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5 人類よりも大切なひと
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錯乱して飛び出して行ったレイを追いかけたアメアは、彼を早々に見失ってしまった。身長の高さが違えば足の長さも違う、運動神経もレイには遠く及ばない。目立つその姿も人ごみに紛れ、高い建物の向こうへ消えてしまい、アメアは立ち止まってゼイゼイと息をした。
恐らく目的地はジェイスの居るであろうバルタレティア大聖堂だ。息が整わず苦しいが、今のレイを放っておくわけにもいかない。
大聖堂へ近付くうちに、溢れるように逃げ惑う人々とすれ違い、進むほどに地鳴りが響いてくる。アメアは不安になった。ジェイスが魔物と戦っているのならいいが、これがもしレイの仕業だったらどうしよう。自分が目を離したせいでとんでもないことが起こっているとしたら。
焦りながらなんとか大聖堂に到着した時、ちょうどジェイスとレイが連れ立って出てくるところだった。正気に戻った様子のレイに安堵したのも束の間、ジェイスに促されて早々にパガネムを発つことになり、汽車に乗る頃にはアメアは疲れ果てて眠ってしまった。
大聖堂でなりふり構わず地面を割り、地震と地鳴りで騒動を起こしてしまったジェイスは、混乱に乗じて大聖堂を脱出し、面倒なことになる前に次の目的地へと向かった。
汽車は二人掛けの座席が向かい合わせになっている。窓際でアメアが眠っていて、その向かいにジェイスが座っている。いつもなら窓際を好むレイが、今はアメアの隣、ジェイスから一番遠い席に腰掛けていた。
「レイ、お腹すいてないか?」
ジェイスが単身大聖堂に向かう前、アメアが買ってきてくれたパンがまだ残っていた。紙袋を差し出すと、レイが黙っておずおずと受け取る。
警戒されている。
ジェイスは苦笑した。
「勝手にキスしてごめん」
わだかまりなんかは早いうちに解いておくに限る。率直に謝ると、レイは驚いたように目を見開いて、真っ赤になった顔でジェイスを見た。
レイは俯いて、しばらく困ったように視線をさまよわせて、ぽつりと言った。
「もう二度としないでほしい」
「嫌だった?」
レイが視線だけでジェイスを見る。目が合って、慌てて目を伏せた。その長い睫毛を見つめる。
「……困る」
「嫌って言ってくれないと、俺多分またレイのこと困らせると思うけど」
謝っていたはずなのにしれっとそう言うと、顔を上げたレイが眉を下げて、途方に暮れたように小さく呟いた。
「……困る……」
嘘でも嫌だと言えないレイがどうしても可愛い。思わずふっと笑みをこぼせば、レイは視線を逸らして、紙袋からパンを取り出した。
それからは大した会話も無く、夜になって汽車は目的地へと到着した。
「ここリベライマオじゃないですか」
汽車から降りたアメアが顔をしかめる。
「来たことあるのか?」
「……地元なんで……」
歯切れが悪いアメアの様子に、そう言えば彼は兄と喧嘩をして家出中だったのだと思い出す。万が一鉢合わせてしまったら気まずいだろう。
「仲悪いわけじゃないんだろ? 一度顔出してみたらどうだ」
「いや……」
渋い顔のアメアが先頭に立って駅舎を出る。辺りはもう暗く、人の行き交いもまばらだった。
「今日はとりあえずあっちに宿が」
右の道の向こうへ指を差して言いかけたアメアが、急に左を向いて険しい顔になる。つられてジェイスもそちらを向けば、一人の青年がこちらへ走って来るのが見えた。
街頭に照らされた青年の髪は、赤褐色だ。
「アメア!」
説明されるまでもなく、あれが彼の兄だろう。
「アメア、よかった、帰ってきてくれて。心配した、ああ、俺を置いて行かないでくれ、アメア」
華奢なアメアよりも背が高くしっかりとした体つきの青年が、弟を強く抱き締めたので、ジェイスは若干ぎょっとした。仲が良いとは聞いていたが、想像以上だ。
「ちょっと、やめて兄さん」
アメアはぶっきらぼうに言って、兄のことを突き放した。必死の表情の兄とは裏腹に、アメアは面倒そうな顔をしている。
「俺今日は一旦実家帰ります。悪いんですけど人泊めるスペースはないので」
「あ、全然いいよ、俺たちは普通に宿探すから」
「はい、じゃあ」
兄と挨拶を交わす暇も無く、アメアは普段に輪をかけてそっけない態度で、兄をぐいぐいと押して去って行った。
それからアメアが指差していた右の道の向こうの宿で、ジェイスは二部屋借りて、鍵のひとつをレイに渡した。
「はい、じゃあレイはこっちの部屋な」
階段を上り、連れ立って歩きながら、レイは不思議そうに首を傾げる。
「別々の部屋なのか?」
これまではずっとレイとは同室で過ごしていた。ジェイスは複雑な気分で笑う。
「別々の部屋だよ。さすがにもう同じ部屋はちょっと」
「なぜだ? 何かあった時にお前を守ってやれない」
「俺よりも自分の身を守ることを考えてほしい。わかるか?」
ジェイスを見上げる顔を見れば、レイは全くピンと来ていないようだった。ジェイスは立ち止まり、レイの滑らかな髪を掻き分けて、首の後ろを抱いた。
「わからない?」
レイの白い肌がみるみる色付いていく。手を首から滑らせ、赤く染まった頬を指の背でそっと撫でると、ほんのり熱を持っていた。
「……わかった!」
弾かれたように叫んで、レイは自分に宛がわれた部屋へと駆けこんで行く。
レイはジェイスに迫られると困るくせして、なぜか全面的にジェイスを信用して油断している。キスされたら困るのに、自分の事を好きな男と同じ部屋で寝ようとされても、ジェイスの方が困るのだ。
逃げようとする美しいひとに手を伸ばす。繊細に輝く金色の長い髪がなびく。ゆったりとした白い衣からは、無防備な肌が覗く。
腕を掴んで押し倒せば、碧い瞳が怯えをもってこちらを見た。
「ど、どうして、やめてください、こんなこと」
レイだ。顔も体つきもレイに違いないのに、髪の色と服装、言葉遣いが違う。ジェイスが知る彼より、大聖堂の地下ダンジョンで見せられた幻覚の方が近かった。
「どうして? あなたは本当に知らなかったんですか」
ジェイスの口から勝手に言葉が零れる。自分の声なのに、自分の口調ではない。ひどい違和感を覚えるのに、体は勝手に動いた。
怯えるレイに覆いかぶさる。ジェイスの影の下で、レイは裏切られたような顔をしてこちらを見上げていた。
「俺がどんな目であなたを見ていたか。俺がなんのために命を捧げてまで使命を全うしたのか。あなたは本当に知らないんですか」
「知らない、やめてください、あ、あなたは皆の英雄で」
血の気が引いて、元々白い顔が真っ白になっていた。
かわいそうだ。自分は決してこんなことがしたいわけではない。
そう思うのに、勝手にレイの衣へと手がかかる。
「皆? 俺は誰のこともどうだっていいです、あなたが、あなたが喜んでくれるならなんでもできた、全部あなたのためだった。あなたが笑ってくれるなら俺はなんでもできたんです」
そうだ、レイにはいつだって笑っていてほしい。こんな顔をさせたくない。体は自分のものではないように自由にならない。
「知らないなら教えて差し上げますよ、俺がどれだけあなたを――」
目を覚まして、最低の気分だった。カーテン越しに明るい光がさしこみ、小鳥が囀っているのに全くさわやかな気分にはならない。
「最悪すぎる」
顔を押さえて呻いた。なんという夢を見ているのか。自己嫌悪で落ち込む。
しかもなぜあの金髪のやたらと繊細そうな姿を夢に見るのだろうか。今のレイの傲慢さのようなものが欠片も見当たらない。深々とため息を吐いた。
ジェイスはシャワーで水を被って頭を冷やしてから、身支度を整えてレイの部屋へと向かった。
「レイ、起きてる? 朝飯外に食べに行かないか」
ノックをすると、すぐにレイが出て来た。少し顔色が悪いような気がして、眉をひそめる。
「ちゃんと寝たか?」
「……寝た」
目をそらして答えるレイは、まるで嘘を隠そうとする子供のようだった。もしかしたらまだ眠ることに抵抗があるのかもしれない。安心して眠れるまで手を握っていてやりたいと思うが、今朝の夢が頭を過ぎって気まずい表情を浮かべてしまった。
「無理はしないでくれよ。朝飯食べれそう?」
レイが頷いたので、二人は宿から出て緑の多い街並みを適当に散策し、ショーウィンドウに様々なパンが並んでいるカフェへと入った。
店内は焼き立てのパンの、食欲を刺激する香りが漂っている。ガラス越しにパンを選ぶレイの横顔は心なしか楽しげに見えて、ジェイスはほっとした。
店先の木陰のオープンテラスの席に、向かい合って腰掛ける。レイはバターのたっぷり使われたシンプルなパンと、クリームと果物のジュレを包んだパンを選んだ。ジェイスは厚めに切られたハムが溢れんばかりに挟まれたパンにかぶりつく。
気温が上がる前の涼しい風が吹いて、葉擦れの音が聞こえる。向かいでは美しい人が小さく口を開けて焼き立てのパンを頬張っている。穏やかな時間に、朝のなんともいやな気分が薄れていった。
「おいしいか?」
「ああ。おいしい」
目を合わせて微笑む姿にじんわりと幸せを感じて、ジェイスも知らず口元が綻ぶ。
やっぱり彼にはこうして笑っていてほしい。邪神を討伐だのよくわからないことは置いておいて、ずっとこんな風に過ごせたらいいのにと思った。
「これも一口食べてみるか?」
「……いいのか」
「俺が口付けちゃってるので大丈夫なら」
「べつに構わない」
手を伸ばして一口かじらせようとしたその時、一瞬辺りが明るくなって、バリバリという凄まじい音が響いた。
「なんだ!?」
晴天にもかかわらず近場に雷でも落ちたかと慌てて立ち上がる。取り落としそうになったパンはレイが受け止めた。
音の方へ振り向くが、何かが破壊されたような跡もなければ魔物が襲ってきたのでもない。朝ののどかな風景はそのままに、二人の少女が立っていた。
どちらも髪をふたつに結んだ、小柄な少女だ。一人は吊り目で、白い肌に金髪、黒いワンピース。もう一人は垂れ目で、褐色の肌に銀髪、白いワンピースを身に纏っていた。対照的でありながら対のようなその二人が、ジェイスを――いや、ジェイスの向こうに座っているレイを見ている。
「輝ける君! やっと見付けました、どうか天の園へお戻りください!」
吊り目の少女が懇願するように言って、二人はレイの元へと駆け寄った。
知り合いなのかとレイを見ると、とても少女を見るような目ではない、あまりにも冷たすぎる眼差しで二人を睥睨していた。
「私が天へ戻ることは二度とない。お前たちだけで帰りなさい」
低い声はにべもない。一体何の話をしているのか、蚊帳の外のジェイスは黙って様子を窺った。
「そんな、私たちを見捨てられるのですか」
垂れ目の少女が悲壮感漂う声を上げる。そんな彼女にすら、レイは冷ややかな態度を崩さなかった。
「知っているだろう、私にはもう彼以外優先するものはない」
息を呑んだ少女たちからの視線を向けられ、ジェイスはたじろいだ。その目には憎悪が宿っている。
「お前が……、お前なんかが……っ」
「彼を侮辱するなら、お前たちでも容赦はしない」
手にしていた食べかけのパンが乱暴に皿に戻され、テーブルとぶつかって音を立てる。地を這うような声に、気温が下がったような気さえした。立ち上がったレイは明確な殺気を放ち、少女たちへと一歩踏み出す。少女たちは怯えて一歩後ずさった。
「だって、だって貴方はそんな、生き物の屍肉など食べずとも生きていけたのに。その男のせいで貴方は」
狼狽えるように吐き出される言葉。ハムのことだろうか。屍肉には違いないが随分な言いようだった。
「忠告が聞こえないようだ」
「待って待って、落ち着いて。よくわかんないけど、一旦帰った方がいい、お互い落ち着いてから話そう」
不穏な空気にジェイスはとりあえず立ち上がって、レイと二人の間に割って入る。放っておいたら血を見る事態になりそうだ。
「レイもほら落ち着いて、俺は別に侮辱されたと思ってないし、大丈夫だから一旦帰ろう」
ジェイスはレイの腕を引っ張って引きずるように距離をとらせて、持ち帰り用の紙袋を店員からもらって、食べかけのパンを手早く詰めた。
「じゃあ、またな」
少女たちに終始睨まれているのを感じつつ、不満顔のレイの腕を引いて店を後にした。
「そろそろレイが何者なのか聞いてもいいか? もしかして人間じゃない?」
宿に戻ってベッドに腰を下ろし、真っ先に訊ねる。もう見て見ぬふりは限界だった。まどろっこしいやりとりも向いていない。
レイは部屋の真ん中で所在なさげに立っていた。無表情で、赤い目が何を考えているのかはいまいち読み取れない。
「別に無理に教えろとは言わないけどさ。レイが何であれ、好きなことに変わりはないし」
レイの頬にじわりと血色が滲む。
「……私は――」
ゆっくりと歩いて、レイがジェイスの目前で立ち止まる。
「かつて、全能たる神であった」
厳かに告げられる。赤い目が不安そうに見えて、ジェイスはレイの手を取って両手で握りながら、うん、と答えた。
「お前を……勇者を喪って、悲しくて、私は、……人類を滅ぼそうと」
「待って、なに?」
さすがに聞き捨てならない。
レイが神だと言われてもなんとなく信じられた。見たことがないほど美しく、食べることも眠ることも不慣れで、何をも破壊できるほど強い。人間だと言うよりよほど納得できるくらいで、心のどこかで覚悟できていた。
その美しい彼の美しい唇からとんでもない言葉が放たれて、さすがに動揺してしまった。
レイはなぜか恥ずかしそうに、言い訳するように言葉を重ねる。
「だって、許せなかったんだ。お前の犠牲があって得た平和なのに、ほんの五十年ほどで皆すっかりお前のことを忘れてしまった。お前が居ない世界で、幸せを享受している人間どもが許せなくて」
「それは……、まあ、五十年もしたらそんなもんじゃないか?」
「私はゆるせなかった!」
声を荒らげるレイの手を、宥めるようにぽんぽんと叩く。
「そういうこともあるか。それで? 滅ぼさなかったんだ?」
「さっきの……、二人はヴィエンヌとホザンナという。私の部下のようなものだ。彼女たちに、勇者が生まれ変わってくるかもしれないから、勇者が生まれる世界を壊すつもりかと言われて、だから我慢した。お前が生まれてくるまで我慢した」
その言葉に、レイと出逢った時のことを思い出す。
――幸せでないならこの世界を滅ぼすぞ。
あの言葉は、冗談でもなんでもなかったのだ。理解して、若干血の気が引いた。
「そっか。滅ぼさないでくれてありがと」
レイがこくりと頷く。物騒な話をしているわりに、仕草ばかりが幼く見える。
「だが、人を滅ぼそうと、憎しみを抱いてしまったことで、私は神性を剥奪され、全能を失ってしまった。体が人間に近くなった」
「なるほど。ついでに何で手袋外さないのか聞いてもいい?」
いろいろと話してくれた今なら聞けるかと訊ねたが、レイはジェイスに揉まれていた手をぱっと離した。
「……いやだ」
「うーん、そうか」
正体を明かすよりも隠したい秘密なんかあるか? ジェイスは渋い顔になったが、無理に聞き出すようなことはしなかった。
「あっ? もしかして、レイって昔金髪だったりした?」
急に思いついて訊ねると、レイの瞳が輝いた。
「思い出したのか?」
その明るい声に、なぜか理不尽な気持ちになる。
「や、悪い、そういうんじゃないけど」
「……そうか」
しゅんとして俯く。期待させて可哀想なことをしたという気持ちと、今のジェイスよりもやはり勇者の方が好きなのかという気持ちが同時に渦巻いた。
ジェイスはレイの手首を掴んで引っ張り、膝の上に座らせる。顔を赤くして逃げようとするのを、腰に腕を回して引き留め、肩口に顔を埋めた。
「ジェイス」
「俺より勇者の方がいいのかよ」
「どちらがいいなんてない、同一の魂を持っているのだから」
困惑した声でレイが答える。
ジェイスが今朝見た夢も、大聖堂の地下ダンジョンで見せられた幻影も、魂の記憶が残っていたのかもしれない。ジェイスは初めて、本当に自分が勇者の魂を持っているのかもしれないと意識した。
勇者には、旅路を共にした仲間たちがいたはずだ。けれど今まで、一度だって思い出したことはない。思い出したのはレイのあの金髪の姿だけだ。
生まれ変わっても消えないほど強く記憶に刻まれている、ただ一人の男。あの幻影は、今朝の夢は、魂が見た願望だったのではないか。
「もしかして勇者と付き合ってた?」
「そんなわけないだろう!」
耳元で叫ばれて、ジェイスは思わず顔を上げた。赤面したレイが離れようとジェイスの肩を押してもがいているが、ジェイスは腰をがっちりと掴んだまま離さなかった。
「わ、私はずっと勇者の幸せを願っていた! 勇者が英雄となり、妻を娶って子を成して幸せになるのだと、ずっと! 私がどうして付き合うんだ!」
「マジで? 本当に考えたこともなかった? 勇者と恋人になりたいって」
「ない、考えたこともない、私なんかどうだっていいんだ、お前が幸せになってくれさえすれば後のことなんて全てどうだって」
「マジで言ってる? レイ自身の幸せはどうでもいいって?」
「そうだ、お前の幸せ以外は全て些事だ」
その真剣な顔に、思わず苦笑した。
レイの、神の言う「全て」――世界の全てよりジェイスの幸せが優先すると言われても、喜ぶことなどできない。出逢った日の言葉通り本当に、レイはジェイスのためなら世界だって滅ぼしてしまうのだろうという確信と危機感があった。
きっと彼自身が勇者と恋人になりたいと私欲を抱いたのであれば、こんな風にはならなかったのではないか。
勇者だってきっとレイのことが好きだった。強引にその体を暴く夢を見てしまうほどに。二人が結ばれていれば、レイはあの金髪の繊細で優美な姿のまま、神性を剥奪されることもなく、ジェイスの幸せを願って思い詰めることもないはずだった。
けれどそうしたらジェイスは彼に出逢えなかった。
自己を顧みずひたすらにジェイスの幸せを求めるレイとは違い、ジェイスはたとえ彼の存在が歪んでしまったとしても、こうして出逢えてよかったと思ってしまう。
自嘲が浮かぶが、考えても仕方のないことだ。勇者は死んで、二人は結ばれなかった。ジェイスにできるのは、この頑なで人の話を聞かない美しくてかわいい男に、自身も幸せを求めていいのだと教えてやることだけだった。
「じゃあ今から考えてくれよ。俺と恋人になりたいって。俺が誰かと幸せになるところなんか見て、あんたはそれで気が済むって? こうやって触れ合って、俺が全部あんたのものになったらどんな気持ちになるか、想像してみなよ」
レイは目を見開いて驚いた顔をした。
「だ、だめだ、そんな、だって私じゃお前の子を産んでやれないし」
「いらないって言ってるだろ」
「どうして? 人間は子を作りたいだろう? お前はまだ若いから分からないかもしれないが、自分の子を抱けばきっと」
何度も繰り返した問答に溜息が出そうになる。顔を寄せてレイを覗き込むと、彼は真っ赤になった顔を背けた。
「じゃあもしあんたが女だったら、俺とセックスして子供産んでくれんの?」
直接的な言葉を出すと、レイはびくりとその身を震わせた。
「お前が望むなら……」
「俺とセックスするの嫌じゃない?」
「嫌じゃ……待て、もし女だったらの話をしているのだな?」
「そうだよ」
しれっと真顔で答えると、レイはおずおずと頷いた。
「嫌ではない……ジェイス!」
返事を聞くなり、腰を抱いていた手を撫で上げるように背中へ滑らせた。レイが悲鳴をあげて腕を突っ張り、なんとか離れようともがく。
「嫌じゃないんだろ?」
「私は女じゃない!」
「女じゃなくていいし子供もいらない。俺は男のレイとセックスしたい」
「子供もできないのにどうしてだ? 快楽を求めてか? なら尚更女の方がいいだろう」
涙目で困惑するレイに、ジェイスは動きを止めた。
愛する人と交わりたいなんて当然のことだと疑問にも思わなかったが、レイは人間ではない。神様だ。そもそも本当に、そういう触れ合いなど求めていないのかもしれない。そうだとしたら、ジェイスの欲求は独りよがりに過ぎない。
ジェイスは返す言葉を失ってしまった。
散歩がてらアメアの家を探すと言って、ジェイスは出掛けて行った。昨晩は流れで別れてしまったから、互いの場所も知らなければ翌日以降の予定も立っていない。
レイはよろよろと自室へ戻り、ベッドへとうつ伏せに倒れ込んだ。
まだ心臓がどきどきしている。
ジェイスはレイに触れてくることが多くなった。愛おしむ目で見つめられて、彼のごつごつした手で触れられると、心臓が暴れて言うことをきかない。喉が詰まって泣きそうになる。
本当に困るのだ。
レイは神だったから、人間と結ばれるなんて考えたこともなかった。今でこそ神性を失って力が弱まり地上に降りて来られたが、本来は天の園から出ることはできなかったのだ。
愛しい相手が、愛するひとと結ばれ、血が受け継がれていくのを見守る。それはレイが想像できる当然の未来で、最良の幸福の形のはずだった。
けれど、今は愛する人が直接触れて、自分と同じ気持ちだと言ってくる。困る。それは想像していなかった未来だ。
今でもジェイスは人間と幸せになるべきだと思っている。
過去に勇者テオバルドとして手に入れられるはずだった未来を手に入れて、今度こそ幸せになるところが見たい。紛れもない本心だ。
本心なのに、ジェイスに口付けられてからというもの、あの感触を何度も反芻している。少しかさついて柔らかくて熱い唇。思い出すだけで恥ずかしくて死にそうなのに、また触れたいなんて邪な思いを抱いてしまう。
――こうやって触れ合って、俺が全部あんたのものになったらどんな気持ちになるか、想像してみなよ。
ジェイスの声がよみがえる。
ジェイスの全てがレイのものになって、レイのすべてがジェイスのものになる。好きな時に触れ合って、抱き締め合って、あの口で、声で、レイに愛を囁く――。
レイは耳を押さえて蹲った。
鼓動がうるさい。呼吸が乱れる。
でもそんな日はこないのだ。
テオバルドの幸せを奪った自分が、彼に愛されていいはずがない。
なにより、神性を失うというのがどういうことなのか知ったら、きっとジェイスはレイを軽蔑するに違いなかった。
レイの真性が見えているアメアだってあんなに怯えていた。
当然だ。愛されるはずがない。
おぞましい化け物に成り下がった体など。
ジェイスは駅まで向かってから、改めてアメアが兄と共に消えていった方向へと歩いていた。
ジェイスたちはアメアが教えてくれた方向の宿に泊まっているから、探し回らなくても多分アメアの方から見付けてくれるだろう。
アメアを探しがてら散歩なんて口実で、ただ少しレイから離れたかっただけだ。
居た堪れなかった。
人間として当然の欲が、浅ましく恥ずかしいもののように思えた。
それでも別に欲が消えるわけではない。二十二歳の健全な青少年が、好きな人を抱きたいと思うのは至極当然だと今でも思う。
一緒に気持ちよくなりたいし、レイのよがる姿が見たい。腕の中で死ぬほど甘やかしてどろどろに溶かしてやりたい。けれどそれにどんな大義名分があるのだろう。
ぼーっとしながら歩いていると、後ろから少女の声に呼び止められた。
「あなた! 少しお時間を頂けますか。お話させてくださいます?」
振り向けば、ヴィエンヌとホザンナが立っている。先ほどよりも冷静な様子で、レイではなくジェイスに会いに来たのが意外だった。
「いいよ。お茶でもする?」
「私たちは人間の食べ物は口にしません」
「そっか」
レイはあれこれ食べてたけどなあ、と思いながら、連れ立って適当に歩いて行く。街路樹の植えられた道は、人通りが少なく、木々の間から差し込む日光が石畳にまだら模様を描いていた。
「あなたが輝ける君の探していた勇者の転生体ですね。輝ける君はあなたが幸せになるところを見届けるまでは、きっと天の園へは帰ってきてくださらない。輝ける君の望み通り、速やかに人間の女と結ばれて幸せになっていただけませんか?」
ずっと喋っているのは吊り目の少女の方だった。言葉は丁寧だが、言っていることは乱暴だ。レイと似たようなことを他人にまで言われて、もう聞き飽きたなとジェイスは渋い顔になる。
「輝ける君ってレイのことだよな?」
「レイ? あの方を人間のように呼んでいるんですのね」
吊り目の少女に怪訝そうな顔を向けられる。以前からの知り合いであろう少女が名前を知らないと言うのは少し不思議だった。神だから名前が無かったのかもしれない。
「悪いけど俺好きな人いるから。女と結婚する気ないし、レイを帰すつもりもない」
「なんですその言い方。まさか輝ける君を好きだとかおっしゃいませんよね?」
「好きだけど」
少女二人が足を止めたので、ジェイスも立ち止まる。
「偉大なる神に人間が懸想? 不遜がすぎますわ。あのお方を自分だけのものにしようだなんて、恥というものをご存じない?」
そう言われるとそうだよなあと頷かざるをえない。神に恋なんて、言葉にしたら確かに恐れ多く、滑稽だ。
「でももう好きになっちゃったしなあ。レイも帰りたくなさそうだし、放っておいてもらえないかな?」
「私たちにとっても大事なお方です。かつて天の園はあの方の照らす光に満ちて真っ白に輝き、その超高温の光で全ての魂は溶けあっていました。光を失い、我々の魂は固化し、個別の存在になった。常に孤独で心細く、不安な存在に。我々はあの光に満ちた天の園を取り戻したいのです」
魂が溶けあっていたと言われてもいまいち想像がつかず、なんか怖いな、という感想しか抱けなかった。
ジェイスたち人間は個別の存在なのが常だが、彼女たちはひとつの存在であるのが常であったというのなら、突然常識が変わったような感覚だろうか。あるいは、ずっと手を繋いでいた人が離れていくような寂しい気持ちだろうか。想像するしかない。
「あんたたちも大変だったんだな。でも俺も諦める気はないんだ。悪いけど」
レイが帰りたがっているのなら考えるが、本人にその気がないものを、手放す気などさらさらなかった。
「あの方のあのお姿を見ましたか? あんな窮屈そうなお召し物で……。あれは輝ける君の状態がそのまま表れているのです。神性が欠けたことでその身に制限を課せられてしまった、あのお労しい姿を見て、何も思わないのですか」
言われて、レイの服を思い出す。体にぴったりと添った黒い服に、やたらとベルトを締めていた。
なるほどあれは枷を嵌められたような彼の現状を示すものなのかと納得したが、凡俗であるジェイスには煽情的にしか映らなかった。そんなことを言ったら怒られるのが目に見えていたのでさすがに飲み込んでおく。
「窮屈だったとしてもさ……、天の園?に戻ったら自由になれるわけでもないんだろ。好きにさせてやってよ」
「わかりました」
その返答をしたのは、ずっと黙っていた垂れ目の少女の方だった。諦めてくれたのかと安堵したのも束の間、少女から放たれる殺気にジェイスは反射的に飛びのいた。
「ではここで死んでいただきます」
「それはまずくない!? レイが泣いちゃうじゃん!?」
錯乱して泣き続けていたレイのことを思い出す。泣いて済むならまだしも、ジェイスが殺されたりなんかしたら、今度こそ本当に世界の危機だ。
ジェイスだって黙って殺される気なんかない。
風が唸りを上げて、刃のようにジェイスへと襲い掛かる。避けながら剣を抜いたが、さすがに少女を斬るには抵抗があった。
地を蹴って刃を避け、よけきれないものは剣で切り裂いたが、腕や足にかすっては血が溢れる。傍観していた吊り目の少女が腕を伸ばすと、その手のひらの上に炎が渦を巻く。
「跡形も残らず消します。あなたは分をわきまえて身を引いたのだとお伝えしましょう」
レイが強化してくれた剣なら、おそらく炎でも切り裂ける。しかし炎を消し去れるわけではないから、人通りが少ないとは言え、周囲に被害が出るかもしれない。
どうするべきか。先んじて斬り付けてしまうべきか。けれど年端も行かない少女が相手だということが、ジェイスの判断を鈍らせる。
吊り目の少女が炎を纏う手を振りかぶった時だった。
「ヴィエンヌ! ホザンナ!」
雷鳴のような怒声が響く。途端に風も炎も立ち消えて、少女たちは怯えたように声の主を見た。
怒気も露わにレイが歩いて来る。急に気温が下がったように感じた。彼が落ち着けるようにせっかく時間を置いたのも台無しだ。
「レイ! ちょっと待って、話してただけだって、大丈夫だから」
「容赦はしないと言ったはずだ。彼に手を出すならお前たちは消す」
宥めようとするジェイスの声も耳に入っていない様子で、少女たちへと詰め寄る。
褐色の肌に垂れ目の少女が、意を決したように言った。
「私の消滅と引き換えに、あなたが天の園へ戻ってくださるのなら……」
「ホザンナ!」
吊り目の少女が、垂れ目の少女を止めるように縋り付く。ようやく褐色の少女の方がホザンナ、金髪に吊り目の方がヴィエンヌだと分かった。
悲壮感を漂わせる少女たちとは裏腹に、レイは顔色一つ変えない。
「お前たちが消えたところで、私が天へ戻ることは二度とない。彼の害となるなら消すだけだ」
顔色を失った少女たちがあまりに哀れで、ジェイスは後ろからレイを抱き締めた。
「レイ、俺は大丈夫だって、落ち着いて」
「大丈夫なものか! お前に傷が、……傷が、ジェイス、傷が」
レイを抱き締める腕にも無数の切り傷があることに気付いて、彼の声が揺らぐ。意識がすっかりジェイスに移ったこの隙に逃げろと、少女たちに目配せをした。
「……っ、あなたがここにいらっしゃること、バドに伝えておきますから!」
ヴィエンヌが悔しげに言い置いて、二人は風のように姿を消す。
バドという名前に、一瞬レイが動揺したのが見て取れた。
「バドって誰?」
「誰でもいい、お前には関係ない。それより早く傷を治さないと。アメアのところに行こう。痛むか?」
「平気だよ、かすり傷だって。アメアどこに居るかわかるのか?」
「こっちだ。早く」
ジェイスがどれだけ平気だと主張したところで、怪我を治すまでレイは落ち着かないだろう。実際、部位によっては深く切れて、血が止まらない傷もある。
「すまない。お前から離れるべきではなかった」
悔恨の滲む苦し気な声に、ジェイスまで胸が苦しくなった。彼は何も悪くないのに。
早足で先導するレイに着いて行くと、どんどん建物は減っていき、舗装された道から踏み固められた土の道に変わっていく。青々と茂る木々の間を抜けて辿り着いた先に、小ぢんまりとした木造の一軒家があった。
「かわいい家だな」
錆びてところどころ剥げた黒い鉄柵にぐるりと囲まれているのが、どこかちぐはぐな印象だった。
耳障りな軋む音を立てて門を開けると同時に、家から青年が出てくる。アメアではない。
「うちに何かご用……あれ、もしかしてアメアと一緒に居た……アメアとダンジョン巡りしてるっていう方ですか?」
外ハネの赤褐色の髪を持つ、黒いシャツを着た快活そうな青年だった。筋肉の付いたしっかりとした体格で、アメアとはあまり似ていない。
「アメアはどこだ」
挨拶もせず居丈高に言うレイの口を後ろから塞いで、ジェイスは誤魔化すように笑った。
「いつもアメアにはお世話になってます! 俺がジェイス、こっちがレイです。家族で過ごしてるとこすいません、ちょっと怪我しちゃったんで、弟さんの力を借りたいんですが」
「それは大変だ。大丈夫ですか? どうぞ、中へ」
招き入れられ、通された居間でレイと並んでソファに腰を下ろした。床の上に積み上がった書物の上に、脱ぎ捨てられた服が乱雑に引っかかっていて、兄の印象からはかけ離れた荒れた部屋だった。
イザイアと名乗った兄がアメアを呼びに行く。待っている間もレイはそわそわとジェイスの怪我の様子を気にしていて、ジェイスはレイを宥めていた。
やがて疲れ切った様子のアメアが一人で居間に現れる。いつもはポニーテールにしている髪は下ろしたままで、寝間着であろうよれよれのシャツを着ていた。寝起きのようだ。
「悪いアメア、ちょっと怪我して」
「はあ、オレ抜きでダンジョン行ったんですか」
「そうじゃないけど、なんかアメア疲れてないか?」
「まあ……」
曖昧な返事をしつつ、アメアがジェイスの怪我を確認して、清晄顕現で傷を治した。今回は傷が多かったせいか、治癒と引き換えに体力を奪われて、軽く眩暈がした。
「ジェイス。もうダンジョンはいいから、できるだけ早くここを離れたい」
「何で?」
レイは気まずそうな顔で押し黙った。
「……バドが来るから? バドって誰?」
ヴィエンヌの去り際の言葉を思い出して再び訊ねるが、やはり返事はない。
「レイがビビるくらいヤバい奴なのか」
「ビビ……、っているわけではない。会いたくないだけだ」
それが一体誰で、どういう相手なのか気になるが、レイが嫌がっているのに無理に会わせるわけにもいかない。ジェイスは息を吐いた。
「わかった、すぐ発とう。アメアは行けるか? お兄さんとは仲直りできたのか」
聞けば、こちらも渋い顔で黙り込む。
「もしかしてまた喧嘩したのか? それで疲れてる?」
「そういうわけじゃないですが……わかりました。ちょっと話してくるので、外で待っていて貰えますか」
家族同士、聞かれたくない話もあるだろう。ジェイスはレイと外に出て、門扉の近くでアメアを待った。
しばらく経ってもアメアは出てこない。そもそもアメアが家出するほどの何かがあったのだから、やはりそう簡単に片付くものでもないのか――突然家の中から大きな物音が聞こえて、また静かになった。
「アメア大丈夫かな」
心配になって家に寄り、窓からそっと中を覗いた。カーテンが締まっているが、細く開いた隙間から中が見える。ちょうどその部屋にアメアとイザイアが居た。
ジェイスは目を疑った。イザイアがアメアに覆いかぶさって口付けている。
乱暴されているのかと思ったが、アメアが腕を兄の首に回していて、それは愛し合う恋人同士の振る舞いだった。見てはいけないものを見てしまったのではないか。心臓がばくばくした。
視線に気付いたのか、アメアの目がこちらを向いたように見えて、ジェイスは慌ててしゃがんで身を隠す。
完全に混乱した脳裏に、パドストートンの海辺でアメアとしたやりとりがよみがえった。
――お兄さんと仲悪いのか?
――すごくいいですよ。
すごくいいですよ。こういう意味だったなんて聞いていない。
ドアが開く音がして、足音が近付く。顔を上げれば、真顔のアメアが立っていた。
「見ました?」
「……悪い」
その気はなかったとはいえ、結果として覗きになってしまったことを謝ると、アメアは深く溜息を吐いた。
「まあ、そういうことです」
「そういうことなのか」
平然として弁解するでもないアメアの様子は、見た通り、彼が兄であるイザイアと恋仲であることを示していた。
「軽蔑しましたか」
「いや、しないけど。びっくりはした」
正直に伝えると、アメアは理解しがたい様子で顔をしかめた。兄弟同士でなんて、と非難されることを想定していたのかもしれない。ジェイスとしては、道を共にしてくれる仲間であるアメアが、非合意で乱暴されているのでなければ特に口を挟むつもりはなかった。
アメアは気だるげに腕組みする。
「なので、兄さんはオレが出掛けることを快く思っていないんですよね。一旦家出してるので、なおさら、オレが兄さんを捨てるんじゃないかと心配みたいで」
「アメアは離れて平気なのか?」
ジェイスなら、好きな相手と離ればなれになりたくはない。しかしアメアは、暗い顔で笑った。
「色々あったんで」
もうばれてしまったのだからとアメアに招き入れられ、ジェイスは再び居間でソファに腰掛け、テーブル越しに兄弟と向かい合っていた。
ジェイスの隣には何も知らないレイ、向かいにはイザイア、その隣にアメアが座る。
「改めまして、アメアが世話になりました。このまま諦めてもらっていいですか?」
にこっと陽気に笑って言うイザイアに、アメアが顔をしかめた。
「兄さん。俺はそんなつもりないから」
「なんでそんなこと言うんだ、アメア、俺を捨てるつもりなのか!」
詰め寄られるアメアは呆れたような顔をしているのに、情緒不安定なイザイアの様子にジェイスの方が動揺してしまう。
「ちょっ、お兄さん落ち着いて下さい」
「俺からアメアを奪おうとしてるくせに!?」
矛先がジェイスに向いて、隣に居るレイがピリッとしたのが分かる。背中に冷や汗をかいた。
「兄さんが冷静になれないならオレはすぐにでも出て行くよ」
「アメア!」
突き放すような言葉にイザイアが悲鳴じみた声を上げるが、アメアは顔色一つ変えなかった。
「兄さん。オレはまたそのうち帰ってくる。お互い冷静になれるまでさ、ちょっと距離置いたほうがいいよ」
「俺のことが嫌になったのか。そうならそうと言ってくれ」
「そんなこと言ってないだろ」
「ならどうして」
「オレたち一緒に居ても依存するだけだからだよ! オレが兄さんをそんな風にしたの? オレは、昔みたいな兄さんに戻ってほしくて……」
ジェイスたちの存在を忘れたかのように言い争いを始める。部外者である自分たちが聞いていいのか冷や汗が出てくる。
なんとか仲裁できないかと気を揉むジェイスの隣で、レイがおもむろに口を開いた。
「お前が捨てられると不安に思うのは、お前がアンデッドだからか」
突然の言葉に、兄弟から揃って表情が消え、空気が張り詰める。
「……え?」
ジェイスだけが状況がわからず、思わずイザイアに目を向ける。彼も、アメアも、否定しなかった。
恐らく目的地はジェイスの居るであろうバルタレティア大聖堂だ。息が整わず苦しいが、今のレイを放っておくわけにもいかない。
大聖堂へ近付くうちに、溢れるように逃げ惑う人々とすれ違い、進むほどに地鳴りが響いてくる。アメアは不安になった。ジェイスが魔物と戦っているのならいいが、これがもしレイの仕業だったらどうしよう。自分が目を離したせいでとんでもないことが起こっているとしたら。
焦りながらなんとか大聖堂に到着した時、ちょうどジェイスとレイが連れ立って出てくるところだった。正気に戻った様子のレイに安堵したのも束の間、ジェイスに促されて早々にパガネムを発つことになり、汽車に乗る頃にはアメアは疲れ果てて眠ってしまった。
大聖堂でなりふり構わず地面を割り、地震と地鳴りで騒動を起こしてしまったジェイスは、混乱に乗じて大聖堂を脱出し、面倒なことになる前に次の目的地へと向かった。
汽車は二人掛けの座席が向かい合わせになっている。窓際でアメアが眠っていて、その向かいにジェイスが座っている。いつもなら窓際を好むレイが、今はアメアの隣、ジェイスから一番遠い席に腰掛けていた。
「レイ、お腹すいてないか?」
ジェイスが単身大聖堂に向かう前、アメアが買ってきてくれたパンがまだ残っていた。紙袋を差し出すと、レイが黙っておずおずと受け取る。
警戒されている。
ジェイスは苦笑した。
「勝手にキスしてごめん」
わだかまりなんかは早いうちに解いておくに限る。率直に謝ると、レイは驚いたように目を見開いて、真っ赤になった顔でジェイスを見た。
レイは俯いて、しばらく困ったように視線をさまよわせて、ぽつりと言った。
「もう二度としないでほしい」
「嫌だった?」
レイが視線だけでジェイスを見る。目が合って、慌てて目を伏せた。その長い睫毛を見つめる。
「……困る」
「嫌って言ってくれないと、俺多分またレイのこと困らせると思うけど」
謝っていたはずなのにしれっとそう言うと、顔を上げたレイが眉を下げて、途方に暮れたように小さく呟いた。
「……困る……」
嘘でも嫌だと言えないレイがどうしても可愛い。思わずふっと笑みをこぼせば、レイは視線を逸らして、紙袋からパンを取り出した。
それからは大した会話も無く、夜になって汽車は目的地へと到着した。
「ここリベライマオじゃないですか」
汽車から降りたアメアが顔をしかめる。
「来たことあるのか?」
「……地元なんで……」
歯切れが悪いアメアの様子に、そう言えば彼は兄と喧嘩をして家出中だったのだと思い出す。万が一鉢合わせてしまったら気まずいだろう。
「仲悪いわけじゃないんだろ? 一度顔出してみたらどうだ」
「いや……」
渋い顔のアメアが先頭に立って駅舎を出る。辺りはもう暗く、人の行き交いもまばらだった。
「今日はとりあえずあっちに宿が」
右の道の向こうへ指を差して言いかけたアメアが、急に左を向いて険しい顔になる。つられてジェイスもそちらを向けば、一人の青年がこちらへ走って来るのが見えた。
街頭に照らされた青年の髪は、赤褐色だ。
「アメア!」
説明されるまでもなく、あれが彼の兄だろう。
「アメア、よかった、帰ってきてくれて。心配した、ああ、俺を置いて行かないでくれ、アメア」
華奢なアメアよりも背が高くしっかりとした体つきの青年が、弟を強く抱き締めたので、ジェイスは若干ぎょっとした。仲が良いとは聞いていたが、想像以上だ。
「ちょっと、やめて兄さん」
アメアはぶっきらぼうに言って、兄のことを突き放した。必死の表情の兄とは裏腹に、アメアは面倒そうな顔をしている。
「俺今日は一旦実家帰ります。悪いんですけど人泊めるスペースはないので」
「あ、全然いいよ、俺たちは普通に宿探すから」
「はい、じゃあ」
兄と挨拶を交わす暇も無く、アメアは普段に輪をかけてそっけない態度で、兄をぐいぐいと押して去って行った。
それからアメアが指差していた右の道の向こうの宿で、ジェイスは二部屋借りて、鍵のひとつをレイに渡した。
「はい、じゃあレイはこっちの部屋な」
階段を上り、連れ立って歩きながら、レイは不思議そうに首を傾げる。
「別々の部屋なのか?」
これまではずっとレイとは同室で過ごしていた。ジェイスは複雑な気分で笑う。
「別々の部屋だよ。さすがにもう同じ部屋はちょっと」
「なぜだ? 何かあった時にお前を守ってやれない」
「俺よりも自分の身を守ることを考えてほしい。わかるか?」
ジェイスを見上げる顔を見れば、レイは全くピンと来ていないようだった。ジェイスは立ち止まり、レイの滑らかな髪を掻き分けて、首の後ろを抱いた。
「わからない?」
レイの白い肌がみるみる色付いていく。手を首から滑らせ、赤く染まった頬を指の背でそっと撫でると、ほんのり熱を持っていた。
「……わかった!」
弾かれたように叫んで、レイは自分に宛がわれた部屋へと駆けこんで行く。
レイはジェイスに迫られると困るくせして、なぜか全面的にジェイスを信用して油断している。キスされたら困るのに、自分の事を好きな男と同じ部屋で寝ようとされても、ジェイスの方が困るのだ。
逃げようとする美しいひとに手を伸ばす。繊細に輝く金色の長い髪がなびく。ゆったりとした白い衣からは、無防備な肌が覗く。
腕を掴んで押し倒せば、碧い瞳が怯えをもってこちらを見た。
「ど、どうして、やめてください、こんなこと」
レイだ。顔も体つきもレイに違いないのに、髪の色と服装、言葉遣いが違う。ジェイスが知る彼より、大聖堂の地下ダンジョンで見せられた幻覚の方が近かった。
「どうして? あなたは本当に知らなかったんですか」
ジェイスの口から勝手に言葉が零れる。自分の声なのに、自分の口調ではない。ひどい違和感を覚えるのに、体は勝手に動いた。
怯えるレイに覆いかぶさる。ジェイスの影の下で、レイは裏切られたような顔をしてこちらを見上げていた。
「俺がどんな目であなたを見ていたか。俺がなんのために命を捧げてまで使命を全うしたのか。あなたは本当に知らないんですか」
「知らない、やめてください、あ、あなたは皆の英雄で」
血の気が引いて、元々白い顔が真っ白になっていた。
かわいそうだ。自分は決してこんなことがしたいわけではない。
そう思うのに、勝手にレイの衣へと手がかかる。
「皆? 俺は誰のこともどうだっていいです、あなたが、あなたが喜んでくれるならなんでもできた、全部あなたのためだった。あなたが笑ってくれるなら俺はなんでもできたんです」
そうだ、レイにはいつだって笑っていてほしい。こんな顔をさせたくない。体は自分のものではないように自由にならない。
「知らないなら教えて差し上げますよ、俺がどれだけあなたを――」
目を覚まして、最低の気分だった。カーテン越しに明るい光がさしこみ、小鳥が囀っているのに全くさわやかな気分にはならない。
「最悪すぎる」
顔を押さえて呻いた。なんという夢を見ているのか。自己嫌悪で落ち込む。
しかもなぜあの金髪のやたらと繊細そうな姿を夢に見るのだろうか。今のレイの傲慢さのようなものが欠片も見当たらない。深々とため息を吐いた。
ジェイスはシャワーで水を被って頭を冷やしてから、身支度を整えてレイの部屋へと向かった。
「レイ、起きてる? 朝飯外に食べに行かないか」
ノックをすると、すぐにレイが出て来た。少し顔色が悪いような気がして、眉をひそめる。
「ちゃんと寝たか?」
「……寝た」
目をそらして答えるレイは、まるで嘘を隠そうとする子供のようだった。もしかしたらまだ眠ることに抵抗があるのかもしれない。安心して眠れるまで手を握っていてやりたいと思うが、今朝の夢が頭を過ぎって気まずい表情を浮かべてしまった。
「無理はしないでくれよ。朝飯食べれそう?」
レイが頷いたので、二人は宿から出て緑の多い街並みを適当に散策し、ショーウィンドウに様々なパンが並んでいるカフェへと入った。
店内は焼き立てのパンの、食欲を刺激する香りが漂っている。ガラス越しにパンを選ぶレイの横顔は心なしか楽しげに見えて、ジェイスはほっとした。
店先の木陰のオープンテラスの席に、向かい合って腰掛ける。レイはバターのたっぷり使われたシンプルなパンと、クリームと果物のジュレを包んだパンを選んだ。ジェイスは厚めに切られたハムが溢れんばかりに挟まれたパンにかぶりつく。
気温が上がる前の涼しい風が吹いて、葉擦れの音が聞こえる。向かいでは美しい人が小さく口を開けて焼き立てのパンを頬張っている。穏やかな時間に、朝のなんともいやな気分が薄れていった。
「おいしいか?」
「ああ。おいしい」
目を合わせて微笑む姿にじんわりと幸せを感じて、ジェイスも知らず口元が綻ぶ。
やっぱり彼にはこうして笑っていてほしい。邪神を討伐だのよくわからないことは置いておいて、ずっとこんな風に過ごせたらいいのにと思った。
「これも一口食べてみるか?」
「……いいのか」
「俺が口付けちゃってるので大丈夫なら」
「べつに構わない」
手を伸ばして一口かじらせようとしたその時、一瞬辺りが明るくなって、バリバリという凄まじい音が響いた。
「なんだ!?」
晴天にもかかわらず近場に雷でも落ちたかと慌てて立ち上がる。取り落としそうになったパンはレイが受け止めた。
音の方へ振り向くが、何かが破壊されたような跡もなければ魔物が襲ってきたのでもない。朝ののどかな風景はそのままに、二人の少女が立っていた。
どちらも髪をふたつに結んだ、小柄な少女だ。一人は吊り目で、白い肌に金髪、黒いワンピース。もう一人は垂れ目で、褐色の肌に銀髪、白いワンピースを身に纏っていた。対照的でありながら対のようなその二人が、ジェイスを――いや、ジェイスの向こうに座っているレイを見ている。
「輝ける君! やっと見付けました、どうか天の園へお戻りください!」
吊り目の少女が懇願するように言って、二人はレイの元へと駆け寄った。
知り合いなのかとレイを見ると、とても少女を見るような目ではない、あまりにも冷たすぎる眼差しで二人を睥睨していた。
「私が天へ戻ることは二度とない。お前たちだけで帰りなさい」
低い声はにべもない。一体何の話をしているのか、蚊帳の外のジェイスは黙って様子を窺った。
「そんな、私たちを見捨てられるのですか」
垂れ目の少女が悲壮感漂う声を上げる。そんな彼女にすら、レイは冷ややかな態度を崩さなかった。
「知っているだろう、私にはもう彼以外優先するものはない」
息を呑んだ少女たちからの視線を向けられ、ジェイスはたじろいだ。その目には憎悪が宿っている。
「お前が……、お前なんかが……っ」
「彼を侮辱するなら、お前たちでも容赦はしない」
手にしていた食べかけのパンが乱暴に皿に戻され、テーブルとぶつかって音を立てる。地を這うような声に、気温が下がったような気さえした。立ち上がったレイは明確な殺気を放ち、少女たちへと一歩踏み出す。少女たちは怯えて一歩後ずさった。
「だって、だって貴方はそんな、生き物の屍肉など食べずとも生きていけたのに。その男のせいで貴方は」
狼狽えるように吐き出される言葉。ハムのことだろうか。屍肉には違いないが随分な言いようだった。
「忠告が聞こえないようだ」
「待って待って、落ち着いて。よくわかんないけど、一旦帰った方がいい、お互い落ち着いてから話そう」
不穏な空気にジェイスはとりあえず立ち上がって、レイと二人の間に割って入る。放っておいたら血を見る事態になりそうだ。
「レイもほら落ち着いて、俺は別に侮辱されたと思ってないし、大丈夫だから一旦帰ろう」
ジェイスはレイの腕を引っ張って引きずるように距離をとらせて、持ち帰り用の紙袋を店員からもらって、食べかけのパンを手早く詰めた。
「じゃあ、またな」
少女たちに終始睨まれているのを感じつつ、不満顔のレイの腕を引いて店を後にした。
「そろそろレイが何者なのか聞いてもいいか? もしかして人間じゃない?」
宿に戻ってベッドに腰を下ろし、真っ先に訊ねる。もう見て見ぬふりは限界だった。まどろっこしいやりとりも向いていない。
レイは部屋の真ん中で所在なさげに立っていた。無表情で、赤い目が何を考えているのかはいまいち読み取れない。
「別に無理に教えろとは言わないけどさ。レイが何であれ、好きなことに変わりはないし」
レイの頬にじわりと血色が滲む。
「……私は――」
ゆっくりと歩いて、レイがジェイスの目前で立ち止まる。
「かつて、全能たる神であった」
厳かに告げられる。赤い目が不安そうに見えて、ジェイスはレイの手を取って両手で握りながら、うん、と答えた。
「お前を……勇者を喪って、悲しくて、私は、……人類を滅ぼそうと」
「待って、なに?」
さすがに聞き捨てならない。
レイが神だと言われてもなんとなく信じられた。見たことがないほど美しく、食べることも眠ることも不慣れで、何をも破壊できるほど強い。人間だと言うよりよほど納得できるくらいで、心のどこかで覚悟できていた。
その美しい彼の美しい唇からとんでもない言葉が放たれて、さすがに動揺してしまった。
レイはなぜか恥ずかしそうに、言い訳するように言葉を重ねる。
「だって、許せなかったんだ。お前の犠牲があって得た平和なのに、ほんの五十年ほどで皆すっかりお前のことを忘れてしまった。お前が居ない世界で、幸せを享受している人間どもが許せなくて」
「それは……、まあ、五十年もしたらそんなもんじゃないか?」
「私はゆるせなかった!」
声を荒らげるレイの手を、宥めるようにぽんぽんと叩く。
「そういうこともあるか。それで? 滅ぼさなかったんだ?」
「さっきの……、二人はヴィエンヌとホザンナという。私の部下のようなものだ。彼女たちに、勇者が生まれ変わってくるかもしれないから、勇者が生まれる世界を壊すつもりかと言われて、だから我慢した。お前が生まれてくるまで我慢した」
その言葉に、レイと出逢った時のことを思い出す。
――幸せでないならこの世界を滅ぼすぞ。
あの言葉は、冗談でもなんでもなかったのだ。理解して、若干血の気が引いた。
「そっか。滅ぼさないでくれてありがと」
レイがこくりと頷く。物騒な話をしているわりに、仕草ばかりが幼く見える。
「だが、人を滅ぼそうと、憎しみを抱いてしまったことで、私は神性を剥奪され、全能を失ってしまった。体が人間に近くなった」
「なるほど。ついでに何で手袋外さないのか聞いてもいい?」
いろいろと話してくれた今なら聞けるかと訊ねたが、レイはジェイスに揉まれていた手をぱっと離した。
「……いやだ」
「うーん、そうか」
正体を明かすよりも隠したい秘密なんかあるか? ジェイスは渋い顔になったが、無理に聞き出すようなことはしなかった。
「あっ? もしかして、レイって昔金髪だったりした?」
急に思いついて訊ねると、レイの瞳が輝いた。
「思い出したのか?」
その明るい声に、なぜか理不尽な気持ちになる。
「や、悪い、そういうんじゃないけど」
「……そうか」
しゅんとして俯く。期待させて可哀想なことをしたという気持ちと、今のジェイスよりもやはり勇者の方が好きなのかという気持ちが同時に渦巻いた。
ジェイスはレイの手首を掴んで引っ張り、膝の上に座らせる。顔を赤くして逃げようとするのを、腰に腕を回して引き留め、肩口に顔を埋めた。
「ジェイス」
「俺より勇者の方がいいのかよ」
「どちらがいいなんてない、同一の魂を持っているのだから」
困惑した声でレイが答える。
ジェイスが今朝見た夢も、大聖堂の地下ダンジョンで見せられた幻影も、魂の記憶が残っていたのかもしれない。ジェイスは初めて、本当に自分が勇者の魂を持っているのかもしれないと意識した。
勇者には、旅路を共にした仲間たちがいたはずだ。けれど今まで、一度だって思い出したことはない。思い出したのはレイのあの金髪の姿だけだ。
生まれ変わっても消えないほど強く記憶に刻まれている、ただ一人の男。あの幻影は、今朝の夢は、魂が見た願望だったのではないか。
「もしかして勇者と付き合ってた?」
「そんなわけないだろう!」
耳元で叫ばれて、ジェイスは思わず顔を上げた。赤面したレイが離れようとジェイスの肩を押してもがいているが、ジェイスは腰をがっちりと掴んだまま離さなかった。
「わ、私はずっと勇者の幸せを願っていた! 勇者が英雄となり、妻を娶って子を成して幸せになるのだと、ずっと! 私がどうして付き合うんだ!」
「マジで? 本当に考えたこともなかった? 勇者と恋人になりたいって」
「ない、考えたこともない、私なんかどうだっていいんだ、お前が幸せになってくれさえすれば後のことなんて全てどうだって」
「マジで言ってる? レイ自身の幸せはどうでもいいって?」
「そうだ、お前の幸せ以外は全て些事だ」
その真剣な顔に、思わず苦笑した。
レイの、神の言う「全て」――世界の全てよりジェイスの幸せが優先すると言われても、喜ぶことなどできない。出逢った日の言葉通り本当に、レイはジェイスのためなら世界だって滅ぼしてしまうのだろうという確信と危機感があった。
きっと彼自身が勇者と恋人になりたいと私欲を抱いたのであれば、こんな風にはならなかったのではないか。
勇者だってきっとレイのことが好きだった。強引にその体を暴く夢を見てしまうほどに。二人が結ばれていれば、レイはあの金髪の繊細で優美な姿のまま、神性を剥奪されることもなく、ジェイスの幸せを願って思い詰めることもないはずだった。
けれどそうしたらジェイスは彼に出逢えなかった。
自己を顧みずひたすらにジェイスの幸せを求めるレイとは違い、ジェイスはたとえ彼の存在が歪んでしまったとしても、こうして出逢えてよかったと思ってしまう。
自嘲が浮かぶが、考えても仕方のないことだ。勇者は死んで、二人は結ばれなかった。ジェイスにできるのは、この頑なで人の話を聞かない美しくてかわいい男に、自身も幸せを求めていいのだと教えてやることだけだった。
「じゃあ今から考えてくれよ。俺と恋人になりたいって。俺が誰かと幸せになるところなんか見て、あんたはそれで気が済むって? こうやって触れ合って、俺が全部あんたのものになったらどんな気持ちになるか、想像してみなよ」
レイは目を見開いて驚いた顔をした。
「だ、だめだ、そんな、だって私じゃお前の子を産んでやれないし」
「いらないって言ってるだろ」
「どうして? 人間は子を作りたいだろう? お前はまだ若いから分からないかもしれないが、自分の子を抱けばきっと」
何度も繰り返した問答に溜息が出そうになる。顔を寄せてレイを覗き込むと、彼は真っ赤になった顔を背けた。
「じゃあもしあんたが女だったら、俺とセックスして子供産んでくれんの?」
直接的な言葉を出すと、レイはびくりとその身を震わせた。
「お前が望むなら……」
「俺とセックスするの嫌じゃない?」
「嫌じゃ……待て、もし女だったらの話をしているのだな?」
「そうだよ」
しれっと真顔で答えると、レイはおずおずと頷いた。
「嫌ではない……ジェイス!」
返事を聞くなり、腰を抱いていた手を撫で上げるように背中へ滑らせた。レイが悲鳴をあげて腕を突っ張り、なんとか離れようともがく。
「嫌じゃないんだろ?」
「私は女じゃない!」
「女じゃなくていいし子供もいらない。俺は男のレイとセックスしたい」
「子供もできないのにどうしてだ? 快楽を求めてか? なら尚更女の方がいいだろう」
涙目で困惑するレイに、ジェイスは動きを止めた。
愛する人と交わりたいなんて当然のことだと疑問にも思わなかったが、レイは人間ではない。神様だ。そもそも本当に、そういう触れ合いなど求めていないのかもしれない。そうだとしたら、ジェイスの欲求は独りよがりに過ぎない。
ジェイスは返す言葉を失ってしまった。
散歩がてらアメアの家を探すと言って、ジェイスは出掛けて行った。昨晩は流れで別れてしまったから、互いの場所も知らなければ翌日以降の予定も立っていない。
レイはよろよろと自室へ戻り、ベッドへとうつ伏せに倒れ込んだ。
まだ心臓がどきどきしている。
ジェイスはレイに触れてくることが多くなった。愛おしむ目で見つめられて、彼のごつごつした手で触れられると、心臓が暴れて言うことをきかない。喉が詰まって泣きそうになる。
本当に困るのだ。
レイは神だったから、人間と結ばれるなんて考えたこともなかった。今でこそ神性を失って力が弱まり地上に降りて来られたが、本来は天の園から出ることはできなかったのだ。
愛しい相手が、愛するひとと結ばれ、血が受け継がれていくのを見守る。それはレイが想像できる当然の未来で、最良の幸福の形のはずだった。
けれど、今は愛する人が直接触れて、自分と同じ気持ちだと言ってくる。困る。それは想像していなかった未来だ。
今でもジェイスは人間と幸せになるべきだと思っている。
過去に勇者テオバルドとして手に入れられるはずだった未来を手に入れて、今度こそ幸せになるところが見たい。紛れもない本心だ。
本心なのに、ジェイスに口付けられてからというもの、あの感触を何度も反芻している。少しかさついて柔らかくて熱い唇。思い出すだけで恥ずかしくて死にそうなのに、また触れたいなんて邪な思いを抱いてしまう。
――こうやって触れ合って、俺が全部あんたのものになったらどんな気持ちになるか、想像してみなよ。
ジェイスの声がよみがえる。
ジェイスの全てがレイのものになって、レイのすべてがジェイスのものになる。好きな時に触れ合って、抱き締め合って、あの口で、声で、レイに愛を囁く――。
レイは耳を押さえて蹲った。
鼓動がうるさい。呼吸が乱れる。
でもそんな日はこないのだ。
テオバルドの幸せを奪った自分が、彼に愛されていいはずがない。
なにより、神性を失うというのがどういうことなのか知ったら、きっとジェイスはレイを軽蔑するに違いなかった。
レイの真性が見えているアメアだってあんなに怯えていた。
当然だ。愛されるはずがない。
おぞましい化け物に成り下がった体など。
ジェイスは駅まで向かってから、改めてアメアが兄と共に消えていった方向へと歩いていた。
ジェイスたちはアメアが教えてくれた方向の宿に泊まっているから、探し回らなくても多分アメアの方から見付けてくれるだろう。
アメアを探しがてら散歩なんて口実で、ただ少しレイから離れたかっただけだ。
居た堪れなかった。
人間として当然の欲が、浅ましく恥ずかしいもののように思えた。
それでも別に欲が消えるわけではない。二十二歳の健全な青少年が、好きな人を抱きたいと思うのは至極当然だと今でも思う。
一緒に気持ちよくなりたいし、レイのよがる姿が見たい。腕の中で死ぬほど甘やかしてどろどろに溶かしてやりたい。けれどそれにどんな大義名分があるのだろう。
ぼーっとしながら歩いていると、後ろから少女の声に呼び止められた。
「あなた! 少しお時間を頂けますか。お話させてくださいます?」
振り向けば、ヴィエンヌとホザンナが立っている。先ほどよりも冷静な様子で、レイではなくジェイスに会いに来たのが意外だった。
「いいよ。お茶でもする?」
「私たちは人間の食べ物は口にしません」
「そっか」
レイはあれこれ食べてたけどなあ、と思いながら、連れ立って適当に歩いて行く。街路樹の植えられた道は、人通りが少なく、木々の間から差し込む日光が石畳にまだら模様を描いていた。
「あなたが輝ける君の探していた勇者の転生体ですね。輝ける君はあなたが幸せになるところを見届けるまでは、きっと天の園へは帰ってきてくださらない。輝ける君の望み通り、速やかに人間の女と結ばれて幸せになっていただけませんか?」
ずっと喋っているのは吊り目の少女の方だった。言葉は丁寧だが、言っていることは乱暴だ。レイと似たようなことを他人にまで言われて、もう聞き飽きたなとジェイスは渋い顔になる。
「輝ける君ってレイのことだよな?」
「レイ? あの方を人間のように呼んでいるんですのね」
吊り目の少女に怪訝そうな顔を向けられる。以前からの知り合いであろう少女が名前を知らないと言うのは少し不思議だった。神だから名前が無かったのかもしれない。
「悪いけど俺好きな人いるから。女と結婚する気ないし、レイを帰すつもりもない」
「なんですその言い方。まさか輝ける君を好きだとかおっしゃいませんよね?」
「好きだけど」
少女二人が足を止めたので、ジェイスも立ち止まる。
「偉大なる神に人間が懸想? 不遜がすぎますわ。あのお方を自分だけのものにしようだなんて、恥というものをご存じない?」
そう言われるとそうだよなあと頷かざるをえない。神に恋なんて、言葉にしたら確かに恐れ多く、滑稽だ。
「でももう好きになっちゃったしなあ。レイも帰りたくなさそうだし、放っておいてもらえないかな?」
「私たちにとっても大事なお方です。かつて天の園はあの方の照らす光に満ちて真っ白に輝き、その超高温の光で全ての魂は溶けあっていました。光を失い、我々の魂は固化し、個別の存在になった。常に孤独で心細く、不安な存在に。我々はあの光に満ちた天の園を取り戻したいのです」
魂が溶けあっていたと言われてもいまいち想像がつかず、なんか怖いな、という感想しか抱けなかった。
ジェイスたち人間は個別の存在なのが常だが、彼女たちはひとつの存在であるのが常であったというのなら、突然常識が変わったような感覚だろうか。あるいは、ずっと手を繋いでいた人が離れていくような寂しい気持ちだろうか。想像するしかない。
「あんたたちも大変だったんだな。でも俺も諦める気はないんだ。悪いけど」
レイが帰りたがっているのなら考えるが、本人にその気がないものを、手放す気などさらさらなかった。
「あの方のあのお姿を見ましたか? あんな窮屈そうなお召し物で……。あれは輝ける君の状態がそのまま表れているのです。神性が欠けたことでその身に制限を課せられてしまった、あのお労しい姿を見て、何も思わないのですか」
言われて、レイの服を思い出す。体にぴったりと添った黒い服に、やたらとベルトを締めていた。
なるほどあれは枷を嵌められたような彼の現状を示すものなのかと納得したが、凡俗であるジェイスには煽情的にしか映らなかった。そんなことを言ったら怒られるのが目に見えていたのでさすがに飲み込んでおく。
「窮屈だったとしてもさ……、天の園?に戻ったら自由になれるわけでもないんだろ。好きにさせてやってよ」
「わかりました」
その返答をしたのは、ずっと黙っていた垂れ目の少女の方だった。諦めてくれたのかと安堵したのも束の間、少女から放たれる殺気にジェイスは反射的に飛びのいた。
「ではここで死んでいただきます」
「それはまずくない!? レイが泣いちゃうじゃん!?」
錯乱して泣き続けていたレイのことを思い出す。泣いて済むならまだしも、ジェイスが殺されたりなんかしたら、今度こそ本当に世界の危機だ。
ジェイスだって黙って殺される気なんかない。
風が唸りを上げて、刃のようにジェイスへと襲い掛かる。避けながら剣を抜いたが、さすがに少女を斬るには抵抗があった。
地を蹴って刃を避け、よけきれないものは剣で切り裂いたが、腕や足にかすっては血が溢れる。傍観していた吊り目の少女が腕を伸ばすと、その手のひらの上に炎が渦を巻く。
「跡形も残らず消します。あなたは分をわきまえて身を引いたのだとお伝えしましょう」
レイが強化してくれた剣なら、おそらく炎でも切り裂ける。しかし炎を消し去れるわけではないから、人通りが少ないとは言え、周囲に被害が出るかもしれない。
どうするべきか。先んじて斬り付けてしまうべきか。けれど年端も行かない少女が相手だということが、ジェイスの判断を鈍らせる。
吊り目の少女が炎を纏う手を振りかぶった時だった。
「ヴィエンヌ! ホザンナ!」
雷鳴のような怒声が響く。途端に風も炎も立ち消えて、少女たちは怯えたように声の主を見た。
怒気も露わにレイが歩いて来る。急に気温が下がったように感じた。彼が落ち着けるようにせっかく時間を置いたのも台無しだ。
「レイ! ちょっと待って、話してただけだって、大丈夫だから」
「容赦はしないと言ったはずだ。彼に手を出すならお前たちは消す」
宥めようとするジェイスの声も耳に入っていない様子で、少女たちへと詰め寄る。
褐色の肌に垂れ目の少女が、意を決したように言った。
「私の消滅と引き換えに、あなたが天の園へ戻ってくださるのなら……」
「ホザンナ!」
吊り目の少女が、垂れ目の少女を止めるように縋り付く。ようやく褐色の少女の方がホザンナ、金髪に吊り目の方がヴィエンヌだと分かった。
悲壮感を漂わせる少女たちとは裏腹に、レイは顔色一つ変えない。
「お前たちが消えたところで、私が天へ戻ることは二度とない。彼の害となるなら消すだけだ」
顔色を失った少女たちがあまりに哀れで、ジェイスは後ろからレイを抱き締めた。
「レイ、俺は大丈夫だって、落ち着いて」
「大丈夫なものか! お前に傷が、……傷が、ジェイス、傷が」
レイを抱き締める腕にも無数の切り傷があることに気付いて、彼の声が揺らぐ。意識がすっかりジェイスに移ったこの隙に逃げろと、少女たちに目配せをした。
「……っ、あなたがここにいらっしゃること、バドに伝えておきますから!」
ヴィエンヌが悔しげに言い置いて、二人は風のように姿を消す。
バドという名前に、一瞬レイが動揺したのが見て取れた。
「バドって誰?」
「誰でもいい、お前には関係ない。それより早く傷を治さないと。アメアのところに行こう。痛むか?」
「平気だよ、かすり傷だって。アメアどこに居るかわかるのか?」
「こっちだ。早く」
ジェイスがどれだけ平気だと主張したところで、怪我を治すまでレイは落ち着かないだろう。実際、部位によっては深く切れて、血が止まらない傷もある。
「すまない。お前から離れるべきではなかった」
悔恨の滲む苦し気な声に、ジェイスまで胸が苦しくなった。彼は何も悪くないのに。
早足で先導するレイに着いて行くと、どんどん建物は減っていき、舗装された道から踏み固められた土の道に変わっていく。青々と茂る木々の間を抜けて辿り着いた先に、小ぢんまりとした木造の一軒家があった。
「かわいい家だな」
錆びてところどころ剥げた黒い鉄柵にぐるりと囲まれているのが、どこかちぐはぐな印象だった。
耳障りな軋む音を立てて門を開けると同時に、家から青年が出てくる。アメアではない。
「うちに何かご用……あれ、もしかしてアメアと一緒に居た……アメアとダンジョン巡りしてるっていう方ですか?」
外ハネの赤褐色の髪を持つ、黒いシャツを着た快活そうな青年だった。筋肉の付いたしっかりとした体格で、アメアとはあまり似ていない。
「アメアはどこだ」
挨拶もせず居丈高に言うレイの口を後ろから塞いで、ジェイスは誤魔化すように笑った。
「いつもアメアにはお世話になってます! 俺がジェイス、こっちがレイです。家族で過ごしてるとこすいません、ちょっと怪我しちゃったんで、弟さんの力を借りたいんですが」
「それは大変だ。大丈夫ですか? どうぞ、中へ」
招き入れられ、通された居間でレイと並んでソファに腰を下ろした。床の上に積み上がった書物の上に、脱ぎ捨てられた服が乱雑に引っかかっていて、兄の印象からはかけ離れた荒れた部屋だった。
イザイアと名乗った兄がアメアを呼びに行く。待っている間もレイはそわそわとジェイスの怪我の様子を気にしていて、ジェイスはレイを宥めていた。
やがて疲れ切った様子のアメアが一人で居間に現れる。いつもはポニーテールにしている髪は下ろしたままで、寝間着であろうよれよれのシャツを着ていた。寝起きのようだ。
「悪いアメア、ちょっと怪我して」
「はあ、オレ抜きでダンジョン行ったんですか」
「そうじゃないけど、なんかアメア疲れてないか?」
「まあ……」
曖昧な返事をしつつ、アメアがジェイスの怪我を確認して、清晄顕現で傷を治した。今回は傷が多かったせいか、治癒と引き換えに体力を奪われて、軽く眩暈がした。
「ジェイス。もうダンジョンはいいから、できるだけ早くここを離れたい」
「何で?」
レイは気まずそうな顔で押し黙った。
「……バドが来るから? バドって誰?」
ヴィエンヌの去り際の言葉を思い出して再び訊ねるが、やはり返事はない。
「レイがビビるくらいヤバい奴なのか」
「ビビ……、っているわけではない。会いたくないだけだ」
それが一体誰で、どういう相手なのか気になるが、レイが嫌がっているのに無理に会わせるわけにもいかない。ジェイスは息を吐いた。
「わかった、すぐ発とう。アメアは行けるか? お兄さんとは仲直りできたのか」
聞けば、こちらも渋い顔で黙り込む。
「もしかしてまた喧嘩したのか? それで疲れてる?」
「そういうわけじゃないですが……わかりました。ちょっと話してくるので、外で待っていて貰えますか」
家族同士、聞かれたくない話もあるだろう。ジェイスはレイと外に出て、門扉の近くでアメアを待った。
しばらく経ってもアメアは出てこない。そもそもアメアが家出するほどの何かがあったのだから、やはりそう簡単に片付くものでもないのか――突然家の中から大きな物音が聞こえて、また静かになった。
「アメア大丈夫かな」
心配になって家に寄り、窓からそっと中を覗いた。カーテンが締まっているが、細く開いた隙間から中が見える。ちょうどその部屋にアメアとイザイアが居た。
ジェイスは目を疑った。イザイアがアメアに覆いかぶさって口付けている。
乱暴されているのかと思ったが、アメアが腕を兄の首に回していて、それは愛し合う恋人同士の振る舞いだった。見てはいけないものを見てしまったのではないか。心臓がばくばくした。
視線に気付いたのか、アメアの目がこちらを向いたように見えて、ジェイスは慌ててしゃがんで身を隠す。
完全に混乱した脳裏に、パドストートンの海辺でアメアとしたやりとりがよみがえった。
――お兄さんと仲悪いのか?
――すごくいいですよ。
すごくいいですよ。こういう意味だったなんて聞いていない。
ドアが開く音がして、足音が近付く。顔を上げれば、真顔のアメアが立っていた。
「見ました?」
「……悪い」
その気はなかったとはいえ、結果として覗きになってしまったことを謝ると、アメアは深く溜息を吐いた。
「まあ、そういうことです」
「そういうことなのか」
平然として弁解するでもないアメアの様子は、見た通り、彼が兄であるイザイアと恋仲であることを示していた。
「軽蔑しましたか」
「いや、しないけど。びっくりはした」
正直に伝えると、アメアは理解しがたい様子で顔をしかめた。兄弟同士でなんて、と非難されることを想定していたのかもしれない。ジェイスとしては、道を共にしてくれる仲間であるアメアが、非合意で乱暴されているのでなければ特に口を挟むつもりはなかった。
アメアは気だるげに腕組みする。
「なので、兄さんはオレが出掛けることを快く思っていないんですよね。一旦家出してるので、なおさら、オレが兄さんを捨てるんじゃないかと心配みたいで」
「アメアは離れて平気なのか?」
ジェイスなら、好きな相手と離ればなれになりたくはない。しかしアメアは、暗い顔で笑った。
「色々あったんで」
もうばれてしまったのだからとアメアに招き入れられ、ジェイスは再び居間でソファに腰掛け、テーブル越しに兄弟と向かい合っていた。
ジェイスの隣には何も知らないレイ、向かいにはイザイア、その隣にアメアが座る。
「改めまして、アメアが世話になりました。このまま諦めてもらっていいですか?」
にこっと陽気に笑って言うイザイアに、アメアが顔をしかめた。
「兄さん。俺はそんなつもりないから」
「なんでそんなこと言うんだ、アメア、俺を捨てるつもりなのか!」
詰め寄られるアメアは呆れたような顔をしているのに、情緒不安定なイザイアの様子にジェイスの方が動揺してしまう。
「ちょっ、お兄さん落ち着いて下さい」
「俺からアメアを奪おうとしてるくせに!?」
矛先がジェイスに向いて、隣に居るレイがピリッとしたのが分かる。背中に冷や汗をかいた。
「兄さんが冷静になれないならオレはすぐにでも出て行くよ」
「アメア!」
突き放すような言葉にイザイアが悲鳴じみた声を上げるが、アメアは顔色一つ変えなかった。
「兄さん。オレはまたそのうち帰ってくる。お互い冷静になれるまでさ、ちょっと距離置いたほうがいいよ」
「俺のことが嫌になったのか。そうならそうと言ってくれ」
「そんなこと言ってないだろ」
「ならどうして」
「オレたち一緒に居ても依存するだけだからだよ! オレが兄さんをそんな風にしたの? オレは、昔みたいな兄さんに戻ってほしくて……」
ジェイスたちの存在を忘れたかのように言い争いを始める。部外者である自分たちが聞いていいのか冷や汗が出てくる。
なんとか仲裁できないかと気を揉むジェイスの隣で、レイがおもむろに口を開いた。
「お前が捨てられると不安に思うのは、お前がアンデッドだからか」
突然の言葉に、兄弟から揃って表情が消え、空気が張り詰める。
「……え?」
ジェイスだけが状況がわからず、思わずイザイアに目を向ける。彼も、アメアも、否定しなかった。
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