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38.その明るさにとても救われるのです
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通行証の文字をじっと見つめる。
配偶者。配偶者、というのは妻よね。イーサンの妻。え、妻?
「ち、ちがう! いや、違わないけど、……ふり、だけでもいいんじゃないかな」
「ふり……」
こくこくとなぜか真剣な顔で頷くイーサン。
ここを通り抜けたいのはクロエで、その協力をしてくれるというだけの話なのに、なんだかイーサンの方が必死になっているような気がする。
怪訝な表情で見ていると、イーサンはわざとらしく軽い調子で話し出した。
「そう、ふり! 結婚証明書は持っていないけど、ここを通ってオクレール領の役所で婚姻届けを出す予定だってことにすれば、」
「駄目だと思います」
そんなことで素通りできるようでは、関所の意味がない。とはいっても、災害時の関所だからそれほどの拘束力はないのかもしれないけれど。危険なことが起こった際に、はっきり言えば事故に巻き込まれて遺体となった際に、通行の履歴があれば身元がすぐにわかると、そのレベルかもしれない。
であれば、いける? いけるかもしれないけれど。
考え込んだクロエに、イーサンは静かに言った。
「だったら、――虫がいい話だと思うかもしれない。俺も思う、けど。……前に言った、このご縁はなかったことに、ってあれ。取り消せないか」
顔を上げると、真面目な顔でクロエを見つめているイーサンと目が合った。
前に言った、とは初対面の、お見合いの時の話だろう。こちらの狙い通りに、お断りの言葉を引き出したんだった。
お断り、の取り消し? というと。
「配偶者の、ふり、ではなくて、」
「ちょっと待ってください、それ以上は駄目です」
「もが」
慌ててイーサンの口を両手でふさいだ。
話を遮られたイーサンの視線から逃げるように顔を背け、クロエは「駄目です」と繰り返した。
しばらくもごもごしていたイーサンが観念したのを確認して、そっと手のひらを外す。
彼は寂しそうに笑った。
「やっぱり、一度断ってしまったものは無理か」
「そうではなく、……私、これからノヴァック領へ行くのです」
「!」
ラインハートと親しいイーサンには、それで理解できてしまった。
お見合いのあの日、クロエに求婚したラインハート。笑ってお断りしたイーサン。
どちらにクロエの気持ちが向くかと言えば、言うまでもない。
そっか、と笑ってイーサンは勢い良く立ち上がった。
「俺はノヴァック領の近くにあるうちの店の系列店に用があるんだ。そこまで一緒に行くか!」
「……」
「まぁ見てろって。俺だって商人、交渉事は得意なんだ」
クロエの髪をくしゃっと撫でて、イーサンは兵士のほうへと駆けて行った。
ものの数分で帰ってくると、「臨時通行許可証」を手にして得意げに胸を張る。
「イーサン様、すごい……」
「だろ? 少しは好きになった?」
「最初から嫌いではないですよ」
「はは、ありがと。口のうまさには定評があるんだ、何かあれば役に立つよ」
友人として、と付け加えて、イーサンは明るく笑った。
灰色の空は、どんどん雲の厚みを増している。
舞うように降る雪も、いつ本降りになるかわからない。
イーサンの同行者は荷馬車を駆って、途中の辻で別れた。積み荷を入れ替えて、イーサンの行き先でもある系列店に向かうらしい。
イーサンは先行して店に行き、荷受けの準備をするのだという。
「立派に跡取りのお仕事をされてるんですね」
「んー、っていうか親父に任せてたんじゃちょっと心配なところもあるしね。あんまり身体も強くないし、この天気だし。……」
「イーサン様?」
語尾を濁したイーサンは、クロエを乗せるチョコラのたてがみ辺りを見つめながら話し出した。
「俺も親父も、商人だからさ、結局計算高くて……さっき、嫌な思いさせただろ?」
「さっき?」
「変な顔だって思ってたゴドルフィンのクロエが、こんなきれいな子だって知った瞬間、手のひら返したようにさ。……きれいな奥さんがもらえるかも、うまくいけばうちの経営も助けてもらえたり、なんて……ほんとに恥ずかしい。ごめんな」
「ほんとに計算高い人であれば」
懺悔を続けそうなイーサンの言葉に、クロエは重ねた。
「そんな風に思っていることを感づかせないようにすると思います。……私の方こそ、ごめんなさい。変な化粧で、せっかく来てくれた男性をからかうような……」
「いや、あれはあれで面白かったから」
面白かった、で済まして笑い飛ばしてくれるなんて。
もやもや考えていた気持ちが少し楽になる。
ラインハートにすべてを話す勇気を、もらった気がした。
配偶者。配偶者、というのは妻よね。イーサンの妻。え、妻?
「ち、ちがう! いや、違わないけど、……ふり、だけでもいいんじゃないかな」
「ふり……」
こくこくとなぜか真剣な顔で頷くイーサン。
ここを通り抜けたいのはクロエで、その協力をしてくれるというだけの話なのに、なんだかイーサンの方が必死になっているような気がする。
怪訝な表情で見ていると、イーサンはわざとらしく軽い調子で話し出した。
「そう、ふり! 結婚証明書は持っていないけど、ここを通ってオクレール領の役所で婚姻届けを出す予定だってことにすれば、」
「駄目だと思います」
そんなことで素通りできるようでは、関所の意味がない。とはいっても、災害時の関所だからそれほどの拘束力はないのかもしれないけれど。危険なことが起こった際に、はっきり言えば事故に巻き込まれて遺体となった際に、通行の履歴があれば身元がすぐにわかると、そのレベルかもしれない。
であれば、いける? いけるかもしれないけれど。
考え込んだクロエに、イーサンは静かに言った。
「だったら、――虫がいい話だと思うかもしれない。俺も思う、けど。……前に言った、このご縁はなかったことに、ってあれ。取り消せないか」
顔を上げると、真面目な顔でクロエを見つめているイーサンと目が合った。
前に言った、とは初対面の、お見合いの時の話だろう。こちらの狙い通りに、お断りの言葉を引き出したんだった。
お断り、の取り消し? というと。
「配偶者の、ふり、ではなくて、」
「ちょっと待ってください、それ以上は駄目です」
「もが」
慌ててイーサンの口を両手でふさいだ。
話を遮られたイーサンの視線から逃げるように顔を背け、クロエは「駄目です」と繰り返した。
しばらくもごもごしていたイーサンが観念したのを確認して、そっと手のひらを外す。
彼は寂しそうに笑った。
「やっぱり、一度断ってしまったものは無理か」
「そうではなく、……私、これからノヴァック領へ行くのです」
「!」
ラインハートと親しいイーサンには、それで理解できてしまった。
お見合いのあの日、クロエに求婚したラインハート。笑ってお断りしたイーサン。
どちらにクロエの気持ちが向くかと言えば、言うまでもない。
そっか、と笑ってイーサンは勢い良く立ち上がった。
「俺はノヴァック領の近くにあるうちの店の系列店に用があるんだ。そこまで一緒に行くか!」
「……」
「まぁ見てろって。俺だって商人、交渉事は得意なんだ」
クロエの髪をくしゃっと撫でて、イーサンは兵士のほうへと駆けて行った。
ものの数分で帰ってくると、「臨時通行許可証」を手にして得意げに胸を張る。
「イーサン様、すごい……」
「だろ? 少しは好きになった?」
「最初から嫌いではないですよ」
「はは、ありがと。口のうまさには定評があるんだ、何かあれば役に立つよ」
友人として、と付け加えて、イーサンは明るく笑った。
灰色の空は、どんどん雲の厚みを増している。
舞うように降る雪も、いつ本降りになるかわからない。
イーサンの同行者は荷馬車を駆って、途中の辻で別れた。積み荷を入れ替えて、イーサンの行き先でもある系列店に向かうらしい。
イーサンは先行して店に行き、荷受けの準備をするのだという。
「立派に跡取りのお仕事をされてるんですね」
「んー、っていうか親父に任せてたんじゃちょっと心配なところもあるしね。あんまり身体も強くないし、この天気だし。……」
「イーサン様?」
語尾を濁したイーサンは、クロエを乗せるチョコラのたてがみ辺りを見つめながら話し出した。
「俺も親父も、商人だからさ、結局計算高くて……さっき、嫌な思いさせただろ?」
「さっき?」
「変な顔だって思ってたゴドルフィンのクロエが、こんなきれいな子だって知った瞬間、手のひら返したようにさ。……きれいな奥さんがもらえるかも、うまくいけばうちの経営も助けてもらえたり、なんて……ほんとに恥ずかしい。ごめんな」
「ほんとに計算高い人であれば」
懺悔を続けそうなイーサンの言葉に、クロエは重ねた。
「そんな風に思っていることを感づかせないようにすると思います。……私の方こそ、ごめんなさい。変な化粧で、せっかく来てくれた男性をからかうような……」
「いや、あれはあれで面白かったから」
面白かった、で済まして笑い飛ばしてくれるなんて。
もやもや考えていた気持ちが少し楽になる。
ラインハートにすべてを話す勇気を、もらった気がした。
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