雨の中の女の子

西 海斗

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第四話 過去、そして対決

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 意外にも父の声の調子はいつもと変わらなかった。
 激怒や驚きなどの感情を感じない声だった。
 背後を取られている訳にはいかない。水月は振り向いた。
 父は驚いたことに、薄笑いを浮かべていた。
 (父さんには心が無いのか?)と水月は、何を口にしたら良いのかが分からず、とっさに口ごもってしまった。

 水月の父は、そんな水月を見下ろしながら、興味津々と言った様子で「どこまで見た?」と聞いた。
 この質問にすら、何か罠が仕掛けられているかも知れない。
 再婚家庭とは言え、今まで普通の親子関係を続けて来た相手が、小児性加害者であることが分かり、明日香の自殺とも関係があり得る。
 迂闊に答えることは、死を意味すると水月は感じ、慄然としていた。震えが止まらず、何も答えられない。

 父は水月の様子を見て、状況を察した様だった。
「なかなかに素晴らしい映像だったろう?」と聞いてきた。

 (素晴らしい? 一体何が?)水月は言葉の意味が全く分からなかった。
 「あの神の子達が、敬虔な信者の子たちが、進んで私に身を捧げて、悦んでいる様子。それを水月はよく見たはずだが。彼女たちの心の悦びの声も聞いただろう?」
 
 水月の頭の中で、おぞましい考えが1つの線でつながった。父はおそらく、父と性行為をしている子どもたちが叫んでいる悲鳴を、おそらく快感のあまりに感じていると考えている。
 人間は自分に対して嘘をつくことはストレスになる。そのため小児性加害者は、自分のやってる行為を強引に正当化する。彼らにとっては子どもたちの苦しみは、子どもたちの快楽の表現であり、子どもたちが逃げられないのは、子どもたちが自分を受け入れてくれていることの証明となる。
 現実を自分の認識をゆがめることで、自分にとって都合の良い現実として受け入れる。これを認知の歪みというが、この時の水月がこの言葉を知るはずもなかった。
 ただ、言葉は知らずとも、水月は父が異常であることは十分に分かった。

 「水月」
 父はねっとりとした口調で言った。
「水月の母と結婚し、水月を娘として迎え入れたのはね。私の肉体を通して、神の愛を水月にも受け入れてもらうためだったのさ。水月も美しく成長した」

「まさか……」
 水月の中で、結婚後に急すぎる母の原因不明の事故死が思い出された。あれも父が仕組んだことだったとしたら。生きていれば母は水月を守ろうとしてくれたはずだ。

 おぞましさと恐怖に思わず、我慢していた吐き気が抑えられず、水月はその場に吐いてしまった。
 父はその様子を見ながら、「だれでも初めはそうだ。神の愛を受け入れるのはなかなか常人には理解しがたい」とつぶやき、「でもじきに分かる」とカバンに手を入れた。
 父は、カバンの中から、鞭を取り出した。革製の長い2メートルはあるような丈夫な鞭だった。それを広げて、床に叩きつける。映画であれば快音だったかも知れない。
 しかし水月にとっては、これから何が始まるのか、理解できないままに、恐怖が増大していく。

 父は鞭の使い方になれているらしく、右手を素早く振るい、鞭の先端部分は、水月の制服のスカートの下の素足の左足に直撃した。
 「あああ!」
 今まで感じた事がない酷い激痛だった。皮と肉が裂け、水月はとても立っていることが出来ずに、片足をついてしまった。
 足が吐しゃ物についてしまったが、そんなことはどうでも良い痛みだった。
 「酷いよ……痛いよ……」
 涙がボロボロと出てくる。なぜ自分がこのような目に合わなければならないのだろうか。
 父は、もう一度鞭を引き寄せると、今度は真上から振り下ろした。鞭の軌道は水月の左肩から背中、お尻にかけて直撃した。
 水月は痛みのあまりに絶叫を上げた。
 次に父は右の脇腹から背中にかけての軌道で、水月を鞭打った。
 「……」水月は激痛のあまりに、気絶し、そのまま前に突っ伏す形で倒れた。
 
 父は満足そうに微笑むと、そのまま水月を抱えて、自分の部屋に連れて行った。

 水月の最期は、体を縛られたまま、性行為の時に首を絞められたことによる窒息死だった。
 性行為の痛みで意識を取り戻していた水月が、最後に見たのは、下品な笑いをしながら行為に及ぶ、父の曇りなき眼だった。

 人間は死ぬ時に、今まで生きて来たことを走馬灯のように思い出すと言われるが、この時の水月もそうだった。
 生まれる前から、母のお腹にいる時から、実の父親によるDVを受けた。ずっと実の父親から母に振るわれるDVを見て育ってきた。
 それでも唯一味方になってくれた母は、今の父におそらく殺されてしまった。
 友人の明日香も、父のせいで死んだ。
 水月は正直なところ、子どものころから、ずっと死にたかった。生きていれば何か良いことがあるなんて、ただの絵空事だとずっと感じていた。
 自分に幸福な未来があるなんて、想像すら出来なかった。幸福に見えてもそれはなにか大きな絶望を私に味合わせるための、舞台装置みたいに感じていた。
 あっけなかったな。ごめんね明日香。せっかく手がかりを送ってくれたのに。何も生かせなくてごめん。
 お母さん、明日香、敵とれなくてごめんね。許してね……。

 涙が一筋流れて、水月は酸欠で息を引き取った。

 父は水月が死んだのを確認すると、夜になるのを待って、犬が掘り返さない様に新興宗教施設の庭に深い穴を掘り、水月の遺体をバスタオルで撒いてそこに埋めた。
 そして警察に、水月の捜索願いを出したのだった。
 これが3日前の出来事だった。





 
 そして今、自力で地中から脱出した水月は父と対峙している。
 
 父は、憤怒の表情からため息をつくと、普通の表情に戻った。そして神妙に反省しているような口ぶりで話し始めた。
 
 「なあ水月。お前の首を絞めてしまったことは、本当に悪いと思っているんだ。首を絞めると女性器も締まり、神の愛というものを伝えやすくなる。あれはお前に愛というものを理解して欲しいための行動だったのだよ」
 父はそう言いながら、バックをおろし、水月に近づく訳でななく、クローゼットの方に近づいた。
「分かった水月。お前が嫌なら性行為もやめよう。お前はまだ神の愛を理解するには若すぎる。もう少し我らの宗派のことをよく学んでからでも遅くはない」

 (こいつ、何を考えている?)と水月は警戒しながらその行動を目で追った。
 
 父はクローゼットを迅速に開けると、そこに隠されていた鞭を取り出した。
「この痛みは知っているだろう? 水月。今から行われるのは懲罰だ。神の教えを冒涜したということに対するものだ」
 父は口角を上げて、歯をむき出しにし、残忍な笑顔を隠そうともしなくなった。

 水月にしてみれば、鞭は恐怖の対象だった。
 鞭は棒など比較しても、よけることが非常に難しい。下手に棒などで防いでも旋回して肉体に当ってしまうのだ。

 風切り音を鳴らして迫る鞭を、どうにか目の前で水月はバックステップしてよけた。
 「?」父としては意外だった。今まで鞭による攻撃を避けた者などいなかったからだ。

 そのまま水月は、リビングダイニングにダッシュする。広い空間より狭い空間の方が鞭は使いにくいと考えての行動だった。
 走りながら水月は、下腹部に力が集まっていくのを感じる。力が集まるのと同じくして、呼吸が整い、集中力が増してくる。

 父は意外だった。水月があの生き埋め状態から脱出出来たこと自体が奇跡だ。それに水月は3日間ろくに何も食べていないのになぜあれだけ動けるのか。
 
 10畳ある、シーリングファンがあるリビングダイニングに水月は入り、振り返る。
 先ほどの玄関ホールよりは狭いとは言え、鞭が使えない場所ではない。

 父が鞭を使おうとした矢先、椅子を水月は両手で持ち、父の顔面に投げつけた。
 木製の椅子は顔面に直撃し、父の鼻を折り、鈍い音を立てて落下する。
 水月は決して運動神経の高い女子ではない。その女子にしては驚異的なスピードとパワーだった。

「殺してやるぞ……激痛を与えて、犯し続けてやる。気が狂う程にな……」
 父はとめどなく出る鼻血を手で拭いつつ、醜い本性と表情を露にした。
 以前の水月だったら、震えあがっていただろう。

 しかし水月は、落ち着いていた。
 父の振るう鞭が水月を襲う。顔面狙いだ。
 しかしその鞭は、予想外に軌道を変えて、天井で回っているシーリングファンに巻き付いてしまった。
 シーリングファンに巻き付いているから、上方向に鞭は引っ張られる。
 父は思わず鞭のグリップから手を離した次の瞬間、グリップをつかんだのは水月だった。既にそこまで接近していたのだ。
 そのまま迅速に父の首に鞭を巻き付ける。

 シーリングファンに引っ張られる鞭の先端。
 そして鞭が巻き付いたままで、シーリングファンに引っ張られて空中に浮かぶ父。
 首吊りの状態になり、暴れようとしたがよけいに首が締まる。呼吸困難になりながら、「助けてくれ……」と回転しながらかすれ声でいう父は、5分もしない内に酸欠で死亡した。
 死亡してもシーリングファンの回転でくるくる回っているその姿は、水月にとって滑稽ですらあった。

 「あの世に行って懺悔してきな。母さんや明日香。苦しめて騙してきた皆に」
 
 水月は冷徹に言い放った。その声には長年の恨みを晴らせた安堵と、帰らない人たちへの悲しみがこもっていた。
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