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連載
選考会前夜
しおりを挟む人は誰もが酒は多少なりとも人を狂わせるものだと知っている。
しかし……しかし、だ。
実に不思議なことであるのだが、知っていながらも酒が人類社会から消えたことは無い。
それは、酒が適度であれば人の不満を誤魔化し活力を取り戻させることを知っていたからだ。
そして同時に、上から下まで酒の魅力にとりつかれ、それをとりあげることが如何なる事態を招くかを無意識のうちに知っていたからでもある。
それ故に、古来より酒は人々と共にあった。
酒に狂わぬ程度の節度を弁え、付き合い続けているが……そのタガが外れるときがある。
それは、決戦の前、あるいは祝い事の時。悲しみを忘れたい時……その中で今日この日は、「決戦の前」であり「祭の前」でもあった。
……そう、明日は騎士団員選考会の日。
第一王女ナリカのはからいで参加者以外も見学できるということで、この機に乗じてと酒場はお祭り騒ぎのようになったわけだ。
それはカシナートに暮らす一般人だけではなく、参加者達が己を奮い立たせる場でもあった。
何しろ、騎士の選考会である。
無事に潜り抜ければ第一王女に騎士として認められるのだ。
それは英雄譚か何かの序章のようで……言うなれば、成り上がりを望む者にとっては何よりの近道であり絶好のチャンスだったのだ。
勿論、実力が無ければ何の意味もないことは言うまでも無いが……実力があると自負する者にとっては、今日はそれを叶える為の大切な日なのだ。
それであればと普通の者はとっとと寝て備えるのが常識だ。
しなしながら、こういう時だからこそと酒を飲む者がいるのもまた、事実である。
酒を飲んで英気を養い明日に備えると……まあ、こういうことだ。
ソレが上手くいけばいいのだが、残念ながらそうではない者のほうが圧倒的に多い。
所謂「悪い酒」というものだが、何らかの不安を解消しようと飲むほどそういう状態に陥りやすい。
その男もまた、そういう状況になっていたのだ。
「うー……ひっく」
酒場で飲んでいた男は、もう何杯目になるかも分からない酒を飲み干す。
男は選考会の参加者であり、当然明日の事を考えれば自重すべき身だ。
体調の管理など基本中の基本であり、それが出来ていない者が騎士になどなれるはずもない。
そんな事は充分に理解できている。
いるのだが……とにかく酒を飲まなければ、どうしよういもない気分だったのだ。
とにかく男は今そんな状態で、心の求めるままに酒を飲み……自分に割り当てられた家へと、フラフラと歩いているところだった。
「……んあ?」
男が見たのは、美しい金色の長い髪。
野暮ったいローブのような服の上からでも分かる豊満な胸と、美しい身体。
整った顔もまた男好みで、思わずごくりと喉が鳴る。
壁に寄りかかっていたその女は、男を見るとにこりと笑いかける。
「へ? あ、へへ……」
精一杯のニヒルでカッコイイ笑みを浮かべたつもりの男だったが、にへらとだらしない笑顔しかその顔には浮かんではいない。
あの女は誰なのか。
酒でぼうっとする頭で、男は必死に記憶を辿る。
……たぶん、仕事上の知り合いではないはずだ。
男は冒険者ではあるが、依頼人と直接会うようなタイプの仕事はあまり請けたことが無い。
では、私生活だろうか。
自慢ではないが、娼館やフリーの娼婦にはかなりの頻度でお世話になっている。
ひょっとしたら、その中で出会っていたのかもしれない。
男は自分が金払いのいい上客であったという自負はあったし、そっちの下世話な意味でも「いい男」だという根拠の無い自信もあった。
そして、一度そう認識すると男の行動は素早かった。
ちょっとふらつく足で、だらしない笑顔を浮かべたまま男は女のところへと寄っていく。
「よ、よーう。久しぶりだなあ」
「ええ、久しぶり」
女がそう答えたことで、男はやはりと確信する。
冷静に考えれば「そう」ではない選択肢などいくらでもあるはずなのだが、酒に酔っている上に一度「こうだ」と思い込んだ者の思考能力など、この程度である。
「いつこっちに……ひっく、来たんだ?」
「いつだと思う? 当ててみて?」
「うーん……昨日か!」
「ふふ、正解。凄いわね」
笑いかける女に、男の笑みはへにゃりと一層だらしなくなる。
ちなみにであるが、こういった問いは「どう答えても正解」であったりする。
たとえば「三日前」と答えても正解であっただろうし、「三年前」と答えたところで、「そんなに馴染んで見える? 嬉しいわ」などと返してきていただろう。ついでに抱きつきのオプションもつけば、結局正解はいつなのかなどというのは男の頭からは吹き飛んでいただろう。
……まあ、つまり相手を持ち上げていい気分にする為の話術なのだが、それを見抜ける程男は賢くないし、何より酒で思考能力も正常ではなかった。
「で、でよう。こんな所にいるってえのは」
「そうね、こんな所で話すのも……ね。行きましょ?」
伸ばしかけた男の腕からするりと逃れるように、女は路地裏へと歩いていく。
「へ? あ、お」
「どうしたの? 行きましょ?」
くるりと振り返って笑う女に、男はにへらと笑い返す。
この先に店でもあるのだろうか。
手持ちは充分だと思うが、足りるだろうか。
そんな事を考えながら、男はふらふらと女についていき……。
やがて着いた開けた場所で、ビクリと身体を震わせる。
そこに居たのは、先程とは別の女だったのだ。
その身を包む地味なローブと、口元に巻いた布。
怪しげに思えるその格好も、全身から伝わる凛とした雰囲気を隠しきれてはいない。
ローブの隙間から見える金髪に、切れ長の黄金の瞳。
腰の長剣の拵えも立派であり、その佇まいも素人ではない。
「……な……」
酔いと女への期待でふらついていた思考が、一気に冷えていくのを男は感じる。
美人局。
女で釣って何らかの犯罪的行為に引きずり込むソレだと思い、男は思わず自分の剣に手を伸ばそうとする。
「……待て」
それが自分にかけられた言葉だと考え……しかし、男はすぐにそうではないと気付く。
いつの間にか。
そう、それはいつの間にかと表現するしかない。
男の気付かぬうち……いつの間にかに、男の背後には二人の黒装束が出現していたのだ。
ローブの何者かの言葉は、その黒装束に向けられたものだったのだ。
「な、なんなんだアンタ……」
気付けば先程の魅力的な女も黒装束を纏い、背後の二人と変わらぬ姿となっている。
どう考えてもこの三人の主は男の目の前のローブ姿だが、こんな連中を三人も従えているなど……どう考えてもまともではない。
まさか噂に聞く「暗殺者ギルド」の連中ではないかなどと考えていると、ローブ姿は路地裏に響く凛とした声で男に告げる。
「提案がある」
「て、提案……?」
聞き返す男の目の前に、ジャリン……という重々しくも魅力的な響きを立てて布袋が投げ落とされる。
満杯に詰まり過ぎて紐で縛った口から漏れ出ているソレは、見間違えようも無い黄金色……それも大金貨の輝きだ。
袋の中に僅かに見えるのは、全て黄金の輝き。
だとすると、この袋一つで幾らが詰まっているのか。
先程とは違う意味でゴクリと喉を鳴らす男に、ローブ姿は懐からもう一つ袋を取り出してみせる。
「……お前に商談がある」
「しょ、商談?」
「ああ、とても簡単な話だ」
男の視線が自分の手元に集中しているのを見て、ローブ姿は「商談」の成功を確信する。
「お前の名前と装備を買い取りたい……ああ、心配するな。つまりはアレだよ。お前の出場権を寄越せと……そう言ってるだけの話なんだからな」
その商談の結果は、その場にいた彼等しか知らない。
ちなみにであるが、その夜……一人の男がカシナートの外に用意された馬に乗って何処かへと消えていった。
誰にも見咎められぬまま去ったその男の行方を知る者は……少なくとも、カシナートには居なかった。
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