追い求めるのは数字か恋か

あまき

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「みんな~、お疲れ様~」

夕方部署に戻ってきてにっこりと爽やかな笑顔を振りまくこの人は、システム開発課山崎課長である。
元々この課は社長の一存で新設されたそうで、反発の声も多数上がった。

「今さらシステムなんて」「めんどくさそう」「プログラムとか分からない」

そんな批判的な声を全て押しのけて開設された課の課長として仕事を担うこの人は、見た目も声色も優しい。しかしもともと企画開発部主任や総務部部長として多くの業績を上げてきた人で、いわゆるやり手の人だ。仕事の振り分けに関しては容赦なく、私自身何度も泣きそうになったこともあるが、それでも私たち課のメンバーのことを大事にしてくれている。3年経っても未だに上がってくる社員の不平不満などを課長が一挙に引き受けて、多くの雑務を処理してくれているおかげで、私や蒼汰くんはとても働きやすい環境で仕事させてもらえているのだ。

「課長、予定通り今晩システムの更新を行うんで、俺残りますね」
「あ、あのエラーのやつね。来月に元々予定している半年に一度の大規模更新を待たずに、先行するんだったよね」
「そっちは一晩中かかるんで、穂先輩が対応します。今回はまぁ2時間ほどじゃないかと」
「ありがとう、よろしくね。横山くん、明日の出社はフレックスで。帰宅時間はまた相談しよ」
「ういっす」

「そんなシステムエラーの対応をしてくれる蒼汰くんに、お土産があります。冷蔵庫にシュークリーム入れてあるから、夜食べてね」
「わー!ありがたいです!穂先輩!」
「今回はそんなに大掛かりじゃないから、大丈夫だと思うけど、何かトラブルあったら夜中でも連絡してね」
「はい」

うちのシステムは半年に一度、大掛かりな大規模更新を行っている。内容は主にエラーの対応や新しいプログラムの設定等で、長時間作業にあたることがある。なので基本的に社員の退社後の夜間に動かしていて、私と蒼汰くんが交代で残って行っていた。まぁ特別手当と休暇が貰えるのと同時に、喫煙所のソファのようなちょっとしたお願いまで聞いてもらえているので、そこまで苦痛に感じてはいない。現に更新中はトラブルさえ起きなければゆっくり自分の好きなことをしているくらいだからだ。それがなければ転職も考える仕事内容だが、仮に転職したとしてもシステムエンジニアなんてどこも一緒かもしれないな、というのが蒼汰くんと私の日々の口癖である。ここはメンバーにも待遇にも恵まれて良い職場環境だ。鬼のように降ってくる仕事を除けば。

「そうだ、山色くん」
「はい?なにか」
「これ、さっき企画開発部の冬木くんに会ってね。処理してもらいたい案件があるって渡されたんだけど、通すかどうかは山色くんに見てもらおうと思ってね。手が空いた時でいいから目を通しておいてくれる?」
「冬木部長が?珍しいですね」
「なんでも新しい取引先との交渉に使えないかって部でもちあがったらしいよ」
「はぁ、新規プロジェクト立ち上げですかね」


「あー聞きたくない名前聞いてテンションだだ下がり~」
「楓先輩、相当きらいですよね。冬木部長のこと。同期なのに」
「あのたらしどクズと同期ってだけでヘドがでるね」
「どこかにいる寂しがり屋にも相手されて、楓先輩大変ですね」
「あ、そうだ課長~またですよ~!もうやんなっちゃう」

なんて先輩と後輩の仲睦まじい会話を背景に、課長から渡された資料にざっと目を通す。

「どうだい?できそうかな?」
「…うーんざっとなのでまだなんとも。ただ面白い案件ではありますね。直接話を聞いてみてもいいかもしれません」

ふむふむと顎に手を当てて考えている課長と、覗き込んだ資料を見ながら話す。最後のページをめくると、文末に不思議な数字の羅列があった。

「…あれ、『638322』…?」

そうだ。冬木部長といえばあの不思議な数字の羅列の人だったな。こんな形で人に渡る資料にも数字を盛り込むなんて、案外お茶目な人なのか?と首を傾げていると、課長があれ?っと声を上げて、その後ふふふっと笑いだした。

「あは、冬木くん面白いことするね」
「え?」
「これ、ポケベルでしょ?」
「ポケベル?」
「数字2文字をひらがな1文字に変換して相手に送れたんだよ。だから『638322』は、『ふゆき』って書いてあるんだよ」

ポケベルとは、90年代に全盛期だった連絡ツールで、公衆電話から数字をコマンド入力して相手にメッセージを送る媒体…だったよなぁ、とぼんやりした知識を掘り起こした。流石にポケベルとは思い至らなかったとポロリ目から鱗が落ちた感覚だった。そしてはたと思い出し、先程見た掲示板を開いて数字を確認する。

「………えっとなら………この、『1101』は、えっと…『あ、わ』……うん?」

スマホを片手にネットで検索したポケベル変換表を見る。だけどうまく読めなくて、これはポケベルではなかったのか?と悩みだした。
その時、人数分のコーヒーを片手に給湯室から戻ってきた課長が一緒に手元の数字を覗き込んでくれる。

「ん?…あーそれは、…『あいたい』じゃない?」
「………は?」
「ポケベルで文字が表示されるようになる前の初期の頃はさ、みんな数字の語呂合わせでメッセージ送ってたんだよ。ふふっ、なつかしいなぁ」

昔を思い出しているのか、なんだか楽しそうな山崎課長とは別に、私からは渇いた息が漏れた。
えっとつまり、冬木部長は誰にあてるでもない、自身だけをグルーピングしている掲示板に『あいたい』なんて書き込んでたってこと?誰かが見るわけでもないのに……………いやまて、一人いるじゃないか。社内掲示板の開発者で、管理者権限を持ってモラルの面からも全ての記事を読める人間が一人、ここに…

「……は……はああああああ?!」

私の渾身の叫び声が社内に響き渡ったとき、隣にいた山崎課長は耳と心臓を抑えながら倒れ込み、後ろでやいのやいの騒いでいた先輩と後輩が慌てて駆け寄っていたけれど、そんなことを気にする余地もない程に気が動転していた私は、自分で『1101』と書いたメモを握りしめて呆然とするしかなかった。












……prrrr……prrrr……ピッ

「………はい…」
『みーのーるー!起きてるかー?』
「……おはよう、健兄……どうしたのこんな朝から」
『やっと巡業が終わって、今晩そっちに帰るから。お土産何がいいかと思って』
「特に、なんでもいい…かな…」
『なら穂の好きな甘いもの買ってくな。お前も今日は早く帰ってこいよ!じゃあな!』

ピッ……プー…プー…

「…朝から元気だなぁ……」

健兄とは私の4つ上の兄で、空手師範をしている。今回一ヶ月の巡業に出る前は、離れ難いと散々泣き散らかして出かけていったが、私にとってはあっという間の一ヶ月であったというのは本人には言えないことだ。

時刻は6:38。蒼汰くんから夜中に連絡があるかもしれないと握りしめて眠ったスマホが健兄の電話を拾ってしまったばかりに、いつもより早い朝だが、起きてしまったものは仕方ない、とベッドの上をコロコロしながら社用スマホのメールチェックをする。蒼汰くんから、昨夜のシステム更新完了のメールが届いているのを見てほっと息をついた。
昨日は衝撃の事実にふわふわした頭で帰宅して、一緒に住む6つ上の兄、俊兄が作る夕飯を食べてからは思考回路を遮断して眠った。おかげで今朝の気分はすこぶるいい。特に会社でもトラブルはなかったようだし、準備して出社しようと意気込んで立ち上がった。




ガチャガチャ……ジャーッ…ガチャガチャ……

「俊兄おはよー」
「ん?あぁ、穂。おはよ~…よく眠れた?」
「もうぐっすり。…ごめんね、昨日お店手伝えなくて」
「そんなの穂は気にしなくていいんだよ」

俊兄は父母が経営していた花屋を継いで、母屋の一階で花屋を営んでいる。商店街の外れにある山色花屋は地域の常連さんはもちろん、フランスでフラワーアレンジメントの賞を取った俊兄への依頼などで毎日忙しなく動いていた。花屋の上が自宅になっていて、私はその3階の一室に住まわしてもらっているので、休みの日等は店の手伝いをすることが多い。兄弟の中で1番穏やかで優しい俊兄は、いつもにっこり笑ってなんでも許してくれる甘々さんなのだ。


「…穂、お前昨日俺が帰ってきたことも知らないだろ」
「悟兄もおはよー。昨日も遅かったのね」

いっただきま~す、と元気な声を出して俊兄が作ってくれた朝ごはんに舌鼓を打っていると、パリッとスーツを決めた悟兄がやってきた。悟兄は俊兄と双子で、高校の物理教師をしている。物事を論理立てて分かりやすく教えてくれる悟兄には、高校時代とてもお世話になった。この家の2階、俊兄の隣室に住んでいて、家でも先生みたいなことを言う。それでも私のことを心配してくれていることが伝わってきて、本当に私の兄たちは本当に優しい人ばかりで嬉しくなる。

「今日は守兄も帰ってくるから、夜は焼き肉にしようか~」
「え?守兄こっちに帰ってくるの?」
「奥さんが今日は実家に戻るらしくてね。久しぶりに穂の顔が見たいって言ってたよ」
「穂だけかよ」

守兄とは10も年が離れているので、遊んでもらった記憶というよりもお世話をしてもらった思い出の方が多い。小さい頃はお風呂に入れてもらったり幼稚園の送迎をしてくれたりと、父母に代わって私の保護者として支えてくれた。そんな守兄も今や大学病院で医師として働き、昨年同じ職場の方と結婚してここから少し離れたマンションに住んでいる。コンシェルジュ付きの超高級マンションは、しがないエンジニアにとって雲の上の住処だ。


「…あ、そういえば、さっき健兄から電話あって。今日帰ってくるって」
「わ~、それは賑やかになるねぇ!」
「煩くなるの間違いだろ」
「もー悟はすぐそんなこと言って~」

今日は久しぶりに兄弟5人が揃うとなると嬉しくなって、今日の仕事も頑張らないとなぁなんてうきうきしてくる。

―冬木くんも面白いことするね―
―それ、『あいたい』じゃない?―

ふと昨日の帰りがけのことを思い出して、顔が青褪めていくのが分かった。結局睡魔に導かれて何も考えずに寝続けたけれど、冬木部長の謎の数字がいつもとは違う意味で私を悩ませた。暴きたかった隠された暗号の答えがふとした拍子に与えられて、解けた喜びを得た反面、その答えに勝手にどぎまぎしているなんて誰にも相談できない。もともと人の書いた記事なんて暴いていいようなものではなかったのだ。なにしろ誰も閲覧できず、本人しか知り得ない記事に書かれたものなのだから。それを私が知っているのは管理者権限でチェックしていただけで、それも解読しようなんて真似はもともとマナー違反のことをしていたんだから、知ってしまった事実にどんよりする他ない。仮にもし、もしそれが、私宛………だったとしても…

「………会社、行きたくないなぁ…」
「「は?」」
「え?」

しまった、声に出ていたかと思った時には既に遅く、俊兄と悟兄が目を見開いて私を見つめていた。

「…穂、どうしたの?何か嫌なことあったの?」
「今の会社は仕事内容はともかく、特に困ったことはなかったんじゃないのか?」
「もしかして、仕事のことじゃないの?誰かに嫌なことされたの?」
「男か?女か?年はいくつだ」
「課のメンバーはみんないい人たちだって言ってたよね?他部署のやつ?だれ?」
「名前はわかるのか?俺たちには言えないようなことなのか?」
「その人どこまでなら処してもいいの?社会的に地に落とすまでなら許される?」
「それなりな役職についている方が落ちるとこまで落とせるが、どうする?」

「ち、ちちちちょっと!!ストップ!!!!!」

こういう時に本領発揮するのが双子の絆というやつなのだろうか。ポンポン飛び交う言葉は、私を心配している故の言葉であるはずなのにどんどん雲行きの怪しい話になっていった。少し疲れていただけで何も問題はないのだと、静かに暴徒と化した双子を宥め、そうこうしている間に出社ギリギリの時間となり、慌てて家を出てきた。

今のままじゃ冬木部長に合わせる顔はないが、仕事は仕事だ、割り切らなければならない。そもそもあれが私宛だなんて過ることがおこがましいんだ。昨日山崎課長に渡された案件については蒼汰くんに振り分けてもいいんだし、特に普段から関わりのない人なのだから、まず会うことはない。何も恐れず自分の仕事に集中すればいい。

そう気持ちを切り替えて向かった会社で、まさか初手から躓くことになるとは思いもよらなかった。
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