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序章 武士妖怪、戦国の世を駆け巡る
しおりを挟む時は、戦国――。
戦が絶えないこの時代、ある一つの噂が飛び交っていた。
それは――。
「戦が起きる土地で、世にも珍しい露草色の髪を持つ見知らぬ男が、疑問を口にする」というものであった。
現に今、一つの戦の中で、ゆらりと青年が突如どこからともなく現れた。気がついた歩兵たちが長い槍を持ち、ぐるりと男を取り囲む。逃げ場がなくなったというのに、男はいたって冷静であった。顔色一つ変えることなく、静かに歩兵たちを睨みつける。眼光が、古代紫の光を放っていた。
歩兵たちは顔を見合わせるが、やがて一人が口を開く。
「……な、何者だ!」
男はそれに答えない。だが、やがて歩兵たちへと問いかけた。
「……何故、戦を止めぬ」
男は冷たい声でそれだけを口にした。歩兵たちは何を言われているのかよく分からずに、顔を見合わせる。そんな中、また別の歩兵が声を上げた。彼は何かに気がついたようであった。
「ま、まさか……!」
「どうした!」
仲間の一人が反応するが、その歩兵は取り囲んだ男をじっと見つめて確認するだけだった。
男は露草色の髪を持ち、それをポニーテールにして長い髪を揺らしている。腰あたりまで伸びている髪は、風によって存在感をより強く放っていた。小袖と長袴は薄墨色で染められており、口元は黒いマスクで覆い隠され表情を読むことも、顔を見ることもできなかった。さらにそれを隠すかのように消炭色の布を首に巻いている。その布はマスクの上にかかり、二重で表情を隠していた。闇の中から見えるのは、古代紫の光。彼の瞳の色なのだろう。怪しく光るそれが、歩兵たちを捉えていた。
男の姿を確認して、気がついた歩兵がわなわなと口を震わせながら言葉を紡ぐ。
「……ま、間違いない。露草色の髪を持ち、疑問を口にする……、噂の通りだ……!」
「噂って……、まさか!」
「いや、だが確かに――」
歩兵たちが話す中、男はそれに触れることなくさらに疑問を口にした。
「この戦に、何の意味があるというのだ」
歩兵たちは顔を見合わせていたが、男のこの言葉には反応した。それは、今行っている戦を全否定されているように聞こえたからだった。口々に言い返す。
「貴様、殿を侮辱する気か!」
「この戦に勝てば、土地が広がり、殿の天下統一にまた一歩近づくのだ!」
「邪魔をするなら、容赦はせんぞ!」
勢いのついた彼らは、槍を構えたまま、男を睨む。だが、男はちらりとそれを見るだけだった。彼らの言葉には何も反応を示さない。肯定も、否定も、何もしないのであった。
そして、次に口を開けば、三度疑問を口にする。
「――自分たちの住む土地を紅に染め上げ、それで満足と申すか」
「何を――!」
「自分たちの住む国だというのに、何故紅に染め染め上げる必要がある。その土地に住むとして、貴様らは満足と申すか」
「き、貴様!」
男は歩兵たちの反応などまったく聞こえていないようで、淡々と告げるだけだった。鋭い視線で彼らを見た。それから、腰に携えていた刀を抜きながら、言葉を紡いでいく。
「――この国を紅で染め上げ、その先に何が待つ。誰かの犠牲の上に成り立つ国に、意味などない。それでも戦を止めぬと言うのであれば、我が止めよう」
「……! こいつを捕らえろ!」
雰囲気が変わった男に、歩兵たちは危機感を覚えた。咄嗟に捕まえようと槍でつくが、それよりも男の動きが早かった。歩兵たちに向けて一閃を放つ。
刀は確かに歩兵たちを斬り捨てた。だが、その衝撃はあれど、土地が紅に染まることはなかった。男は手を休めることなく、次々と歩兵たちを手にかけていくが、土地は一向に紅に染まることはない。むしろ、歩兵たちは呻き声をあげるだけで、息をしていた。
男が手にしている刀は、真剣だというのに――。
一切汚れていない綺麗なままの刃を煌めかせながら、男は歩兵たちを見下ろす。
「我が斬るのは、命に在らず。我が斬るのは――」
男は表情を一切変えることなく、刀を構える。そして、自分の存在に気が付かずに戦を続けている二つの勢力へと視線を向けた。古代紫の瞳が、次の標的を捉える。
「――我が斬るのは、欲に塗れた心のみ」
男は二つの勢力に向かって、駆け始めた。
戦場にて、第三勢力が現れたことにより、場は混乱した。元々戦を行っていた二つの勢力は、たった一人しかいない第三勢力を先に潰すことを考えた。槍や刀、銃が飛び交い、第三勢力を討ち取らんとするが、その男には敵わなかった。ただ、斬り捨てられるのみであった。最初は歩兵、次は騎馬隊、そして大将へと迫っていく。
そんな一人の男の横に、突如一匹の鹿が現れた。その鹿は男の傍で待機しているだけである。男は鹿に飛び乗ると、先ほどよりも自然と速くなる。圧倒的な速さで、数多の兵たちを斬り捨てて行った。
二つの勢力の大将まで討ち取った男は、鹿に乗ったまま、周囲を見渡す。ものの数分で、二つの勢力は第三勢力に制圧されてしまったのであった。
男が介入したことにより、紅に染まった土地は少ないことだろう。男は遥か彼方を見つめながら、倒れている者たちへと告げる。
「――現状を見よ。欲に塗れて他者の命を無下に散らすことが貴様らの所業だというのであれば、我が許さぬ。二度とそのような所業を振る舞えないようにしてやろうぞ」
男は鹿を走らせ、戦場を後にした。
それからしばらくして、噂は大きくなる。
「戦が起きる土地で、世にも珍しい露草色の髪を持つ見知らぬ男が、疑問を口にする。世にも珍しい鹿に乗り、刀を閃かせて戦をことごとく潰すのだ。その男に出会ってしまえば、二度と戦に参加することはない」、その噂はたちまち広がり、全国各地で認識されるようになった。
男は全国各地で、戦が起きる土地に必ず現れた。
突如現れ、世にも珍しい鹿に乗り、この世のものとは思えない男のことを、いつしか人々はこう呼ぶようになっていた。
――武士妖怪、と。
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