9 / 11
9.「私もあなた達を見殺しにしてきた大人の一人だわ」
しおりを挟む表通りから少し奥まった路地に入ると、個人経営のこぢんまりとした喫茶店がある。そこの店内奥にある窓際の席は、準夜の一番のお気に入りだった。この場所は日当たりも良好で、店内の様子も窓の外ものんびりと眺められる。ここで一人、甘いものとミルクティーを嗜むのが至福のひとときだ。
今日もいつもの席に腰かけて、店主お手製のショートケーキを口に運んでいると、ふと目の前に人の気配が立った。顔を上げるとどこかで見覚えのあるような中年の女性がいて、小さく目を瞠って準夜を見下ろしていた。
「……準、夜?」
「あれ?」
今にも掻き消えそうな声で発せられた自分の名前に、準夜はケーキを運ぶ手を止めて首を傾げる。まじまじと目の前の女性を観察して、頭の引き出しから一つの記憶を見つけ出した。
「お母さん?」
「やっぱり準夜なのね……!」
その女は、最後に見た時よりもずっと老け込んでいたが、おぼろげな記憶の中にある母の面影を確かに残していた。彼女はやや興奮したように息を詰まらせたあと、断りもなく準夜の向かい側の椅子に腰を下ろす。
「ねえ、久しぶりね、こんなところで会うなんて思ってなかったわ。元気だった?」
「うん、元気だよ。お母さんこそ、どの面さげて僕に声かけてきたの?」
にこにこと笑いながら突き放す言葉をかける準夜に、女が引き攣った表情を見せる。固まったまま絶句している女を尻目に、準夜は食べかけのケーキを幸せそうに頬張った。しばらくの間沈黙が流れて、三分の一ほど残っていたショートケーキは最後の一口にまで減った。
「冗談だよ。そんな顔しないで? お母さんも元気そうでよかったよ」
準夜はケーキを平らげると、ミルクティーを喉に流し込み、紙ナプキンで軽く口元を拭った。偶然通りがかった店員が皿を下げるついでに、準夜がホットティーを一杯追加で注文する。
「紅茶でよかった? 確かコーヒー飲まなかったよね」
「あ……うん、よく覚えてるわね。お母さんね、コーヒーはお腹が痛くなっちゃうの」
間もなく紅茶が運ばれてきて、女が角砂糖を三つ放り込んで優しくかき混ぜる。準夜は先ほどミルク一杯と角砂糖を二つ入れたので、血の繋がりを感じる行動だ。
「……まだ、あの人と暮らしているの?」
「そうだよ」
躊躇いがちに投げかけられた問いに、準夜が静かに応える。女はもの言いたげな顔をしながら、口に運ぼうとしたティーカップを置いた。テーブルの上で女の手が組まれ、痩せた指先が居心地悪そうにもぞもぞと動く。
「その……大丈夫なの?」
そんな女に準夜はにっこりと愛らしい笑みを浮かべ、短く答える。
「いっぱいセックスしてるよ」
「えっ……」
「お父さんったらひどいんだよ。僕の体の事なんてなんにも考えてないんだから」
女の顔から一瞬にして血の気が引いていく。わなわなと唇を震わせて、言葉を失ったまま準夜を凝視していた。
「機嫌悪い時なんて首絞めたり殴ったりしてくるし、ゴムしてくれないから中出しし放題で僕がお腹壊しても構いやしないの」
今にも卒倒しそうな女に構わず、準夜はすらすらとのべつ幕なしに話していく。その様はどことなく愉しげで、声は明るく弾んでいた。
「ああ、でもそれは舞人くんも一緒だし。ほら、僕って可愛いからさ、みんな思わず酷いことしたくなっちゃうみたい。そのうち人工肛門かなあ。その前に死んじゃうだろうけどね」
息を呑む女の前で、準夜はそう言いきって軽薄に笑う。ティーカップの傍で握られた女の両手は小刻みに震えていた。準夜は冷めかけたミルクティーをそっと口に運んだあと、カップを持ったまま女に優しく微笑みかける。
「でも、心配しないで。毎日楽しく暮らしてるよ。働かなくてもみんなお金くれたり、色々買ってくれたりするし、僕のこと可愛がってくれる人は沢山いるから」
そのまま女と見つめあう。女の見開かれた瞳には涙が溜まっていた。こうして見ると自分達はよく似た顔をしている。この女の若い頃はそれこそ今の自分と瓜二つだったのだろう。
ティーカップを置いてシュガーポットから角砂糖を一つ摘まみ取る。半分ほど残っている紅茶に落とすと、スプーンでゆっくりとかき混ぜて溶かした。溶けきらず残った砂糖のざらざらとした感触がスプーンから伝わってくる。
「ああそうだ、このまえ人を殺したよ。はじめて直接殺したんだぁ。でもその人、僕のストーカーだったし、僕をレイプして殺すつもりだったみたいだから、別にいいよね?」
スプーンをかき混ぜる手を止め、目の前の女を見やる。女は呆然とした顔をしたまま、皺の刻まれた眦からぽろぽろと雫をこぼしていた。
「ごめんなさい……」
「え、どうしたの?」
首を傾げる準夜に、女が俯いてハンカチを取り出す。目元を押さえて声を震わせる女に、準夜はどうしたものかと肩を竦めた。
「こんなことになっているなんて、知らなかった」
「具合でも悪いの?」
「ごめんね……ごめんなさい……」
女は突然勢いよく席を立つと、財布から取り出した千円札を置いて逃げるように店を出ていった。閉店時間も近い店内にはもう準夜しか客の姿はなく、穏やかなジャズミュージックが静かに流れているだけだ。
「なんだったんだろう?」
変なひとだな、と思う。突然声をかけてきて図々しく相席してきたかと思ったら、今度は急いで帰ってしまった。何を考えているのか分からないが、あまり長く話していたい相手でもなかったから、すぐに去ってくれたのはいいことだ。
このまま一人で茶を飲むことにも飽きたので、会計を済ませて準夜も店を出る。軽快なドアベルの音を背にして歩き出したところで、ふいに名前を呼ばれた。
――準夜、おいで。
いいや、正確には、誰にも呼ばれていない。ただの空耳だ。ねっとりとした声だった。父の声だ。自分を抱く時の父の声である。
――かわいいね、準夜。愛してるよ。
うんざりするほど聞いた声で、全身に鳥肌が立つ。不快な声が何度も何度も頭に響いた。下品でいやらしくて気持ちが悪い、生理的な嫌悪感を催す声が繰り返し響く。
その声は家へ帰ってしばらくしてもまだ続いていた。店を出ようと思った頃からほんのりと頭が痛かったので、ひょっとするとそれが原因なのかもしれない。気休めに鎮痛剤を飲んでから、夕飯の支度をするためキッチンに立つ。声は準夜に語り掛けるようなものもあれば、罵倒する声も、愛でる声もあった。大半はよく聞き取れなかったが、ずっと鼓膜を舐られているような不快感があって耐えがたい。
「うっとうしいなぁ……」
「だったら消せばいいじゃん」
無意識に出た準夜の言葉に答える誰かの声がした。父の声とは別のものだ。どこかで聞き覚えがあるような、けれども判別できないその声は、黙り込む準夜に向かって言葉を続ける。
「方法は二つあるよ。一つは今すぐ実行できるし、もう一つも難しくない。君だってもう分かってるでしょ」
ダン、と大きな音がして、意識が引き戻された。まな板の上に真っ二つになったにんじんが転がっているのが見える。そういえば夕飯の支度中だった。意識は現実に戻ってきたが、それでも準夜はぼうっとにんじんを眺めていた。頭が上手く動かない。すっと伸びた刃先に視線が釘付けになる。柄を握る手に痛いほど力が入っていた。
「あー……」
まな板から包丁が浮いた。持ち上げられた刃先が鈍く光を反射させる。自分が何をしようとしているのか分からなかった。気が付くと首筋に冷たい感触があった。
「準夜?」
また名前を呼ばれた。
「何をしているんだ!」
「あ」
今度は幻聴ではなかった。
はっと振り返るとこちらに駆け寄る父の姿があった。その顔は蒼白していて、はじめて見るような形相をしている。
準夜の意識は自分の握る包丁に向かった。一層強く手に力がこもる。すぐに掴みかかった父に腕を捻り上げられた。力では勝てない。包丁が取り上げられてしまう。そう思う前に、準夜の身体は動いた。
「あっ……」
肉に刃先がめり込む感触がした。しかし準夜の身体に痛みはない。代わりに、鮮血が手を汚していく感触があった。焦点の定まらない目で、自分の握る刃を見下ろす。その尖端は、目の前にいる男の腹へと深々と突き刺さっていた。
男の身体が大きくよろけ、地面へと崩れ落ちていく。腹を抱えて呻く男を見下ろし、準夜は再び強く包丁を握った。
「じゅ、」
名前を呼ばれるよりも前に、準夜の振り上げた刃が男の首に刺さった。ぐりぐりと力の限り奥まで押し込んで、すぐに抜き取る。血しぶきが上がって準夜の顔を濡らした。すぐに倒れ込んだ男の身体、今度は胸に強く刃を突き立てた。抵抗するように藻掻いていた男が、最後の力を振り絞って準夜に手を伸ばす。それを叩き落として、もう一度、次は腹を刺した。何度も繰り返し刺した。十回は刺した。鮮血と汚物が溢れ出して酷い臭いを放った。
「……は、は……っ、はぁ……、…………あ」
気が付くと、目の前に物言わぬ肉の塊があった。かつて己の父親だったものだ。今やどこを刺しても反応はない。それでも準夜は刃を突き立てた。刺しても刺しても足りないような気がした。刃の通るところは一通り刺した。いい加減に手も痛くなってきた。息が苦しくなった。酷い眩暈がする。
「あ、……あは……はは……」
手から包丁が滑り落ちる。笑いが込み上げてきた。震える手でスマートフォンを取って、一番に出てきた連絡先に電話をかけた。数コール後に眠たげな声が応答する。
『なに?』
「あはは、ねえ舞人くん、あのね、ころしちゃったんだ~お掃除手伝ってよぉ」
『え~誰やったんだよ』
笑いながら告げる準夜に、舞人が面倒くさそうに尋ねる。準夜はそれからしばらく笑い声だけ上げたあと、絞り出すような声で短く答えた。
「おとうさん」
一瞬の沈黙があった。正確には、舞人が煙草に火を点ける音だけがあった。大きく煙を吸い、吐く音がして、気だるそうな声が返ってくる。
『親父やったのかよ』
「ふふ、うん、やっちゃった、えへへ……ねえ、もう動かないんだ」
『あっそ。まあ、今から行くわ』
どうやら、ちょうど今は機嫌がよかったらしい。それだけ言って通話は切れた。無音になったスマートフォンを握ったまま、準夜は呆然と目の前の肉塊を見下ろす。もう何も言わない。動かない。これは自分の父親だったはずだ。
「おとうさん……」
呼びかけても返事はない。見開かれた瞳は何も映していなかった。
「ふふ、うふ……」
血まみれの包丁を拾い上げる。ぐちゃぐちゃの肉に刃先を埋めて、弄ぶように掻き回していると、急に視界が滲みはじめた。
「あはは、は、ぅう……ひっ……うぅ……う゛……」
呼吸が苦しくなり、自然と嗚咽が洩れる。両手が激しく震えだして、包丁も握っていられない。次から次へと溢れ出す涙で前は見えず、頭の中は真っ白に塗りたくられた。
「あぁぁ……あああぁああっ!!!!」
どこか世界が遠いように感じる。手足の感覚も薄くて、苦しいはずの呼吸も気にならない。叫んでも叫んでも次々と溢れる悲鳴を止められない。自分が自分でないような非現実感の中、準夜は力なくへたり込んだまま、父親だったものの前で泣き叫んでいた。
「おーい、生きてる?」
聞き慣れた声がするのと同時に、目の前で手が振られていることに気づく。どれだけの時間放心していたのか分からないが、いつの間にか視界には舞人と元輝の姿があった。舞人は手ぶらだが、元輝の足元には何故かガソリンタンクが置かれている。何に使うのだろう、とまだ少しぼんやりしている頭で不思議に思う。
「きったねーなお前、血まみれじゃん」
「えへ……ひどぉい……」
舞人の物言いに軽く笑いながら、かろうじて汚れていない服の裾で顔を拭う。しかし殆どの血は乾いてしまっていて、強めに擦っても一部がぱりぱりと剥がれて落ちるだけだった。髪の毛まで血で汚れていて、毛先は固まってしまっている。
「マジでやってて笑うわ。どんな気分?」
「身体洗いたいかな」
激しい運動でもしたかのように全身が酷く疲れていたが、それよりも早く汚れを落としたかった。立ち上がろうとすると、膝が震えて力が入らずへたり込んでしまう。舞人はそんな準夜に手を貸す素振りもなく、ただ半笑いで見下ろしていた。
「どーしよ、力はいんな……」
最後まで言う前に、肩を強く突き飛ばされた。倒れ込んだ先にあったのは、全身を切り刻まれ臓物のこぼれた冷たい肉塊だ。ぐちゃりと嫌な感触がして悪臭が近くなる。反射的に強い吐き気がこみあげた。
「さっさとシャワー浴びて来いよ」
「……はぁい」
力の入らない身体でなんとか立ち上がり、覚束ない足取りで風呂場を目指す。たかだか数メートルの距離が途方もなく長く感じた。
血まみれの服を脱ぎ捨てて風呂場に入り、勢いよく出したシャワーを頭から被る。刺すように冷たい水が全身を打ち付けて芯から震えあがった。薄い紅色に染まった水が排水溝に向かって流れていく。
震えが酷くなってからようやくシャワーをお湯に変え、身体を洗い始める。愛用のシャンプーの匂いだけではどうにも鉄臭さを誤魔化せないような気がした。何度も髪を洗い、肌が擦り切れそうなほど擦ってもやはり臭いは残る。ただの幻臭かもしれないが、まだ全身が血みどろのままでいるような気がして不快だった。
じっくり時間をかけて頭の先から爪先まで執拗に洗い流し、ようやく風呂場を出る頃には、シャワーだけだというのに少しのぼせ始めていた。血まみれの服が脱ぎ捨てられているのを尻目に、新しい服へ袖を通し、髪を乾かしてリビングに戻る。
「遅すぎじゃね?」
ソファーにふんぞり返っていた舞人が、携帯ゲーム機から目を逸らさないまま声を上げる。そちらに近づこうとすると「あっ!」と慌てた声がして、舞人が勢いよく跳ね起きた。ゲーム機から間抜けな音楽が流れて来る。
「……ゲームオーバーだね」
一瞬悔しそうに顔を歪めていた舞人だが、すぐにゲーム機を放り投げるとその場で大きく欠伸をした。近くで見ていた元輝がゲーム機を回収して鞄に仕舞う。さっきまでいい調子だったんすけどね、と笑う元輝を舞人は無視して、ソファーを立つとリビングの奥へ歩き出した。
「にしても、すげえ滅多刺しだよな」
半笑いで言いながら舞人が肉塊を足先で小突く。シャワーを浴びてすっきりしてきたおかげか、そんなものの存在はすっかり忘れていた。
舞人に指示された元輝がガソリンタンクを拾い上げ、中身を死体とその周辺へとまき散らしていく。独特の刺激臭に思わず鼻を押さえようとすると、目の前にずいっと何かが差し出された。
ハンカチとライターだ。ハンカチはとても見覚えがある柄で、この家のどこかに置いてあったものを勝手に拝借したのだろう。ライターはどこでも買える半透明の安物で、オイルが残り少なくなっている。
「ほら」
「ほら、って」
押し付けられたハンカチとライター、そして足元でガソリンまみれになっている肉塊とを交互に見下ろす。押し黙った準夜に、舞人が急かすような視線を向けた。
「やんねえの?」
「……ううん、やるよ」
準夜はハンカチに火を点けると、迷いなくそれを足元の肉塊へと落とした。火が広がる前にさっと距離を取れば、次第に炎が勢いを増して燃え上がっていく。
「あはは、燃えてる燃えてる~」
「燃えてるね」
「焼肉食いたくなった」
死体の燃える様がよほど面白いのか、けらけらと笑っている舞人に適当な相槌を打つ。片づけを手伝ってくれとは言ったが家ごと燃やしてくれとは言っていない。おかげで準夜は住む場所を失ったし、それなりに派手なことをしてしまったので足がつくのも早いはずだ。舞人も元輝もきっと何も考えず燃やしただけだろう。もはや文句を言う気にもなれない。
心地よい焚火のような音を背に家を出ると、澄み切った夜風に優しく出迎えられた。美味しい空気を肺いっぱいに大きく吸い込んで吐き出す。息は白く濁り、寒暖差に驚いた鼻がつんと痛みを訴えた。
「はー飯いこ飯」
「ちょっと待ちなさい」
唐突に割って入った第三者の声に、全員の足が止まる。暗がりから現れたのは、大きく息を切らせた小柄な女だ。この寒さだというのにコートも羽織らず、白衣のポケットに手を入れ三人の前に立ちはだかっていた。
「あなたたち何しているの。どこへ行くつもり」
「げっ」
「明音ちゃーん見逃してくださいっす。俺ら別に怪我とかしてないんで」
鋭い視線が元輝、舞人、そして準夜と順番に睨んでいく。明音はもちろん三人の前から退くことはなく、行く手を阻み続けていた。
「……殺したのね」
準夜を見つめていた明音の瞳に、わずかな悲哀が滲み出る。彼女がポケットから右手を取り出すと、準夜にとってはよく見慣れたものが姿を現した。市販品よりも威力の強いスタンガンだ。準夜は加減を間違えて殺してしまったが、医者である彼女なら素早く気絶だけさせることも出来るだろう。
「おせっかいなんて、するつもりなかったの。生き方なんて人それぞれ……まして私たちは、みんな普通なんかじゃないもの。……でもね、私、やっぱり後悔してる」
スタンガンを握る細い指が震えている。寒さのせいか、それとも別の理由か、準夜には分からない。コートも羽織らず飛び出してきたらしい彼女に、渡してやれる上着は誰も持っていなかった。
「私もあなた達を見殺しにしてきた大人の一人だわ。だって裏の世界なんて、みんな自業自得でしょう。あなた達ももう大人なんだから、自分で選んで生きていける、って。……でも違ったのね。あなた達は……」
「明音ちゃんは僕達の何を知ってるの?」
準夜の抑揚のない一言に、見開かれた明音の瞳が大きく揺れる。スタンガンを握りしめたまま、彼女は苦しみに喘ぐようなため息を洩らした。
「ええ……私は何も知らないわ……所詮ただの他人だもの……」
「そうだね。舞人くんのこと説得しなかったのも明音ちゃんだったよね。エイズなんて、あの小さなクリニックで治療できるものじゃないでしょ」
準夜の隣で舞人が分かりやすく動揺の表情を浮かべた。呆然と口を半開きにして、準夜と明音の顔を交互に見ている。病院での会話は舞人も聞いていたはずだが、それでも察していなかった彼の鈍さに少し癒された。舞人にはいつまでも馬鹿な子供のままでいてほしい。
「そうよ……」
「だったらどうして明音ちゃんに口を挟む資格があるの?」
「ないわ」
きっぱり言い放った明音が顔を上げる。強い意志を携えた瞳が準夜達を強く睨んでいた。
「私も裏の人間よ。悪人なの。だから資格とか責任とかじゃなくて、私がそうしたいからここに来ただけ」
きんと空気が張り詰める。まっすぐに三人を見つめる明音の顔には、少しの迷いも見られなかった。
「もうこの先までは、転がってほしくない……!」
明音の小さな足が地面を蹴り上げる。勢いのまま走り込んだ彼女は、まず元輝を狙っていた。身体が大きく制圧の難しい順に仕留めるつもりだろう。しかしスタンガンが元輝の意識を奪うことはなかった。元輝はさっと身を翻して明音を避けると、素早く足払いを仕掛ける。なすすべなく明音の身体が傾きコンクリートに打ち付けられた。容赦なく元輝の長い脚が追撃し、明音の後頭部に踵を落とす。
「あっ……」
声を洩らしたのは、一体誰だったのか。
いくら闇の住人であったとしても、彼女はただの医者で、小柄な女だ。一瞬で意識を刈り取られた明音は、そのまま冷たいコンクリートの上で沈黙した。かろうじて弱々しい呼吸はしているようだが、この寒空に放置すれば冷たくなるのも時間の問題だ。
「殺しときます?」
明音の後頭部に足を乗せたまま、元輝がいつもの調子で舞人に声をかける。呆然としていた舞人だが、はっと我にかえると元輝を小突くように背中を押した。
「いい。もう、めんどくせえ」
「ま、どうせ放っといても死にますしね」
さっさと先を行く二人を追って、準夜も家の敷地を出る。停められていた黒い車に乗り込むと、隣に座った舞人が再びゲーム機に構い始めた。窓の外に目をやれば、薄暗く沈黙した住宅街が見える。この光景を見るのも最後になるのかもしれない。けれど寂しさは一切感じなかった。隣から聞こえるゲームのBGMが、やたらと明るく爽快だったせいかもしれない。
0
お気に入りに追加
19
あなたにおすすめの小説

鬼上司と秘密の同居
なの
BL
恋人に裏切られ弱っていた会社員の小沢 海斗(おざわ かいと)25歳
幼馴染の悠人に助けられ馴染みのBARへ…
そのまま酔い潰れて目が覚めたら鬼上司と呼ばれている浅井 透(あさい とおる)32歳の部屋にいた…
いったい?…どうして?…こうなった?
「お前は俺のそばに居ろ。黙って愛されてればいい」
スパダリ、イケメン鬼上司×裏切られた傷心海斗は幸せを掴むことができるのか…
性描写には※を付けております。


好きなあいつの嫉妬がすごい
カムカム
BL
新しいクラスで新しい友達ができることを楽しみにしていたが、特に気になる存在がいた。それは幼馴染のランだった。
ランはいつもクールで落ち着いていて、どこか遠くを見ているような眼差しが印象的だった。レンとは対照的に、内向的で多くの人と打ち解けることが少なかった。しかし、レンだけは違った。ランはレンに対してだけ心を開き、笑顔を見せることが多かった。
教室に入ると、運命的にレンとランは隣同士の席になった。レンは心の中でガッツポーズをしながら、ランに話しかけた。
「ラン、おはよう!今年も一緒のクラスだね。」
ランは少し驚いた表情を見せたが、すぐに微笑み返した。「おはよう、レン。そうだね、今年もよろしく。」
エリート上司に完全に落とされるまで
琴音
BL
大手食品会社営業の楠木 智也(26)はある日会社の上司一ノ瀬 和樹(34)に告白されて付き合うことになった。
彼は会社ではよくわかんない、掴みどころのない不思議な人だった。スペックは申し分なく有能。いつもニコニコしててチームの空気はいい。俺はそんな彼が分からなくて距離を置いていたんだ。まあ、俺は問題児と会社では思われてるから、変にみんなと仲良くなりたいとも思ってはいなかった。その事情は一ノ瀬は知っている。なのに告白してくるとはいい度胸だと思う。
そんな彼と俺は上手くやれるのか不安の中スタート。俺は彼との付き合いの中で苦悩し、愛されて溺れていったんだ。
社会人同士の年の差カップルのお話です。智也は優柔不断で行き当たりばったり。自分の心すらよくわかってない。そんな智也を和樹は溺愛する。自分の男の本能をくすぐる智也が愛しくて堪らなくて、自分を知って欲しいが先行し過ぎていた。結果智也が不安に思っていることを見落とし、智也去ってしまう結果に。この後和樹は智也を取り戻せるのか。

お酒に酔って、うっかり幼馴染に告白したら
夏芽玉
BL
タイトルそのまんまのお話です。
テーマは『二行で結合』。三行目からずっとインしてます。
Twitterのお題で『お酒に酔ってうっかり告白しちゃった片想いくんの小説を書いて下さい』と出たので、勢いで書きました。
執着攻め(19大学生)×鈍感受け(20大学生)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる