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連載
黒翼は蒼天に羽ばたく5
しおりを挟む夜道を、セルゲイは逃げていた。
宿を襲撃されたのは、もう半刻ほどは前。
借り切っていたのが仇となったか従業員も無く、護衛も使用人も倒されてしまっている。
しかも夜道を照らす照明魔法も消えていて、騎士団の詰め所が何処にあるかも分からない。
「く、くそうっ……!」
どうして自分がこんな目にあわなければならないのか。
セルゲイの思考は、それで埋め尽くされている。
何故か……といえば自業自得であるとも、そうでもないとも言える。
というのも、人類社会……というよりも権力の絡む部分において暗殺は文化である。
他人を策謀で蹴落とすのは勿論、「行方不明」になって貰うことも珍しくはない。
たとえば路地裏で暴漢に襲われて死亡。
たとえば酒に酔って高所から落ちて死亡。
たとえばケンカで打ち所が悪くて死亡。
たとえば乱暴しようとした使用人に刺されて死亡。
たとえば階段から落ちて死亡。
そうした死体が見つかるものであれば葬儀も出来る。
しかし、そうでないものもある。
たとえば、町の外へと馬を走らせる姿を見た「目撃者」が出るとか。
その手のやり方も存在する。
それこそ殺さないまでも、「自然な」怪我をさせる手法だ。
どれもライバルを蹴落とす為の手法であり、中央に近い貴族であれば加害者か被害者のどちらかにはなったことがある。
こういったことがある種の通過儀礼とすら見られているのが暗殺者ギルドなどという裏社会を黙認してしまう原因となるのだが……それはさておき。
とにかく、権力を手に入れる上でこうした「暗殺」は学生の試験勉強や権力者へのコネや賄賂と同じくらい必須な手法でもある。
清濁併せ呑んでこそ……と嘯く者もいるが、そうは自ら進んで腐敗しているだけのことだ。
そういうものを跳ね除けてこそ……と言う者もいるが、そんな者は少数派である。
今回の件でいえば、障害になりそうなものを取り除く為に街中に暗殺者が……それこそ色々な者の依頼で飛び交っているのだ。
これ程大規模となればカシナートの暗殺者ギルド総出の大仕事かもしれないが……なんとも愚かしい話である。
セルゲイが狙われているのは恐らく敗者同士での順位を決める争いで邪魔だと思われたか、あるいはやらなければやられると思ったからか。
どちらにせよ救いようの無い話だ。
「僕を誰だと……くそっ! 誰か居ないのか!」
その叫びに答える者は居ない。
元よりほとんどの人間は寝ている時刻。
ただでさえ酔っ払いの意味の分からない戯言と捉えられ起きる者も居ない。
しかも……セルゲイが追い込まれた裏路地であれば、尚更である。
「くそっ……くそうっ……ヒイ!?」
進む先に誰かがいるのを見て、セルゲイは思わず足を止める。
回りこまれた。
一瞬そう考えてしかし、目の前にいるのがそうではないことに気付く。
この暗い中では分かりにくいが、ウェーブがかった長く美しい髪。
均整のとれた身体を覆うドレスにも似た赤い服もまた美しい。
闇の中で輝く金色の瞳は、楽しそうに細められている。
「な、なんだお前……娼婦、か?」
そんな場合ではないと理性が叫びながらも、セルゲイは女から目が離せない。
美しい。
自然とセルゲイの目は女の顔から豊満な胸元へと移動していく。
そんな場合ではないと理性が叫ぶ。
そう、そんな場合では。
「可哀想な子」
ねっとりと絡みつくような。
そんな甘い声がセルゲイの耳から侵入してくる。
「欲しいものが、いっぱいあるのよね?」
セルゲイの頬に、手が触れる。
ゾクリとするような冷たさと、触れられた頬の熱さ。
甘い……甘ったるい声が、セルゲイの脳すら溶かしていくようだ。
「貴方は何一つ悪くないのに。それなのに、こんな目にあってるのよね?」
その通りだ、とセルゲイは思う。
僕は何も悪くない。
悪いのは僕に逆らう奴等なのに、それなのに。
どうして僕が、こんな目に。
「理不尽よね?」
そう、理不尽だ。
「不幸よね?」
そう、不幸だ。
「許せないわよね?」
そうだ、許せない。
いや、違う。許してはならないのだ。
こんな理不尽は、尽く駆逐されねばならない。
「そうね、その通りよ。でも、貴方が駆逐すべき理不尽は何処にあるのかしら?」
そうだ、何を駆逐すればいいのか。
何をどうすれば、理不尽全てを駆逐したことになるのか。
「貴方を排除しようとしたのは、何処の誰なのかしら。貴方の排除を許したのは、何処の誰なのかしら。貴方の排除を見過ごしたのは、何処の誰なのかしら?」
女の言葉が、セルゲイの頭の中に冷静で狂った思考を与えてくれる。
そうだ。
自分を殺そうとした暗殺者共。
そんなものに倒された役立たずの従者共。
暗殺者を寄越した恐らくは参加者の連中。
そんなものの暗躍を許す騎士団。
そして、そして。
「……殺さないと」
「どうやって?」
「簡単だ。今すぐ僕の剣で」
「そうね。貴方ならそれも出来るかもしれないわ。でもね、それで貴方は満足なのかしら? 貴方の正義はそんな簡単な復讐を良しとするのかしら?」
正義。
その言葉がセルゲイの心を癒す。
そう、僕は正義だ。
僕が正しいのだと、セルゲイは微笑む。
そうだ。
正義である僕が正しいのだ。
「……どうすればいいんだ」
「簡単な話よ」
女は、笑う。
慈愛に満ちた、微笑を浮かべて。
女は、嗤う。
「こんな所でこんな事をやってるよりも、もっとすべきことがあるでしょう?」
何もかもを溶かすような微笑に、セルゲイはつられて微笑む。
だから、気付かない。
自分を追ってきていたはずの暗殺者の気配が、もう無い事に。
そして今後も、気付くことは無い。
セルゲイの中を埋め尽くす充足感は、そんな些事を記憶から消し飛ばしているが故に。
「ああ、そうしよう。そうするべきなんだ」
「そうよ、いい子ね。そうよ、そうすれば貴方は認められる。そうでしょう?」
「その通りだ。僕は……僕こそが、ナリカ様の望まれる事を理解している」
熱に浮かされたように呟くセルゲイ。
しかし、女はその耳元に口を寄せて囁く。
「ナリカ様だけ? それだけで貴方は満足?」
「僕は……」
「正義なんでしょう? 正しいのでしょう? その正義は、ナリカ様だけで収まるものなのかしら?」
セルゲイの中に、称賛される自分の姿が描かれる。
英雄だと。
正義の象徴だと。
あらゆる人々が自分を称賛する姿を夢想する。
「……そうか、僕は」
「そうよ、貴方こそが」
セルゲイは、ふらりと女から離れる。
その腰に女は手を回し、一振りの剣をつける。
「魂剣ガルグオーヴァ。餞別よ、貴方にあげる」
その声に、セルゲイはもう答えない。
女と会ったことすら、セルゲイはもう覚えてはいない。
「ふふっ……これでどうなるかしら。楽しみね」
そんな女の呟きを、聞くものは無く。
その日、セルゲイ・カルキノスは……カシナートの街から消えた。
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