上 下
44 / 103
【第三章】女、愛を知る

夕刻と嫉妬(2)

しおりを挟む
(離れる時が来たのかしら。分かっていたことなのに、胸は痛むのね)

「どんよりしていて、どっち付かず。まるで私みたい」


 安らぎを与えてくれたはずの潮の匂いが、今はとても寂しく思えた。



    ◇◇◇



 深夜、大きなクッションの上で寝静まっているタマの頭を、リメイはそっと撫でてから外に出た。目の裏にこびりついて離れない帰り際の光景が、リメイにいらぬことを考えさせる。どうにか落ち着きたくて一人歩いた先はあの湖だった。


「結局、この明かりを見に来ちゃうのよね」
『ぎぃー! ぎぃぎぃ!』


 リメイの独り言に魔獣の声が重なった。それにやれやれと小さく首を振ってから、湖の畔に座り込んで中を覗く。


「はいはい。今日はタマさんもホークもいないよ」
『ぎぃぎぃい!』


 いつぞやには大変な目に合わせてくれた湖の住人がひょっこりと顔を出して叫んでいる。あの日の記憶を持たない仲間たちは、それでも湖の水を大きくかき乱し好き放題暴れたホークのことは覚えていた。それ以降リメイが来るといつも怯えたように水面に顔を出してこちらを伺ってくる。
 人魚のような生き物はホークも、そして今日にいたってはタマもいないと知るやいなや、水面に半身を浮かべて月光浴と洒落こんだ。リメイはそれを見てふふっと笑みをこぼした。


「……ねぇ、抱く方が趣味だ~なんて言うがちむち、どう思う?」
『ぎぃ?』


 そのセリフは、以前ホークが騎士の前で呟いた言葉だった。これでも恋心なるものを自覚しているリメイにとってそれは重要な言葉で、今でもリメイの心の中でじくじくと巣食っている。


「これまでも、誰かを抱いてきたってことよね」


 今までホークからそういった話を聞いたことは一度もない。けれどホークも人間だ。女にも男にも、老人にも子どもにも姿を変えられるホークだが、れっきとした男である。自身の性欲を処理するために誰かと宿に行くことだってあるはずだった。リメイとて、特に初心でもなければ、精神年齢は前世の頃を合わせるとアラフィフになるのだから、経験はなくとも人の性事情はちゃんと分かっているつもりだった。


「誰かを……ね」


 だからこそリメイは思い知ったのだ。その誰かは決して自分ではないことを。だってホークはリメイと連れ立って歩くことはあっても、今日のようにエスコートするように腰を抱くことはなかったから。


「それは、私が弟子だから」


 二人の関係性など何度も考えた。親愛のキスを贈られる関係について。寂しかったと言ったホークの思いについて。


「ホークだって、私のことは弟子としか思っていないのよ」


 あの過保護さも左手に刻まれた契も。どれも全てが師弟だと表してくる。だからこそリメイは胸の痛みに蓋をしなきゃいけないんだ。


「父の不倫現場を見たって、こんな感じかしらね」


 気まずさと心の痛み、両方を隠していかなければならない。リメイにとってそれはこれまでの修行や請け負った仕事のどれよりも過酷に思えた。


 その時、風が強く凪いで海の匂いが濃くなった。自然と今日町で出会った父のことが思い出されて、リメイは少し体に温かいものが広がった気がした。ほぅっと一つ息を吐く。


「お父様、元気そうだったなぁ」



「それ、どういう意味?」

「っ……え?」


 リメイが昼間の出来事を思い出しながら感慨深く懐かしさに浸っていると、まるで氷のように冷えた鋭い声が飛んできた。
 聞き間違えるわけがない。そして今ここにいるはずのない、ホーク、その人のものだった。


しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

囚われた姫騎士は熊将軍に愛される

ウサギ卿
恋愛
ラフラン帝国に姫騎士と称された魔法騎士団長がいた。 北方の獣人の治めるチューバッカ王国への進軍の最中思わぬ反撃に遭い、将軍の命により姫騎士率いる部隊は殿を務めていた。 何とか追っ手を躱していくが天より巨大な肉球が襲いかかってくる。 防御結界をも破壊する肉球の衝撃により姫騎士は地に伏してしまう。 獣人の追撃部隊に囲まれ死を覚悟した。 そして薄れゆく意識の中、悲痛を伴う叫び声が耳に届く。 「そこを退けーっ!や、やめろっ!離れろーっ!それは!・・・その者は儂の番だーっ!」 そして囚われた姫騎士ローズマリーはチューバッカ王国にその熊有りと謳われた、ハッグ将軍の下で身体の傷と心の傷を癒していく。 〜これは番に出会えず独り身だった熊獣人と、騎士として育てられ愛を知らなかった侯爵令嬢の物語〜

国王陛下は悪役令嬢の子宮で溺れる

一ノ瀬 彩音
恋愛
「俺様」なイケメン国王陛下。彼は自分の婚約者である悪役令嬢・エリザベッタを愛していた。 そんな時、謎の男から『エリザベッタを妊娠させる薬』を受け取る。 それを使って彼女を孕ませる事に成功したのだが──まさかの展開!? ※この物語はフィクションです。 R18作品ですので性描写など苦手なお方や未成年のお方はご遠慮下さい。

公爵様、契約通り、跡継ぎを身籠りました!-もう契約は満了ですわよ・・・ね?ちょっと待って、どうして契約が終わらないんでしょうかぁぁ?!-

猫まんじゅう
恋愛
 そう、没落寸前の実家を助けて頂く代わりに、跡継ぎを産む事を条件にした契約結婚だったのです。  無事跡継ぎを妊娠したフィリス。夫であるバルモント公爵との契約達成は出産までの約9か月となった。  筈だったのです······が? ◆◇◆  「この結婚は契約結婚だ。貴女の実家の財の工面はする。代わりに、貴女には私の跡継ぎを産んでもらおう」  拝啓、公爵様。財政に悩んでいた私の家を助ける代わりに、跡継ぎを産むという一時的な契約結婚でございましたよね・・・?ええ、跡継ぎは産みました。なぜ、まだ契約が完了しないんでしょうか?  「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくださいませええ!この契約!あと・・・、一体あと、何人子供を産めば契約が満了になるのですッ!!?」  溺愛と、悪阻(ツワリ)ルートは二人がお互いに想いを通じ合わせても終わらない? ◆◇◆ 安心保障のR15設定。 描写の直接的な表現はありませんが、”匂わせ”も気になる吐き悪阻体質の方はご注意ください。 ゆるゆる設定のコメディ要素あり。 つわりに付随する嘔吐表現などが多く含まれます。 ※妊娠に関する内容を含みます。 【2023/07/15/9:00〜07/17/15:00, HOTランキング1位ありがとうございます!】 こちらは小説家になろうでも完結掲載しております(詳細はあとがきにて、)

王宮医務室にお休みはありません。~休日出勤に疲れていたら、結婚前提のお付き合いを希望していたらしい騎士さまとデートをすることになりました。~

石河 翠
恋愛
王宮の医務室に勤める主人公。彼女は、連続する遅番と休日出勤に疲れはてていた。そんなある日、彼女はひそかに片思いをしていた騎士ウィリアムから夕食に誘われる。 食事に向かう途中、彼女は憧れていたお菓子「マリトッツォ」をウィリアムと美味しく食べるのだった。 そして休日出勤の当日。なぜか、彼女は怒り心頭の男になぐりこまれる。なんと、彼女に仕事を押しつけている先輩は、父親には自分が仕事を押しつけられていると話していたらしい。 しかし、そんな先輩にも実は誰にも相談できない事情があったのだ。ピンチに陥る彼女を救ったのは、やはりウィリアム。ふたりの距離は急速に近づいて……。 何事にも真面目で一生懸命な主人公と、誠実な騎士との恋物語。 扉絵は管澤捻さまに描いていただきました。 小説家になろう及びエブリスタにも投稿しております。

悪役令嬢は王太子の妻~毎日溺愛と狂愛の狭間で~

一ノ瀬 彩音
恋愛
悪役令嬢は王太子の妻になると毎日溺愛と狂愛を捧げられ、 快楽漬けの日々を過ごすことになる! そしてその快感が忘れられなくなった彼女は自ら夫を求めるようになり……!? ※この物語はフィクションです。 R18作品ですので性描写など苦手なお方や未成年のお方はご遠慮下さい。

【R18】愛するつもりはないと言われましても

レイラ
恋愛
「悪いが君を愛するつもりはない」結婚式の直後、馬車の中でそう告げられてしまった妻のミラベル。そんなことを言われましても、わたくしはしゅきぴのために頑張りますわ!年上の旦那様を籠絡すべく策を巡らせるが、夫のグレンには誰にも言えない秘密があって─? ※この作品は、個人企画『女の子だって溺愛企画』参加作品です。 ※ムーンライトノベルズにも投稿しています。

【完結】【R18】男色疑惑のある公爵様の契約妻となりましたが、気がついたら愛されているんですけれど!?

夏琳トウ(明石唯加)
恋愛
「俺と結婚してくれたら、衣食住完全補償。なんだったら、キミの実家に支援させてもらうよ」 「え、じゃあ結婚します!」 メラーズ王国に住まう子爵令嬢マーガレットは悩んでいた。 というのも、元々借金まみれだった家の財政状況がさらに悪化し、ついには没落か夜逃げかという二択を迫られていたのだ。 そんな中、父に「頼むからいい男を捕まえてこい!」と送り出された舞踏会にて、マーガレットは王国の二大公爵家の一つオルブルヒ家の当主クローヴィスと出逢う。 彼はマーガレットの話を聞くと、何を思ったのか「俺と契約結婚しない?」と言ってくる。 しかし、マーガレットはためらう。何故ならば……彼には男色家だといううわさがあったのだ。つまり、形だけの結婚になるのは目に見えている。 そう思ったものの、彼が提示してきた条件にマーガレットは飛びついた。 そして、マーガレットはクローヴィスの(契約)妻となった。 男色家疑惑のある自由気ままな公爵様×貧乏性で現金な子爵令嬢。 二人がなんやかんやありながらも両想いになる勘違い話。 ◆hotランキング 10位ありがとうございます……! ―― ◆掲載先→アルファポリス、ムーンライトノベルズ、エブリスタ

エリート警察官の溺愛は甘く切ない

日下奈緒
恋愛
親が警察官の紗良は、30歳にもなって独身なんてと親に責められる。 両親の勧めで、警察官とお見合いする事になったのだが、それは跡継ぎを産んで欲しいという、政略結婚で⁉

処理中です...