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【第五章】皆、覚悟を決める
約束と期待(2)
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「……おや? 確か君は」
自身に向けられた言葉にリメイは肩をピクリと震わせる。ゆっくりと背筋を伸ばした。
「おお! やはり、以前に町で会ったことがあるかな? あれはいつだったか」
「一年ほど前でございます、伯爵様」
かつてもう二度と会うことはないと、時計台のある町で「さようなら」を告げたその人とリメイはしっかり目を合わせる。またいつか、等と望んではいなかった。ただ元気に健やかに暮らしていただければと願うだけだった。
「これ、魔術師殿。無礼であるぞ」
「よろしいのです閣下。彼女とは顔見知りでしてな」
「……フォーデン伯爵がそう仰るなら、私は構いませんが」
上から睨みつけてくるアリエルを無視して、リメイは伯爵に向かって最上級の礼を執った。それこそ王の御前で執る格式の高いものを。
「っ、なにを! 顔を上げてください、魔術師殿」
「伯爵様におかれましては、この度のこと随分と気を揉まれたことでしょう。その憂い、このリメイめが必ずや晴らしてみせます」
伯爵がリメイの肩に手を添えて立ち上がらせようとするが、リメイは頑として顔を上げなかった。
「大義を」
「?」
「己の大義を、果たしに参りました……っ」
(伝わらなくていい。誰がなんと言おうと、これが私の大義なのだから)
頭に過る家族たちを思い浮かべながらこの土地を去ったように、今また当時と同じものを思い浮かべながらリメイはこの大地を踏みしめる。手に触れるその土を握り込んだ。爪に入り込む土すらも懐かしい。
「この命、フォーデン伯爵様の名のもとに」
かつて幼いリメイが国に誓った忠誠を、今度は伯爵に向けて唱える。伯爵の息を呑む音が聞こえた。
「……その思い、有り難く頂戴した」
ゆっくりと体を起こして見上げた先では、フォーデン伯爵が真剣な表情を見せていた。
(私が絶対、守るから)
濃い潮風がリメイの髪を靡かせた。
「これからこの海で水獣を迎え撃つ。お前は水獣を防ぐ結界を王都に張れ」
伯爵領の港まで出てきたリメイを含む魔術師と騎士の総勢百はいようかという数で。それらに命じるアリエルはまさに総統閣下の顔つきだった。駐屯所のお巡りさんだった頃のようなあどけなさはどこからも伺えない。
「王都には張らない。代わりにこの港一帯に結界を張るわ」
「なに?」
「王を守ったところで民がいなければ国は立ちゆかないのよ。国民を守ることを考える。騎士とはそういうものでしょう?」
顔を引きつらせたアリエルの胸に、リメイはドンッと拳を突き立てた。
「この領地がみすみす落ちるようならこの国に未来はないし、そんな無能な王は必要ない」
「それは国王への侮蔑と捉えるが?」
「人の師匠を姑息に捕らえておいて今更敬えというの?」
吐き捨てるように言ったリメイの言葉に、アリエルは何も返してこなかった。
リメイはふんっと鼻を鳴らし、体を海の方へと向ける。潮の香りは懐かしいものなのに、異様な静けさを生む今の海をリメイは初めて恐ろしいと思った。
日記にあった“海は悪夢を見せる”というのも、あながち間違いではないのだと思い知らされた気がした。
「リメイ殿も気づかれたか」
「伯爵様」
「波は荒れ、魚が消えた。岩場の珊瑚までも」
「そ、れは」
リメイが読んだ千年前に書かれたとされる日本語の書物。あれと同じ状況だった。
(何確実に海で何か起こっている)
「既にこの領地の民は領主の館に避難している。あそこはこの辺りで一番の高台になっているからな」
「ご決断が早い。流石は海の紳士様ですね」
「なぁに。先程の貴殿の言葉を借りるならそう、民のいなくなった領地の領主など、価値のないものなのだよ」
それは小さい頃いつも伯爵が言っていた言葉だった。領民がいるから領主がいる。人々が働いてくれるから、自分たちが暮らせるのだ、と。
その教えをリメイは一度だって忘れたことはなかった。
(お父様は変わらないわ)
かつての頃を懐かしみ、リメイは胸をそっと押さえた。
その時――
「おい、なんだあれは」
海岸沿いにいた漁師の一人が声を上げた。
指差す方を見ると遠く、霞がかったその向こうに何やら蠢くものが見える。
『リメイ。来るぞ』
「分かってる」
目を凝らしてリメイはその姿を確認する。それは世界を一呑みしそうなほどの大きな水獣の姿だった。
自身に向けられた言葉にリメイは肩をピクリと震わせる。ゆっくりと背筋を伸ばした。
「おお! やはり、以前に町で会ったことがあるかな? あれはいつだったか」
「一年ほど前でございます、伯爵様」
かつてもう二度と会うことはないと、時計台のある町で「さようなら」を告げたその人とリメイはしっかり目を合わせる。またいつか、等と望んではいなかった。ただ元気に健やかに暮らしていただければと願うだけだった。
「これ、魔術師殿。無礼であるぞ」
「よろしいのです閣下。彼女とは顔見知りでしてな」
「……フォーデン伯爵がそう仰るなら、私は構いませんが」
上から睨みつけてくるアリエルを無視して、リメイは伯爵に向かって最上級の礼を執った。それこそ王の御前で執る格式の高いものを。
「っ、なにを! 顔を上げてください、魔術師殿」
「伯爵様におかれましては、この度のこと随分と気を揉まれたことでしょう。その憂い、このリメイめが必ずや晴らしてみせます」
伯爵がリメイの肩に手を添えて立ち上がらせようとするが、リメイは頑として顔を上げなかった。
「大義を」
「?」
「己の大義を、果たしに参りました……っ」
(伝わらなくていい。誰がなんと言おうと、これが私の大義なのだから)
頭に過る家族たちを思い浮かべながらこの土地を去ったように、今また当時と同じものを思い浮かべながらリメイはこの大地を踏みしめる。手に触れるその土を握り込んだ。爪に入り込む土すらも懐かしい。
「この命、フォーデン伯爵様の名のもとに」
かつて幼いリメイが国に誓った忠誠を、今度は伯爵に向けて唱える。伯爵の息を呑む音が聞こえた。
「……その思い、有り難く頂戴した」
ゆっくりと体を起こして見上げた先では、フォーデン伯爵が真剣な表情を見せていた。
(私が絶対、守るから)
濃い潮風がリメイの髪を靡かせた。
「これからこの海で水獣を迎え撃つ。お前は水獣を防ぐ結界を王都に張れ」
伯爵領の港まで出てきたリメイを含む魔術師と騎士の総勢百はいようかという数で。それらに命じるアリエルはまさに総統閣下の顔つきだった。駐屯所のお巡りさんだった頃のようなあどけなさはどこからも伺えない。
「王都には張らない。代わりにこの港一帯に結界を張るわ」
「なに?」
「王を守ったところで民がいなければ国は立ちゆかないのよ。国民を守ることを考える。騎士とはそういうものでしょう?」
顔を引きつらせたアリエルの胸に、リメイはドンッと拳を突き立てた。
「この領地がみすみす落ちるようならこの国に未来はないし、そんな無能な王は必要ない」
「それは国王への侮蔑と捉えるが?」
「人の師匠を姑息に捕らえておいて今更敬えというの?」
吐き捨てるように言ったリメイの言葉に、アリエルは何も返してこなかった。
リメイはふんっと鼻を鳴らし、体を海の方へと向ける。潮の香りは懐かしいものなのに、異様な静けさを生む今の海をリメイは初めて恐ろしいと思った。
日記にあった“海は悪夢を見せる”というのも、あながち間違いではないのだと思い知らされた気がした。
「リメイ殿も気づかれたか」
「伯爵様」
「波は荒れ、魚が消えた。岩場の珊瑚までも」
「そ、れは」
リメイが読んだ千年前に書かれたとされる日本語の書物。あれと同じ状況だった。
(何確実に海で何か起こっている)
「既にこの領地の民は領主の館に避難している。あそこはこの辺りで一番の高台になっているからな」
「ご決断が早い。流石は海の紳士様ですね」
「なぁに。先程の貴殿の言葉を借りるならそう、民のいなくなった領地の領主など、価値のないものなのだよ」
それは小さい頃いつも伯爵が言っていた言葉だった。領民がいるから領主がいる。人々が働いてくれるから、自分たちが暮らせるのだ、と。
その教えをリメイは一度だって忘れたことはなかった。
(お父様は変わらないわ)
かつての頃を懐かしみ、リメイは胸をそっと押さえた。
その時――
「おい、なんだあれは」
海岸沿いにいた漁師の一人が声を上げた。
指差す方を見ると遠く、霞がかったその向こうに何やら蠢くものが見える。
『リメイ。来るぞ』
「分かってる」
目を凝らしてリメイはその姿を確認する。それは世界を一呑みしそうなほどの大きな水獣の姿だった。
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