57 / 103
【第三章】女、愛を知る
男の独白(1)
しおりを挟む
ホークはリメイに言われたことを頭の中で反芻していた。
夫婦になるということ、それは自分が望んでいた関係に近く、何よりリメイから言ってくれたことがホークは嬉しかった。
「ふふふ。やっぱり面白い、かわいい子」
泣き疲れて眠ってしまったリメイを片腕で抱いて自室に向かう。隣にあるリメイの部屋から出てきたタマが、ホークの服の裾を噛んだ。
『リメイの部屋はこっちだ。おれが預かる』
「リメイはアタシと寝るの。今日からずっと」
『二十歳からだろう?夫婦になるのは』
それまでにこやかに笑っていたホークが、目を細めてタマを睨みつけた。
「この駄犬が。聞き耳立ててんじゃねーよ」
『リメイとおれは繋がっているのだから仕方あるまい』
「犬のくせに気持ち悪い言い方するな。消すぞ」
『言っておくが五歳の幼子に恋人よりも深い縁などと言う方が気持ち悪いぞ』
「うるっさいなぁもう。あっち行って」
言い返すタマにホークはしっしっと手を振る。今度こそ目の前のドアをくぐり、ホーク仕様の大きなベッドに一緒に横たわった。
窓の外はすっかり明るくなっている。ホークが煩わしそうに指を動かし、小さな《風》を起こしてカーテンを閉めた。タマがリメイの足元に顔を乗せるも、ホークはそれを気にせずリメイの額にかかる髪を梳く。
「この髪の糸で編んだ組紐はさぞ美しいことでしょうね。アタシが欲しいと望めば、お前は作ってくれる?」
この美しい女をどうしてやろうかと、そればかり考える自分がいた。
「今更だと、思ったのよ」
『何がだ』
ホークは三百年の間、そのほとんどを一人で生きてきた。もちろん人肌を恋しく思う時期もあったが、それも遠い昔の話。唯一を求めるなど今更なことのように思えてならなかった。
「ハンの遺作を探してここまで来たけど、今となってはリメイに会うために生き長らえてきたように思うわ」
『重たい奴だな。ヒト如きが番を得たとでもいうのか』
「ヒトの闇から生まれた魔獣如きがえらそうなこと言ってんじゃないわよ」
ホークがふふんっと鼻を鳴らしてリメイの頬に顔を寄せた。
「アタシはこれから、この子と共に老いていくのよ。この子が最期を迎えるときに、アタシもやっと」
『唯一無二の存在と共に生を終えるのか。“神に最も近き者”が』
ハンバーの遺作についてももう少しで情報が掴めそうなところまで来ている。それらさえ手に入れば、もう長く生きる意味がなくなるのだ。そう思うとホークの体は喜びに震えた。
「この子と過ごす先の人生はかけがえのないものになるわ。ふふ、夢みたい」
『ふん。せいぜい残り六十年か。幸せにしてやれよ』
「分かってるわよ。悔いなんて残さないんだか、ら……?」
ふとリメイの頭を優しく撫でていた手が止まる。ホークの周りだけ時が止まったかのように動かなくなった。
『どうした』
「今、たかが六十年って言った?」
『それがどうした』
突然ホークが勢いよく体を起こす。その振動でリメイの肩が跳ねるが、今のホークには知ったことではない。
「え、そんなのいやなんだけど」
『なにが』
タマがその大きな尻尾でリメイの腹を撫でながら、ホークを怪訝そうに見上げた。
「やっと結ばれて、六十年しか一緒にいられないなんて。アタシ嫌なんだけど」
ホークにとって、やるべきことさえ果たせばいつ死のうが悔いはないこの命。なのに今、ようやく出会えた唯一の人がたった数十年で寿命を迎えて終えてしまう未来を想像して、初めて死を恐ろしいと感じた。
「だって、悔しいじゃない」
同じ時代を生きる自分たちが、生ある限りというタイムリミットに縛られながら過ごすなど、《記憶》を司るホークには不愉快極まりなかった。
「リメイの体内記憶をいじればいいのか」
『何を呆けたことを。寿命をいじるなど、リメイが許すわけがない』
片方が死んだら終わってしまう縁ならば、お互いを死なぬ体にすればいいと思ったが、確かに。リメイなら「終わりがあるから今を大事にできるんですよ」とか真面目なことを言いそうだ。
「そもそもリメイは夫婦になれば俺ら最強、みたいなこと言うけど。それってただの口約束みたいなもんじゃない。ただやることやってるだけの間柄ってことでしょう?」
『今世界中の夫婦の奴らを敵に回したぞ、って、おい。どこへ行く』
突然立ち上がって足早に自室を出て行くホークの後ろを、タマが追いかける。二つの巨体がドシドシと音を立てながら向かった先は書斎だった。
ホークはその部屋の一番奥の、それも一番上の棚の端においてある本を手に取る。
『なんだ、それは』
「まぁ見てなさい」
深緑色のその本に魔力を流すと、本が棚の中へ埋め込まれ、家のどこかで大きく軋んだ音がした。辺りを注意深く観察するタマの足元で、書斎の床がゆっくりと真っ二つに割れていく。思わず唸り声を上げたタマをホークが片手で制した。
ものの数秒で床が開き、覗き込むと階段が見えた。
『……ここ、二階だったよな?』
「細かいことは気にしな~い」
カツカツと踵を鳴らしながらホークとタマが降りていくと、通り過ぎる直前で階段横の蝋燭に火が灯り、順々に中を明るく照らされていった。
夫婦になるということ、それは自分が望んでいた関係に近く、何よりリメイから言ってくれたことがホークは嬉しかった。
「ふふふ。やっぱり面白い、かわいい子」
泣き疲れて眠ってしまったリメイを片腕で抱いて自室に向かう。隣にあるリメイの部屋から出てきたタマが、ホークの服の裾を噛んだ。
『リメイの部屋はこっちだ。おれが預かる』
「リメイはアタシと寝るの。今日からずっと」
『二十歳からだろう?夫婦になるのは』
それまでにこやかに笑っていたホークが、目を細めてタマを睨みつけた。
「この駄犬が。聞き耳立ててんじゃねーよ」
『リメイとおれは繋がっているのだから仕方あるまい』
「犬のくせに気持ち悪い言い方するな。消すぞ」
『言っておくが五歳の幼子に恋人よりも深い縁などと言う方が気持ち悪いぞ』
「うるっさいなぁもう。あっち行って」
言い返すタマにホークはしっしっと手を振る。今度こそ目の前のドアをくぐり、ホーク仕様の大きなベッドに一緒に横たわった。
窓の外はすっかり明るくなっている。ホークが煩わしそうに指を動かし、小さな《風》を起こしてカーテンを閉めた。タマがリメイの足元に顔を乗せるも、ホークはそれを気にせずリメイの額にかかる髪を梳く。
「この髪の糸で編んだ組紐はさぞ美しいことでしょうね。アタシが欲しいと望めば、お前は作ってくれる?」
この美しい女をどうしてやろうかと、そればかり考える自分がいた。
「今更だと、思ったのよ」
『何がだ』
ホークは三百年の間、そのほとんどを一人で生きてきた。もちろん人肌を恋しく思う時期もあったが、それも遠い昔の話。唯一を求めるなど今更なことのように思えてならなかった。
「ハンの遺作を探してここまで来たけど、今となってはリメイに会うために生き長らえてきたように思うわ」
『重たい奴だな。ヒト如きが番を得たとでもいうのか』
「ヒトの闇から生まれた魔獣如きがえらそうなこと言ってんじゃないわよ」
ホークがふふんっと鼻を鳴らしてリメイの頬に顔を寄せた。
「アタシはこれから、この子と共に老いていくのよ。この子が最期を迎えるときに、アタシもやっと」
『唯一無二の存在と共に生を終えるのか。“神に最も近き者”が』
ハンバーの遺作についてももう少しで情報が掴めそうなところまで来ている。それらさえ手に入れば、もう長く生きる意味がなくなるのだ。そう思うとホークの体は喜びに震えた。
「この子と過ごす先の人生はかけがえのないものになるわ。ふふ、夢みたい」
『ふん。せいぜい残り六十年か。幸せにしてやれよ』
「分かってるわよ。悔いなんて残さないんだか、ら……?」
ふとリメイの頭を優しく撫でていた手が止まる。ホークの周りだけ時が止まったかのように動かなくなった。
『どうした』
「今、たかが六十年って言った?」
『それがどうした』
突然ホークが勢いよく体を起こす。その振動でリメイの肩が跳ねるが、今のホークには知ったことではない。
「え、そんなのいやなんだけど」
『なにが』
タマがその大きな尻尾でリメイの腹を撫でながら、ホークを怪訝そうに見上げた。
「やっと結ばれて、六十年しか一緒にいられないなんて。アタシ嫌なんだけど」
ホークにとって、やるべきことさえ果たせばいつ死のうが悔いはないこの命。なのに今、ようやく出会えた唯一の人がたった数十年で寿命を迎えて終えてしまう未来を想像して、初めて死を恐ろしいと感じた。
「だって、悔しいじゃない」
同じ時代を生きる自分たちが、生ある限りというタイムリミットに縛られながら過ごすなど、《記憶》を司るホークには不愉快極まりなかった。
「リメイの体内記憶をいじればいいのか」
『何を呆けたことを。寿命をいじるなど、リメイが許すわけがない』
片方が死んだら終わってしまう縁ならば、お互いを死なぬ体にすればいいと思ったが、確かに。リメイなら「終わりがあるから今を大事にできるんですよ」とか真面目なことを言いそうだ。
「そもそもリメイは夫婦になれば俺ら最強、みたいなこと言うけど。それってただの口約束みたいなもんじゃない。ただやることやってるだけの間柄ってことでしょう?」
『今世界中の夫婦の奴らを敵に回したぞ、って、おい。どこへ行く』
突然立ち上がって足早に自室を出て行くホークの後ろを、タマが追いかける。二つの巨体がドシドシと音を立てながら向かった先は書斎だった。
ホークはその部屋の一番奥の、それも一番上の棚の端においてある本を手に取る。
『なんだ、それは』
「まぁ見てなさい」
深緑色のその本に魔力を流すと、本が棚の中へ埋め込まれ、家のどこかで大きく軋んだ音がした。辺りを注意深く観察するタマの足元で、書斎の床がゆっくりと真っ二つに割れていく。思わず唸り声を上げたタマをホークが片手で制した。
ものの数秒で床が開き、覗き込むと階段が見えた。
『……ここ、二階だったよな?』
「細かいことは気にしな~い」
カツカツと踵を鳴らしながらホークとタマが降りていくと、通り過ぎる直前で階段横の蝋燭に火が灯り、順々に中を明るく照らされていった。
0
お気に入りに追加
43
あなたにおすすめの小説
囚われた姫騎士は熊将軍に愛される
ウサギ卿
恋愛
ラフラン帝国に姫騎士と称された魔法騎士団長がいた。
北方の獣人の治めるチューバッカ王国への進軍の最中思わぬ反撃に遭い、将軍の命により姫騎士率いる部隊は殿を務めていた。
何とか追っ手を躱していくが天より巨大な肉球が襲いかかってくる。
防御結界をも破壊する肉球の衝撃により姫騎士は地に伏してしまう。
獣人の追撃部隊に囲まれ死を覚悟した。
そして薄れゆく意識の中、悲痛を伴う叫び声が耳に届く。
「そこを退けーっ!や、やめろっ!離れろーっ!それは!・・・その者は儂の番だーっ!」
そして囚われた姫騎士ローズマリーはチューバッカ王国にその熊有りと謳われた、ハッグ将軍の下で身体の傷と心の傷を癒していく。
〜これは番に出会えず独り身だった熊獣人と、騎士として育てられ愛を知らなかった侯爵令嬢の物語〜
国王陛下は悪役令嬢の子宮で溺れる
一ノ瀬 彩音
恋愛
「俺様」なイケメン国王陛下。彼は自分の婚約者である悪役令嬢・エリザベッタを愛していた。
そんな時、謎の男から『エリザベッタを妊娠させる薬』を受け取る。
それを使って彼女を孕ませる事に成功したのだが──まさかの展開!?
※この物語はフィクションです。
R18作品ですので性描写など苦手なお方や未成年のお方はご遠慮下さい。
元男爵令嬢ですが、物凄く性欲があってエッチ好きな私は現在、最愛の夫によって毎日可愛がられています
一ノ瀬 彩音
恋愛
元々は男爵家のご令嬢であった私が、幼い頃に父親に連れられて訪れた屋敷で出会ったのは当時まだ8歳だった、
現在の彼であるヴァルディール・フォルティスだった。
当時の私は彼のことを歳の離れた幼馴染のように思っていたのだけれど、
彼が10歳になった時、正式に婚約を結ぶこととなり、
それ以来、ずっと一緒に育ってきた私達はいつしか惹かれ合うようになり、
数年後には誰もが羨むほど仲睦まじい関係となっていた。
そして、やがて大人になった私と彼は結婚することになったのだが、式を挙げた日の夜、
初夜を迎えることになった私は緊張しつつも愛する人と結ばれる喜びに浸っていた。
※この物語はフィクションです。
R18作品ですので性描写など苦手なお方や未成年のお方はご遠慮下さい。
悪役令嬢は王太子の妻~毎日溺愛と狂愛の狭間で~
一ノ瀬 彩音
恋愛
悪役令嬢は王太子の妻になると毎日溺愛と狂愛を捧げられ、
快楽漬けの日々を過ごすことになる!
そしてその快感が忘れられなくなった彼女は自ら夫を求めるようになり……!?
※この物語はフィクションです。
R18作品ですので性描写など苦手なお方や未成年のお方はご遠慮下さい。
従者♂といかがわしいことをしていたもふもふ獣人辺境伯の夫に離縁を申し出たら何故か溺愛されました
甘酒
恋愛
中流貴族の令嬢であるイズ・ベルラインは、行き遅れであることにコンプレックスを抱いていたが、運良く辺境伯のラーファ・ダルク・エストとの婚姻が決まる。
互いにほぼ面識のない状態での結婚だったが、ラーファはイヌ科の獣人で、犬耳とふわふわの巻き尻尾にイズは魅了される。
しかし、イズは初夜でラーファの機嫌を損ねてしまい、それ以降ずっと夜の営みがない日々を過ごす。
辺境伯の夫人となり、可愛らしいもふもふを眺めていられるだけでも充分だ、とイズは自分に言い聞かせるが、ある日衝撃的な現場を目撃してしまい……。
生真面目なもふもふイヌ科獣人辺境伯×もふもふ大好き令嬢のすれ違い溺愛ラブストーリーです。
※こんなタイトルですがBL要素はありません。
※性的描写を含む部分には★が付きます。
公爵様、契約通り、跡継ぎを身籠りました!-もう契約は満了ですわよ・・・ね?ちょっと待って、どうして契約が終わらないんでしょうかぁぁ?!-
猫まんじゅう
恋愛
そう、没落寸前の実家を助けて頂く代わりに、跡継ぎを産む事を条件にした契約結婚だったのです。
無事跡継ぎを妊娠したフィリス。夫であるバルモント公爵との契約達成は出産までの約9か月となった。
筈だったのです······が?
◆◇◆
「この結婚は契約結婚だ。貴女の実家の財の工面はする。代わりに、貴女には私の跡継ぎを産んでもらおう」
拝啓、公爵様。財政に悩んでいた私の家を助ける代わりに、跡継ぎを産むという一時的な契約結婚でございましたよね・・・?ええ、跡継ぎは産みました。なぜ、まだ契約が完了しないんでしょうか?
「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくださいませええ!この契約!あと・・・、一体あと、何人子供を産めば契約が満了になるのですッ!!?」
溺愛と、悪阻(ツワリ)ルートは二人がお互いに想いを通じ合わせても終わらない?
◆◇◆
安心保障のR15設定。
描写の直接的な表現はありませんが、”匂わせ”も気になる吐き悪阻体質の方はご注意ください。
ゆるゆる設定のコメディ要素あり。
つわりに付随する嘔吐表現などが多く含まれます。
※妊娠に関する内容を含みます。
【2023/07/15/9:00〜07/17/15:00, HOTランキング1位ありがとうございます!】
こちらは小説家になろうでも完結掲載しております(詳細はあとがきにて、)
王宮医務室にお休みはありません。~休日出勤に疲れていたら、結婚前提のお付き合いを希望していたらしい騎士さまとデートをすることになりました。~
石河 翠
恋愛
王宮の医務室に勤める主人公。彼女は、連続する遅番と休日出勤に疲れはてていた。そんなある日、彼女はひそかに片思いをしていた騎士ウィリアムから夕食に誘われる。
食事に向かう途中、彼女は憧れていたお菓子「マリトッツォ」をウィリアムと美味しく食べるのだった。
そして休日出勤の当日。なぜか、彼女は怒り心頭の男になぐりこまれる。なんと、彼女に仕事を押しつけている先輩は、父親には自分が仕事を押しつけられていると話していたらしい。
しかし、そんな先輩にも実は誰にも相談できない事情があったのだ。ピンチに陥る彼女を救ったのは、やはりウィリアム。ふたりの距離は急速に近づいて……。
何事にも真面目で一生懸命な主人公と、誠実な騎士との恋物語。
扉絵は管澤捻さまに描いていただきました。
小説家になろう及びエブリスタにも投稿しております。
転生したらただの女子生徒Aでしたが、何故か攻略対象の王子様から溺愛されています
平山和人
恋愛
平凡なOLの私はある日、事故にあって死んでしまいました。目が覚めるとそこは知らない天井、どうやら私は転生したみたいです。
生前そういう小説を読みまくっていたので、悪役令嬢に転生したと思いましたが、実際はストーリーに関わらないただの女子生徒Aでした。
絶望した私は地味に生きることを決意しましたが、なぜか攻略対象の王子様や悪役令嬢、更にヒロインにまで溺愛される羽目に。
しかも、私が聖女であることも判明し、国を揺るがす一大事に。果たして、私はモブらしく地味に生きていけるのでしょうか!?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる