僕の愛しい廃棄物

ますじ

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永遠ならばここにある

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 俺の幼馴染はいわゆるオタクだ。彼が熱中しているのは二年ほど前に放送されていた魔法少女モノのアニメで、その以前は確か小さな女の子が武器を背負って戦う漫画だった。二年から三年くらいのサイクルで熱の中心は移り変わっていくものの、基本的には『この世に存在しない少女』を追いかけることには変わらず、その熱中ぶりは全くの一般人である俺から見て少しうらやましいくらいだ。
 夢中になれるものがあることは素晴らしい。俺には彼のように趣味はないが、今の『推し』とやらを語るときのきらきらと輝いたあの瞳は好きだ。確かに興奮すると早口過ぎて聞き取りづらいところはあるが、身振り手振りを交えて、目まぐるしく感情を表現するその姿は、いつ見ても眩しく感じる。子供の頃からそうだった。彼はいわゆる引っ込み思案な性格で、俺以外の前では基本的にいつもおどおどしていて、人前で喋ろうものなら吃って笑われてしまうことも多数ある。それでも俺の前でだけは、いつでもいきいきとして好きなアニメや漫画の話をしてくれた。俺はラジオのリスナーだ。いつも聞いているばかりで、自分が話すことは滅多にない。俺は決して無口な性格ではないが、幼馴染と話す時だけは自分から聞き手に回っている。そうしているほうが好きだからだ。
 告白されたのだと、付き合うことにしてみたのだと、そう告げられたとき、俺の息は止まっていた。何を言われたのか理解できずに固まっていると、目の前の黒い瞳が戸惑いに揺れながら手元に落とされ、そしてほんの微かな笑みを浮かべる。それを見た途端、全身から冷たい汗がどっと吹き出した。
 昼時も過ぎて閑散とした喫茶店の片隅で、俺たちは向かい合っていた。俺の目の前には微温くなった珈琲と、相手の前には汗をかいたメロンソーダが佇んでいる。無意識に溜まっていた生唾を飲み込む。ひりつく喉が痛みを訴えた。
「その、さ……このまま、って、よくないと思ってさ……」
「は? 悠は、なに、その子のこと好きなのか?」
 意図せず、まるで責めるような声が出てしまった。彼は視線を落としたまま、小さく頭を左右に振る。まるで怯えるように情けなく背中を丸めて、テーブルの上で組んだ指を忙しなく動かしていた。
「いや……正直、わからないんだ、そういうのは……でもさ、やっぱり、俺、もうハタチじゃん……この歳になって経験なしって、まずいかな、って」
「なんだよそれ。好きでもないのに付き合うって? 失礼だろ、彼女に」
 薄い肩が小さく跳ねるのが見えた。腹の底に、なにか黒くどろどろとしたものが溜まっていく。内臓が圧迫され、喉が絞まるような息苦しさを感じた。
「それって、その女のこと踏み台にしてやろうって思ってるだけじゃん。相手の好意を利用して、自分の経験値稼ぎにしようとしてんだよ、お前」
 悠のグラスから、からり、と氷の溶ける音がする。何も言わなくなった相手を冷たく見下ろして、ぬるい珈琲を啜った。独特の苦味と酸味が喉を通り抜けて、何故だかきりきりと痛む胃袋を刺激する。俺の前で縮こまり、今にも泣きそうな顔をしている幼馴染は、ダサいTシャツの上にパーカーを羽織り、スタイリングもしていない切りっぱなしの黒髪に寝癖をつけている。昔から変わらない、安心するくらいに野暮ったい見た目だ。その度数のきつい眼鏡を外して、クソダサい服を着せ替えて髪を整えてやれば、実は意外といい素材をしている。俺だけが知っていることだ。普段の見た目ではまず女は寄ってこないし、今までこいつが女に告白されたという話を聞いたこともない。だから動揺した。こいつが『二次元』以外に目を向ける可能性が少しでもあるだなんて、考えたこともなかった。
「やめとけよ。お前、多分からかわれてる。弄ばれて捨てられるかもしれないぞ」
「……さっきと、言ってることが違うんじゃない?」
 静かな切り返しに、何も答えられなくなった。あまりに居心地が悪くて、誤魔化すように珈琲を啜る。好物のはずが吐きそうなほど苦く感じた。
「……きみなら、一緒に喜んでくれると、思った」
「え?」
 小さく呟かれた言葉に、珈琲カップを落としそうになった。木が擦れる軽い振動がしたかと思うと、目の前に千円札が一枚置かれた。無言で立ち上がった相手の、首から下だけが見える。こいつの好きな、なんとかというアニメのキャラクターと目が合った。
「いつも、僕と一緒に喜んで、楽しんで、笑ってくれる陽斗が好きで、嬉しかった」
 それだけ言い残し去っていく背中を見送る。がちゃりと派手な音がして、カップがテーブルに転がった。割れることはなかったが、生ぬるい液体がテーブルに広がり、膝に滴り落ちた。気づいた店員がおしぼりを持って駆けつけてくるが、大丈夫ですか、とかけられた声も分厚い膜の外にあり、頭に入ってこない。
 メロンソーダはほとんど残っていた。子供の頃から変わらないあいつの好物で、俺が勝手に注文した。氷が溶けて、上のほうが透明になっている。炭酸とメロンシロップがあれば自宅でも簡単に作れるんだよ、と嬉しそうに話していたことを思い出す。不器用でこぼしてしまうからと、いつもさしていたストローは、袋に入ったままテーブルに放置されていた。
 
 
「くそ、くそっ、くそっ!」
 帰宅するなり枕に殴りかかり、それでは足らずに手当たり次第に物を壁に向かって投げつけた。重い灰皿が壁を凹ませたが、それでも俺は止まらずに、机の上のものを全て薙ぎ払って地面に落とした。放置していたグラスが割れて破片が散らばる。
 俺の頭は怒りで煮え滾っていた。だってそうだろう、これまで俺にくっついてきて俺以外に友達もいなければ恋人だって作れなかった悠が、俺から去っていこうとしているのだ。許せるはずがなかった。悠は引っ込み思案で気が弱くて、いつも俺の背にくっついて、あいつの世界には俺と二次元しかないはずだった。あいつに言い寄ったという女のことが憎くてたまらない。きっと悠の気弱な性格に付け込んで金を巻き上げようとしている性悪だ。悠はああ見えて絵の才能がある。最近、絵の仕事が軌道に乗って稼いでいることを、その女が嗅ぎつけたのだ。SNSでの悠はちょっとした有名人だ。ただのオタクから、人気のクリエイターにまで駆け上がった。素晴らしいことだ。俺は誇らしい。だからこそ余計に、悠をたぶらかそうとした女の存在が許せなかった。
 いままで誰一人として悠の魅力に気付いた女はいない。それなのに、ちょっとでも名が売れた途端に寄ってくる。ハエより不潔で鬱陶しい。
「一緒に、喜ぶ……」
 悠の言葉を思い出し、いっそう苦い気持ちになる。確かに俺は、悠の喜んでいる姿を見るのが好きだった。悠の好きなアニメの話を聞くことも好きだし、絵を認められて、お金を貰って誇らしげにしている姿を見て、俺まで嬉しくなった。だが、今回は、話が違う。なんだ、女? 今更女なんて、馬鹿じゃないのか、悠。お前は二次元にしか興味がないって、言っていたじゃないか。
「悠……」
 投げつけたスマートフォンを拾いあげる。画面にヒビが入っていたが、壊れてはいないようだった。連絡アプリを立ち上げて、悠とのトーク画面を呼び出す。最後のやり取りは、今日の待ち合わせについてだった。考える前に通話ボタンを押す。しばらく呼び出し音が鳴ったが、相手が応答することはなく、それどころか切られてしまった。諦めてスマートフォンを投げ出し、乱れたベッドに倒れ込む。
 悠を手放す訳にはいかない。
 悠には俺でなければ駄目なのだ。
 このままどこの馬の骨ともしれない女に奪われてしまうだなんて、あってはならない。
 
 
 
『この前のことを謝りたい。少し会えないだろうか。ご馳走したいから俺の家だと嬉しい』
 冷静に見れば怪しさしかない俺のメッセージに了承の返事があってから数十分後、悠はいつものダサい服装で俺の部屋を訪れた。オタクらしいチェック柄のシャツを色あせたデニムパンツに入れて、少し猫背で玄関に立っている。そんな悠の姿に少しの安堵感を覚えつつ、まあ上がってくれと声をかけ、部屋の中へと促した。悠は無意味に大きなリュックサックを置いた後、炬燵に入り込んでほうっと息をつく。外はさぞ寒かったことだろう。予報では夜に雪が降るとも言っていた。そろそろ日も傾きかけているから、外の気温はぐんと下がっているに違いない。
「今日はなに?」
「牡蠣鍋」
「やった!」
 カセットコンロを準備した炬燵に鍋を運び、火をかける。悠が来る前にある程度火は通しておいたので、蓋はせずに軽く具材を掻き混ぜながら様子を見た。
「そうだ、酒持ってくるわ」
「あ、僕も買ってきたんだ。ご馳走になるばっかりじゃ悪いし」
 悠が大きなリュックサックを漁る。がさごそとビニール袋の音がしたあと、俺の好きな銘柄の焼酎が顔を出した。慣れ親しんだ黒いボトルだ。
「すげえ気が利くじゃん。どうしたの」
「僕も今日は飲みたい気分だっただけだよ」
 悠が眉を下げながら笑う。俺が何を考えているのかも知らず酒なんて持ってきた悠は、まさしく鴨が葱を背負ってきたも同然だ。こいつはたいして酒も強くないくせに、いつも俺に付き合って飲みたがる。それで毎回潰されるのだ。それでも懲りずに俺の酒に付き合おうとするから、そういうところは本当に馬鹿で、可愛いと思う。
 水割り用のセットを持ってきて炬燵の横に並べる。悠の分はいつも薄めに作るが、今日は俺と同じ割合で作って渡した。そうしているうちに具材も煮え上がり、ささやかな鍋パーティーが始まる。
「それじゃ、乾杯」
「かんぱーい」
 軽快な音を立ててグラスがぶつかる。悠はいつもよりも濃い水割りを一口飲むと、少しだけ変な顔をしたが、何も言わなかった。男だからまだしも、女だったら警戒すべきところだ。危機感がないやつだなと思ったが、幼馴染の俺が相手なのだから当たり前か、と納得する。今からその信頼が裏切られるとも知らずに、悠はよそった鍋の中身を口に運び、美味しそうに頬を緩める。
「うん。やっぱり陽斗のご飯は美味しいな」
「ただ具材ぶっこんで煮込んだだけだって」
 ポン酢に浸した牡蠣を口に放り込むと、熱々の出汁が口内に溢れた。はふはふと息をしながら、ほろ苦い旨味のある内臓を味わう。牡蠣は悠の好物の一つでもあって、俺も好きだ。俺達は冬になると必ず週に月に二、三度くらい、どちらかの家で鍋を囲んでいる。牡蠣鍋はその定番メニューの一つだ。
 それから暫く他愛ない会話をしながら鍋を囲んだ。悠の話題は主にアニメの話かSNSの内容が多い。今日は珍しく仕事の愚痴も聞けた。少し質の悪いクライアントにかち合ったらしく、あんなに嫌な気持ちで仕事を納品したのは久しぶりだと洩らしていた。俺もそんな悠の話に相槌を打ちながら、豚肉を口に放り込み、味わいながら焼酎にも口をつける。
「……ん。それでさ、悠、こないだのことだけど」
「付き合ってみることにしたよ」
 俺の言葉を遮るように告げられた一言に、鍋をつつこうとした箸が止まる。悪かった、と続くはずだった言葉は飲み込まれ、心臓に冷たい水が注ぎ込まれた。
「……そう」
「俺の趣味にも理解がある子だし、いいかなって思って」
 何がいいと思って? 首を捻りたくなる気持ちを抑えて、ぎこちない笑みを浮かべる。悠は俺を見ることなく、糸こんにゃくを熱そうに啜っていた。俺は一気に食欲が減退していくのを感じて、無言で箸を置く。代わりにグラスを引っ掴んで、中身を一気に飲み干した。
「……っは、そっか。うん、そっか」
「陽斗もさ、女の子フッてばっかりいないで、付き合ってみたら?」
「それもそうだな」
 思ってもいない返事をして、空のグラスに焼酎を注ぐ。今度は水割りではなく氷だけ足してロックで飲むことにした。25度のアルコールが喉を焼きながら胃袋へと落ちていく。悠はもう酔いが回ったのか、それとも鍋で温まったのか、ほんのりと赤い頬をして眠そうに蕩けた瞳をしていた。
「陽斗ってさぁ、もったいないって言われない?」
「はあ……」
 ため息混じりの返事をする俺も気にせず、悠が氷の溶けた水割りを口に運ぶ。男にしては小さめの喉仏が上下して、中身を空にしていった。酒でとろんとなった瞳が俺を見上げる。
「なんでいつもフッちゃうの?」
「いや、興味ないっていうか……」
「陽斗って童貞じゃないよね」
「そんなわけないだろ」
「陽斗はかっこいいなあ」
「突然だな」
「陽斗はさ、俺の憧れっていうか、いつも俺の一歩先を行って、すごいなあって思うし、置いてかれちゃいそうだなって思う時もあるんだぁ」
「はあ……」
 空になった悠のグラスを奪って、また少し濃い目の水割りを作る。既に酒の回っている悠は、アルコールの濃度も分からなくなっていることだろう。普段の悠ならば飲めない濃さにしたものを突き出す。悠は何の疑いもなくそれに口をつけたあと、やはり少し怪訝そうな顔をした。
「酔ってきた?」
「うーんそうかも」
 悠の頭がこくりこくりと舟を漕ぐ。俺がわざと酒を濃くしていることには気付いていそうだが、あえて何も指摘しないだけかもしれない。信頼されているのだと思うと口許が緩みそうになる。
「あぅ……目が回ってきた……」
「眠いなら寝ちゃいなよ」
 まだ飯も酒も残っているので勿体ないと思ったのだろう、悠は首を左右に振るものの、今にも瞼が落ちそうだ。そんな悠に微笑みながら、最後の一押しをする。
「飯ならまた起きてから食べればいいし、眠いなら寝たほうがいい。ベッド貸すから」
「んん……ごめん……」
 悠は何の疑いもなく俺のベッドに上がると、ころりと横になり目を閉じてしまう。自然と生唾を飲みながら、布団をかけてやるふりをして悠に近づいた。悠はもう寝入ったようで、すやすやと安らかな寝息が聞こえる。子供のようにあどけない寝顔が可愛らしい。
「ごめんな、悠」
 謝る言葉もどこか白々しい。悪いとは言っても反省はしていないし後悔も躊躇いもなかった。俺はただ悠を取り戻すだけだ。何もおかしなことは、していない。
 
 
 
 宅配ボックスで荷物を回収し、古びた階段を上る。逸る気持ちを抑えて扉の前に立つと、自然と口の中に唾が溜まって飲み込んだ。仕事中も、一刻も早く帰りたいという気持ちでいっぱいだったし、今だって一秒でも早く彼の顔が見たくてたまらない。焦るせいか少し震える手で鍵を開け、中に入る。靴を脱ぎながら「ただいま」と声をかけると、部屋の奥からくぐもった声が聞こえてきた。
「いいこにしてた?」
 狭いワンルームの低いベッドに、小さく蹲る影がある。呼びかけられたことでびくりと震え上がると、濡れた瞳で俺を見上げて、縋るように何度も頷いた。その両手は手錠で一纏めにされ、足には枷が嵌っており、短い鎖がベッドの足に繋がっている。しかし何より目を引くのは、煽情的に朱く染まったその顔だ。口には猿轡が嵌められ、瞳は快楽に蕩けている。衣服は身に纏っておらず、股の間には激しく振動する性具の姿が二つあった。一つは柔らかな尻肉の間に埋まり、もうひとつはわずかに芯を持っている男性器に固定されている。
「何回イッた?」
 猿轡を外すと、とろりと唾液が伝って千切れた。悠は真っ赤に腫れた目で瞬きを繰り返したあと、消え入りそうな声で、分からない、と答える。
 あの日、悠が酔っ払って眠ってしまったあと、俺はあらかじめ用意しておいた拘束具で悠を俺のベッドに繋ぎ、見事に監禁を成功させた。悠のスマートフォンも手の届かない位置へと追いやり、食事や排泄も俺が面倒を見ている。目を覚ました悠は何が起きたのか分からず混乱していたが、感極まり性欲の高まった俺にレイプされてから、ようやく状況を理解したらしい。それからは、殺されないようにと思ってか、逃げようともせず大人しくしている。従順な悠を見ていると支配欲をたまらなく満たされたが、もっと抵抗されることを想定していたから、なんだか拍子抜けするような妙な気持ちになったのは否めない。そうして悠をこの部屋に閉じ込めてから、今日で五日目になる。あれから毎日、俺は悠を犯している。
「分からないか。そっか。じゃあ言いつけ守れたかも分からないんだ」
「ぁっ……い、いっかい……だけ……」
 悠の瞳が分かりやすく揺れる。嘘を吐いていることは一目瞭然だった。俺は昼休みに様子を見にきてから家を出る時、悠に対して「イッていいのは一回だけ」と言いつけている。しかしシーツに出来た水溜りを見れば、一度で終わらなかったことは明白だ。言いつけも守れず、永遠のような快楽責めは、悠にとっては地獄のような時間だったろう。一体どんな折檻を受けることになるのか、不安と期待で気が狂いそうだったに違いない。考えるだけで口許がにやけるのを止められなかった。
「だーめ。嘘つきには尚更、お仕置きだな」
「ひっ……ごめんなさっ……ごめんなさい……っ」
 悠の声に嗚咽が混じり、可哀相なほど震える。いつもは眼鏡の奥に隠れている愛らしい瞳から、ぽろぽろと大粒の涙がこぼれ落ちた。怯えて縮こまる悠の側に腰掛け、受け取ったばかりの荷持を開封する。精密機器取扱い注意、なんてもっともらしいことが書かれているが、中身はただの性具だ。シリコン製で、小さな球体が並んだ形をしている。細長く尿道に挿入するには最適なサイズである。振動機能も備わった優れものだが、三千円程で買えてしまったので、すぐに壊れて買い直しになるだろう。
 悠が得体の知れないものを見る目をして後退ろうとする。腕を掴んで引きずり戻してやると、ひっと怯えきった悲鳴が上がって、俺の股間も熱くなった。今まで尻を使ったセックスは五日間たっぷりしてきたが、尿道を使うのは初めてである。いいや、尿道に『玩具』を入れるのが初めてだ。三日ほど前、悠が尿道口を擦ってやると潮をふくと判明したとき、試しに綿棒を入れてやったことがあった。その時は少し痛がっていたが、萎えていなかったので、素質はあるだろう。それもあって、三日前から毎日少しずつ尿道を綿棒で慣らしてやっていた。今日が本番というわけだ。
「ほら、悠の大好きなおしっこの穴、これでぐちぐちしてやるよ」
「ぅあ……い、や……いやだ、それは……」
「嫌だ? 嬉しいんだろ、素直になれよ」
 尻を犯すバイブの強度を上げてやると、悠の体が飛び上がり、力が抜けた。その隙に、ペニスを責めていた玩具は取り払い、尿道バイブにローションをたっぷり塗りつける。嫌だと言ったわりには勃起しているペニスを掴み、鈴口に玩具を押し付けた。ぬ、と先端が埋まり、悠から苦しげなうめき声が上がる。構わずゆっくりと挿入していくと、前からの違和感と、後ろからの快楽で混乱したのか、悲鳴なのか嗚咽なのか嬌声なのか分からない声で悠が喚いた。
「はひぃっ、ぃ、あっ、ひっ、ひっぐ、ぁ、あ、やらあっ、やめへぇっ、ぬいれ、あぅうううっ!!!」
 ずるんっ、と奥のほうまで挿入し、小刻みに動かしてみる。すると面白いほど悠の腰が跳ねて、俺にペニスを突き出すような体勢になった。もっとしてほしいと言わんばかりだ。持ち手の部分をとんとんと指先で叩いて振動を与えてみる。前立腺にでも当たっているのか、悠から裏返った嬌声がひっきりなしに洩れて、腰ががくがくと震えていた。
「あ、あぁ、あ、あっ、ひっ、それぇっ、はひっ、ひっ、へんっ、へんなるかりゃぁっ、らぇ、あ、あぁあーっ、あぁあぁ~~っ!!」
 忘れていた尿道バイブのスイッチを入れ、悠から体を離す。ひときわ大きく悠の体が跳ねて、そのままベッドに沈んでいった。悠のぐしゃぐしゃに濡れた顔が俺を向く。そこに痛みなんてものは少しも存在しないように見えた。ただ、快楽に支配され、わけも分からなくされているのだろう。前からも後ろからも強烈な刺激を与えられて、壊れてしまいそうなのだ。
 全身をびくつかせ、何もないところに向かって腰を揺らしている悠の姿は、非常にいやらしくて可愛らしかった。口は開きっぱなしで、垂れた涎がシーツに染みを作っている。
「ぁ、あっ、ひっ、とめへぇっ、おねが、ひっ、ぁぅ、あ、ぁ、あぁあっ、ぁっ、あぅうっ!」
 もう気持ちいいのはいらない、と、悠が泣きながら訴える。俺は自然と窮屈になっていたズボンの前を緩めながら、耳に心地いい悠の嬌声を聞いていた。取り出した俺のペニスはすっかりいきり立ち、先端からだらしなく涎を垂らしている。早く悠の中にぶちこみたかったが、悠はたいそう玩具が気に入ったようだ。腰を揺らして泣きじゃくりながらとろとろになった顔を晒している。それならもう少し遊ばせてやるべきだろう。俺は優しい。
「悠、舐めて」
「ふぐ……ぅ、うぅうう……」
 目の前にペニスを突き出すと、悠は躊躇うことなく舌を這わせ、玉から亀頭までを舐め上げる。それからじゅると厭らしい音を立ててしゃぶりつくと、喉と舌を使って愛撫し始めた。少し不器用で不慣れながらも懸命に俺を満足させようとしているところが、また支配欲やら庇護欲やらをくすぐる。
「ほら、もっと奥まで咥えて、締めて」
「んぐぅ……ンッ、ぐ、ぉ゛っ……」
 鼻水まみれの汚い顔を晒しながら、悠が必死で喉を締めて俺を喜ばせる。悠の頭を掴んで軽く腰を押し付けてみると、苦しげに呻きながらも悠は逃げなかった。喉の奥へ奥へと目指して、自分の快感だけを追って腰を揺さぶる。生理的な拒絶反応からきつく締まる喉が気持ちいい。悠は抵抗しないのか、それとも出来ないのか、されるがまま俺に喉を犯されていた。
「ぐっ、ぅ、うぅうっ、あ、ぉ゛っ、ッッ!!」
「っはー……悠の喉きもちぃ……」
 頭を押さえつけていた手で悠の両耳を塞ぐ。音が響くのが恥ずかしいのか、無抵抗だった悠が嫌がるように軽く身じろいだ。その反応がまた面白くて、耳は塞いだまま自分勝手に腰を動かす。喉を塞がれ呼吸もままならず、聴覚まで奪われてさぞ苦しく恥ずかしいことだろう。悠の涙と鼻水と汗でどろどろに汚れた顔を見下ろす。苦痛に歪んだ顔の中で、甘く蕩けた瞳と目があった。
「……っ、く」
「~~ッッ……!!!」
 喉の奥に向かって思い切り精液を吐き出す。全身を開放感が満たして、悠の口の中で自身が柔らかく萎れていった。まだ悠の口から抜け出さずにいると、尿道に残ったものまでじゅるじゅると吸い上げられ、ペニス全体を掃除をするように舐め取られた。まだまだ少しぎこちないながらも、順調に俺の教え込んだものを身につけていく悠が愛しくてたまらなくなる。
「いい子だ、悠」
 ずるりとペニスを抜き取り、呆けている悠の頭を優しく撫でる。力の抜けている腰を持ち上げると、尻の中で振動しているバイブを一気に引き抜いた。いいところを掠めていったのか、鼻にかかった甘い悲鳴が響く。
「逃げるなよ、悠」
「あ、ぅ……」
 手錠と足枷があって逃げられるわけもないのに、それでも不安で脅すように声をかける。悠は怯えた瞳を見せたあと、ゆるく首を上下に振って頷いた。
「にげ、ない……にげない、よ……」
「俺のこと好き?」
 すき、と震えながら言葉を紡ぐ唇は、しっとりと濡れていて美味しそうだ。上擦った声はきっと本心ではないだろう。ここで抵抗すれば何をされるか分からない恐怖がそう言わせている。分かっている。だが喜んでしまうのは仕方ない。俺のだらしない下半身はまたも勃起して、悠の中に入りたいと泣いていた。
「好きなら、ずっとここに居てくれるよな」
「ぇ、あ、……~~~~ッ!!!」
 答えも待たずに、すっかり熟している尻穴にペニスを突き入れる。一気に奥まで侵入すると、悠の大好きな結腸が俺を待ち構えていた。こつこつと小刻みに奥を叩きながら、少しずつ結合を深くしていく。悠はされるがまま俺に揺さぶられ、潰れたカエルのような格好で喘いでいた。
「ひっ、ひぃっ、ぁ、はるとぉ、あっ、まっ、ぁ、そこ、ほんとにっ、はいっちゃらめなの、にぃっ、ぅ、ふぅっ……!」
「ばか言ってんなよ、いつも喜んでんじゃん」
 ぐりぐりと円を描くようにして、結腸へと侵入していく。悠の足がぴんと強張って、俺の背中を蹴り上げた。仰け反った顎先に涎が伝っている。それを舐め取ってから、押し潰すように覆い被さり唇に噛み付いた。
「んっんっ、ぐっ、ふぅっ、んんーっ、んっ、ふっ……!」
 奥で縮こまっている舌を引きずり出し、粘膜同士こすり合わせる。ぬるぬるとした感触が心地よく、自然と律動も激しくなった。混ざりあった唾液を啜り、相手の舌に軽く歯を立てる。一瞬痛みに小さく呻き声が上がったが、それでも悠は大人しく俺に舌をなぶられ、気持ちよさそうにしていた。
「っふ、……はーっ、はは、すげぇ、きゅうきゅう締まる……」
 口を離すと、名残を惜しむような糸が互いの唇を繋いだ。萎えずにいる悠のペニスに手を添えて、小さく震えているバイブを少しだけ引きずり出す。悠の腰が浮いて可哀相なほどがくがくと震えた。擬似的な排泄感があるのか、力の抜けた嬌声が響く。
「ぁ、あ、はるぅ……あっ、ひっ、ひぃっ、それぇっ、ぃっ、あ、あっ」
「ん、これ? きもちいい?」
 小刻みに押し込んでは引いてを繰り返しながら、またゆっくりと奥まで押し込んでいく。前からも後ろからも快楽を与えれば、悠の理性は簡単に壊れていった。どろりと蕩けきった瞳が俺を見つめている。
「は、ぅ、はるとぉ、はる、ぁ、あ、ひぃっ……!?」
 尿道バイブの振動を強へと切り替える。悠の腰が持ち上がり、中が激しく収縮した。その締め付けで達してしまいそうになり、唇を噛み締めてやり過ごす。隙間もないほど繋がったまま、悠を押し潰すくらいの気持ちで伸し掛かり、上から腰を叩きつけた。
「ひっ、ひぃっ、あ、はるとぉっ、は、ぁぁっ、あ、いっ、いっちゃ、ひっ、なんかくる、なんかぁっ、へんにゃのきひゃうよぉおっ!」
「あー、いいよ、イっちゃって」
 尿道バイブを揺すりながら、結腸をとんとんと小刻みに叩く。悠から甲高い悲鳴が上がり、腰が激しく震え上がった。射精を伴わない絶頂を迎えた悠は、その余韻から降りて来られないようで、目を白黒させながら喘いでいた。
「ひぁ、あっ、あぁあっ、はるとぉ、ぁ、う、あう……」
「っん、は……悠……っ」
 跳ねる体を上から抑えつけ、俺も締め付けに耐えきれず奥へと精子を放出する。二度目ということもあって量は多くなかったが、悠の奥に種をつけると深い満足感を得られた。最後の一滴まで出し切ったあと、顔中に優しくキスを降らせながら、精子を塗りつけるように軽く腰を揺らす。頑張ったな、かわいいよ、と頭を撫でれば、とろりとした瞳で悠が微笑んだ。
「はるとぉ……」
「ん、なんだ?」
「これ、はずして……?」
 じゃらりと鎖の音がする。途端に頭が冷えて、ぶり返しかけていた熱も引いていった。それと同時に苛立ちが芽生えて、怒りで目の前が真っ赤になる。
 こいつは従順なふりをして、虎視眈々と逃げるタイミングを伺っていたのだ。セックスして気が緩んでいれば俺が拘束を外すと思って、わざと受け入れていたということか。ここまで大人しくしておいて、俺を油断させたつもりでいたのだ。
「ふざけるなよ」
「はると……」
 ぐったりしている悠を放置して、一人で風呂場へ向かう。急に吐き気が襲ってきて、途中で便所に駆け込んだ。昼に食べたものがろくに消化されないまま逆流し、便器の中を汚していった。
 俺は最低だ。幼馴染を監禁している。犯罪者だ。いつ捕まるかも分からない。
「はは……お゛ぇええっ」
 笑うとまた吐き気に襲われて、胃の中身を全て便器にぶちまけた。胃が空になってからはひたすらすっぱい胃液を吐いていた。喉が焼けて痛みを訴えている。監禁。犯罪者。言葉が重くのしかかる。いいや、俺は悠を手放すわけにはいかないのだ。どんな手段を使ったとしても手元に置いておかねばならない。そのためなら犯罪者にだってなんにでもなる。だが、悠は? 悠の気持ちは? 悠の意思を無視して閉じ込め無理矢理犯して、幼馴染としてこれまで築き上げてきた信頼も友情もなにもかも裏切ってぶち壊して、そうして俺は、悠の何を手に入れたのだろう。
 レバーを引いて吐瀉物を流す。綺麗さっぱり元通りになった便器を見下ろしながら、俺は半笑いで自分の腕を引っ掻いていた。
 
 
 
「陽斗、今日も仕事休むの?」
 カーテンからの眩しい日差しで目を覚ます。体を起こすと、寝ぼけ眼で悠が問いかけてきた。億劫な気持ちになりつつスマートフォンを確認する。大量の着信とメッセージが入っていた。俺は枕元から焼酎の入ったグラスをひったくると、一気に中身を煽った。喉を焼くアルコールで頭がぼやけて、心地よい繭の中に閉じ込められた感覚になる。
「仕事には行かない」
「……そっか」
 悠を監禁してから約一週間、そして俺が仕事を無断欠勤しだしてから三日目になる。その間俺達は酒を飲んでセックスしてを繰り返していた。もちろん誰にもどこにも連絡は取っていないし、酒や食料は買い溜めたので外出もしていない。フリーランスである悠も、さすがにそろそろ連絡がつかないと騒ぎになっている頃だろう。今現在抱えている仕事はないと言っていたが、友人知人からの連絡にも一切返せない状況だ。誰かしら異変を察知しているに違いないし、だいいち、悠と付き合うことになっていた女の存在がある。誰よりも先に気づくのは女だろう。名前も顔も知らない女だが、俺はそいつのことを誰よりも警戒している。
「そんなに休んで大丈夫?」
「悠こそ、ここに居たら仕事できないな」
 隣から苦笑が聞こえた。絵が描けないのはつらいなあ、とぼやく悠に、わずかな胸の痛みを覚える。ここでは絵も描けなければ、悠の大好きなアニメを見ることも、ゲームをすることも出来ない。ただベッドに繋がれて、俺に犯されている。気が狂いそうな毎日だろう。それでも悠は一度も俺を責めるようなことを言わなかったし、ここから出せとも、帰してくれとも言わなかった。抵抗するほど相手を刺激すると分かっているあたり、悠は賢い。
「ずっとこうしていればいいんだよ。仕事とかもう、どうでもいい」
 横にいる悠を抱き寄せる。そのまま組み敷かれても悠は何も言わず、抵抗もしなかった。このあたりで油断して拘束を解けば、隙をついて逃げられるのが定石だ。俺は悠を逃さない。何があっても手放さない。このまま二人で、ベッドの上で死んだっていい。
 
 
 三週間が経った。俺は仕事にも戻らず、ただ毎日悠とベッドで過ごしていた。いつ警察が来るかと身構えていたが、なぜかその気配もない。スマートフォンはいい加減にうるさくなったので電源を落とした。飯を食うのも億劫になってきて、俺と悠はただ毎日、眠っているかセックスしているかのどちらかだ。日に日に体が重くなっていって、何をする気も起きなくなってくる。それでも悠の側にいると性欲だけは出てくるのだから、人の体は本当に不思議だ。いいや性欲というよりも、これは食欲に近いのかもしれない。悠を食べたい、一つになりたい、そんな思いから毎日体を繋げる。悠で食欲を満たしているから食事もいらない。なるほどそれなら合点がいく。
 
 
 一ヶ月が経っても状況は変わらなかったが、俺も悠も少しずつ弱っていった。とくに悠の衰弱は激しい。排泄は俺が手伝って便所まで連れて行っているが、正直もう歩くのも辛いようだ。そろそろおむつを導入してやる頃だろうかと思いながら、今日も俺は悠を犯す。悠は変わらず淫乱で、俺が何をしても喜んでイき狂った。悠の体はもうすっかり雌だ。毎日いじっているおかげで乳首は女のようにぷっくりと膨らんでいるし、尻の穴も柔らかく縦に割れてきた。ただ、三日くらい前からだろうか、悠が「絵が描きたいな」とぼやくようになった。そのたびに心臓の奥のほうに針が刺さって、痛くてたまらない。
 
 それでも俺は悠を手放したくなかった。悠の心や体を殺してしまったとしても、それでも俺は悠を手放さない。悠が本当に死んでしまうことがあったなら、俺もこのベッドで首をくくって死ぬ。
 だから永遠にこのままで、…………。
 
 
「悠はずっとここにいてくれよ」
「うん」
「俺と悠は一緒に死ぬんだ」
「うん」
「うんじゃなくてもっと何か言ってくれよ」
「監禁なんて二次元だけで十分だって言うじゃん? 実際に僕は、そういうアニメが好きだしよく見たけど、誰彼構わず監禁したいとか、人を殺したいとかって思うわけじゃなかった」
「何の話だよ」
「ただ、価値観とか、幸せの感じ方は人それぞれなんだなあって思ったんだ」
「よく分からねえよ」
「好きだよ、陽斗」
「…………」
「大好き」
「一緒にいてくれるのか」
「もちろん」
「悠は本当に俺のことが好きなのか?」
「そうでないとここにいないよ」
「でもお前は監禁されてる」
「そうだね」
「好きだっていうのは俺を油断させるためなんだろう」
「陽斗はそう思うの?」
「嫌だ! いやだいやだ駄目だ、やめろ、絶対に逃げるな!」
「わかってるよ、落ち着いて、陽斗」
「どこにも行くな」
「陽斗だって」
「え?」
「大好きだよ陽斗」
「うそだ」
「可哀相な陽斗」
「うるさい」
「本当に大好き」
「ああぁああああ……」
 
「騙されているのは、陽斗のほうだよ」
 
 
 
「……はい。いいえ。ちがいます。悠の、幼馴染の倉橋です。はじめまして。急に、ごめんなさい」
 街の雑踏で意識が浮上した。気づくと俺は部屋着のまま裸足で外を歩いていて、誰かに電話をかけていた。見知らぬ女性の声がする。吐き出す息が白い。
「◯◯三丁目の**マンションです。悠を助けにきてください。俺が監禁しました。あなたと悠が付き合うのが許せなくて」
 通行人の視線が刺さる。一体どうして俺は外に出ているのか、電話の相手は誰なのか、分かるようで何も分からない。まるで夢の中のようだ。現実感が乏しい。空から白い物がはらはらと舞い落ちてきた。寒さは感じなかった。小石を踏みしめたが、痛みもない。
『あの……なんの話ですか?』
 電話口から女性の怪訝そうな声が聞こえる。なぜそんなことを尋ねられるのか分からず、思わず立ち止まった。
「何って……あなたの彼氏になる、成瀬悠。あいつを、俺、監禁したんです」
『いや……私、悠さんにはとっくに振られてますけど』
 すぐ側を大型トラックが通り過ぎ、風圧で髪の毛が巻き上げられた。今まで前髪で隠れていた視界の向こうに、小さな公園が見える。昔、俺と悠がいつも遊んでいた公園だ。昔の悠は俺に対してだけ悪戯好きで、いつだったか、俺の足を砂場に埋めて動けないようにしたことがあった。その状態のまま無理矢理ままごとを日が沈みかけるまでやらされて、ついに俺が泣き出したことがある。それ以降は質の悪い悪戯はしなくなったし、遠い過去の記憶だが、何故か今になってふと思い出した。
『悠さんとはもう会ってもいませんし、それに悠さん、一ヶ月くらい前になんか「旅行してくる」とか言って、今仕事も受注してないとか。あの、倉橋さんでしたっけ? それで、監禁って一体……』
 女性の声が遠ざかる。手からスマートフォンが滑り落ち、からりと地面に叩きつけられた。足元に何かの影が落ちる。どこか遠くで悲鳴が聞こえたような気がした。スローモーションのように、影が少しずつ大きくなる。
「あ」
 頭上だ。
 気付いたときには、激しい衝撃が俺を襲い、意識が暗転した。
 
 
 
 
 喫茶店を出て、僕は思わず笑いだしていた。脳裏に浮かぶのは、僕に拒絶され呆然とする陽斗の姿だ。上手くいくかは分からなかったが、どうやら僕もなかなかの演技派だったようだ。空からはにわか雨がしとしとと降り出していたが、体が濡れるのも気にならなかった。
 陽斗はいつも僕の先を歩くひとだ。
 子供の頃から陽斗は目立つ存在で、顔立ちもよくて元気がよく、運動も勉強もできるとなれば異性が放っておかないし、大人達からの人気も高かった。そのうえ問題行動もない模範生で、誰からも好かれるとまで言うと大袈裟だが、ほとんど常に人々の中心にいて笑っている、そんな人だ。
 それに対して僕は昔から地味な引っ込み思案で、どうして僕と陽斗が一緒に遊ぶようになったのかはよく覚えていない。陽斗も常に僕と一緒にいるわけではなくて、ほかの沢山の友達とも遊んでいたし、ただその中で特別僕と仲良くしてくれた、その程度だったと思う。僕はというと陽斗以外に友達がなかなか出来なくて、いつも陽斗の背にひっついて歩いている、いわゆる金魚のフンだった。
 陽斗は子供の頃からずっと、僕の世界の中心だ。けれど陽斗と僕は歩幅が合わない。僕が三歩進んで二歩下がる間に、陽斗は四歩も五歩も進む人だ。それでも時々立ち止まって僕のことを待ってはくれたけれど、いつ完全に僕のことを置いていってしまうか分からない。
 陽斗は僕の大切さにきちんと気付いていないんだ。
 僕達は子供の頃からずっと一緒にいた。お互いにはお互いが一番で、かけがえない存在で、言うなれば己の片割れみたいな存在だと思っている。けれど陽斗は、そんな片割れの僕を置いて先に歩いていってしまう。僕はそれが怖かった。いつ本当に陽斗の背中に手が届かなくなってしまうか、そう考えると眠れないくらいに恐ろしくなった。
 あの女に声をかけられたのは、僕も全く想定していない出来事だった。当然ながら陽斗以外に興味のない僕は断ったが、そこでふと脳裏をよぎったのが、陽斗のことだ。あの陽斗の反応が見たい。今まで僕を置いていった陽斗が、僕に置いて行かれそうになったらどうするのかが見たい。あわよくば僕がいかに陽斗にとって大きな存在かを自覚してほしい。僕のことを独占したいと、もっと強烈に、もっと、もっと僕を求めてほしい。僕は陽斗に狂ってほしいんだ。僕がいないとどうにもならないと、僕のことを殺して食べてしまいたいと思うくらいに、僕のことが大好きだって認めて、自覚して、狂ってほしい。
 陽斗は必ず、僕を取り戻そうとする。それだけは確信している。陽斗が僕を諦めることは絶対にない。だからこそ芝居を打って陽斗を騙した。僕の思い通りになってくれるはずだが、そうとは言ってもここから先は陽斗次第だ。
 通行人の視線も気にせず、鼻歌まじりに歩き出す。陽斗はどう行動に出てくれるのだろう。相手の女を殺してしまうだろうか。それとも僕を拐いにくるだろうか。もしかしたら僕が殺されてしまうかもしれない。それはそれでいい。楽しみだ。陽斗はどんなふうに僕と狂っていってくれるのだろう。楽しみで、楽しみで、僕は雨の中歌いだしていた。
 
 
 
 
 倉橋陽斗が事故に遭ったと報せがあったのは、およそ三ヶ月前のことだった。とうに本人は怪我も治り退院し、今は幼馴染の支援を受けながら一緒に暮らしているとのことだ。
 同僚である倉橋は真面目で成績もよく、会社にとっても欠かせない存在だった。突然の無断欠勤が続いたときは部署内もてんてこまいになったし、事故にあい重傷だと報せが入ったときは、泣き出す女性職員も居たほどだ。どうやら倉橋は精神を病んでいたようで、一ヶ月以上も引きこもったあと、夢遊病のように外を歩いている途中、工事現場から落下してきた建材の下敷きになり大怪我を負ったそうだ。幸い命は助かったものの、運悪く脊髄を損傷し、歩けない体になってしまったという。
 倉橋の欠けてしまった俺達の部署は、暫く忙しい日が続き、ろくに休みも取れなかった。今日はようやくもぎ取った連休中に、倉橋の家を訪れたところだ。同居人の稼ぎがいいのか、仕事を辞めていった割にはいいマンションに住んでいる。エントランスにあるパネルの前で深呼吸し、倉橋の部屋番号を呼びす。名乗ったあと中へ続くガラス扉が開き、エレベーターに乗り込むことが出来た。なんとなく緊張しながら目的の階でエレベーターを降り、手前から三番目の扉の前に立つ。チャイムを鳴らすと、しばらくして眼鏡をかけた地味な男が顔を出した。
「ああ、どうぞ入ってください」
 よく分からないアニメのTシャツを着たその男性に招き入れられ、広々としたリビングに通される。大きな窓ガラスの前では、安楽椅子に腰掛けた倉橋が外を眺めていた。俺が入ってきたことに気づくと、倉橋はにこりといつもの笑みを浮かべて、久しぶりだなと声を上げた。
「元気そうでなにより。大変だったんだぞ、こっちは」
「悪かったよ。本当、迷惑かけた」
 しおらしく謝られてしまうと、俺もそれ以上何も言えなくなる。元々倉橋を責めるつもりもなかったので、少し居心地悪くなりながら、手土産の羊羹と珈琲を倉橋に押し付けた。
「ほら、これ食って飲んで元気出せ」
「あ、これ俺の好きなやつだ。嬉しいな」
 ありがとう、と素直な言葉に少しくすぐったくなる。その間に同居人の男性が茶を用意しようとしていたので、丁寧に断ってから倉橋と短い会話をした。互いの近況報告と、ちょっとした世間話だ。その間男性はソファーに腰掛けて、会話する俺達をにこやかに眺めていた。彼の前のテーブルには緑色の液体が入ったグラスが置かれている。ぱちぱちと炭酸が弾けるその飲み物は、喫茶店によく置いてあるメロンソーダを思い出した。細長いストローが刺さっている。アニメTシャツも相まって、なんだか子供らしさを感じてしまう。ふと、その人の背後にある扉が少し開いているのに気付いた。どうやら仕事部屋のようだ。大きなモニターが並んでいる。そういえば同居人は絵の仕事をしていると言っていた。こんなマンションに住んでいるということは売れているのだろう。羨ましい限りだ。
「それじゃあ、そろそろ退散しようかね」
「ああ。また近々飯にでも行こう」
 軽い挨拶を交わすと、立ち上がろうとした倉橋の体を同居人が素早く支える。倉橋は室内用の車椅子に移動すると、玄関口まで俺を見送りにきてくれた。なんだか悪いなと思いながら、手を振って部屋を後にする。
 去り際に、なんとなく振り返った。閉じていく扉の向こうに見えたのは、熱烈に口づけあう二人の姿だった。二人の左手には揃いの指輪が光っていた。倉橋の膝に同居人が乗り上げたところで、扉が完全に閉じる。俺はなんだか見てはいけないものを見てしまった気持ちになりながら、もと来た道を戻っていった。
 
 
 
 あの光景は、今でも忘れられない。
 病室の白いカーテンを背に笑う悠の顔は、とても穏やかで美しかった。心の底から幸せそうな、そんな優しい笑みをしていた。カーテンから洩れる明かりが、悠の白い肌を照らして、光に溶けてしまいそうだ。俺と悠しかいない病室で、永遠に愛していると、微笑む悠に口付けられた。それから優しく手を取られ、薬指に指輪をはめられる。悠の薬指にも同じものが光っていた。見えない鎖が繋がって見える。俺が悠に嵌めた枷と違って、それは白金に輝く、美しい鎖だった。
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