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◆ゆったり幼児期

◆6.私が生きるということ(シフォン視点)

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「今日の任務は、書類をことと、その宅の子どもの連れ出しだ」

 薄汚い小屋に集合が言い渡されたのでそこに向かえばすでに先客が来ており、全身と言わず顔まで布で覆った特にこれと言った特徴のない平均的な体型をした男が私が入るなりそう告げてきた。
 その手に持っている紙片から思うに、今回の任務がその紙片に書かれて伝達されたのだろう。私は文字が読めないからその真偽は定かではないのだが。随分と無用心な顧客があったものだ。裏家業の者らに形に残る証拠を残すだなんて。

 私たち『影』はシュヒギム、とやらがあって客の情報を他に流したりしないが、他のチンピラたちのやっているような組織が相手なら脅しに使ってくれと言わんばかりの無用心さである。

 しかし、書類を取り、ね。盗み出すと言ってしまえばいいのに。
 それに、子どもの連れ出しだって? 素直に『誘拐』と言ったらどうなのだろう。

 見ることは叶わない『依頼人』にグラリ、と怒りが沸き立った。どんなに綺麗ごとを並べ立てたところで悪事は悪事だ。それをやることも、理由も、関係なんて、ない。
 怒りを押さえつけて、顔を上げる。私の顔にも布がかかっている。小屋にいたのは私を含め3人。先程紙片を読み上げた平均的な体型をした男と、筋肉質で長身の男がいた。体型からここ最近、よく任務を遂行する際に一緒に行動させられているモノたちだと分かった。

「準備は?」

 背の高い男が尋ねてきた。私は頷いて完了していることを示す。
 夜も近付く夕闇の中、平均的な体型をした男を先頭にして私たちは走り出した。






 私は『影』と呼ばれる裏社会の仕事を一気に請け負う組織に所属させられている。
 影の仕事は多岐に渡り、情報のやりとりや盗み、誘拐、はたまた暗殺など幅広く請け負っている。主に私がさせられているのは特に危険度の高い『暗殺』の案件だ。
 なぜこんな羽目になっているのだろう。
 それもこれも、すべてこの気味の悪い、耳と尻尾のせいだ。
 私は『獣人』という人間ではない、劣った種族なのだ。頭の側面につるりとした耳がない代わりに、頭の上に犬のような耳がのり、尻からはきたならしい毛の生い茂った尾が生えている。孤児院でも化け物だ、といじめられた。こんな風に汚らしい獣が育っては大変だと思ったのか、餌もあまりもらえなかった。孤児院最後の日はたくさん食べられたのだが、どうやらその中に睡眠薬が入っていたらしい。気がつけば、首に重い何かがついていて、私は奴隷になっていた。そして、『影』としての訓練を受けることになったのだ。
 傷に耐える訓練、痛みに慣れる訓練、音を出さぬようにする訓練。
 戦闘訓練を続け――最後には人を殺す訓練をした。
 なんて恐ろしいことだろう。殺しなんてしたくない。私は必死に反抗しようとした。でも、無理なのだ。もう諦めてしまった。
 この首輪が――首の黒い金属は、私の身体を私の意志に反して動かす。
 ナイフを振り回す右手を押さえつけようと差し出した左手が、救おうとしたその人を押さえつけるのだ。きっと私の頭が吹っ飛んだところで、身体はたくさんの人を殺そうと動くのだろう。
 もし開放されるそのときがあっても、それは私が死ぬときだ。こんなに汚れた手は、こんなに罪深い私は、もう死んで詫びるくらいしかできない。

 見上げれば、目的地だろう大きな屋敷が丘の上に見えた。

「目標は?」
「執務室。屋敷の年代的に二階手前だろう」

 屋敷を見て尋ねた長身の男に平凡な男が答えた。その後は会話もなく、迷いも無く、屋敷の西側の塀の下にたどり着いた。
 2人の視線がちらりと私に向けられる。かなりの高さがあるが、これくらいなら大丈夫だろう。私は頷くといつものように長身のもとへ近付いた。長身の男は私を抱え上げると、筋肉を収縮させ、一気に振りぬいた。私の身体が空高くに投げられる。
 瞬間的に全身の関節を曲げ、着地の衝撃を全身へ逃がす。降り立ったのは塀の上だ。身体に巻きつけた布の中から縄を取り出すと地面へ下ろす。それを2人が受け取ったのを目視で確認してから、魔力を身体に流し筋力を強化。一気に持ち上げる。

「《影》」

 塀まで引き上げると、長身が魔法を発動させた。私たちの身体が闇に紛れて見えなくなる。
 ちらりと通ってきた街を見下ろす。もう夕闇に暮れ始めたその街には、キラキラと街頭が輝き始めており、どうにもまぶしく見えた。







 平均的な体型の男が予想したように、目標の執務室は二階の正面にあった。道中で説明されたが、どうにも今回のオキャクサマは対象の屋敷から住人たちを外におびき出すことすらしてくれているらしい。なんとも親切なことだ。
 それだけ失敗されては困るということなのだろう。
 反吐が出る。
 どうやらその約束は守られたようで、執務室の中に灯りも人影も見られない。暗闇を見通せるのは『影』なら当然の技術だ。

 窓や装飾をつたって屋敷の二階の執務室の窓までたどりつくと、平凡な男が針を取り出し、窓の鍵を開けた。まさか屋敷の正面の窓から侵入してくる者がいるとは考えていなかったのだろう。歴史もありそうな大きな屋敷であったが、窓の防衛は思ったより強くは無かった。
 窓を開け、音も立てないよう部屋のなかに降り立つ。目的の書類は……部屋の中は書類が山を築いており、とてもこの中から探し出すのはたいへんそうだ。思わず平凡な男に視線を向けると壁際をゆびした。そして迷いなくそちらへ向かう。
 私には文字が読めないからわからないが、何か書類の並びには法則性があったのだろう。そして、目的の書類を手に入れた、その瞬間だった。

「なにをしていらっしゃるのですか?」
「っ――――!」

 暗闇の向こうから、幼く舌足らずな――しかし落ち着いた声が聞こえてきて反射的に腕が動いた。このっ! 首輪……!
 慌ててそちらの方向に目を向ければ、そこに見えた影は100cmにも満たなそうな小さな幼児で――
 自分の指から、ひしがたの暗器が放たれていくのを呆然と見守る。ああ、また殺してしまう――――しかしあれ、と気がついたときにはその幼児は何故かに居て。それを認識したと同時に私の意識は暗転するのだった。








「……なぜ」

 意識を取り戻した瞬間に口をついてでたのはその言葉だった。
 わけがわからない。

 別に、記憶がないわけではない。しかし……
 影の身としては有り得ない行動だった。声を敵地で出すなんて。――それも、動けない状態で。
 はっとして身をよじろうとすれば体中を襲う激痛に眉間に皺がよった。今度は声を出さなかった。いや、首輪の効果によって出せないというのが正確だ。
 床に転がった状態で周りを見回す。私達以外に人影は見られないようだ。
 見れば、残り二人はまだ意識を失っているようだ。

 それにしても、とまた疑問が湧いてくる。
 意識を失っているとは言え、影の一員である自分たちを監視もなしに放っておくとはあまりに不用心ではないか。
 私達はプロである。
 どんな風に縛られていようと抜け出す術はいくらでもある。

 そこで、身体を動かそうとして、はっとする。
 ――――動かない。

 縛っているものは見当たらないのに、指先一本ですら動かないのだ。まるで、身体が鉛になってしまったようだ、と冷静に分析する影の自分がいると共に、得体の知れない恐怖に脂汗をかくもいる。
 この汗は、身体中にいまもある激痛のせいだ、と無理に自分を納得させて、これからどうしようかと考え始める。絶対忠実の首輪があるはずなのに、いま私は身体が動かない。

 何が起きているのか分からなかった。
 この部屋に侵入してからは念の為に気配も消していたのだが、長身の男が使った《影》という魔法の効果で私達の姿は完全に闇に紛れていたはずだ。他人に見えることはない。
それなのに、何故かこちらに話しかけてくる子どもの声が聞こえてきて私の腕は反射的に――……え? 子ども?
 私たちに話しかけてきて、更に私を気絶させたのは、子どもだというのか?
 悪い夢を見ているようだ。幻覚を見ていたのではないだろうか。しかし、今この身に走る痛みは本物だ。
 では、なぜ? たくさんの疑問が頭のなかを埋め尽くす。
 しかしそうやって思案はしていたが、焦ってはいなかった。首輪の働けという命令に反しているこの状況は、なんだか嬉しくもあったのだ。

 そんなときだった。

 絨毯に4つの足が降り立った音がし、部屋のランプがつけられた。

 現れたのは黒髪の男。そして、天使と見間違うほどに美しい子どもだった。

「これは……もしや……。この三人は拘束しているのですか」

 突然現れた黒髪の男は私たちの姿を確認するやいなや、どうやら私たちの正体に勘付いたようで一緒に表れた子どもに即座にそう尋ねた。すぐにこの何も拘束をしていないように見える状況の危険性に気がついたらしい。

「まぁ、それはあとでおおしえします」

 しかし続く天使のような子どもの返答である重大な事実が判明してしまった。
 そう、私たちをこの状況にしたその張本人が、この子どもであるということだ。
 そして恐らくそれをこのローブを着て学者然とした頭の良さそうな男も全面から信頼しているらしいということも。
 私は思わず顔を強張らせた。
 そんなはずはない。だって、くりくりとした目にふさふさのまつげが生えていて、ほどよく肉のついた柔らかそうなほっぺの下にはピンク色の水水しく小さな唇が添えられている、その全てのパーツは全てが整っていて、しかもその配置もいっそ神がかりのように芸術的に、美しく並べられているのだ。それに輝く銀色のサラサラの髪に、緑色の宝石のように煌く瞳。昔、街の本屋さんで盗み見た、絵本に出てきた天使にそっくりだった。
 そんな子どもが、私を……?

「どうします?」
「どうしたものでしょう」

 受け入れがたい事実に私が瞬いている間にも、2人はのんきそうに話し合いをしている。
 少しはおそれたらどうなんだ。これでも一応は泣く子も黙る、影のモノなのだ、私たちは。
と、痛みに悶えながらも何とか2人を観察していたのが間違いだった。何の警戒心も感じさせないような歩調で近付いてきた子どもに顔を覆い隠していた布をとられてしまって――――……目が合った。

「あ」

 子どもが驚いたような声を上げた。声を上げたいのはこちらだ。
 驚愕の声もあげたいし、何より布を取り外される微妙に動かされた身体が激痛を訴える。この調子では肋骨が何本か逝っているかもしれない。しかし声はあげられない。
 首についている魔道具のせいだ。縛られている感じもしないのに動かない身体に、もしや首輪が壊れているのではないかと期待したのだが、それは砕かれた。

 その間に黒髪の男がようやく気がついたのか、私たちの身体をまさぐり始めた。そうだろう、こういう職業のモノは隠し武器、暗器は常に携帯しているから。
 しかし、私のアバラあたりに触れたところで黒髪の男は驚いた雰囲気になった。

「この人、骨が砕けてますけどウィル君、いったいどんな戦い方をしたんですか」
「……え?」

 やはり砕けていたか。この激痛から考えるにそれくらいはなっていると思っていたが。男はそのまま鋭い目付きになって私を見下ろした。

「なんの目的で入ってきたのです」
「……」

 痛い。

「ヴェリトルの者ですか」

 視界が白くなってくる。

「……」

 怪我を本人が認識してしまうと痛みが増すというのは本当らしい。私はほとんど睨みつけるような表情で痛みに堪えることとなってしまった。
 男はいくつか質問を繰り返してくるが、無駄なことだ。できれば答えたいのだが、私の首には魔道具がついている。これがある限り、『シュヒギム』を守らなくてはいけないので敵に一切の情報を漏らすことは許されていない。
 それに依頼主オキャクサマのことは知らない。私が知っているのは、黒くて長いローブを深く被った男――――私たちの飼い主のことくらいなのだ。

「ウィル君。この人を別室にお連れしましょう。重い……?」

 何の音も発さない私に諦めたのだろうか、黒髪の男はそういうと私を持ち上げようと腰の下に腕を入れようとしたが、なぜか私の身体はぴくりとも動かない。
 そんなに重いはずはないのだが。
 いくら細身そうな学者のような男と言えど、私は華奢な部類に入るはずで、それを動かせないなんてことはありえない。
 そんな風に何かを考えていられたのもそれまでだった。突如私の身体を圧迫していたの感覚がなくなると同時に、視界に映る景色が変わったのだ。
 一気に圧力がなくなり、全身の骨があらぬ方向に動き出す。それは更なる激痛も伴っていた。熱いのか冷たいのかわからない。目のなかが白や黒がちかちかする。
 何故だか寒いような気がして歯がガチガチと震えるのに、一方では暑いような気がしていて背中からは汗が吹き出る。この感触は知っている。本当に、訓練のときに何度も味わった、ショック死しそうなくらいの痛み、だ。
 意識が朦朧としてくる。
 話が入ってこない。

「私の予想では、この人は『影』の者です」
「……かげ?」
「そうです。影とは裏社会の万能薬で、依頼とあらば暗殺だろうと何だろうと請け負う、その姿を見た者はいないとされる暗躍する組織のことです」

 話を聞かねばと思うのだが、視点も合わないし、聴覚もぐらぐらと揺れて音を聞き分けられない。首元に何かさわられた気がしたが、もう何がなんだか、わからない。

「……これは! ……ウィル君。思ったより、事態は芳しくないようです。この首についているのは、恐らく『隷属の首輪』です」

 男が何かを言っている。視界が白と黒と、トンボの羽の模様のようなもので埋め尽くされる。なにか小さい影が近付いてきて、何か音がなる。ぐわんと、それを言語として認識できない。

「おねえさん、かげ?」

 何か問うたのだろうか。必死に焦点を合わそうと前を見るのだが、何もモノとして認識できなかった。

「奴隷が禁止され早数十年。隷属の首輪などもうとっくの昔に製法すら絶えた禁忌の魔道具だと思っていましたから」

 低い音が響く。小さな影が近付く。銀色に輝く。

「《解放》」

 意味の分からない音が並び、その瞬間には温かい魔力に包まれたことだけがわかった。そして首もとで音がしたのも何故かわかった。理解が追いつかない。

「――――なぜ」

 ふと口にしていた。
 どこかで言った気がする台詞。けれど、かすれた声は、私の心を表しているようだった。
 くぐもっていた世界が、急に澄み渡る。
 処理しきれない情報量と壮絶な痛みに、ついに視界が白んだ。







「……ん」

 自分の小さな呻き声で目が覚めた。起き抜けの焦点の定まらない視界に木の色が飛び込んでくる。そしてやっと視界が戻るとき。

「おきた……!」

 視界のど真ん中に突然天使の顔が現れた。
 なぜ、天使が……? ついに天のお迎えが来たのだろうか?
 ぽやぽやとそんなことを考えたのも一瞬であった。すぐに気を失う寸前のことを思い出してハッとする。そう、この天使のような幼児に私は戦闘において完封され、気絶させられ捕まったのだった。捕まった影の運命は口に出すのも恐ろしいことになるのだという。
 飼い主である黒ローブの男が言っていた。
 一瞬であのときの恐怖に心が支配された。

「おねえさん、だいじょうぶ?」
「――――っ!」

 恐怖に震えそうになっていたところで声をかけられてびくりとはねてしまう。
 優しく微笑んだ天使は続けて口を開いた。

「おねえさんは、くびわでかげになってたの?」

 そんなことを聞かれても、首輪があるから答えられない。
 私がそう思ったことが伝わったのだろうか。子どもはにっこりと笑った。

「くびわならぼくがとったよ」

 その言葉が信じられなくて、おそるおそる自分の首に手を伸ばした。……指に、何も当たらない……?
 どういうことだ?
 理解の速度が追いつかない。目の前の子どもを見つめるように呆然としてしまった。
 子どもは私と目を合わせるとまたふわりと微笑む。

「おねえさんは、もうじゆうだよ」
「――――嘘……」
「うそじゃない」
「嘘よ!」

 ありえない言葉に思わず叫んでいた。
 だって、そうだ。私は汚いし、野蛮だし、劣っている、人間になりきれない獣。
 みんなも言っていたし、ああ、そうだ、自分でもそう思う。
 首輪に支配されていたって、殺人に慣れたのは私の心だ。
 何もかもが劣っているからこんなことになるんだ。『影』の仕事ひとつ一人じゃ満足にこなせないんだ。自由というものは自分を管理できることをいうんだ。でもそんなことは私はできない。だって人間じゃないけものだから。みんなは、私のしっぽをふんずけていうんだ。きたないって。でてけって。ばけものって。
 やくたたずって。ばかだって。
 けものはにんげんじゃないから、にんげんのすることはできないんだって。

「うそじゃない。おねえさんはじゆうな…」
「自由になんかなれない! わたしは自由になんかなれないの! だって……――だって、わたし、獣人だもん!」

 この子は私を人間だと、思っているんだ。だから何の疑問も持たずにそんな純粋な目で私を見つめられるんだ。普通の岩だと思っていたら座れても、その裏にムカデやダンゴムシがたくさん張り付いているとわかっていたら腰を下ろす気にはなれないだろう。
 普通の岩のように見られるのはひどく居心地が悪かった。
 わたしにはそんな価値はないから。

 勢いに任せて頭に巻いていた布を取り払った。潰していた毛の生えた汚らしい獣の耳がピンと立ち上がる。子どもの顔が、驚きに染まるのだけは見られた。
 思わず私はうつむいてしまって、その先の表情の続きを知らない。
 彼はどんな顔をしただろうか。嫌悪の目付きだろうか。蔑視だろうか。――――それとも同情をしてくれるんだろうか。

「なんで、じゅうじんだとじゆうになれないの?」
「だって……気持ち悪いでしょ? どうせまた……」

 心臓が暴れまわる。それなのに、彼の声には何の感情も灯っていなくて。
 冷静に尋ねられた、質問に震える。
 声を震わせながら返答すると、彼は一瞬押し黙った。彼はいま何を思っているのだろう。でも、顔は上げられない。もう、嫌なことは聞きたくない。耳が自然とぺたりと自身をふさいだ。
 一瞬の沈黙だったが、わたしには長い間に思えた。そのとき私は彼が私の寝かされているベッドに近付いてくる音が聞こえた。だまされた、と殴るのだろうか。
 伸びてきた手にビクリと震えてしまった。

「どこが? かわいいじゃない」
「嘘よ!」

 予想外の反応に思わず顔を上げて全力で叫んでしまった。だって、彼は耳を撫でて、しかも、か、可愛いとか、わけのわからないことを言ってきたのだ。
 しかし顔を上げたことによって、彼の表情を見てしまってたじろぐ。
 優しそうに微笑んでいるのにその顔はいたく真剣であった。

「おねえさん。みみなんて、ただのいちぶじゃない? たとえば。ぼくがあるひかみをきってもぼくはぼくだ。ぼくが、どんなにきかざったって、ぼくだ」

 彼はそこで言葉を区切った。それはこの耳も、尻尾も、ただの飾りで、意味のないものだと言っていた。そしてその耳も尻尾もどうでもいいただの物体で私の一部ではない、といっている。過去に同情してくれたような街の人から見ればなんてひどい発言に映るものだろう。
 だって、それは完全に私の耳も、尻尾も否定している。
 でも、それは私の胸に響いた。彼の声色が優しくもまっすぐであったからだろうか。
 いや、違う。それは同情じゃない。私のに立った発言だった。彼はそんな物体捨てたってあっ たって、どうでもいいと言ってくれたのだ。ボロ雑巾をまとっていたって人間は人間なんだって言ってくれたんだ。

「そんなもんなんじゃない? だいじなのは、なかみだよ」

 その証拠のようにそういった彼はにっこりと笑っていて。でも、何故か泣きそうな顔で。
 そうか、私は、ってわかったんだ。
 殺すのに慣れたって。もう諦めたんだって。獣人だからって。
 不幸にすべて投げ出して――そんなふりをしていただけなんだ。
 本当は、人間として、認めてもらいたかった。ここにいて良い人間なんだって言ってもらいたかっただけなのかもしれない。
 じわりと目の奥が熱くなった。

「ぼくは、おねえさんのみみ、かわいいとおもうけど」

 本当にそう思っているような真剣な顔で言われて、私は泣き出してしまった。

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