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ノヴァという男は、うんざりするほど従順で忠実で勤勉な騎士だった。
彼は言いつけの通り朝はアレクシスを起こして、顔を洗うための湯を運び、着替えを手伝い、朝食の支度をした。もそもそと食事をしている間にスケジュールの確認をされて、執務を始めれば一息つけるタイミングを見計らって茶を用意する。日が高くなり少し暑くなってきたかと思えば窓を開け、差し込む日が眩しくなれば速やかにカーテンを引き、書類や手紙の類は優先度順に整理する。騎士でなく執事の勉強でもしていたのかと疑いたくなる手際の良さだった。
侍従のように使われることに初日こそ戸惑いを見せたが、二日目からはそれもない。五日経った今日まで、彼は不平不満を口にすることもなく実に有能に甲斐甲斐しく働いた。嫌がらせのつもりだったアレクシスは、逆に理不尽だと文句を言いたくなるほどだった。
「お前」
仕事がひと段落して、よい香りの紅茶を一口飲んでから、アレクシスは溜息のように吐き出した。
「はい」
「なんなんだ。気付いているだろう、お前がさせられているのは騎士の仕事じゃない。プライドはないのか?」
「殿下のために尽くせるのは私の喜びです」
やわらかい笑顔で言われて、反射的に目を逸らす。
こんなはずではなかった。意地の悪いまねをしてやればすぐに音を上げると思っていたのだ。とんでもなく面倒な相手を選んでしまったことに、アレクシスは薄々気付き始めていた。
ノックの音が聞こえて、アレクシスは助かったとばかりに返事をする。
「入れ」
「失礼致します。陛下がお呼びです。騎士殿もお連れするようにと……」
顔を覗かせた侍女の言葉に、ちらとノヴァを見る。彼もこちらに視線を向けたところだった。
ノヴァは不思議そうにしているが、言わずともどこへでも着いてくる彼をわざわざ連れて来いということの意味を即座に悟って、アレクシスは顔をしかめた。
「お前がやーっと騎士を決めたのだから、顔くらい見せに来てくれたっていいじゃないか」
予想通りの言葉に、アレクシスは溜息をぐっと飲み込んだ。ソファに足を組んで座るアレクシスの後ろで、ノヴァが照れ笑いを浮かべている気配がする。
ガラスの天板のローテーブルを挟んで、向かいには王が腰かけている。その隣には、長い黒髪に紫の目をもつ、黒ずくめの衣服を纏った青年がだらしなく座っていた。とても王族の前で許される態度とは思えなかったが、あれは王のお気に入りの魔法使いだから許されているのだ。
「そうかそうか、君がねえ。いいじゃないか。名前は?」
「ノヴァと申します」
「ノヴァ。アレクシスのことを頼んだよ」
「もちろんです、お任せください」
「意地悪されてない? 大丈夫? ちょっとつんけんしてるかもしれないけれど、本当はいい子なんだよ」
「存じております」
自分を通り越して交わされる会話にアレクシスは渋面を浮かべる。魔法使いのハーヴィーがにやにやと面白そうにこちらを見ているのも苛立たしい。
王はノヴァのことを気に入ったのか、上機嫌そうだった。
「好青年じゃないか。いやよかったなあ。カンテバル騎士団長に聞いたが、剣の腕も申し分ないのだろう。アレクシスを負かしたんだって?」
「とんでもないです、殿下は手加減をして下さったので……」
「はは、手加減してやるほど気に入ったのか?」
笑いながら水を向けられて、アレクシスは答えに窮した。違うと言えば負けを認めることになるし、かと言って気に入ったから手加減してやったわけでは断じて無い。王だって、分かってからかっているのだ。にこにことしているくせして、本当に意地が悪いのはどちらだというのか。
「アレクシス。少しだけ彼と二人で……いや三人か。ハーヴィーが居る。三人で話したいんだけれど構わないか?」
「いくらでもどうぞ。おれは先に戻っています」
何を言われるのだか知らないが、これ以上面白がられるよりずっといい。たじろぐノヴァを無視して、アレクシスはさっさと退室した。
主人が出て行って若干居心地が悪そうにしていたノヴァは、どうぞかけて、と手のひらで促されて、ソファに腰を下ろした。
アレクシスの光輝く月のような硬質で繊細な美貌とは系統が違うが、王は整った顔立ちで年齢不詳の、どこか危うさを感じる男だった。眦の甘く垂れた、アレクシスより少し淡い水色の目に、真正面から見据えられてぎくりとする。
「さて、ハーヴィーはどう思う? まさかとは思ったけれど、この子はハーヴィーとロロが騎士団に連れてきた子だね」
「いや、連れてきたのはロロですよ。俺は口添えしただけ」
この場に居ない魔法使いの名前も出されて、ノヴァは内心はらはらした。
騎士とは通常、従騎士として騎士について数年間修練を積み、叙任式を経てようやくなるものだ。飛び込みで雇ってもらえるような職業ではない。
ノヴァがここで騎士で居られるのは、王から絶対の信頼を得ているハーヴィーが後見人になって、口添えしてくれたおかげだ。元来魔法使いは数が少ない。城に勤める魔法使いも五人ほどしか居なかったはずだ。重用される魔法使いの中でも、更に王のお気に入りとなれば多少の無理も通せてしまう。
一年前突然現れたノヴァが騎士団に入って、当然周囲からはやっかみを受けたが、ハーヴィーの紹介だと知れば口出ししてくる相手も居なかった。共に訓練していく中でノヴァの快活で実直な性格と剣の腕前を知れば、次第に仲間達とも打ち解けた。
ハーヴィーは王の肩にしなだれかかって、にやりと横目でノヴァを見る。恩人と言えど、紫色の目は底が読めなくて薄気味悪い。
「いいんじゃあないですか。忠誠心は本物でしょう」
「そうか。ハーヴィーのお墨付きもあれば安心だ。ノヴァ。私はね、別に誰でもいいんだよ」
穏やかな声音に、ノヴァはほんのかすかに眉根を寄せる。
「アレクシスはね、とても仲が良かった騎士が居て……その子が亡くなってから塞ぎ込んでしまった。かわいそうで見ていられなくてね。その子の代わりになれそうなら誰でも構わないんだ」
優しい口調なのに、どこか薄ら寒い。役割を果たせないのならお前でなくてもよいのだ、いつでも代わりに挿げ替えると言外に釘を刺されている。
「アレクシスは自分を顧みずに、すぐ無茶をしたがる。何をしてでもあの子を守ってやるのが君の仕事だ。分かっているとは思うけれど」
王の目が笑みに細められる。
「君の働きに期待している」
ノヴァは曖昧な顔で頷いて、お任せください、と返すことしかできなかった。
それからアレクシスの下へ戻ると、余程妙な顔をしていたのだろう、珍しく気遣われた。
「どうした。陛下に嫌味でも言われたか。あの人は人当たりはいいが底意地が悪い」
人当たりはいいが底意地が悪い。あの甘い顔立ちが薄く笑うのを思い出して、なんだか納得してしまった。王と比べたら、アレクシスの分かりやすい嫌味など可愛らしいものだった。
パーティーが行われる貴族の邸宅の広間は、権力と財力を誇示するように贅が凝らされている。著名な建築家にデザインさせたという高い天井には金の装飾と絵画が一面に広がり、壁面にもまた絵画や彫刻が並ぶ。
光の粒を振りまくシャンデリアの下で、色鮮やかなドレスの裾を引きずり、扇の影で花のように笑いさざめく令嬢たち。広間の中央では男女が手を取り、楽団の奏でる楽曲に身を躍らせる。
アレクシスは、壁際で細長いシャンパングラスを傾け、令嬢たちからの熱い視線の全てに気付かないふりを決め込んでいた。
今夜のアレクシスは、普段なら下ろして肩に垂らしている金髪を、絹のリボンでひとつに結んでいる。黒いジャケットには金糸銀糸で精緻な刺繍が施され、ベスト、ズボンと黒で固めた姿は、肌の白いアレクシスの美しさを引き立てていた。
王にも仕立て屋にも、もっと鮮やかな布地で華やかにしたらいいと言われることもあるが、アレクシスにしてみたらこの程度で充分だ。
実際、派手な装いなどしなくとも、この広間でもっとも視線を集める美貌に違いなかった。
そうして集めた視線など素知らぬふりで、パーティーの主催である侯爵に挨拶をし、礼儀として最初の一曲を侯爵の娘と踊った後は、ずっと壁際に佇んでいた。貴族の男に娘を紹介され、一曲……などと言われても「少し酔ってしまったようで、大切なお嬢様に恥をかかせるわけにはいかないから」などと適当に儚げな笑みを装えば、それ以上食い下がられることも無かった。
パーティーは苦手だ。顔と身分に釣られた女たちに群がられるのも、取り入ろうと代わる代わる声を掛けてきては顔色を窺う男たちの相手をするのもうんざりだった。けれど貴族たちを無下に扱うこともできない。適度にもてなされてやって、繋がりを深めるのも仕事のうちだ。
それにしてもシャンパンがまずい。まさか侯爵が安物の酒を用意するはずもないのだが、アレクシスが酒が苦手なことを差し引いても、渋さが舌に残るようで不快な気分は増すばかりだ。
不快と言えば、今日の服を着せたのも、髪を結ったのも、爪を磨いたのも、あのうっとうしい騎士、ノヴァだった。ぴかぴかに磨き上げた爪に、満足そうな笑みを浮かべる顔がよみがえる。嬉々として支度をする姿は異常なのではないか。今夜のアレクシスは髪の先から爪の先まであの男に形作られている。そう認識すると気がおかしくなりそうだったので、深く考えることをやめた。
ノヴァは今も、少し離れた場所に控えている。視線はあまり、というか全然控えられていない。少し長い前髪の下から、うるさいくらいにこちらを見ている。
黄金色のシャンパンをひとくち飲む。極端にアルコールに弱いアレクシスの肌はうっすらと赤くなりはじめていた。
「殿下」
呼びかけられて左を向く。茶色の髪をきっちりと撫でつけた青年が挨拶をしてくるところだった。
「ガルフィオン伯爵」
「ご無沙汰しております」
近況のような雑談のようなどうでもいい話を聞き、合間に飲んだシャンパンの苦さにかすかに眉根を寄せると、ガルフィオン伯爵が声を潜めた。
「お口に合いませんか? シャンパンといえばセンタメア産のぶどうですが、かの地は近年魔獣の被害がひどくて、出荷量を制限せざるを得ないとか。おかげで侯爵は別の産地から取り寄せたようですが、やはり一味も二味も劣るというものです」
「なるほど」
確かに、魔獣の被害がどうとかいう報告が上がっていたのを思い出す。特産品の生産量が減り、それに伴って収入が減った中で、魔獣の対応をするのはさぞかし厳しいことだろう。魔獣は、野犬のようなものから人間の身の丈の二倍も三倍もある巨大なものまで様々だ。わざわざ手を貸してほしいと報告が上がるのだから、相当苦慮しているに違いない。
思考を巡らせながらシャンパンを飲み干すと、伯爵は給仕から新しいグラスを受け取り、アレクシスの空になったグラスと流れるように交換した。
「お口直しにどうぞ。私もさきほど頂きましたが、こちらは濃密な味わいで口当たりも良いですよ」
それではまた、と挨拶をして遠ざかっていく伯爵を見送って、赤ワインを口に含む。そして再びかすかに眉根を寄せた。
思ったよりアルコールが強い。そもそも一杯飲んだら帰ってしまおうと思っていたのだ。まさかこんな大勢の前で酔っ払って、みっともないところを見せるわけにはいかない。
急いで飲み干してしまおうと思ったところで、脇から伸びてきた手がワイングラスを掴んだ。
「いけません。殿下はお酒に強くないでしょう」
けだるく視線を向ければ、生真面目な面持ちのノヴァが立っていた。酔いのせいか、近付いてきていたことに気付かなかった。
「どうしてお前がそんなことを知っている」
「……見ていれば分かります」
不服そうに言ってみたものの、少しだけ安堵していた。止めてもらったことで、辞去する口実を得たような気がしたのだ。
侯爵に一声かけてから馬車に乗って、城へと戻る。ノヴァは向かいに座っていたが、すっかり酔いが回ってぼんやりとするアレクシスが馬車の揺れでぐらぐらとしているのを見て、隣に移動してきた。
「どうぞ、寄りかかって下さい」
「いやだ」
愛想もなく返しながらも、半分ほど眠りかけているアレクシスは、気付けばノヴァの肩に頭をもたせかけていた。
「アレクシス様はあまり踊っておられなかったようですが……、婚約者はいらっしゃらないのですか?」
「変なことを聞くな。今は居ないが……そのうち決まるだろう」
王子の結婚相手なんて、決まっていたらそれこそ赤子以外の誰でも知っていて当然だ。何も知らないような口ぶりのノヴァをおかしく思いながらも、アレクシスはぶっきらぼうに返した。
「随分と他人事のように仰いますね」
「どうでもいい、誰が相手でも同じだ。おれの婚姻が国の基盤を安定させる材料になるのなら、誰だって受け入れるだろう。誰だって愛さないが」
酒のせいか、いくらか饒舌になる。ノヴァはしばらくの沈黙ののち、少しトーンを落とした声で言った。
「私は、あなたが愛する人と結ばれてほしいと、思っています」
愛する人。
アレクシスは自嘲的に笑う。
「土台無理な話だ。おれが愛するのは、おれが殺した男だ」
返事がない。ガラガラと車輪が回る音ばかりが聞こえる。アレクシスは畳みかけた。
「なんだ? 主人が男色家だと知って失望したか? ふ、残念だったな。気持ちが悪ければ今だって突き放して構わないし、馬車を降りたらそのままカンテバル騎士団長に泣きつきに行くといい。やはり自分には務まらないとな」
ノヴァからは相変わらず返事も無ければ、身動き一つしない。
酔いと馬車の揺れにつられて、だんだんと瞼がおりてくる。
眠りに落ちる一瞬前に、ころしたおとこ、とノヴァが小さく呟くのが聞こえた気がした。
彼は言いつけの通り朝はアレクシスを起こして、顔を洗うための湯を運び、着替えを手伝い、朝食の支度をした。もそもそと食事をしている間にスケジュールの確認をされて、執務を始めれば一息つけるタイミングを見計らって茶を用意する。日が高くなり少し暑くなってきたかと思えば窓を開け、差し込む日が眩しくなれば速やかにカーテンを引き、書類や手紙の類は優先度順に整理する。騎士でなく執事の勉強でもしていたのかと疑いたくなる手際の良さだった。
侍従のように使われることに初日こそ戸惑いを見せたが、二日目からはそれもない。五日経った今日まで、彼は不平不満を口にすることもなく実に有能に甲斐甲斐しく働いた。嫌がらせのつもりだったアレクシスは、逆に理不尽だと文句を言いたくなるほどだった。
「お前」
仕事がひと段落して、よい香りの紅茶を一口飲んでから、アレクシスは溜息のように吐き出した。
「はい」
「なんなんだ。気付いているだろう、お前がさせられているのは騎士の仕事じゃない。プライドはないのか?」
「殿下のために尽くせるのは私の喜びです」
やわらかい笑顔で言われて、反射的に目を逸らす。
こんなはずではなかった。意地の悪いまねをしてやればすぐに音を上げると思っていたのだ。とんでもなく面倒な相手を選んでしまったことに、アレクシスは薄々気付き始めていた。
ノックの音が聞こえて、アレクシスは助かったとばかりに返事をする。
「入れ」
「失礼致します。陛下がお呼びです。騎士殿もお連れするようにと……」
顔を覗かせた侍女の言葉に、ちらとノヴァを見る。彼もこちらに視線を向けたところだった。
ノヴァは不思議そうにしているが、言わずともどこへでも着いてくる彼をわざわざ連れて来いということの意味を即座に悟って、アレクシスは顔をしかめた。
「お前がやーっと騎士を決めたのだから、顔くらい見せに来てくれたっていいじゃないか」
予想通りの言葉に、アレクシスは溜息をぐっと飲み込んだ。ソファに足を組んで座るアレクシスの後ろで、ノヴァが照れ笑いを浮かべている気配がする。
ガラスの天板のローテーブルを挟んで、向かいには王が腰かけている。その隣には、長い黒髪に紫の目をもつ、黒ずくめの衣服を纏った青年がだらしなく座っていた。とても王族の前で許される態度とは思えなかったが、あれは王のお気に入りの魔法使いだから許されているのだ。
「そうかそうか、君がねえ。いいじゃないか。名前は?」
「ノヴァと申します」
「ノヴァ。アレクシスのことを頼んだよ」
「もちろんです、お任せください」
「意地悪されてない? 大丈夫? ちょっとつんけんしてるかもしれないけれど、本当はいい子なんだよ」
「存じております」
自分を通り越して交わされる会話にアレクシスは渋面を浮かべる。魔法使いのハーヴィーがにやにやと面白そうにこちらを見ているのも苛立たしい。
王はノヴァのことを気に入ったのか、上機嫌そうだった。
「好青年じゃないか。いやよかったなあ。カンテバル騎士団長に聞いたが、剣の腕も申し分ないのだろう。アレクシスを負かしたんだって?」
「とんでもないです、殿下は手加減をして下さったので……」
「はは、手加減してやるほど気に入ったのか?」
笑いながら水を向けられて、アレクシスは答えに窮した。違うと言えば負けを認めることになるし、かと言って気に入ったから手加減してやったわけでは断じて無い。王だって、分かってからかっているのだ。にこにことしているくせして、本当に意地が悪いのはどちらだというのか。
「アレクシス。少しだけ彼と二人で……いや三人か。ハーヴィーが居る。三人で話したいんだけれど構わないか?」
「いくらでもどうぞ。おれは先に戻っています」
何を言われるのだか知らないが、これ以上面白がられるよりずっといい。たじろぐノヴァを無視して、アレクシスはさっさと退室した。
主人が出て行って若干居心地が悪そうにしていたノヴァは、どうぞかけて、と手のひらで促されて、ソファに腰を下ろした。
アレクシスの光輝く月のような硬質で繊細な美貌とは系統が違うが、王は整った顔立ちで年齢不詳の、どこか危うさを感じる男だった。眦の甘く垂れた、アレクシスより少し淡い水色の目に、真正面から見据えられてぎくりとする。
「さて、ハーヴィーはどう思う? まさかとは思ったけれど、この子はハーヴィーとロロが騎士団に連れてきた子だね」
「いや、連れてきたのはロロですよ。俺は口添えしただけ」
この場に居ない魔法使いの名前も出されて、ノヴァは内心はらはらした。
騎士とは通常、従騎士として騎士について数年間修練を積み、叙任式を経てようやくなるものだ。飛び込みで雇ってもらえるような職業ではない。
ノヴァがここで騎士で居られるのは、王から絶対の信頼を得ているハーヴィーが後見人になって、口添えしてくれたおかげだ。元来魔法使いは数が少ない。城に勤める魔法使いも五人ほどしか居なかったはずだ。重用される魔法使いの中でも、更に王のお気に入りとなれば多少の無理も通せてしまう。
一年前突然現れたノヴァが騎士団に入って、当然周囲からはやっかみを受けたが、ハーヴィーの紹介だと知れば口出ししてくる相手も居なかった。共に訓練していく中でノヴァの快活で実直な性格と剣の腕前を知れば、次第に仲間達とも打ち解けた。
ハーヴィーは王の肩にしなだれかかって、にやりと横目でノヴァを見る。恩人と言えど、紫色の目は底が読めなくて薄気味悪い。
「いいんじゃあないですか。忠誠心は本物でしょう」
「そうか。ハーヴィーのお墨付きもあれば安心だ。ノヴァ。私はね、別に誰でもいいんだよ」
穏やかな声音に、ノヴァはほんのかすかに眉根を寄せる。
「アレクシスはね、とても仲が良かった騎士が居て……その子が亡くなってから塞ぎ込んでしまった。かわいそうで見ていられなくてね。その子の代わりになれそうなら誰でも構わないんだ」
優しい口調なのに、どこか薄ら寒い。役割を果たせないのならお前でなくてもよいのだ、いつでも代わりに挿げ替えると言外に釘を刺されている。
「アレクシスは自分を顧みずに、すぐ無茶をしたがる。何をしてでもあの子を守ってやるのが君の仕事だ。分かっているとは思うけれど」
王の目が笑みに細められる。
「君の働きに期待している」
ノヴァは曖昧な顔で頷いて、お任せください、と返すことしかできなかった。
それからアレクシスの下へ戻ると、余程妙な顔をしていたのだろう、珍しく気遣われた。
「どうした。陛下に嫌味でも言われたか。あの人は人当たりはいいが底意地が悪い」
人当たりはいいが底意地が悪い。あの甘い顔立ちが薄く笑うのを思い出して、なんだか納得してしまった。王と比べたら、アレクシスの分かりやすい嫌味など可愛らしいものだった。
パーティーが行われる貴族の邸宅の広間は、権力と財力を誇示するように贅が凝らされている。著名な建築家にデザインさせたという高い天井には金の装飾と絵画が一面に広がり、壁面にもまた絵画や彫刻が並ぶ。
光の粒を振りまくシャンデリアの下で、色鮮やかなドレスの裾を引きずり、扇の影で花のように笑いさざめく令嬢たち。広間の中央では男女が手を取り、楽団の奏でる楽曲に身を躍らせる。
アレクシスは、壁際で細長いシャンパングラスを傾け、令嬢たちからの熱い視線の全てに気付かないふりを決め込んでいた。
今夜のアレクシスは、普段なら下ろして肩に垂らしている金髪を、絹のリボンでひとつに結んでいる。黒いジャケットには金糸銀糸で精緻な刺繍が施され、ベスト、ズボンと黒で固めた姿は、肌の白いアレクシスの美しさを引き立てていた。
王にも仕立て屋にも、もっと鮮やかな布地で華やかにしたらいいと言われることもあるが、アレクシスにしてみたらこの程度で充分だ。
実際、派手な装いなどしなくとも、この広間でもっとも視線を集める美貌に違いなかった。
そうして集めた視線など素知らぬふりで、パーティーの主催である侯爵に挨拶をし、礼儀として最初の一曲を侯爵の娘と踊った後は、ずっと壁際に佇んでいた。貴族の男に娘を紹介され、一曲……などと言われても「少し酔ってしまったようで、大切なお嬢様に恥をかかせるわけにはいかないから」などと適当に儚げな笑みを装えば、それ以上食い下がられることも無かった。
パーティーは苦手だ。顔と身分に釣られた女たちに群がられるのも、取り入ろうと代わる代わる声を掛けてきては顔色を窺う男たちの相手をするのもうんざりだった。けれど貴族たちを無下に扱うこともできない。適度にもてなされてやって、繋がりを深めるのも仕事のうちだ。
それにしてもシャンパンがまずい。まさか侯爵が安物の酒を用意するはずもないのだが、アレクシスが酒が苦手なことを差し引いても、渋さが舌に残るようで不快な気分は増すばかりだ。
不快と言えば、今日の服を着せたのも、髪を結ったのも、爪を磨いたのも、あのうっとうしい騎士、ノヴァだった。ぴかぴかに磨き上げた爪に、満足そうな笑みを浮かべる顔がよみがえる。嬉々として支度をする姿は異常なのではないか。今夜のアレクシスは髪の先から爪の先まであの男に形作られている。そう認識すると気がおかしくなりそうだったので、深く考えることをやめた。
ノヴァは今も、少し離れた場所に控えている。視線はあまり、というか全然控えられていない。少し長い前髪の下から、うるさいくらいにこちらを見ている。
黄金色のシャンパンをひとくち飲む。極端にアルコールに弱いアレクシスの肌はうっすらと赤くなりはじめていた。
「殿下」
呼びかけられて左を向く。茶色の髪をきっちりと撫でつけた青年が挨拶をしてくるところだった。
「ガルフィオン伯爵」
「ご無沙汰しております」
近況のような雑談のようなどうでもいい話を聞き、合間に飲んだシャンパンの苦さにかすかに眉根を寄せると、ガルフィオン伯爵が声を潜めた。
「お口に合いませんか? シャンパンといえばセンタメア産のぶどうですが、かの地は近年魔獣の被害がひどくて、出荷量を制限せざるを得ないとか。おかげで侯爵は別の産地から取り寄せたようですが、やはり一味も二味も劣るというものです」
「なるほど」
確かに、魔獣の被害がどうとかいう報告が上がっていたのを思い出す。特産品の生産量が減り、それに伴って収入が減った中で、魔獣の対応をするのはさぞかし厳しいことだろう。魔獣は、野犬のようなものから人間の身の丈の二倍も三倍もある巨大なものまで様々だ。わざわざ手を貸してほしいと報告が上がるのだから、相当苦慮しているに違いない。
思考を巡らせながらシャンパンを飲み干すと、伯爵は給仕から新しいグラスを受け取り、アレクシスの空になったグラスと流れるように交換した。
「お口直しにどうぞ。私もさきほど頂きましたが、こちらは濃密な味わいで口当たりも良いですよ」
それではまた、と挨拶をして遠ざかっていく伯爵を見送って、赤ワインを口に含む。そして再びかすかに眉根を寄せた。
思ったよりアルコールが強い。そもそも一杯飲んだら帰ってしまおうと思っていたのだ。まさかこんな大勢の前で酔っ払って、みっともないところを見せるわけにはいかない。
急いで飲み干してしまおうと思ったところで、脇から伸びてきた手がワイングラスを掴んだ。
「いけません。殿下はお酒に強くないでしょう」
けだるく視線を向ければ、生真面目な面持ちのノヴァが立っていた。酔いのせいか、近付いてきていたことに気付かなかった。
「どうしてお前がそんなことを知っている」
「……見ていれば分かります」
不服そうに言ってみたものの、少しだけ安堵していた。止めてもらったことで、辞去する口実を得たような気がしたのだ。
侯爵に一声かけてから馬車に乗って、城へと戻る。ノヴァは向かいに座っていたが、すっかり酔いが回ってぼんやりとするアレクシスが馬車の揺れでぐらぐらとしているのを見て、隣に移動してきた。
「どうぞ、寄りかかって下さい」
「いやだ」
愛想もなく返しながらも、半分ほど眠りかけているアレクシスは、気付けばノヴァの肩に頭をもたせかけていた。
「アレクシス様はあまり踊っておられなかったようですが……、婚約者はいらっしゃらないのですか?」
「変なことを聞くな。今は居ないが……そのうち決まるだろう」
王子の結婚相手なんて、決まっていたらそれこそ赤子以外の誰でも知っていて当然だ。何も知らないような口ぶりのノヴァをおかしく思いながらも、アレクシスはぶっきらぼうに返した。
「随分と他人事のように仰いますね」
「どうでもいい、誰が相手でも同じだ。おれの婚姻が国の基盤を安定させる材料になるのなら、誰だって受け入れるだろう。誰だって愛さないが」
酒のせいか、いくらか饒舌になる。ノヴァはしばらくの沈黙ののち、少しトーンを落とした声で言った。
「私は、あなたが愛する人と結ばれてほしいと、思っています」
愛する人。
アレクシスは自嘲的に笑う。
「土台無理な話だ。おれが愛するのは、おれが殺した男だ」
返事がない。ガラガラと車輪が回る音ばかりが聞こえる。アレクシスは畳みかけた。
「なんだ? 主人が男色家だと知って失望したか? ふ、残念だったな。気持ちが悪ければ今だって突き放して構わないし、馬車を降りたらそのままカンテバル騎士団長に泣きつきに行くといい。やはり自分には務まらないとな」
ノヴァからは相変わらず返事も無ければ、身動き一つしない。
酔いと馬車の揺れにつられて、だんだんと瞼がおりてくる。
眠りに落ちる一瞬前に、ころしたおとこ、とノヴァが小さく呟くのが聞こえた気がした。
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