雨の中の女の子

西 海斗

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第46話 決戦開始10

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 叔父は狡猾だった。父と兄。母と妹2人が死に、東京大空襲で火傷も負った加奈子を入院させた。
 医者を金で買収し、加奈子を知的障害者にしたてあげ、財産の管理を後見人として引き受けることにした。
 そして加奈子は、睡眠薬で眠らされたまま、女郎部屋に売り飛ばされた。
 叔父としては、加奈子を女郎部屋に売り飛ばす事で大金を得たこと。
 そして加奈子が女郎部屋での過酷な環境の中で死んだ場合、財産管理をしている後見人の自分が相続人となることを叔父は考えていた。
 戦争が終わり、空襲が無くなれば土地は不動産として価値が残る。
 東京の上野であれば、高く売ることも出来るし、投資としても価値がある。
 世の中の先の事を考え、加奈子の命や人権など全く考えない、叔父の考えだった。

 加奈子が目覚めたのは、桔梗屋ききょうやという特殊飲食店だった。桔梗屋ききょうやは遊郭の流れで出来たいわゆる公娼制度に守られた、政府公認の女郎部屋だった。
 
 最初は状況を全く理解出来ない加奈子に告げられた事実は、あまりにも残酷なものだった。
 ここで自分が売られた金額を、働きながら返すと10年は掛かることが分かった。
 加奈子に残っている記憶は、父と兄の死。母と妹2人が焼け死んだこと。ふらふらになった自分を叔父が助けてくれたことだった。
 最後の記憶に残っている叔父が、加奈子を金儲けのための生贄としたことを知った時、加奈子は発狂しそうになり、あまりの理不尽さに叫んだ。
 桔梗屋で売られたことを告げた番頭は、男衆を呼び、加奈子の手足を縛って拘束した。
 番頭は角材で加奈子の背中を殴打した。
 激痛でのたうちまわる加奈子を番頭は踏みつけると、「ぎゃあぎゃあわめくな、おめェの様な女はたくさんいる。いちいち泣き言言わずに、前を見て生きろや。それでおめェ、処女なのか?」

 加奈子には男性経験は無かったが、黙っているとまた殴られると考え「処女です......」と答えた。
「それなら俺が、みっちり女郎のやり方ってのを教えてやるからよ。お前の様に顔も綺麗。体つきも男をそそるような女なら、たちまち桔梗屋の看板になるだろうよ。まあ頑張れよ。もしかしたらどこかの金持ちがお前を身請けしたいと言って来るかもしんねェしな……」

 そう言って、番頭は加奈子の服を強引に脱がせると、女郎のやり方を徹底的に仕込んでいった。
 好きでもない男に犯される、加奈子にとっては耐え難い屈辱だった。


 それからが、加奈子にとって、毎日が地獄だった。
 いや、全ての女郎にとっても、毎日が地獄だっただろう。
 江戸時代の遊郭で身売りする少女たちの寿命が19歳だったと聞いた事があったが、ここも大して変わらないのではないかと、加奈子は感じた。
 敗戦後の食糧難ということもあり、食事は一日一食。下手をするともう傷んでいるような握り飯とみそ汁だけだった。
 桔梗屋には同じような戦災孤児が、たくさんいた。
 誰も好きでこのような仕事をしてはいなかった。
 梅毒でおかしくなってしまうような女郎。
 誰が父親か分からない子を妊娠してしまい、堕胎が上手く出来ずに死んでしまった女郎。
 処女なのに、いきなり客を取らせて、それが原因で自殺してしまった女郎。
 
 加奈子は、そんな中で何とか生きてはいたが、10年後に開放されるまで、自分が生き残れる自信はなかった。
 しかし、加奈子の美貌や妖艶さに、加奈子を指名する客は増えていった。
 
 客は増えたが、戦地から帰って来た兵士は、気が荒く、加奈子に対して暴力を振う者が多かった。
 日本軍の特徴として、下級兵士が上級兵士から人間として扱われないことがある。下級兵士の人命があまりにも軽いことも同様である。
 人間は非人間的な扱いを受けた場合、それに対して反逆するか、より弱い者を痛めつけて自尊心を保つか、この2つのパターンになる。
 戦地から帰って来た夫が、戦争に行く前は穏やかな人だったのに、帰ってきたら人が変わったような暴力夫になってしまったとは良く聞く話である。
 まして女郎という人権すら認められていない女性にたいして、帰還兵がどのように振舞うのかは、火を見るよりも明らかなことだった。

(もう本当に疲れた……)
 殴られた顔を冷水で冷やしていると、化粧係りの女中が飛んできて、次の客が待っているからとその部分に厚化粧をした。のんきにしていたら、番頭に殴られてしまうと忠告してくれた。
 何なのだろう。私は一体なんのために生きているのだろう。
 加奈子はそれが分からなかった。
 だが同時に、自分をこんな目に追い込んだ叔父。叔父だけは許せない……。
 叔父に対する復讐心。それがどうにか加奈子を支えていた。

「番頭さん……すいません。顔も、体中が痛くて、あのお薬、また打ってもらえますか?」

 番頭は加奈子から薬をねだられ、少し考え事をしたあと、奥から薬をもってきて、加奈子の左腕に注射した。

 いつの間にか、加奈子の左腕には、注射器の跡が、20個は出来ていた。
 この薬を打つことで、どんなに疲れていても、加奈子は元気を回復することが出来た。
 体の痛みも軽くなってきた。性器の痛みも我慢出来た。
 常連客が増えたのと、横浜港に帰国した船が来た時には、一番多い人数で、一晩で50人の相手をしなければならない日すらあった。
 もう、加奈子は正気ではやっていられなかった。

 そして加奈子は徐々におかしくなっていった。
 聞こえない筈の声が聞こえたり、殴られた記憶が頭から離れなかった。
 母や妹達が焼け死ぬ幻覚が見えたり、あきらかな幻聴や幻覚が出て来た。

 以前ははっきり話せていたはずの口調も、呂律が回らないことも多くなった。
 そして何より、体中が痛かった。
 体も心も痛かった。

 痛くて痛くてたまらない。
 加奈子が取る方法はひとつしかなかった。

「ば、番頭さん、あ…あのく、薬……くだ……くだ…さ……い……でないとお……わ、た、し……いたいた痛くて……し、死んじゃいますますます……」

 番頭は悲し気な顔をした。
「もう無理だァ。加奈子、お前はあれを打ち過ぎた。もうどれだけ打っても利かねェ。諦めろ」

 加奈子の顔色が真っ青になり、脂汗と涙が出て来た。
「そ……ん……な……ひ……ど……い……」

「加奈子に客が来てる。今の加奈子を抱きてえんだとよォ。丁重に相手してやれや」
 
 そう言って番頭が連れて来たのは、加奈子の叔父だった。
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