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3巻
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青くて春い、ブルースプリングでヤーングな俺、翔が神のミスによって――いや、正確に言うならば、神の髭に絡まって落ちてきた花瓶が脳天に直撃したことによって――死んだのは、高校二年生の梅雨の時期であった。
まだ彼女もできたことなかったのに! ……そ、それどころか友達も高校に入ってようやく一人できたかなぁ……とか、そんなレベルだったのに……。
……まあ、それはもういいんだ。しかし神でも死んでしまった事実は覆せないとのことで、俺は異世界に貴族ウィリアムス=ベリルとして転生することとなった。
その姿はというと、美人な母さん、騎士団長の父さん、そして二人の要素を受け継いださらさらの銀髪に緑の瞳! とか聞いたら、まあイケメンだと思うだろ? 俺も思ってた。
でも、帰ってきた父さんの顔を見て絶望したよね!
だってそりゃあもう、前世の俺そのものの平凡フェイスだったんだもの!
俺は余計な配慮をした神を恨んだ。
……ま、まあ、それももういいんだ。顔は変わらなかったが、俺は前世では得られなかった両親の愛情もたっぷり注いでもらっているし、三歳にして友人兼家庭教師であるジョーン先生と出会えたし、悪者に利用されていた犬耳美少女のシフォンを助けたら、俺専属のメイドさんになってくれると言うし!
しかも! やっと入学したフェルセス学園では初めての同世代の友人サンもでき、さらには! セフィスという超絶かわいいエルフの女の子の幼馴染までできたのであーる!
ふはははは! 素晴らしい!
ちょっとは神様のジジィに感謝をしてもいいかもしれない。
……なんて考えてた矢先にだよ? そのセフィスちゃんが黒衣の人に襲われて、ついつい助けたら、なんと襲ってきた相手はアビとかいう伝説の高位魔獣だったことが判明。おかげで国王陛下に呼び出され事情聴取された。なんてこったい!
と、まあ、それがついさっきの出来事。
教室で呼び出しを食らったために、その様子をばっちり見ていたサン。
国王陛下のところから帰ってきたら、早速サンにどこに行ってたんだと問い詰められていたわけだけれども……なんと、そのときに天井裏に人の気配を感じてしまったのである。
こーれはー! あれだろ?
俺が事情聴取で嘘をついてないかとか、そのへんを見極めるために国王の指示で出されたアレだろ?
すぐに感づいた俺は、ちょっとした悪戯心が湧いてしまった。
サンに「国王陛下に呼び出された」って本当のことを素直に白状したのに、サンの奴、嘘だと言って信じないしさ。
「嘘じゃない、嘘じゃない――証明なら、そこの人がしてくれるんじゃない?」
俺の言葉を一向に信じないサンを黙らせるためにも天井裏に話しかけてみれば、あらびっくり。天井の板が取り外され、一人の男が部屋に舞い降りたのである。
……そこまでは俺の予想通りだったんだけどな。
「――忍者?」
うっかり漏らした俺の言葉に、目の前の黒ずくめの人はピクリと動いた。
そう! 見た目までは想定していなかった!
天井から降りてきたその男は黒装束に頭巾をかぶった忍者スタイルだったのである。
「……いかにも」
ぼそぼそと返された言葉にまた驚くことになる。まじか。忍者なのか。
そこではっと気づく。
……そうか、これも元日本人と思しき初代国王の仕業だったりするのか。
「何故初代国王より賜った我が家名をご存知なのか、とお尋ねしたいところであるが」
独りごちた黒ずくめの言葉に、やはりと納得する。
身長は一六五~一七〇センチと言ったところか。成人男性としてはやや小柄と言えるだろうが、いかんせん俺は八歳、サンは十歳の子供。当然、見上げるかたちになる。
ふと男が腰を曲げ、頭を下げた。
これには思わずサンと一緒になって息を呑んでしまった。
頭を下げる――つまりは謝罪の意である。
「申し訳ない。仕事とはいえ、無断で私生活を覗いたという非礼を詫びる」
あまりにもまっすぐな言葉で、俺は素直に受け止められた。全身から敬意が伝わってくる。
この人はとても誠実なのだろう。
八歳のガキの事件報告なんて、そりゃ誰だって信じられない。俺が目の前の忍者さんの立場でもそうだ。
アビを仕向けた犯人は、三年前に『影』という組織を使って俺を誘拐しようとした者と同一の可能性が高い。
おそらく目的は、同級生であるセフィスをアビに襲わせて、助けに入るであろう俺の実力を測るため、もしくは俺の命を奪うため。直接俺を襲わなかったのは、こちらに狙いを悟らせないためだろう。
どうやってアビを学園内に手引きしたのか具体的な手法は不明だが、俺とセフィスの関係を知るには、学園の誰かと連絡を取る必要がある。
俺の独自調査の結果、容疑者として上がってきたのは、同級生メリアと昼食を取った彼女の父、カルセドニーだった。メリアだけが唯一学外の人物――つまりは父親と休日に会っていたので、黒幕はカルセドニーになりすましてメリアから情報を得たのではないか、と考えたんだ。
これらのことを国王陛下にさっき報告してきたわけだが……まぁ、突拍子もない話と思われても仕方ない。
それを踏まえた上での、目の前の黒ずくめの人の敬意を持った謝罪。
しかし理性では分かっていても、やはり納得いかない部分もあるらしい。無表情ながら、忍者さんからは俺という存在に対する困惑が伝わってきた。
そんな忍者さんに、俺はにっこりと笑った。
敬意には敬意をもって応える。
日本人としても、エイズーム王国の貴族としても、人間としても当然のことだろう。
決してこの忍者さんがコスプレみたいで面白いだなんて考えていないぞ、これっぽっちも。
「いえ。これ以上、『影』やアビに暴れられては国の存亡に関わる恐れもあります。密偵を送る――情報の真偽を探ることは当然でありましょう。私にとやかく言う資格はございません。顔をお上げになってください」
「寛大なお言葉、感謝いたす。ウィリアムス様」
そう言って顔を上げた忍者さんと目が合った。
忍者さんは困ったように目を細める。
ちなみにこの間、サンは微動だにせず目を見開いたまま固まっている。
頭が目玉そのものの召喚獣アルクメデスさんがサンの目から生まれなかったのは残念でならないが、この調子で固まり続ければ石像くらいにはなるんじゃないだろうか。
サンをチラリと見やって、俺はほくそ笑みながら忍者さんの話に耳を傾けることにした。
「遅ればせながら、不肖、エイズーム王国黒騎士団所属情報部隊の部隊長ジルコ=ニンジアと申す。此度の件について改めてご協力願えないであろうか」
俺と一緒になってチラリとサンを見やったジルコさんに、俺は素早く頷く。
なぜかって?
そりゃ顔がにやけてしまうのを隠すためだよ。
職業『忍者』さんじゃなくて、苗字『ニンジア』さんとか!
うむ。
初代国王、恐るべし。
俯いた一瞬の間に表情を取り繕った俺は顔を上げ、未だ呆然としているサンの肩に手をポンと置いた。
「じゃ、そゆことだから」
その言葉を残して、俺は天井に戻っていったジルコさんについていく。
上った天井裏でいそいそと外された板を嵌めているあたりになって、下から「えっ、えっ……?」と素っ頓狂な声が漏れ聞こえてきて、つい笑いを漏らしてしまったのは秘密だ。
◆ ◆
ジルコさんは部屋にシュタッと降り立つや否や謝ってくれたし、潔くて、誠実で、でも無表情で飄々としたかっこいい忍者だなぁ……と思ったのだけど!
その後の出来事で、ちょっと印象を覆さずにはいられなかった。
なんというか。おっちょこちょい……なんじゃ、とか。
いや、天下の忍者さまがそんなわけないよな! そう信じたいところである。
俺が天井裏に上ったときは、さすがの忍者さんもこんな年齢の少年が天井裏まで一跳びでやってくるとは予想できなかったらしく、少し目を見開いて驚いていた。
それからの移動中、忍者らしく終始無言であったものの、チラチラと視線を送ってくる。
なんだこの子供は、とでも思われていたのだろう。
うん、俺だって思うからね。
足音だけでなく気配まで消せるスパイみたいな八歳児って何者だって感じだもの。
なんでそんなことができるのかって聞かれたらどうしようか。子供らしく可愛く笑ってごまかせばいいのだろうか。
ちっちゃいころから、おうちのなかで、かくれんぼしてただけだよーてへっ!
……やめとこう、自分で言っといて自分を殴りつけたくなる。
そもそも俺は可愛くなかった。どんとまいんど俺。ていくいっといーじー俺。
とまあ、そんなことを考えながら、黙々とジルコさんのあとをついていく。
学園寮の天井裏をずーっと進み、裏口のあたりで再び床にシュタっと降り立った。そしてスタスタと学園の門まで歩いていく。
さっき城から帰ってきたばっかなのに、また外に出ることになるとは……今日はやけに行ったり来たりする日である。この調子だと、ちょっと学園寮の門限とかが心配になってくるな。
ぼーっと門を見上げると、ジルコさんも俺に釣られるように門に視線を向けた。
今まで俺をチラチラと見ていた忍者さんは、そこでやっと自分の服装に気がついたらしい。俺も今、改めて思った。
繰り返しますと、彼は今まさにニンジャコスチュームといった感じです、はい。
そんな人が門にいます。
結論、不審者。
幸い、周囲には人っ子一人いなかったようだが、このニンジャさん、ちょっとうっかり者なんじゃ……これが疑念が生まれた瞬間であった。
わざわざ寮の天井裏を通ってきたのは人目につかないためだと思っていたのに、寮を出たら普通にスタスタ歩いて行っちゃうし。
それとも、あれか。天井裏を選んだのはニンジャの習性なのか?
そのニンジャさん――もといジルコさんが門の前でどうしたかと言うと、地球の一流マジシャンの皆さまもびっくりであろう早着替えを披露してくださった。
何たって、それは一切魔法を使っていないのだ。探知してたけど、まったく魔力を感じなかったからね。
つまり、これはジルコさんの技術によるもの。タネも仕掛けもあるのである。イリュージョンショーなのである。
早着替えを終えたジルコさんは、どこにでもいる平々凡々な町人のような服装になっていた。身に纏う雰囲気まで、さっきまでとは別人のように一般人そのものになっている。近所のお兄さんくらいの感じだ。
さすが忍者。
俺が一人感動に浸っていると、ジルコさんはさっさと歩き出して手ごろな飲食店に入った。
そこそこに混雑しているが、行列まではできない程度のお店である。
適当に飲み物と軽食を頼んで、周囲に会話が漏れないくらいの音量で話し始めた。
ジルコさんから聞かれたのは主にアビについての情報と、俺の学園内での聞きこみ調査についてだった。国王陛下としっかり情報の共有はされているようで、報告事項の確認といった雰囲気ではあったが。
一通り終えたのか、ジルコさんは大口でスパゲティのようなものを食べると、ごくんと呑み込みながらナプキンで口を拭いた。
「――了解したである。当分はカルセドニーの身元を当たる方針でいくとしよう」
「って、それ私に言っちゃっていいんですか?」
頷きながら言ったジルコさんに、思わず尋ねる。
まあ、いいから言ってるに決まってるんだろうけどな。なんか、俺が驚いたほうが雰囲気出るじゃん?
「構わんのである。すぐに国内の騎士団に書状を出そう。カルセドニー本人が黒幕にしても、巻き込まれたにしても、事件の関係者であることには変わりないのである」
そんな俺のノリに付き合っているのかいないのか、ざっぱりと言い放ってくだすったジルコさんは、なんだか楽しそうにしていた。
◆ ◆
ジルコ=ニンジアは、城を歩いていた。
石造りの城内は音が響きやすい。隠密行動が求められるスパイなどからしたら、たまったものではない。初代国王の趣味だと伝えられているが、実際は不審者対策も兼ねているのだろう。
しかし、エイズーム王国黒騎士団情報部隊の隊長であるジルコは、そこを音もなく歩く。
エイズーム王国には、黒騎士団と白騎士団の二つの騎士団がある。この両方の騎士団の団長を務めているのがウィルの父でもあるキアン=ベリルなのだが、キアンが実際に動かしているのは白騎士団のみ。
キアンには反国王派の調査という裏の任務もあるため、黒騎士の実際の指揮を執っているのは黒騎士団副団長である。
白騎士団はキアンに一任されており、国王が指示を出すことはごく稀だった。
一方、黒騎士団のほうは国王が副団長に命令を下し、副団長の統率のもと任務が実行されるのである。
黒騎士は、戦闘部隊と情報部隊の二つで編成されている。
戦闘部隊は、城の警護や国王の護衛、戦時中には前線に立つなど、所謂典型的な騎士の仕事を受け持つ。
対して情報部隊は、その名の通り情報を扱うのが仕事で、あまり一般に認知されていない。
キアンの裏の仕事と重複する部分もありそうだが、厳密に言えば少し違う。
キアンの仕事は、国王キサムに敵対する者や犯罪組織の調査をすること。
黒騎士情報部隊は、国内外の情勢や国民の生活状況など、国として広く情報を管理する。
さらに言えば、情報部隊は一般にあまり認知されないだけであって、存在を知られていないわけではない。その点、一切を秘密裏に動いているキアンとは決定的に違う。
この日、ジルコは国王に呼び出され、直接任務を言い渡された。
ジルコはキサムに心酔している。国王としても一人の人間としても心から敬愛していて、一生を捧げる主だと思い忠誠を誓っている。
さらにジルコの家――ニンジア家は、代々王家に仕えてきた。歴史の表舞台にはほとんど出てこないが、陰ながら常に王家を支えてきたのだ。ジルコがキサムに尽くすのも当然のことだった。
キサムは「賢王」と呼ばれている。時々、ジルコには突拍子もないと思えるような命令が下されることもあるが、その真意に後々になってやっと気がつく、ということが何度もあった。ジルコには理解の及ばないようなことを、キサムは平然とやってのけてしまうのだ。
だから、多少の疑問があってもわざわざ問うことなどしないし、自分はキサム様のために動けばいいのだと、ジルコは常日頃から思っている。いや、思っていた。
しかしさすがのジルコも、今回ばかりは首を捻らずにはいられなかった。
先日起こったフェルセス学園の事件。その情報の提供者も、参考意見を述べたのも、八歳の子供だというのだ。
――八歳の子供が、アビを倒したらしい。
普段の国王であれば、戯れ言か何かの間違いだと切り捨てるであろう、その報。
もちろん、何の裏づけもなしに、というのは有り得ないだろうが、情報を信じた上でその子供の意見に沿って行動を起こすだなんて、ジルコには考えられなかった。
頭痛がする。本当にキサム様に従って仕事に取りかかっていいのか、と国王に絶対の忠誠を誓うジルコにしては、珍しく一瞬迷いを覚えてしまった。
しかし、きっと今回も自分には理解の及ばないような深いお考えがあるのだろうと、すぐに思い直す。
キサム様の目は決して節穴などではなく、それどころか相手の本質すら見抜く。そのキサム様がその子を信頼なさったのだ。それに従わないほど馬鹿ではない。
ジルコはそう考える一方で、子供本人に会わないことには実のところは分からないとも思っていた。
ウィリアムス=ベリル。
次期公爵家当主である彼の名は、貴族階級に属する者ならば一度は聞いたことがあるだろう。
三歳で御披露目に立つ姿は天使のようだったとか、宮廷勤めの学者内でも有名なあのジョーン=ヴェリトルが唸るほどに頭がいいとか。天才、神童。伝え聞く噂は大体そのようなものだ。
加えて、かの騎士団長キアンの息子。
キアンは、ジルコの上司に当たる。白、黒両騎士併せてのエイズーム騎士団の団長なのだから、当然だ。かといって、黒騎士団に属するジルコは、白騎士団を指揮するキアンと接する機会などあまりないのだが。
それでも、ジルコの目にはキアンは素晴らしい人物に映っている。キサムほどではないが、国民に尊敬されるのも頷ける。
その人の、息子。
物事を判断するのに先入観は邪魔にしかならない、とジルコは大いに理解している。
そうは言っても、八歳という幼い子供。どうしても侮ってしまうというものだ。
尊敬する二人が認めている少年ではあるものの、どうしてもジルコは心中穏やかではいられなかった。
何はともあれ、今は仕事。
複雑な心情は置いておくとして、国王様に直接命じられた誇るべき任務を今は遂行しようじゃないか、とジルコは音もなく城を飛び出すのであった。
「国王陛下だよ」
「え……騙したな、嘘だろ!」
「嘘じゃない、嘘じゃない――証明なら、そこの人がしてくれるんじゃない?」
国王陛下は、これを分かっておられたのか――……。
ジルコは、国王陛下に向ける尊敬の念をさらに深める一方で、未だ自分の目と耳を信じきれていなかった。これまでたくさんの情報を受け取ってきた相棒たちだというのに、ここまで信じられないのは、ジルコにとって初めてのことである。
この子供は、情報部隊長である自分の気配に気づいたのだ。
相手に悟られるなど、本来は絶対にあるまじきことである。
情報を収集するにあたって、隠密行動は必須。ニンジア家が長きにわたって王家を裏から支えてこられたのは、ここの優位性に起因している。つまり――ニンジア家の人間は風属性なのだ。
ニンジア家は、なぜか代々優れた風属性魔法の使い手が生まれる。その魔法の使い道は言わずもがな隠密行動。原理は分かっていないが、風を使って自身の出す音を周りに伝わらないようにし、気配を消して行動することができるのだ。
加えて、ジルコのように情報部隊長を務める者は、魔力操作にも長けている。自分の魔力はほぼすべて自分の中に収められるし、使用中の風属性魔法の魔力も他者に悟られないよう抑えることができる。
それなのに、気づかれるとは。
相手が八歳の子供だと油断したか?
否。
その問いかけを、ジルコは即座に切り捨てた。
八歳とはいえ、キサム様やキアン様がお認めになった者だ。警戒は十二分にしていたはず。
それに職業柄、常に気を張っていて、油断することなどない。気を抜くのは、せいぜい用を足しているときの一瞬くらいだ。
それが。
なぜ気づかれた? 風の魔法が失敗したのか?
いやそんなはずはない。
魔力が漏れ出ていたか? それもない。
相手はあのアビを倒したという者だ。当然、魔力に敏感であることも想定して、限界まで収めていた。
まさか、その魔力を察知したのか?
普通に考えて、それが一番簡単で納得のいく答えだ。
しかしジルコは素直に受け入れることなどできなかった。
信じられない。
みくびっていたのだ。
改めて、キサム様の素晴らしさと己の未熟さを痛感した。
まだ心は釈然としないままだが、理性は情報を処理し終わっていた。
――先ほどの言葉からすると相手は、つけられていたからと言って、敵対する気はないらしい。
ならば、とジルコは前屈みになって床に手をかけた。
なんとも後味が悪いことこの上ないが、この場合素直に姿を現すのが得策だろう。
この子供がアビを倒したという話も、一気に信憑性を帯びてきたことだ。
ジルコはそう結論づけると、不承不承、天井裏の板を一枚外し、そこからウィルたちの部屋へと舞い降りたのだった。
2
水中をたゆたうような意識が徐々に浮遊してくる。心地よい微睡みの中でゆっくりとまぶたをこじ開けた。
「……知らない、天井」
お決まりの台詞を吐いたこのおっさんは、カルセドニーである。
カルセドニーは、はっとしたように飛び上がると、いかにも警戒してますといった様子でキョロキョロと視線を動かした。
……そうだった。
だんだんと澄んでくる意識に、記憶が蘇ってくる。
愛娘メリアに会うため王都に向かっていたら、いつの間にかスラム街の裏通りに転がっていた。そうなった経緯はまったく分からないが、何者かに襲われて薬でも嗅がされたのだと思われる。
臭さと痒さを感じたので川で身体を洗おうとしたら溺れ、目を覚ますと熊のおっさんに口付けされていた。そして、その熊のおっさんになぜか誘拐されたのである。
今いるのは、昨日熊男に連れて来られた部屋だった。
どうやら昨晩は何事もなく過ごせたらしい。
いつまでも安全だとは限らないが、ひとまずまだ安心していて大丈夫なようだ。カルセドニーは、ほっと胸を撫で下ろす。
それにしても、今の今まで目を覚まさないとは、我ながら図太い神経をしている。カルセドニーが自分で自分に半分呆れ、半分感心していると、タイミングを見計らったように扉がガチャリと開いた。
そこでカルセドニーは目を疑うことになる。
「非常に申し訳ない!」
――熊が土下座をしている。
「な、な、なんだっ?」
結局カルセドニーは素っ頓狂な声を出して目を白黒させるくらいしかできないのだった。
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