藤堂海来探偵社

蜉蝣

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第二十話 鬼ごっこ

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 三ヶ月前に戻る。浮島成海に芝居の手筈を伝えた海来。さてどうなるか。

 私は地下休憩所から一階フロアまで階段を使ってゆっくり上がる。手筈として、浮島成海には一旦、山下建設のある七階フロアまでエレベーターで上ってもらい、そして再びエレベーターで一階まで降りてもらうという寸法。エレベーターは一階ロビーのどこからでもよく見えるところで開くし、待合になってるソファーや椅子が置いてある目の前でもある。

 階段で一階まで上がり、その階段室はロビーの奥なので、そこからそーっとロビーを覗くと……、いるいる。ソファーに座るヤクザが二人。もう一人はこの階段室を出て正面玄関とはちょうど反対側に位置する通路奥の従業員用通用口にいるはず。そして、ビル正面のウィンドウ越しに、歩道には漆原の姿もあるが、私の存在には気付いていない。もっとも漆原には一階ロビーが結構広くて私のいる位置までは見通せないわけだが。ともあれもう一度漆原に電話しよう。

「漆原くん、まだ来る様子はない?」
〈まだだよ。来る方向は分かってるからそっちをじっと眺めてるんだけど〉
「分かったわ。こっちはもうそろそろだから、来たらうまくこっちに誘導してね」
〈了解です〉

 再び階段室からエレベーターの方を伺うと、四基あるエレベーターのうち二基が十階辺りから時間差で降下中。そして、うち一基が七階で停止した。浮島の旦那、あれに乗ったな……。もう一度ヤクザの方を確認すると――、あれ? あの二人はどっちかっつーと若い方の奴らで、すると如何にも兄貴分って感じのあの一番怖そうなヤクザは、通用口の方なのか。ちょっと予定が違うが……。

 そして、そのエレベーターは遂に一階で開いた。すると、三人の男女がエレベーターから出てきたと思ったら……、あれっ? そのまま閉まったぞ? 浮島乗ってなかったのか? くそっ、あいつまさか怖じ気付きやがったか。それは駄目だって何度も説明したのに。降りてこなければ、あのヤクザたちはもっと身内の連中呼んで、このビル探し回ってでも浮島をとっ捕まえるって。……浮島に電話してみよう、……ちくしょう、出ないぞ――、あっ、出た。エレベーターから。

「おうおう、浮島はん、遅かったやないけ。何やっとったんじゃボケが!」

 ロビーにいたヤクザが二人共ソファーを離れて、エレベーターから出てきた浮島成海に近寄った。そのヤクザのドスの利いた声が他には人気ひとけのない、だだっ広い一階ロビー中に響き渡る。浮島もそのヤクザになにか喋ったようだが、私の位置では遠くて何を言っているのか聞き取れない。ただ、エレベーターから数m離れた位置でヤクザを目の前にして、あのセカンドバックを後生大事に両腕で胸の前で抱えて、俯いてじっと立っているのは分かる。……そうそう、そんな感じでまだここを出てはいけない。……ていうかアイツらまだ来ないの?

「なんや? 浮島、さっさと行こか、っちゅうてるやろが。なんで動かへんねん?」
「……」
「こんなとこで、じっと立っててもしょうがないやろ!、はよ歩け!おっさん!」
「……」

 浮島はしかし、俯いたまま首を左右に強く降ったりして、立ったままそこから動こうとしない。……よし、ナイスだ、浮島さん。そのまましゃがみ込んだっていいから、お願い、そこを動かないで、あと少し……。あっ、浮島さんこっちにチラチラ視線送ってるけど……、とりあえずまだ来てないと、私も浮島に分かるように首を振るしかない。……まだかよ、漆原の方を見ると、ビルの外がよく見えなくて様子がわからない。

「あっ、お前なんで座るねん! ええかげんにせえ!」

 よしよし! いいぞ! もっと抵抗しろ! ……あっ、不味い!

「しゃーない、浮島を抱えてでも連れて行くぞ! お前もそっち持て!」

 浮島は二人のヤクザに両側から両脇を抱えられてしまい、とうとう引きずられるようにして、正面玄関方向へ動き出した。不味い! ていうかまだ早いよ、どうなってんのよ? そんなにここまで来るの時間かかるわけ? よりによってこのタイミングでまだ来ないって遅すぎるよ……。どうしよう? やばい。……あと数メートルで玄関自動ドアだ。……あーもう万事休す――、と思ったその時。

 玄関自動ドアが開いたと思ったら、浮島成海、左右両側から抱えられていたヤクザからスルリと抜けると、そそのまま猛ダッシュで玄関とは反対側のこっちに向かってくる!

「こらっ! 浮島! 逃げんな!」
「待てこら!」

 ヤクザも浮島を慌てて追いかけるが、浮島の形相が必死。というかその必死な顔があっという間に大きくなるみたいな感じで、私の方に向かってくる!? 怖いよ! ていうかこっち来んな! ……と、階段室から首を出す私の目前を浮島は通り過ぎたかと思うと、奥の裏口へ通ずる通路へ向かう――、いやそっちも不味いってばさ!

 ――と、追いかけていたヤクザの一人が私の目の前を通過しようとしたので、私は右足をさっと階段室から出して、足を引っ掛けてやった。

「うわっ!?」

 その驚いた声とともに、そのヤクザはドッシーンと見事にすっ転んだ。と同時に浮島の方を見ると、裏口へ通ずる通路直前で壁沿いに右へ曲がって走って逃げている。

「誰や!?」

 とその転けたヤクザがこちらに振り向く直前に私は急いで階段室に隠れて、見つからないよう階段室をその下の踊場まで駆け下りる。……あーもうっ、まだ来ないの? もうあたし心臓バクバクだよ。……転けたヤクザはこっちを探しに来る様子がないので、私は再び一階まで上がって様子を窺う。

 転倒した方のヤクザは、片足を引きずってウロウロはしているが、浮島を追ってはいなくって、もう一人のおそらく一番若い男が浮島を、一階ロビーで追っかけ回していた。これがなかなか面白い。浮島の旦那、逃げるのがうまくて結構すばしっこく、なかなか捕まえられない。時折、それとは無関係の人が何をやっているのか意味がわからない様子でその鬼ごっこを眺めながら通り過ぎてゆく――。

 そんな状況が1~2分くらい続いたのだが、とうとう、浮島は正面玄関付近で追い詰められてしまった。――その時だった。

「おい! お前ら! 一体何をやっている!」

 ……ふぅ、やっと来たか。開いた玄関自動ドアの、その外から三人の警察官が入ってきた。外には二台のパトカーがいる。浮島は、ただ自動ドアの手前に呆然と立っているだけだったが、一番若いヤクザは警察官が入ってきたのを見て、すぐに逃げようとした。が、あっさり一人の警察官に取り押さえられてしまった。もう一人のヤクザは観念したかのように、その場にニヤニヤしながらうんこ座りしていた。私は、状況が収まったのを見計らって、浮島に駆け寄った。

「浮島さん、よく頑張ったね」

 浮島は逃げ回って疲れたのか、ハァハァと肩で息をしている。

「まぁ、なんとか。ヤクザの人を転倒させたの、藤堂さんでしょ?」
「うん、足引っ掛けてやった」
「それで助かりました。ありがとうございます」と、浮島はペコリとお辞儀をした。
「うふふ、見事にすっ転んだよね、あのヤクザ」

 二人のヤクザが後ろ手に手錠をかけられて、私達の前を通って連行されてゆく。そして、一人の警察官が傍にやってきた。

「お怪我はありませんか?」
「は、はい、特には」と浮島はその警察官の言葉に返事したのだけど、どうもまだおどおどしているようなので、私は浮島を落ち着かせようと、背中を軽く叩いてやった。
「では、もう1台パトカーが来たら、そちらの方に同乗戴いて、警察署の方で事情をお伺いしたいのですけどよろしいですか?」
「あ、はい、構いません」
「では、それまでここでお待ち下さい。それと、そちらの女性は関係者の方ですか?」
「あ、あたし? ……まぁ、一応は」
「そうですか。では、あなたも後でご同行願いますね。一旦失礼します」

 そう言って、その警察官は私達から離れて、外のパトカーの方に向かっていった。

「ほんとに、ありがとうございます、藤堂さん」
「いや、いいって。まだ警察にもいかなきゃだし……」

 ……しかし、気になる。もう一人のあの一番偉そうなヤクザはどうなった? まだ裏口に? あと漆原は何処に行った? 外を見ても何処にもいる様子はない。漆原はいいとしても、あの兄貴分を残すと良くない。浮島が警察署に連れて行かれて、出てくるのを待ち伏せされたらまた捕まってしまう可能性が……。弱ったな、これじゃ完全に計算外だ。……あれっ? あれは――。

 ふと、従業員通用口のある通路の方に視線をやったら、……ヤクザの兄貴分がこっちに来るじゃん? なんで?

「おぅ、浮島はん! 遅すぎるやないか! 何やっとんねん? で、あいつら何処いった?」

 あらら、飛んで火に入る夏の虫て、この事だな。ちょうどいいタイミングで、また警察官こっちに入ってきたし。私はその警察官に、あのヤクザの兄貴分も仲間だと目で合図を送った。すると、あっけなく兄貴分も捕まった。その兄貴分が外のパトカーに連行されていくと、奥の通用口通路の方から漆原がこっちへ歩いてきた。

「藤堂さん、うまく行きましたか?」
「うん、バッチリ。ていうか漆原くん何処に行ってたの?」
「いや、一番怖そうなヤクザさんが裏にいるままんじゃ不味いかなと思って」
「あら、そうだったんだ。漆原くんも気がついてたんだ」
「それで、警官を外から中に「あそこで男がヤクザに襲われてます」って、案内した後、裏に回ってその怖そうなヤクザにも言ったんですよ。お仲間さんが中で大変なことになってますよって」
「えー、やるじゃん漆原くん。凄い凄い、そこまで気を回してくれたんだ」
「任せて下さいって。こう見えても伊達に実業家やってませんからね」

 そう言って自信満々ぽく自分の胸を叩く漆原。実業家と何の関係があるのかよくわかんないけど、漆原の機転には助かった。実際あの兄貴分が捕まってくれないと、この寸劇も意味がなくなってしまいかねなかったから。

「浮島さん、これで後は証拠がしっかりありますから、もう大丈夫ですよ」
「えっ? 証拠ってなんですか?」
「今日、ホテルで浮島さんがあのヤクザに恐喝されているところは全て録音してありますから。お金は取られてませんから恐喝未遂罪になると思いますけど、これって十分刑事事件ですから、当分はあのヤクザさん達は社会には出てこれません」
「ほんとですか? よかったぁ。ほんとにありがとうございます」

 そう言ってまた浮島さんは何度もペコペコお辞儀をする。

「まぁまぁ、そのくらいにして。ただ、奥さんにお願いして欲しい事があるのですが……」
「はい、何でしょう?」
「今回の件で、もうちょっとだけ経費請求させていただけたらなぁと……、お願い出来ます? うちも貧乏会社なんで」
「もちろんです。妻が渋ったら私からお礼も含めてお支払させていただきます」
「それはほんとに助かります。帰ったら、奥さんにしっかりお詫びなさって下さいね。私からもあの女に騙されていたことは、報告書にもしっかり書かせていただきますので」

 そして、三人のヤクザを乗せた二台のパトーカーが現場を離れた後すぐに、私達を警察署まで乗せていってくれるパトカーが到着した。そのパトカーの後部座席に私が乗ろうとしたその時だった。何処かから見られているような、殺気のような何かを感じて、辺りを見渡したら、道路を隔てて対面にあるカフェに見覚えのある顔を見つけた。香西雪愛だった。

「杏樹さん、乗らないの?」と先に乗り込んだ漆原が言う。

 あんたの目論見はこれで消え去ったね、とばかりに私はほくそ笑んで雪愛に視線を送った。気分は最高だったな――。

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