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【第三章】女、愛を知る
海の紳士(2)
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フォーデン伯爵は、リメイを見てもキョトンと首を傾げるばかりだ。師弟の契によって断たれた縁は二度と呼び戻されない。
リメイが胸の高鳴りを抑えているのに対し、伯爵は顎に手を当てて何か考える素振りを見せた。
「ほほう似ていると。それはずばり、お嬢さんの恋人かな?」
「え?」
「この私に似ているとは、さては海の男だろう?」
「え? は?」
突拍子もない伯爵の話に、リメイは口を開いて固まった。その様子を見て、伯爵は何度も頷いてみせる。
「はっはっは! 恋はいい。たくさんしなさい。そして海もいい。海の男は皆情に熱い。お嬢さんをきっと大事にしてくれる」
「は、はぁ」
その熱い海の男とはつまり自身のことを言っているのだろうか。確かにその通りであると、当時を思い出したリメイは顔を綻ばせた。
「ははっ。可愛らしいお嬢さんだ。君のような人を恋人にできる男が羨ましい」
「っそ、そんなことは」
幼い頃は見上げるだけだったその笑顔を、視線の高くなったリメイが真正面から受ける。皆に平等に優しく、慈愛に満ちたこの人の笑顔を、リメイはもう一度脳裏に刻み直した。
「おっと、そうだ。ならばお嬢さんに良いことを教えてあげよう。あの時計台に登ったことはあるかな?」
「時計台?」
伯爵が指差す方にリメイも視線をやる。そこにはこの町のシンボルともなっている大きな時計台があった。確か中はぜんまい仕掛けの合間を縫って、頂上まで螺旋階段が続いていると以前町の人に聞いた覚えがあった。
「年に一度、この町で大きな祭りが開催される時だけあの時計台も開放されるのだよ」
初めて聞いた情報に感嘆の声を上げて、リメイはもう一度時計台を下から上へと眺めた。あの頂上から見下ろす景色はきっと形容し難いものがあるだろう。
「私最近この町に来るようになったんです。だからお祭りのことも知りませんでした」
「そうだったのか。実はね、この町からは遠いが、あの時計台に登れば海が見えるのだよ」
「登ったことがあるんですか?」
五歳より以前の記憶は少し曖昧だったが、いつも海へと赴く父を見送っていた記憶なら強く残っている。そんな父が遠く離れたこの町の祭りとやらに参加したことがあるのだろうか、とリメイも驚きを隠せなかった。
伯爵がまるで内緒話をするように腰をかがめて口に手をやるので、リメイもそっと顔を寄せ耳を近づけた。
「海からこの町の時計台が見えるんだ」
「まぁ!」
コソコソとした囁きの内容に、リメイは思わず吹き出してしまう。
まさか時計台から海を見たのではなく、海からこの時計台を見ていたとは。あまりの伯爵らしいその言葉に、くすくすと笑いが止まらなかった。
「今日のような日は眺めが悪いだろうが、湿度の高い日は匂いがよく届く。ここでも潮の匂いが嗅げるな」
「……本当ですね」
スンッと薫るこの匂いをリメイは忘れたことなどなかった。思い出を運んでくれるそれを、リメイは今また胸いっぱいに吸い込んだ。
「さて。年寄りの話に付き合わせて悪かったね。今日は珍しく行商に出てきていたんだが、あまりに素敵なお嬢さんに会えたものだから、つい嬉しくなってね。申し訳ない」
「っ……私も、海の紳士様に会えてよかったです」
「ん? はははっ、粋なことを言ってくれる」
その時、町には三時を知らせる鐘が鳴り響いていた。
「では、可愛らしいお嬢さん。また」
「さようなら」
帽子を少し上げて背を向けていった伯爵をリメイは見えなくなるまで見つめた。
「……さようなら」
届かない言葉はリメイの周りを舞って散っていく。もう二度と見ることのない背中にそっと微笑んだ。
『リメイ、あれは誰だ。知り合いか?』
「……いいえ。初対面よ」
伯爵との親子関係など、この世のどこにも記録として残っていない。だからタマにもあの人が父であることを言ったところでどうにもならないのだ。
リメイは声に出せない事実を飲み込んで、海の紳士様のような明るい声を出した。
「せっかくだし、ちょっと登ってみようか」
『そうこなくてはな』
体の中でわふっと鳴いたタマの頭を、リメイは撫でるような仕草をした。
リメイが胸の高鳴りを抑えているのに対し、伯爵は顎に手を当てて何か考える素振りを見せた。
「ほほう似ていると。それはずばり、お嬢さんの恋人かな?」
「え?」
「この私に似ているとは、さては海の男だろう?」
「え? は?」
突拍子もない伯爵の話に、リメイは口を開いて固まった。その様子を見て、伯爵は何度も頷いてみせる。
「はっはっは! 恋はいい。たくさんしなさい。そして海もいい。海の男は皆情に熱い。お嬢さんをきっと大事にしてくれる」
「は、はぁ」
その熱い海の男とはつまり自身のことを言っているのだろうか。確かにその通りであると、当時を思い出したリメイは顔を綻ばせた。
「ははっ。可愛らしいお嬢さんだ。君のような人を恋人にできる男が羨ましい」
「っそ、そんなことは」
幼い頃は見上げるだけだったその笑顔を、視線の高くなったリメイが真正面から受ける。皆に平等に優しく、慈愛に満ちたこの人の笑顔を、リメイはもう一度脳裏に刻み直した。
「おっと、そうだ。ならばお嬢さんに良いことを教えてあげよう。あの時計台に登ったことはあるかな?」
「時計台?」
伯爵が指差す方にリメイも視線をやる。そこにはこの町のシンボルともなっている大きな時計台があった。確か中はぜんまい仕掛けの合間を縫って、頂上まで螺旋階段が続いていると以前町の人に聞いた覚えがあった。
「年に一度、この町で大きな祭りが開催される時だけあの時計台も開放されるのだよ」
初めて聞いた情報に感嘆の声を上げて、リメイはもう一度時計台を下から上へと眺めた。あの頂上から見下ろす景色はきっと形容し難いものがあるだろう。
「私最近この町に来るようになったんです。だからお祭りのことも知りませんでした」
「そうだったのか。実はね、この町からは遠いが、あの時計台に登れば海が見えるのだよ」
「登ったことがあるんですか?」
五歳より以前の記憶は少し曖昧だったが、いつも海へと赴く父を見送っていた記憶なら強く残っている。そんな父が遠く離れたこの町の祭りとやらに参加したことがあるのだろうか、とリメイも驚きを隠せなかった。
伯爵がまるで内緒話をするように腰をかがめて口に手をやるので、リメイもそっと顔を寄せ耳を近づけた。
「海からこの町の時計台が見えるんだ」
「まぁ!」
コソコソとした囁きの内容に、リメイは思わず吹き出してしまう。
まさか時計台から海を見たのではなく、海からこの時計台を見ていたとは。あまりの伯爵らしいその言葉に、くすくすと笑いが止まらなかった。
「今日のような日は眺めが悪いだろうが、湿度の高い日は匂いがよく届く。ここでも潮の匂いが嗅げるな」
「……本当ですね」
スンッと薫るこの匂いをリメイは忘れたことなどなかった。思い出を運んでくれるそれを、リメイは今また胸いっぱいに吸い込んだ。
「さて。年寄りの話に付き合わせて悪かったね。今日は珍しく行商に出てきていたんだが、あまりに素敵なお嬢さんに会えたものだから、つい嬉しくなってね。申し訳ない」
「っ……私も、海の紳士様に会えてよかったです」
「ん? はははっ、粋なことを言ってくれる」
その時、町には三時を知らせる鐘が鳴り響いていた。
「では、可愛らしいお嬢さん。また」
「さようなら」
帽子を少し上げて背を向けていった伯爵をリメイは見えなくなるまで見つめた。
「……さようなら」
届かない言葉はリメイの周りを舞って散っていく。もう二度と見ることのない背中にそっと微笑んだ。
『リメイ、あれは誰だ。知り合いか?』
「……いいえ。初対面よ」
伯爵との親子関係など、この世のどこにも記録として残っていない。だからタマにもあの人が父であることを言ったところでどうにもならないのだ。
リメイは声に出せない事実を飲み込んで、海の紳士様のような明るい声を出した。
「せっかくだし、ちょっと登ってみようか」
『そうこなくてはな』
体の中でわふっと鳴いたタマの頭を、リメイは撫でるような仕草をした。
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