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2. 印象最悪な初顔合わせ (後編)

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 診察室を出て、リハビリルームで改めて翔琉かけると話をする。
「本格的なリハビリは、手術そうが落ち着いてからになります。それまでは傷の回復を優先しつつ、なるべく筋力を落とさないようにしましょう」
「えっ、そんな悠長で良いんですか? さっき院長先生、半年で試合に出れるって言ってましたよね?」
 翔琉は、身を乗り出して樹生いつきに食い付いてきた。
(もう、これだから院長先生は)
 樹生は密かに溜め息をつきながら、静かに、しかしはっきりと反論する。
「……院長も『早ければ』と前置きしていたはずです。半年で競技を再開できる患者さんが全くいないとは言いませんが、全員が半年で復帰できるわけではありません」
「でも、滝沢さんが以前担当した社会人バスケの選手も半年で復帰したって」
 一番の関心事だから仕方ないのだろうが、翔琉は唾を飛ばすほどの勢いで更に声を張り上げてきた。
「その選手と岡田さんでは、状況が違います! ……岡田さんのほうが五センチ以上は背が高いし、筋肉量も五キロ以上差があるでしょう。それだけ体格が違うと、ぶつかったり転んだりした時の衝撃が全然違います。岡田さんのほうが、より重傷の可能性が高いです」
「……えっ? 滝沢さん、なんで俺の身長と体重知ってるんスか?」
「そっ、それは……。毎日、多くの患者さんと接していますから。見れば大体分かります」
 樹生は内心冷や汗をかいた。まさか好みのタイプのアスリートを見つけると、身長や体重をチェックし『この人に抱き締められたらどんなかな……』と妄想する癖があるなんて絶対に言えない。もっともらしい屁理屈を真顔でこねてみせる。
「でも、院長先生が半年って」
 翔琉はまだ釈然としない表情を浮かべている。
「あくまで院長の発言は一般論です。『岡田さんの復帰に関しては経過を見て』と言ってたじゃないですか? 少しでも早く試合に出たい気持ちはよく分かります。でも、私は担当理学療法士として、患者さんの無理な復帰にウンとは言いかねます」
 繰り返される慎重論に対して、翔琉は分かりやすく苛立ち始めた。表情を歪め、指先をせわしなく動かしている。少しムッとした表情で樹生に問う。
「だったら、滝沢さんの見立てを教えてくださいよ。俺、どれくらいで試合に出れるようになると思います?」
 樹生は一瞬口籠った。もちろん自分なりの見立てはある。しかし、あまりに正直に答えては、大きな怪我をしたばかりで痛みと不安でナーバスになっている患者を動揺させてしまうかもしれない。何でも正直に言えば良いというものではない。特に医療現場では。
 翔琉は、樹生のためらいを見逃さなかった。彼は、微妙な間を樹生の自信の無さだと受け取ったらしく、皮肉っぽく口の片端を持ち上げて鼻で嗤った。
「言えないんスか? ……人の意見を否定するだけかよ」
 後半は小声ではあったが、樹生の神経を逆撫でするには十分だった。手に持ったバインダーの留め金を一度パチンと弾き、その音に反応して振り向いた翔琉に、樹生は言い放った。
「一年とまでは言いませんが、九か月か十か月は掛かるんじゃないかと私は思います」
 ひゅっと息を呑み、翔琉は真顔に戻った。みるみるうちに顔から血の気が失せ、車椅子のひじ掛けを掴む指先が震えている。
「……今シーズンは棒に振るってことか」
 独り言のように呟く翔琉の目には、絶望の色がまざまざと浮かんでいる。
「滝沢さんは翔琉と同じ怪我をしたバスケ選手のリハビリをご担当され、その選手は無事競技に復活したと先ほど院長先生から伺いました。うちの翔琉はバスケ一筋で無愛想な奴ですが、滝沢さんのご指導に従うよう、私からもよく言っておきます。よろしくお願いします」
 マネージャーが必死に樹生に頭を下げる。
(本業では有能なのかもしれないが、コイツとはやりたくない。なんて感じの悪い奴だ)
 プイと視線を逸らし、口をへの字に曲げた翔琉の胸の内はこんなところだろう。二人の間には白けた空気が漂った。

「はあ……。やっちゃったよ。患者とのラポールを作るどころか、関係性がぶち壊しだ。始まる前からこんなんじゃ、リハビリうまくいくわけないだろ……」
 翔琉が帰った後、樹生は休憩室で頭を抱えた。悩んだ挙句、自分のプライドという些細な問題をスルーできず、ついむきになって翔琉を傷つけてしまった。
「まあまあ。そう気にしないほうが良いよ。患者さんに希望を持たせようとするのは大事だけど、回復までの期間を短く言って、後で文句言われるのは理学療法士だもん」
「滝沢君は、大学の専攻もガッツリスポーツリハビリだし、実力派なうえに硬派なPTなんだけどね。見た目が実年齢より若いし、優しそうだから、たまに見くびってくる患者さんもいるから。そんなに早期復帰したがってる患者さんなら、最初にそれくらいガツンと言っておいた方がいいわよ」
 同僚たちは樹生を慰めてくれたが、迫力に欠ける外見はコンプレックスの一つでもある。樹生は無言のまま苦笑し、窓ガラスから外を眺めるふりで視線を逸らす。
 色素が薄めの髪と肌。ふわりと長めの髪は緩い癖っ毛で眉毛を覆い隠すほどだ。細面に、切れ長ではっきりした二重の瞳。唇だけがほんのりと紅い。やや女性的な優しい風貌は、大手企業の受付嬢をしていた母譲りだ。女性患者には威圧感が無いと親しまれるが、男性患者には時折セクハラめいたことをされることもあった。

「なんで、岡田選手の担当PTが僕なんですか」
 コーヒーを取りに立った院長を追い掛け、樹生は給湯室で恨めしげに問い詰めた。院長は、このクリニックで唯一、樹生がバスケ選手の担当を嫌がっていることに気付いている。――おそらく、嫌がっている理由も。
「彼は有望な選手だからね。監督やコーチも、うちが彼の治療にベストな病院と見込んで、わざわざ連れて来たんだ。その気持ちに応えようと、ベストなスタッフをアサインしたと思ってるんだが」
 涼しい顔で、院長は受け流す。
「以前担当した選手と個人的なトラブルになったようだね。ただ、そのことと岡田選手のことは、切り離して考えてくれないか?」
 彼はいたわるような眼差しで、なおも唇を噛む樹生の肩を何度か軽く叩いた。
(やっぱり、院長は気付いてたんじゃないか)
 胸の痛みを紛らすように、樹生はスクラブの胸元をぎゅっと握りしめた。

 担当PTについた有名選手に口説かれ、うぶな樹生が舞い上がらないはずがない。 しかし、樹生の初めての恋は、あまりにはかなかった。彼が他の女性とも関係していたことが分かり、交際開始から半年足らずで樹生から別れを告げたのだ。――もしかしたら、最初から自分は単なるセフレの一人だったのかもしれない。そんな過去を思い出すだけで、鼻の奥がツンとなり、涙がじわりと湧いてくる。
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