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第六章 神守定例会議に参加する
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Ⅰ
それは、冷の一言から始まった。
「すみませんが、来週の月曜日は一日不在となりますので、宜しくお願い致します」
夕食時で全員が集まっている中、冷の言葉が静かに部屋に響き渡る。それに返すのは、反応が早い弁財天だ。
「あら、冷くん、お休み?」
冷お手製の夕飯を口に運びながら質問をする。冷は「行儀が悪いです」と窘めた。弁財天の口は閉ざされ、もぐもぐと咀嚼することに専念される。
「違いますよ」
「えー? じゃあ、何よー?」
「……毎月のことでしょう」
「毎月?」
冷が呆れつつ返答すれば、弁財天は理解していないようで首を傾げた。そのまま視線を彼女が残りの二人に向ければ、その内の一人である、龍神は理解していないようで同様に首を傾げている。
唯一、宇賀神のみが、静かに告げた。
「……定例会議、だよね。冷くん」
「さすがです、宇賀神様」
お茶をのんびりゆったりと飲みながら、宇賀神は頷く。冷が頷いた後、ようやく合点がいった弁財天と龍神がぽんと手を打った。冷はため息をつきたくなった。
「毎度毎度……そろそろ覚えてください、お二方」
「えー、いいじゃない。宇賀神が覚えてるんだし」
「お二方の記憶力は何処に行ったんですか」
「厳しいなー、冷は! はっはっはっ!」
二人が冷の言うことを聞かないことなど、とうに分かっていたことで。それでも、毎回このやり取りをしていれば、呆れてしまう。
月に一度、神守の定例会議が開かれる。冷もこの日ばかりは三人の神様の元を離れて、会議に出席することになっていた。ちなみに、この日は冷がいない、つまり神様を守る役割の神守がいないため、眷属たちは総動員されることになっている。
実は、眷属たちからは定例会議の日は、「休みたくても休めない地獄の日」と称されていた。なんと言っても、頼りになる冷がおらず、神様たちのすべての世話を自分たちが行うということで、気苦労が絶えないのである。冷はそんなことを露ほども知ることはなかったが。
また、この定例会議、今では普通のこととなっているが、自分たちが会議に出るわけではないため、弁財天、龍神の両名は毎度の事ながら忘れている。唯一、記憶力が良い宇賀神のみが覚えており、冷の代わりに二人に教えるという役割を担っていた。今までのやり取りも正直に言えば毎度まったく同様である。
――もっとも、この中で自身の会議も忘れっぽい者が、若干一名いたが。
「あれ? 冷くん、いつも半日だった気がしたけど?」
「ちゃんと覚えていましたね。……今回は移動距離がなかなかにありまして。それと、時雨殿と少し約束があります」
「……たまには、いいんじゃない。一日、ゆっくりしておいで」
淡く微笑んで告げたのは、宇賀神である。実は、三人の神様の中で冷を労ってあげようと一番に考えるのは、宇賀神であった。彼自身、自分たちを支援してくれている冷には大変感謝しているからだ。もっとも、それに加えて、自分が出張する時もそうして欲しい、という気持ちが多少はあるのだが。
冷はその言葉に、多少心が軽くなる。
さすが、宇賀神様。お優しい。
冷は、毎度同様のやり取りで必ず宇賀神が背中を押してくれることを、何となく予想がしていた。恐らく、文句を言う二人がいるということも。しかし、一人でも味方がいるというのは、心強かった。
案の定、二人の文句の声が食堂に響き渡る。
「えーっ! 冷くんのご飯はー!?」
「もちろん、作っていきますよ。休憩用のお菓子も用意しておきます」
「冷だけ出かけるのはずるいぞ!」
「会議だって言ってんだろ。仕事なんだよ」
思わず、龍神に対して口調が崩れる。冷は一つ咳払いをした。
「……兎にも角にも、宜しくお願いしますね、皆様」
不満げな返事が二つ、静かな返事が一つ、冷の耳には届くのだった。
Ⅱ
「それでは、いってきます」
「……いってらっしゃい」
見送りは、宇賀神と眷属たちが数匹。弁財天と龍神が起きてくる気配はまったくなかった。
朝早くに出立する必要があり、冷は起きた後、一応起こしてみることにした。しかし、いつもより何時間も早い時間であったため、やはり断念するしかなかった。
ただ、定例会議の時は、宇賀神は必ず早くに起きてくれた。すでに身支度も終わらせている。見送りをかかしたことがないこの彼に、冷は正直に言えば頭が上がらなかった。自分が出かけるわけでもないのに、早い時間に起きて見送ってくれるということが、嬉しいのと同時に恥ずかしく思えて仕方がない。
「遅くならないようにはしますね」
「……気にしなくて、いいから。道中、気をつけて」
「ありがとうございます、宇賀神様。ご迷惑おかけします」
「……仕事、だからね。……ほら、遅れたら困るよ」
「はい。……いってきます」
宇賀神に背中を押され、冷はひらりと馬に跨った。そのまま走り始める。穏やかな顔で、宇賀神は小さく手を振って見送る。
「……無事に、帰っておいで」
宇賀神の声はあまりに小さく、誰の耳に届くこともなかった。
Ⅲ
今回の定例会議の開催地は、熊野三山で有名な和歌山県である。冷のいる愛知県から和歌山県までは、人間が「自動車」という物を使って、三時間はかかるという程に距離があった。
冷たちは人間が言う「道路」を使う必要は無いが、それでもただ単純に真っ直ぐに行けば良い、というわけではなかった。さらに、冷は馬を走らせているわけである。迂回することは少なくても、馬には疲れが溜まってしまう。結局のところ、時間はかかるのであった。
……こういう時は、人間の考えた「自動車」という物は良いかもしれないな。
冷は馬を休憩させながら、そんなことをぼんやりと考える。しかし、自分がすでに馬での移動方法に慣れているし、それ以外を考えたところで喜ぶ者は限られてくるだろう。弁財天のように人間の世界の物を好む者もいれば、そうではない者もいる。可能か不可能か、そんな話も出てくることになるため、この考えはとりあえず消去することにした。
再度馬を走らせ、島を出てから三時間弱。今回の開催地である和歌山県へ入った。意外と人間の世界と同等の時間がかかってしまう。
今回の開催地は、総督となる神守が和歌山県に在住していることから決まった。基本的に開催地は総督となる神守の在住地に定められる。ちなみに、総督とは、今回の会議を仕切る神守のことで、当番制であった。
「……ここか」
「あらー、冷さん、ようこそー」
冷を出迎えてくれたのは、今回の総督、女性の神守の晴海であった。彼女は、熊野本宮大社の神様、家都美御子大神様に仕える神守だ。ちなみに、家都美御子大神は、「スサノオ」とも人間には呼ばれているらしい。
冷は馬から下りて、晴海に頭を下げた。
「晴海殿、おはようございます。お久しぶりです。今回はどうぞよろしくお願いします」
「冷さんも相変わらずねー、お久しぶりです。評判はよく耳に届いているわー。ここまで来るのに疲れたでしょうー?」
にこやかに笑って話す晴海に、冷も思わず気が緩む。「いえ、」と首を振った。
「大丈夫ですよ。設営等大変ではないですか? 何か手伝うことがあれば――」
「いいの、いいのー。今度は冷さんが担当するかもしれないのよー? 当番制なんだから、気にしなーい。まだ時間もあるし、少し休憩していてー。すでに何人か到着されていて、奥で休んでるわー」
「……では、有り難くそうさせていただきます」
「はいはーい」
馬を指定の位置へ連れていき、手綱を繋ぐ。それから、冷は建物内へ歩を進めた。奥へ奥へと静かに進んでいく。
基本的にこの会議では、神様たちの邪魔にならないように、社を使用することはない。なら、どこを使用するかと言えば、神守が使用している、いわば神守の家である。各々生活場所を開放して使用するのだ。
実は、この会議、定例会議と言われているが、神守全員が参加することは無い。というのも、仕事があって参加できない者やそれどころではない者もたくさんいるし、距離の関係で行けない者というのも中にはいた。なので、意外と狭くこじんまりとしていても問題なかったのである。
ちなみに、この会議のことを、裏では「神守たちが自分の部屋を一番掃除する日」と言われていたりするのは、ここだけの話である。
冷が奥の部屋に着くと、確かにそこにはすでに何人かが集まっていた。各々時間を過ごしている。その中に見慣れた姿を見つけ、冷は歩み寄った。
「時雨殿、おはよう」
「おお、冷殿! おはよう! 先日は大変世話になったな! 主様も大変楽しそうであった! また頼む!」
「いや、こちらこそ世話になったな。開催の件に関しては、承諾しかねる」
「そうか」
時雨は気にすることなく笑った。冷も思わず口元をほころばせた。
二人で会話を続けていれば、突如冷の袴がくいっと引っ張られる。両側から引っ張られる力に、冷は不思議そうに視線を下へと向けた。すると、それにつられて、時雨も視線を下へと向ける。二人の足元には、ちょこんと少女が二人立っていた。巫女のような姿のその二人は、冷や時雨の腰あたりまでの身長である。
時雨は首を傾げたが、冷は顔に見覚えがあった。膝を折って、片膝が地面に着くと、目線が同じくらいの高さになった。
「雪殿、桜殿。おはようございます。ご無沙汰しております」
「……おはようございます」
「……先日はお世話になりました」
「こちらこそ。我が主の我儘に付き合っていただき、ありがとうございました」
冷が頭を下げれば、二人の少女もつられるように頭を下げた。
「……我が主も楽しめたようです」
「……またお願いします」
「それは承諾しかねます」
三人の会話に置いてけぼりをくらった時雨が、ここで口を挟んだ。
「冷殿、この方々は?」
不思議そうに様子を見ていた時雨は、気分を悪くしたわけではなく、首を傾げているだけだ。冷は「ああ」と頷いきつつ、立ち上がった。
「時雨殿は先日お会いしていなかったな。今までの会議でも機会がなかったかもしれない。……時雨殿、こちらは雪殿と桜殿だ。先日の我が主主催の女子会に参加された、石長比売様と木花之佐久夜毘売様の神守なんだ。お二方は双子とのことだ」
「ほう、この方々が!」
冷は少女たちを時雨に紹介すると、今度は彼女たちに時雨を紹介する。
「雪殿、桜殿。こちらは時雨殿。同じく女子会に参加されていた天照大御神様の神守だ」
「……初めまして」
「……先日はお世話になりました」
冷の言葉に、二人の少女は頭を下げる。それに対して、時雨は「うむ!」と元気よく頷いた。
「ちなみに、石長比売様にお仕えしているのが雪殿で、木花之佐久夜毘売様にお仕えしているのが桜殿だ。雪殿が姉君、桜殿が妹君らしい」
「ほう、俺は時雨だ! よろしく頼む!」
「……雪、です」
「……桜、です」
「……申し訳ないが、見分けがつかないな」
時雨はむむむと唸っている。冷は苦笑した。
「大抵先に話す方が雪殿だな。それから、髪留めの飾りが違うぞ」
冷の言葉に、時雨は二人をじっと見た。確かに、前髪に止められている髪留めは、一つは雪の結晶を、さらにもう一つには桜の花を模した飾りがついていた。二人は髪留めにそっと手を添える。心なしか嬉しそうであった。
「……主様が、下さった」
「……とても、大事」
時雨は思わず二人の頭を撫でてしまった。弟のように思っている冷とは、また違った可愛さだった。つい妹とはこんな感じかと想像してしまう程であった。
二人も特に嫌がる気配はなく、されるがままとなっていた。
それよりも時雨が驚いたことは、二人と話す冷の様子だった。普段より幾分か柔らかい雰囲気が、初めて見るものだったからだ。雪と桜が幼く見えるからか、はたまた違う理由なのか――。
……子どもには、優しいのだろうか。
新たな一面を知り、時雨はこっそりと自分の主、天照大御神への土産話として、覚えておくことにする。きっと天照大御神は喜ぶことだろう。兄貴分として、嬉しい思いがあるのも事実ではあったが。
「しかし、二人は各々主に仕えているのだろう。何かしらと大変ではないのか?」
幼く見えるその容姿に、時雨は純粋な疑問をぶつけた。神守として選ばれているということは、それなりの強さがあると分かるが、一人ずつ神様についているとなれば、多少心配になる。
しかし、それはすぐに冷に否定されてしまった。
「時雨殿、甘く見てはいかんぞ。お二方は相当腕が立つ。恐らく、俺たち二人がかりでかかっても、手も足も出ないだろう。雪殿と桜殿は一人で戦っても、相当な腕前だからな」
「なんと!?」
冷の言葉に、時雨は大きく目を見開いた。
実は、この双子、神守の中でも五本の指には確実に入ると言われている程の実力者であった。相当修行を積んだのか、武術に関しては冷も頭が上がらない。一度だけ手を合わせたことがあったが、まったくと言っていい程歯が立たなかった。もっとも、自分の師匠である、俊成以上の実力者にはいまだ鉢合わせたことはなかったが。
「それは凄い! ぜひ、今度手合わせを!」
「……任せて」
「……負けない」
時雨の言葉に、雪も桜も力強く頷く。意外と二人とも乗り気である。
しかし、すぐに二人は視線を冷へと移した。じっと見てくるその視線に、冷は何事かと首を傾げた。すると、再度冷の袴を二人は両側からぐいっと引っ張る。先程よりも強い力に、冷は思わず動揺した。二人は気にせずにそのまま話す。
「……冷さん、お願いがあるの」
「……私たちに料理、教えて」
「……は?」
唐突なお願いに、冷は目を瞬き、間の抜けた声が勝手に飛び出る。何の脈絡もなく言われ、理解するためにも冷は問いかけた。
「また何故急に?」
「……我が主が、この間美味しかったって」
「……すごく、嬉しそうだった」
二人の言葉で、ようやくこの間の女子会で振舞った自分の料理のことだと理解する。冷は再度問いかける。
「いや、しかしお二方だって料理しているのだろう?」
「……負けた、気がする」
「……私も、主に喜んで欲しい」
さらにぐいーっと袴を引っ張られ、じっと見つめてくる瞳に冷は困る。
確かに料理自体は好きだったし、腕は上達したほうだと思っている。しかし、人に教えたことはないし、自慢するようなものでもないと思っていた。純粋に喜んでもらえるのは嬉しいし、褒めてもらえることもある。だからと言って、自分が凄いとは思っていなかったのである。
……断る、べきだろう。
二人に頼まれているからか、気は引けるが、やはり断るべきだと判断した。素直に告げようとした矢先、時雨の言葉が紡がれる。
「うむ、ぜひ俺にも教えてくれ!」
「時雨殿まで……」
「我が主も大層喜んでいたぞ! それに、この間の昼食も美味かった! 俺には無いものだ! 上達できるのであれば、上達したい!」
時雨がにこやかに告げる。時雨の人の良さが分かるその笑顔に、さらに冷は困った。
自分が人に教える立場ではない、というのは今でも分かっている。それでも――。
「……少し、考えさせてくれ」
冷の口から出てきた答えは、前向きなものだった。時雨は満足そうに頷き、双子もこくりと頷いて見せた。
――期待に応えたいと思ってしまった。
しかし、冷は自身が出した答えに後悔はしていなかった。
会話にに一区切りがついた頃、晴海の声が部屋に響き渡る。
――会議開始だ。
基本、神守だけが集まるこの会議は、気軽に行われる。普段神様たちを相手にしているからか、同職の者には皆優しい。冷も例外ではなく、普段より気が抜ける。多少口調が崩れようが、誰も気にすることはない。むしろ、敬語を使わない者のが多かったりする。
――もっとも、冷の場合は、三人の神様が気にする者ではないので、いつも通りと言われてしまえば、それまでなのだが。
会議の資料が手元に配られ、室内に紙をめくる音が響き渡る。各々が目を通し、議題一つ一つを確認して、会議は順調に進んで行った。気になる点や疑問点があれば、随時質問をし、時折意見を交わして解決されていく。
そして、最後の議題に取りかかった。
議題は、「悪魂の件」と記載されていた。
冷は思わず顔をしかめた。
「――急激に増えている『悪魂』。原因はよく分かっていませんが、各自注意してください。特に、女性の神様に仕えている方は」
「……本当に、すまない」
思わず冷は謝罪していた。一斉に全員の視線が、冷へと向けられる。冷は物怖じすることも無く、素直に話し始めた。
「……我が主が、よく悪魂を飼ってしまっている。気をつけてはいるが、以前から女性の神様の間では可愛らしいとの理由で人気があると伺っている。放っておいて良い話ではない。我が主にも再度申し上げておくが――」
「それに関しては、冷殿だけではないだろう。我が主も例外ではない。となれば、俺も謝罪しなくてはいけないだろう。すまないな」
時雨の主である、天照大御神も例外ではなかったらしい。時雨は冷同様、謝罪した。そうすれば、周囲からは「自分のところもだ」、「こればかりはな」と次々と声が上がる。
冷と時雨は顔を見合わせ、苦笑した。
悪魂に関しては、全員が動向に気をつけ、今後何かあれば随時共有するという話で、なんとか収集がついたのであった。
Ⅳ
会議後、皆と別れた冷と時雨は、馬を並走させていた。朝と違ってゆっくりと走らせ、二人は馬上で会話をする。
あれだけ朝に走らせたが、ゆっくりと走っているのもあるのか、馬はまだ走ってくれる。朝の疲れが完全に取れたわけではないだろうに、まだ走ってくれるのがとてもありがたかった。
「悪魂の件、どう思う? 冷殿」
「なんとも言えないな。神様方が匿っている件は先程も言った通り放っておけないが、それ以上に増え続けている気もしている」
「――何か原因があると、そう思っているということか」
「確証はない。……何か、俺たちの知らないところで起こっているのかもしれないな」
冷の言葉に、時雨は重々しく頷くのであった。
途中で茶屋を見つけ、そこに入る。席に着くと、冷は時雨に確認した。
「――して、時雨殿。今回の約束についてだが」
「――うむ。冷殿、ぜひ聞いて欲しい……我が主の可愛らしいところを!」
「また、始まったか……」
冷は生き生きとし始めた時雨を見て、頭を抱えた。ため息が勝手に出てきてしまう。しかし、時雨は気にせずに話し始めてしまったのであった。
実は、時雨は冷に何度も天照大御神の良いところをこうして約束を取り付けては教え続けている。もう何度目か分からないそれは、今や恒例行事になりつつあった。
時雨は本来、自分の主、天照大御神と冷が恋仲になってくれたらどれだけいいかと思っている。少しずつ興味を持ってくれれば、と密かに思ってこれを続けているのである。もっとも、天照大御神にばれたらどうなるかなど、分かったものではないが。
ちなみに、冷は時雨のこれを、「主人好きな発作」みたいなものだと思っていた。正直に言えば、どうしていいか分からないのである。
――たっぷり二時間、話を聞いた冷は、茶屋で時雨とそのまま別れた。馬を走らせ、自分の家であり、仕事場である島を目指す。
冷は馬を走らせながら、盛大にため息をついた。それはもう馬が心配する程である。
「……時雨殿の発作、どうにかならないだろうか」
残念ながら、時雨の思惑には一切気が付かない冷であった。
結局、島に着いたのは日が沈んでからで、冷は馬の世話を眷属たちに任せると、すぐに建物内に足を踏み入れた。眷属たちが半泣き状態だったので、いても立ってもいられなくなってしまったのである。眷属たちを労うことを頭に入れつつ、心配で仕方がない気持ちをなんとか抑え込む。
話し声のする方向へと足を進めていく。普段より早歩きになってしまうが、一刻も早く現状を確認しなくてはいけない。
冷は襖を開ける前に声をかけた。しかし、返事は一向に返って来ない。仕方がないと判断した冷は、ため息をつきつつ、襖を開けながら声をかける。
「失礼致します。ただ今戻り――」
「冷くん、おかえりー!」
どんとぶつかってきたのは、弁財天である。そのままぎゅうっと抱きついてくるのを、冷はため息をついて受け止めた。これが龍神なら恐らく投げていたところだが、さすがに女性だと気が引ける。仕方なしにそのままにしておく。酒の香りをすでに纏っている彼女を確認し、それから部屋の中をぐるりと見回す。
同様に酔っ払っている龍神と、今回は酒に手をつけずに様子を見ていたらしい宇賀神と目が合う。宇賀神はほっとした顔をしていた。
「おう! 冷か、おかえり!」
「……おかえり、お疲れ様」
「……はあ、ただいま戻りました。宇賀神様、酔っ払いの相手ありがとうございました。お二方、それ以上は飲まずにとっとと休んでくださいね。明日からは通常通りですから」
帰ってきてからも、頭を抱えたくなることばかり。冷のため息は尽きることを知らないらしい。口から出てきては空気と混ざりあっていく。
とりあえず、冷はこの賑やかすぎる室内の声を外に出さぬよう、襖を閉ざして封印することにしたのだった。
それは、冷の一言から始まった。
「すみませんが、来週の月曜日は一日不在となりますので、宜しくお願い致します」
夕食時で全員が集まっている中、冷の言葉が静かに部屋に響き渡る。それに返すのは、反応が早い弁財天だ。
「あら、冷くん、お休み?」
冷お手製の夕飯を口に運びながら質問をする。冷は「行儀が悪いです」と窘めた。弁財天の口は閉ざされ、もぐもぐと咀嚼することに専念される。
「違いますよ」
「えー? じゃあ、何よー?」
「……毎月のことでしょう」
「毎月?」
冷が呆れつつ返答すれば、弁財天は理解していないようで首を傾げた。そのまま視線を彼女が残りの二人に向ければ、その内の一人である、龍神は理解していないようで同様に首を傾げている。
唯一、宇賀神のみが、静かに告げた。
「……定例会議、だよね。冷くん」
「さすがです、宇賀神様」
お茶をのんびりゆったりと飲みながら、宇賀神は頷く。冷が頷いた後、ようやく合点がいった弁財天と龍神がぽんと手を打った。冷はため息をつきたくなった。
「毎度毎度……そろそろ覚えてください、お二方」
「えー、いいじゃない。宇賀神が覚えてるんだし」
「お二方の記憶力は何処に行ったんですか」
「厳しいなー、冷は! はっはっはっ!」
二人が冷の言うことを聞かないことなど、とうに分かっていたことで。それでも、毎回このやり取りをしていれば、呆れてしまう。
月に一度、神守の定例会議が開かれる。冷もこの日ばかりは三人の神様の元を離れて、会議に出席することになっていた。ちなみに、この日は冷がいない、つまり神様を守る役割の神守がいないため、眷属たちは総動員されることになっている。
実は、眷属たちからは定例会議の日は、「休みたくても休めない地獄の日」と称されていた。なんと言っても、頼りになる冷がおらず、神様たちのすべての世話を自分たちが行うということで、気苦労が絶えないのである。冷はそんなことを露ほども知ることはなかったが。
また、この定例会議、今では普通のこととなっているが、自分たちが会議に出るわけではないため、弁財天、龍神の両名は毎度の事ながら忘れている。唯一、記憶力が良い宇賀神のみが覚えており、冷の代わりに二人に教えるという役割を担っていた。今までのやり取りも正直に言えば毎度まったく同様である。
――もっとも、この中で自身の会議も忘れっぽい者が、若干一名いたが。
「あれ? 冷くん、いつも半日だった気がしたけど?」
「ちゃんと覚えていましたね。……今回は移動距離がなかなかにありまして。それと、時雨殿と少し約束があります」
「……たまには、いいんじゃない。一日、ゆっくりしておいで」
淡く微笑んで告げたのは、宇賀神である。実は、三人の神様の中で冷を労ってあげようと一番に考えるのは、宇賀神であった。彼自身、自分たちを支援してくれている冷には大変感謝しているからだ。もっとも、それに加えて、自分が出張する時もそうして欲しい、という気持ちが多少はあるのだが。
冷はその言葉に、多少心が軽くなる。
さすが、宇賀神様。お優しい。
冷は、毎度同様のやり取りで必ず宇賀神が背中を押してくれることを、何となく予想がしていた。恐らく、文句を言う二人がいるということも。しかし、一人でも味方がいるというのは、心強かった。
案の定、二人の文句の声が食堂に響き渡る。
「えーっ! 冷くんのご飯はー!?」
「もちろん、作っていきますよ。休憩用のお菓子も用意しておきます」
「冷だけ出かけるのはずるいぞ!」
「会議だって言ってんだろ。仕事なんだよ」
思わず、龍神に対して口調が崩れる。冷は一つ咳払いをした。
「……兎にも角にも、宜しくお願いしますね、皆様」
不満げな返事が二つ、静かな返事が一つ、冷の耳には届くのだった。
Ⅱ
「それでは、いってきます」
「……いってらっしゃい」
見送りは、宇賀神と眷属たちが数匹。弁財天と龍神が起きてくる気配はまったくなかった。
朝早くに出立する必要があり、冷は起きた後、一応起こしてみることにした。しかし、いつもより何時間も早い時間であったため、やはり断念するしかなかった。
ただ、定例会議の時は、宇賀神は必ず早くに起きてくれた。すでに身支度も終わらせている。見送りをかかしたことがないこの彼に、冷は正直に言えば頭が上がらなかった。自分が出かけるわけでもないのに、早い時間に起きて見送ってくれるということが、嬉しいのと同時に恥ずかしく思えて仕方がない。
「遅くならないようにはしますね」
「……気にしなくて、いいから。道中、気をつけて」
「ありがとうございます、宇賀神様。ご迷惑おかけします」
「……仕事、だからね。……ほら、遅れたら困るよ」
「はい。……いってきます」
宇賀神に背中を押され、冷はひらりと馬に跨った。そのまま走り始める。穏やかな顔で、宇賀神は小さく手を振って見送る。
「……無事に、帰っておいで」
宇賀神の声はあまりに小さく、誰の耳に届くこともなかった。
Ⅲ
今回の定例会議の開催地は、熊野三山で有名な和歌山県である。冷のいる愛知県から和歌山県までは、人間が「自動車」という物を使って、三時間はかかるという程に距離があった。
冷たちは人間が言う「道路」を使う必要は無いが、それでもただ単純に真っ直ぐに行けば良い、というわけではなかった。さらに、冷は馬を走らせているわけである。迂回することは少なくても、馬には疲れが溜まってしまう。結局のところ、時間はかかるのであった。
……こういう時は、人間の考えた「自動車」という物は良いかもしれないな。
冷は馬を休憩させながら、そんなことをぼんやりと考える。しかし、自分がすでに馬での移動方法に慣れているし、それ以外を考えたところで喜ぶ者は限られてくるだろう。弁財天のように人間の世界の物を好む者もいれば、そうではない者もいる。可能か不可能か、そんな話も出てくることになるため、この考えはとりあえず消去することにした。
再度馬を走らせ、島を出てから三時間弱。今回の開催地である和歌山県へ入った。意外と人間の世界と同等の時間がかかってしまう。
今回の開催地は、総督となる神守が和歌山県に在住していることから決まった。基本的に開催地は総督となる神守の在住地に定められる。ちなみに、総督とは、今回の会議を仕切る神守のことで、当番制であった。
「……ここか」
「あらー、冷さん、ようこそー」
冷を出迎えてくれたのは、今回の総督、女性の神守の晴海であった。彼女は、熊野本宮大社の神様、家都美御子大神様に仕える神守だ。ちなみに、家都美御子大神は、「スサノオ」とも人間には呼ばれているらしい。
冷は馬から下りて、晴海に頭を下げた。
「晴海殿、おはようございます。お久しぶりです。今回はどうぞよろしくお願いします」
「冷さんも相変わらずねー、お久しぶりです。評判はよく耳に届いているわー。ここまで来るのに疲れたでしょうー?」
にこやかに笑って話す晴海に、冷も思わず気が緩む。「いえ、」と首を振った。
「大丈夫ですよ。設営等大変ではないですか? 何か手伝うことがあれば――」
「いいの、いいのー。今度は冷さんが担当するかもしれないのよー? 当番制なんだから、気にしなーい。まだ時間もあるし、少し休憩していてー。すでに何人か到着されていて、奥で休んでるわー」
「……では、有り難くそうさせていただきます」
「はいはーい」
馬を指定の位置へ連れていき、手綱を繋ぐ。それから、冷は建物内へ歩を進めた。奥へ奥へと静かに進んでいく。
基本的にこの会議では、神様たちの邪魔にならないように、社を使用することはない。なら、どこを使用するかと言えば、神守が使用している、いわば神守の家である。各々生活場所を開放して使用するのだ。
実は、この会議、定例会議と言われているが、神守全員が参加することは無い。というのも、仕事があって参加できない者やそれどころではない者もたくさんいるし、距離の関係で行けない者というのも中にはいた。なので、意外と狭くこじんまりとしていても問題なかったのである。
ちなみに、この会議のことを、裏では「神守たちが自分の部屋を一番掃除する日」と言われていたりするのは、ここだけの話である。
冷が奥の部屋に着くと、確かにそこにはすでに何人かが集まっていた。各々時間を過ごしている。その中に見慣れた姿を見つけ、冷は歩み寄った。
「時雨殿、おはよう」
「おお、冷殿! おはよう! 先日は大変世話になったな! 主様も大変楽しそうであった! また頼む!」
「いや、こちらこそ世話になったな。開催の件に関しては、承諾しかねる」
「そうか」
時雨は気にすることなく笑った。冷も思わず口元をほころばせた。
二人で会話を続けていれば、突如冷の袴がくいっと引っ張られる。両側から引っ張られる力に、冷は不思議そうに視線を下へと向けた。すると、それにつられて、時雨も視線を下へと向ける。二人の足元には、ちょこんと少女が二人立っていた。巫女のような姿のその二人は、冷や時雨の腰あたりまでの身長である。
時雨は首を傾げたが、冷は顔に見覚えがあった。膝を折って、片膝が地面に着くと、目線が同じくらいの高さになった。
「雪殿、桜殿。おはようございます。ご無沙汰しております」
「……おはようございます」
「……先日はお世話になりました」
「こちらこそ。我が主の我儘に付き合っていただき、ありがとうございました」
冷が頭を下げれば、二人の少女もつられるように頭を下げた。
「……我が主も楽しめたようです」
「……またお願いします」
「それは承諾しかねます」
三人の会話に置いてけぼりをくらった時雨が、ここで口を挟んだ。
「冷殿、この方々は?」
不思議そうに様子を見ていた時雨は、気分を悪くしたわけではなく、首を傾げているだけだ。冷は「ああ」と頷いきつつ、立ち上がった。
「時雨殿は先日お会いしていなかったな。今までの会議でも機会がなかったかもしれない。……時雨殿、こちらは雪殿と桜殿だ。先日の我が主主催の女子会に参加された、石長比売様と木花之佐久夜毘売様の神守なんだ。お二方は双子とのことだ」
「ほう、この方々が!」
冷は少女たちを時雨に紹介すると、今度は彼女たちに時雨を紹介する。
「雪殿、桜殿。こちらは時雨殿。同じく女子会に参加されていた天照大御神様の神守だ」
「……初めまして」
「……先日はお世話になりました」
冷の言葉に、二人の少女は頭を下げる。それに対して、時雨は「うむ!」と元気よく頷いた。
「ちなみに、石長比売様にお仕えしているのが雪殿で、木花之佐久夜毘売様にお仕えしているのが桜殿だ。雪殿が姉君、桜殿が妹君らしい」
「ほう、俺は時雨だ! よろしく頼む!」
「……雪、です」
「……桜、です」
「……申し訳ないが、見分けがつかないな」
時雨はむむむと唸っている。冷は苦笑した。
「大抵先に話す方が雪殿だな。それから、髪留めの飾りが違うぞ」
冷の言葉に、時雨は二人をじっと見た。確かに、前髪に止められている髪留めは、一つは雪の結晶を、さらにもう一つには桜の花を模した飾りがついていた。二人は髪留めにそっと手を添える。心なしか嬉しそうであった。
「……主様が、下さった」
「……とても、大事」
時雨は思わず二人の頭を撫でてしまった。弟のように思っている冷とは、また違った可愛さだった。つい妹とはこんな感じかと想像してしまう程であった。
二人も特に嫌がる気配はなく、されるがままとなっていた。
それよりも時雨が驚いたことは、二人と話す冷の様子だった。普段より幾分か柔らかい雰囲気が、初めて見るものだったからだ。雪と桜が幼く見えるからか、はたまた違う理由なのか――。
……子どもには、優しいのだろうか。
新たな一面を知り、時雨はこっそりと自分の主、天照大御神への土産話として、覚えておくことにする。きっと天照大御神は喜ぶことだろう。兄貴分として、嬉しい思いがあるのも事実ではあったが。
「しかし、二人は各々主に仕えているのだろう。何かしらと大変ではないのか?」
幼く見えるその容姿に、時雨は純粋な疑問をぶつけた。神守として選ばれているということは、それなりの強さがあると分かるが、一人ずつ神様についているとなれば、多少心配になる。
しかし、それはすぐに冷に否定されてしまった。
「時雨殿、甘く見てはいかんぞ。お二方は相当腕が立つ。恐らく、俺たち二人がかりでかかっても、手も足も出ないだろう。雪殿と桜殿は一人で戦っても、相当な腕前だからな」
「なんと!?」
冷の言葉に、時雨は大きく目を見開いた。
実は、この双子、神守の中でも五本の指には確実に入ると言われている程の実力者であった。相当修行を積んだのか、武術に関しては冷も頭が上がらない。一度だけ手を合わせたことがあったが、まったくと言っていい程歯が立たなかった。もっとも、自分の師匠である、俊成以上の実力者にはいまだ鉢合わせたことはなかったが。
「それは凄い! ぜひ、今度手合わせを!」
「……任せて」
「……負けない」
時雨の言葉に、雪も桜も力強く頷く。意外と二人とも乗り気である。
しかし、すぐに二人は視線を冷へと移した。じっと見てくるその視線に、冷は何事かと首を傾げた。すると、再度冷の袴を二人は両側からぐいっと引っ張る。先程よりも強い力に、冷は思わず動揺した。二人は気にせずにそのまま話す。
「……冷さん、お願いがあるの」
「……私たちに料理、教えて」
「……は?」
唐突なお願いに、冷は目を瞬き、間の抜けた声が勝手に飛び出る。何の脈絡もなく言われ、理解するためにも冷は問いかけた。
「また何故急に?」
「……我が主が、この間美味しかったって」
「……すごく、嬉しそうだった」
二人の言葉で、ようやくこの間の女子会で振舞った自分の料理のことだと理解する。冷は再度問いかける。
「いや、しかしお二方だって料理しているのだろう?」
「……負けた、気がする」
「……私も、主に喜んで欲しい」
さらにぐいーっと袴を引っ張られ、じっと見つめてくる瞳に冷は困る。
確かに料理自体は好きだったし、腕は上達したほうだと思っている。しかし、人に教えたことはないし、自慢するようなものでもないと思っていた。純粋に喜んでもらえるのは嬉しいし、褒めてもらえることもある。だからと言って、自分が凄いとは思っていなかったのである。
……断る、べきだろう。
二人に頼まれているからか、気は引けるが、やはり断るべきだと判断した。素直に告げようとした矢先、時雨の言葉が紡がれる。
「うむ、ぜひ俺にも教えてくれ!」
「時雨殿まで……」
「我が主も大層喜んでいたぞ! それに、この間の昼食も美味かった! 俺には無いものだ! 上達できるのであれば、上達したい!」
時雨がにこやかに告げる。時雨の人の良さが分かるその笑顔に、さらに冷は困った。
自分が人に教える立場ではない、というのは今でも分かっている。それでも――。
「……少し、考えさせてくれ」
冷の口から出てきた答えは、前向きなものだった。時雨は満足そうに頷き、双子もこくりと頷いて見せた。
――期待に応えたいと思ってしまった。
しかし、冷は自身が出した答えに後悔はしていなかった。
会話にに一区切りがついた頃、晴海の声が部屋に響き渡る。
――会議開始だ。
基本、神守だけが集まるこの会議は、気軽に行われる。普段神様たちを相手にしているからか、同職の者には皆優しい。冷も例外ではなく、普段より気が抜ける。多少口調が崩れようが、誰も気にすることはない。むしろ、敬語を使わない者のが多かったりする。
――もっとも、冷の場合は、三人の神様が気にする者ではないので、いつも通りと言われてしまえば、それまでなのだが。
会議の資料が手元に配られ、室内に紙をめくる音が響き渡る。各々が目を通し、議題一つ一つを確認して、会議は順調に進んで行った。気になる点や疑問点があれば、随時質問をし、時折意見を交わして解決されていく。
そして、最後の議題に取りかかった。
議題は、「悪魂の件」と記載されていた。
冷は思わず顔をしかめた。
「――急激に増えている『悪魂』。原因はよく分かっていませんが、各自注意してください。特に、女性の神様に仕えている方は」
「……本当に、すまない」
思わず冷は謝罪していた。一斉に全員の視線が、冷へと向けられる。冷は物怖じすることも無く、素直に話し始めた。
「……我が主が、よく悪魂を飼ってしまっている。気をつけてはいるが、以前から女性の神様の間では可愛らしいとの理由で人気があると伺っている。放っておいて良い話ではない。我が主にも再度申し上げておくが――」
「それに関しては、冷殿だけではないだろう。我が主も例外ではない。となれば、俺も謝罪しなくてはいけないだろう。すまないな」
時雨の主である、天照大御神も例外ではなかったらしい。時雨は冷同様、謝罪した。そうすれば、周囲からは「自分のところもだ」、「こればかりはな」と次々と声が上がる。
冷と時雨は顔を見合わせ、苦笑した。
悪魂に関しては、全員が動向に気をつけ、今後何かあれば随時共有するという話で、なんとか収集がついたのであった。
Ⅳ
会議後、皆と別れた冷と時雨は、馬を並走させていた。朝と違ってゆっくりと走らせ、二人は馬上で会話をする。
あれだけ朝に走らせたが、ゆっくりと走っているのもあるのか、馬はまだ走ってくれる。朝の疲れが完全に取れたわけではないだろうに、まだ走ってくれるのがとてもありがたかった。
「悪魂の件、どう思う? 冷殿」
「なんとも言えないな。神様方が匿っている件は先程も言った通り放っておけないが、それ以上に増え続けている気もしている」
「――何か原因があると、そう思っているということか」
「確証はない。……何か、俺たちの知らないところで起こっているのかもしれないな」
冷の言葉に、時雨は重々しく頷くのであった。
途中で茶屋を見つけ、そこに入る。席に着くと、冷は時雨に確認した。
「――して、時雨殿。今回の約束についてだが」
「――うむ。冷殿、ぜひ聞いて欲しい……我が主の可愛らしいところを!」
「また、始まったか……」
冷は生き生きとし始めた時雨を見て、頭を抱えた。ため息が勝手に出てきてしまう。しかし、時雨は気にせずに話し始めてしまったのであった。
実は、時雨は冷に何度も天照大御神の良いところをこうして約束を取り付けては教え続けている。もう何度目か分からないそれは、今や恒例行事になりつつあった。
時雨は本来、自分の主、天照大御神と冷が恋仲になってくれたらどれだけいいかと思っている。少しずつ興味を持ってくれれば、と密かに思ってこれを続けているのである。もっとも、天照大御神にばれたらどうなるかなど、分かったものではないが。
ちなみに、冷は時雨のこれを、「主人好きな発作」みたいなものだと思っていた。正直に言えば、どうしていいか分からないのである。
――たっぷり二時間、話を聞いた冷は、茶屋で時雨とそのまま別れた。馬を走らせ、自分の家であり、仕事場である島を目指す。
冷は馬を走らせながら、盛大にため息をついた。それはもう馬が心配する程である。
「……時雨殿の発作、どうにかならないだろうか」
残念ながら、時雨の思惑には一切気が付かない冷であった。
結局、島に着いたのは日が沈んでからで、冷は馬の世話を眷属たちに任せると、すぐに建物内に足を踏み入れた。眷属たちが半泣き状態だったので、いても立ってもいられなくなってしまったのである。眷属たちを労うことを頭に入れつつ、心配で仕方がない気持ちをなんとか抑え込む。
話し声のする方向へと足を進めていく。普段より早歩きになってしまうが、一刻も早く現状を確認しなくてはいけない。
冷は襖を開ける前に声をかけた。しかし、返事は一向に返って来ない。仕方がないと判断した冷は、ため息をつきつつ、襖を開けながら声をかける。
「失礼致します。ただ今戻り――」
「冷くん、おかえりー!」
どんとぶつかってきたのは、弁財天である。そのままぎゅうっと抱きついてくるのを、冷はため息をついて受け止めた。これが龍神なら恐らく投げていたところだが、さすがに女性だと気が引ける。仕方なしにそのままにしておく。酒の香りをすでに纏っている彼女を確認し、それから部屋の中をぐるりと見回す。
同様に酔っ払っている龍神と、今回は酒に手をつけずに様子を見ていたらしい宇賀神と目が合う。宇賀神はほっとした顔をしていた。
「おう! 冷か、おかえり!」
「……おかえり、お疲れ様」
「……はあ、ただいま戻りました。宇賀神様、酔っ払いの相手ありがとうございました。お二方、それ以上は飲まずにとっとと休んでくださいね。明日からは通常通りですから」
帰ってきてからも、頭を抱えたくなることばかり。冷のため息は尽きることを知らないらしい。口から出てきては空気と混ざりあっていく。
とりあえず、冷はこの賑やかすぎる室内の声を外に出さぬよう、襖を閉ざして封印することにしたのだった。
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