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◆ゆったり幼児期
◆5.似た者同士(ジョーン視点)
しおりを挟む「ジョーン、塩梅はいかがであるか?」
久々に嫌々ながらもらった休暇に、仕方なしに王都に帰り、学者時代にはよく通っていた店で昼ごはんを食べているときだった。店の中に入ってきた細身の男が一直線に私の方へ向かってきた。その様子は視界の隅に入っていたのだが、どうも食べるのに夢中になっていたらしく、気がついたときには男は私の座っている席のテーブルに相席していた。
「どうもこうも。素晴らしいの一言ですよ、ジルコ」
話しかけてきた男――ジルコに私は一瞬顔を向けて答えた。今は食事に集中したい。やはりここの料理はうまい。人に対してこれは失礼な態度だが、まあこの男との付き合いも低学園以来だ。気心も知れている。これくらいは許してくれる奴だ。
ジルコには、ベリル家に教育役として紹介してもらう際にも世話になった。こんなところで私のような一学者と仲良くしているが、実は彼、陛下直属の黒騎士団の情報部隊長をしているのである。その仕事柄、情報の精査や専門知識の提供などの面で私も何度か助力させていただいた。友人としても同僚としても一番関わっている者だろう。
感謝せねばならないが、少々捻くれた育ち方をした為か、この歳になってもなかなか素直に感謝の意は示しづらいものがある。いざそれを口にしようとすると、躊躇ってしまうのだ。悪い癖だとは自身でも理解しているが、治らない。
「しかしジョーンが教育役に甘んじるとは……誠勿体の無きことである」
そんなことを考えながら甘味『ぜりぃ』をつついていると、ジルコが腕を組んだ。
この男は世辞を言う性質ではない。学者としてはそういう言葉をもらえることは光栄なことではあるが……。
私は思わずくすりと笑った。ジルコが驚いたような雰囲気で私を見てくる。
「笑顔で固定の鉄仮面が珍しきことであるな。いかがした?」
「いえ、私はどうやら研究より面白そうなモノを見つけてしまったようでしてね。今、とても幸せなのですよ」
そう言って、いつものようににっこりと微笑めばジルコは目を白黒させた。
そして私は自分のいまの発言で、あの日のことを思い出した。そう、ウィル君とはじめて会ったあの日のことだ。
私はベリル家で行われたウィリアムス=ベリル――ウィル君のお披露目会に縁あって出席させていただいていた。その番の衝撃は忘れられない。この天才に、3歳にしてあれだけの挨拶をしてのける、それでいて天使のように整った容姿を持った、天から愛されたような天才に教育という面で関わっていけたら、と思ったのだ。それは素晴らしい性質を持った植物を見つけて、土に植え、代を重ね品種を改良していけるときのような喜びの感情であったのだろう。今なら分かる。
しかし、あの日。ウィル君と対面して私は理解した。
この小さな、しかしとても大きい人に出会えたことこそ幸福だったのだ、と。
ベリル家に到着した私はまずはじめに応接室に通された。そこで面会したのが、キアン=ベリル、ウィル君の父親とウィル君であった。そこでの私の対応が合格点とみなされたのか、私は無事ベリル家の教育役となれることが正式に決定した。
一応は宮廷の学者内でも突き抜けた研究結果と学力を持っていると自負している。それも利用して売り込まなければと意気込んでいただけに少し拍子抜けした部分もあった。
そして通されたのがウィル君の部屋だ。
最初の応接室という関門を潜り抜けられたことに気が抜けてしまったのか、顔を強張らせて緊張しあまつさえウィル君に気を使わせてしまうという少々まずい失態を犯してしまったが、ウィル君は何ら気にしていない様子であった。私は若干釣り目気味なところがあるので気を抜くとかなり柄の悪い表情になってしまうのだが。
お披露目会で感じられたように――いや、それ以上にこの幼児の才は溢れているように思えた。知性の宿った目でまっすぐ見つめられ、ぺこりと可愛らしいお辞儀とともにされた挨拶は――。
そして何よりだ。
「いっそ不気味であるぞ、ジョーン」
おっといけない。考えているうちに顔がにやけていたかもしれない。渋い表情でジルコに言われてしまった。それほどにあれは私にとって愉快で、嬉しかったのだ。
その後、ウィル君の部屋で行われたのは自己紹介。こちらの意図を正確に理解した上で、そのまた更に上をいく返答……私を名前とともに「先生」と呼んだことには驚いた。
そして続くのは最初の様子見的に行う授業……のつもりであったのだが、まさかまさかのことにウィル君は文字の読み書きができる上に計算まで完璧であったのだ。
完全に予定が狂ってしまった。何せ私が持ち込んでいた計算問題は宮廷の学者に行うようなレベルのものであったのだ。それを考えるようなそぶりも見せずスラスラと解いていくウィル君。
鬼才。その姿はいっそ何か薄ら寒いものすら感じるようなものであった。それもそうであろう? 何処の3歳児が宮廷学者すら未だ研究の途にある数学をさらりと片手間に解けるというのだ。
そうして出来てしまった余りの時間。
何もすることがない、と苦笑気味に言えばウィル君から返ってきた言葉は好奇心旺盛のその歳に似合うものであった。と、今なら笑えるが、期待をしていただけにそのときの私の失望は大きかった。ああ、この人も結局『家』で私を見るのだ、と。私を見ることはないのだ、と。
勝手に期待をしておいて何とずうずうしいことだろうか。頭ではわかっている。
『それじゃ、ジョーンせんせいについてしりたいです!』
当然私の家の事情など当にキアン様から聞かされているものと分かっていたから。この人も、それを尋ねるのだろうと私は決め付けた。しかし、それに続く質問は本当にどれも『私』についてのことばかりで。
私は笑ってしまったのだ。
そうか、この人は分かっているのだ、と。
貴族社会で長らく暮らしてきた私にとってそれは衝撃だった。ああ、何と言うことだろう。まだほんの3つの子が、何故分かると私は思えたのだろうか。
しかしそう思えてしまったのだ。
そして思わず聞いてしまった。
『アナタは聞かないんですね?』と。
主語もないひどい文章だ。私の心でも読めない限り、その文章だけを聞いても意味が分からないだろう。しかし、ウィル君は私にこう返してきたのだ。
『きかれたくはないでしょう。ジョーンせんせいは、ジョーンなんだから』
それは家を厭う私の心境を見事に表していた。いや、しかしこれがウィル君以外から言われた言葉であったらどうだっただろう。
私はきっときれいごとだ、分かったふりをしてと唾を吐いたろう。
でもウィル君の目はどこまでも透き通っていて。それでいて陰りをおびていて。まるでその感情を知っているかのように。まるでこの感情を隠したがる私のように見えて。
ああ、私はこの人に出会えて幸運だったと神に感謝したのだ。
そんなはずはないのに。ウィル君の歳で私のような思いをする機会があるはずもないだろうと囁く理性に、心が感情が、本能が否と叫んだ。
そして私は、親友を得られるような予感を得ていた。
数ヶ月前の、現在の教え子との邂逅を思い出しながら私はふと自分の唇をかんでいたことに気がついた。知らず知らずのうちにこもっていた力を抜いて、肩をいさめる。
「ジルコ。貴方には感謝しますよ、本当に」
そしていつもは絶対に出てこないような言葉がするりと口から出てきた。
ふふ、と笑い声がこぼれる。
「ジョ、ジョーンが素直に感謝を述べただと……槍が降るであるな……」
ジルコが何か呟いたが聞かなかったことにする。
口に含んだ『ぜりぃ』の甘さが心地よかった。
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