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第一章 「呪いの刀」との状況把握

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    Ⅰ

    葵羽はゆっくりと周囲を見渡す。どういうことだ、と小さく呟いた。その声は、言葉は、自分のものであるはずなのに、やけに遠くから聞こえた気がした。
    周囲には、誰もいない。だだっ広い草原で、ぽつんと葵羽が座っているだけだ。
    横へ視線をずらせば、自分と並ぶように置かれている一振の刀。初めて見る刀に、呆然とする。
    実は、葵羽は過去に剣道を習っていたことがある。高校生となってからは辞めてしまったが、それなりの実力はあった。本人は精神統一のために習っていただけだったので、大会にエントリーしたことは無い。しかし、これのおかげか多少なら相手を打ち負かすことが出来た。もっとも、そんなこと自体が頻繁に起こるわけでもなかったが。
    問題は、真剣を使ったことがないこと。まじまじとそれを見つめ、鞘を手にする。それなりの重さがあり、それがさらに自分に現実だと知らせてくる。何故これを手にしているのかも、理解できなかった。
    ……というか、ここは何処だ。
    本当に自分は死んだのだろうか。前後の記憶がまったくない。それにしては、姿や思考は自分のままだ。何ら変わりもない。着ている物は、見慣れた制服で、見慣れない物は手にしている黒き鞘。
    葵羽はそれを興味本位で抜いてみた。しゃらっと出てきた銀の三日月が、太陽に反射してきらりと輝きを放つ。
    ――その瞬間、どくんと心臓が高鳴った。
    な、んだ……。
    しかし、その異変はそれだけだった。その後、刀を手にしていても、何も起こらない。
    なんだったんだ……。
    ゆっくりと息を吐き出す。刀身を見てみれば、その刀がおかしい事に気がついた。
「これは……逆刃刀、というやつか」
    漫画やアニメ等で見たことがある、峰と刃が本来の刀とは逆になっているという、逆刃刀。真剣を見たことも初めてではあったが、まさか逆刃刀とは思ってもみなかった。驚きでさらに目を見開いてしまう。
「……それにしても、何故これが――」
    ――我が主。
    突如頭の中に直接聞こえてきた声に、葵羽ははっとして構える。周囲を慌てて見渡すが、やはり誰もいない。唯一自分を避けて通っていくのは、そよ風だけだ。刀を構えるが、構えるだけ無駄だと悟った。今の自分には、この刀は扱えないだろう。
    気を張りつめたまま、ゆっくりと刀を下ろす。
「……なんなんだ」
    ――我が主、私はここにいる。
    もう一度声が聞こえた。葵羽はじっと周囲に視線を向けていたが、ふと気になったのは手元の刀。驚愕で目が見開かれ、手が震える。
「ま、さか……、お前が、喋ったのか……?」
    ――左様。貴殿は、我が主となったのだ。
「……いやいやいやいや、ちょっと待て」
    普段冷静な葵羽だが、今回ばかりはその冷静さを置いてきてしまった。さすがに状況を整理できない。
    目の前に話が出来る刀が自分の手元にいて、さらには自分のことを「主」だと言ってくる。
    そんなこと、有り得るのか……?
    そう思ったが、葵羽は自分で考えを改めた。
「……いや、有り得る、か」
    すでに知らない場所で、知らない刀を持っているのだ。有り得ない話が連発しているのである。今更何が来たって、「有り得ない」と否定しても、自分が辛いだけだ。
    ひとりでに納得した葵羽は、刀と向かい合う。
「この状況を説明してくれるなら、刀だろうがなんだろうが構わない。話、聞かせてもらうぞ」



    Ⅱ

    驚くことばかりだが、特に驚いたのは、目の前の刀だった。脳内に直接言葉が届く。葵羽は一瞬自分の頭がおかしくなったのかと思ったが、状況が状況だ。すでに知らない場所にいるというなら、その時点で自分の頭はおかしくなっている。素直に受け入れることにした。
    この世界、おそらく自分がいた世界ではないだろう。そうでなければ、刀を自分が持っていることはないはずだ。そう察していたが、本当のことは分からない。今縋れるのは、目の前にいる刀だけであった。
「……お前がどんな刀なのかはよく分からないが、まずは話を聞かせてもらおう。お前にしか聞けないみたいだしな」
    ――私の名は、「冬景色ふゆげしき」。我が主の好きに呼ぶがいい。
「冬景色、か。刀の名前ってことか……。というか、何故俺を主と認める」
    ――すでに試練はクリアしている。なんら問題もない。
「試練?」
   葵羽は聞き返していた。そんなものを行った覚えがない。刀が言っていることが、本当かも分からなかった。
    しかし、この刀、なんともすんなり会話をしている。思った以上に淡々と進む会話に、葵羽は拍子抜けしていた。実を言えば、刀が口を割らない可能性を考えていたのである。
    刀は葵羽の言葉を肯定した。
    ――左様。それにて、我が主と認めたのだ。私が否定することも無い。
「なるほどな。まあ、何にせよ、こちらとしてはすんなり話してくれて助かったが」
    傍から見れば、おかしな光景だろう。葵羽自身もおかしいとは思っている。刀を持った自分が、独り言のようにそれと会話をしているのだ。刀の声は直接脳に届くため、他人には聞こえないだろう。頭がおかしくなったと言われても、心配されてもおかしくない状況だった。
    葵羽は刀を地面に置き、腕を組む。ふと、刀に聞くべきかは迷ったが、ダメもとで確認してみることにした。
「……冬景色、と言ったな。確認していいか。……俺は、死んだのか?」
    ――……何故、私に聞く。
    葵羽は苦笑した。そりゃそうだ、と思いながら、返答する。
「知らないならそれでいい。ただ、俺が真実を受け入れねえと、次に進めねえって思ってるだけだ」
    淡々と述べる彼女の言葉を、刀は静かに受け止めた。それから、しばしの沈黙の後、ゆっくりと告げた。
    ――そうだ。
「……」
    ――そして、その魂を呼び寄せたのは、私だ。我が主なら、私を使えると思ったからだ。一応、転生、という形にはなる。
「……そうか。それを聞いて、覚悟が決まった」
    ――驚かないのだな。
    冬景色は驚いたとばかりに告げる。もし、こいつが人間だったなら、目を見開いていたり、口を開けていたりするのだろうか。ありもしないことを考えてしまう。しかし、葵羽はただふっと笑っただけであった。
「そんな気はしていたさ。それに、いつまでも縋っていたってどうにもならねえ。次があるなら、その次に向かって一歩を踏み出すだけだ」
    葵羽は空を仰ぐ。あの友人は無事だったのだろうか、心残りがあるとしたらそれだけだ。家族には申し訳ないが、それでも大切な友人を救えたことは、彼女にとって誇りとなっている。
    青空は自分を受け入れてくれている。雲は自分の行き先を指し示すかのように、決まった方向に流れて行った。
「それにしても、呼び寄せたってことは、ここは俺のいた世界じゃないんだろう?    それに、俺はお前を鞘から抜いただけだ。何が試練だったのか、よく分からないんだが」
    その問いに、冬景色は答える。
    ――ここは、我が主たちが「異世界」と呼ぶ世界だ。剣と魔法が交わり、戦闘がある世界、と言ったところか。試練に関しては、それこそがクリアの条件ということだ。
    葵羽はその言葉に首を傾げた。
「異世界、ね……。創作の世界だけだと思っていたが、もう何が来ても驚かない気がしてきたな……。刀を抜くことが条件、ってなんか簡単すぎないか」
    ――そんなことは無い。刀を抜いて認められていなければ、我が主はとうに死んでいた。
    葵羽はその言葉に、動きを止めた。



    Ⅲ

    沈黙が二人を包む。葵羽の頭は考えることを、停止していた。
    数分後、やっと言葉の意味を理解した彼女は、がっと勢いよく刀を掴む。刀を壊す勢いで、ぐらぐらと振る。人間の胸ぐらを掴むかのようであった。
    今、彼女は冷静ではない。
「どういうことだ!」
    ――いや、そのままの意味だ、我が主。
「冷静に言っている場合か!    刀を抜いて、死んでいたかもしれなかっただと!?」
    ――そうだ。私は、「呪いの刀」とも呼ばれている。
    葵羽はその言葉に、再度動きを止めた。小さく、呪いの刀、と繰り返す。目の前の刀は、その言葉を肯定した。
    ――そうだ。私は、命を奪う。気に入らなければ、の話だがな。
    葵羽は刀を地面に置いた。頭を抱え込む。盛大に息を吐き出した。少しずつ、冷静さを取り戻す。
「……はあ、勘弁してくれ。せっかく転生とやらをしたと思ったら、『呪いの刀』を手にするとは」
    何が来ても驚かない気がしていたが、さすがにこれは驚く。転生して、すぐに命の危機に晒されていたとは思ってもみなかった。今頃、心臓がバクバクと激しく動いている。想像するだけでも、恐ろしかった。
    ――良かったではないか。まだ、生きている。
「他人事だと思いやがって。大体にして、『呪いの刀』と呼ばれる所以はなんだ。説明しろ」
    冬景色は、そう言われてもなお、淡々と説明するだけだった。刀が説明したのは、以下の五つ。
    一つ目。妙な力を持っていること。
    二つ目。この刀は、自身が認めた主と一生を共にし、主が死んだところで、次の主を探し始める。それまでは捨てようが、置いていこうが、必ず主の元へ戻ってくる。
    三つ目。主を決める際は、刀を抜けば、冬景色が自動的に判断し、適正だと思われれば主となり、そうでなければ死を与える。
    四つ目。主以外の人間が、刀に触れれば、即死を与える。
    五つ目。主を乗っ取ろうとする。
「物騒だな」
    葵羽はすべての説明を聞き終わると、そう零した。ため息交じりのその言葉は、やけに重たい。
    「呪いの刀」、そう呼ばれるに相応しい刀だ。捨てても、置いてきても戻ってくるとか、怪談で出てきそうな話である。
    いくつか気になった点があり、葵羽は確認することにした。
「そういや、お前、『呪いの刀』と言う割には、逆刃刀だったな。刀に触れた相手に死を与えるとも言っていたが、矛盾していないか」
    ――何故だ。
「逆刃刀は、峰と刃が逆だ。普通に振り下ろしたところで、斬れはしない。だが、触れたら、死を与えるんだろ。おかしいだろうが」
    普通の刀であれば、振り下ろして刃が当たり、斬れるようになる。だが、逆刃刀はそうでは無い。普通に振り下ろしたところで、打撲等の怪我で終わるはずだ。だが、この刀に触れたら相手は死ぬ。そんな刀があって、いいのだろうか。
    ――刀に触れた相手、とは言ったが、結局私を鞘から抜かない限り、命を奪うことは無い。要は、相手が柄を握って鞘から抜けば、死ぬだけだ。
「……いいのか、悪いのか」
    葵羽は返答に困る。話の内容自体、気持ちのいい話ではない。人が死ぬだのなんだの、この会話は正直に言って早く終わらせたかった。しかし、確認が必要なことも分かっているので、なんとか話を続ける。
「まあ、触れただけで死ぬわけじゃないなら、なんとか戦闘には使えるか。逆刃刀じゃなかったら、少し考えたかもな」
    ――何故だ。
    冬景色は質問してくる。葵羽は迷わずに返答した。
「俺は、人を殺すつもりはない」
    即答されたその言葉に、冬景色は否定してくる。納得がいかないのか、先程より声が低かった。
    ――この世界は、我が主の世界とは違う。戦闘があれば、死ぬこともある。それでも、殺さぬというか。
「当たり前だ。――人が死ぬなんて、二度とごめんだ。自分が死にたいわけじゃねえけど、あんな思いを他人にさせたいわけじゃねえ。……死ぬのなんて、あの一度きりでいい。誰も、死なせたくはない」
    葵羽は刀をじっと見つめた。刀はため息をつく。つい、ため息をつくことはできるんだな、と彼女は感心してしまった。
    ――ならば、私の技はすべて書き換えねばな。
「あ?」
    書き換える?    なんのことだ?
    葵羽は首を傾げた。刀が何を言っているのか、理解出来ていない。だが、刀は特に気にするでもなく、また淡々と告げる。
    ――私の技は、いわゆる殺人剣と言うやつだからな。
「お前、本当に何故逆刃刀なんだ」
    ――私に言うな、我が主。私を作った者に言え。
「あと、その『我が主』っていうの、やめろ。落ち着かねえ」
    そう言えば、刀は黙り込む。葵羽が首を傾げて見せれば、刀は言った。
    ――主の名は、なんだ。
「名乗っていなかったか。樹神葵羽だ、よろしく」
    ――なんと呼べばいい。
「好きに呼べよ。……まあ、葵羽でいい」
    ――ならば、葵羽。これから、世話になる。
「不本意、だがな」
    葵羽はため息をついた。淡々と会話は出来ているが、脳内に直接声が届くというのは、案外疲れる。しかも、理解しなければいけないこともたくさんあった。頭を働かせてばかりで、落ち着く暇もない。
    なんとか話に区切りもついたため、次の質問に切り替えることにした。
「技って言ってたのが、能力のことか?    お前の能力ってなんだ」
    ――私の技は、すべて氷や雪が関連している。技を出せば、相手を凍らすことや、動きを封じ込めることが可能だ。基本的に、人を殺す技だ。
「だから、物騒なんだよ、お前は」
    葵羽はここまでの話で、一つ目的を決めた。この「異世界」とやらで、達成しなければいけないことだと、自分の中で重要視する。
「――決めた」
    ――何をだ。
「この世界でやることだ。俺は、旅をすることにする。お前を、冬景色を封印するために――」
    葵羽の言葉は、静かに冬景色の中に届く。しばし、刀は言葉を失うのだった。



    Ⅳ

    再度沈黙が二人を包む。風だけが、楽しそうに横切っていた。
    冬景色はふーっと一つ息を吐く。長い長いため息だ。それを見ながら、呑気に器用だな、と思った。
    ――何故だ。
「決まっている。そんな物騒な刀、野放しにできるか。俺が死んだら、また相手を探すんだろ?    その次の主を決めるために、何人の人間を犠牲にするつもりだ。お前のために生きているわけではない。だから、お前を封印する」
    ――それを聞いて、私が黙っているとでも。先程言ったはずだ、乗っ取ると。
「それが本当なら、その前にお前を壊す。今、なんの装備もない俺には勿体ないと思うけどな」
    葵羽に迷いはない。真っ直ぐな目は、刀を射抜く。少しぐらい怯むのではないか、と思ったが、刀の予想は外れた。
    冬景色は、格好から主となった人間が女性だとは分かっていた。それでも、話せば男のような口調で、覚悟を決めるのも、決断するのも早い。
    冬景色は、面白いと思った。いや、思ってしまった。この目の前にいる、妙に男前な女性に興味を持ってしまった。
    今までの主とは違う、この新しい主に――。
    ――くくくっ……、はーっはっはっ!
    突如脳内に響いた笑い声に、葵羽は驚く。目を丸くし、目の前の刀をじっと見つめる。
「……なんだ、おかしくなったか」
    ――いやはや、面白い。この私にそこまで言った人間は初めてだ。気に入ったぞ、少女よ!
「いや、『呪いの刀』に気に入られてもな。というか、知っていたのか」
    葵羽は再度目を丸くした。どうやら、刀が自分のことを女だと知っているとは、思わなかったらしい。驚愕している顔に、冬景色はさらに気分を良くする。
    ――格好で分かるだろうに。なのに、私に喧嘩を売ってくるとは、いい度胸がある!
「いや、売ったつもりはない」
    葵羽はことごとくに否定した。それすらも、この刀は楽しんでいる。
    ――お前との旅は楽しそうだ。いいだろう、付き合ってやる。
「よく分からん。封印するつもりでいるっていうのに、何故楽しそうなんだ。……冬景色を理解することは出来なさそうだな」
    ――だが、葵羽よ。私は乗っ取るつもりでいるぞ。それでも良いのだな。
「今更だろうが。どうせ、お前を所持してしまったんだ。避けられねえ事実だろ。……だが、俺は負けねえよ。精神統一には長けているほうだからな」
    ふっと目の前の少女は笑った。それが何故か眩しく感じる。
    冬景色は楽しくなってきた。今までたくさんの人間の手に渡ってきたが、こんなに心が弾んだことは無い。「呪いの刀」として、初めてこの体験をする。
    ――楽しい旅になりそうだ。
「俺は何も楽しくないがな。……ああ、お前の技とやら、教えろよ。ついでに、刀の使い方も教えろ。しばらくはお前を使うことになるだろうからな」
     ――……そんなことを言ってきたのも、お前が初めてだ、葵羽。
    葵羽は何故かこの時、冬景色がくすりと笑ったように感じたのだった。

    こうして、葵羽は不本意ながら、「呪いの刀」を手にすることとなり、それを封印するための旅を始めることにしたのだった。
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