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こつこつ学徒編
◆20.決意と気付き(ウィル視点)
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一瞬気を失ってしまったジルコさんを俺とプースさんは苦笑してみている。
イワンさんは何やらうずくまって嗚咽を漏らしているし……。
なんだこのカオス。
その晩は結局、転移してきた宿で会話らしい会話もできず終いに御開きとなった。
話す順番を間違えたのか。
いや話さないとどうにもならないか。
仕方ないじゃないか。俺に非はないはずだ。
しょうがないので、その晩は唯一生き残ったプースさんと今回の事件についてまとめることにした。
国王にも報告しなきゃだしな。記憶の相互確認をしといて損はないはずだ。
「やはり影はヒッツェ皇国に根拠地を持っていましたね」
俺の言葉にプースさんが頷く。
「オレみたいなのがいると思うと人族至上主義のこの国で納得ですがなぁ」
その通りである。
そもそも送られた影3人が揃って獣人でしかも隷属の首輪がついているって状態だけでヒッツェ皇国を疑ってかかるべきだった。せめて選択肢の中に加えておくぐらいはするべきだったろう。
それにしても――――
「……国がバックについていると思っていましたが違ったのでしょうか?」
「確かになぁ。明らかにヒッツェ皇兵の制服のイワンさんに攻撃してたですもんなぁ」
「……いや、でも影の手口ならやりかねませんね」
自分で切り出しといて思い直す。奴らなら味方だろうと、敵だろうと目的の為なら犠牲は厭わないだろう。今までのやり方からして、そんな感じがする。
うん、黒ずくめの奴らみたいなね。
「――それにしても、召喚獣ですよ。謎すぎます。明らかにスピネルよりデーモンの方が強かったじゃないですか」
そうなのだ。
感じられる魔力の量だって、デーモンは寒気がする程強大だったのに対してスピネルは一般人より少し多いかな、程度だったし。その上、スピネルはデーモンより戦闘力という面でも弱かった。
あの戦闘狂らしきデーモンのことだから、魔力じゃなくて戦闘力で従っているのかと考えたが……。
たとえ魔力を身の中に隠しているのだとしても、スピネルの様子は異常だった。
なにか、こう――
「疲れてた、みたいな……」
思わず漏らした一言にプースさんが訝しげに返してくる。
「へ? 何がですだぁ?」
「あ、いや。スピネルが随分と疲れたような動き方だったなぁ、と」
「そうだったんですかぁ?」
「え、そうじゃありませんでした?見てましたよね?」
プースさん、みた感じ気は失ってなかったような気がしたんだけど、気のせいだったか?
そんな感じで顔を見合わせるとプースさんが呆れたような表情に変わった。
「いやいや、とても目で追うのが精一杯の速度でしたからぁ」
そう言われると返す言葉もないです。
無言になってしまった俺にプースさんが話題を変えてきた。
「でもぉ、オレらが首輪をつけられた地下……すごい量の魔道具が並んでましただぁ。何か、あれが関係してるんじゃな……」
「まじか!」
そんなプースさんの言葉を遮って俺は勢いよく立ち上がった。
やばいやばい。
そんな重要な物的証拠を見逃すなんて、俺ってばどれだけ焦ってたんだ、コノヤロー。
慌てて影の屋敷に転移する俺だった。
◆
朝になると流石にショックから立ち直ったのか、何とか復活してくだすったジルコさんとイワンさん。
新たにイワンさんを加えたメンバーで帰路につくこととなった。
俺はプカプカ。
イワンさんはビクビク。
ジルコさんはジロジロ。
プースさんに御者を任せて、呑気な旅路は徐々に湧き上がるある心情を除けば平和なものだった。
◆
王宮に到着すると、門の下には仁王立ちの父さんが待ち構えていた。
「――ウィル」
いつも暑苦しいくらいの笑顔を振り撒いている顔は、怖いくらいの無表情で、俺は溜まらず立ち止まってしまった。
低く呼びかけられ、はっとする。
感情を漏らさない瞳は鋭く俺を貫いている。無言の圧力は、俺を来いと暗に語っているが俺の足は竦んで動きそうになかった。地面に縫い付けられたような足に焦っている俺の代わりに、父さんがゆっくりと近付いてきた。
「私が、何故怒っているか、解るか?」
無感情の声は低く響いて。
屋外だというのに、俺たちのいる空間だけ切り離されたようだった。
「僕が、勝手に、……いった、……から」
口から出た声は自分でも驚くくらいに震えていた。まっすぐ見つめ返されて、逸らしたいはずの視線が外せない。俺は蛇に睨まれた蛙か。
初めて父さんの怒りに晒されて自分でも呆れるくらいに恐怖を感じた。
怖いのだ。
ひとりになったみたいで。似た顔は歪んで見えてきて。湿って温かさすら感じる梅雨らしい陽気ですら、冷たく感じ出してきた。
らしくない。
自分でも分かっている。
「違う。……ウィル」
真っ青になって父さんを見上げていると、唐突に父さんが抱き付いてきた。普段なら恥ずかしがって抵抗する抱擁も、今は抵抗もできない。
それどころか、全身に安堵という温かさが広がって、目頭が熱くなってくる。
……かっこわりぃ。
「とうさん……」
「お前はどうして行こうと思ったんだ?」
呆れるような口調すら嬉しくて、ぽろりと頬に生温い感触が伝う。
「み、んなに……もう……きずついて……ほしくなくて……」
「そうだろう? ――心配したんだぞ。らしくないぞ、どうしたんだ。解るだろうそれくらい。お前は強いさ、私より強い」
耳元で父さんの声が響く。
「……でもな、違うだろ。心配するんだよ」
優しい声。ああ、そうだ。俺だって、分かっている。
父さんが離れていく。
立ち上がって、はあ、と溜め息をついた頃にはもういつも通りの父さんで。
「……まあ、でも、よくやったな。流石は俺の息子だ」
なんて言われたときには、俺は生まれたての小鹿のように震えて、目からは液体がポロポロとひっきりなしに溢れ出していた。
恥ずかしそうに視線を逸らしていた父さんの顔が俺の方へ戻ってくる。
「……って、ウィル!? どうしたんだ!?」
うるさい。
うろたえている父さんには悪いがどうもこうもないんだ、決して。
俺の精神衛生上、誓って泣いてなんかないんだ。
「本当ウィル、え、どっ、どっか痛いのか? 大丈夫か?」
なんでもないわ馬鹿やろう。
俺は頬に伝う冷や汗を強く拭って父さんに突進した。
「……《ありがとう》」
ま、心の声が漏れてしまっても、仕方ないよな。
唖然としている父さんを放置して、俺は門の中へ一目散に駆け出した。
◆
8歳という年は。
8歳という年は、やはり自分でも気付かないうちにトラウマになっていたようで。見えないように心に虎やら馬やら貼り付けて隠していたけれど、俺は怖かったんだ。
8歳という年は俺から何かを奪っていった。大切にしてもらえなくても大切だったんだ。お母さんは。とっくに忘れていたと思っていたのに、こんなときに引き摺って、勝手な判断で動いた。
確かにらしくない。
周りも見えていなかった。
家族にも何も言わず、勝手に国王に許可とって国外で諜報まがいなことやって、裏の世界の砦――影の組織を壊滅させただなんてやりすぎだ。俺が親なら、馬鹿やろうと殴り飛ばしている。
やっつけなければ、という思いばかり先走って、暴走していた。第一、ヒッツェにいるというのも憶測、俺を狙っているというのも憶測でしかない。運良く当たっていたから良かったものの、外れていればもっと悲惨なことが起きていたかもしれないのだ。
「はあ……」
思わず溜め息が漏れた。
結局は全てエゴだ。
失いたくないと思うのも、守りたいというのも。大切だと思うのも、愛していると思うのも。
でも俺が思うように、みんなも思っているわけで。
気付かないはずがないのに、邪魔をした虎さんと馬さん。
くそ、恥ずかしい。
25歳にもなって、目から、……よだれを垂れ流すとは!
結局、何が正しいかなんて俺には分からないが、せめてもう少し周りを見るようにしよう。
俺が傷ついて、傷つく人がいるというのなら、いざよってみよう。
また同じようなことがあったら、結局こんな判断してしまうだろうが。一言相談くらいはしてみようか。
何はともあれ、ひとまず解決か。
何だか釈然としない部分も残るが、今はとりあえず、みんなに会いに行こう。
◆
さあ、やって来た、学校。
俺の身体はぶるっぶるに震えていた。所謂武者震いというやつだ。そうに決まってる。
影というおおきな障害もなくなり、やっと心置きなく学生生活を楽しめるのだ。
身体も楽しみにしちゃってるに違いない。
決して、召喚獣の授業をサボったことが関係していたりなーんてしていない。いないったらいないのだ。
うむ。
深くうなづいて自分を納得させると、俺は深妙な面持ちで学園の門をくぐるのだった。
◆
早朝の誰もいない校舎というのは案外ミステリアスで、湿り気のある空気もまだ冷たく、寒くもないのに鳥肌が立ってしまう。
廊下をしばらく進めばたどり着くのは、白風の寮の扉である。行くときは天井裏からだったから、こうやって帰りに扉をくぐるのはへんな感じがする。まあ、そもそも天井裏を通るなというツッコミを自分に入れたいが。
まだみんな寝静まっているのだろう、寮の中も静かなものでお腹の減りだとかか声を大にして主張してくる。寮のロビーに俺の胃の虫の音が鳴り響くわけである。恥ずかしい、だれもいなくてよかった。
うむ。
「……ていうか、腹減った」
思わず心の声が漏れ出た時だった。
「何が『ていうか』なのかな?」
返ってくるはずもない返事が返ってきた驚きでビクッと跳ねてしまう。
こ、こんな早朝にさ、生徒がいるだなんて思わないじゃないか。完全に気を抜いていたぜコンチクショー。
それにしたって、気配が薄かった。
普通に佇んでくれていりゃ、流石に気付くはずなのである。一応は父さんの指導を受けてきたんだからな。心構え一般人でもなんとか技術はあるのだ。
それが気付かせないなんて。
それもこんな早朝に。
心臓をドキドキさせながら、ゆっくりと恐る恐る振り返ると、そこには――――……
「おはよう、ウィル君。ジルコとの旅は楽しかったかな?」
そんなことを言う、カルシウス先輩がいた。
何故。
脳内に浮かぶのはそんな言葉ばっかりであまりにもその台詞は現実感を伴っていなかった。
そこにいたのがカルシウス先輩だと気付いて安心したのも束の間、そんなことを言われたのである。正直俺のビックリバロメーターは振り切っている。
「えーと、ジルコ、って誰ですかね?」
せめて笑顔を貼り付けて、なんとか絞り出した俺の台詞に返ってきたのは、楽しそうなカルシウス先輩の無表情だった。
「嫌だな。ウィル君、水臭いじゃないか。……言ったよね、僕の趣味は観察だって」
ふふふ、と笑ったカルシウス先輩に呆然としている間にとうの本人は俺を残して去って行ってしまった。
何事だ。つーか、何者なんだ、カルシウス先輩。
白風の寮にきた初日の自己紹介タイムに持った得体の知れない感は間違いなかったらしい。カルシウス先輩が去っていった方を見やって、背筋にゾクリと寒気が走るのだった。
影の危機が去ったと思ったら、やはり平穏は訪れてはくれないようである。
◆
「……ウィル!? どこ行ってたの!?」
今更部屋に戻ってサンを起こすのも忍びないので、そのままロビーでぼうっとしていると、早くに起きてきたらしいセフィスが駆け寄ってきた。ていうか、セフィス行ったらいつもすでにロビーにいると思ってたら、こんな朝早くから起きてたのか。
俺は、主にサンのせいでギリギリになっていくから知らんかった。
まぁ、そんなことを考えながら現実逃避をしたところで非常な現実は変わってはくれないわけで。
「……ウィル?」
その、つまり、セフィスの目には炎が燃えさかっていた。怒りの炎である。
「ナ、ナンデスカナ、セフィスサン」
顔色を伺いながらセフィスを見ると、目を合わせた瞬間セフィスは物凄い勢いで顔をそらした。
がびちょーん!!
久々に俺の心にそんな音が響いた。まだ目をそらすくらいなら一歩譲歩して納得しておこう。
怒ってる相手と目が合ったら気まずいかもしれないしな、うん。
でも、俺のチートな耳が本来聞こえなくていいものをばっちりと聞き取りやがってしまったんだ。
「そんな顔でみないでよーー!!」
セフィスが小さく叫んでいたことを。
「……セフィスさん?」
いつまでも顔を背けたままのセフィスというのは居心地が悪いので、この際聞こえなかったことにしておいて、恐る恐るセフィスに話しかける。
「ーーそうよ!!」
振り返ったセフィスは顔を赤らめて声を張り上げる。俺の肩がビクリと跳ねてしまった。
「ふぇい」
その上かんだ。
最悪である。帰ってきてからカッコ悪すぎである。
見ればセフィスは俯いて肩を震わせているじゃないか。絶対笑ってる。
恥ずかしさで頬が熱くなってきやがったぜ、くそぅ……。
「な、何も言わないで何処行ってたのよ。みんな心配してたんだから!」
何となかったことにしてくれたのか、震えながらもセフィスは顔をあげ、口を開く。
え……?
思わずポカンとしてセフィスを見てしまう。
「な、なによ?」
セフィスが一歩身を引いたことではっとするが、じわじわと湧いてくるものがあった。
「ありがとう、セフィス」
感動だ。
きっと今の俺は見られたもんじゃないくらい蕩けた顔をしているに違いない。
てっきりサボリだと思われているんだと思っていたばかりに、この幸せは計り知れない。
きっとこうやって心配してくれているのはアレだな。俺の普段の行いがいいからだ。
なんだなんだ。
さっきまでの武者震いは意味なかったんじゃないか。
感無量でうなずいているところ、俺の夢はボロボロに叩き崩されるのだった。
「お、噂のウィル君ではないかー!わしは聞いたぞ、ヴァリーノがベリルがサボリじゃて切れておったと」
そう、ニッシシシと笑うユリヤ先輩の言葉こうげきによって。
――おぅまぃがー。
イワンさんは何やらうずくまって嗚咽を漏らしているし……。
なんだこのカオス。
その晩は結局、転移してきた宿で会話らしい会話もできず終いに御開きとなった。
話す順番を間違えたのか。
いや話さないとどうにもならないか。
仕方ないじゃないか。俺に非はないはずだ。
しょうがないので、その晩は唯一生き残ったプースさんと今回の事件についてまとめることにした。
国王にも報告しなきゃだしな。記憶の相互確認をしといて損はないはずだ。
「やはり影はヒッツェ皇国に根拠地を持っていましたね」
俺の言葉にプースさんが頷く。
「オレみたいなのがいると思うと人族至上主義のこの国で納得ですがなぁ」
その通りである。
そもそも送られた影3人が揃って獣人でしかも隷属の首輪がついているって状態だけでヒッツェ皇国を疑ってかかるべきだった。せめて選択肢の中に加えておくぐらいはするべきだったろう。
それにしても――――
「……国がバックについていると思っていましたが違ったのでしょうか?」
「確かになぁ。明らかにヒッツェ皇兵の制服のイワンさんに攻撃してたですもんなぁ」
「……いや、でも影の手口ならやりかねませんね」
自分で切り出しといて思い直す。奴らなら味方だろうと、敵だろうと目的の為なら犠牲は厭わないだろう。今までのやり方からして、そんな感じがする。
うん、黒ずくめの奴らみたいなね。
「――それにしても、召喚獣ですよ。謎すぎます。明らかにスピネルよりデーモンの方が強かったじゃないですか」
そうなのだ。
感じられる魔力の量だって、デーモンは寒気がする程強大だったのに対してスピネルは一般人より少し多いかな、程度だったし。その上、スピネルはデーモンより戦闘力という面でも弱かった。
あの戦闘狂らしきデーモンのことだから、魔力じゃなくて戦闘力で従っているのかと考えたが……。
たとえ魔力を身の中に隠しているのだとしても、スピネルの様子は異常だった。
なにか、こう――
「疲れてた、みたいな……」
思わず漏らした一言にプースさんが訝しげに返してくる。
「へ? 何がですだぁ?」
「あ、いや。スピネルが随分と疲れたような動き方だったなぁ、と」
「そうだったんですかぁ?」
「え、そうじゃありませんでした?見てましたよね?」
プースさん、みた感じ気は失ってなかったような気がしたんだけど、気のせいだったか?
そんな感じで顔を見合わせるとプースさんが呆れたような表情に変わった。
「いやいや、とても目で追うのが精一杯の速度でしたからぁ」
そう言われると返す言葉もないです。
無言になってしまった俺にプースさんが話題を変えてきた。
「でもぉ、オレらが首輪をつけられた地下……すごい量の魔道具が並んでましただぁ。何か、あれが関係してるんじゃな……」
「まじか!」
そんなプースさんの言葉を遮って俺は勢いよく立ち上がった。
やばいやばい。
そんな重要な物的証拠を見逃すなんて、俺ってばどれだけ焦ってたんだ、コノヤロー。
慌てて影の屋敷に転移する俺だった。
◆
朝になると流石にショックから立ち直ったのか、何とか復活してくだすったジルコさんとイワンさん。
新たにイワンさんを加えたメンバーで帰路につくこととなった。
俺はプカプカ。
イワンさんはビクビク。
ジルコさんはジロジロ。
プースさんに御者を任せて、呑気な旅路は徐々に湧き上がるある心情を除けば平和なものだった。
◆
王宮に到着すると、門の下には仁王立ちの父さんが待ち構えていた。
「――ウィル」
いつも暑苦しいくらいの笑顔を振り撒いている顔は、怖いくらいの無表情で、俺は溜まらず立ち止まってしまった。
低く呼びかけられ、はっとする。
感情を漏らさない瞳は鋭く俺を貫いている。無言の圧力は、俺を来いと暗に語っているが俺の足は竦んで動きそうになかった。地面に縫い付けられたような足に焦っている俺の代わりに、父さんがゆっくりと近付いてきた。
「私が、何故怒っているか、解るか?」
無感情の声は低く響いて。
屋外だというのに、俺たちのいる空間だけ切り離されたようだった。
「僕が、勝手に、……いった、……から」
口から出た声は自分でも驚くくらいに震えていた。まっすぐ見つめ返されて、逸らしたいはずの視線が外せない。俺は蛇に睨まれた蛙か。
初めて父さんの怒りに晒されて自分でも呆れるくらいに恐怖を感じた。
怖いのだ。
ひとりになったみたいで。似た顔は歪んで見えてきて。湿って温かさすら感じる梅雨らしい陽気ですら、冷たく感じ出してきた。
らしくない。
自分でも分かっている。
「違う。……ウィル」
真っ青になって父さんを見上げていると、唐突に父さんが抱き付いてきた。普段なら恥ずかしがって抵抗する抱擁も、今は抵抗もできない。
それどころか、全身に安堵という温かさが広がって、目頭が熱くなってくる。
……かっこわりぃ。
「とうさん……」
「お前はどうして行こうと思ったんだ?」
呆れるような口調すら嬉しくて、ぽろりと頬に生温い感触が伝う。
「み、んなに……もう……きずついて……ほしくなくて……」
「そうだろう? ――心配したんだぞ。らしくないぞ、どうしたんだ。解るだろうそれくらい。お前は強いさ、私より強い」
耳元で父さんの声が響く。
「……でもな、違うだろ。心配するんだよ」
優しい声。ああ、そうだ。俺だって、分かっている。
父さんが離れていく。
立ち上がって、はあ、と溜め息をついた頃にはもういつも通りの父さんで。
「……まあ、でも、よくやったな。流石は俺の息子だ」
なんて言われたときには、俺は生まれたての小鹿のように震えて、目からは液体がポロポロとひっきりなしに溢れ出していた。
恥ずかしそうに視線を逸らしていた父さんの顔が俺の方へ戻ってくる。
「……って、ウィル!? どうしたんだ!?」
うるさい。
うろたえている父さんには悪いがどうもこうもないんだ、決して。
俺の精神衛生上、誓って泣いてなんかないんだ。
「本当ウィル、え、どっ、どっか痛いのか? 大丈夫か?」
なんでもないわ馬鹿やろう。
俺は頬に伝う冷や汗を強く拭って父さんに突進した。
「……《ありがとう》」
ま、心の声が漏れてしまっても、仕方ないよな。
唖然としている父さんを放置して、俺は門の中へ一目散に駆け出した。
◆
8歳という年は。
8歳という年は、やはり自分でも気付かないうちにトラウマになっていたようで。見えないように心に虎やら馬やら貼り付けて隠していたけれど、俺は怖かったんだ。
8歳という年は俺から何かを奪っていった。大切にしてもらえなくても大切だったんだ。お母さんは。とっくに忘れていたと思っていたのに、こんなときに引き摺って、勝手な判断で動いた。
確かにらしくない。
周りも見えていなかった。
家族にも何も言わず、勝手に国王に許可とって国外で諜報まがいなことやって、裏の世界の砦――影の組織を壊滅させただなんてやりすぎだ。俺が親なら、馬鹿やろうと殴り飛ばしている。
やっつけなければ、という思いばかり先走って、暴走していた。第一、ヒッツェにいるというのも憶測、俺を狙っているというのも憶測でしかない。運良く当たっていたから良かったものの、外れていればもっと悲惨なことが起きていたかもしれないのだ。
「はあ……」
思わず溜め息が漏れた。
結局は全てエゴだ。
失いたくないと思うのも、守りたいというのも。大切だと思うのも、愛していると思うのも。
でも俺が思うように、みんなも思っているわけで。
気付かないはずがないのに、邪魔をした虎さんと馬さん。
くそ、恥ずかしい。
25歳にもなって、目から、……よだれを垂れ流すとは!
結局、何が正しいかなんて俺には分からないが、せめてもう少し周りを見るようにしよう。
俺が傷ついて、傷つく人がいるというのなら、いざよってみよう。
また同じようなことがあったら、結局こんな判断してしまうだろうが。一言相談くらいはしてみようか。
何はともあれ、ひとまず解決か。
何だか釈然としない部分も残るが、今はとりあえず、みんなに会いに行こう。
◆
さあ、やって来た、学校。
俺の身体はぶるっぶるに震えていた。所謂武者震いというやつだ。そうに決まってる。
影というおおきな障害もなくなり、やっと心置きなく学生生活を楽しめるのだ。
身体も楽しみにしちゃってるに違いない。
決して、召喚獣の授業をサボったことが関係していたりなーんてしていない。いないったらいないのだ。
うむ。
深くうなづいて自分を納得させると、俺は深妙な面持ちで学園の門をくぐるのだった。
◆
早朝の誰もいない校舎というのは案外ミステリアスで、湿り気のある空気もまだ冷たく、寒くもないのに鳥肌が立ってしまう。
廊下をしばらく進めばたどり着くのは、白風の寮の扉である。行くときは天井裏からだったから、こうやって帰りに扉をくぐるのはへんな感じがする。まあ、そもそも天井裏を通るなというツッコミを自分に入れたいが。
まだみんな寝静まっているのだろう、寮の中も静かなものでお腹の減りだとかか声を大にして主張してくる。寮のロビーに俺の胃の虫の音が鳴り響くわけである。恥ずかしい、だれもいなくてよかった。
うむ。
「……ていうか、腹減った」
思わず心の声が漏れ出た時だった。
「何が『ていうか』なのかな?」
返ってくるはずもない返事が返ってきた驚きでビクッと跳ねてしまう。
こ、こんな早朝にさ、生徒がいるだなんて思わないじゃないか。完全に気を抜いていたぜコンチクショー。
それにしたって、気配が薄かった。
普通に佇んでくれていりゃ、流石に気付くはずなのである。一応は父さんの指導を受けてきたんだからな。心構え一般人でもなんとか技術はあるのだ。
それが気付かせないなんて。
それもこんな早朝に。
心臓をドキドキさせながら、ゆっくりと恐る恐る振り返ると、そこには――――……
「おはよう、ウィル君。ジルコとの旅は楽しかったかな?」
そんなことを言う、カルシウス先輩がいた。
何故。
脳内に浮かぶのはそんな言葉ばっかりであまりにもその台詞は現実感を伴っていなかった。
そこにいたのがカルシウス先輩だと気付いて安心したのも束の間、そんなことを言われたのである。正直俺のビックリバロメーターは振り切っている。
「えーと、ジルコ、って誰ですかね?」
せめて笑顔を貼り付けて、なんとか絞り出した俺の台詞に返ってきたのは、楽しそうなカルシウス先輩の無表情だった。
「嫌だな。ウィル君、水臭いじゃないか。……言ったよね、僕の趣味は観察だって」
ふふふ、と笑ったカルシウス先輩に呆然としている間にとうの本人は俺を残して去って行ってしまった。
何事だ。つーか、何者なんだ、カルシウス先輩。
白風の寮にきた初日の自己紹介タイムに持った得体の知れない感は間違いなかったらしい。カルシウス先輩が去っていった方を見やって、背筋にゾクリと寒気が走るのだった。
影の危機が去ったと思ったら、やはり平穏は訪れてはくれないようである。
◆
「……ウィル!? どこ行ってたの!?」
今更部屋に戻ってサンを起こすのも忍びないので、そのままロビーでぼうっとしていると、早くに起きてきたらしいセフィスが駆け寄ってきた。ていうか、セフィス行ったらいつもすでにロビーにいると思ってたら、こんな朝早くから起きてたのか。
俺は、主にサンのせいでギリギリになっていくから知らんかった。
まぁ、そんなことを考えながら現実逃避をしたところで非常な現実は変わってはくれないわけで。
「……ウィル?」
その、つまり、セフィスの目には炎が燃えさかっていた。怒りの炎である。
「ナ、ナンデスカナ、セフィスサン」
顔色を伺いながらセフィスを見ると、目を合わせた瞬間セフィスは物凄い勢いで顔をそらした。
がびちょーん!!
久々に俺の心にそんな音が響いた。まだ目をそらすくらいなら一歩譲歩して納得しておこう。
怒ってる相手と目が合ったら気まずいかもしれないしな、うん。
でも、俺のチートな耳が本来聞こえなくていいものをばっちりと聞き取りやがってしまったんだ。
「そんな顔でみないでよーー!!」
セフィスが小さく叫んでいたことを。
「……セフィスさん?」
いつまでも顔を背けたままのセフィスというのは居心地が悪いので、この際聞こえなかったことにしておいて、恐る恐るセフィスに話しかける。
「ーーそうよ!!」
振り返ったセフィスは顔を赤らめて声を張り上げる。俺の肩がビクリと跳ねてしまった。
「ふぇい」
その上かんだ。
最悪である。帰ってきてからカッコ悪すぎである。
見ればセフィスは俯いて肩を震わせているじゃないか。絶対笑ってる。
恥ずかしさで頬が熱くなってきやがったぜ、くそぅ……。
「な、何も言わないで何処行ってたのよ。みんな心配してたんだから!」
何となかったことにしてくれたのか、震えながらもセフィスは顔をあげ、口を開く。
え……?
思わずポカンとしてセフィスを見てしまう。
「な、なによ?」
セフィスが一歩身を引いたことではっとするが、じわじわと湧いてくるものがあった。
「ありがとう、セフィス」
感動だ。
きっと今の俺は見られたもんじゃないくらい蕩けた顔をしているに違いない。
てっきりサボリだと思われているんだと思っていたばかりに、この幸せは計り知れない。
きっとこうやって心配してくれているのはアレだな。俺の普段の行いがいいからだ。
なんだなんだ。
さっきまでの武者震いは意味なかったんじゃないか。
感無量でうなずいているところ、俺の夢はボロボロに叩き崩されるのだった。
「お、噂のウィル君ではないかー!わしは聞いたぞ、ヴァリーノがベリルがサボリじゃて切れておったと」
そう、ニッシシシと笑うユリヤ先輩の言葉こうげきによって。
――おぅまぃがー。
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