藤堂海来探偵社

蜉蝣

文字の大きさ
上 下
32 / 35

第三十二話 三島の童貞疑惑

しおりを挟む
「そう言えば、藤堂海来って言葉のイントネーションが少し違う気がしますね」
「でしょう? でもね、私達が主犯だと思っている渡辺二瓶は、この報告書からだとおそらく関西訛りにならない筈だと思うのよ」と私は言って、安西調査事務所のその渡辺二瓶の経歴を示したページを開いて三島に見せた。

「……そうですね、生まれも東京だし、出身校も全部東京ですね。とすると、関西出身者が仲間として他にいるってことになりますね」
「そういうことになるわ。だから少なくとも、渡辺と雪愛、そしてその関西訛りな男が一人、少なくとも相手は三人以上ってことになるわけ」
「その関西訛りの男が警察関係者なのかウィメンズオフィス関係者なのかはわかんないですけど……」

 すると、私と三島の話を聞いていた漆原が話に割り込んだ。

「……いや、あの男は警察だと思うよ。単なる俺の経験っつーか、印象だけどさ。俺って結構、ナンパとか街中でやってるからさ、たまに怪しいやつだって通報とかされたりで、職質とか受けることもあるんだ。警察の奴らって、他の人間とはちょっと違うんだよね。まぁ大した根拠じゃないけど、俺はそいつは警察の人間だと思う」

 私もなんかそんな気がするんだよね。漆原のスマホだって、奪っておきながらアカウントもパスワードも聞き出さないなんて、ITに弱い警察官って特徴のような気がするし……。

「それとさ、俺も一応こうやって絡んじゃったし、俺にも事件の細かいことを教えてくれないかな? 殴られてムカつくっていうのもあるし、女の子に酷いことしてるってやっぱ許せないし、どうしてそんな事になってるのか俺も知りたいんだけど。ここまで来たら他人じゃいられないよ」

 私は少し前まで泣いていて目を腫らしていた顔を見られたくなくて漆原に対しては背中を向けていたのだけど、漆原のその言葉に真剣さを感じて、座っていた椅子ごと漆原の方に向き直った。

「……そうだね、漆原くんも向こうに顔や名前を覚えられて危険っていうのもあるし、酷い目にもあってるわけだから知る権利はあるよね。分かった、三島くん、そこのホワイトボード、一旦今書いてあるのを写真に記録して、全部消してくれない?」
「了解です。ちょうど僕も、事態がややこしくなってきて整理したいなぁと思っていたところなので――」

 真っ白なホワイトボードを使って、私が解説の司会役を担当した。

「香西雪愛の話をし始めると、三ヶ月以上前のところから話さなきゃいけなくなるからそれはいいわよね? 漆原くん?」
「ああ、それはいい」
「じゃぁ、三週間前から話すわ。ちょうど三週間前ね、この会社に一本の電話があったの――」


 最初は、私の大学の恩師、桑田教授の紹介ということで京極菖蒲が、調査依頼の電話をしてきたことだった。友人の仲西麗華が性行為を強要されていて相手が警察関係者になるけど、依頼は可能か? と。その時点では仲西麗華という女性個人がその警察関係者個人に強要されているのかと思われたが、事務所に来たその仲西と京極の話から、仲西がその警察官、渡辺二瓶という男に脅迫を受けて、不特定多数の男を相手に売春に応じることを強要されているというものだった。それがもう三年にもなるという。
 脅迫の内容があまりに酷く、仲西の家族に危害を加えるというもので、単に脅迫しただけではなく、十歳年下の当時はまだ小学生だった妹を実際に一日だけ誘拐するという実力行使を伴ったものだった。仲西は親友の京極にだけその事実を打ち明け、京極の勧めで警察や弁護士にも相談したが、警察には門前払い、弁護士は警察の名前を出しただけで断られる有様。しかも、仲西自身にかなりの報酬が支払われている事実があるため、訴えたところで、仲西自身が売春防止法違反の犯罪者になるだけで、何らの証拠もない渡辺二瓶らに手は届かないのだという。
 藤堂海来探偵社としても相手が警察関係者と聞いて及び腰になりつつも、それでも最初は依頼を引き受けようとしたが、依頼を受けた翌日、リサーチのために渡辺二瓶の所属する港西警察署を監視していたら、偶然、渡辺二瓶と香西雪愛(実名:竹中真凛)が玄関前で会話しているところを目撃し、その録画データを調べたところ、驚くべきことに仲西の親友だったはずの京極が渡辺側の人間だったことを知る。その事実が判明するのと並行して、仲西が妊娠しているという事実を京極からの相談で知る。仲西は妊娠を京極には隠していた。
 当初は、京極が敵側の人間だと知って、探偵社としてはこの案件は諦めようとしたものの、会話の内容や妊娠の事実を京極が知らせてきたことから判断して、京極は必ずしも渡辺側に従順であるわけではないと考えられた。そして取り急ぎ、仲西がどうやら強制的に出産させられようとしていると判断し、それではあまりに悲惨だから、流産したことにして中絶しようと仲西本人に提案したら、仲西はそれを拒絶。その理由は不明だった。
 他、仲西が自身の妊娠事実を隠していたために、尾行調査を行ったら、妊娠させた相手の男の存在を知ったものの、翌日に藤堂海来探偵社が警察から家宅捜索を受け、仲西の調査をやめろとの趣旨と思われるメモを郵便受けに入れられたり、売春組織の拠点ではないかと思われたウィメンズオフィスを監視、そしてそこに現れた仲西を妊娠させたであろう男を漆原が尾行したら、漆原はその尾行最中に拉致監禁された、と――。


 私が、主に漆原に対して、そのホワイトボードに関係者の写真を貼ったり、説明を書いたり、あっちこっち線で引っ張ってその関係をわかりやすく説明したりしている間に、三島がコンビニに行ってコーヒーを三人分買ってきてくれた。漆原にはお弁当付きである。いつもはいちいち私が三島に指示するのに、指示もなしに買ってきてくれたわけだけど――、もしかして三島は漆原と仲良く出来ると思ったからか?

「うーん、なかなかややこしい話だね。複雑というか、何がどうなってんの? って思ったりもするね。で、杏樹さんは今後はどう進めるつもりなわけ?」
「取り敢えずはね、さっきも話したとおり、仲西の妊娠中絶の方は、京極にお願いしたわけ。私が説得しようと京極が説得しようと内容は同じだし、それなら親友の方が良いと思ってさ。京極は共犯者だけど、どう考えても妊娠の件だけは許せないみたいだし」
「それはそうだろうねぇ。中絶って早けりゃ早いほど良いみたいだし」
「漆原くん、よく知ってるね。相手を、これ、させたことあるの?」

 私は手で、自分のお腹の上に山を描くようにして、漆原に言った。

「ねぇよ。俺は中出し派じゃない。相手が嫌だっつってもゴム着ける派。性病もあるしさ。でもそのくらいの知識もない男がナンパなんかすべきじゃない。三島さんもそう思わない?」

 突然話を振られた三島は、驚いたのか、口にしていたコーヒーを涎のように口の縁から垂らして慌てて袖で拭いた。

「ぼ、僕はその、ナンパなんかしませんし」
「あれ? 三島さんってばそんな優しそうな顔してて、ナマ派なの?」
「いやあの……、そりゃ、ゴムの付け方くらいエチケットとして……」

 あはは、三島のやつ顔がまっかっかだ。三島が彼女を作ったという話は、大学時代からずっと聞いたことがないんだよな。結構モテモテだったのに、不思議な男で、もしかすると童貞なんじゃないかと私も疑っている。

「ゴムはさ、サクッと素早く着けるんじゃなくって、慌てなくていいから――」
「そんな話は良いの。さっきの話を続けると、仲西の妊娠はそれでいいとして、とにかくね、渡辺らの売春組織の証拠をどうにかして見つけ出すこと。それを弁護士先生に持っていけば告訴してくれるだろうし、それが動かぬ証拠ならいくら渡辺が警察の人間だとしてもさ、警察も立件しなきゃならなくなるってわけ。簡単に言えば逮捕だね」
「なるほどね、そういうことか。……動かぬ証拠ねぇ、それって何なんだろうね?」

 そう、それが問題なんだよなぁ……。敵が分かってるのに、その証拠になるものが何なのかがいまいちはっきりしない。仲西の証言だけでは何の証拠にもならないし、渡辺との関係が、仲西の遺失物を担当したってだけじゃね。ウィメンズオフィスがどうやら売春組織の拠点らしいってことは分かったけど、具体的に何をしているのかはさっぱりわからない。内部に潜り込めでもすれば良いのかもしれないけど……、あ、そうだ。

「例えば、ですけど。例えばの話、漆原さんがウィメンズオフィスの女性職員をナンパするとかはどうなんですか? それで内部情報を仕入れるとか」

 意外にも、三島が私と同じ閃きをしたようだった。でも今さっき拉致監禁されてた漆原にそれを言うのは私には躊躇われたんだけど……。

「いや、それはさ、あそこに行った時にすぐに思いついたんだ。監視とか面倒だから、ナンパして、その女に頼んじゃえば良いんじゃないかなぁって。でも、それは無理」
「無理、とは?」
「実はやったんだよ。職員の顔は覚えたから、駅前で何人かの女性に声掛けたんだよ。でも、完全に無視されて声掛けるどころではなかったわけ。あそこの女性は全員、固すぎるっていうかさ、ナンパなんか完全に拒絶モードなんだよね」
「へぇ、漆原さんでも無理な女性っているんですね?」
「そりゃいるさ。ナンパに成功したのは二千人くらいだけど、声かけたのはその何倍もいるんだよ。でもあそこの女は無理だね、それは間違いない。戦略として他には?」

 戦略なぁ……、ないこともないので、一応言っておこう。

「一つは、渡辺の警察勤務状況が分かったから、勤務時間外の尾行や監視をする。流石に勤務してる間は監視は無理だから。香西雪愛も尾行できたら良いんだけど。後は……、あ、漆原くん、今日撮ったって言ってた写真は?」
「ああ、そうだった――」と、漆原はソファーから立ち上がって、私のデスクに近付いた。

 漆原のアカウントにアクセスして、写真を見ると、郊外のような場所で大通り沿いにある六階建てくらいのビルの写真が数枚と、例の男が運転していたという車の写真、これはレクサスISって車種、それから少し離れたところから撮った男の顔写真。

「ばっちりじゃん。この建物は会社だね……、橋本商会って看板が掛かってるけど、この男はここの関係者なんだろうね。よしっ、ともかくこれで仲西麗華の客の一人が割れたってことだ。漆原くん、これは凄いよ。よくやった」
「杏樹さんに褒めてもらえて嬉しいね。……あとさぁ、今思いついたんだけど、ウィメンズの女性職員のナンパには失敗したけど、あそこなら出来るんじゃないかなぁと」
「あそこって?」
「うーん……、反対されるかもだけど、その渡辺って悪党のいるところさ」

 それって、港西警察署の事?
しおりを挟む

処理中です...