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1 美しき異常者
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「走れ!」
石床を蹴って、ジェイスは声を上げた。依頼人の青年が遅れて後ろから駆けてくる。閉塞的なダンジョンの小路に、二人分の足音が反響した。分岐した道から蝙蝠や巨大な蜘蛛の形をした魔物が飛び出してくるたび、手にした剣で切り捨てる。
ジェイスは短い黒髪に金色の目を持つ精悍な顔立ちの青年だった。耳に付けた細長い金属のピアスが走る振動で揺れている。ジャケットの下は半袖の黒いシャツという軽装で、肌には汗が浮いていた。
「でも、もう少しで核に辿り着くかも……やっぱりもうちょっと奥まで行かないか?」
「あんたなあ! これ以上は俺の手に余る!」
未練たらたらの依頼人に強く言い返す。彼には、背後から追いかけてくる魔物が顎を打ち鳴らす警戒音が聞こえないのだろうか。
十八歳で成人してから四年、ジェイスは便利屋として生計を立てている。しかしその実、護衛をしてほしいだとか、怪我で療養中の仲間の代わりに一時的にパーティに入ってほしいだとか、何かと戦うことが多く、最早傭兵に近い。
今回の依頼人クレイグは、ジェイスに度々依頼をしてくれるお得意様である。依頼はいつも同じ、ダンジョンに潜りたいから護衛をしてほしいと言うものだが、クレイグ自身に戦闘能力は無い。
彼は一代で成り上がった商家の息子で、ゆくゆくは家業を継ぐことが決まっている。だがダンジョンで一攫千金を目指す冒険者への憧れを捨てきれず、かと言って戦う才能は一切ないため、ジェイスに護衛を頼んでくるのだ。本気で冒険者を目指しているわけではなく、跡を継ぐまでのごっこ遊びのようなものだった。
報酬は弾んでくれるから悪い仕事ではない。それに、ダンジョンの最深部にあるという魔物を生み出す核を破壊して持ち帰ることができれば、かなりの高値で売れる。無数の魔物を生み出す核は、魔導士の力を飛躍的に向上させたり、魔道具の動力源になるのだ。実際に広いダンジョンの中から核を見付けるのは困難だが、クレイグはもし核を見付けられたら山分けすると言ってくれているし、夢がある。
しかし好奇心旺盛なのに戦闘力が皆無の男を庇いながら戦うのは楽ではなかった。クレイグは護衛一人でもなんとかなりそうなダンジョンを見付けてはジェイスに依頼をしてくるのだが、回数を重ねるごとにどんどん難易度が上がっている。
今回、ダンジョン深部へ進むにつれて強くなる敵に、これ以上はまずいと判断したのはジェイスだった。
上背のあるジェイスの三倍ほどもある蟻型の魔物を相手に、一人ならともかく人を庇いながら戦える気がしなかった。何度も依頼をこなすうちクレイグとは友人のような気安い関係になっていたが、それでも依頼人は依頼人だ。護衛として雇われている以上、怪我をさせるわけにはいかない。
走る二人の背後からは蟻型の魔物が追いかけてくる不気味な足音が聞こえる。どこまでも追ってくる魔物に、クレイグを先に行かせて一人で対峙すべきか迷った。しかしクレイグを一人にしたところで、彼は小物の魔物すら倒せない。一般人ならそんなものだ。
「くそ」
小さく声を漏らしながら行き先を阻む魔物へ剣を振る。その切っ先が壁にぶつかった。強い力で殴りつけたわけでもないのに、ぴしぴしと音がして、見る間に亀裂が走る。
まずいと思う間もなく、亀裂が割れて大量の水が流れ込んできた。
「うそだろ」
「ジェイス! 助けてくれ! 僕は泳げないんだ!」
二人がほぼ同時に言って、クレイグを助ける間もなく、水に押し流される。もみくちゃにされて上下も分からず、さらには水棲の魔物が牙を剥いて襲い掛かって来るのが見えた。
これは本当にまずい、だめだ、せめて依頼人だけでも守らなければ。そう思うものの、手の中に剣はない。水に流された勢いで手放してしまった。なにか、なにか打開する手立ては――
必死に思考を巡らせるジェイスの身体は、強い衝撃に吹き飛ばされた。
魔物からの攻撃ではない。衝撃は感じたが、痛みはさほどなかった。
水が吹き飛び、ついでに魔物も吹き飛ばされていった。ジェイスは混乱しながらもなんとか着地する。
「クレイグは!?」
焦って見回そうとした時、目の前に立つ青年に視線を奪われ、状況も忘れてぽかんと見入ってしまった。
弾き飛ばされた水が大粒の雨のようにばらばらと降る中、立っていたのは長身の青年だった。平均から頭一つ飛びぬけて高いジェイスの目線に、頭のてっぺんがある。しかし体つきはすらりとしていて、やたらとベルトの装飾が多い体にぴったりとした黒い服を着ていた。長い脚は膝上丈のブーツに包まれている。その体を、ボリュームのある黒い毛皮のついたマントで包んでいた。
服装だけでも目を引くものがあるが、何より顔の造作が美しい。白銀の長い髪を額の真ん中で分けているから、その白皙の美貌が良く見える。
長い睫毛に縁どられた目は赤く、透き通った宝石のようでも湖に沈む夕陽のようでもあり、そのどちらよりも美しかった。通った鼻筋もなめらかな頬も薄い唇も芸術品のようで、朝から朝まで夜通し鑑賞しても飽きないのではないかとすら思えた。
彼の赤い目が真っ直ぐにジェイスを見ている。ただそれだけなのに心臓が跳ねる。
これまでジェイスは他人の美醜に興味がなかったし、女性から声を掛けられることはあっても心が動くことはなく、恋愛にも無縁で生きてきた。自分はおそらく他人への興味が極端に薄いのだろうと思っていたのだ。
そんなジェイスでも衝撃を受けるような、神々しささえ感じられた。
「あ……、助かった、ありがとう」
不躾に眺めていたことに気付いて慌てて礼を告げる。声が少しかすれて恥ずかしかった。
「構わない」
青年が薄く笑う。その声すら耳に心地よく、オルゴールに閉じ込めて持ち歩きたいほどだった。
「お前、名前は?」
偉そうな口調だったが、不思議と不快感はない。人の上に立つことに慣れた人間の喋り方だ。
「ジェイスだ」
「ジェイス。お前は今幸せか? 幸せでないならこの世界を滅ぼすぞ」
青年が美しい声で笑って言う。
なんかやばいやつ来たな。すげー美人なのに。
現実逃避的にそう思った。
青年が助けてくれたのか寝かされていたクレイグを回収して、一行はとりあえずダンジョンから脱出した。どさくさで行方が分からなくなっていた剣も、青年が拾ってくれていた。
気絶していたクレイグはすぐに目を覚まし、怪我もなさそうだったが、青年の顔を見てぽかんと口を開けてしばらく黙っていた。ジェイスも気持ちは分かる。
得体の知れない美青年を口説こうとするクレイグに、念のため医者に行くようにと言い含めて、このダンジョン遠征のために借りていた宿まで送り届けた。クレイグは律義に今回の依頼料を払おうとしてくれたが、途中で諦めて撤退しているので受け取らなかった。
それから、なりゆきで着いて来ていた青年へ声を掛ける。
「えーと……助けてもらったお礼がしたいんだけど、メシでも行かない?」
上手い言い回しも思いつかず、ナンパのようになってしまった自分に内心呆れる。これでは口説こうとしていたクレイグと大差ない。
「いいだろう」
幸い青年は機嫌が良さそうだった。
お礼がしたいのは本当だが、ダンジョンで言っていた不穏な言葉が気になっていた。いくら見目が良くとも普通でない様子の男からなどすぐさま逃げるのが正しいだろうが、なんとなく離れがたいのも事実だった。
ジェイスは彼を連れて適当に歩き出す。初夏の気候で、ダンジョンから出て歩いているうちに濡れた服はすっかり乾いていた。
彼の造形の美しさからしても雰囲気からしても高級なレストランが似合いそうだったが、ジェイスにはそんな経済力もなければマナーだってわからない。いや、少し奮発すれば無理でもないが、不作法な自分と一緒に居て彼が恥をかくことの方が忍びなかった。
「ごめん、あんまり高いとこは無理なんだけど……何か食べたいものとかある?」
「ない。お前の好きなものを選ぶといい」
やっぱ声がいいな、と噛み締める。
彼は姿も声も一般的に見て飛びぬけて美しいとは思うのだが、それ以上に有体に言って、非常にジェイスの好みのタイプのようだった。なにせ、話題の役者だとか稀代の歌手だとか、そういった大衆の人気を得ている人物にすら心が動かなかったジェイスが、気付けば盗み見てしまうほどなのだ。
時刻は夕方の少し前。カフェやレストランの立ち並ぶ石畳の大通りは人で賑わっている。近くを通る者は皆一様にジェイスの隣を歩く美青年に視線を奪われていた。無意識に足を止めてはぶつかるものまで現れる始末だ。
「あんたっていつもこんな感じ? 外歩くとき困らない?」
「わからない。外を歩くことが無かったから」
平然と答える彼は、もしかして箱入りのお坊ちゃんなのだろうか。その美貌も纏う空気も、どこをとっても平凡な人間とは一線を画している。
先ほどのダンジョンで助けてくれた時のことを考えると、おそらく魔導士だろう。魔導士の名門の箱入り息子なんかだろうか。そう思うと、浮世離れした雰囲気も納得できる気がした。
喋りながら、人ごみの間を進んで行く。人々の合間に見える白い制服は警備隊だ。街に現れるかもしれない魔物を警戒して巡回している。
魔物はダンジョンから湧き出て来るものだが、突然街中に現れることもなくはない。ダンジョンとその周辺に現れる魔物なら冒険者が斃すが、街中は手薄になりがちで、王国直属の警備隊の警邏が必要になるのだ。
それから二人は赤いレンガ造りのカフェに入った。通りに面した扉が開け放たれていて、若い女性客が多いのが見て取れた。ということはおそらく内装も綺麗で清潔だろうと踏んだのだ。
「何食べる?」
背もたれが黒いアイアンの椅子の、木製の座面に腰を下ろしてメニュー表を渡す。向かいに座った青年の黒手袋に包まれた手が、それを受け取った。
小汚い食堂なんかに連れて行くのははばかられてカフェにしたが、でかい男二人では場違いだったなとぼんやりと思った。
「これ」
青年が選んだのは蜂蜜が入った柑橘のジュースだった。
「ん? それだけ? もしかしてもう昼食ってきた?」
「いや」
「じゃあ好きなの選びなよ。好きなのある?」
「わからない」
メニュー表に落としていた視線を上げて、向かいに座る青年の顔を見る。メニュー表を眺める彼は一見不機嫌そうだったが、ただ困惑しているだけかもしれなかった。
もしかしたら、こういう安い店には慣れていなくて、メニューを見てもピンとこないのかもしれない。
「じゃあ甘いのと辛いのと酸っぱいのならどれが好き?」
「甘いの」
「サクサクしたのとつるつるしたのとふわふわしたのなら?」
「……ふわふわしたの」
「じゃあこのデザートケーキセットにしよう」
特に異論も無さそうだったので勝手に決めて、給仕を呼んで注文した。
食べ物より先に、ジュースとコーヒーが運ばれてくる。一息ついてから、ジェイスは口を開いた。
「で、えーとそうだな、とりあえず名前聞いてもいい?」
「レイと呼んでいい」
「レイ。改めて助かった、ありがとう。なんか変なこと言ってた気がするんだけど、俺が幸せかとか」
ようやく本題に入ると、レイは当然のような顔をして頷いた。
「お前は今幸せか?」
「えー……まあ、ぼちぼちかな」
とりたてて幸せというほどのこともなければ、不幸ということもない。親類とは疎遠だが、便利屋の仕事は食っていける程度に上手くやっていた。
「お前は今どういう生活をしている」
「便利屋として……雇われて色んなことしてるよ」
「便利屋? 冒険者じゃないのか」
レイが驚いたような顔をする。
「ダンジョンも依頼されて潜ってただけだよ」
「嘆きの塔の邪神を斃して英雄になりたいとは思わないのか?」
突拍子もない言葉に驚いたのはジェイスの方だ。
嘆きの塔と言えば、大陸の西半分を占めるこの大国エルカイラズの中心に、五十年前突如として出現した塔のことだ。
百年前に勇者が魔王を斃して全ての魔物は消滅したが、嘆きの塔の出現と同時に各地にダンジョンが現れ、魔物が復活した。元凶と言われている塔の主は邪神だと言う噂だが、真偽のほどは定かではない。何しろ、塔の主が待ち受ける最上階まで踏破できた人間が、この五十年間存在しないのだ。
そんな邪神を斃したなら確かに英雄と祭り上げられるだろうが、日夜ダンジョンで鍛え上げている冒険者や、エルカイラズ王国騎士団の選ばれし精鋭たちが挑戦して無理なものを、一介の便利屋風情が成し遂げられるはずがなければ、勇者だの英雄だのに憧れもなかった。そんなとんでもなく大変なとんでもない偉業は、やりたい者がやればいいのだ。
「いや~……俺は別にそういうのいいかな」
「困るな。お前には邪神を斃して英雄になってもらわなければいけないんだが」
「はは……」
あまりの夢物語に冗談かと笑い飛ばそうとしたが、レイが真面目くさった顔で言うので、半笑いになった。
「マジで言ってる?」
「マジだが……」
ジェイスを真似た砕けた言葉遣いで真面目に頷くのが可愛いなと思った。また現実逃避してしまった。
「普通に無理だよ。見ただろ、その辺のダンジョンであのざまなのに。どっちかって言うとレイの方が向いてるんじゃないか?」
「たしかに私はこの世界で一番強いが、お前は私より強くならなければいけない。英雄になるのだから」
「いや、ならないけど……」
ぶっ飛んだ男だった。美貌も規格外なら性格も規格外だ。何を考えているのか全くわからない。
レイが困り顔で思案する。困っているのはこっちだ。
「便利屋をやっていると言ったな。私が仕事を頼むこともできるか?」
「邪神斃せとか言われても無理だよ」
「私だって、なにも急に嘆きの塔に行って邪神を斃せだなんて言わない。まず各地のダンジョンを回って鍛えてから塔に挑戦すれば良い。その期間の分の賃金は払おう」
「何年かかるんだよ」
「何年かかったって構わない。お前ならきっと……必ずできる。邪神を斃して英雄になって、素敵な女性を娶り、子供たちに囲まれて幸せに生を全うするんだ」
初対面の相手が自分の人生設計をしているという異常さに、乾いた笑いが浮かぶ。
ひとしきり話して満足したのかジュースに口を付けたレイが、ぱっと顔を上げた。
「おいしい」
作り物めいた硬質な美貌は、表情が動くと全く印象が変わる。無垢に喜ぶ顔は花がほころぶようだった。勝手に初対面の他人の人生設計をしている異常者とは思えない。
ジェイスもコーヒーを啜ったが、味が分からなかった。
平穏な生活を望んでいるわけではない。
ジェイスがそんな人間だったら、便利屋になろうなどとは思わなかったはずだ。
両親は平穏こそを好む人間で、ジェイスが便利屋として危険な仕事を頼まれるようになると、そんな仕事はやめろと反対された。自分に引き受けられそうなものを選んでいると説明しても聞き入れてもらえず、意見を押し付けられるだけで対話にもならなかった。この人たちは自分を心配しているのではなく、信頼していないだけなのだと感じるとすーっと心が冷えていって、そのまま疎遠になった。
自分を信頼していない相手に、自分の人生の選択を任せる気になどなれない。
では、自分を信頼してくれる相手になら自分の人生を任せられるのだろうか?
初対面で、お前はいつか必ず邪神を斃すのだなどと荒唐無稽な信頼を寄せて来る相手でも?
揺れる汽車の中、向かいに座るレイを見る。彼もこちらを見ていて目が合った。赤い目が和やかな笑みの形になって、なんとなく気まずくなって窓の外へ目を逸らす。
ジェイスは結局、レイの無謀ともいえる依頼を受けることにした。
彼はもう計画を立てていて、各地のレベルの低いダンジョンから回って着実に実力をつけ、最終的に嘆きの塔を目指す算段らしい。
依頼を受けたからには、達成しなければならない。ジェイスは最終的に邪神を斃すのだ。……全く現実味がない。
レイがいくら異常であっても、そのうち現実に気付くだろう。邪神を斃すなんて、それこそ百年前のように、光の神に選ばれた勇者が成す偉業なのだと。
窓の向こうでは景色が流れていく。緑ばかりの中に、まばらに民家が見える。たまに川を渡る。汽車は山の方へ向かっていた。
昨日レイに出逢って、ダンジョンに潜るために泊まっていた宿に一泊し、翌朝早くから汽車に乗り込んだ。彼はジェイスと出逢ってから一晩で、どの順番でダンジョンを巡るか計画を立てたのだろうか。
「あのさ……レイはなんのために俺に仕事を頼んだんだ? 邪神を倒したいだけならほかに適任が居るだろ」
レイは幼い仕草で目をぱちくりとさせ、当然のように言う。
「お前のためだ」
「なんで俺のため?」
「お前は英雄になって人々に崇められなければならないから」
本気でそう思っている声音だった。
「昨日会ったばっかりなのになんでそう思うんだ」
あきれ顔になるジェイスに、レイは少しむっとした顔でそっぽを向いた。長い白銀の髪が肩を流れる。窓から差し込む陽光を浴びて、絵画のような横顔だった。
途中で汽車を乗り換えて、目的地に着いた頃には夕方になっていた。木製の小さな駅舎から出ると辺りは夕陽で橙色に照らされていて、人が行き交っている。ハルクスは山間の田舎町だが、それにしては人が多かった。ダンジョンがある町は、ダンジョンを攻略に来る冒険者と、その冒険者を目当てに商売をする人間で賑わうものだ。
ダンジョンは、最深部の核を破壊しない限り魔物が湧き続ける。魔物は攻撃性が高く、生き物であれば見境なく襲うため、魔物がダンジョンから街へ溢れてしまわないよう退治するのは冒険者の義務でもあった。
ダンジョンによって発生する魔物の強さには差があり、低級・中級・上級と区分けされている。中級以上は危険度が高く、治療術師を含む五人以上での攻略が推奨されている。ジェイスが依頼で潜ったことがあるのは大抵が低級ダンジョンだ。まれに中級ダンジョンに挑むこともあったが、その時はベテラン冒険者と一緒だった。
「まず宿をとって、荷物を置いたら酒場へ行こう」
「飲みたいのか」
酒場なんて、昼間から夜まで飲んだくれている酔っ払いが入り浸っているような場所だ。レイをそんな場所に連れて行くのは気が引けたが、別に酒が目当てではないらしかった。
「治療術師を仲間にする。ダンジョンの近くの酒場は仲間を見付けるための出会いの場になっているのだろう」
「あんたは治癒魔法は使えないのか」
「使えない」
確かに、攻撃魔法が得意であっても治癒魔法が苦手なんてよくある話だ。ジェイスに魔法の才能は全くないから聞いた話でしかないが、魔導士と一口に言っても得意な系統がそれぞれあるらしい。
もしかしたらレイもクレイグのように、冒険者に憧れて冒険ごっこがしたいだけなのかもしれない。彼がやんごとなき家柄の跡取りなんかだとしたら、そのうちお迎えが来るだろう。それまでは、彼のしたいようにさせてやろうと思った。
二人は宿を確保してから、人の流れに乗って大通りへと向かった。様々な飲食店が立ち並ぶ中、目についた酒場へ足を踏み入れる。
入口で足を止めたレイがぐるりと店内を見渡した。
木製の丸テーブルがいくつかある店内は、人で埋まっている。若者同士で固まって盛り上がっているのが冒険者、真っ赤な顔で酒を煽ってはげらげらと笑っているのはただの酔っ払いだ。一般人と冒険者の違いは雰囲気で分かるが、大抵の冒険者たちはもうグループが出来上がっているように見えた。
近くで飲んでいた客が開いた扉へと何気なく視線を向けてそのまま固まる。ほかにも幾人かがレイに気付いて、ぽかんとしたりあるいは赤面したりと視線を集めていた。
「お兄さんたち冒険者? 一緒に飲まない?」
近くにいた若者たちが声をかけてくるのを、レイは素気無く断った。
「結構だ。優秀な治療術師を探している」
声が届いた人間たちが、一斉に色めき立つ。自分がと声を上げる者、自分たちのパーティに入らないかと誘ってくる者、立ち上がろうとした者の腕を掴んで、お前はうちの治療術師だろうと怒鳴る者、果てはこれから治療術師を目指すからなどと言う者までいる。尋常でない美貌はここまで人を惹き付けるのかと空恐ろしくなった。
レイはその全てを無視して、店の奥に目を向けた。
「ちょうどいいのが居るな」
人の間を縫ってずんずんと進んで行くレイの後を追う。客たちの視線も追ってくるのがわかった。
酒場の隅で一人で飲んでいたのは、成人したばかりと思わしき少年だった。小柄で童顔なため外見だけなら成人には見えないが、酒場で酒を飲んでいるのだから十八歳は越えているのだろう。
肩までの長さの赤い髪を高い位置で一つに結んだ、緑の目をした少年だった。その少年が、向かってくるレイを目を剥いて見ていた。顔が明らかに怯えている。
「お前、名前は?」
「ひ」
少年はひきつった息を漏らすだけだった。いくらレイが長身で迫力のある美人だからといって怯えすぎだ。
しかしレイは気分を害した様子も無く、微笑んでさえいた。ただそれも優しい微笑みというよりは、高圧的なように見える。
「私のことはレイと呼んでいい。お前は?」
「……アメアです……」
ためらいがちに名乗ったアメアに、レイが笑みを深くした。
「アメア。我々は治療術師を探している」
言いながら、レイはアメアの隣の椅子へ優雅な仕草で腰を下ろす。やはり酒場なんかには似合わない男だった。
「お前はこの場で一番優秀だ。力を貸してほしい」
黒いローブ姿のアメアは、胸に細長い金属板のついたペンダントをしていた。その金属板に乳白色の小さな石がはまっている。
あれは治療術師の国家認定証だ。治癒魔法は命に直結するものだから、国家資格が存在する。七段階ある階級が石の色で分けられていて、あの乳白色は最上位の証だった。
しかし、酒場の入り口から、奥に座っているアメアのペンダントにはまる小さな石の色など見えるわけがない。レイは一体何をもって判断したのか不思議だった。
「むりです……」
細い声で答える彼は、哀れなほどに青ざめている。
「そう怯えるな。お前がジェイスのために働いてくれるのなら、私はお前に何もしない」
アメアの様子があまりに不憫で、ジェイスは屈んで彼と目線を合わせた。
「俺がジェイス。アメア、この人ちょっとおかしいけどそんなに怖がらないで。断ってくれても構わないけど、力を貸してくれたら助かる」
少しでも落ち着かせるように、ジェイスが柔らかい笑みで言う。アメアはジェイスを見て、レイを見て、それから天井の方へと視線をやってから俯いた。
「オレは、何をすればいいんですか……」
「明日からダンジョンへ向かう。道を共にして欲しい」
「それだけですか」
「それから各地のダンジョンを巡って、最終的に嘆きの塔の邪神を斃す」
美しい声で告げられた言葉に、アメアが絶句した。そりゃそうだよなと思う。
「そんっ……え、ほかの仲間はどういうメンバーなんですか?」
レイはきょとんとして、ジェイスの顔を見てから再びアメアを見る。
「今のところジェイスと私とお前の三人だけだ」
「無理です!」
愕然としたアメアがほとんど反射のように叫ぶ。当然の反応ではあったが、レイはむっとした。
「無理じゃない。ジェイスはこれから強くなって必ずやり遂げる。一緒に行けば、お前も英雄になれるぞ」
夢物語を堂々と語るレイから救いを求めて、アメアがジェイスに視線で縋って来る。
「これなんかやばい勧誘ですか?」
「やばい勧誘ではある」
やばい勧誘をされた側であるジェイスが全く否定できずに頷くと、レイが心外だと不満の声を漏らした。
「ダンジョンの核を破壊したら、二人で分ければいい。私の取り分はいらない。旅に必要な金銭は全て私が負担する。お前たちは何も心配せずただ強くなって、最終的に邪神を斃せばそれでいいんだ」
まだ渋い顔をするアメアに、レイが軽く首を傾け、冷たく目を細めた。
「お前がジェイスの力になるのなら、私はお前のことも守ってやると言っている。わかるか? 恐れることはない」
言葉の内容とは裏腹に声が少し低くなる。ほぼ恫喝だった。アメアは苦渋の表情で、ぎゅうと目を瞑った後、うなだれるように頷いた。
「……わかりました……」
「えっほんとに? 大丈夫? 無理してない? 断っても大丈夫だよ」
あまりの様子に心配になって訊ねると、アメアはジェイスの顔を見て何か言いたげにしていたが、大丈夫です、と答えるだけだった。
心配になるジェイス、陰鬱な雰囲気のアメアとは対照的に、レイは満足げに笑った。
アメアとは明日の朝合流することにして、二人は別の場所で夕食を摂ってから宿へと帰った。本当ならあのまま酒場で話でもしながら夕食を共にして打ち解けたかったが、それよりもアメアには心の準備をする時間が必要そうに見えたからだ。
あんなに怯えて見えたのに、なぜ引き受けてくれたのだろう。もし明日待ち合わせに来なかったとしても責められない。その時は自分がレイを宥めようとひっそりと心に決めた。
宿は、レイと二人で一部屋をとった。男二人だからべつにいいだろうと思ったのだが、ベッドと机と小さなクローゼット、荷物置きの棚くらいしかない狭い部屋にレイが居るのを見ると、早まったような気もする。いつもの習慣で安い部屋をとってしまったのだが、せめてもっといい部屋にすべきだった。
「レイ。なんでアメアを選んだんだ? あんなにビビってたのに」
二台あるベッドの、部屋の奥側に腰を下ろす。レイはドアにもたれかかって軽く腕組みした。
「あいつは優秀だ。気に入った」
「気に入ったなら脅すなよ」
「私はお前以外はどうなっても構わないから……」
叱られた子供のように拗ねた顔でとんでもないことを言い出す。そういえば出会い頭にも不穏なことを言っていた。本気で言っていそうな様子なのが怖い。
「なんで……?」
「お前を愛しているから」
まるで当然のような顔で紡がれた言葉が、何ひとつ理解できずに固まった。
聞こえなかったと思ったのか、レイが繰り返す。
「私はお前を愛している」
「なんで!?」
滅多にないほどの大声が出た。
レイは恥じらう様子もなく、まったく平静そのもので、ジェイスは自分の耳がおかしくなったのかと疑った。
昨日出逢ったばかりで、助けたならともかくジェイスは助けられた側だ。いいところを見せたわけでも、彼のために何かをしたわけでもない。好きになるようなタイミングがあったとは全く思えないが、彼がジェイスを愛しているというのなら、数々の頓狂な発言も腑に落ちる。
腑に落ちないのは、何がどうしてこの美しい異常者が恋に落ちるに至ったのかだけだ。
「私だけじゃない、お前のことは皆が好きになる」
「レイ先にシャワー浴びてきなよ、いや変な意味じゃなくて、ちょっと頭冷やして。シャワールームそっちな」
これ以上聞いていても混乱が増すばかりだと、ジェイスはシャワールームのドアを指差した。
レイの表情が曇る。
「迷惑だったか。まあいい、お前のことは必ず幸せにしてやるから」
急に寂しげな顔になるレイに言葉を掛ける間もなく、彼はシャワールームへと消えていった。
迷惑――だろうか。
ジェイスは膝に肘をつき、組んだ指の上に額を乗せて俯いた。
勝手に人生設計されるのは迷惑に決まっている。けれど彼に愛していると言われて悪い気はしない。
まったくしない。
あんなにも得体が知れなくて、おかしなことしか言わない男なのに。
率直な愛の言葉が頭をぐるぐる回る。レイは一切照れていなかったのに、なぜか自分が恥ずかしくなって頬に血が集まってくる。
ジェイスの男らしく精悍な外見は非常に女性受けが良いらしく、告白されたことは少なくない。けれど今までこんな気持ちになったことはなかった。どんなに美しく、かわいらしい相手であっても、露ほども興味がなかったのだ。
迷惑だったか、と目を伏せる寂しげな顔。あんな顔させたくないな、と思った。
ふと、シャワールームから全く水音がしないことに気付いて顔を上げる。それとほぼ同時に、シャワールームの扉が開いた。
「ジェイス。使い方がわからない」
「うわ! 服! いやシャワーか、ごめん」
裸のレイに呼ばれて、ジェイスは飛び上がらんばかりに驚いて再び大声を上げた。一切の恥じらいも無く白い肌が晒されていることにひどく動揺してしまったが、シャワーを浴びるのだから服なんか着ているわけがない。だからと言って好きな相手の前で全裸になってこんなに平然としていられるものか?
それにしてもシャワーの使い方がわからないとは、もしかして本当に使用人が全て世話してくれるような、とんでもない家柄の育ちなのだろうか。
ジェイスは極力目を逸らして、宿の少し特殊な栓の捻り方を教え、逃げるようにシャワールームから出た。
再びベッドに座り込んで頭を抱える。
よく考えてみれば男同士なのだ。裸でいちいち大騒ぎするものでもないだろう。どうも自分と同じ生き物だと思えず、過剰反応してしまった。そう冷静に考える一方で、レイのなめらかな肌に包まれた引き締まった身体が瞼に焼き付いて、落ち着かない気分になる。
どれほどそうしていたのか、レイがシャワーから上がって来た。
腰まで届く長い白銀の髪がびちゃびちゃに濡れているせいで、宿で貸し出している薄手のシャツのような寝間着まで濡れている。
「レイ、髪、髪」
慌てて入口近くのクローゼットからタオルを取り出し、頭にかけて拭いてやろうとすると、振り払われた。寝間着に着替えたというのに、なぜか黒手袋をしているのが視界に入る。
「やめてくれ」
目を見開いたレイの頬が赤く染まっている。
この人本当に俺のこと好きなんだ。その事実が急に現実感を伴ってくる。
「拭かないと風邪引くよ」
「引かない、触らないでくれ」
全裸を見られても恥ずかしがるそぶりも見せなかったのに、タオル越しに触ろうとしただけでこんなにも恥ずかしがっている。その姿が妙にかわいくて、ジェイスは半ば強引に髪を拭いてやった。
「あのさ、返事はちょっと待ってくれる? 俺あんたのこと何も知らないし」
「返事?」
髪が痛まないようにタオルで挟んで優しく押すように水分をとっていると、いやに無垢な声音が答えた。
「え、だから告白の……」
「別にいらないが。私はお前の恋人になるわけではないから」
「……ん?」
先ほどまでの赤面はどこへやら、レイは真顔で言った。
「あ、え? 愛してるって、あ、もしかしてただの親愛とかそういう……?」
早とちりだっただろうか。あんなに照れておいて? わけがわからなくなるジェイスに、レイは軽く眉を顰めた。
「いや、これは恋愛感情だ。私はお前に恋慕の情を抱いている」
「ん!? じゃあ恋人になればよくない!?」
「お前はいずれ素敵な娘を嫁にもらって幸せな家庭を」
「それ本気で言ってるのか!?」
好きだが他人と結ばれて欲しい、というのは、ジェイスの中には無い価値観だった。全く理解できない。普通は、好きな相手と付き合いたいものだし、好きな人が自分以外と結ばれるなど苦しみでしかないのではないか。
事情があって結ばれることなく、遠くから幸せを祈るような関係ならまだわかる。しかし今はジェイスが振ったわけでもなく、最初から純粋に、レイはジェイスに他の女と結ばれて欲しいと言っているのだ。
「もちろんだ。私はお前に幸せになってほしい」
ジェイスの言葉の非難めいた響きには気付かず、レイが首肯する。その微笑みに、ひとかけらの嘘も見当たらない。
ジェイスの幸せな未来に、なぜ最初から自分は存在しないと決めつけているのか。
妙に納得がいかない気持ちで胸がざわついた。この感情はどこから湧き出るものなのだろう。
薄明るい中、ぼんやりと意識が浮上する。
夜明けはまだ先のようで、変な時間に目が覚めてしまった。傍らに誰かが座っているのを寝ぼけ眼で捉える。白銀の長い髪。レイだ。
隣のベッドで眠ったはずのレイが、ジェイスのベッドのふちに腰掛けて、ジェイスを見下ろしている。黒い手袋に包まれた手が、ジェイスの髪を柔らかく撫でた。
「朝はまだだ。もう少し眠るといい」
落ち着いた声。赤い目を優しく細めてジェイスを見ている。
その眼差しを知っている気がする。
かつてその眼差しに焦がれたことがある。
何かを思い出しそうになったが、思考は薄闇に溶けていった。
石床を蹴って、ジェイスは声を上げた。依頼人の青年が遅れて後ろから駆けてくる。閉塞的なダンジョンの小路に、二人分の足音が反響した。分岐した道から蝙蝠や巨大な蜘蛛の形をした魔物が飛び出してくるたび、手にした剣で切り捨てる。
ジェイスは短い黒髪に金色の目を持つ精悍な顔立ちの青年だった。耳に付けた細長い金属のピアスが走る振動で揺れている。ジャケットの下は半袖の黒いシャツという軽装で、肌には汗が浮いていた。
「でも、もう少しで核に辿り着くかも……やっぱりもうちょっと奥まで行かないか?」
「あんたなあ! これ以上は俺の手に余る!」
未練たらたらの依頼人に強く言い返す。彼には、背後から追いかけてくる魔物が顎を打ち鳴らす警戒音が聞こえないのだろうか。
十八歳で成人してから四年、ジェイスは便利屋として生計を立てている。しかしその実、護衛をしてほしいだとか、怪我で療養中の仲間の代わりに一時的にパーティに入ってほしいだとか、何かと戦うことが多く、最早傭兵に近い。
今回の依頼人クレイグは、ジェイスに度々依頼をしてくれるお得意様である。依頼はいつも同じ、ダンジョンに潜りたいから護衛をしてほしいと言うものだが、クレイグ自身に戦闘能力は無い。
彼は一代で成り上がった商家の息子で、ゆくゆくは家業を継ぐことが決まっている。だがダンジョンで一攫千金を目指す冒険者への憧れを捨てきれず、かと言って戦う才能は一切ないため、ジェイスに護衛を頼んでくるのだ。本気で冒険者を目指しているわけではなく、跡を継ぐまでのごっこ遊びのようなものだった。
報酬は弾んでくれるから悪い仕事ではない。それに、ダンジョンの最深部にあるという魔物を生み出す核を破壊して持ち帰ることができれば、かなりの高値で売れる。無数の魔物を生み出す核は、魔導士の力を飛躍的に向上させたり、魔道具の動力源になるのだ。実際に広いダンジョンの中から核を見付けるのは困難だが、クレイグはもし核を見付けられたら山分けすると言ってくれているし、夢がある。
しかし好奇心旺盛なのに戦闘力が皆無の男を庇いながら戦うのは楽ではなかった。クレイグは護衛一人でもなんとかなりそうなダンジョンを見付けてはジェイスに依頼をしてくるのだが、回数を重ねるごとにどんどん難易度が上がっている。
今回、ダンジョン深部へ進むにつれて強くなる敵に、これ以上はまずいと判断したのはジェイスだった。
上背のあるジェイスの三倍ほどもある蟻型の魔物を相手に、一人ならともかく人を庇いながら戦える気がしなかった。何度も依頼をこなすうちクレイグとは友人のような気安い関係になっていたが、それでも依頼人は依頼人だ。護衛として雇われている以上、怪我をさせるわけにはいかない。
走る二人の背後からは蟻型の魔物が追いかけてくる不気味な足音が聞こえる。どこまでも追ってくる魔物に、クレイグを先に行かせて一人で対峙すべきか迷った。しかしクレイグを一人にしたところで、彼は小物の魔物すら倒せない。一般人ならそんなものだ。
「くそ」
小さく声を漏らしながら行き先を阻む魔物へ剣を振る。その切っ先が壁にぶつかった。強い力で殴りつけたわけでもないのに、ぴしぴしと音がして、見る間に亀裂が走る。
まずいと思う間もなく、亀裂が割れて大量の水が流れ込んできた。
「うそだろ」
「ジェイス! 助けてくれ! 僕は泳げないんだ!」
二人がほぼ同時に言って、クレイグを助ける間もなく、水に押し流される。もみくちゃにされて上下も分からず、さらには水棲の魔物が牙を剥いて襲い掛かって来るのが見えた。
これは本当にまずい、だめだ、せめて依頼人だけでも守らなければ。そう思うものの、手の中に剣はない。水に流された勢いで手放してしまった。なにか、なにか打開する手立ては――
必死に思考を巡らせるジェイスの身体は、強い衝撃に吹き飛ばされた。
魔物からの攻撃ではない。衝撃は感じたが、痛みはさほどなかった。
水が吹き飛び、ついでに魔物も吹き飛ばされていった。ジェイスは混乱しながらもなんとか着地する。
「クレイグは!?」
焦って見回そうとした時、目の前に立つ青年に視線を奪われ、状況も忘れてぽかんと見入ってしまった。
弾き飛ばされた水が大粒の雨のようにばらばらと降る中、立っていたのは長身の青年だった。平均から頭一つ飛びぬけて高いジェイスの目線に、頭のてっぺんがある。しかし体つきはすらりとしていて、やたらとベルトの装飾が多い体にぴったりとした黒い服を着ていた。長い脚は膝上丈のブーツに包まれている。その体を、ボリュームのある黒い毛皮のついたマントで包んでいた。
服装だけでも目を引くものがあるが、何より顔の造作が美しい。白銀の長い髪を額の真ん中で分けているから、その白皙の美貌が良く見える。
長い睫毛に縁どられた目は赤く、透き通った宝石のようでも湖に沈む夕陽のようでもあり、そのどちらよりも美しかった。通った鼻筋もなめらかな頬も薄い唇も芸術品のようで、朝から朝まで夜通し鑑賞しても飽きないのではないかとすら思えた。
彼の赤い目が真っ直ぐにジェイスを見ている。ただそれだけなのに心臓が跳ねる。
これまでジェイスは他人の美醜に興味がなかったし、女性から声を掛けられることはあっても心が動くことはなく、恋愛にも無縁で生きてきた。自分はおそらく他人への興味が極端に薄いのだろうと思っていたのだ。
そんなジェイスでも衝撃を受けるような、神々しささえ感じられた。
「あ……、助かった、ありがとう」
不躾に眺めていたことに気付いて慌てて礼を告げる。声が少しかすれて恥ずかしかった。
「構わない」
青年が薄く笑う。その声すら耳に心地よく、オルゴールに閉じ込めて持ち歩きたいほどだった。
「お前、名前は?」
偉そうな口調だったが、不思議と不快感はない。人の上に立つことに慣れた人間の喋り方だ。
「ジェイスだ」
「ジェイス。お前は今幸せか? 幸せでないならこの世界を滅ぼすぞ」
青年が美しい声で笑って言う。
なんかやばいやつ来たな。すげー美人なのに。
現実逃避的にそう思った。
青年が助けてくれたのか寝かされていたクレイグを回収して、一行はとりあえずダンジョンから脱出した。どさくさで行方が分からなくなっていた剣も、青年が拾ってくれていた。
気絶していたクレイグはすぐに目を覚まし、怪我もなさそうだったが、青年の顔を見てぽかんと口を開けてしばらく黙っていた。ジェイスも気持ちは分かる。
得体の知れない美青年を口説こうとするクレイグに、念のため医者に行くようにと言い含めて、このダンジョン遠征のために借りていた宿まで送り届けた。クレイグは律義に今回の依頼料を払おうとしてくれたが、途中で諦めて撤退しているので受け取らなかった。
それから、なりゆきで着いて来ていた青年へ声を掛ける。
「えーと……助けてもらったお礼がしたいんだけど、メシでも行かない?」
上手い言い回しも思いつかず、ナンパのようになってしまった自分に内心呆れる。これでは口説こうとしていたクレイグと大差ない。
「いいだろう」
幸い青年は機嫌が良さそうだった。
お礼がしたいのは本当だが、ダンジョンで言っていた不穏な言葉が気になっていた。いくら見目が良くとも普通でない様子の男からなどすぐさま逃げるのが正しいだろうが、なんとなく離れがたいのも事実だった。
ジェイスは彼を連れて適当に歩き出す。初夏の気候で、ダンジョンから出て歩いているうちに濡れた服はすっかり乾いていた。
彼の造形の美しさからしても雰囲気からしても高級なレストランが似合いそうだったが、ジェイスにはそんな経済力もなければマナーだってわからない。いや、少し奮発すれば無理でもないが、不作法な自分と一緒に居て彼が恥をかくことの方が忍びなかった。
「ごめん、あんまり高いとこは無理なんだけど……何か食べたいものとかある?」
「ない。お前の好きなものを選ぶといい」
やっぱ声がいいな、と噛み締める。
彼は姿も声も一般的に見て飛びぬけて美しいとは思うのだが、それ以上に有体に言って、非常にジェイスの好みのタイプのようだった。なにせ、話題の役者だとか稀代の歌手だとか、そういった大衆の人気を得ている人物にすら心が動かなかったジェイスが、気付けば盗み見てしまうほどなのだ。
時刻は夕方の少し前。カフェやレストランの立ち並ぶ石畳の大通りは人で賑わっている。近くを通る者は皆一様にジェイスの隣を歩く美青年に視線を奪われていた。無意識に足を止めてはぶつかるものまで現れる始末だ。
「あんたっていつもこんな感じ? 外歩くとき困らない?」
「わからない。外を歩くことが無かったから」
平然と答える彼は、もしかして箱入りのお坊ちゃんなのだろうか。その美貌も纏う空気も、どこをとっても平凡な人間とは一線を画している。
先ほどのダンジョンで助けてくれた時のことを考えると、おそらく魔導士だろう。魔導士の名門の箱入り息子なんかだろうか。そう思うと、浮世離れした雰囲気も納得できる気がした。
喋りながら、人ごみの間を進んで行く。人々の合間に見える白い制服は警備隊だ。街に現れるかもしれない魔物を警戒して巡回している。
魔物はダンジョンから湧き出て来るものだが、突然街中に現れることもなくはない。ダンジョンとその周辺に現れる魔物なら冒険者が斃すが、街中は手薄になりがちで、王国直属の警備隊の警邏が必要になるのだ。
それから二人は赤いレンガ造りのカフェに入った。通りに面した扉が開け放たれていて、若い女性客が多いのが見て取れた。ということはおそらく内装も綺麗で清潔だろうと踏んだのだ。
「何食べる?」
背もたれが黒いアイアンの椅子の、木製の座面に腰を下ろしてメニュー表を渡す。向かいに座った青年の黒手袋に包まれた手が、それを受け取った。
小汚い食堂なんかに連れて行くのははばかられてカフェにしたが、でかい男二人では場違いだったなとぼんやりと思った。
「これ」
青年が選んだのは蜂蜜が入った柑橘のジュースだった。
「ん? それだけ? もしかしてもう昼食ってきた?」
「いや」
「じゃあ好きなの選びなよ。好きなのある?」
「わからない」
メニュー表に落としていた視線を上げて、向かいに座る青年の顔を見る。メニュー表を眺める彼は一見不機嫌そうだったが、ただ困惑しているだけかもしれなかった。
もしかしたら、こういう安い店には慣れていなくて、メニューを見てもピンとこないのかもしれない。
「じゃあ甘いのと辛いのと酸っぱいのならどれが好き?」
「甘いの」
「サクサクしたのとつるつるしたのとふわふわしたのなら?」
「……ふわふわしたの」
「じゃあこのデザートケーキセットにしよう」
特に異論も無さそうだったので勝手に決めて、給仕を呼んで注文した。
食べ物より先に、ジュースとコーヒーが運ばれてくる。一息ついてから、ジェイスは口を開いた。
「で、えーとそうだな、とりあえず名前聞いてもいい?」
「レイと呼んでいい」
「レイ。改めて助かった、ありがとう。なんか変なこと言ってた気がするんだけど、俺が幸せかとか」
ようやく本題に入ると、レイは当然のような顔をして頷いた。
「お前は今幸せか?」
「えー……まあ、ぼちぼちかな」
とりたてて幸せというほどのこともなければ、不幸ということもない。親類とは疎遠だが、便利屋の仕事は食っていける程度に上手くやっていた。
「お前は今どういう生活をしている」
「便利屋として……雇われて色んなことしてるよ」
「便利屋? 冒険者じゃないのか」
レイが驚いたような顔をする。
「ダンジョンも依頼されて潜ってただけだよ」
「嘆きの塔の邪神を斃して英雄になりたいとは思わないのか?」
突拍子もない言葉に驚いたのはジェイスの方だ。
嘆きの塔と言えば、大陸の西半分を占めるこの大国エルカイラズの中心に、五十年前突如として出現した塔のことだ。
百年前に勇者が魔王を斃して全ての魔物は消滅したが、嘆きの塔の出現と同時に各地にダンジョンが現れ、魔物が復活した。元凶と言われている塔の主は邪神だと言う噂だが、真偽のほどは定かではない。何しろ、塔の主が待ち受ける最上階まで踏破できた人間が、この五十年間存在しないのだ。
そんな邪神を斃したなら確かに英雄と祭り上げられるだろうが、日夜ダンジョンで鍛え上げている冒険者や、エルカイラズ王国騎士団の選ばれし精鋭たちが挑戦して無理なものを、一介の便利屋風情が成し遂げられるはずがなければ、勇者だの英雄だのに憧れもなかった。そんなとんでもなく大変なとんでもない偉業は、やりたい者がやればいいのだ。
「いや~……俺は別にそういうのいいかな」
「困るな。お前には邪神を斃して英雄になってもらわなければいけないんだが」
「はは……」
あまりの夢物語に冗談かと笑い飛ばそうとしたが、レイが真面目くさった顔で言うので、半笑いになった。
「マジで言ってる?」
「マジだが……」
ジェイスを真似た砕けた言葉遣いで真面目に頷くのが可愛いなと思った。また現実逃避してしまった。
「普通に無理だよ。見ただろ、その辺のダンジョンであのざまなのに。どっちかって言うとレイの方が向いてるんじゃないか?」
「たしかに私はこの世界で一番強いが、お前は私より強くならなければいけない。英雄になるのだから」
「いや、ならないけど……」
ぶっ飛んだ男だった。美貌も規格外なら性格も規格外だ。何を考えているのか全くわからない。
レイが困り顔で思案する。困っているのはこっちだ。
「便利屋をやっていると言ったな。私が仕事を頼むこともできるか?」
「邪神斃せとか言われても無理だよ」
「私だって、なにも急に嘆きの塔に行って邪神を斃せだなんて言わない。まず各地のダンジョンを回って鍛えてから塔に挑戦すれば良い。その期間の分の賃金は払おう」
「何年かかるんだよ」
「何年かかったって構わない。お前ならきっと……必ずできる。邪神を斃して英雄になって、素敵な女性を娶り、子供たちに囲まれて幸せに生を全うするんだ」
初対面の相手が自分の人生設計をしているという異常さに、乾いた笑いが浮かぶ。
ひとしきり話して満足したのかジュースに口を付けたレイが、ぱっと顔を上げた。
「おいしい」
作り物めいた硬質な美貌は、表情が動くと全く印象が変わる。無垢に喜ぶ顔は花がほころぶようだった。勝手に初対面の他人の人生設計をしている異常者とは思えない。
ジェイスもコーヒーを啜ったが、味が分からなかった。
平穏な生活を望んでいるわけではない。
ジェイスがそんな人間だったら、便利屋になろうなどとは思わなかったはずだ。
両親は平穏こそを好む人間で、ジェイスが便利屋として危険な仕事を頼まれるようになると、そんな仕事はやめろと反対された。自分に引き受けられそうなものを選んでいると説明しても聞き入れてもらえず、意見を押し付けられるだけで対話にもならなかった。この人たちは自分を心配しているのではなく、信頼していないだけなのだと感じるとすーっと心が冷えていって、そのまま疎遠になった。
自分を信頼していない相手に、自分の人生の選択を任せる気になどなれない。
では、自分を信頼してくれる相手になら自分の人生を任せられるのだろうか?
初対面で、お前はいつか必ず邪神を斃すのだなどと荒唐無稽な信頼を寄せて来る相手でも?
揺れる汽車の中、向かいに座るレイを見る。彼もこちらを見ていて目が合った。赤い目が和やかな笑みの形になって、なんとなく気まずくなって窓の外へ目を逸らす。
ジェイスは結局、レイの無謀ともいえる依頼を受けることにした。
彼はもう計画を立てていて、各地のレベルの低いダンジョンから回って着実に実力をつけ、最終的に嘆きの塔を目指す算段らしい。
依頼を受けたからには、達成しなければならない。ジェイスは最終的に邪神を斃すのだ。……全く現実味がない。
レイがいくら異常であっても、そのうち現実に気付くだろう。邪神を斃すなんて、それこそ百年前のように、光の神に選ばれた勇者が成す偉業なのだと。
窓の向こうでは景色が流れていく。緑ばかりの中に、まばらに民家が見える。たまに川を渡る。汽車は山の方へ向かっていた。
昨日レイに出逢って、ダンジョンに潜るために泊まっていた宿に一泊し、翌朝早くから汽車に乗り込んだ。彼はジェイスと出逢ってから一晩で、どの順番でダンジョンを巡るか計画を立てたのだろうか。
「あのさ……レイはなんのために俺に仕事を頼んだんだ? 邪神を倒したいだけならほかに適任が居るだろ」
レイは幼い仕草で目をぱちくりとさせ、当然のように言う。
「お前のためだ」
「なんで俺のため?」
「お前は英雄になって人々に崇められなければならないから」
本気でそう思っている声音だった。
「昨日会ったばっかりなのになんでそう思うんだ」
あきれ顔になるジェイスに、レイは少しむっとした顔でそっぽを向いた。長い白銀の髪が肩を流れる。窓から差し込む陽光を浴びて、絵画のような横顔だった。
途中で汽車を乗り換えて、目的地に着いた頃には夕方になっていた。木製の小さな駅舎から出ると辺りは夕陽で橙色に照らされていて、人が行き交っている。ハルクスは山間の田舎町だが、それにしては人が多かった。ダンジョンがある町は、ダンジョンを攻略に来る冒険者と、その冒険者を目当てに商売をする人間で賑わうものだ。
ダンジョンは、最深部の核を破壊しない限り魔物が湧き続ける。魔物は攻撃性が高く、生き物であれば見境なく襲うため、魔物がダンジョンから街へ溢れてしまわないよう退治するのは冒険者の義務でもあった。
ダンジョンによって発生する魔物の強さには差があり、低級・中級・上級と区分けされている。中級以上は危険度が高く、治療術師を含む五人以上での攻略が推奨されている。ジェイスが依頼で潜ったことがあるのは大抵が低級ダンジョンだ。まれに中級ダンジョンに挑むこともあったが、その時はベテラン冒険者と一緒だった。
「まず宿をとって、荷物を置いたら酒場へ行こう」
「飲みたいのか」
酒場なんて、昼間から夜まで飲んだくれている酔っ払いが入り浸っているような場所だ。レイをそんな場所に連れて行くのは気が引けたが、別に酒が目当てではないらしかった。
「治療術師を仲間にする。ダンジョンの近くの酒場は仲間を見付けるための出会いの場になっているのだろう」
「あんたは治癒魔法は使えないのか」
「使えない」
確かに、攻撃魔法が得意であっても治癒魔法が苦手なんてよくある話だ。ジェイスに魔法の才能は全くないから聞いた話でしかないが、魔導士と一口に言っても得意な系統がそれぞれあるらしい。
もしかしたらレイもクレイグのように、冒険者に憧れて冒険ごっこがしたいだけなのかもしれない。彼がやんごとなき家柄の跡取りなんかだとしたら、そのうちお迎えが来るだろう。それまでは、彼のしたいようにさせてやろうと思った。
二人は宿を確保してから、人の流れに乗って大通りへと向かった。様々な飲食店が立ち並ぶ中、目についた酒場へ足を踏み入れる。
入口で足を止めたレイがぐるりと店内を見渡した。
木製の丸テーブルがいくつかある店内は、人で埋まっている。若者同士で固まって盛り上がっているのが冒険者、真っ赤な顔で酒を煽ってはげらげらと笑っているのはただの酔っ払いだ。一般人と冒険者の違いは雰囲気で分かるが、大抵の冒険者たちはもうグループが出来上がっているように見えた。
近くで飲んでいた客が開いた扉へと何気なく視線を向けてそのまま固まる。ほかにも幾人かがレイに気付いて、ぽかんとしたりあるいは赤面したりと視線を集めていた。
「お兄さんたち冒険者? 一緒に飲まない?」
近くにいた若者たちが声をかけてくるのを、レイは素気無く断った。
「結構だ。優秀な治療術師を探している」
声が届いた人間たちが、一斉に色めき立つ。自分がと声を上げる者、自分たちのパーティに入らないかと誘ってくる者、立ち上がろうとした者の腕を掴んで、お前はうちの治療術師だろうと怒鳴る者、果てはこれから治療術師を目指すからなどと言う者までいる。尋常でない美貌はここまで人を惹き付けるのかと空恐ろしくなった。
レイはその全てを無視して、店の奥に目を向けた。
「ちょうどいいのが居るな」
人の間を縫ってずんずんと進んで行くレイの後を追う。客たちの視線も追ってくるのがわかった。
酒場の隅で一人で飲んでいたのは、成人したばかりと思わしき少年だった。小柄で童顔なため外見だけなら成人には見えないが、酒場で酒を飲んでいるのだから十八歳は越えているのだろう。
肩までの長さの赤い髪を高い位置で一つに結んだ、緑の目をした少年だった。その少年が、向かってくるレイを目を剥いて見ていた。顔が明らかに怯えている。
「お前、名前は?」
「ひ」
少年はひきつった息を漏らすだけだった。いくらレイが長身で迫力のある美人だからといって怯えすぎだ。
しかしレイは気分を害した様子も無く、微笑んでさえいた。ただそれも優しい微笑みというよりは、高圧的なように見える。
「私のことはレイと呼んでいい。お前は?」
「……アメアです……」
ためらいがちに名乗ったアメアに、レイが笑みを深くした。
「アメア。我々は治療術師を探している」
言いながら、レイはアメアの隣の椅子へ優雅な仕草で腰を下ろす。やはり酒場なんかには似合わない男だった。
「お前はこの場で一番優秀だ。力を貸してほしい」
黒いローブ姿のアメアは、胸に細長い金属板のついたペンダントをしていた。その金属板に乳白色の小さな石がはまっている。
あれは治療術師の国家認定証だ。治癒魔法は命に直結するものだから、国家資格が存在する。七段階ある階級が石の色で分けられていて、あの乳白色は最上位の証だった。
しかし、酒場の入り口から、奥に座っているアメアのペンダントにはまる小さな石の色など見えるわけがない。レイは一体何をもって判断したのか不思議だった。
「むりです……」
細い声で答える彼は、哀れなほどに青ざめている。
「そう怯えるな。お前がジェイスのために働いてくれるのなら、私はお前に何もしない」
アメアの様子があまりに不憫で、ジェイスは屈んで彼と目線を合わせた。
「俺がジェイス。アメア、この人ちょっとおかしいけどそんなに怖がらないで。断ってくれても構わないけど、力を貸してくれたら助かる」
少しでも落ち着かせるように、ジェイスが柔らかい笑みで言う。アメアはジェイスを見て、レイを見て、それから天井の方へと視線をやってから俯いた。
「オレは、何をすればいいんですか……」
「明日からダンジョンへ向かう。道を共にして欲しい」
「それだけですか」
「それから各地のダンジョンを巡って、最終的に嘆きの塔の邪神を斃す」
美しい声で告げられた言葉に、アメアが絶句した。そりゃそうだよなと思う。
「そんっ……え、ほかの仲間はどういうメンバーなんですか?」
レイはきょとんとして、ジェイスの顔を見てから再びアメアを見る。
「今のところジェイスと私とお前の三人だけだ」
「無理です!」
愕然としたアメアがほとんど反射のように叫ぶ。当然の反応ではあったが、レイはむっとした。
「無理じゃない。ジェイスはこれから強くなって必ずやり遂げる。一緒に行けば、お前も英雄になれるぞ」
夢物語を堂々と語るレイから救いを求めて、アメアがジェイスに視線で縋って来る。
「これなんかやばい勧誘ですか?」
「やばい勧誘ではある」
やばい勧誘をされた側であるジェイスが全く否定できずに頷くと、レイが心外だと不満の声を漏らした。
「ダンジョンの核を破壊したら、二人で分ければいい。私の取り分はいらない。旅に必要な金銭は全て私が負担する。お前たちは何も心配せずただ強くなって、最終的に邪神を斃せばそれでいいんだ」
まだ渋い顔をするアメアに、レイが軽く首を傾け、冷たく目を細めた。
「お前がジェイスの力になるのなら、私はお前のことも守ってやると言っている。わかるか? 恐れることはない」
言葉の内容とは裏腹に声が少し低くなる。ほぼ恫喝だった。アメアは苦渋の表情で、ぎゅうと目を瞑った後、うなだれるように頷いた。
「……わかりました……」
「えっほんとに? 大丈夫? 無理してない? 断っても大丈夫だよ」
あまりの様子に心配になって訊ねると、アメアはジェイスの顔を見て何か言いたげにしていたが、大丈夫です、と答えるだけだった。
心配になるジェイス、陰鬱な雰囲気のアメアとは対照的に、レイは満足げに笑った。
アメアとは明日の朝合流することにして、二人は別の場所で夕食を摂ってから宿へと帰った。本当ならあのまま酒場で話でもしながら夕食を共にして打ち解けたかったが、それよりもアメアには心の準備をする時間が必要そうに見えたからだ。
あんなに怯えて見えたのに、なぜ引き受けてくれたのだろう。もし明日待ち合わせに来なかったとしても責められない。その時は自分がレイを宥めようとひっそりと心に決めた。
宿は、レイと二人で一部屋をとった。男二人だからべつにいいだろうと思ったのだが、ベッドと机と小さなクローゼット、荷物置きの棚くらいしかない狭い部屋にレイが居るのを見ると、早まったような気もする。いつもの習慣で安い部屋をとってしまったのだが、せめてもっといい部屋にすべきだった。
「レイ。なんでアメアを選んだんだ? あんなにビビってたのに」
二台あるベッドの、部屋の奥側に腰を下ろす。レイはドアにもたれかかって軽く腕組みした。
「あいつは優秀だ。気に入った」
「気に入ったなら脅すなよ」
「私はお前以外はどうなっても構わないから……」
叱られた子供のように拗ねた顔でとんでもないことを言い出す。そういえば出会い頭にも不穏なことを言っていた。本気で言っていそうな様子なのが怖い。
「なんで……?」
「お前を愛しているから」
まるで当然のような顔で紡がれた言葉が、何ひとつ理解できずに固まった。
聞こえなかったと思ったのか、レイが繰り返す。
「私はお前を愛している」
「なんで!?」
滅多にないほどの大声が出た。
レイは恥じらう様子もなく、まったく平静そのもので、ジェイスは自分の耳がおかしくなったのかと疑った。
昨日出逢ったばかりで、助けたならともかくジェイスは助けられた側だ。いいところを見せたわけでも、彼のために何かをしたわけでもない。好きになるようなタイミングがあったとは全く思えないが、彼がジェイスを愛しているというのなら、数々の頓狂な発言も腑に落ちる。
腑に落ちないのは、何がどうしてこの美しい異常者が恋に落ちるに至ったのかだけだ。
「私だけじゃない、お前のことは皆が好きになる」
「レイ先にシャワー浴びてきなよ、いや変な意味じゃなくて、ちょっと頭冷やして。シャワールームそっちな」
これ以上聞いていても混乱が増すばかりだと、ジェイスはシャワールームのドアを指差した。
レイの表情が曇る。
「迷惑だったか。まあいい、お前のことは必ず幸せにしてやるから」
急に寂しげな顔になるレイに言葉を掛ける間もなく、彼はシャワールームへと消えていった。
迷惑――だろうか。
ジェイスは膝に肘をつき、組んだ指の上に額を乗せて俯いた。
勝手に人生設計されるのは迷惑に決まっている。けれど彼に愛していると言われて悪い気はしない。
まったくしない。
あんなにも得体が知れなくて、おかしなことしか言わない男なのに。
率直な愛の言葉が頭をぐるぐる回る。レイは一切照れていなかったのに、なぜか自分が恥ずかしくなって頬に血が集まってくる。
ジェイスの男らしく精悍な外見は非常に女性受けが良いらしく、告白されたことは少なくない。けれど今までこんな気持ちになったことはなかった。どんなに美しく、かわいらしい相手であっても、露ほども興味がなかったのだ。
迷惑だったか、と目を伏せる寂しげな顔。あんな顔させたくないな、と思った。
ふと、シャワールームから全く水音がしないことに気付いて顔を上げる。それとほぼ同時に、シャワールームの扉が開いた。
「ジェイス。使い方がわからない」
「うわ! 服! いやシャワーか、ごめん」
裸のレイに呼ばれて、ジェイスは飛び上がらんばかりに驚いて再び大声を上げた。一切の恥じらいも無く白い肌が晒されていることにひどく動揺してしまったが、シャワーを浴びるのだから服なんか着ているわけがない。だからと言って好きな相手の前で全裸になってこんなに平然としていられるものか?
それにしてもシャワーの使い方がわからないとは、もしかして本当に使用人が全て世話してくれるような、とんでもない家柄の育ちなのだろうか。
ジェイスは極力目を逸らして、宿の少し特殊な栓の捻り方を教え、逃げるようにシャワールームから出た。
再びベッドに座り込んで頭を抱える。
よく考えてみれば男同士なのだ。裸でいちいち大騒ぎするものでもないだろう。どうも自分と同じ生き物だと思えず、過剰反応してしまった。そう冷静に考える一方で、レイのなめらかな肌に包まれた引き締まった身体が瞼に焼き付いて、落ち着かない気分になる。
どれほどそうしていたのか、レイがシャワーから上がって来た。
腰まで届く長い白銀の髪がびちゃびちゃに濡れているせいで、宿で貸し出している薄手のシャツのような寝間着まで濡れている。
「レイ、髪、髪」
慌てて入口近くのクローゼットからタオルを取り出し、頭にかけて拭いてやろうとすると、振り払われた。寝間着に着替えたというのに、なぜか黒手袋をしているのが視界に入る。
「やめてくれ」
目を見開いたレイの頬が赤く染まっている。
この人本当に俺のこと好きなんだ。その事実が急に現実感を伴ってくる。
「拭かないと風邪引くよ」
「引かない、触らないでくれ」
全裸を見られても恥ずかしがるそぶりも見せなかったのに、タオル越しに触ろうとしただけでこんなにも恥ずかしがっている。その姿が妙にかわいくて、ジェイスは半ば強引に髪を拭いてやった。
「あのさ、返事はちょっと待ってくれる? 俺あんたのこと何も知らないし」
「返事?」
髪が痛まないようにタオルで挟んで優しく押すように水分をとっていると、いやに無垢な声音が答えた。
「え、だから告白の……」
「別にいらないが。私はお前の恋人になるわけではないから」
「……ん?」
先ほどまでの赤面はどこへやら、レイは真顔で言った。
「あ、え? 愛してるって、あ、もしかしてただの親愛とかそういう……?」
早とちりだっただろうか。あんなに照れておいて? わけがわからなくなるジェイスに、レイは軽く眉を顰めた。
「いや、これは恋愛感情だ。私はお前に恋慕の情を抱いている」
「ん!? じゃあ恋人になればよくない!?」
「お前はいずれ素敵な娘を嫁にもらって幸せな家庭を」
「それ本気で言ってるのか!?」
好きだが他人と結ばれて欲しい、というのは、ジェイスの中には無い価値観だった。全く理解できない。普通は、好きな相手と付き合いたいものだし、好きな人が自分以外と結ばれるなど苦しみでしかないのではないか。
事情があって結ばれることなく、遠くから幸せを祈るような関係ならまだわかる。しかし今はジェイスが振ったわけでもなく、最初から純粋に、レイはジェイスに他の女と結ばれて欲しいと言っているのだ。
「もちろんだ。私はお前に幸せになってほしい」
ジェイスの言葉の非難めいた響きには気付かず、レイが首肯する。その微笑みに、ひとかけらの嘘も見当たらない。
ジェイスの幸せな未来に、なぜ最初から自分は存在しないと決めつけているのか。
妙に納得がいかない気持ちで胸がざわついた。この感情はどこから湧き出るものなのだろう。
薄明るい中、ぼんやりと意識が浮上する。
夜明けはまだ先のようで、変な時間に目が覚めてしまった。傍らに誰かが座っているのを寝ぼけ眼で捉える。白銀の長い髪。レイだ。
隣のベッドで眠ったはずのレイが、ジェイスのベッドのふちに腰掛けて、ジェイスを見下ろしている。黒い手袋に包まれた手が、ジェイスの髪を柔らかく撫でた。
「朝はまだだ。もう少し眠るといい」
落ち着いた声。赤い目を優しく細めてジェイスを見ている。
その眼差しを知っている気がする。
かつてその眼差しに焦がれたことがある。
何かを思い出しそうになったが、思考は薄闇に溶けていった。
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✿オメガバースもの掌編二本作。
(『ride』は2021年3月28日に追加します)
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