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示談要請

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土曜日の午後。

この日、万智は自身のストーカー問題に協力した為に補導されたり、海底ダンジョンでも万智を助け怪我を負ったシャークことミリオタ女子高生の利賀るりを労う為、ホテルのケーキバイキングでもてなそうと出かけていた。



今日の万智の服装は、白いサマーニットにジーンズ姿。紐で肩にさげた革製のハンドバッグを小脇に、オシャレな女子大生そのものといった様子。並んで立つルリは、緑と黒のラインの入ったチェックのスカートに、ブレザーという学生服姿。それは急に誘われたので、学校からそのままやって来たためであった。

「うひょ~~ッ!すごいケーキがいっぱいだぁ!」



ホテルのレストランに入ると利賀るりがその負けん気の強そうな瞳を大きく見開いて、コーナーに並んでいる数多くの甘いスイーツに感激の声をあげる。

「ふふ…好きなのを取っていらっしゃい。私は少し紅茶でも飲んでるから」
「あ、ああ!じゃ行ってくるぜ!(ダッ!)」

野に放たれた獣のように元気に駆け出していくルリ。その後姿を苦笑交じりに見送り、万智はドリンクバーで紅茶を淹れると席に着いた。

(はぁ…、やっと終わったなぁ…)

紅茶を一口飲んで、ほぅ…と溜息をつく。

時間でいえば短い期間だったけど、長かった。訳の解らぬ好奇の視線に晒され、おかしなことを言ってくる客がいたり…。朝、出かける時に昨晩出した自分のゴミだけがゴミ捨て場から消えていた事に気付いた時は、ほんとうにゾッとした。

だが、問題はもう解決だ。

仕事中に私の事をジロジロと視ていた人達は、ネットの掲示板で書きこみをしていた人達だった。彼らは私の事を『可愛いギルドの受付嬢』などと呼んで掲示板内で愉しんでいただけだったが、私が仕事中にしていた『つま先立ちや息止めの隠れトレーニング』をエッチな事と勘違いして、色々と暴走してしまったらしい。

江月さんがいてくれたから彼らとも強気で話せたけど、もし独りだったらと思うと今でも背筋が寒くなる。

「ほら、見てくれよ万智!モンブランにイチゴショートにチョコケーキ!それにティラミスなんてのもあったぞ!」

紅茶を飲みながら回想していると、皿にケーキを幾つも載せたルリが帰ってきた。

「ええ、とっても美味しそうね」
「あ…、万智がまだだけど、先食べてもいいのか?」

「ふふ、いいわよ。今日はお礼なんだから、遠慮しないで召し上がれ」
「そうか!じゃいただきます!(ぱくっ)んぅ~ッ!美味ぇ!ホテルのケーキ美味ぇよ~!!(ぱくっ)」

一口食べて感激の声を上げた後は、一心不乱にケーキをぱくつくルリ。そんな様子が可愛くて、万智は眼を細めてルリがケーキを食べる姿を眺めた。

そしてひとしきりルリがケーキを食べ終わるのを待ってから、声をかける。

「…飲み物取ってきてあげるわよ、何が良い?」
「あ、悪いな。ご馳走までして貰ってるのに。でもアタシ紅茶とかよく知らないから、万智に任せるよ」

「そう、じゃあ美味しい紅茶を持って来てあげる♪」
「任せた(むぐむぐ…)」

最初の出会いこそ口と態度が悪くて気に入らなかったが、この利賀るりという女子高生は実に裏表のない性格で、はっきりと自分の意見を口にするところには好感が持てた。

(江月さんは確かルリのことを、『自分が小学生の頃はこんな感じだった』なんて話していたわね)

『プルルルルル…プルルルルル…』

と、紅茶を取りに行く途中でハンドバッグのなかの通信端末が鳴りだす。

取り出してみると、それは知らない番号からの着信。いったい誰だろうと一度店を出て電話を受けると、電話口には知らない男性の声が響いた。

『もしもし、瀬来さんのお電話でよろしかったでしょうか?』
「はい…、どなたですか?」

先に名乗らずに話し出した先方に若干ムッとしつつも、誰からの電話なのか気になった万智は相手に訊ねた。

『はい、私は弁護士をしております比国と申します。この度は大変な事件に巻き込まれたとのことで、心中お察しいたします』
「は、」はぁ…」

『それでですね、この問題を早期に解決する為に、私どもの方で示談のご依頼を受けまして…』
(え、私はそんなもの頼んでいない…)

とするとどうやら電話口の相手は、捕まったストーカー男からの依頼で示談の話し合いをと電話をかけてきたようだ。

『つきましては、問題のスピード解決がなによりも双方にとってプラスになると考えております。なのでもしよろしければ今日すぐでもお会いして、お話ししたいのですが?』
「え、今日ですか!?」

日曜日に海水浴から帰ってきて、水木金とストーカーの囮捜査。三日目の金曜にやっとストーカーを捕まえられたと思ったら、翌日にはもう弁護士から電話がかかってきたことに、万智は少々面を喰らった。

そして困った。

昨晩、『もう大丈夫だ』と言って帰ろうとする江月さんを、『怖くて不安だから』と無理に引き止め、うちに泊まってもらったのだった。

江月さんはすこし難しい顔をしていたけれど、『それで安心できるなら』と了承してくれた。そして私が眠るまで起きていてくれて。朝になって目が覚めたら、仏像みたいなポーズで瞑想する江月さんが朝日を浴びていて、すごくビックリしたけど。

そんな江月さんは私が起きると、『おはよう、じゃ今日はもう帰るから…』と言って少し傾きながら帰って行った。さすがに疲れてたんだと思う。

だから、今は江月さんには頼めない。

こちらとしては話すことなどない。示談に応じるつもりはないし、ストーカーにはしっかりと裁判を受けてもらうつもりだから。それでも弁護士を名乗る男が電話口で執拗に、『親御さんがどうしてもお会いして、直接お詫びしたいと言っている』という言葉に、遂に万智は折れた。

「解りました、ではちょっと待ってください。折り返しかけ直します」

そしてレストランに戻りケーキを頬ばっていたルリに今の電話の話をすると、ルリは同席することに応じてくれた。自分よりも年下の女の子だけど、一緒にいてくれるなら独りで弁護士やストーカーの親と会うよりは何倍も気が楽に感じる。

万智は弁護士に電話をかけ、『二時間以内に自分達の今いるホテルに来れるなら』という条件付きで先方の面会希望に応じた。


そうして約二時間後。ホテルのロビーに据えられたソファーに腰かけていた万智とルリの前に、弁護士とストーカーの母親と思しき年配の女性がやって来た。

「瀬来万智さんですか?初めまして、私は弁護士の比国衛と申します。こちらは親御さんになります」

名刺を差し出しながら比国と名乗ったスーツ姿の男性は、万智に軽く頭を下げる。

黒に近い紺のスーツに、七三に油で髪を撫でつけた髪型は、いかにも弁護士然としている。その隣で気が動転したようにオタついている年配で細身の女性が、ストーカー男の母親のようだ。

「宅のマー君が痴漢なんて…!なにかの間違いでしょ!?ね?アナタ、なにか勘違いしてるんじゃなくて…??」
「ハ…?」

尖った印象を受ける細身の年配女性の口から出た言葉に、万智は一瞬思考が停止するような嫌な気分を味わった。

「だってそうでしょ!!宅のマー君が犯罪なんて犯すはずないわ!アナタがなにか勘違いして、それで警察も動いてしまったんでしょ!?」
「……」

弁護士の比国がそんなストーカー男の母親を『ちょっと待ってください』と、押さえ宥めているが、口から出た言葉は掻き消せるわけでもなく、万智の心をかき乱した。

『どうしてもお会いして直接お詫びしたい』、そう言われたから面会する時間を設けたのに、謝罪の前に開口一番『自分達は悪くない』と言われてしまっては、万智も返す言葉がみつからなかった。

「ふ~ん、でもマー君だかなんだか知らないけどさ、不法侵入の現行犯で捕まったうえにナイフまで持ってたんだぜ?それのどこが犯罪じゃないって言うのさ??」
「マッ…!?なんてこというの!?アナタは何?なんの関係があってここにいるの!?」

頭が真っ白になって硬直してしまった万智に代わり、ルリがストーカー男の母親の言に反論する。それにハッとなって万智も思考を回復させた。

「彼女は私の友人です。私を心配して付き添ってくれている彼女を悪く言わないでください」
「そんなっ…ハッ!悪くなんて一言も…」

「ああ、おふたりとも少し待ってください!冷静に話し合いましょう。私の話すことを聞いて頂いてもよろしいですか…?」

そうして、弁護士の比国は語った。

如何に警察に捕まったマー君ことマサヒロくんが深く反省しているかを。そして前途ある彼が、まだ大学生な身の上で罪に問われてしまう事でその未来が如何に悲惨なモノに変貌してしまうかを。故にここは人道的観点から被害届を取り下げ、示談に応じることがもっとも最良な解決への道筋であると。

弁護士の比国はマサヒロくんが言っていたという謝意の言葉と美辞麗句を並べ、万智を翻弄した。

「でもそんなこと言ってるけどさ、マー君だかがホントに反省してるのかなんて解らねェじゃん」

だが口の悪いJKシャークには、効果がなかった。

「んまぁ!アナタさっきから一体なんなのッ!?」

ルリの粗雑な物言いに、ストーカー男の母親が明らかに機嫌を悪くし敵意の籠った眼差しを向ける。

「だってよぉ、口じゃなんとだって言えるじゃねェか。そもそもそんな殊勝なヤツか?ならなんでストーカーなんてしてたんだ?」
「それはなにかの誤解だって言ってるでしょ!」



「違うだろ。警察に捕まったから、バツが悪くて猫被ってるだけじゃねェか。ホントに反省してるッてんなら、『罪を全部認めて刑を受けます』ってのが筋じゃねェのかよ!?」
「ま、ま…、まぁ~~ッ!!かわいそうにマー君は警察に捕まったショックで、入院までしてるのよッ!(わなわな…)」

「ハッ…!それこそ身勝手だろ!人を傷つけようとしてたヤツが、自分が傷つくかもしれないと思った途端ビビって具合悪くする?なんだよそれ?なんの覚悟もねェで、欲望に塗れて行動した末路だろ?そんなヤツのどこがカワイソウなんだ!?」

口の悪いJK利賀るりとストーカー男の母親の喧嘩腰の会話の応酬。

「バッ…!バッ…!バカにしてぇ~~!きぃいいいいいい!!(バッ!)」

最後は興奮したストーカー男の母親が、血走った眼を剥いてルリに掴みかかろうと両手を伸ばした。

「きゃああ!(ビッ…!)」

がその時、ルリを庇おうとふたりの間に身体を割り込ませた万智の顔から鮮血が散る。ストーカー男の母親の爪があたり、万智の頬を切ったのだった。

「アッ…万智!?大丈夫か!?こいつぅ…(ギリッ!)」

万智の顔から血が流れているのを見て、たちまちルリの顔に怒りの皺が走る。

「だ、大丈夫だからルリ…落ち着いてッ…!」

だが万智は勢いのままに暴れ出してしまいそうなルリの肩を抱きを押し留めた。

「お…奥さん…ッ!なんてことを…!」

弁護士の比国は、依頼人の母親の暴挙に青い顔をして咎める。

「比国さん…。私はそちらの希望を聞いて面会の時間を設けました。それなのに、こんな仕打ちなんですね…。コレ…?傷害じゃないんですか?」
「いや…あの、これは…」

「ルリ…お願い、警察のひと呼んで来て…。被害届を出すから…」
「おうッ!交番までひとっ走りしてすぐ戻ってくるからなッ!(ダッ…!)」

万智の意を汲み、ルリがすぐにホテルから飛び出して交番へと向かう。

「せ、瀬来さん!今日のところはひとまず失礼いたします!お詫びは後日改めて致しますので今日のところは…ッ!さ…奥さん…!」

「きぃいいいいいい~~~!!(ジタバタ)」
「ダ、ダメですって…っ!(がばっ)」

「ちょっと!待ってください比国さん!それにお母さんも!今警察の方が来られますから!」
「後日!後日改めてお詫び致しますので…ッ!!」

頬から血を流す万智を残し、弁護士の比国とストーカー男の母親は逃げるように去って行った。

そして一人取り残された万智は、遅れてきたホテルの従業員から『騒ぎを起こすなら出て行ってくれ』と遠回しに嫌味を言われるのであった。


……。


「―て、いうことがあったんです…」
「…そうだったのかぁ」

オレは自宅の部屋で瀬来さんと並んで座り、缶のチューハイを片手に今日あったという出来事を聞いていた。

夜、アパートに帰宅し階段を上ると、暗い廊下に蹲る人影があった。そしてそれは、ビニールの買い物袋を手に持ち、オレの部屋の扉を背に詰まらなそうにしゃがみ込んでいた瀬来さんだった。

『何かあったのか?』と問いながら部屋に招き入れ、『顔を見て話すのが、なんとなく恥ずかしいから』という彼女の意向を汲んで、テーブルの前に横並びに座り瀬来さんの話を聞いていた。

「すごく…、嫌な気分…」

まぁ、そりゃそうだ。昨晩はストーカー男に襲われかけたというのに、翌日にはそのストーカー男の母親に襲いかかられたのだから。

ちらりと瀬来さんの横顔を覗くと、その頬には絆創膏が一枚。ストーカー男の母親に襲いかかられた時に、爪で頬を引っ掻かれたそうだ。

「私…なにか間違ってたんですかね…?」

両手で包みこむ様にレモンサワーの缶を持ち、ちびりちびりと舐めるように飲んでいた瀬来さんが、浮かない顔でそんな事をオレに問いかけてくる。きっと示談に応じなかったことをさしているのだろう。

「瀬来さんは何も間違ってはいないよ。ストーカー男も、その母親も、結局自分の身勝手な都合を瀬来さんに押し付けて来ただけさ。だからそれで瀬来さんが気に病む必要はないよ」
「でもぉ、それで人の一生がどうとか言われちゃうと…」

ああ、『本人はとても反省している』・『今後の人生に汚点になるようなモノは残したくない』・『だから示談に応じて穏便に済ませろ』と、いうヤツか。

「人生は大切だ。でも今回、その大切な瀬来さんの人生が脅かされた。犯人はナイフを隠し持ち、瀬来さんの部屋に侵入しようとしたんだ。ナイフで脅されて、そのまま口封じのために殺されてしまう可能性だってあった。そんな相手に、人道やモラルを気にして遠慮してやる必要はない。と、オレは思うよ」
「私もそう思ってたんですけど…。そしたら、コレです…」

チョンチョンと指先で頬に貼られた絆創膏をつついて見せる瀬来さん。犯人のストーカー男のことよりも、その母親のとった行動の方が瀬来さんにはショックだったようだ。

う~む。

時に、『オキシトシン』という神経伝達物質のひとつがある。これは『幸せや愛情のホルモン』などと呼ばれ、この神経伝達物質が分泌されやすい人ほど、幸福で愛情豊かな人間だと言われている。

だがこの『オキシトシン』、分泌されやすい人ほど愛情豊かな人間になるその一方で、『愛情を注いでいる対象が傷つけられた時の攻撃性は高くなる』との研究結果もあるようだ。

まぁヒーローの怒りの源も、だいたいおんなじだろう。

恐らくストーカー男の母親は、『自分の息子を守りたい』という感情が暴走してしまい、瀬来さんに掴みかかるという暴挙に出てしまったのだろう。

幸せや愛情のホルモンが人の狂暴性を増させるとか、矛盾というかなんとうか…なんとも人の業のようなモノを感じさせられる。

「母親は息子を守りたかった。その気持ちは解らなくはない。でもその行動はひどく感情にまかせたモノだった。結果、瀬来さんを傷つけた。息子も母親もその行動が間違っていたなら、…もう親子そろって訴えていいんじゃない?警察には届け出たんでしょ?」
「はい、それはまぁ…」

「なら他にアレコレ言われても、瀬来さんがしたいようにすれば良いさ。『本人はとても反省している』だとかなんだとか、それなら『全面的に自身の罪を認めて刑に服します』というのが、ホントの反省してますだろ!って、オレは思うよ」

「はぁ~。江月さんに話を聞いてもらえて、なんだか気持ちが落ち着きました…」
「そうか、そりゃ良かった」

瀬来さんが師匠呼びじゃなくて苗字でオレを呼ぶときは、けっこう真面目な時が多いな。

「鳴人さんが、私の傍にいてくれて良かった…(こてん)」
(ファッ!?)

胡坐をかいて座るオレの左手で、体育座りで膝を抱えていた瀬来さん。が、そんな彼女がオレの名を呼び頭をもたれさせてきた。

え、なにこのシチュエーション…?

そ、そんなんやめてよ瀬来さん!!!
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