表紙へ
上 下
97 / 137
◆ゆったり幼児期

◆5.似た者同士(ジョーン視点)

しおりを挟む

「ジョーン、塩梅あんばいはいかがであるか?」

 久々に嫌々ながらもらった休暇に、仕方なしに王都に帰り、学者時代にはよく通っていた店で昼ごはんを食べているときだった。店の中に入ってきた細身の男が一直線に私の方へ向かってきた。その様子は視界の隅に入っていたのだが、どうも食べるのに夢中になっていたらしく、気がついたときには男は私の座っている席のテーブルに相席していた。

「どうもこうも。素晴らしいの一言ですよ、ジルコ」

 話しかけてきた男――ジルコに私は一瞬顔を向けて答えた。今は食事に集中したい。やはりここの料理はうまい。人に対してこれは失礼な態度だが、まあこの男との付き合いも低学園以来だ。気心も知れている。これくらいは許してくれる奴だ。
 ジルコには、ベリル家に教育役として紹介してもらう際にも世話になった。こんなところで私のような一学者と仲良くしているが、実は彼、陛下直属の黒騎士団の情報部隊長をしているのである。その仕事柄、情報の精査や専門知識の提供などの面で私も何度か助力させていただいた。友人としても同僚としても一番関わっている者だろう。
 感謝せねばならないが、少々捻くれた育ち方をした為か、この歳になってもなかなか素直に感謝の意は示しづらいものがある。いざそれを口にしようとすると、躊躇ためらってしまうのだ。悪いくせだとは自身でも理解しているが、治らない。

「しかしジョーンが教育役に甘んじるとは……誠勿体の無きことである」

 そんなことを考えながら甘味『ぜりぃ』をつついていると、ジルコが腕を組んだ。
 この男は世辞を言う性質たちではない。学者としてはそういう言葉をもらえることは光栄なことではあるが……。
 私は思わずくすりと笑った。ジルコが驚いたような雰囲気で私を見てくる。

「笑顔で固定の鉄仮面ポーカーフェイスが珍しきことであるな。いかがした?」
「いえ、私はどうやら研究より面白そうなモノを見つけてしまったようでしてね。今、とても幸せなのですよ」

 そう言って、いつものようににっこりと微笑めばジルコは目を白黒させた。

 そして私は自分のいまの発言で、あの日のことを思い出した。そう、ウィルとはじめて会ったあの日のことだ。
 私はベリル家で行われたウィリアムス=ベリル――ウィル君のお披露目会に縁あって出席させていただいていた。その番の衝撃は忘れられない。この天才に、3歳にしてあれだけの挨拶をしてのける、それでいて天使のように整った容姿を持った、天から愛されたような天才に教育という面で関わっていけたら、と思ったのだ。それは素晴らしい性質を持った植物を見つけて、土に植え、代を重ね品種を改良していけるときのような喜びの感情であったのだろう。今なら分かる。
 しかし、あの日。ウィル君と対面して私は理解した。
 この小さな、しかしとても大きい人に出会えたことこそ幸福だったのだ、と。

 ベリル家に到着した私はまずはじめに応接室に通された。そこで面会したのが、キアン=ベリル、ウィル君の父親とウィル君であった。そこでの私の対応が合格点とみなされたのか、私は無事ベリル家の教育役となれることが正式に決定した。
 一応は宮廷の学者内でも突き抜けた研究結果と学力を持っていると自負している。それも利用して売り込まなければと意気込んでいただけに少し拍子抜けした部分もあった。
 そして通されたのがウィル君の部屋だ。
 最初の応接室という関門を潜り抜けられたことに気が抜けてしまったのか、顔を強張らせて緊張しあまつさえウィル君に気を使わせてしまうという少々まずい失態を犯してしまったが、ウィル君は何ら気にしていない様子であった。私は若干釣り目気味なところがあるので気を抜くとかなり柄の悪い表情になってしまうのだが。
 お披露目会で感じられたように――いや、それ以上にこの幼児の才は溢れているように思えた。知性の宿った目でまっすぐ見つめられ、ぺこりと可愛らしいお辞儀とともにされた挨拶は――。
 そして何よりだ。

「いっそ不気味であるぞ、ジョーン」

 おっといけない。考えているうちに顔がにやけていたかもしれない。渋い表情でジルコに言われてしまった。それほどにあれは私にとって愉快で、嬉しかったのだ。
 その後、ウィル君の部屋で行われたのは自己紹介。こちらの意図を正確に理解した上で、そのまた更に上をいく返答……私を名前とともに「先生」と呼んだことには驚いた。
 そして続くのは最初の様子見的に行う授業……のつもりであったのだが、まさかまさかのことにウィル君は文字の読み書きができる上に計算まで完璧であったのだ。
 完全に予定が狂ってしまった。何せ私が持ち込んでいた計算問題は宮廷の学者に行うようなレベルのものであったのだ。それを考えるようなそぶりも見せずスラスラと解いていくウィル君。
 鬼才。その姿はいっそ何か薄ら寒いものすら感じるようなものであった。それもそうであろう? 何処の3歳児が宮廷学者すら未だ研究の途にある数学をさらりと片手間に解けるというのだ。
 そうして出来てしまった余りの時間。
 何もすることがない、と苦笑気味に言えばウィル君から返ってきた言葉は好奇心旺盛のその歳に似合うものであった。と、今なら笑えるが、期待をしていただけにそのときの私の失望は大きかった。ああ、この人も結局『家』で私を見るのだ、と。私を見ることはないのだ、と。
 勝手に期待をしておいて何とずうずうしいことだろうか。頭ではわかっている。

『それじゃ、ジョーンせんせいについてしりたいです!』

 当然私の家の事情など当にキアン様から聞かされているものと分かっていたから。この人も、それを尋ねるのだろうと私は決め付けた。しかし、それに続く質問は本当にどれも『私』についてのことばかりで。
 私は笑ってしまったのだ。
 そうか、この人は分かっているのだ、と。
 貴族社会で長らく暮らしてきた私にとってそれは衝撃だった。ああ、何と言うことだろう。まだほんの3つの子が、何故分かると私は思えたのだろうか。
 しかしそう思えてしまったのだ。
 そして思わず聞いてしまった。

『アナタは聞かないんですね?』と。

 主語もないひどい文章だ。私の心でも読めない限り、その文章だけを聞いても意味が分からないだろう。しかし、ウィル君は私にこう返してきたのだ。

『きかれたくはないでしょう。ジョーンせんせいは、ジョーンなんだから』

 それは家をいとう私の心境を見事に表していた。いや、しかしこれがウィル君以外から言われた言葉であったらどうだっただろう。
 私はきっときれいごとだ、分かったふりをしてと唾を吐いたろう。
 でもウィル君の目はどこまでも透き通っていて。それでいて陰りをおびていて。まるでその感情を知っているかのように。まるでこの感情を隠したがる私のように見えて。

 ああ、私はこの人に出会えて幸運だったと神に感謝したのだ。
 
 そんなはずはないのに。ウィル君の歳で私のような思いをする機会があるはずもないだろうとささやく理性に、心が感情が、本能が否と叫んだ。

 そして私は、親友を得られるような予感を得ていた。
 数ヶ月前の、現在の教え子との邂逅かいこうを思い出しながら私はふと自分の唇をかんでいたことに気がついた。知らず知らずのうちにこもっていた力を抜いて、肩をいさめる。

「ジルコ。貴方には感謝しますよ、本当に」

 そしていつもは絶対に出てこないような言葉がするりと口から出てきた。
 ふふ、と笑い声がこぼれる。

「ジョ、ジョーンが素直に感謝を述べただと……槍が降るであるな……」

 ジルコが何か呟いたが聞かなかったことにする。
 口に含んだ『ぜりぃ』の甘さが心地よかった。

しおりを挟む
表紙へ
感想 15

あなたにおすすめの小説

[完結]いらない子と思われていた令嬢は・・・・・・

青空一夏
恋愛
私は両親の目には映らない。それは妹が生まれてから、ずっとだ。弟が生まれてからは、もう私は存在しない。 婚約者は妹を選び、両親は当然のようにそれを喜ぶ。 「取られる方が悪いんじゃないの? 魅力がないほうが負け」 妹の言葉を肯定する家族達。 そうですか・・・・・・私は邪魔者ですよね、だから私はいなくなります。 ※以前投稿していたものを引き下げ、大幅に改稿したものになります。

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

愛人がいらっしゃるようですし、私は故郷へ帰ります。

hana
恋愛
結婚三年目。 庭の木の下では、旦那と愛人が逢瀬を繰り広げていた。 私は二階の窓からそれを眺め、愛が冷めていくのを感じていた……

不貞の子を身籠ったと夫に追い出されました。生まれた子供は『精霊のいとし子』のようです。

桧山 紗綺
恋愛
【完結】嫁いで5年。子供を身籠ったら追い出されました。不貞なんてしていないと言っても聞く耳をもちません。生まれた子は間違いなく夫の子です。夫の子……ですが。 私、離婚された方が良いのではないでしょうか。 戻ってきた実家で子供たちと幸せに暮らしていきます。 『精霊のいとし子』と呼ばれる存在を授かった主人公の、可愛い子供たちとの暮らしと新しい恋とか愛とかのお話です。 ※※番外編も完結しました。番外編は色々な視点で書いてます。 時系列も結構バラバラに本編の間の話や本編後の色々な出来事を書きました。 一通り主人公の周りの視点で書けたかな、と。 番外編の方が本編よりも長いです。 気がついたら10万文字を超えていました。 随分と長くなりましたが、お付き合いくださってありがとうございました!

挙式後すぐに離婚届を手渡された私は、この結婚は予め捨てられることが確定していた事実を知らされました

結城芙由奈@12/27電子書籍配信
恋愛
【結婚した日に、「君にこれを預けておく」と離婚届を手渡されました】 今日、私は子供の頃からずっと大好きだった人と結婚した。しかし、式の後に絶望的な事を彼に言われた。 「ごめん、本当は君とは結婚したくなかったんだ。これを預けておくから、その気になったら提出してくれ」 そう言って手渡されたのは何と離婚届けだった。 そしてどこまでも冷たい態度の夫の行動に傷つけられていく私。 けれどその裏には私の知らない、ある深い事情が隠されていた。 その真意を知った時、私は―。 ※暫く鬱展開が続きます ※他サイトでも投稿中

旦那様、前世の記憶を取り戻したので離縁させて頂きます

結城芙由奈@12/27電子書籍配信
恋愛
【前世の記憶が戻ったので、貴方はもう用済みです】 ある日突然私は前世の記憶を取り戻し、今自分が置かれている結婚生活がとても理不尽な事に気が付いた。こんな夫ならもういらない。前世の知識を活用すれば、この世界でもきっと女1人で生きていけるはず。そして私はクズ夫に離婚届を突きつけた―。

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。