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【第三章】女、愛を知る
夕刻と嫉妬(2)
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(離れる時が来たのかしら。分かっていたことなのに、胸は痛むのね)
「どんよりしていて、どっち付かず。まるで私みたい」
安らぎを与えてくれたはずの潮の匂いが、今はとても寂しく思えた。
◇◇◇
深夜、大きなクッションの上で寝静まっているタマの頭を、リメイはそっと撫でてから外に出た。目の裏にこびりついて離れない帰り際の光景が、リメイにいらぬことを考えさせる。どうにか落ち着きたくて一人歩いた先はあの湖だった。
「結局、この明かりを見に来ちゃうのよね」
『ぎぃー! ぎぃぎぃ!』
リメイの独り言に魔獣の声が重なった。それにやれやれと小さく首を振ってから、湖の畔に座り込んで中を覗く。
「はいはい。今日はタマさんもホークもいないよ」
『ぎぃぎぃい!』
いつぞやには大変な目に合わせてくれた湖の住人がひょっこりと顔を出して叫んでいる。あの日の記憶を持たない仲間たちは、それでも湖の水を大きくかき乱し好き放題暴れたホークのことは覚えていた。それ以降リメイが来るといつも怯えたように水面に顔を出してこちらを伺ってくる。
人魚のような生き物はホークも、そして今日にいたってはタマもいないと知るやいなや、水面に半身を浮かべて月光浴と洒落こんだ。リメイはそれを見てふふっと笑みをこぼした。
「……ねぇ、抱く方が趣味だ~なんて言うがちむち、どう思う?」
『ぎぃ?』
そのセリフは、以前ホークが騎士の前で呟いた言葉だった。これでも恋心なるものを自覚しているリメイにとってそれは重要な言葉で、今でもリメイの心の中でじくじくと巣食っている。
「これまでも、誰かを抱いてきたってことよね」
今までホークからそういった話を聞いたことは一度もない。けれどホークも人間だ。女にも男にも、老人にも子どもにも姿を変えられるホークだが、れっきとした男である。自身の性欲を処理するために誰かと宿に行くことだってあるはずだった。リメイとて、特に初心でもなければ、精神年齢は前世の頃を合わせるとアラフィフになるのだから、経験はなくとも人の性事情はちゃんと分かっているつもりだった。
「誰かを……ね」
だからこそリメイは思い知ったのだ。その誰かは決して自分ではないことを。だってホークはリメイと連れ立って歩くことはあっても、今日のようにエスコートするように腰を抱くことはなかったから。
「それは、私が弟子だから」
二人の関係性など何度も考えた。親愛のキスを贈られる関係について。寂しかったと言ったホークの思いについて。
「ホークだって、私のことは弟子としか思っていないのよ」
あの過保護さも左手に刻まれた契も。どれも全てが師弟だと表してくる。だからこそリメイは胸の痛みに蓋をしなきゃいけないんだ。
「父の不倫現場を見たって、こんな感じかしらね」
気まずさと心の痛み、両方を隠していかなければならない。リメイにとってそれはこれまでの修行や請け負った仕事のどれよりも過酷に思えた。
その時、風が強く凪いで海の匂いが濃くなった。自然と今日町で出会った父のことが思い出されて、リメイは少し体に温かいものが広がった気がした。ほぅっと一つ息を吐く。
「お父様、元気そうだったなぁ」
「それ、どういう意味?」
「っ……え?」
リメイが昼間の出来事を思い出しながら感慨深く懐かしさに浸っていると、まるで氷のように冷えた鋭い声が飛んできた。
聞き間違えるわけがない。そして今ここにいるはずのない、ホーク、その人のものだった。
「どんよりしていて、どっち付かず。まるで私みたい」
安らぎを与えてくれたはずの潮の匂いが、今はとても寂しく思えた。
◇◇◇
深夜、大きなクッションの上で寝静まっているタマの頭を、リメイはそっと撫でてから外に出た。目の裏にこびりついて離れない帰り際の光景が、リメイにいらぬことを考えさせる。どうにか落ち着きたくて一人歩いた先はあの湖だった。
「結局、この明かりを見に来ちゃうのよね」
『ぎぃー! ぎぃぎぃ!』
リメイの独り言に魔獣の声が重なった。それにやれやれと小さく首を振ってから、湖の畔に座り込んで中を覗く。
「はいはい。今日はタマさんもホークもいないよ」
『ぎぃぎぃい!』
いつぞやには大変な目に合わせてくれた湖の住人がひょっこりと顔を出して叫んでいる。あの日の記憶を持たない仲間たちは、それでも湖の水を大きくかき乱し好き放題暴れたホークのことは覚えていた。それ以降リメイが来るといつも怯えたように水面に顔を出してこちらを伺ってくる。
人魚のような生き物はホークも、そして今日にいたってはタマもいないと知るやいなや、水面に半身を浮かべて月光浴と洒落こんだ。リメイはそれを見てふふっと笑みをこぼした。
「……ねぇ、抱く方が趣味だ~なんて言うがちむち、どう思う?」
『ぎぃ?』
そのセリフは、以前ホークが騎士の前で呟いた言葉だった。これでも恋心なるものを自覚しているリメイにとってそれは重要な言葉で、今でもリメイの心の中でじくじくと巣食っている。
「これまでも、誰かを抱いてきたってことよね」
今までホークからそういった話を聞いたことは一度もない。けれどホークも人間だ。女にも男にも、老人にも子どもにも姿を変えられるホークだが、れっきとした男である。自身の性欲を処理するために誰かと宿に行くことだってあるはずだった。リメイとて、特に初心でもなければ、精神年齢は前世の頃を合わせるとアラフィフになるのだから、経験はなくとも人の性事情はちゃんと分かっているつもりだった。
「誰かを……ね」
だからこそリメイは思い知ったのだ。その誰かは決して自分ではないことを。だってホークはリメイと連れ立って歩くことはあっても、今日のようにエスコートするように腰を抱くことはなかったから。
「それは、私が弟子だから」
二人の関係性など何度も考えた。親愛のキスを贈られる関係について。寂しかったと言ったホークの思いについて。
「ホークだって、私のことは弟子としか思っていないのよ」
あの過保護さも左手に刻まれた契も。どれも全てが師弟だと表してくる。だからこそリメイは胸の痛みに蓋をしなきゃいけないんだ。
「父の不倫現場を見たって、こんな感じかしらね」
気まずさと心の痛み、両方を隠していかなければならない。リメイにとってそれはこれまでの修行や請け負った仕事のどれよりも過酷に思えた。
その時、風が強く凪いで海の匂いが濃くなった。自然と今日町で出会った父のことが思い出されて、リメイは少し体に温かいものが広がった気がした。ほぅっと一つ息を吐く。
「お父様、元気そうだったなぁ」
「それ、どういう意味?」
「っ……え?」
リメイが昼間の出来事を思い出しながら感慨深く懐かしさに浸っていると、まるで氷のように冷えた鋭い声が飛んできた。
聞き間違えるわけがない。そして今ここにいるはずのない、ホーク、その人のものだった。
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