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後日談たち やり残したネタとか消化していきます

146.番外編 乙女は負けません

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 ウィル主催の花火大会も無事終わり、次の日。
 これからしばらくはサンもセフィスも滞在する予定だということで、ウィルはたいへんご機嫌であったのだが。これに反して――――


 これはヤバイの。

 シフォンは尻尾を丸めてせわしなく耳を動かした。
 そりゃウィル様はまだ8歳だ。恋愛より友情というお年頃なのもわかる。
 でも、このままじゃ危ない。
 何が危ないって恋愛ごとに疎すぎて、友情から何か延長してしまいそうだなと思ったのと、後は自分が全く眼中にないのではないかという不安感からだ。
 お付きのメイドになって精一杯尽くすと言ったが、シフォンにとってそれは恩を返すという意味も多少あれど、大部分のところウィルと常に一緒に居たいという思いから来たものなのである。
 そして、そこにはずっと一緒に居ることで将来あわよくば……みたいな下心もあるわけである。
 シフォンが研究の為に読んだ数々の小説でも、貴族がメイドに思わず手を出してお手つきに、なんて話もたくさんあった。ついでに子どもを孕んでしまえば妾になれたりしていた。
 なんて素晴らしいことだろう。
 寒い冬、長い廊下。窓ガラスを拭いているとふいに抱き締められる。暖かい腕にびっくりしながら振り返るとそこにはいつものように不敵で、それでいて甘い笑みを浮かべたウィ……シフォンはその場面を妄想しかけて慌ててやめた。仕事中に鼻血を催すわけにはいかない。
 世間ではまだ少年であるウィルにそういった思いを抱いてしまうシフォンは変態と言われるかもしれない。
 でもいいのだ。それでずっとウィルの近くに居ることができるのなら。
 それくらい大好きだし、一緒に居れば幸せを感じられるのだ。

 でも、しかし。

「ライバルが強すぎる……」

 シフォンは溜息混じりに呟いた。
 ウィルが学園に行っている間に友達をつくってくるだろうことは容易に予想できた。そして大勢の人に惚れられることも予想できた。ついでに言えばファンクラブくらい普通にできるだろうなと思っていた。
 実際シフォンのその予想は全て当たったのだが。
 だから、夏休み帰省するのに友人を連れてくるのも、その友人が女であれば自分のライバルになるだろうことも、シフォンは覚悟していたのである。
 しかしだ。
 シフォンの覚悟が見当違いであったことが判明した。最大の敵はすでに身内に潜んでいたのだ!
 勿論、ウィルの友人であるセフィスにあれだけ露骨にアピールされているのにその恋心に気がつかない鈍感さに、小さい頃からずっと一緒に居る故にシフォンの想いに気がつかないと思っていたシフォンは愕然としたりしたのだが、それはそれ。
 最大の敵とは、そう!
 ジョーンである!  ウィルの家庭教師で、やたらウィルと仲のいいジョーンである!
 本人らにその気がないのはシフォンも重々承知している。
 しかし、彼らの友情が深すぎて入り込める隙が見当たらないなんて事態になりかねないのである。ウィルの注意をジョーンだけがひいて、シフォンは埒外なんてことになりかねないのである。それは何としてでも避けねばなるまい。
 シフォンはふんぬと息を吐いて立ち上がった。床を拭いていた雑巾を握りしめる。
 これで、午後からはフリーだ。
 ウィルがちょうどサンとセフィスと遊んでいる今しか、時間はない。

「突撃です!」







 屋敷はウィルたちが来ていることもあって、非常に騒がしくなっていた。
 まあ大体昨日ウィルが企画した『花火大会』とかいう祭りの名残に皆浮き足立っているからなのだが。
 シフォンも昨日の夜は夢のような時間であった。
 花火を見る前にウィルと目があって優しく微笑まれたときには心臓がとまるかと思った。その前のあの事件がなければシフォンとていまとても幸せな気分に浸っていただろう。
 口惜しさにシフォンはハンカチをかみたくなった。

 騒がしいのは作業を行う場ーー例えば厨房だったり、リネン室だったりと――そういった場所での話であって、現在シフォンが、影の時代に身につけた気配を消す技術を存分に発揮して歩いているこの廊下はその例の中には入らなかった。
 何故ならここはメイドに庭師に調理師と、屋敷に務める者たちの住み込みの部屋が並ぶところであるからだ。北側にあるそこは、夏の真昼間だというのに少し薄暗い。ちなみに屋敷の玄関は南を向いているので、裏側といっていいところに位置している。
 この使用人たちの部屋の位置に関しては、実はこの屋敷をつくる際に、当時の当主であった初代様に使用人たちが激しく要望したからだという。当初は宿舎が別に作られる予定であったらしい。何でも日当たりもよく街からも屋敷からも近いすぐそこの丘に建てる予定があったのだが、もったいない上に、もっと近くでないと意味がない!  と誰しもが口を揃えて言ったのだ。
 キアンにもウィルにも当てはまることだが、代々この家の当主は自分のことは自分でやってしまうきらいがあるらしく、使用人たちの出番がなくなってしまう。屋敷を別にした暁にはのほほんとした顔のまますべて当主様がやってしまう、と当時の使用人たちは恐れおののいたという。
 実際に、歴代のベリル家当主は何故だか、それくらい簡単にやれてしまうハイスペックだった。何より使用人として情けないではないか。
 主人をしたって、是非その手となり足となりたいというのに。
 しかし使用人たちはあくまで裏方なのである。
 そして影から素晴らしいベリルを支えられることに自負も誇りも持っている。
 そんなわけで屋敷の北側に使用人ルームがつくられたのだ。と、マリーさんが歴代のメイド長の熱い思いがつまった分厚い『使用人心得』というノートをシフォンに渡しながら言ったのを思い出した。
 シフォンは分厚いノートを思い出してげんなりした。
 そりゃシフォンにだってベリル家に対する忠誠心とかそういうのはあるが、それとこれとは別である。200年ほどの歴史を誇るベリル家の使用人の歴史も当然200年は続いており、使用人心得という名のもとに代々引き継がれてきたそれは事実、使用人たちの溢れ漏れる主人愛が語られたノートなのである。
 いくら自分が好きなものでも、他の人から延々とどうして好きか、とかなぜこんなにも素晴らしいか、とか話しかけられ続けられたらうんざりする。

 シフォンは気を取り直して尻尾と耳をピンとはった。
 ほとんど寝室と言っていいその場所で騒ぐ常識知らずなどいないし、そもそもこのお昼の時間帯は大体の者は働いている。
 今日運良く休みであるものも、祭りに参加するために街に繰り出しているだろう。

 廊下は遠くに聞こえる喧騒の他は静かなものであった。
 しかし、犬の獣人であるシフォンが本気で聞き耳を立てればーー

「ペンで書く音、カリカリ聞こえました」

 シフォンはポツリと呟くと笑った。
 目標はやはり使用人部屋にいるようである。
 まあ、ジョーンのことなのだが。
 彼は基本的に呼ばれるまでは使用人部屋にいる。
 最近は王都の研究室にこもっているようだが、昔からジョーンは一人部屋にこもって何か作業していることが多いのだ。
 新入りの女の子には人気があるのに、慣れてきた女の子には遠巻きにされる理由である。
 見た目はカッコいいけど、恋人にはちょっとねぇ……。
 シフォンの同僚の子もそう言っていた。
 そういうことなのだ。意外と女の子って夢を見ない。世知辛い。

 まあウィル一筋のシフォンには何ら関係のないことである。
 シフォンは息を吸うと、堂々とした立ち姿でドアをノックした。






「文句があるのですよ!」

 部屋に入れてもらったシフォンが開口一番に言い放った。
 あまりの剣幕に何があったのだとジョーンも咄嗟に一歩引いて身構える。それほどに覚悟を決めたシフォンの様子は鬼気迫るものであった。
 扉をあけた姿勢のまま固まるジョーンを他所に、シフォンはその勢いのままずんずんとジョーンの部屋に侵入を果たす。遠慮も恥じらいもない。
 年頃の少女としてはいけない対応をしているが、いまのシフォンにとって女子力なるものは二の次のものであった。
 驚くジョーンにシフォンはズビシと人差し指を向けた。シフォンは尻尾の毛を逆立て、わなわなと震えながら吼える。

「まずですね、たまにウィル様と一緒に寝ていることがありましたよね! なんでですか! ハレンチです!」

 シフォンのいきなりの言われもない非難にジョーンは目をぱちくりさせた。

「いや、……」

 そこまで言ってジョーンは呆れた目をする。大体ウィルは一桁の年齢の子供だし、そもそも性別が男である。唐突にやってきて何を言っているのだろうとジョーンは思わず若干奇人を見る目でシフォンを見てしまいそうになり慌ててそらす。これにシフォンは勘違いを起こした。
 ジョーンに何かことがあるから、目をそらしたのだと解釈したのである。
 シフォンは余計に燃えた。

「やっぱりそうなんですか! このしょたこん!」

 声を裏返らせて詰め寄るシフォンは今にも噛み付きそうだ。ジョーンは完全にひいている。
 しかも『しょたこん』だとかいう学者のジョーンでも聞いたことのない単語で罵ってくるのだ。
 お医者さんを呼びましょうかという言葉を飲み込んでジョーンはそれらしく尋ねる。

「しょたこんってなんですか……」

 搾り出した質問に返ってきたのは信じられない応答であった。

「知りません! ウィル様が少年と手を繋いでニヤニヤしてるおっさんを見て言ってました! ジョーン様はそれです!」
「おっさん……!?」

 さすがのジョーンも少なくないショックを受けているようだ。
 つい昨日、教え子であるウィルに恋人の心配を本気でされたばかりなのである。
 そんなにやばいのか、ジョーンは自身の見た目年齢が一気に不安になってきた。

「と、とにかくあれはウィル君と実験をしていただけであって……」
「何の実験してたんですか!ハレンチ!」
「いや、あの……」

 震える声で抗議しようとしたところ、ジョーンは遠い目をすることになった。

 シフォンが、話をきいて、くれない。

「それにそれですよ! ウィル“君”ってなんですかっ! 仕えるべき人物に対して“君”は失礼だと思いますっ! きちんと敬意を払ってしかるべきなのです! ずるいです!」
「それっぽいこと言ってますけど羨ましいだけですよねそれ……」
「それにそれに……ウィル様について王都まで行くなんてっ! ストーカーですか気持ち悪いです! ずるいです!」
「気持ちわ……」
 
 余りの暴言にジョーンは閉口した。何とか気を持ち直す。
 そう、感情的になっている相手に同じく感情で対抗してはならない。こういうときこそ求められるのは理論的な態度なのである。ジョーンはそう思っていた。

「……あのですね、私は旦那様からウィル君が学園に行っている間は宮廷に戻って研究を進めてくれと指示されて行っていただけなんですよ」

 ちなみにその旦那様キアンは、一向に研究が進まないのだと国王陛下キサムに泣きつかれたためにその指示を出していた。
 実際、ジョーンは少ない知識でウィルの突拍子もない異世界知識についていける頭脳を持っており、宮廷学者のなかでも飛び切りの天才であったのだ。ジョーンが辞職して出来た穴はとても大きかった。

 これ以上ない理にかなった論であったとジョーンは自画自賛した。しかし、ここでひとつの誤算が起きる。

「ううぅ……うぇ」

 感情が昂りすぎたのか、シフォンがべそをかきはじめたのだ。
 どれもシフォンも理解していることである。
 しかし感情がついてくるかと言われればそうではなかった。
 悩める乙女の情緒は理屈なんてそんなもんでは静まってくれないのである。
 ぶっちゃけいってしまえば、ウィルとジョーンの関係が、そこはかとなく羨ましかった。
 そして、それなりに怪しかった。
 いきなり泣き出したシフォンに、ジョーンは珍しくポーカーフェイスを崩して本気で焦っている。こんなところウィルにでも見られたらどんなことを言われるかわかったものではない。

「だって、だって……怪しいんですもぉおんっ」

 シフォンはしゃくりを上げながら声を上げた。
 実はそれは屋敷の総意でもあった。
 すでに腐った心をお持ちの腐女子の皆様には格好の餌となっていたが、純粋な心を保ったままの婦女子も顔を真っ赤にしてしまうこともあるくらい、2人のなかは熱々なのである。
 冗談を言い合うくらい分かりあっていて、ジョーンもウィルもお互いの間だけには皆に向けるものとは違う笑顔を見せていて、たまにうっかり部屋を覗いてしまうと、手を握り熱い眼差しで見つめ合っていた、なんて目撃談もある。
 ウィルが朝までジョーンの部屋から出てこないことも割と常連であったし、シーツ交換にと偶然部屋に入ってしまった者がジョーンとウィルが一緒にベッドに入っていたというし……。
 実際は、ウィルとジョーンの間にあるのは、彼女いない歴=年齢という妙な連帯感と、滅多にいない自分の話についていける頭脳を持つ者同士としての安心感がスパイスとして加えられた、精神面で同世代の同性の悪友といったところなのだが。
 手を握り合っていた目撃談は、ウィルの精密な魔力操作と感知の技術をジョーンに伝えるためであったし、研究者肌の2人にとって実験にハマって徹夜など当たり前のことであったし、三徹の前に男同士の雑魚寝など大した障害ではなかったというだけである。

 しかしいつの時代、どこの場所でも見目よろしい男2人というのは格好の餌となるらしく。
 まずはじめに腐ったお姉様方の目に留まってしまったのが、すべての始まりであり終わりであった。
 お姉様方の腐った妄想によって色をつけられた話は、誤解を孕んだまま人々の間に広がっていき、それまでは何とも思っていなかった人たちも1度そういう視点を与えられてしまうと疑ってしまう。
 1度そうかもと思ってしまうと、ずっとその疑念がつきまとってしまう、あれである。世間では思考の誘導に使われたりする手口の一つでもあるのだが、腐ったお姉様方は無意識にこの技を使った。
 いや、誰もがそんなものは妄想だ、と本心ではわかっている。わかっていても想像してしまうのが人間である。
 そしてその餌食となるのが、このように純粋無垢な少女であった。
 つまりはシフォンである。
 彼女は幼い頃は孤児院で虐げられていたし、ウィルに救われるまでは影として操られていた。恋愛の経験など当然なく、これが初恋であった。その手のことにはめっぽう弱いのである。 
 そして、周りの同僚のような憧れではなく、本当の意味で恋しているのもわざわいした。
 免疫もなく、しかしウィルへの好意ゆえに彼のことを考えることもやめられず、ついつい頭に浮かぶのはジョーンとウィルが2人手をと――――
 そこまで想像していつも慌てて思考を止める日々を送っていたシフォンだったが、昨日それが爆発した。客人の前、我慢していたのだが、昨日の夜布団のなかでずっと悶々としていたのだ。

 それは昨日の夕方にさしかかろうという時刻の出来事であった。
 薄暗い部屋の中、2人が情熱的に見つめあい、あまつさえ! あまつさえ、ジョーンは幸せそうに微笑むと、不思議そうにするウィルに向けてこう言い放ちやがったのだ。

『大丈夫ですよ。だって、もう私には研究より大切な恋人モノがありますから……それは、貴方ですよ。……ウィル君』

 これではまんまあれではないか。あれである。愛の告白的なあれである。
 シフォンは泣きながらそのときの様子を思い出して真っ赤になった。
 ウィルは否定していたが、ジョーンがどうだかしれたものではない。

「あんなぁ、熱い口説き文句言ってる、ひとがっ! 見苦しいですよ!」
「え、ちょっとなんの話ですか!?」
「ジョーン様、わたし、負けませんからぁぁあっ」

 ジョーンの部屋は混沌に満ちていた。
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