僕の愛しい廃棄物

ますじ

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たとえ毒でも愛してる

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 ホス狂い――それは狂うほどホストに夢中になり、大金を貢ぐ女性達のことを差す新語だ。彼女達がつぎ込む金額は常識とは著しくかけ離れており、一晩で何十万、何百万、それどころか何千万といった額が動くという。
 きらびやかな店内で日常を忘れ、アルコールと美男子が生み出す高揚感が女性たちを魅了する。眠らない夜の街で、ホストとその客が欲望をぶつけあう喧噪は、昼の世界では味わうことの出来ない桃源郷だ。
 そんなホストクラブに通うのは女性が大半となるが、性の多様化が進んできた昨今、男性でもホストにのめり込むこともあるらしい。

 いま目の前にいる青年も、そのひとりだ。


「はじめまして、〇〇通信社の相沢です。本日はよろしくお願いします」
 待合場所として有名なビルの前でひとりの青年と合流する。簡単な挨拶を交わし、今回の取材では撮影や録音も含まれることを告げると、とくに問題ないという返事がきた。事前にやりとりした内容ではあるが、齟齬がないように改めて確認する。こういった世界に出入りする人間はとくに身元の特定を避けたがるが、彼ははじめから顔出しも全面的にOKという話だった。
「モザイクも音声加工もなしでいいとのことですが、本当に大丈夫ですか?」
「うん。身バレして困る相手もいないから」
 どこか投げやりに言う彼の名前は『リツ』くんだ。もちろん偽名だが、本名はもう捨てているから名乗ることもないという。今年で22歳になるという彼は、それよりもずいぶんと幼く見える顔立ちだ。脱色を繰り返したシルバーの髪は、襟首のあたりでかわいらしくカールしている。最近の若者らしく丁寧なメンズメイクもしていて、桜色の唇には少し不釣り合いなラブレットが嵌められていた。オーバーサイズの派手なパーカーからは、ほっそりとした白い足がほとんど剥き出しになっている。厚底を履いていても私の肩くらいまでしかない彼の身長は、恐らく160に届かないくらいだろう。
 今日は通称ホス狂いと呼ばれるこの青年を取材するため、大阪のとある繁華街近くで待ち合わせた。記事の内容は自社のWEBサイトに公開するためのもので、短い動画と数枚の写真、そしてインタビュー内容を記録して持ち帰るのが目的だ。近頃こうした若者をターゲットにした記事の取り扱いも増えてきて、私も学ぶことが多くなった。昨今の若者達は、私がそうであった頃よりも、繊細で生きづらそうな子供が多い気がしている。

「今日は締め日なんだよね」
 個室の居酒屋で簡単な打ち合わせをして外へ出れば、街にはすでに夜の匂いが漂っていた。陽が落ちてから数時間経ち、多種多様な格好をした男女が忙しなく行き交っている。迷いなく進むリツくんを追いかけて、歓楽街の奥深くへと足を踏み入れていく。目が痛くなるほどきらびやかな街並みは、取材でなければ絶対に訪れることのない場所だ。つい圧倒されそうになるが、仕事のためだと自分を奮い立たせて足を進める。
「とにかく売り上げ出さないといけないから、コレ、持ってた」
 そういってリツくんが鞄から出して見せたのは膨らんだポーチだ。撮ってもいいと言われたので、失礼しますと断って開かれたファスナーの中にカメラを向ける。その中を見て思わずぎょっとした。そこには大量の一万円札がみっちりと詰め込まれていて、その総額が果たしていくらになるのか目算できないほどだ。レンガのような厚みは圧倒的で、普通に生活していたら見ることのない代物である。
「す、すごいなあ……」
 締め日にはその月の一番の売り上げが決まるため、ホスト自身だけでなく、彼らを応援する客たちの熾烈な争いが繰り広げられる。リツくんの口ぶりからすれば、今晩でこれを使い切るつもりなのだろう。どうやってその金額を用意したのかが気になって仕方がないが、詳しいインタビューはこの後だ。これから実際にホストクラブに同行し、その様子を取材しなければならない。
「えーっと……あ、ちなみに、担当さんは今の方がはじめてですか?」
「ううん、二回変えてる。最初のやつは数カ月で飛んで、二人目のやつは少しのあいだ同居したんだけど、DVひどくて逃げた」
 金のことにはひとまず触れずに、これから向かうホストについて尋ねてみる。担当とはすなわち自身が指名しているホストのことを差す用語だ。想像していた以上の情報が返ってきて戸惑ったが、ホストからDVを受けるというのも、『担当』が飛んだというのも、この界隈では決して珍しい話ではない。飛んだというのは、ようするに失踪だ。さすが泡沫の夢を見る世界、とでもいうべきか、そうやって姿を消してしまう人間も少なくはないという。散々貢いだホストが失踪してしまうこともあれば、多額の売掛……つまりホストに借金をしている客がそのまま逃げた、なんて話もある。
「それは……大変でしたね……今の担当さんはどんな方なんですか?」
「ん……へんなやつ」
 どんな惚気が返ってくるかと思えば、そっけない一言に拍子抜けしてしまった。リツくんはまっすぐ前を見つめたまま、歩調を緩めず目的地だけを目指して歩き続ける。
「でも面白いよ。あと顔がいい。あんなイケメンほかに見たことない。顔だけでもヌけるくらい」
「そ、そうなんだ……」
 聞いてはいけないようなことまで付け加えられ、内心どきりとする。かなしいかな私はこの歳になってもまだ性的な経験が少ない。女性と接するのが妙に苦手で、いい雰囲気になれたお相手は片手で数えるほども居ないのだ。しかし今日これから話をする相手は、それこそ女性の扱いのプロだ。取材名目で助言のひとつやふたつくらい頂戴しても、きっと誰にも責められやしないだろう。
「あ、そうだ。同卓は最初だけで、途中から別でもいいですか?」
 最初の話ではリツくんと同卓、つまり同じ卓について同じホストの接客を受ける予定だった。とはいえ締め日で張り切っていることだろうし、終始部外者である記者のおじさんが近くにいるのはいい気分がしないに違いない。考えてみれば当たり前のことだ。こちらの配慮が足りていなかったと反省して、快く提案を呑むことにした。
「ああ、もちろん。少しホストクラブでの様子をお伺いできれば問題ないので」
 こちらとしても店内でのリツくんの様子が少しでも分かればいいので、最初から最後まで同席する必要もない。むしろ本題はこの後のインタビューなので、店内では思う存分羽を伸ばして楽しんでもらいたいと思う。正直ホストクラブという未知の場所に一人で放り出されるのは不安しかなかったが、折角盛り上がっている彼らの隣でこんなおじさんが置物になっているのもどうかというものだ。盛り上がる若者たちを眺めながら、自分はただプロによる女性の扱いを少しでも勉強できたら万々歳である。


 入店する前は緊張で心臓が飛び出そうだったが、派手な出迎えこそあったもののすんなりと席に通され、ふかふかとしたソファーにリツくんと共に腰を下ろした。彼の担当ホストはまだ来ないらしいらしく、心なしかリツくんの機嫌がよろしくないような気がする。
 そわそわしながら待っていると最初のホストが顔をだした。柔らかそうな金髪と女児のような丸い瞳が特徴的な青年だ。
「失礼しまぁーす! なになにりっちゃん、今日はお友達連れて来たの?」
「ううん、友達じゃないけど」
「ええーどういうこと? あ、お兄さんはなんていうの? 俺はアキっていいまぁす!」
 元気な挨拶と共に名刺を渡され、突如現れたイケメンという人種にどぎまぎしながら受け取った。反射的に自分も名刺を渡しそうになって、懐に伸ばしかけた手を慌てて止める。いけない。あくまでも自分は一般客として潜り込んでいるのだ。受け取った名刺はひとまずテーブルに置いて、視線を彷徨わせながら声を絞り出す。慣れない場所に来たせいか、これまでのどんな取材よりも緊張していた。
「あ、ど、どうも、わたくし相沢と申します。本日はどうぞよろしくおねがいします」
「あははっ! なんか商談みたい! 緊張してるの?」
 アキくんというらしい彼は明るく笑って席につくと、慣れた手つきで酒を作りはじめた。
「相沢さん、濃さとか氷の量はー? お酒の好き嫌いとかあります?」
「あ、私は結構なんでも……」
「おっけー! ストレートね!」
「いやいやいや、せめて氷はいれてくれ!」
 慌てる私がよほど面白かったのか、アキくんはリツくんと共にけらけらと楽しそうに笑いだす。実はリツくんの笑顔を見たのは今日はじめてだったので、私も思わず驚いて見入ってしまった。視線に気づいたリツくんに微妙な顔をされたが、驚いたものは驚いたので仕方がない。合流してからというもの彼はずっと空虚な目をしていたから、こんなにも無邪気に笑うのが意外だったし、そんな顔になれる場所がホストクラブというのが少し複雑だった。
 アキくんは手早くリツくんと私、そして自分の分の酒を作り終えると、明るい掛け声で乾杯する。軽く一口煽った私達とは違い、アキくんは豪快にぐびぐびと喉に流し込んでいた。
「アキいきなり飛ばし過ぎじゃない?」
「んふふ、今日の俺は張り切ってるもんね! 酒カス御用達の最強サプリ何種類かブチこんできたし!」
「それはあまりよろしくないのでは……」
 思わず口を挟んでしまうと、アキくんに思い切り笑い飛ばされた。きゃっきゃと明るく響く彼の声は、トーンの高さも相まって幼い子供のようだ。しかしながらその呼気からはしっかりとアルコールの匂いが漂っているし、かわいい少年と言えるような相手ではないのも分かり切っている。きっと収入だって、しがない記者である私よりずっと多いことだろう。ああ、かなしいかな。
「いいからいいからぁ! 盛り上がろー! てか、りっちゃんが友達連れて来るなんて意外なんだけど! 歳も離れてるみたいだけど、どういう知り合いなの?」
 アキくんは遠慮なくぐいぐいと距離を詰めて話を引き出してくる。どう答えようか私が考えあぐねていると、リツくんが「友達じゃないって言ったでしょ」と冷静なツッコミを入れた。
「えー? どういうことぉ?」
「さっきそこで会った人」
「まさかパパ活!?」
「だったら連れてこない。アキはほんと馬鹿だよね」
 また少し無表情だったリツくんがくすりと笑う。小馬鹿にされたアキくんが拗ねたように唇を尖らせるのを見て、なるほどそうかとひらめきを覚えた。私は男なのであまり感じ取れないが、世の女性たちはこういう仕草に母性を擽られ、可愛いだとか思ったりするのだろう。ホストの営業にも様々な種類があるといい、典型的な王子と姫、彼氏彼女のような疑似恋愛もあれば、弟系やオラオラ系のホストなど多種多様だ。このアキくんはいわゆる弟系の営業に分類されるのだろう。何にせよ私には真似できない技なので、かなしいことに勉強にはならない。ただ羨ましくなるだけだ。
 いわゆるモテ男や陽キャ、リア充という人種への嫉妬心を静かに覚えつつ、あくまでも今は取材中なのだと気分を切り替える。店内でのリツくんやホスト達の様子をしっかり目に焼き付け、会話に意識を集中させ、必要な部分はメモを取らなければならない。頃合いを見て取材であることを打ち明けたいとは思うが、場合によってはそこで退場も考え得るので、ある程度の情報を得られるまでは大人しくすることにした。
「相沢さんはこういうとこ初めて?」
「えっ、ああ、まあ、そうだね……」
 上の空でいる私を気遣ったのか、アキくんに話しかけられ思わず挙動不審な態度を取ってしまう。怪しまれやしないかと冷や汗をかいたが、アキくんはさほど気にしていない様子だ。いや、もしかするとそう振舞ってくれているのだろうか。アキくんは「そうなんだあ」と相槌を打ち、「だったら緊張するよね、酒のんでリラックスしよ!」と中身の減っていた私のグラスに酒を注いでいった。
「あ、あはは、そうだね、はは……」
「相沢さん緊張しすぎじゃない? もっと力ぬいてこー!」
 無遠慮に肩を叩かれ、つい苦笑してしまった。こういった『陽』の空気感にはどうしても慣れないものがある。私も特別に消極的というわけではないが、ここまで他人と早く距離を詰めるような言動はできない。
「うちは姫も王子も大歓迎だからさ! アイちゃんもそんな固くならないで!」
「あー、えっと、ありがとう……」
 いつの間にやら付けられた愛称に戸惑いつつも、なんとか笑顔を作って乗り切る。これまで色々な場所に足を運び取材をこなしてきたが、ここまで自分が場違いだと強く感じるのは初めてかもしれない。困惑していると、もう一人ホストがやってきた。
「あ! レイにいさん来た!」
「うわ、おっそ。まあどっかのアホはまだ来ないみたいだけど?」
 棘のあるリツくんの言葉に眉を下げるのは、ホストにしては珍しい黒髪にスマートな眼鏡の男性だ。ホストというよりは大手企業のエリート然とした彼は、にこりと笑って名刺を差し出し、向かいの椅子に腰かけた。名刺に刻まれていたのはこのクラブの名前と、源氏名や連絡先、そして代表という肩書だ。
「レイさん……えっと、代表の方ですか。これはこれは……」
「いや代表らしい仕事してるとこ見たことないけどね」
「レイさん超だらしないから! 部屋汚いし!」
「君達さあ……」
 アキさんとリツの散々な言いように、レイさんは少し呆れた表情を浮かべていた。
「騙されたらだめだよ。代表とか言ってもホストの役職は上にまだあるし。この人はいわば四天王最弱だね」
「そうそう! しかもすげー酒弱いし!」
「リツくんはともかくアキはあとで覚えとけよ」
 苦言を呈するレイさんに対し、リツくんとアキくんは楽しそうに笑ってグラスを傾けていた。ホストの役職は、一般的には上からオーナー、社長、プロデューサー、代表と続くらしい。レイさんは確かに四番目ということにはなるので、リツくんの言っていることはある意味間違ってはいないのかもしれない。
「レイさんも飲もうよ。ほら、乾杯しよ」
「あーはいはい。お酒作るからちょっと待ってろ」
 レイさんもすっかり慣れた態度で、手早く酒を作ってリツくんとグラスを合わせる。視線で促されたので、自分も杯を交わして軽く口を付けた。仕事なのであまりアルコールは摂取したくないが、飲まないわけにもいかないので加減が難しい。
「リツくんのお友達なんでしたっけ? 僕あんまり表に出ないけど、リツくんのお友達ならご挨拶しないとなって、裏から無理やり出てきちゃったんですよ」
「あ……そうですか、わざわざありがとうございます。お忙しいところすみません」
「いや仕事してないよこの人」
 横から茶々を入れるリツくんに、アキくんが「そうだそうだ!」と便乗する。リツくんはまだ分かるとしても、部下であろうアキくんにまで言われるレイさんに同情心を覚えた。私もよく社内で後輩からいじられているので、その苦しみはよく分かる。最近の若者はこういうノリが好きなのだろうか。
 しばらくこの四人で談笑を続けていると、スタッフの男性がレイさんに何やら耳打ちをした。レイさんは飲みかけのグラスを空にすると、リツくんのグラスにこつりと軽く当てる。
「おまたせしました。シュウがくるから僕は席を外しますね。……相沢さんもいいですか?」
「え、ああ、はい」
 卓を別れることは先に伝わっていたようで、レイさんは躊躇うことなく言ってこちらに視線を寄越す。それよりも先にアキくんが立ち上がったが、レイさんに肩を叩かれ席に戻った。
「それじゃあ相沢さん、あっちで僕とイイコトしましょうね」
「なんか嫌な言い方だな……」
 まるで連れ出した先で殴られでもしそうな言葉だ。苦笑しながら荷物を持って立ち上がると、長身の男性がこちらに向かって歩いてくるのが見えた。遠目でもよく分かるほど整った顔立ちだ。既視感を覚えて思考を巡らせ、はっと思い出す。路上の派手なパネルで見た顔そのものだ。
 この店の看板を背負うホスト、シュウ。
「めっちゃシュウ見るじゃん」
「いや……やっぱり、目立ちますね」
 本当は彼にも色々と話を聞きたかった。しかしリツくんから同席を拒否されている以上、下手な行動はできないのが口惜しい。適当に言葉を濁して案内された席につくと、少し離れた場所から賑やかな笑い声が響いた。見事なまでの音圧に目を丸くしていると、隣に座ったレイさんが溜息をつきながら酒を用意しはじめた。
「もーうるさ。シュウも大人しく黙ってればもっと売れそうなのに」
「もう十分売れていると思うんですけどね……」
 彼らの卓はシュウの登場でかなり盛り上がっているようで、賑やかな笑い声がこちらにも聞こえてくる。何を話しているのか耳を済ませたかったが、店内全体に響くBGMや喧噪に掻き消され、目的の卓だけ盗み聞きするのは難しそうだ。
「落ち着かない? あんまこういうとこ慣れてなさそうだしね」
「まあ……でも、大丈夫です。今日は仕事で来ているだけなので」
 思わず口走ってから、しまった、と思った。しかしレイさんは私の失言を拾うことはせず、落ち着いて酒を作りコースターに置いた。
「あ、どうも……いただきます」
「ふは、本当いちいち丁寧だよね。商談じゃないんだし、敬語も外しなよ」
 レイさんに笑われたことで、再び自分の場違い感や不自然さを自覚して居心地が悪くなった。やはり同卓のままがよかったのではないかと思うが、今更もう遅い。周りを見ても目に入るのは盛り上がる派手な男女ばかりで、普段と変わらない服装のままここへ来たことを心の底から後悔した。
「それにしてもすごい熱気……だねえ」
「まあ締め日だからね。みんな気合い入ってるよ」
 突然店内のBGMが変わったと思うと、わらわらとホスト達が一つの席に集まっていった。一体何事かと目を白黒させる私の隣で、レイさんが軽く笑って腰を上げた。
「初手オールコールとか、リツくん飛ばすねえ」
「オールコール……」
 用語そのものはもちろん事前に調べて来た。一度に三桁万円を超えるボトルを入れると、店内のすべてのホスト達が集まってシャンパンコールをしてくれるらしい。シャンパンタワーと同じく目立ち、売上の貢献になるため、締め日など重要な日には客たちが競ってオールコールを狙う。そしてこの日最初となるオールコールが、これからリツくんのテーブルで行われる。
「あの、ちょっと動画撮ってもよろしいですか?」
「んーまあ、リツくんがいいって言えばね」
 レイさんに呼び止められた内勤の一人が、やや急ぎ足で賑わうテーブルに消えていく。すぐにまた戻ってくると、ジェスチャーでOKのサインが送られた。
 スマートフォンのカメラを起動して動画に切り替える。少し離れたところで撮影しようと思っていたら、レイさんに背中を押されて喧噪の中心に転がり込んでしまった。邪魔にならないよう腰を低くすると、ソファーに腰かけるリツと一瞬だけ目が合う。彼はすぐに私への興味を失うと、隣で笑うシュウをじっと見つめた。
「おっ! ゲストさんいらっしゃぁい! でも主役はそこの王子二人だから、アイちゃんは大人しくしててね?」
 集まったホストを代表してマイクを持つのはアキくんだ。見渡すかぎりのホスト達に囲まれ、心臓が竦み上がりそうになる。
 これが、一度で数百万を溶かす熱気だ。
 圧倒されていると、派手な装飾のされたボトルが二つ運ばれてきた。名前は聞き取れなかったが、少なくとも普通の酒屋などには置いていない代物だ。この二本で一体いくらになるのか想像するのも恐ろしい。それがたった数分のシャンパンコールで消費されるのだ。さすがに眩暈がした。
 アキくんの歌に合わせてホスト達が合いの手を入れていく。本物のシャンパンコールを見るのはもちろん初めてだ。アキくんをはじめとしたホスト達の見事なマイクパフォーマンスに、思わず撮影を忘れて呑み込まれそうになる。
「王子と王子が、かんぱぁ~い!」
 今日一番の盛り上がりに達したところで、リツくんとシュウさんがグラスを合わせる。煽られるまま二人が飲み干せばホスト達から歓声が上がり、周りを囲むホスト達にもグラスが回る。リツくんが挑発するように笑って数人のホストを指名すれば、彼らは言われるがままグラスの中身を一気に飲み干していった。
「それでは王子から一言いただきたいと思いまぁす! 王子の素敵な一言まで、3、2、1、キュー!」
 アキくんからリツくんへとマイクが渡る。リツくんは少しだけ口角を上げると、どこか分からない場所に視線を流して口を開いた。
「あー……なんとなく入れちゃいました。まあこのくらいは当たり前だよね? っていうかシュウは接客中に靴脱ぐのやめてくださーい。しかも左右で靴下違うし。ボクちゃんと揃えて仕舞ってあげてるよね? ……まあそんなかんじで、今日も飲みまーす。よいしょ」
 よいしょー! と続いた元気な掛け声のあと、役職を持つホスト達が順番にコメントしていく。売上のあるホストは昇級して役職を持つのが慣例なので、本当によく分からない役職が多い。渦中のシュウさんもそんな幹部と呼ばれるうちの一人だ。
「ではレイ代表からも一言いただきましょ~!」
 何人かコメントを終えたあと、レイさんにマイクが渡った。
「いやあ、本当にありがとうね、リツくん。こんなに可愛くて健気なリツくんに支えられて、シュウはもちろん僕達も幸せです。今日もたくさん美味しく飲んで楽しんでいってね?」
 レイさんのコメントが終わり、再びマイクがアキくんに回る。派手なBGMはそのままで、喧噪だけが一時的に静まった。
「最後にもう一人の王子からも一言いただきましょー! シュウ王子の一言まで、3、2、1、キュー!」
 シュウにマイクが渡される。短い沈黙のあと、芯の通ったクリアな声が店内に響いた。
「いやリツさあ、毎回マイクが可愛くないのどうにかしたら?」
 むっとした顔をするリツくんの肩をシュウさんが笑いながら抱き寄せる。リツくんはされるがままだ。シュウさんの明朗な笑い声が派手なBGMに対抗していた。
「あっはっはっ! 冗談だって、もう、かわいいやつだな! ……いつもありがとな? 今日はいっぱい飲んでけぇ~!」
 シュウさんのコメントで場が大きく盛り上がる。最後には従業員全員の揃ったサンキューコールによってパフォーマンスは終わりを迎えた。


 その後もリツくんは他の客と競うようにボトルを下ろしていき、営業が終了する頃にはすっかりふらついていた。ひとまず二人で店を出たあと、近くにあった自動販売機で水を購入して手渡す。リツくんは覚束ない手つきでそれを煽ると、深くため息をついてその場に座り込んでしまった。
「お疲れ様です。あのー……大丈夫かい?」
「ん……今月も勝った。ラスソンも取ったし」
 閉店間際、酔いどれながらマイクを握るシュウさんを思い出した。リツくんはそのままアフターに行きたかったようで、ここへ来るまでのあいだ何度か恨み言をぶつけられたが、こればかりは仕事なので我慢して貰うしかない。さすがにリツくんもその辺りの分別は出来ているようで、文句は言いながらも予定をキャンセルされるようなことはなかった。
「ちなみに答えたくなかったら構わないけど、今日はおいくら使ったんです……?」
「伝票ぜんぜん覚えてない……一撃二百万打ったから、その三倍くらい?」
「はえぇ……」
 恐らくその一撃とは最初のオールコールのことだろう。あまりに常識離れしすぎた彼の金銭感覚は、一日同行しても理解が追い付かないままだ。
「えーっと……これも答えられる範囲で構わないんだけど、どうやってそこまでのお金用意してるんだい?」
「身体売ってる」
 当然のように吐き出された一言に思わず息を呑んだ。どう反応するのが正解か分からず、誤魔化すように煙草を取り出して火を点けた。路上喫煙など普段なら絶対にしないが、この街にいると色々な感覚が狂っていくのを感じる。
「前は店にいたけどハネられる金もったいなくて辞めて、今はSNSとか路上とかで声かけてきた相手とセックスして金貰ってる」
「それは、えーっと、女性を相手に?」
「いや、ほとんど男だけど、たまに女もいるかな。でもボク女に勃起しないから、食事だけ。でも意外とお小遣いたくさんくれるんだよ、そういうおばさんって」
 やはり理解に苦しむ。こちらが異常なのかと思ってしまうほど、この一日で常識というものがことごとく覆されていった。
「あとはまあ、たまに出稼ぎとか。イベント前とかはそれで一気に稼いでるかな。今日も出稼ぎ帰りだし」
 彼がどの程度稼いでいるのかまでは推測できないが、それにしても使う金額が異様だ。稼いだ分を全てつぎ込んでいるとしても、それ以上の金額が動いているとしか思えず不安な気持ちになる。
 
 繁華街からタクシーで十分程度のところに彼の住むマンションはあった。比較的新しい建物でセキュリティもしっかりしている様子だ。
 部屋は一般的な1Kとなっていて、玄関の隣に小さめのキッチンがあり、扉の向うに七畳程度の洋室があった。室内は男性にしては綺麗で、ぬいぐるみなどの可愛らしい小物も置かれている。その中でもとくに目を引いたのは、棚に並べられた「飾りボトル」や「オリシャン」と呼ばれるものだ。そのホストクラブやホスト自身のオリジナルボトルで、記念に持ち帰る客が多いとは聞いている。それも一本や二本ではなく、ずらりと棚を埋め尽くしているので圧巻だ。彼がシュウに使ったお金の中でもごく一部に過ぎないのだろうが、これだけでも総額いくらになるのか考えるのも恐ろしい。
「す、すごいなあ……」
「別に飾る必要ないんだけど、まあ、なんとなく置いてるだけ」
 リツくんはいくらか酔いも醒めてきた様子だ。座椅子を勧められたので、断りを入れてから腰かける。時間も時間なのでそろそろ本題に入らなければならない。手帳とペンを取り出して、スマートフォンのボイスレコーダーを起動した。
「えー、では、深夜までお付き合いいただいて申し訳ありません。これからいくつか質問をさせていただきますが、よろしいですか?」
「うん。っていうか、急な敬語きもい」
「はは……」
 リツくんは近くにあるベッドで胡坐をかき、黒猫のぬいぐるみクッションを抱き寄せた。酔いが覚めて来たこともあってか、合流時のやや警戒した様子が戻ってしまっている。大きめのクッションを胸の前で抱くのも、きっと無意識の自己防衛だ。
「こほん。……えー、リツくんは現在、そのー、まあ、『そういうお仕事』をされながらホスト通いされているんですよね。そのことはご両親はご存知なんでしょうか?」
 初手から突っ込みすぎたかもしれないと内心焦った。リツくんは表情一つ変えることなく、視線だけを斜め下に落とす。
「さあ。生きてるかすら知らない」
「あまりご家族と関係よくないんですか?」
「よくないというか、興味ない。お互いに」
 気まずい空気が部屋に満ちていくのが分かる。リツくんはあまり感情の読めない顔をしているが、少なくともホストクラブで見た楽しそうな様子ではない。
「シュウもそうらしいよ。もう何年も音沙汰ないし、なんならガキのときからろくに顔合わせてないとか」
「なるほど……そういうところで親近感だとか感じたりしているんでしょうかね」
「さあ。でも、なんとなく一緒に居て安心するというか、あのひとって独特の世界観があるんだけど、それがすごく心地よくて」
 そこでようやくリツくんが笑みを浮かべる。担当ホストのことを語る彼の顔はとても穏やかで、本当に心から好きなのだろうと理解できた。体を売ってまで大金を稼ぎ、そのすべてを貢ぐほどの激しい感情を、私のような人間が記事にできるのだろうか。これはかなり慎重に言葉を選んで書かなければ、間違った伝え方をしてしまいそうだ。
「そういえば、意外とかわいいものが好きなんだね」
 リツくんの抱いているクッションは、黒猫をモチーフにした非常に可愛らしいものだ。クールな印象からもっと物の少ない部屋を想像していたが、意外にもそういったグッズが多く見受けられる。そういえば私の腰かけている座椅子も黒猫だ。
「これはシュウがくれたやつ。なんかゲーセン行ったときに偶然取れて、いらないからって押し付けられた」
 思い出すように目を細めるリツくんは、素っ気ない口ぶりとは裏腹にとても嬉しそうだった。
「かわいいし抱き心地いいから、シュウが来ないときは一緒に寝てる」
「えっ……家にくることもあるのかい」
「結構来るよ。あのひとの着替えとか歯ブラシとかも置いてるし」
 それはもはや半同棲に近いのではないかと思ったが、触れていいのか分からず話題を変えることにした。ふとオールコールで聞いたリツくんの台詞を思い出す。あのときは雰囲気に圧倒されて気にならなかったが、今思えば色々とおかしな発言だった。まるで同棲を匂わせ、他の客をけん制でもするような。あれがいわゆる「マウントを取る」発言なのだと今更気づいた。
「ええっと……ンンッ……今の担当さんには、総額でおいくらほど使われたんですか?」
「さあ……いつ四桁超えたのか覚えてない」
 想像を超える数字に思わず絶句した。四桁ということは、つまり何千万という単位だ。しかもそれは、まだ若いこの青年が自分の身体を売って稼いだ金である。
「え、じゃあ、シュウさんとはどのくらいの付き合いで……?」
「再来月で二年目。記念日には勝手にタワーしてやるつもりつもりだから、来月また出稼ぎにいく」
「すごい熱意だなあ……」
 素直に感心していいものか複雑だ。色々と思うことはあったが胸に留めて置き、次の質問に移る。
「ええと、他になにか夢中になれるものとかは……?」
「ない」
 清々しいほどきっぱりとした返答だ。部屋を見渡した限りではほかに趣味の物もなさそうなので、本当にシュウさん一筋なのだろう。リツくんの若さを考えればもっと色々な可能性があるだろうにと思ってしまうが、ただの記者であり他人である私が口出しできることでもない。
「まあ、他のホストと違ってあのひとは稼いでこいとか言わないけど、だからって怠けてたら被りに負けるし」
「つまり自主的に、と……いや、本当にすごいなあ……働いたお金は全部その担当さんに使うんですか?」
「うん。まあ生活費も多少あるけど、出費になるものは適当なやつにせびるから、ほぼ全額シュウに使ってる」
 もはや自分を犠牲にしているという感覚さえなくなっているのだろう。危険を冒してまで他人に身体を売り、すべてをホストに貢ぐのはどうしても異常だと思えるが、そもそも私と彼では決定的に価値観が違いすぎる。彼の世界を支えるのがホストなのだとしたら、そのホストにすべてを捧げてしまうのも、もしかしたら自然な行動なのかもしれない。
「リツくんはシュウさんのどんなところが好きなんですか?」
 肝心なことを聞きそびれてしまうところだった。リツくんは少し照れたように笑うと、黒猫のクッションを強く抱きしめた。
「全部」
 そうだろうなあ、と内心ごちる。
「あのひとってホストらしくないっていうか。顔だけはどのホストよりも最強だけど、ガサツだし鈍いし無神経だし。靴下は左右違うし、ポケットにゴミとか入れっぱなしだし」
 つらつらと連ねられる言葉には文句も含まれたが、それらを語るリツくんの声は驚くほど甘い色をしていた。ああこれはただの惚気を聞かされているのだと、恋愛沙汰に疎い私でもはっきりと分かった。
「ありえないって思うときもあるけど、あのひとって変に飾らなくて、見え透いたお世辞もきれいごとも言わないし、結構アホだなとか頭おかしいって思うことも多いけど……なんだろうな、他の何にも例えられないんだ。あのひとにしかない世界があって、その世界がどうしようもなく好きで……」
 リツくんはそこで言葉を切ると、クッションに鼻先を埋めて目を細める。そういえばこの部屋には強い煙草の匂いが充満しているが、リツくんの吸っていた銘柄とは明らかに違うのが気になった。不思議に思って灰皿を目で探す。テーブルに一つと、ベランダに一つ置かれているようだ。ベランダは分からないが、テーブルの灰皿には吸い殻が山盛りになっている。
「……ああ、ボク、このひとの隣でしか息できないって、思ったんだ」
 直感的に気付いた。この煙草はシュウさんの吸っているものだろう。彼はシュウさんがいない間でもその煙草に火をつけ、彼の匂いを絶やさないようにしているのだ。捉え方によってはストーカーじみた行動だが、私にはそれが妙にいじらしく健気に思えた。
「やっぱり最後は、シュウさんとゴールというか、パートナーとして一緒になりたい、みたいな気持ちがあるんですか?」
「は、なんで?」
 急激にリツくんの表情が冷え切った。惚気の延長が来るのだとばかり思っていたので、予想もしなかった反応に狼狽える。あれだけ嬉しそうに微笑んでいたリツくんの顔は、路上で見たのと同じ空虚なそれに変わっていた。
「ボクは客だよ。恋人じゃない」
「……つまり見返りを望まない、ということでしょうか?」
「見返りは欲しいよ。デートしたりセックスしたり」
 ああ駄目だ、やっぱり理解が追い付かない。必死で頭を回転させて、苦しい質問を続ける。
「で、でもゴールは考えてないんだよね……?」
「ゴールってなに」
「その……たとえば結婚はできなくても、パートナーシップとか、まあ、あるじゃないですか……」
 口にしてから後悔した。私はどうしても結婚がゴールだと思ってしまうが、すべての人がそう考えているわけではない。まして同性となればもっと複雑になるのだろう。これは明らかに私の失言だった。
「めんどくさ……そもそもあの人ゲイじゃないし」
「えっ」
「ボクのこと抱いてくれるのも大金払ってるからだよ」
 確かに失言した、とは思う。しかしながら私の不躾な口は、自然と言葉を重ねていた。
「辛くないのかい?」
「はあ?」
「それって、本当に愛されてると思える? 虚しくなったりとか、しないのかい?」
 失言に続く失言だ。ここまで来てしまったら逆にもう引き返せない。覆水盆に返らず、こぼれたミルクは取り戻せないように、放ってしまった言葉は引っ込められない。
 リツくんはしばらくクッションを抱いたまま黙り込んでいたが、やがてぽつりと小さな声をこぼした。
「愛ってなんだろうね」
 それには私も黙り込むしかできなかった。どう答えるのが正解か分からない。
「ボクはただ金で買えるものを買ってるだけ。金でシュウの愛と時間を買ってるの」
 クッションを抱く腕が微かに震えているのが見える。寂しさを押し殺し縋る子供のような姿だった。触れてはいけないところに触れてしまったような気がする。
「無償の愛とかバカじゃないの。金で買えるんだったら別にそれでいいじゃん」
 横目で腕時計を確認すると、撤収予定の十分前だった。そろそろタクシーを呼んでおこうと思い、配車アプリを起動する。5分後に到着予定と出たので、配車確定の文字をタップした。
「えー……本日は長々とありがとうございました。お疲れ様です。そろそろ切り上げようと思います」
 広げていた手帳とペンを鞄に押し込み、スマートフォンの録音を切る。タクシーが到着する前にマンションの外へ出ておきたいと思い、少し早いがお暇することにした。今日一日で膨大な情報を摂取したせいか、なんとなく頭がくらくらしている。
 彼らの関係は確かに健全とはいえないが、結局はその健全の基準も他人が決めた物差しに過ぎない。理解しがたい世界ではあるが、これもひとつの愛の形といえるのだろう。この一見すれば歪で壊れそうな関係は、きっと本人たちの間で不思議なバランスを保っているのだ。
「あの、最後に一つだけ聞いてもよろしいでしょうか?」
 部屋を出る前に、見送りにきたリツを振り返る。彼は黒猫のクッションを抱いたまま、黒猫柄のスリッパをぱたりと鳴らして立ち止まった。
「君は、今、幸せかい?」
 リツくんは猫のように眼を丸くしたあと、クッションを殊更優しく抱きしめる。その表情は、どこまでも純粋で陰りのない笑顔だった。
「うん。とっても、幸せだよ」

 

「女の匂いする」
 押し倒された途端にふわりと香ったのは、甘ったるい女物の香水だ。思わず目の前の身体を押し返すと、シュウはすんと無表情になり、ベッドの端に腰かけた。
「やめとくか」
「あ、や、えっと……」
 きっと女とホテルにでもいたのだろう。シュウは積極的ではないものの、一定以上の太客には枕もする。相手は選んでいるらしいが一人や二人ではないし、ボクだってその一人にすぎない。仕方がないことだとは分かっているし、立場も弁えているつもりだけれど、どうしても胸が痛くなった。
「だったらなんで来たのさ」
「好みじゃなかったから一発で終わらせてきただけだけど」
「えっ」
 沈んでいた気持ちが嘘のように、一瞬で体温が上がる。つまりはシュウはその女よりボクのほうが好きだと思ってくれたのだ。脳内が「うれしい」の一言で埋め尽くされる。どこでどの女と寝ていたのかは知らないが、少なくともシュウはその女ではなくボクを選んでくれた。嬉しくて幸せで、頭がふわふわする。
「帰るわ」
「あ、ま、まって!」
 ベッドから去ろうとするシュウを慌てて引き留める。逃げられないようにと背後から抱き着いて、綺麗に整った腹筋を指でなぞった。
「やっぱり、しよ。したい……」
 途端に視界がぐるりと回って、背中がシーツに叩きつけられた。
「女の匂い、嫌なんじゃねえのか」
「ううん、そんなのどうだっていい。シュウに抱かれたい」
 そのために念入りに準備だってしたのだ。早くシュウが欲しくて、お腹の奥がきゅんと疼いた。早く埋めて欲しい。何も考えられないくらい滅茶苦茶にされてしまいたい。
「てかお前さ、部屋に男入れただろ」
「……へ?」
 掴まれた脚がシュウの肩に掛けられる。質問の意味がすぐには理解できずにいると、前戯もなく性急に熱を押し付けられた。
「ぁ……あ、くる、はいっちゃ、ぅ……」
「質問に答えろよ、なあ。男、入れたんだろ、ここに」
 ここって、どこ。ただでさえシュウが欲しくて馬鹿になっているのに、難しいことを聞かないでほしい。
「い、いれた……? ん……わ、かんな……わかんないよ……っひ、ぎゅッ……~~!?」
 よく分からなくなりながら答えると、一気に奥まで貫かれて意識が飛びそうになった。体重をかけて抱きしめられて、腹の奥までシュウでいっぱいになる。微かに香る甘い匂いは無視して、それよりもずっと強い煙草の匂いに意識を集中させた。
「ぁ、あ、しゅ、しゅうっ、あっ、きもち、ぁんんっ……!」
「マジだらしねえ穴だな……俺の穴だろ、ここは」
 自分だって女を抱いてきたくせに、ぶつけられるその理不尽がどうしようもなく心地いい。慣れる暇もなく乱暴に揺さぶられて、痛み混じりの深い快感が襲ってきた。
「はひっ、ひぃっ、ぁ゛、ンッ、だめ、だめぇっ、そこっ! らめ、ぇ、あ、あっ、あ゛っ!」
「だめとかどの口が言ってんだよ、なあ?」
 弱いところばかりを執拗に狙われて、快楽を通り越した苦痛に涙が溢れてきた。逃げようとしても体重を掛けて体を潰されるだけで、暴力じみた快楽を一方的に受け入れるしかない。
「も、や、だめだめッ、いっちゃ、いっちゃうのぉっ、ぃ、あ゛、いくいくぅう゛~~ッ!!」
 逞しい腕にしがみつきながら全身をこわばらせる。反射的にぴんと脚が伸びて、挿入の角度が少し変わった。それすら甘い刺激になって、びくびくと体を痙攣させながら声にならない悲鳴をあげるばかりだ。
「はっ、はぁっ、も、らめ、ぁ゛、あ、あぅう゛ッ!!」
「俺がまだイってねえだろコラ」
 逃げようとする腰を掴まれ、体を引っ繰り返された。尻だけを高く持ち上げられ、背後から激しく揺さぶられる。モノのように犯されて、体中が被虐的な悦びに震えた。
「ぁ゛ッ、あ、ッ、きもち、ひぃっ、ぃ、あ、ぁ゛んっ、あっ、あーっ、あ゛っ……!」
「あー……くそっ、出る」
 腹の奥に熱いものをぶちまけられて、スキンもしていなかったことに気付いた。普段はボクが生でしたいと言っても病気が怖いからとスキンをするのに、今日はシュウから生で挿れてくれた。うれしい。頭がぽわぽわになって、抜け出せない余韻に溺れる。まるでずっと達しているみたいだ。
「……おい、まだへばんなよ」
「ぁっ……」
 中に埋められた熱は硬度を保ったままで、再び激しく腰を叩きつけられた。快楽を逃がす先さえなくて、強引に押さえつけられながら叫ぶことしかできない。
 この夜がずっと続けばいいのにと、蕩けてぐずぐずになった頭で考える。稼げなくなるのは困るけれど、シュウとずっと一緒にいられるなら、それ以上のことはない。そうすれば気持ち悪いおっさんに股を開かなくても、シュウのことだけずっと感じていられるのだろうか。そんな馬鹿なことが脳裏をよぎった。


 シャワーを出ると、ベッドには呑気に眠るシュウがいた。それが妙に嬉しくて、起こさないようこっそり隣に潜り込んだ。素肌のまま寄り添いあうと、互いの体温が直接伝わって来て、心の芯からぽかぽかと暖かくなる。
「ん……」
 そのまま微睡んでいると、シュウが静かに目を覚ました。眠そうにしているシュウの鼻を軽くつまめば、「なにすんだよ」と小さく笑われる。
「間抜けな顔だなって」
「看板ホストに向かって何いってんだよ」
 他にもこの寝顔を知っている人間がいるのだと思うと、嫉妬で気が狂いそうになる。本音を言うと独り占めしたい。もっともっと金を貢げばこの人の唯一になれるのだろうか。なんて、馬鹿な妄想だ。分かっている。あくまでもシュウはホストで、ボクは客だ。金で繋がる、不安定な絆だ。
 ふと思い出したのは、どこか頼りない雰囲気を纏う記者の言葉だった。もしもホスト通いをやめたらだなんて、馬鹿なことを聞く人だ。やめるつもりなんて微塵もない。少なくとも、シュウがいるかぎりは絶対にやめられない。
「シュウは、もしホストやめたらどうするの?」
 予想もしない質問に驚いたのか、シュウは目をぱちくりさせたあと、考えるように視線を斜め上に向けた。
「あー、まあ、経営とか裏方に回るかな」
「もしホストやってなかったら、何してたと思う?」
 我ながら馬鹿な質問だと思う。やはり取材なんて受けるべきじゃなかったのかもしれない。ただシュウが隣にいて、金の関係でも繋がっていられたらそれでいいのに、変なことを考えてしまいそうになる。
「想像できねえなぁ……」
 ふとシュウの腕が伸びて来て、胸の中に抱き入れられた。ぽつりと耳元で聞こえた声は、いつになく弱々しいものだった。
「取材あったんだって? なんか言われたのか? ホストなんかやめといたほうがいいとか、そんなとこか? ……お前が我にかえったら、俺なんか簡単に捨てられちまうんだろうな……」
 あ、スイッチが入ってしまった、と思う。明るく豪快で、竹を割ったような性格だと言われるシュウは、時折こうして弱った大型犬のようになる。他の女にそれを見せているのかどうかは知らない。けれどボクはおめでたい頭の持ち主なので、きっとボクにだけ弱みを見せてくれているのだと、勝手に勘違いして浮かれるのだ。
「なあ、リツなら分かるだろ。俺らはここ以外、どこにも居場所はねえんだよ」
 その一言が、またどうしようもなくボクを喜ばせた。シュウは「俺ら」と言った。一緒なのだと言ってくれた。シュウの言う通りだ。ボク達はここ以外もうどこにも行けない。ボクはシュウの隣で死ぬ。シュウもボクの隣で死んでくれたら、それ以上に幸福なことはないのに。
「ボク、もっともっとシュウのためにお金使うよ。シュウとずっと一緒にいたいから」
 まだ眠たそうなシュウの瞳と見つめあう。きっと寝ぼけているのだろう。シュウの瞳に映っているのが本当にボクなのかは分からない。けれど今だけは都合のいい夢を見ていたかった。
「ねえ、少しわがまま言ってもいい?」
「なに」
「ボクのこと好きって言って」
 嘘でもいいから、とは続けられなかった。それよりも先にシュウに唇を奪われたからだ。
「愛してる、リツ」
 触れるだけの口づけだった。物足りなくて、じっとシュウを見つめてしまう。散々抱かれたばかりなのに、体は再び熱をくすぶらせていた。
「俺のこと捨てないでくれよ」
「……なに馬鹿なこと言ってんの」
 ちょっとの餌を強請っただけなのに、供給過多で溺れてしまいそうだ。なんてずるいひとだろう。やっぱり分かってやっているのだろうか。無意識だとしたら、もっとたちが悪い。
「愛してる。ボクの命も財産も全部、なにもかもシュウのものだよ」
 しがみ付くように背中に強く腕を回す。他の誰がなんと言おうと、今このひとを独り占めしているのはこのボクだ。本当の唯一になれなかったとしても、それでもボクはこの人を他の誰よりも愛しているし、きっと愛されている。
「ボクの全部が壊れてなくなるまで、ずっと尽くすから」
 壊れるまで……いや、壊れても、すべてを失っても、ボクはこのひとだけを愛している。この腕のぬくもりだけがボクの生きる意味で、世界のすべてなのだから。

 幸せ、だ。


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