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後日談.次期辺境伯の妻の秘め事
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初夏。
ノヴァック領にも短い夏が来た。雪のない領地に、断続的に地響きが聞こえる。
「クロエ様。ユーゴ様から書簡が参りました。こちらに置かせていただきます」
「ありがと、……返事出してから5日も経ってないのに」
やたらと筆まめな兄を思い、苦笑い。何も心配するようなことはないのに、と過保護なユーゴを懐かしく思う。まだ離れて暮らすようになってから半年だけれど。
結婚式を挙げてから、クロエはノヴァック領に引っ越してきた。しかし、ネメラル鉱石の研究と開発が軌道に乗る目途がつき、まだラインハートの父であるノヴァック辺境伯が健在である今、特にこの辺境に引っ込んでいる理由はない。
ここに住む理由はただ一つ。ラインハートが危険な仕事をする場所がここだからだ。
ノヴァック領で産出するネメラル鉱石は、通常の鉱石とは生成方法が全く異なるということが分かった。
ピッケル等での採掘ではほぼ採れないが、発破をかけると採れる量が増える。当然、鉱脈がないところでは全く産出しないので、ごく限られた、条件のそろった土地で発破をかけることが必須となる。
ゴドルフィンのネメラル鉱石開発部隊とラインハートは、日々鉱石の解析と発掘と研究、それに加えて効率よく爆破できる火薬や着火用具の開発に勤しんでいる。
本を読んでいても食事をしていても聞こえてくる地響きは、採掘のための発破によるものだ。
本音を言えば、爆破なんてやめてほしい。崩落事故のことを思い出すと、今でも背筋が凍るようだった。
それでも、領地を豊かにするため危険を顧みずに現場指揮を執る夫の姿に、尊敬と思慕の念は高まるばかり。
毎日、部屋で帳簿仕事をしながらラインハートのことを考えている。
夕方になれば自分のもとへと帰ってくることはわかっているのに、そわそわと落ち着かない。
「こんなときには、……」
机の中から原稿用紙の束を取り出して、ペンをとる。
アナスタシア先生のように、とは言わないまでも、この胸の中に日々膨らんでいく愛や幸福感や切なさをぶつけるものが欲しい。
さらさらとペンを走らせる音が室内に響く。ロマンティックでスリリングで甘く優しいヒーローと、それに翻弄されるヒロイン。
文字を綴る合間合間にラインハートの顔が脳裏にちらついて、何度も手が止まる。でも、誰に見せるわけでもなく、急いで書き上げる必要もなく、ただ趣味でやっているだけだから、と遅々として進まない原稿に言い訳してみたり。
「ラインハート様、まだかしら……」
昨夜の食事の時の笑顔、眠る前の安らいだ顔、あどけなさの残る寝顔。いつまで見ていても飽きない夫を想う。
自分の心の中だけに収まりきらないほど、夫への気持ちは膨らむばかり。
「クロエ、ただいま。――あれ、こんなところで寝ちゃったの?」
外から帰るとまっすぐに妻の執務室へ帰ってくるラインハートは、執務机に突っ伏して眠ってしまっているクロエに気付いて笑みを漏らした。
風邪をひかないといいけれど、とブランケットを手に近づくと、机の上に原稿用紙が見えた。
ラインハートはそれを何気なく手に取り、読み始めるとみるみる頬を赤くした。
微笑んでいるかのように気持ちよさそうに眠っているクロエの額にかかる髪をそっと払って、ため息交じりに囁いた。
「これは、出版はできないね」
情感たっぷりに、拙い言葉で綴られたそれは、小説というよりは愛の言葉そのもので。
普段、直接言われないようなクロエの心がそのまま表れていて、1枚の半分読んだだけでも嬉しさと恥ずかしさと愛しさでそれ以上読み進められなかった。
早く起きないかな。
寝かせておいてあげたいけれど。
この愛に溢れた私小説への返事を伝えたら、どんな顔をするだろう。
そう考えながら妻の目覚めを待つこの時間も、穏やかで愛しい、二人の時間。
ー 了 ー
ノヴァック領にも短い夏が来た。雪のない領地に、断続的に地響きが聞こえる。
「クロエ様。ユーゴ様から書簡が参りました。こちらに置かせていただきます」
「ありがと、……返事出してから5日も経ってないのに」
やたらと筆まめな兄を思い、苦笑い。何も心配するようなことはないのに、と過保護なユーゴを懐かしく思う。まだ離れて暮らすようになってから半年だけれど。
結婚式を挙げてから、クロエはノヴァック領に引っ越してきた。しかし、ネメラル鉱石の研究と開発が軌道に乗る目途がつき、まだラインハートの父であるノヴァック辺境伯が健在である今、特にこの辺境に引っ込んでいる理由はない。
ここに住む理由はただ一つ。ラインハートが危険な仕事をする場所がここだからだ。
ノヴァック領で産出するネメラル鉱石は、通常の鉱石とは生成方法が全く異なるということが分かった。
ピッケル等での採掘ではほぼ採れないが、発破をかけると採れる量が増える。当然、鉱脈がないところでは全く産出しないので、ごく限られた、条件のそろった土地で発破をかけることが必須となる。
ゴドルフィンのネメラル鉱石開発部隊とラインハートは、日々鉱石の解析と発掘と研究、それに加えて効率よく爆破できる火薬や着火用具の開発に勤しんでいる。
本を読んでいても食事をしていても聞こえてくる地響きは、採掘のための発破によるものだ。
本音を言えば、爆破なんてやめてほしい。崩落事故のことを思い出すと、今でも背筋が凍るようだった。
それでも、領地を豊かにするため危険を顧みずに現場指揮を執る夫の姿に、尊敬と思慕の念は高まるばかり。
毎日、部屋で帳簿仕事をしながらラインハートのことを考えている。
夕方になれば自分のもとへと帰ってくることはわかっているのに、そわそわと落ち着かない。
「こんなときには、……」
机の中から原稿用紙の束を取り出して、ペンをとる。
アナスタシア先生のように、とは言わないまでも、この胸の中に日々膨らんでいく愛や幸福感や切なさをぶつけるものが欲しい。
さらさらとペンを走らせる音が室内に響く。ロマンティックでスリリングで甘く優しいヒーローと、それに翻弄されるヒロイン。
文字を綴る合間合間にラインハートの顔が脳裏にちらついて、何度も手が止まる。でも、誰に見せるわけでもなく、急いで書き上げる必要もなく、ただ趣味でやっているだけだから、と遅々として進まない原稿に言い訳してみたり。
「ラインハート様、まだかしら……」
昨夜の食事の時の笑顔、眠る前の安らいだ顔、あどけなさの残る寝顔。いつまで見ていても飽きない夫を想う。
自分の心の中だけに収まりきらないほど、夫への気持ちは膨らむばかり。
「クロエ、ただいま。――あれ、こんなところで寝ちゃったの?」
外から帰るとまっすぐに妻の執務室へ帰ってくるラインハートは、執務机に突っ伏して眠ってしまっているクロエに気付いて笑みを漏らした。
風邪をひかないといいけれど、とブランケットを手に近づくと、机の上に原稿用紙が見えた。
ラインハートはそれを何気なく手に取り、読み始めるとみるみる頬を赤くした。
微笑んでいるかのように気持ちよさそうに眠っているクロエの額にかかる髪をそっと払って、ため息交じりに囁いた。
「これは、出版はできないね」
情感たっぷりに、拙い言葉で綴られたそれは、小説というよりは愛の言葉そのもので。
普段、直接言われないようなクロエの心がそのまま表れていて、1枚の半分読んだだけでも嬉しさと恥ずかしさと愛しさでそれ以上読み進められなかった。
早く起きないかな。
寝かせておいてあげたいけれど。
この愛に溢れた私小説への返事を伝えたら、どんな顔をするだろう。
そう考えながら妻の目覚めを待つこの時間も、穏やかで愛しい、二人の時間。
ー 了 ー
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