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異世界にて……

5.抑えられぬ興奮(後)

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『柔道に対して、そこまで強いイメージを持ってる人は少ないのではないだろうか?  現実にも、今日の格闘技では柔道家をみることはまれだろう。柔道は弱い。それも一つの事実であろう。しかし、着衣の状態であれば、それは覆される。もし、今目の前に打撃を捌くことのできる柔道家(元は当て身技もあった)が現れたら勝てるだろうか?  また、今自分たちがいるのはどこだろうか?  フローリングやコンクリート等、硬い場所であればろくに受け身の取れない素人などは、すぐに終わってしまうだろう』

「シャアッ」
   木村が叫ぶ。
同時に、私たちの間の空気が、張りつめる。
   左ジャブのフェイント……
   私は、思い切り踏み込み、下段回し蹴りをはなった。
   柔道での攻防において、中段よりしたは無いと踏んだからである。
   しかし、木村は半歩踏み込み、踵をあげ、打点をずらして威力を軽減した。およそ打撃に精通していなければできないテクニックである。
   脚には、彼の筋肉が伝わる。
   体重を乗せきった蹴りにより、私は完全に無防備になってしまった。
   しかし、木村は組みつくこと無く、距離をとった。そして、静かに言った。
「柔道を使うことになったこの俺に、まだ拘りを貫き通すか?   別もつかえるんだろう?」
   どうやら、見透かされたらしい。
「ならば、見せてやろう……」
   私は構え直す。
   少し、特殊な構え……
   相手が日本を代表する組み技系格闘技グラップリングならば、こちらはこれでいってやろう。
   ‘合気道’
「合気道か?  時代錯誤もいいところだ。そんなもの、役に立たんだろ」
   木村は嘲るように言った。
「確かに時代錯誤かもしれんな。危険すぎてつかえないと思っていた。スポーツ合気とは一線を画す、古武術としての形を残した合気道……」
    合気道と柔道、実践においてはどちらも相手の攻撃を捌いてからの技が有効だろう。
   カウンター後の先狙い同士が対峙し、無同の時間が続く……
   木村が袖を取りに来る……
   私はその手を捻りあげ木村を地面に伏せる。
   しかし、反対の手で服をつかまれた私は木村と同時に地面に叩きつけられる。
   すかさず木村は寝技にうつろうとする。
   私は木村と距離をとるように回転しながら起き上がり、それを阻止する。
   一瞬のグラウンド、それにもかかわらず、私と木村の身体は各所から出血していた。
   木村は立ち上がると、すぐに掴みにきた。
   意表をつかれた私は逃れようとして、つい重心を浮かせてしまった……
「ガッ、グッフゥ」
   一瞬……であったのかどうかもわからない。自分の鈍い声と同時に強烈な衝撃が身体を突き抜ける。

『木村は、タックルを潰され、出血してしまった。また、両者はほんの少しのグラウンドで身体の各所を出血している。これは、地面を考えれば当然の結果である。今から外に出て道路をみてほしい。マットが引かれているだろうか?  それとも畳だろうか?  恐らく、ほとんどの場合、コンクリートもしくは砂利であろう。次にそこで寝転がってほしい。そして、暴れてみてほしい。痛くてできたものではないと思う。リングの上では頼もしい決め手となる寝技であるが、路上でそれを使うことは難しい場合が多い。逆もある。柔道はコンクリートでは無類の強さを持つ。硬い地面に叩きつけられたことがある者なら容易に想像ができるだろうが、その痛み、衝撃は形容しがたいものだ。異種格闘技戦においては、地面というものは非常に大きい要素となる』

「ハァハァ、」
   木村は息をきらしている。
   タックル及び寝技での出血、捻られた腕の酷使、ダメージは思ったよりも大きいようだ。
    疲れからか、すぐに私から離れる。
   しかし、私の問題はそれ以上であった。身体が、重い。
   硬い地面に叩きつけられた身体には激痛が残っている。
   なんとか、立ち上がる。
「ぜぇぇぃやぁぁぁ」
   私は、自らを鼓舞した。
「チッ」
   舌打ちと共に木村は力無く構える。
   満身創痍の私たちには、最早、相手の出を窺う余裕はなかった。
   木村が掴みに来る……
   私はそれをかわし彼の頭に手を掛け、撫でるように手を動かし、頭から落とす。
    現代合気にもある、極めてメジャーな技の一つである。
   しかしながら、現代のスポーツ合気のそれではない。
   人を殺める事を目的とした古武術としての技である。
[ガゴンッ]
   鈍い音と共に闘いは終わった。
   木村は気を失った。

『格闘技は、他のスポーツと比べても特に危険であることは言うまでもない。リングに上がれば、スポーツマンシップなど、気にする余裕はないことが多い。そして、路上においては特にそうだろう。共に汗をかいて血を流し、爽やかに終了など不可能に等しい……』

   私は周りを見渡す。そこには智弥子とマスの姿はなく、人の気配は皆無だった。
   しかし、しばらくすると続々と人が出てきた。
   そのなかには智弥子の姿もあった。
   彼女は私に向けて嗚咽混じりに話した。
「ありがとうございます。お陰でマスさんは助かりそうです。私の愛する人を……」
   他の人からも感謝をされた。
   どうやら、実力がものを言う世界というのは嘘ではないようだ。

   私は成り行きである道場に泊まらせてもらえることになった。
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