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44.深い雪、白、グリーン
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雪を踏みしめて歩く。カバンはない。が、毛皮は被ったまま持ってきた。
空はさっきまでが嘘のように晴れ渡っている。日の高さからいって、日没までもまだ時間があるだろう。
崩落があった三峰は、すぐにわかった。土色の地面が露出していて、そこだけ雪がない。そちらに向かって歩を進めていくことにした。
そこにラインハートがいるのかはわからない。坊ちゃんの救出、のようなことを衛兵は言っていたけれど、崩落に巻き込まれたという確証があるわけでもない。
そもそも、崩落が起こったと聞いてから3日経っている。もしも、巻き込まれてしまっていたとしたら。
もしものことなど考えたくはない。今は絶望している場合ではないから。まっすぐに三峰を目指して歩くことしか、出来ることはない。
息が弾むのは、疲れのせいだけではなかった。少し標高が高いせいで、空気が薄く感じる。
クロエが辿るのは、雪の中の道なき道。鎖すらも張っておらず、等間隔で打ってある杭が唯一の目印だ。これもなかったら遭難一直線なので、このルートは通ることもなかっただろう。
通常の通行ルートは、捜索隊が辿ってくれている。そちらでラインハートが見つかってくれるのなら、安心だ。
でも、崩落から3日。通常ルートにいるならとっくに戻ってきているはず。大事な嫡男だもの、いなくなってから何日も放置なんてことは。
「……ない、よね?」
大丈夫。クロエは顔を上げて、あたりの景色を見渡した。
真っ白な雪には、何の痕跡もない。人の足跡も、動物の歩いた痕跡も。
自分の来た方向を見ると、引きずったような跡が道になって続いていた。
土色の峰を目指して進む。理由はない。ただ白い中でもよくわかる目印がそこにしかないから。まずは、崩落の現場を調査するという建前で来ていることだし、と自分に言い聞かせた。
目標がないと、その場に崩れてしまいそうだった。
一面の雪の中に一人というのは、こんなにも心細いのか。
……ラインハートは大丈夫だろうか。
よいしょ、と毛皮を被り直して、リズミカルに呼吸をしながら進んでいく。毛皮の温かさがありがたかった。何となく強くなった気もするし。
休まずに一時間ほど歩いただろうか。足元に少しに雪をかぶった落石が目立つようになってきた。
石を踏むと滑って転んでしまう。足元を慎重に確認しながら進んでいくと、鮮やかなグリーンが目に入った。
奇跡的に土砂崩れが直撃しなかったのか、それとも崩落後に張ったのかは分からなかったが、それは確かにテントだった。数メートルの間をあけて、二張のテント。
そして、表面に見たことのある紋章が描かれていた。
ノヴァック辺境伯の、家紋だった。
「……!」
重く怠く感じていた足がうそのように、クロエは転がるようにテントに向かって走った。
雪と土が絡まりつく。安心感からか、涙で景色がにじむ。ぐっと目元を袖で拭って、はやる心を抑えながら、坂を上る。
ゆら、と人影が見えた。逆光のせいで顔はわからないが、呼びかけようとクロエが口を開きかけたとたん、破裂音とともに頬の真横を何かが風を切って通り過ぎた。
発砲された?
前へ進む勢いが殺せず、驚きで腰が引けてその場に昏倒した。雪と毛皮のおかげで、身体は固い地面に叩きつけられはしなかった。が、腹の底から震えがせり上がってくる。
起き上がることができない。でも、逃げなければ。逃げなければ、また撃たれたら?
一度横になってしまった身体は震えが止まらず、ゆっくりと近づいてくる人影から目が離せない。長い猟銃の口がこちらを向いているのが恐ろしくて、目を閉じたいのに視線が逸らせない。
どくどくと心臓の音が耳元で聞こえる。
ゆっくりと近づいてくる、雪と石を踏みしめる音がやけに遠くに聞こえる。
銃の影が身体に触れるかどうか、というところまで近づいてきた人影は、驚いたように小声で呟いた。
「――クロエ?」
空はさっきまでが嘘のように晴れ渡っている。日の高さからいって、日没までもまだ時間があるだろう。
崩落があった三峰は、すぐにわかった。土色の地面が露出していて、そこだけ雪がない。そちらに向かって歩を進めていくことにした。
そこにラインハートがいるのかはわからない。坊ちゃんの救出、のようなことを衛兵は言っていたけれど、崩落に巻き込まれたという確証があるわけでもない。
そもそも、崩落が起こったと聞いてから3日経っている。もしも、巻き込まれてしまっていたとしたら。
もしものことなど考えたくはない。今は絶望している場合ではないから。まっすぐに三峰を目指して歩くことしか、出来ることはない。
息が弾むのは、疲れのせいだけではなかった。少し標高が高いせいで、空気が薄く感じる。
クロエが辿るのは、雪の中の道なき道。鎖すらも張っておらず、等間隔で打ってある杭が唯一の目印だ。これもなかったら遭難一直線なので、このルートは通ることもなかっただろう。
通常の通行ルートは、捜索隊が辿ってくれている。そちらでラインハートが見つかってくれるのなら、安心だ。
でも、崩落から3日。通常ルートにいるならとっくに戻ってきているはず。大事な嫡男だもの、いなくなってから何日も放置なんてことは。
「……ない、よね?」
大丈夫。クロエは顔を上げて、あたりの景色を見渡した。
真っ白な雪には、何の痕跡もない。人の足跡も、動物の歩いた痕跡も。
自分の来た方向を見ると、引きずったような跡が道になって続いていた。
土色の峰を目指して進む。理由はない。ただ白い中でもよくわかる目印がそこにしかないから。まずは、崩落の現場を調査するという建前で来ていることだし、と自分に言い聞かせた。
目標がないと、その場に崩れてしまいそうだった。
一面の雪の中に一人というのは、こんなにも心細いのか。
……ラインハートは大丈夫だろうか。
よいしょ、と毛皮を被り直して、リズミカルに呼吸をしながら進んでいく。毛皮の温かさがありがたかった。何となく強くなった気もするし。
休まずに一時間ほど歩いただろうか。足元に少しに雪をかぶった落石が目立つようになってきた。
石を踏むと滑って転んでしまう。足元を慎重に確認しながら進んでいくと、鮮やかなグリーンが目に入った。
奇跡的に土砂崩れが直撃しなかったのか、それとも崩落後に張ったのかは分からなかったが、それは確かにテントだった。数メートルの間をあけて、二張のテント。
そして、表面に見たことのある紋章が描かれていた。
ノヴァック辺境伯の、家紋だった。
「……!」
重く怠く感じていた足がうそのように、クロエは転がるようにテントに向かって走った。
雪と土が絡まりつく。安心感からか、涙で景色がにじむ。ぐっと目元を袖で拭って、はやる心を抑えながら、坂を上る。
ゆら、と人影が見えた。逆光のせいで顔はわからないが、呼びかけようとクロエが口を開きかけたとたん、破裂音とともに頬の真横を何かが風を切って通り過ぎた。
発砲された?
前へ進む勢いが殺せず、驚きで腰が引けてその場に昏倒した。雪と毛皮のおかげで、身体は固い地面に叩きつけられはしなかった。が、腹の底から震えがせり上がってくる。
起き上がることができない。でも、逃げなければ。逃げなければ、また撃たれたら?
一度横になってしまった身体は震えが止まらず、ゆっくりと近づいてくる人影から目が離せない。長い猟銃の口がこちらを向いているのが恐ろしくて、目を閉じたいのに視線が逸らせない。
どくどくと心臓の音が耳元で聞こえる。
ゆっくりと近づいてくる、雪と石を踏みしめる音がやけに遠くに聞こえる。
銃の影が身体に触れるかどうか、というところまで近づいてきた人影は、驚いたように小声で呟いた。
「――クロエ?」
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