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第三十九話 白金学園の歩み
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僕は部屋の奥へと進み、何気なしにパソコンのモニターを見た。
『白金学園の歩み』
学園の外観映像に明朝体の文字で、そう映っている。
「白金学園? 白雪学園じゃなくて?」
するとすぐに、モニターにスクリーンセイバーがかかった。真っ暗な画面に泡が舞う、至ってシンプルなスクリーンセイバーだ。
「ついさっきまで、誰かいたのかな」
椅子越しにマウスを握り、モニターを再表示させる。と……マウスパッドの横に、白い羽根の付いたペンマウスが置かれていた。
まるで天使の羽根が抜け落ちたような、真っ白で無垢な羽根。羽先がゆるやかにカーブして、とても柔らかそうで 温かみのある、しかし触れれば壊れてしまいそうに儚い、ワイヤレスの光学式ペンマウス。
誰のだろう。僕が手を伸ばそうとしたその時、
「あら、ここに人が来るなんて珍しいわね」
背中に向けられた声で、僕は振り返った。
「あ――私のペンマウス、やっぱりここにあった。嫌ね、大切な物を忘れてしまうなんて」
柔らかそうな唇から広がる、透明感のある声音。軽やかな活舌と、淑やかで慎み深い口調の、僕よりもいくらか大人びた美しい女性がそこにいた。
ペンマウスは、この高貴な雰囲気を醸し出す女性の忘れ物なのか。
あ、いえ――僕は決して「ペンマウスなんて初めて見たから試しに使わせてもらおうかな」とか「羽根の部分が気持ちよさそうだから触ってみようかな」とか考えていたわけではないですよ。
僕がペンマウスに手を伸ばしかけた右手を慌てて引っ込めると、
「うふふ。それ、使ってみる?」
女性は微笑を浮かべていたずらっぽく言い、僕のところへゆっくりと歩いてきた。
背中まで伸びたライトブラウンの長い髪。茶色よりも少し明るい、アプリコットのような色。前髪を眉毛の上で切りそろえ、胸元に垂れた毛先が軽くカールしている。
白いブラウスに黄色のリボン、茜色のスカート。いいところのお嬢様学校の制服に見えなくもない恰好は、どこか気品が漂う。
木目床の上をコツコツと踵を鳴らしながら、ほとんど僕にくっつきそうなくらい近くに寄って来た女性はスッと手を伸ばすと、
「これは、こうして使うのよ」
しなやかな指先でペンマウスを握った。ふわっと、ピーチのように甘くて、レモンのように爽やかな、瑞々しい香りが漂ってくる。
パソコンのモニターでカーソルを揺らし『白金学園の歩み』をクリックしてみせると、スピーカーからクラシカルな音楽が優しく流れ始めた。
「あなた、一年生?」
吐息がかかりそうな距離で、女性が尋ねる。
「は……はいっ、アダルト科のモモイロイツキといいます」
「この学園の歴史を、知ってるかしら」
透き通るような声が心地よく僕の耳を抜けていく。次にその女性は、
「そうだ。よかったら、少し見ていかない? ほら、ここは白雪学園なのに、『白金学園の歩み』って書いてあるでしょ。どうしてだか知ってる?」
琥珀色の瞳を僕に向け、椅子に手を掛けると「座って」と促した。
僕は言われるままに椅子に腰を下ろし、パソコンのモニターにテロップが映っていくのを目で追いかけた。
「この学園は、もともと白金学園という名前の学校だったの」
そこに合わせて、僕の隣で女性がナレーションのように語り始めた。
「この学園の設立は八年前、当時は現実世界にある普通の専門学校だったわ。もちろん今と同じで、ブロガーを育成する学校。でもそんな胡散臭い学校が流行るわけなくて、設立当初からすぐに経営難。二人しかいない講師もお給料が止まっちゃうくらいに困窮していたみたい。だから講師の一人はすぐに辞めてしまった」
モニターの映像と女性の話は見事にマッチしていた。テロップの内容をそのまま、自分の言葉にして朗々と紡いでいる。
女性は僕に背を向けると、天井を見上げて語りを続けた。
「それでも、残った講師が休みなく授業を続けたの。生徒はブログのノウハウを教わって記事を書き、ブログの閲覧数に応じて報酬がもらえる。その一部を学校がもらって運営費にするんだけど、当時は生徒が少なくてね。現実世界の学校だから、建物の賃料とか設備費も光熱費も、ままならなかった」
そんな時に――
「一人の女性が入学してきたの。彼女はブログのノウハウをまるで真綿のように吸収して、瞬く間に人気のブロガーになった。卓越した文章力とコミカルなイラスト、ちょっとエッチなネタや独特のセンスが大いに受けて、一日のアクセス数がゆうに百万を超えるトップブロガーになったの。だから、彼女が得る報酬もすごかった」
一日で百万ものアクセス数があるブログなんて、一体どれだけのお金がもらえるのか僕には想像がつかない。
「その収益で学園はなんとか息を吹き返したけど、一つだけ大きな問題があったの」
まるでドキュメンタリー番組のように、ここで突然の問題が発生。語り部の女性の声も、心なしか沈んだように聞こえる。
「白金学園は三年履修の専門学校だから、どんなに凄いブロガーが育っても三年が過ぎれば卒業してしまう。トップブロガーとなって学園の経営を支えてきた彼女が卒業したら――」
女性はそこで言葉を止めた。パソコンのモニターには瓦解していく学園の映像が映り、
『白金学園は、再び窮地に陥った』
と薄暗い文字でテロップが流れた。
『白金学園の歩み』
学園の外観映像に明朝体の文字で、そう映っている。
「白金学園? 白雪学園じゃなくて?」
するとすぐに、モニターにスクリーンセイバーがかかった。真っ暗な画面に泡が舞う、至ってシンプルなスクリーンセイバーだ。
「ついさっきまで、誰かいたのかな」
椅子越しにマウスを握り、モニターを再表示させる。と……マウスパッドの横に、白い羽根の付いたペンマウスが置かれていた。
まるで天使の羽根が抜け落ちたような、真っ白で無垢な羽根。羽先がゆるやかにカーブして、とても柔らかそうで 温かみのある、しかし触れれば壊れてしまいそうに儚い、ワイヤレスの光学式ペンマウス。
誰のだろう。僕が手を伸ばそうとしたその時、
「あら、ここに人が来るなんて珍しいわね」
背中に向けられた声で、僕は振り返った。
「あ――私のペンマウス、やっぱりここにあった。嫌ね、大切な物を忘れてしまうなんて」
柔らかそうな唇から広がる、透明感のある声音。軽やかな活舌と、淑やかで慎み深い口調の、僕よりもいくらか大人びた美しい女性がそこにいた。
ペンマウスは、この高貴な雰囲気を醸し出す女性の忘れ物なのか。
あ、いえ――僕は決して「ペンマウスなんて初めて見たから試しに使わせてもらおうかな」とか「羽根の部分が気持ちよさそうだから触ってみようかな」とか考えていたわけではないですよ。
僕がペンマウスに手を伸ばしかけた右手を慌てて引っ込めると、
「うふふ。それ、使ってみる?」
女性は微笑を浮かべていたずらっぽく言い、僕のところへゆっくりと歩いてきた。
背中まで伸びたライトブラウンの長い髪。茶色よりも少し明るい、アプリコットのような色。前髪を眉毛の上で切りそろえ、胸元に垂れた毛先が軽くカールしている。
白いブラウスに黄色のリボン、茜色のスカート。いいところのお嬢様学校の制服に見えなくもない恰好は、どこか気品が漂う。
木目床の上をコツコツと踵を鳴らしながら、ほとんど僕にくっつきそうなくらい近くに寄って来た女性はスッと手を伸ばすと、
「これは、こうして使うのよ」
しなやかな指先でペンマウスを握った。ふわっと、ピーチのように甘くて、レモンのように爽やかな、瑞々しい香りが漂ってくる。
パソコンのモニターでカーソルを揺らし『白金学園の歩み』をクリックしてみせると、スピーカーからクラシカルな音楽が優しく流れ始めた。
「あなた、一年生?」
吐息がかかりそうな距離で、女性が尋ねる。
「は……はいっ、アダルト科のモモイロイツキといいます」
「この学園の歴史を、知ってるかしら」
透き通るような声が心地よく僕の耳を抜けていく。次にその女性は、
「そうだ。よかったら、少し見ていかない? ほら、ここは白雪学園なのに、『白金学園の歩み』って書いてあるでしょ。どうしてだか知ってる?」
琥珀色の瞳を僕に向け、椅子に手を掛けると「座って」と促した。
僕は言われるままに椅子に腰を下ろし、パソコンのモニターにテロップが映っていくのを目で追いかけた。
「この学園は、もともと白金学園という名前の学校だったの」
そこに合わせて、僕の隣で女性がナレーションのように語り始めた。
「この学園の設立は八年前、当時は現実世界にある普通の専門学校だったわ。もちろん今と同じで、ブロガーを育成する学校。でもそんな胡散臭い学校が流行るわけなくて、設立当初からすぐに経営難。二人しかいない講師もお給料が止まっちゃうくらいに困窮していたみたい。だから講師の一人はすぐに辞めてしまった」
モニターの映像と女性の話は見事にマッチしていた。テロップの内容をそのまま、自分の言葉にして朗々と紡いでいる。
女性は僕に背を向けると、天井を見上げて語りを続けた。
「それでも、残った講師が休みなく授業を続けたの。生徒はブログのノウハウを教わって記事を書き、ブログの閲覧数に応じて報酬がもらえる。その一部を学校がもらって運営費にするんだけど、当時は生徒が少なくてね。現実世界の学校だから、建物の賃料とか設備費も光熱費も、ままならなかった」
そんな時に――
「一人の女性が入学してきたの。彼女はブログのノウハウをまるで真綿のように吸収して、瞬く間に人気のブロガーになった。卓越した文章力とコミカルなイラスト、ちょっとエッチなネタや独特のセンスが大いに受けて、一日のアクセス数がゆうに百万を超えるトップブロガーになったの。だから、彼女が得る報酬もすごかった」
一日で百万ものアクセス数があるブログなんて、一体どれだけのお金がもらえるのか僕には想像がつかない。
「その収益で学園はなんとか息を吹き返したけど、一つだけ大きな問題があったの」
まるでドキュメンタリー番組のように、ここで突然の問題が発生。語り部の女性の声も、心なしか沈んだように聞こえる。
「白金学園は三年履修の専門学校だから、どんなに凄いブロガーが育っても三年が過ぎれば卒業してしまう。トップブロガーとなって学園の経営を支えてきた彼女が卒業したら――」
女性はそこで言葉を止めた。パソコンのモニターには瓦解していく学園の映像が映り、
『白金学園は、再び窮地に陥った』
と薄暗い文字でテロップが流れた。
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