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第三章 武士妖怪、初回の救出

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    Ⅰ

「要、まずはどこに向かうというのだ 」
    走り始めた神鹿は足を止める気配はない。前へ前へとただ進む鹿を見て、吟は声をかける。鹿の背に跨がって、神鹿にすべてを任せてはいるが、何を考えているのかだけは知っておきたかった。走りながら一度ちらりと吟を見た要は口を開いた。
「まずは街へ向かおうかと思います。吟様もずっと森の中にいるというのも困るでしょう。何せ、前世とは違い、人の身となられたのです。今後は食事も睡眠も必須事項となるわけですから」
「……そうであったな」
    吟は要の言葉を聞いて静かに息を吐き出した。正直に言えば、すでに忘れていたのである。
    前世では、実体を持たなかったため、食事も睡眠もろくに取らなくとも問題はなかった。疲れも知らなかったし、体力の温存なども考えたこともなかった。だが、今世はそうもいかない。人の身体となった今、体力の限界もあるだろうし、一瞬の隙が命取りとなる。命取りになる場面は前世でもなくはなかったが、今世はそれ以上に気を引き締めなくてはならない。つまり、以前みたいな無茶はもうできないのである。
「……人の身体というのも、面倒なものだな。しかし、この感覚に慣れねばならぬということか」
    吟は鹿の背に乗りながら、空を見上げる。見上げた空の景色が一瞬にして変化していく中、要は吟へ優しい声音で告げた。
「慣れればそのようなこともないかと。吟様なら、すぐでしょう。ただ、吟様自身が人だということを認識して生きていけば良いのです」
    吟はその言葉に小さく「そうだな」と呟いた。それから、ふと今さらながらに確認してみる。
「話は変わるが、要。我は今何歳になるのだ」
「確か、一八であったかと」
「……若返りすぎではないのか」
    吟は聞き間違いかと思ったが、要の言葉が嘘ではないことはよく理解している。もう聞き返すこともなく、ただ自分の感想を述べた。要はそれを聞いて苦笑する。
「吟様、前世の吟様からしたらそう思うかもしれません。ですが、今世は人の身、そして人の寿命とは儚きものです。吟様が過ごしてきた長き年月の半分にも満たないでしょう。若いに越したことはないかと」
「……なるほど」
    吟は要の言葉に形上頷いて見せたが、正直に言えば納得がいかない部分があった。
    前世では確かに命を絶った。しかし、今世に命を新たに得た吟は、目を覚ますまでの記憶はない。つまり、吟からすれば命を失ってすぐに命を得たようなものであり、ずっと生き続けているような感覚があるのである。年齢は前世と今世で違うにせよ、記憶はしっかりと残っているわけで、しかも姿も話し方も、ましてや声すら変わっていない。
    このままいけば、今後誰かに年齢を聞かれた時、吟は間違いなくこう答えてしまうだろうと思っている。「六〇〇余りと一八年生きている」と。そうなれば、すぐに疑われるに違いない。
    そこまで考えた吟の中に、急に疑問が生じる。目の前にいる要へ再度声をかけた。
「待て、要。我は一八で急に生き始めたと言うのか」
「いいえ。吟様が赤子の姿である時、私が面倒を見ておりました。こちらに転生した際、何かしらの影響が出たのでしょう。吟様の記憶が戻ったのは、つい先ほどでございましたし」
「……よく分からぬ」
    聞くのではなかったと吟は今さらながらに後悔した。考えることを珍しく放棄し、問いかけることもやめる。聞いてもよく分からないというのもあったが、これ以上聞けば聞くほど聞きたくないものまで聞かされそうな気がしたからだった。
    自分が赤子であったなどと、聞きたくないものであるのだな……。
    今までなら知らなかったであろう複雑な感情を、吟は無理やり押し込める。記憶が蘇った今からのことと、前世のことだけ覚えておこう、そう決意して吟は前へと視線を向ける。

    その時――。

    ――遠くで、女性の悲鳴が聞こえた。

    それに吟と要はぴくりと反応を示す。吟は要を呼んだ。
「要!」
「承知いたしました」
    要は頷き、すぐに方向転換する。向かっていた方向から九〇度左へと方向を変え、要は声の方向へと駆け始める。吟は要の動きに合わせて体重を移動させ、振り落とされないように掴まる。
    吟と要は急ぐのであった。



    Ⅱ

    吟と要が走っていたのは、森の道なき道であった。本来の道からは相当外れたため、茂みの中を突き進んでいく。騒がしい方向へと向かっていけば、鼻に微かに臭いが届く。
    これは……。
    吟は顔を顰めた。嗅ぎ覚えのある臭いは、前世でもよく嗅いだもの。特に、戦場で嗅いだその臭いは――。
    また土地が紅に染まるというのか……。
    紅の匂いであると理解してしまえば、吟はギリッと奥歯を噛み締めた。
    前世と今世で状況は違うのだろう。世界も、使える妖術も、何もかもが違うはずだ。それでも、吟は土地が紅に染まるという事実に、嫌悪感を覚えた。
    何故こうも馬鹿しかおらぬのだ……!
「要、急げ!」
「承知いたしました」
    吟は要へ指示を出す。要は嫌な声一つ出さずに、頷いてみせた。駆け抜ける速さを少しずつ上げていく。吟は要に走ることを任せて、自分は気配を探る。すると、妙なことに気がついた。前世では感じなかったものであった。
    ……なんだ、この変わった気配は。
    吟はその気配が人の数ほどあることに気がつく。一つ、二つと時折気配が消えていく中、人の気配とはまた違う気配を同時に感じ取っていた。
    不思議には思うものの、吟はその気配に覚えがあった。
    例えるなら、そう――。

    ――村正のような、気配だ……。

    吟は左手で腰に携えている刀に触れる。ちらりとそれに視線を向け、すぐに視線を前へと戻した。
    村正に宿る気配とはまったく違うが、人や動物のような気配とは違い、何かしらの力が宿っているようなそれ。
    なんというか、妖術に近いような気もするな……。
    吟はその疑問を解消できないまま、その気配を忘れることなく記憶する。要と共に突き進んでいれば、騒ぎの声が大きくなってきた。
「吟様!」
「頼む、要!」
    要の呼びかけに応え、吟は刀の鞘をしっかりと握った。親指を鍔にかけ、少しだけ押して何時でも抜けるようにと構える。
    まだ、抜かない。
    茂みを抜けていけば、いっそう強くなる紅の臭い。その中で男の姿を目視する。数は、数十人。真ん中にある馬車を取り囲んでいるように見えた。その中の一人の男が、吟に気がつく。
「なんだ!?」
「要!」
    男の言葉には反応せず、吟は要を呼ぶ。要はそれを理解し、男たちを飛び越えた。馬車の前に降り立つ要の背から、吟は飛び降りる。馬車の中で人の気配がした。吟は男たちに目もくれず、馬車を開け放つ。中を見れば、そこには一人の少女と、その少女を守るように抱きしめている女性の姿があった。
「……女子おなごか」
    吟の低く呟くような声に、二人はびくりと身体を震わせた。生存者は彼女たち以外、いないようであった。目の前にいる男たちは別である。吟は馬車の中には入ろうとせずに、入口から声をかける。
「……奴らは知人か」
「……」
   少女たちから返答はない。だが、女性が小さく横に首を振った。険しい顔で吟を見ている。疑っているような目付きであった。吟はそれを見てから呟く。
「……そうか」
    吟がそれだけ言えば、背後から何かが飛んでくる。吟はそれを素手で掴んだ。矢である。手に当たることもなく、を掴んだ吟はそのまま力を込めて矢を折る。
    吟は折れた矢を地面に落としつつ、少女たちへと背を向けた。要の背をとんと叩き、小声で告げる。
「要、ここまでご苦労だった。しばらく、女子たちを頼む」
「いかがいたしますか」
「無論」
    吟は刀を抜いて、ギロリと目の前の男たちを睨む。男たちは突然出てきた謎の人物に一瞬怯むが、その中にいるリーダーが声を荒らげた。
「怯むな、行け!」
    その声を皮切りに、雄叫びを上げて吟へと襲いかかって来る数人の男。吟は足に力を込めて駆け出す。前世同様、身体は動いた。寸分の狂いもなく、吟の描いた動きを実行することができた。神速を持つ足が男たちをひらりと避け、一閃を放てば、一瞬で彼らは吹っ飛んでいく。中には、後ろで控えたままだった仲間をも巻き込んでいった。
    身体の重さを感じることなく戦えている。それを体感して思わず吟は動きを止めた。
「……ふむ、これが『すきる』というやつか」
「この!」
    足を止めていた吟の背後を襲いかかって来た男の気配を察知し、止めていた足を再度動かす。男たちを蹴り飛ばし、薙ぎ払い、投げ飛ばして、斬り裂く。それでも、紅に染まることはなかった。どうやら、要の話の通り、村正の力はそのままのようである。
    その時、吟はリーダーが何か唱えているのを視界に捉えた。それによって、あの妙な気配が増していることにも気がついていた。吟はそれを阻止するべく、一瞬で彼の背後へと立つ。
「なっ――!」
    彼が何か言い終わる前に、吟は彼の首に目掛けて一閃を放つ。男はその攻撃をまともに食らって崩れ落ちた。
    吟は全員を倒したことを目視して、気配まで確認してから刀を収める。それから、リーダーである男を見下ろしてふと思う。
    今、こやつの気配が、妖術のような……。
    そう考えていた吟の元へ、要が近付く。
「お見事です、吟様」
「……ひとまず、これで問題はなかろう。奴らの動きを封じておくか」
「その方が良いかと」
    吟は縛れそうなものを探し、それで男たちを全員縛り上げた。俵のように積み上げ、すべてが終わって手を払っていれば、馬車から人が降りてくる気配を感じ取る。
    吟がその様子をじっと見ていれば、女性が降りた後に、少女が降りてきた。その姿に目を細める。
    ……あまり、見た事のない着物だな。
    吟は見慣れない服装に釘付けになっていれば、少女が駆け寄ってきた。その後ろには女性が控えている。吟は次の行動を見ているだけだった。
    すると――。

「あなた、お強いのですね!」

    ――少女が目を輝かせて、吟へ満面の笑みを向けてくる。吟は予想外の出来事に目を瞬かせ、状況を把握しようと必死に頭を働かせるのであった。



    Ⅲ

    拍子抜けしている吟を他所に、少女は言葉を続ける。
「どちらの騎士様ですの!?」
「……我は騎士と呼ばれる者ではない。ただの通りすがりの者だ」
「まあ、そうでしたの!    助けていただき、感謝いたします。それにしても、変わった洋服ですのね」
「……ようふく?」
    吟は少女の言葉に首を傾げた。聞き慣れない言葉だと思っている。
    前世で、吟は基本的に戦場には出向くものの、極力人との関わりを避けていた。そのため、時代が移りゆくにつれて、景色や物が変わっていくのを理解していたものの、名称にはとんと疎かったのである。そのため、吟は着物や和装と呼ばれる服装に関しては知っていたものの、戦国時代以降の服装に関しては詳しくないのである。
「吟様」
    要が吟の背後から近付き、コソリと耳打ちをする。吟はその言葉に耳を傾けた。
「彼女たちが着ているのは、一般的に洋服と呼ばれる服装です。前世でいえば、明治と呼ばれた時代以降見られるようになりました。特に、少女の着ている服は、ドレスと呼ばれており、明治時代の鹿鳴館ではそれを着て皆が踊りを楽しんでいたようです。また、その後ろに控えている女性は、メイド服と呼ばれるものを着ております」
「……難しい単語ばかりだな。それにしても、要。お主、詳しいな」
「メイドとは言わば、お世話係のようなものです。つまり、少女のが身分が高いと思われます。……吟様はあまりこういうことに頓着がないように思われましたので、多少は覚えました」
「……なるほど」
「?    どうかされまして?」
    吟が頭を抱える中、今度は少女が首を傾げる。それから、吟に問いかけた。吟はそれに対して「いや」と返した後、首を横に振る。少女は不思議そうに吟を見ていたが、やがてまた目を輝かせて吟へと声をかける。
「騎士様、お顔は見せていただけませんの?    マフラーまで巻かれておりますから、まったく見えませんわ」
「まふらー……?    ……我は顔を出すことはない。あまり、好まぬ故」
「そう、ですの……」
    吟は単語に首を傾げたが、すぐに首に巻いていた布を鼻先まで隠すように上へ上げた。吟の言葉に少女は残念そうに瞳を伏せたが、そこに女性の声が割って入った。
「騎士様、お嬢様を守っていただき、ありがとうございました。今は何もお礼をすることができませんが……」
「いや、だから我は――。いや、もう良い。……別に礼など不要だ。我が勝手にしただけのこと。礼を求めて行なったわけではない。……それにしても、女子よ。お主は姫君であったのか」
    吟がそう問いかければ、少女はぶんぶんと横に首を振る。
「まあ、姫様なんて恐れ多いですわ!    私は公爵家の娘というだけでございます」
「こうしゃく……?」
    吟は何度目か分からないが、首を傾げる。また分からない単語が出てきた。吟の頭の中で漢字変換をできずにいる。反応できずに固まっている吟を見つつ、女性は声をかけた。
「一つ、ご提案があるのですが」
「……何」
    吟は思わず眉を寄せた。何を言われるのかと身構える。そんな吟の様子に気を悪くすることなく、女性は口を開いた。
「まだ賊がいないとも限りません。できれば、騎士様のお力をもうしばらくお貸しくださいませんか。お屋敷に戻るまで、お嬢様の護衛をお願いしたいのです。すでに、この場には私たちしかおりません。騎士様のお力に頼るしかできないのです。もちろん、お屋敷に着きましたら、その分も含めてお礼をさせていただきたいと考えております」
    吟は黙った。礼が欲しいとは思わない。今までも、これからもそのために動いているわけではないからだ。それに、これ以上、この少女と関わっていいものかと躊躇う。そんな吟に要は囁いた。
「吟様、私たちは一文無しです。ならば、ここで礼を貰っておくのも一つの手です。こちらから要求したわけではございませんし、何ら問題ないかと」
「しかし、要。我は――」
「もちろん、吟様のお気持ちは理解しております。長き年月を共にしているのですから。しかし、吟様、お忘れではございませんか?    吟様は人の身となられたのです。つまり、今後は食事や睡眠のために資金も必要となってきます。貰っておいて損はないかと」
    吟は要の言葉を聞いて、ぐっと詰まった。そうだった、すっかり忘れていたと頭を抱えてしまう。今まではそんなことを考えなくても良かったのだが、それを考える必要があるとなれば、調子が狂ってしまう。吟はため息をつき、それから女性に向き直った。
「……分かった。こちらとしても有り難い申し出だ。それに、ここまで乗り掛かった船でもある。最後まで付き合うとしよう」
「ありがとうございます」
    女性が頭を下げる中、吟は気になったことを口にした。
「……しかし、何故我らをそこまで信用する。会って間もないとなれば、疑われてもおかしくないとは思うが」
    吟はそれが疑問でしかなかった。疑われてもおかしくない状況だというのに、彼女たちは信用して護衛の依頼をしてくるほどだ。しかも、それに対して礼までしてくれると言うのである。
    裏がある、とは思えんが……。
    吟が返答を待っていれば、女性はしばし考えてから口を開く。その瞳に、迷いはなかった。
「馬車の中を確認してから賊に立ち向かって行った騎士様を疑うことなどありません。それに、私たちへ武器を向ける素振りが一切ありませんでしたので」
「……女子に刃など向けぬ。それに、武器も所持しておらぬのだろう。その者へ武器を向けるなど、武士の恥故」
「ぶし……?」
    女性と話していれば、今度は少女が首を傾げる。聞き慣れない言葉であったようだ。その姿を見て、吟は思わず苦笑してしまうのであった。



    Ⅳ

    吟は馬車に要を繋ぐ。馬車の馬は姿がなかった。逃げてしまったのか、はたまた違う要因なのか、理由は分からないが馬がいなければ馬車を引くことはできない。要に代役を頼むとし、吟は手網を握る。
    そんな吟に少女が声をかけてきた。
「騎士様、騎士様のお名前をお伺いしてもよろしいでしょうか?」
「……一青ひとと吟と申す。」
「……?    どちらがお名前ですの?」
「……吟で良い」
「ウタ様!    良いお名前ですね!」
「……そうか」
    吟はそれを聞いて少しだけ表情を緩めた。眼差しが優しくなる。少女はそれを見て、少しだけ頬を赤くした。吟は不思議そうにそれを見ながらも、少女へ声をかけた。
「姫君、危険故、中に入っておれ。そろそろ出立する」
「まあ、姫様ではないと申しておりますのに!    恐れ多いですわ!」
「そなたの名前を知らぬ故。……行くぞ」
「ウタ様!」
    吟は少女へ背を向け、御者の位置へと腰かける。少女は何やら騒いでいたが、女性に促されるまま馬車へと乗り込んで行った。吟は乗り込んだことを確認すると、要へと告げる。
「要、行くぞ」
「承知いたしました」
    吟は要を走らせた。

    ――こうして、馬車は紅に染った土地を後にし、目的地へ向けて走り始めるのであった。
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