かい合って座る。男は酒を持ってきたが、葵羽は辞退した。元々酒を飲むつもりはないし、隙を作る要因となりそうなものはなるべく避けておきたい。まだ気を許したわけではなかった。
「名乗っていなかったな。樹神葵羽こだまあおはだ」
「知ってる。あのギルドでの騒動後、皆が話題にしてたから。それに、あの討伐任務には皆目を丸くしてたし。俺も驚いちゃった」
「……それにしても、何故俺だと分かったんだ」
「へ?」
    カイルと名乗った青年は、妙に軽く接してくる。葵羽が警戒している様子でも、気にしていないようだった。
    葵羽の問いを理解出来ていなかったらしく、間の抜けた返事が返ってくる。葵羽はため息をついた。
「俺の格好、ギルドに寄った時とは違うだろ。なのに、何故一発で分かった」
「ドラゴン連れてるじゃん。それに――」
「それに?」
「いやー、気になって君のことつけてたんだよねー」
「帰る」
    葵羽は耳に言葉が入ってきた瞬間、宣言して立ち上がる。ガタンと勢いよく立ったことから、椅子が大袈裟に転けて見せた。だが、それに構っている暇はない。
    さっさと帰ろうとする彼女の外套を、カイルは裾を慌てて掴んでグイッと引っ張る。葵羽の眉間の皺が増えた。
「いや、待ってって。ごめんて」
「……誰が待つか。さっさと離せ。ちなみに知ってるか、そういうのを『ストーカー』って言うんだぜ」
「すとーかー?」
    この世界には、ストーカーって言葉はねえのか……。
    青年が言葉を知らないだけなのか、本当にこの世界には言葉がないのか……。真実は分からないが、葵羽は言い直す。
「ある人物に付きまとう、迷惑な馬鹿」
「え、酷い!」
「酷くない、事実だろ。さっさと外套から手え離せ」
「えー?    帰らない?」
「帰る」
「話、聞いてくれるって言ったじゃん!」
    葵羽はだんだんと子どもを相手にしている気分になってきた。ギャーギャーと目の前で騒ぐ青年を、殴りたい気持ちを抑える。自分と変わらないぐらいの青年なのに、何故こうも子どもっぽいのか。
    母親って、大変なんだな……。
    現実逃避に近いことをぼんやりと考え、今ここにはいない自分の母親に感謝した。
    いつまでも現実逃避している訳にも行かず、再度青年へ声をかける。
「ストーカーと話すことは無い。帰る」
「嘘つき!    話聞いてよ!」
「女子か。別の奴と話せ。じゃあな、ストーカー殿」
「違うもん!」
    酒のせいなのか、元々なのか。面倒な男に捕まってしまったと思う。
    やはり、最初の時点でさっさと帰るべきだったと今更ながらに後悔する。頭を抱えつつ、一向に外套から手を離さない青年を見て、どうしたもんかと悩む。
    そんな中、冬景色が頭に語りかけてくる。
    ――馬鹿者。放っておけ。
    そうしたいんだがなあ……。
    確かに、話を聞くと言ってしまったのは、自分なのだ。正直に言って帰りたい。こいつを、この青年を相手にするのを誰かに押し付けて帰りたい。だが、ここには夜遅いからか、誰もいない。
    それに、やはり自分が言ったことには責任を持ちたいと思ってしまい、放って帰るわけには行かなかった。
「……はあ」
    盛大にため息をつきつつ、男の手を払って外套から外す。仕方なしに椅子を元に戻し、どかっと腰掛けた。呆然と様子を見ていたカイルは、ぱあっと顔を輝かせる。
「で?」
「うん!    君と任務に行きたくて」
「……何故」
「強い人となら、上の任務をこなせるじゃん!」
「……お前の実力が分からないのに、俺が頷くと思ってんのかよ」
「えー……。でもでも、情報交換したら、いけると思わない?」
「思わない」
「むー……」
「子どもか」
    葵羽の目の前で青年が口を尖らせる。頭を抱えたくなったが、どうにか抑え込む。本当に面倒な奴を相手にしてしまったと思う。
    どうにか離れてくれねえかな……。
    実際、自分が強いとは思わない。今回達成した任務だって、正直なところシークのおかげだと思っている。シークがゴブリンたちを誘き寄せていなかったら、あんなに簡単に終わらなかったはずだ。それに、自分の力ではなく、冬景色の技の力が大きい。それを自分の強さだとは思わなかった。
    とは言っても、わざわざ冬景色の手の内を晒すこともないし、シークについて語る必要もない。さて、どうやって諦めてもらおうか……。
    しかし、そこまで考えて、葵羽はふと思う。
    ここまで、冒険者の話を聞いたことがなかったのだ。元々今日来たこともあって、人に会うこともなく、さらには話を聞くどころではなかった。冒険者に話を聞ける機会が今来ているのである。
    そう考えれば、いい機会か。聞く価値はあるかもしれない。
    だが――。
「悪いが、今日は失礼する」
「えー、なんで?」
「もう夜も遅い。それに、シークが眠たそうだからな」
    自分の肩の上で、こくり、こくりと小さな頭を揺らしているドラゴンが目に入る。どうも眠たそうで、でも必死に寝ないように頑張っているようだった。
    葵羽はシークを撫でる。
「その続きは、明日聞かせてもらうことにする」
「いいの!?」
「……頼むから、明日はまともに話してくれよ」
「はーい!」
    本当かよ……。
    子どものように手を挙げて返事をする青年を、呆れつつ見つめる。葵羽はそれ以上何も言うことなく、ひらりと手を振って、その場を去るのだった。
    背後から、「明日だよー、絶対だよー!」とこれまた子どもの約束のような言葉が耳に届き、気が重たくなってしまったのは、また別の話である。



    Ⅲ

    宿に戻って、葵羽はベッドに寝転がった。すでにシークは枕元ですやすやと夢の中だ。猫のように丸まって眠る姿が、可愛らしい。ドラゴンがこんな風に寝るとは思っていなかった葵羽は、しばらくそれを見つめ、それから天井へと視線を移した。
    呆然と天井を見つめる中、話しかけたのは冬景色である。
    ――眠れないのか。
「お前、手元から離れてるのに、会話が出来るんだな」
    ――距離など関係ない。私はお前と好きな時に会話ができる。どこにいてもな。
「そうかよ」
    葵羽は天井を見つめたまま、素っ気なく告げた。しばらく沈黙が部屋を包んでいたが、静かに口を開いたのは、葵羽だった。
「……さっきの男、お前はどう思う?    冬景色」
    ――……なんとも言えんな。奴はよく分からない。正体を隠している、と言われたほうが納得がいく気がする。
「……つまり、怪しいと思っている、ということか」
    ――私は、断言していないぞ。
「そういうずるいことするなよ」
    葵羽は寝返りをうつ。目の前にシークが現れ、それに口元を緩める。起こさないようにゆっくりと撫でれば、それが気持ちよかったのか、ドラゴンのほうから擦り寄ってきた。眠ったままではいるようで、起こしていないことにほっとする。
    ――お前は、よくシークを撫でるな。
    少し不貞腐れたような声が、頭に直接届く。葵羽は驚いた。
「そう……なのか。無意識だったな」
    ――気がついていなかったのか。
「ああ、まったく」
    葵羽はシークから手を離した。これ以上触って、起こしてしまっては可哀想だ。ゆっくりと寝かせてやりたい。
    葵羽はまた天井を見るように、仰向けになる。少しだけ、思ったことがあった。
「……シーク狙いじゃ、なさそうなんだよな」
    ――奴か。
「ああ。シーク狙いなら、シークが噛んだ時に掴めばそのまま奴の目的は達成している。わざわざ俺と話す必要も無いだろう。眠たそうなシークにも、まったく興味がなさそうだった。……別の、目的があるのかもな」
    葵羽は天井へ右手を伸ばす。翳した手のひらをじっと見つめた。
「……だが、シーク狙いなら、俺は絶対に許さねえし、絶対に守りきる。シークを……仲間を誰にも渡すつもりはねえ」
    ――……私は?
    冬景色の問いに、葵羽は吹き出す。くっくっくと喉を震わせて笑う彼女は、冬景色を見た。笑ったからか、冬景色から不満げな声が届く。
    ――……なんだ。
「すまん、すまん。意外とお前、そういうところ気にするよな。だけど、お前は俺が捨てたとしても、置いていったとしても、戻ってくるんだろ?」
    ――そうだが……。
「……お前も、渡すつもりはねえよ」
    葵羽は微笑む。しかし、その後に続いた、「死人を出したくはねえしな」の言葉に、冬景色は怒る。だが、葵羽には、少しだけ、ほんの少しだけだが、冬景色がふっと笑った気がしたのだった。
    翳した手のひらをぎゅっと握って拳を作る。その拳にすべての想いを、覚悟を込めた。それをしっかりと見つめて再認識したあとで、ようやく眠りにつくのだった。



    Ⅳ

    翌日、目を覚ませば、すでに昼に近い時刻であった。知らぬ間に、シークが葵羽の上で丸くなって眠っている。目の前のドラゴンを見て、葵羽の意識は完全に覚醒した。
「……シーク」
    呼びかければ、ドラゴンは嬉しそうに鳴く。それを支えながら、身体を起こした。
    冬景色の声が脳に届く。
    ――おはよう、葵羽。
「ああ、おはよう。……完全に寝過ごしたな」
    身支度を整えて、最低限のものを持って宿を後にする。もうしばらく同じ宿に泊まる予定なので、今日動き回るだけの荷物があれば、問題は無い。
    冬景色を腰に、シークを肩に乗せて冒険者ギルドへ向かう。
    ギルドに足を踏み入れば、中にいた人間全員が葵羽へ視線を寄越した。昨日だけで、だいぶ目立ってしまったことが分かる。葵羽は内心ため息をついた。
    視線を受けつつ、奥へと足を進めれば、遠くで「おーい」という声が聞こえた気がした。声のする方向を見れば、一人の男が手を振りつつ、近寄ってくる。
「おーい」
    昨日の青年、カイルがにこっと笑いながら話しかけてくる。葵羽は足を止め、青年をじっと見つめた。
「遅いよー」
「すまん。寝過ごした」
    時間の約束をしていたわけではなかったので、葵羽に非があるわけではない。だが、一応話をする約束はしていたので、素直に謝罪した。おそらく、この青年は朝から待っていたのだろう。そう考えれば、自然と謝罪の言葉は出てきていた。
    昨日闇にてあまり見えていなかった青年の顔が、にぱっと笑った。笑い方まで、子どものようだと思った。
「ね、昨日の話の続きしよ?」
「……まだ信用したわけではないんだが」
「えー?    まだダメ?」
    口を尖らせる相手に、葵羽はやれやれと首を振って見せた。
    彼は信用して欲しいようだが、まだ葵羽からすればよく分からない人物なのである。彼の正体が分からない以上、簡単に信用するわけにはいかなかった。
    判断をミスすれば、シークや冬景色が危険な目に遭う可能性もある。用心するに越したことはなかった。
「話をしてから、判断する。当然だろ」
「俺、無害ー」
「そう言う奴が、一番信用ならん」
    葵羽はばっさりと切り捨てた。再度相手は口を尖らせる。葵羽はすでに疲れていた。
    カイルと向かい合うようにして、席に座る。カイルは身を乗り出して話を始めた。
「任務でさ、めっちゃ報酬のいい奴あんの。でもさ、俺、あんまり強くないんだよねー。葵羽ちゃん、魔法も使えるみたいだし、刀持ってるし、つよそうじゃん?    だから、パーティ組みたいってわけ」
「ちゃん付けはよせ。……報酬が良いってことは、相当危険か、難しい任務ってことだろ。そう易々とできるものじゃ無いはずだ」
    資金は確かに多いに越したことはない。だが、無謀に挑んで、自分の危険性が高まると考えれば、多少金額は落ちるにせよ、難しくない任務を選択するほうが良いはずだ。
    だが、カイルはどうしてもその任務を行いたいらしい。
    ……金目的、か?
    葵羽は浮かんできた考えを、表に出さないようにして、青年へ問いかけた。
「……何故、それにしたいのか、理由はあるのか」
「へ?    ……ああ、うん。お金、欲しいからさ」
    カイルは答えたが、一瞬妙な間があったのを、葵羽は見逃さなかった。自然と目が細められる。彼の瞳が揺らいだのが分かった。歯切れの悪い言い方に、葵羽の眉が顰められる。
    なんだ、今の間は……。妙な感じがするな。
    ――どうする、葵羽。
    冬景色の言葉に、葵羽は静かに考え込む。ふむ、と頷きつつ、再度任務の話をすることにした。詳細が知りたいのである。
「……難しいって、魔物の討伐とかなのか?」
「そう。めちゃくちゃでかいオーガの討伐。その代わり、賞金はだいぶ出るよ。どう?」
    カイルは依頼書を出してきた。それを受け取り、内容を確認する。見落とすことがないように、隅から隅まで視線を動かす。
    その間に、カイルは自分の話をしていた。聞きながら、依頼書へ目を通す。今はどちらかと言えば、彼よりも依頼書の内容のが気になる。
    オーガの討伐、対象は一体。だが、通常の何倍も大きいことから、賞金がはるかに跳ね上がっているようだった。
    パーティとか組んだことねえが、むしろ、この世界にまだ慣れてねえし……。この男の実力を知ったところで、俺が結論づけることはできねえか……。
    葵羽は悩んだが、胸中で冬景色に結論を伝えた。
    冬景色。気になることはあるが、これを受けることにする。
    ――良いのか。罠かもしれんぞ。
    いい。まあ、お前の技をもう少し使いたかったし、いい機会だろ。今回は飛び込んでやる。それに――。
    ――それに?
    促した冬景色に、葵羽は冷静に返した。
    俺たち、というよりも、彼の問題のような気がする。
    先程の返答の仕方がどうも気になる。瞳が揺らいだことといい、歯切れの悪い言い方といい、彼には何かあると確信した。何か裏があることは確かだ。だが、それがどうも葵羽自身に向けられているものだとは思えなかった。
    ……金に絡んだことかもな。
    いずれにせよ、彼の本心が分からない以上、ここで打ち切るよりも罠だと思いつつ飛び込んだほうが賢明だと考えた。後で面倒事になるよりは、先手を打っておきたい。
    葵羽は表情や声に出さないように努めながら、静かに返事をした。
「……いいだろう。賞金は山分けでいいな」
「……!    うん、問題ないよ、よろしくね!」
    嬉しそうな顔をする青年を、葵羽はじっと見つめる。表向きは全然問題なさそうな、むしろ子どもっぽい感じで無邪気そうである。
    だが――。
    真相を、暴かねえとな……。
    葵羽は鋭い視線で、青年を見つめたのだった。

    こうして、一時的にパーティを組むことになった葵羽は、二日後に彼と任務へ繰り出すこととなった。
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