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11.「――これにて、閉廷します」
しおりを挟むK社死体遺棄事件、および同社代表取締役殺害事件は、青山邦広が本部の刑事になってからはじめて、逮捕前に犯人が死亡した事件だった。
昨年十二月の二日。逃亡犯によく似た人物が倒れていると通報を受け、駆けつけるとそこにはすでに息絶えた二人の姿があった。死因は二人とも毒によるものだったが、滋賀舞人は腹と脚を銃で撃たれており出血も激しかった。経緯としては栗栖準夜が滋賀舞人に発砲したあとに毒を飲ませ、自らも服毒し命を絶ったというものである。
まだ刑事としての経験も浅く、正義のため罪人を捕らえることに使命感を燃やしていた青山にとって、この事件は非常にショッキングな記憶となった。
この一連の事件で最初に発見されたのは、K社の所有する敷地内に遺棄されていた死体だ。被害者は指定暴力団滋賀組に所属する田代喜一のもので、暴行による外傷性ショック死と断定された。
調べを進めるうちにK社と滋賀組の繋がりも判明し、代表取締役である栗栖陽介にも捜査が及ぶこととなった。しかし栗栖陽介には事件との関連性は見つけられなかった。警察は注意深く滋賀組にも探りを入れ始め、そこで浮上したのが、滋賀組組長の三男で末っ子である滋賀舞人と、その知人であり栗栖陽介の息子である栗栖準夜、そして滋賀舞人の付き人である高木元輝という男だ。
逃亡の危険もあるなかで慎重に捜査を進めるうち、決定的な事件が発生した。栗栖陽介の自宅が放火され、その焼け跡から同氏の遺体が発見されたのだ。近隣住民の目撃証言があることからも、息子の栗栖準夜と知人である滋賀舞人、および高木元輝の犯行だと判明した。また犯行現場の近くでは、クリニック経営者である女の遺体も見つかっている。こちらは凍死であることから直接三人が手をかけたわけではないが、何らかの形で関わっているとみなされる。
それと共に、K社での死体遺棄事件もこの三人が関わっていることが決定づけられた。栗栖家が炎上したあと、警察に駆け込んだ一人の飲食店経営者が証言したのだ。彼女もまた違法な無許可営業を続けている事実があり書類送検されている。その証言によれば三人が関わる事件はこれだけではないということで、証言に沿って調べを進めるうちいくつかの余罪が浮かび上がってきた。それは殺人に限らず、違法薬物の売買や、詐欺、恐喝、暴行、窃盗など多岐に渡る。また滋賀舞人は少年時代に保護観察処分になったこともあり、明るみに出ていないものも含めて多数の犯罪行為を繰り返していたようだ。そのため滋賀組自体にも鋭い捜査のメスが入り、組織としての罪状も洗っていくことになった。
調べの上では、一年間で彼らが殺害した人数は少なくとも三人だ。時系列順にまとめると、一人目は滋賀組の末端に所属していた男で、女装し偽名を使っていた栗栖準夜と交際していたが、滋賀舞人とトラブルを起こしたあと集団リンチを受け死亡。その後、高木元輝らによってK社の所有する土地に埋められた。
二人目は会社員の男性で、こちらも栗栖準夜と交流があり、改造されたスタンガンで感電死させられたあと、滋賀組の傘下である戸田組の所有する土地に遺棄された。この男性には前科があり、インターネット上で知り合った女性に性的暴行を繰り返していたということだ。
最後は栗栖陽介だ。直接的な死因は刺傷による失血死で、その後燃料を撒かれて火を点けられた。手を下したのは実の息子の栗栖準夜だろうと断定されている。
焼け跡から押収された栗栖陽介のパソコンやスマートフォンには、目を疑うような動画や写真が大量に保存されていた。それらのほとんどは、息子に対する虐待の記録だ。それは身体的な暴行だけでなく、性的で、人権を踏みにじる内容ばかりだった。最も古い記録では、準夜はまだ小学校に上がったばかりだ。その隠すことなくぶつけられる醜い性欲は、幼い子供が背負えるようなものではなかった。
容疑者三名のうち二名が逮捕前に死亡するという結果になったものの、残りの一人である高木元輝は二人と合流する前に身柄を拘束されている。殺害と死体遺棄に関わったこの男は検察によって起訴され、現在、裁判が執り行われている。
都内某所の駅前にある個人経営の居酒屋では、仕事帰りのサラリーマン等が集まり酒を飲みかわしていた。金曜の夜ということもあってほぼ全ての席が埋まっており、笑い声や歌声までもが響いて賑わっている。店内には小型のテレビも設置されていて、誰も見ていないバラエティ番組が流れていた。
その店内の隅にあるカウンター席で、青山はビールジョッキを置いて小さくため息を吐く。すかさず隣にいた須東がそれを聞きつけ、イカ焼きをつつきながら声をかけてきた。
「なんだよ、元気ないな」
「いや、まあ……」
「あれのことか?」
須東が言っているのは、自分達が担当していたあの事件のことだろう。逮捕前に容疑者のうち二人が死亡し、うち一人は銃で撃たれたのち毒殺され、もう一人は服毒自殺を図った。それより先に拘束されていた一人が現在起訴され、裁判が行われている。もう数ヵ月が経ってはいるが、青山にとっては忘れがたい事件だった。
「まだ落ち込んでいるのか?」
「……やるせないな、とは思ってます」
脳裏を過ったのは、最後の殺人が起きる前、栗栖準夜と少しだけ一緒に過ごした時のことだった。あの日は非番で、栗栖家の近くを通りがかったのは本当にただの偶然だ。流れで一緒に出掛けることになり、食事をすることになったが、まさかあの子が人を殺してしまうとは思ってもみなかった。まだ刑事としての洞察力が足りないせいで見抜けなかったのかもしれない。しかしそうだとしても、青山の話に目を細めてあどけなく笑う顔は、複数の命を奪うような人間のものにはどうしても見えなかった。
「屈託なく笑う子でした」
「だが人を殺している」
須東の言葉は淡々としていながらも力強く、なにか釘をさすようでもあった。青山もそれ以上は何も言えなくなり、気まずく思いながらビールを煽る。
「どんな事情があろうと、殺人は許されることじゃない」
容赦ない須東の言葉が重く伸し掛かる。駆けつけた現場で、白い雪に薄く染まった二人の顔が鮮明に蘇った。どちらも幼い子供にしか見えなくて、その白い手で複数の命を奪ったのだとは思いたくなかった。
「もし俺達が間に合ってたら、あの子は人を殺さなくて済んだんですかね……」
「人を殺しちまったから俺らが動いたんだろ」
青山が小さくうめき声を上げ、片手で顔を擦る。すっかり意気消沈した青山を横目に、須東は加熱式煙草のカートリッジを付け替え、咥え直した。
「……まあ、生かして捕まえたかったとは思う。裁かれないまま死んでいくのは、確かにやるせない」
「一応、一人は捕まえましたけど、ねえ」
須東が出し巻き卵に箸を入れると、中からチーズがとろりと溢れ出した。軽く醤油につけてから須東が卵を口に運ぶ。青山もその隣にあるキャベツに手を伸ばし、箸で数枚掴んで口に放り込んだ。塩だれの風味が口内に広がり、キャベツのしゃきしゃきとした触感とよく合っていた。酒が進む味だ。
「あいつだけでも正しく裁かれてほしいな」
「そうですね……あ、須東さん、お酒いります?」
須東の酒がなくなっていることに気づいて声をかけると、それと同時に店内のテレビが番組を変えた。非常に覚えのある文字列と映像が流れ、青山は思わず固まってしまう。
「あー、じゃあ同じもん。……って、どうした?」
須東も怪訝そうな表情を浮かべ、青山の視線の先に目を向ける。テレビから流れていたのは、今しがた話題に出したばかりの事件の報道だ。大企業の代表が息子に殺害されたというだけでなく、長年に渡りその息子に性的虐待を加えていたことも判明したことで、ここしばらくの間大きな話題となっていた。そのうえ犯人である息子が自殺したともなれば、センセーショナルな事件として人々の関心を強く引いている。同じく死亡したその共犯者が、誰でも名前を知る暴力団の隠し子だったことも話題を呼んでいた。
「噂をすれば、ってやつだな」
須東が店員を呼び止め、酒の追加を注文する。青山はテレビに釘付けになったまま、ビールジョッキを握る手に力を籠めた。テレビはこの事件の経緯を簡単になぞったあと、裁判の様子を流し始める。スケッチには金髪の男が描かれ、その口元にはふてぶてしい笑みを浮かべていた。男の発言を淡々と再現する音声と共に、テロップが流れる。
「お前はどう思うんだ、あれ」
須東が追加で届いた酒に口を付ける。テレビの音声は周りで騒ぐ人々の喧噪でほとんどかき消されていた。誰もが酒と会話に夢中になる中、二人の視線だけがテレビに注がれていた。
「俺は……」
言いかけて、青山が一気にビールの残りを煽る。ダン、と音を立ててジョッキを置き、テレビを睨んだ。その黒い瞳には、強い怒りと悲しみが滲んでいた。そんな青山を嘲笑うように、男のスケッチがアップで映される。ピアスは外され、髪は伸びたまま、無精ひげも生えていたが、被告人らしからぬ明るい表情をしていた。
「俺は別になんとも思ってないっすね」
法廷内にどよめきが起きる。静粛に、と裁判官が場を制した後、高木元輝は言葉を続けた。
「たしかに人は殺しましたけど、別にって感じっすね」
軽薄な笑みを浮かべたまま、元輝は肩を竦める。その言葉からも態度からも、反省の色は一切見えなかった。あまりの物言いに傍聴席から罵声が飛んだが、元輝はそんなもの聞こえてすらいないように、全く意にも介さない。
「死んだのみんな悪いやつだし、誰にも悲しまれないようなやつばっかじゃん。別によくないっすか?」
「それは、滋賀舞人と栗栖準夜にも言えることなのですか」
黙って聞いていた検察官が強く拳を握りしめる。たまらず口をついて出た言葉のようだった。元輝は考えるように斜め上を見たあと、あー、と間延びした声を上げる。
「ま、死んだもんはしょうがないっすね」
「しょうがない?」
「ほっといてもすぐ死にそうだったんで」
あっけらかんとした物言いに、裁判官もさすがに眉を顰める。当の本人は、本当に何を咎められているのか分かっていないようで、眠たげに欠伸までこぼしていた。
「君は、これだけの人が死んでも、何も思わないということなのか?」
「あ、死んだ。って思ってるっすね」
「真面目に答えろ!」
傍聴席から一人の男が立ち上がり声を張り上げた。彼はそばかすを濡らす汗もそのままに、拳を握りしめて震えている。静粛に、という裁判官の声で渋々席に着いたが、鋭い視線はそのまま元輝に向けられていた。
「なんでそんな怒ってんの? 別に友達殺されたとかじゃないっしょ?」
重苦しい空気が法廷内に充満する。誰もが緊張の面持ちで息を呑み、あるいは怒りに震え、あるいは困惑する中、元輝だけがのんびりとした様子のままだった。
「みんな死んでもいいような奴らだったし、俺は捕まったし?」
元輝が傍聴席を振り返る。人を嘲るような言動とは裏腹に、彼はどこまでも曇りのない瞳をしていた。
「事件解決してよかったじゃん!」
少年のような無邪気な顔で、元輝が朗らかに、屈託なく笑う。その声にも表情にも一切の悪意はなく、心の底から事件の解決を祝っていることが伝わるものだ。そんな笑顔を絶やすことなく、元輝は進行する裁判に身を任せていた。
「主文、被告人を――」
緊迫した空気を揺らす裁判長の言葉に、元輝が笑いながら首を傾げる。そして傍聴席を一度だけ振り返ってから、再び裁判長と視線を合わせた。はぁい、と、判決に見合わぬ軽々しい返事が、緊迫した法廷に響き渡る。
「――これにて、閉廷します」
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