さよなら僕のアルカディア

ますじ

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4.「僕達、捕まったらどうなるのかな」

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 焦ったような足音と、自分を呼ぶ必死な声に、女は扉を閉じようとした手を止めた。やがて女の腕に一人の少年が縋りつき、嗚咽混じりの声を上げる。
「お、おねがい、おねがいします、ぼくもつれてって……」
 女は運転席に腰かけたまま眉間にしわを寄せ、言葉も失って少年を見下ろす。かたかたと震えながら自分の腕に縋る少年を、女は受け止めることも、突き放すこともできないようだった。
「たすけ……」
 そんな二人の元に、恰幅のいい男が一人、ゆっくりと近寄ってくる。女は逃げるように二人から目を逸らし、少年は更に怯えた様子で女に縋りつこうとした。
「やあ、すまないね」
 男は落ち着いた様子で女に軽く謝り、少年を引き剥がそうとする。少年はそれでも必死で女に縋りこうとしたが、子供が大人の力に敵うはずもなかった。あっさりと少年は男の腕に捕らえられ、女は運転席に深く座り直して再び扉に手をかける。
「おかあさ……」
 その声を遮るように、扉が強く閉ざされた。無情なエンジン音が響き、手を伸ばす少年を置いて走り出す。伸ばされたままの手を、男の大きな手が包み込んだ。抱き寄せるというにはあまりに乱暴な仕草で、泣きじゃくって逃げようとする少年を無理やり引きずっていく。
「や、やだ、やっ……!」
 それでも少年は、これが最後だと言わんばかりに激しく抵抗し、男の腕から逃れようとする。いやだ、はなして、そう泣きわめく少年の声は、誰もいない広い駐車場に虚しく響くだけだった。
「お父さんの言うことが聞けないのかい?」
「っひ、ぁ、や、やだ……やだぁっ……!」
「悪い子だね、準夜は」
 その一言を合図に、少年の身体から力が抜ける。ぺたりとその場にへたり込んだ少年を、男が抱き上げた。
「ご、ごめ、なさ……ごめんなさ……ごめんなさい……」
 少年はただ謝るだけだった。震える少年の身体を男は愛しそうに抱いて、広い家へと入っていく。そのまま寝室まで少年を運ぶと、上質なベッドにその小さな身体を寝かせ、自身のベルトを抜き取った。
「お尻を出しなさい」
「ひ、……っ」
「早くするんだ! 聞こえないのか!」
 唐突に浴びせられた怒声に、少年が大きく震えあがり、おずおずとズボンを脱ぐ。ずらされた下着から、小さく丸い尻が露になった。ベッドの上で四つん這いになり、男に向かって幼い尻を突き出す。まだ年端も行かない小さな子供だが、その仕草はまるで娼婦のようだった。
「ごめ、なさ……」
 少年が泣きながら強く目を閉じると、男は大きくベルトを振り上げた。



「あっ! やっ、らめぇっ、きちゃうの、あッ、ぁあんっ!」
 甲高い嬌声とベッドの軋む音が響く中で、二つの人影が重なり合って揺れていた。寝るためというよりも雰囲気を出すために装飾された寝室は、いかにもラブホテルといった安っぽさがある。脱ぎ捨てられた服のそばには空になった注射器が転がっていて、他には酒の缶や煙草の吸殻も散乱していた。
「ぁ、あ、ぃッ……も、らぇ、ぇあっ、あっ、まらいっひゃ、ぁ、あぁあっ、あぁあ~~っ!!」
 悲鳴のような嬌声を上げて準夜が達すると、震える腰を舞人が強く掴んで律動を激しくした。絶頂から降りてこられないまま乱暴に揺さぶられ、準夜は息も絶え絶えになりながら舞人に縋りつく。意識が混濁している準夜と同じく、舞人も目の焦点が合わず凶悪な笑みを浮かべていた。
「ぁ、もぉ、あ゛っ! ひっ、きもひっ、よくれぇっ、しんらぅうっ!!」
「ははっ、じゃあ死ねよ!」
 舞人が笑いながら準夜の首に手をかける。ぐっと力を籠めれば中の締め付けが強くなり、舞人が熱い息を漏らした。どちらも理性は失っていて、力の加減もなくどんどん首が締め上げられていく。
 ああ、落ちる――そう思った矢先、突如無機質な着信音が鳴り響いた。舞人は意に介さず準夜を揺さぶっていたが、いつまでも途切れない着信音に苛立ったように舌打ちすると、準夜の首から手を離してスマートフォンを引っ掴んだ。
「うっせえ! かけてくんなタコ!」
 激昂する舞人を見て、準夜がけらけらと笑う。邪魔が入っていた律動が再開され、笑い声混じりの狂った嬌声が大きくなった。
「あぁんっ! きこえちゃうよぉ~っ!」
「は? んだよめんどくさ」
 少しの会話のあと、舞人が準夜の顔面に端末を放り投げる。鈍い音を立てて端末が額に激突し、顔から滑り落ちていった。
「あだっ!! ひ、ひっどぉい……」
『あ、準ちゃんどーもっす。聞こえます?』
 痛みに悶えていると、よく知った男の声が聞こえてきた。その向こうではくぐもった悲鳴が絶えず上がっていて、数人の怒声と笑い声も響いている。こちらも大概だが、ずいぶんと賑やかな様子だ。
『田代なんすけど、最後にどうしても準ちゃんの声聞きたいらしいっす。どうします?』
「んじゃ、ぁっ、この通話、スピーカーにしてぇ~」
 はーい、とやる気のない返事がしたあと、少し遠い場所から男の声が聞こえてきた。声とはいっても殆ど掠れた吐息のようなもので、いつ息絶えてもおかしくないほど弱々しいものだった。
「なぁに? あっ、ん……いま、いいとこだからぁ、あんっ! はやくして、ねっ?」
 少しの恥じらいもなく響き渡る嬌声に、男は言葉を失ったのか、それとも声を出せるほどの力が残っていないのか、やや長めの沈黙が続く。とくにこちらから声をかけるでもなく、喘ぎながら通話を繋げていると、そのうちに鈍い音とうめき声が聞こえてきた。
『なに黙ってんだよ。せっかく電話してやったのに』
「あぁっ、もぉだめ、いきそ、ぁっ、あっ! あぁんっ!」
 嗚咽混じりの声をかき消すように、準夜のあられもない嬌声が大きく響く。再び何やら鈍い音が聞こえ、声はぴたりと止んだ。
『ありゃ、寝ちまったみたいっす』
「あ、そぉ? あぁっ、しゅご、ぁ、いまのきもひぃっ、ぁ、あっ!」
 準夜の身体がうつ伏せにひっくり返され、頭を押さえつけられる。身体を支えることなど出来るわけもなく、腰だけ持ち上げられた状態で激しく揺さぶられた。どちらのものかも分からない汗と精液が、乱れたシーツを濡らしていく。
「んっ、んン~っ! う゛っ、ぁ、あ、ンっ!」
「っは~、ぁ……」
 後ろから体重をかけて伸し掛かられ、準夜の耳に獣じみた熱い息が触れる。微かな喘ぎ声が混じったそれに興奮して、耳から全身へと甘い痺れが走った。シーツを手繰り寄せた指先に固いものが触れ、まだ電話が繋がったままだということを思い出す。少し遠くのほうで誰かと会話する元輝の声がしていて、そのうちまた近くまで戻って来た。
『んじゃ、あとやっときますね。邪魔してすんませんっした』
「んっ、よろしく~……あっ、ぁっ! きもちっ、きもひぃよお~っ♡」
 甲高い嬌声が上がるのと同時に通話が切れる。準夜が何度目か分からない絶頂に悶える中で、舞人も低い声を洩らして腰を震わせた。お互い出した回数ももう分からないのに、準夜も舞人もまだまだ熱がおさまりそうにはなかった。

 げほげほと激しい咳の音で目を覚ます。ぼやけた視界の隅に丸くなった背中を見つけ、咳き込んでいる舞人を眺めた。横たわるシーツは湿ったままで、眠りに落ちてからさほど時間が経っていないのが分かる。
「風邪~?」
「あ゛~さいあく……」
 ようやく咳が収まったところで声をかけると、舞人の低く掠れた声がかえってくる。彼の手元からは細い煙が上がっていて、何度か苦しそうに咳払いをしたあと、また当然のように口に咥えた。
「移さないでね」
「うっざ」
 不機嫌そうな表情を浮かべた舞人が、準夜の顔に向かって煙を吐き出す。突然襲い掛かって来たそれに、準夜も顔を背けて激しく咳き込んだ。そのまま思い切り噎せ返ってしまい、咳どころか吐き気まで込み上げてくる。
「ぅ゛うっ……も~、ひどい……お゛ぇっ……」
「風邪じゃねーし」
 そう唇を尖らせた舞人は、どちらの咳も構わずに煙草を吸い続ける。つい先ほどまでは機嫌よく準夜を抱いていたというのに、すっかり子供のようにふてくされていた。何か気に入らないことがあったのかもしれないが、彼は理由なく気分が急変することもあるので、準夜はとくに何も聞かない。
 舞人は否定するが、彼が風邪を引くのはそう珍しいことでもなかった。身体が弱いだとかそういう訳ではないが、単純に体調管理がなっていない部分もあるし、そもそも彼の生活を考えれば身体を悪くしないほうがおかしい。それは準夜も同じことで、どちらかが風邪を引くともう一方も風邪を引くのはよくあることだった。
「は~、くそ、っげふ、げほ」
「しばらく煙草やめたほうがいいんじゃない?」
 軽くかけられた準夜の言葉で、ただでさえ不機嫌だった舞人の目が据わる。準夜はゆっくり身体を起こすと、傍に寄って覗き込んだ。
「顔こわ~い」
 茶化す準夜の腕を唐突に舞人が掴む。準夜が反応するよりも先に、燃え尽きかけていた煙草が手首に押し付けられた。
「あっづい!」
 準夜は反射的に腕を引こうとするが、力では到底かなわない。自分の肌で煙草が揉み消されるのを涙目で受け入れるしかなかった。火が消えてからもしばらく煙草は押し付けられたままで、ようやく離れていったころには赤く爛れた火傷の痕がくっきりとついていた。
「も~、ひど~い……」
 そっぽを向く舞人に非難の声を上げながら、ベッドの上に落ちた吸い殻を拾い上げる。その腕には他にもケロイドになった火傷痕のほか、引き攣れた切り傷などが並んでいた。もちろん自分でつけたものではない。目の前にいる男や、ほか様々な人間によって刻まれたものだ。
 拾った吸い殻をヘッドボードの灰皿に捨て、ベッドを降りて洗面所に向かう。壁にある浅い棚には数種類の使い捨てのアメニティが並んでいて、下品なほどライトアップされた鏡には、髪の乱れた準夜の姿が映っていた。念入りな手入れを怠ることなく、身体の隅から隅まで美しく整えられているのに、ところどころ刻まれた傷跡がアンバランスで不気味に見える。
 準夜は軽く傷口を洗うと、水滴だけ拭ってそのまま部屋に戻った。ついでにアメニティの中から一袋取り、舞人に向かってそれをひらひらと振る。
「ねえねえ~泡風呂できるよ」
「勝手にやってろ」
 冷たくあしらわれ、準夜は仕方なく一人で浴室に向かった。言われた通り一人でしっかり泡風呂を楽しむことにして、浴槽に湯を張りながら身体を念入りに洗う。シャワーに当たりながら中のものを掻きだしていると、なんとなくそういう気分になってきて、そのまま中を弄って一度すっきりさせた。

 一通りの手入れを終えて部屋に戻ると、ベッドでは舞人が裸のまま丸くなっていた。元々童顔ではあるが、眠っていると更に幼く見える。胎児のように蹲っているから余計にだろう。真ん中を陣取っている舞人の隣に寝転がると、嗅ぎ慣れた煙草と酒の臭いがしてきた。
「お風呂きもちよかったよ~」
 独り言のように声をかけると、静かに舞人の目蓋が開いた。意外にもまだ起きていたらしい。返事はないが、眠そうな目が準夜をぼうっと見ていた。
 ヘッドボードからリモコンを掴み、何となくテレビを点ける。はじめに映ったのはニュース番組だ。数日前に発生した飲酒運転による死亡事故の報道が流れていた。犯人は薬物も摂取していたようで、芋づる式に余罪も出てきているようだ。とくに面白いものでもないのでチャンネルを変えると、あられもないモザイクまみれの映像が流れだす。
「舞人くんってさ、今まで死なせた人間のこと、どれくらい覚えてる?」
 絡み合う男女を眺めながら、準夜が抑揚のない声で問いかける。舞人が枕元を漁っているのを見つけると、準夜は煙草を手に取って一本渡した。起き上がるつもりもない舞人の煙草に火を点け、箱とライターはまとめてヘッドボードに置く。
「覚えてない」
「そうだよね~」
 準夜が緩い相槌を打ち、興味の湧かないテレビを消す。リモコンを置くついでに部屋の照明を少し落とし、ぽすりと舞人の隣に寝転んだ。
「僕達、捕まったらどうなるのかな」
 無意味に準夜が問いかけると、舞人は再び顔に向かって煙を吐いた。噎せ返った準夜はやはり激しく咳き込み、必死で呼吸を整えようと蹲る。そんな準夜に構わず、舞人は静かに煙草の煙をくゆらせていた。
「ブタ箱生活なんかぜってーヤダ」
「だよねえ」
 煙草を咥えたまま、舞人が枕元に置いていたゲーム機を手に取る。聞こえてきたのは初めて耳にするBGMで、どうやらまた新しいゲームを入れたようだ。すぐに飽きる舞人はろくにクリアもしないまま次から次へと違うゲームに浮気していく。簡単すぎるとつまらないと言うし、難しいとすぐに腹を立てるから、何をしても長続きしないのだ。
 なんとなく間抜けなBGMを聴きながら、スマートフォンでSNSのアプリを開いて画面をなぞる。なめらかな太腿やささやかな胸元が露出された写真が、短い書き込みと一緒に画面上を流れていった。自分の身体を見せるのが趣味な若い女、まさしくそういったアカウントだ。
「僕ってさぁ、かわいいじゃん?」
 舞人はふと口を開いた準夜には目もくれず、真剣にゲームを操作している。完全に無視されたことも気にせず、準夜はその女……を装い、男を釣って遊んでいる自分自身のアカウントを楽し気に眺めていた。
「あんまりにも可愛いからさ、最近またストーカーできちゃって」
 画面に一件の通知が表示されると、連続でまた何通も同じ人物からメッセージが届いた。「会いたい」」「顔見せて」「どこに行けば会える?」といったものから、「今日はどんなオナニーするの?」「裸の写真が見たい」「どこが性感帯なの?」といった変態極まるものまである。似たようなメッセージはほかにも存在するが、ここ数日の間、同じ人物から連日連夜この手のメッセージが複数届いていて、完全にネットストーカーと化していた。そんな様子に準夜は笑みを浮かべながら、素早く画面をなぞって文字を入力していく。
「え~っと、性感帯はクリトリスで、好きなオナニーは角オナ、っと」
 写真は恥ずかしいけど、夜になったら送っちゃうね♡ そうすっかり手慣れた文面を送信し、ソファーの背にもたれ掛る。やはり止まない同一人物からのメッセージを流し読みしていると、隣でゲームをしていた舞人が画面を覗き込んできた。
「まだやってんの? 飽きないね」
「だって~ちょっとエッチなの上げると一気に群がってくるの面白くてさあ」
 準夜は「これ昨日のやつ」と言って、スカートをたくし上げ尻が丸見えになった写真の投稿を見せつける。そこにも大量のリアクションがついていて、純粋に褒める言葉から下品で卑猥なものまで様々だ。
「みんな僕のこと女の子だと思って抜いてるのかなって思うとサイコーに興奮する」
 舞人は興味なさげに視線をゲーム機に戻す。狭い画面の中では舞人の操作するキャラクターが大剣を担いで走り回っていた。小高い丘のような場所へ移動した時、戦闘BGMが流れてキャラクターにダメージ判定が入る。どうやら少し離れた位置に遠距離攻撃型の敵がいるようだ。
「みんなの脳内で僕どんなふうに犯されてるんだろうなぁ」
「どっから撃ってんだよ! この……ッう゛、げほッげほッ!」
 途端に舞人が激しく咳きこみ、ゲームを操作していた指が止まる。咳はそれほど長くは続かなかったが、再び画面を確認した頃にはとっくに彼のキャラクターは倒れ伏していた。
「うっわ最悪!」
「舞人くんほんと下手だね」
 舞人が悔し気に睨む画面では、数匹の敵がうろうろと徘徊している。舞人は大きく舌打ちすると、隣から覗き込んでいた準夜の腹を思い切り殴りつけた。大きく息が詰まったあと、激しく咳き込んで崩れ落ちる。急すぎる衝撃に呼吸もままならない
「う゛っ、ぉえっ、げほっ、げほげほッ……!」
「は~萎えた」
 舞人はゲーム機を放り捨て、まだ隣で咳き込んでいる準夜の腕を掴む。さして抵抗のない身体を押し倒すと、覆い被さって服を脱がしていった。
「げほっ……あ゛~やつあたりだ~」
「うっせ黙ってろ」
 傍にあったクッションが準夜の顔に押し付けられる。息苦しいそれを退かすと不機嫌そうな舞人と目があった。準夜がへらりと笑えば、舞人が大きく拳を振り上げる。
「むかつく顔すんな」
 殴りつけられて世界が揺れた。早々に服が脱がされ、ろくな準備もせず挿入される。つい先程まで体を重ねていたおかげで中はまだほぐれていた。
「も~ほんと乱暴なんだから、……あっ」
 中を掻き回されるのを感じながら、準夜はそっと舞人の背中に腕を回す。苛立ちをぶつけるように強く突き上げられ、その乱暴さが気持ちよくて、媚びきった甘い声が洩れた。



 十年前、某日。
 そばかすを濡らす汗を拭いながら、少年は自転車を押して歩いていた。つい先程まで学校の友人と楽しく遊んでいたが、その帰りに自転車のタイヤがパンクしてしまい、運の悪さにうんざりとしながら家を目指しているところだ。
 友達と別れて帰路についた頃にはだいぶ日が暮れかけていて、ぎりぎり門限を破ってしまいそうな時間だった。怒られて明日のおやつ抜きになんてことになってはたまらないので、彼は急いで裏路地に入り、近道をして帰ることにした。薄暗くてあまり好きではない道だったが、怒られるよりはずっとましである。
 しばらく進んでいくと、どこからか人の声が聞こえてくるのに気付いた。もしや「出た」のか、などと思いどきりとして立ち止まると、だんだんとその声がよく聞こえるようになってくる。どうやら幽霊などの類ではなく、人の話し声のようだ。
 少年は自転車を止めると、そっと声のほうへと近づいた。確かに怖かったが、正直好奇心のほうが強かった。恐る恐る曲がり角に近づいて、隠れながら顔を出す。
 そこにいたのは、どこかで見覚えのある二人の少年だった。そのうちの一人はクラスメートでもある、準夜という少年だ。成績優秀で人当たりもよく、顔立ちも少女のように整っていて家も金持ちといった、校内の有名人である。もちろん自分とは縁遠い存在だ。そんな準夜は壁を背に蹲っていて、目の前にはもう一人の少年がしゃがんで顔を覗き込んでいた。
「あーあ、顔ぐっしゃぐしゃじゃん」
 少年の声に紛れて、微かにすすり泣く声が届く。よもや虐められているのではと一瞬思ったが、その少年の声は明るく、険悪な空気は感じられなかった。遊んでいる最中に怪我でもしたのかもしれない。自分も絆創膏か何かを持っていれば声をかけて差し出せたかもしれないが、生憎そんな気の利いたものは持ち歩いていない。
 あまり覗き見ていいものでもないだろう。なんとなく気まずいので傍は通らずに別の道を通ろうと歩き出した矢先、背後から小さな悲鳴が聞こえて少年は思わず足を止めた。
「ぃ、いたいよ、舞人く……」
「だからさ、何してたのって聞いてんだけど」
 舞人と呼ばれた少年が不機嫌そうに顔を歪める。準夜は起き上がることなく、横たわったまま身体を縮こまらせて震えていた。
「今日、は……おとうさん、休み、で……」
「うん、知ってる知ってる」
「機嫌、悪かったみたいで……おこられて……」
 舞人が無言で準夜の服を掴む。殴られるのではないかと、慌てて駆け寄ろうと自転車を放り投げ……ようとしたところで、少年ははたと思い出した。舞人の顔だ。どこで見たことがあるのか、はっきり思い出した。
「怒られんのいつものことじゃん。なに言い訳してんだよ」
 この辺りにはあまり関わってはいけない大きな家がある。いわゆる裏社会の人間、とある暴力団の本家だ。もちろん日ごろから悪いことをしているわけではないが、あまり不用意に名前を口にしたり、面白半分で近づいてはいけないと地域の子供たちは言いつけられていた。そこには自分達と同じ年頃の子供がいて、それがとんでもない問題児らしく、絶対に関わらないようにと写真を見せられたことがある。彼だ。名前も聞かされていたのに、今の今まですっかり忘れていた。
 指定暴力団滋賀組の三男坊で、問題だらけの非行少年、滋賀舞人。学校に顔を出さない彼は準夜よりも遠い世界の人間だったから、こうも近くで目にすることになるとは思わなかった。
「僕、急いだんだよ? でもさ、来てみたら、家にいなかったから」
「来ないと思ってトラちゃん達にご飯あげにいってた」
「えぇ~……」
 それでおこるのひどいよぉ、と、弱々しい声がする。呆然としている少年の視界で、準夜の服が乱暴に脱がされていった。下だけが裸にされると、舞人が準夜の脚を掴んで大きく開かせる。あらわになったその場所から目を背けることができず、視線が釘付けになる。
「すっげ。これ、今日のおしおき?」
「うん……一番大きいやつだよ」 
 さらけ出された臀部には、太い棒状のものがずっぽりと埋められていた。その異様な光景に舞人が可笑しそうに笑い声を立てる。彼は無遠慮にそれを掴んで引っ張り出すと、また勢いよく押し込んだ。途端に準夜の身体がびくりと跳ねて、甲高い悲鳴が上がる。
「ぁあぁぁ……っ! ぁっ、らぇ、らめぇっ、うごかしちゃ、ぁ、んっ、声、れちゃ、んっ、んんっ……!」
 準夜が泣きながらやめてと繰り返しても、舞人は手を止めずに何度もそれを抜き差しした。かわいそうだ、いじめられている、止めなければ、そう思っても、少年は指の一本すら動かせなかった。それどころか、身体が熱くなるような興奮を覚えていた。
「ぁ、あっ、いっひゃう、も、やぁっ、うごかさな、れ、ぁ、ぁんっ、あっ!」
「めっちゃ溢れてくんじゃん。何発やってきた?」
「ん、んっ、わ、かんな、ぁ、あう、いっぱい、だされ、ぁ、あっ、あぁーっ、あっ……!」
 準夜の脚がぴんと伸びて、小さな腰が震える。舞人はバイブレータを勢いよく抜き取ると、自分のズボンを下ろして性器を取り出し、そのまま強引に挿入した。
「ひっ、ぁ、あっ、こんな、とこれぇ……っや、ぁ、みられ、ちゃ、ぁう、あっ、あ、あっ」
「変態のくせにそういうの気にする? あ、逆に興奮すんのか」
 ここまで見せられれば、さすがに彼らが何をしているのかは分かった。セックスだ。少年にとっては、はじめて直接見たセックスだった。しかしながら少年が知るセックスとは男女の営みのことで、今目の前でまぐわっているのはどちらも男である。にわかには信じがたい光景に頭は混乱を極めていき、それと同時に、息が荒くなって股間が窮屈になっていった。
「や、も、ぁ、あ、きちゃ、ぁ、きもひぃのきちゃ、ぁああっ、あぁ……っ!」
「お前イくの早すぎ」
「ご、め、ぁあっ、あ、あっ、あぁあっ、ぁ、……っ!」
 準夜が大きく仰け反って痙攣したあと、力の抜けたその腰を舞人が強く掴んだ。もうむり、と、弱々しくすすり泣く声がする。準夜の震える手が舞人に伸ばされると、すぐに叩き落とされて地面に押さえつけられた。
「も、や、ぁあっ、あ、ら、ぇ、くるし、あ、あっ、あ……」
 準夜がどれだけ訴えようとも舞人は腰を振り続けた。もうだめ、くるしい、ごめんなさい、と、怯えたように謝る声が響く。
「ぁ、あ゛っ、ごめ、らさ、ぁ、ひっ、ひぃっ!」
「っは、何に謝ってんの?」
 激しく腰を動かしながら、舞人が準夜の髪を掴んで引っ張り上げる。綺麗に伸ばされたさらさらの髪は、今まで見たことがないほど乱れていた。
「やぁっ……き、もちよくてぇ……へんたいで、ごめんなさ……」
 しゃくりあげながら発せられた言葉に、舞人が盛大に噴き出す。よほど可笑しかったのか舞人はげらげらと大きく笑い声を立てながら、もはや逃げる力もない準夜を乱暴に揺さぶった。相手のことなど少しも考えていない、暴力的な行為だ。
 そんなふうにしたら壊れてしまう。止めなければ、と思ったが、やはり少年は動けなかった。途方もなく長くて、それでも一瞬のような時間が過ぎる。喘ぎ声がようやく止まった時、いつの間にか少年のズボンはぐっしょりと濡れていた。
「お前の泣き顔久しぶりに見たわ」
「えへ、テンション上がっちゃってさぁ」
 泣き腫らした痛々しい顔で、準夜がへらりと笑みを浮かべる。舞人はそんな準夜の発言は無視してさっさと身体を離すと、自分の身なりだけ整えてどこかへと歩きだした。
「あ、まってよぉ」
 慌てたように準夜がよろよろと立ち上がる。ふと、その瞳と視線がぶつかった。いつの間にか、物陰に隠れることすら忘れてその場に立ち尽くしていたようだ。こちらに気づいた準夜は虚ろな顔で小さく首を傾げたあと、柔らかく笑みを浮かべた。それはいつもの彼の笑顔だった。ふんわりと優しく、しかし何かが欠けているような笑みだ。
 彼はすぐにこちらから目を逸らすと、脱がされた服を急いで身に付け、舞人を追いかけていった。少年はその場に凍り付いたまま、二人が路地の奥に消えていくのを呆然と見つめた。滝のように噴き出した汗が、ぽたぽたと足元に落ちていった。

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