46 / 51
46.兄、吠える
しおりを挟む
「どういうことだ!」
ダンッ、と受付テーブルを拳で叩くと、背の低い衛兵はびくりと身体をすくませた。ユーゴは同年代のその男を見下ろすと、ひときわ低い声で訊いた。
「クロエ=ゴドルフィン、と名前があるが?」
「は、はい! ですが、」
「来たのではないのか?」
「はい、ですが、」
助けを求めるように周りを見回す衛兵に、ユーゴは小さく舌打ちした。
思ったよりクロエの足が速すぎた。さすがにノヴァック領に入る前には追い付けるだろうと思っていたのに、盲点だった。途中の宿にチョコラを預けてまで、雪の中を歩いてまで先を急ぐなんて思わなかった。
さらに、通行証が必要なはずの関所で足止めを食っていないことにも驚いた。誰かと共連れで行ったのか、と歯噛みする。ユーゴが持たせた手紙を関所で見せてくれさえすれば、『一両日、手厚く保護してくれ』と伝わったはずなのに。
ぐるりと砦の中を見回す。こちらの様子をちらちらを伺う人も、ユーゴと目が合うとさっと逸らす。
再度衛兵に向き直ると、ユーゴは一つ息をつき、穏やかに続けた。
「ですが、何だ?」
「お嬢さんの名前を騙った、偽物だったんですよ」
後ろから声を掛けられ、振り返ると見たことがあるような貴族風の男が、得意げな顔で近づいてきた。
「お久しぶりです、ユーゴさん」
「……お久しぶりです、奇遇ですね」
クロエと見合いをした男か、と気付くまでに少し時間がかかった。何しろ、一度しか会っていない、見合いしただけの男は100人いるのだ。
男は、「ロブレド子爵です」と会釈した。
「偽物、ですか」
ユーゴが呟くように言うと、ロブレドは何度も大げさに頷き、わざとらしくあきれたような声を出した。
「えぇ、そうです! まさかこんな辺境に、ゴドルフィンの令嬢の顔を知る者がいるとは思ってもみなかったのでしょうな。しれっとした顔でその名を騙り、私はその態度が許せずに、」
「その人はどこに?」
この室内にはいない。女性がいない。
見合いの時のクロエしか知らない子爵では、クロエ本人がここにいたとしても別人だと思ってもおかしくない。
「でもユーゴさん、」
「偽物だと判断した理由は? 筆跡はクロエのものだ、肉親である私がそう判断した。で、誰が偽物だと判断し、その女性をどこに連れて行ったのだ」
小さい身体をさらに小さくしている衛兵を睨みつけると、彼はこくりと喉を鳴らして敬礼し、精一杯声を張り上げた。
「はい! 独房のほうへご案内しました!」
「独房!? 何も悪いことをしていないクロエを、寒いこんな場所の独房へ?」
「でもそれは、」
「でもでもうるさい! 早く解放しろ!」
ここ何年かのことを思っても、こんなに大声を張り上げたことはない。
いつも大体穏やかで通っているユーゴだったが、イラつきと怒りが抑えられなかった。
きつく拳を握り締め、絞り出すように告げる。
「クロエを、ここへ、連れてきていただけますか」
他所の領地の砦だということを思い出し、口調だけでもお願いの体をとる。が、視線は今にもとびかかりそうなほどに鋭い。
ひっと小さく息をのみ、衛兵はそれでも負けじと声を上げた。
「で、できません!」
「できない? なぜ。では、そこへご案内いただけますか」
「それも、できません!」
「は?」
机を指先でトントンと突きながら、ユーゴは眉根に力を籠める。
「できない、なぜ。――まさか、」
騙りだというのを真に受けて、クロエに乱暴を働いたのか?
独房に入れたということだけでも許しがたいのに、クロエが怪我でも負わされていたら、と思うと背筋を怒りが駆けあがる。
「逃げられました!!」
どうにでもなれとでも言いたげな大声で衛兵はそう叫ぶと、止める間もなく頭を下げて部屋から駆け出て行った。
「あ、おい! 逃げられた、って!?」
頭が痛い。どうしたらいいんだ。
せっかく追いついたと思ったのに、早くクロエの無事を確認したい。
そもそも、ラインハートは何をしているんだ。クロエはラインハートと会えたのか。
どちらにしても、クロエの意思でここに来たのだとしても、この状況は到底許せるものではない。
独房でもなんでもクロエを確保していてくれたなら、とユーゴは椅子に身体を投げ出して天井を仰いだ。
きつく目を瞑ると、断続的に低く地響きが聞こえる。
どこにいるんだ、クロエ。
ダンッ、と受付テーブルを拳で叩くと、背の低い衛兵はびくりと身体をすくませた。ユーゴは同年代のその男を見下ろすと、ひときわ低い声で訊いた。
「クロエ=ゴドルフィン、と名前があるが?」
「は、はい! ですが、」
「来たのではないのか?」
「はい、ですが、」
助けを求めるように周りを見回す衛兵に、ユーゴは小さく舌打ちした。
思ったよりクロエの足が速すぎた。さすがにノヴァック領に入る前には追い付けるだろうと思っていたのに、盲点だった。途中の宿にチョコラを預けてまで、雪の中を歩いてまで先を急ぐなんて思わなかった。
さらに、通行証が必要なはずの関所で足止めを食っていないことにも驚いた。誰かと共連れで行ったのか、と歯噛みする。ユーゴが持たせた手紙を関所で見せてくれさえすれば、『一両日、手厚く保護してくれ』と伝わったはずなのに。
ぐるりと砦の中を見回す。こちらの様子をちらちらを伺う人も、ユーゴと目が合うとさっと逸らす。
再度衛兵に向き直ると、ユーゴは一つ息をつき、穏やかに続けた。
「ですが、何だ?」
「お嬢さんの名前を騙った、偽物だったんですよ」
後ろから声を掛けられ、振り返ると見たことがあるような貴族風の男が、得意げな顔で近づいてきた。
「お久しぶりです、ユーゴさん」
「……お久しぶりです、奇遇ですね」
クロエと見合いをした男か、と気付くまでに少し時間がかかった。何しろ、一度しか会っていない、見合いしただけの男は100人いるのだ。
男は、「ロブレド子爵です」と会釈した。
「偽物、ですか」
ユーゴが呟くように言うと、ロブレドは何度も大げさに頷き、わざとらしくあきれたような声を出した。
「えぇ、そうです! まさかこんな辺境に、ゴドルフィンの令嬢の顔を知る者がいるとは思ってもみなかったのでしょうな。しれっとした顔でその名を騙り、私はその態度が許せずに、」
「その人はどこに?」
この室内にはいない。女性がいない。
見合いの時のクロエしか知らない子爵では、クロエ本人がここにいたとしても別人だと思ってもおかしくない。
「でもユーゴさん、」
「偽物だと判断した理由は? 筆跡はクロエのものだ、肉親である私がそう判断した。で、誰が偽物だと判断し、その女性をどこに連れて行ったのだ」
小さい身体をさらに小さくしている衛兵を睨みつけると、彼はこくりと喉を鳴らして敬礼し、精一杯声を張り上げた。
「はい! 独房のほうへご案内しました!」
「独房!? 何も悪いことをしていないクロエを、寒いこんな場所の独房へ?」
「でもそれは、」
「でもでもうるさい! 早く解放しろ!」
ここ何年かのことを思っても、こんなに大声を張り上げたことはない。
いつも大体穏やかで通っているユーゴだったが、イラつきと怒りが抑えられなかった。
きつく拳を握り締め、絞り出すように告げる。
「クロエを、ここへ、連れてきていただけますか」
他所の領地の砦だということを思い出し、口調だけでもお願いの体をとる。が、視線は今にもとびかかりそうなほどに鋭い。
ひっと小さく息をのみ、衛兵はそれでも負けじと声を上げた。
「で、できません!」
「できない? なぜ。では、そこへご案内いただけますか」
「それも、できません!」
「は?」
机を指先でトントンと突きながら、ユーゴは眉根に力を籠める。
「できない、なぜ。――まさか、」
騙りだというのを真に受けて、クロエに乱暴を働いたのか?
独房に入れたということだけでも許しがたいのに、クロエが怪我でも負わされていたら、と思うと背筋を怒りが駆けあがる。
「逃げられました!!」
どうにでもなれとでも言いたげな大声で衛兵はそう叫ぶと、止める間もなく頭を下げて部屋から駆け出て行った。
「あ、おい! 逃げられた、って!?」
頭が痛い。どうしたらいいんだ。
せっかく追いついたと思ったのに、早くクロエの無事を確認したい。
そもそも、ラインハートは何をしているんだ。クロエはラインハートと会えたのか。
どちらにしても、クロエの意思でここに来たのだとしても、この状況は到底許せるものではない。
独房でもなんでもクロエを確保していてくれたなら、とユーゴは椅子に身体を投げ出して天井を仰いだ。
きつく目を瞑ると、断続的に低く地響きが聞こえる。
どこにいるんだ、クロエ。
2
お気に入りに追加
207
あなたにおすすめの小説

新しい人生を貴方と
緑谷めい
恋愛
私は公爵家令嬢ジェンマ・アマート。17歳。
突然、マリウス王太子殿下との婚約が白紙になった。あちらから婚約解消の申し入れをされたのだ。理由は王太子殿下にリリアという想い人ができたこと。
2ヵ月後、父は私に縁談を持って来た。お相手は有能なイケメン財務大臣コルトー侯爵。ただし、私より13歳年上で婚姻歴があり8歳の息子もいるという。
* 主人公は寛容です。王太子殿下に仕返しを考えたりはしません。

皇太子夫妻の歪んだ結婚
夕鈴
恋愛
皇太子妃リーンは夫の秘密に気付いてしまった。
その秘密はリーンにとって許せないものだった。結婚1日目にして離縁を決意したリーンの夫婦生活の始まりだった。
本編完結してます。
番外編を更新中です。

【完結】あなたのいない世界、うふふ。
やまぐちこはる
恋愛
17歳のヨヌク子爵家令嬢アニエラは栗毛に栗色の瞳の穏やかな令嬢だった。近衛騎士で伯爵家三男、かつ騎士爵を賜るトーソルド・ロイリーと幼少から婚約しており、成人とともに政略的な結婚をした。
しかしトーソルドには恋人がおり、結婚式のあと、初夜を迎える前に出たまま戻ることもなく、一人ロイリー騎士爵家を切り盛りするはめになる。
とはいえ、アニエラにはさほどの不満はない。結婚前だって殆ど会うこともなかったのだから。
===========
感想は一件づつ個別のお返事ができなくなっておりますが、有り難く拝読しております。
4万文字ほどの作品で、最終話まで予約投稿済です。お楽しみいただけましたら幸いでございます。
僕は君を思うと吐き気がする
月山 歩
恋愛
貧乏侯爵家だった私は、お金持ちの夫が亡くなると、次はその弟をあてがわれた。私は、母の生活の支援もしてもらいたいから、拒否できない。今度こそ、新しい夫に愛されてみたいけど、彼は、私を思うと吐き気がするそうです。再び白い結婚が始まった。

私の完璧な婚約者
夏八木アオ
恋愛
完璧な婚約者の隣が息苦しくて、婚約取り消しできないかなぁと思ったことが相手に伝わってしまうすれ違いラブコメです。
※ちょっとだけ虫が出てくるので気をつけてください(Gではないです)

聖女のわたしを隣国に売っておいて、いまさら「母国が滅んでもよいのか」と言われましても。
ふまさ
恋愛
「──わかった、これまでのことは謝罪しよう。とりあえず、国に帰ってきてくれ。次の聖女は急ぎ見つけることを約束する。それまでは我慢してくれないか。でないと国が滅びる。お前もそれは嫌だろ?」
出来るだけ優しく、テンサンド王国の第一王子であるショーンがアーリンに語りかける。ひきつった笑みを浮かべながら。
だがアーリンは考える間もなく、
「──お断りします」
と、きっぱりと告げたのだった。

はずれのわたしで、ごめんなさい。
ふまさ
恋愛
姉のベティは、学園でも有名になるほど綺麗で聡明な当たりのマイヤー伯爵令嬢。妹のアリシアは、ガリで陰気なはずれのマイヤー伯爵令嬢。そう学園のみなが陰であだ名していることは、アリシアも承知していた。傷付きはするが、もう慣れた。いちいち泣いてもいられない。
婚約者のマイクも、アリシアのことを幽霊のようだの暗いだのと陰口をたたいている。マイクは伯爵家の令息だが、家は没落の危機だと聞く。嫁の貰い手がないと家の名に傷がつくという理由で、アリシアの父親は持参金を多めに出すという条件でマイクとの婚約を成立させた。いわば政略結婚だ。
こんなわたしと結婚なんて、気の毒に。と、逆にマイクに同情するアリシア。
そんな諦めにも似たアリシアの日常を壊し、救ってくれたのは──。

この度、皆さんの予想通り婚約者候補から外れることになりました。ですが、すぐに結婚することになりました。
鶯埜 餡
恋愛
ある事件のせいでいろいろ言われながらも国王夫妻の働きかけで王太子の婚約者候補となったシャルロッテ。
しかし当の王太子ルドウィックはアリアナという男爵令嬢にべったり。噂好きな貴族たちはシャルロッテに婚約者候補から外れるのではないかと言っていたが
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる