果ての光~軍人侯爵の秘密と強制結婚の幸福~

百花

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第十一章

第四十四話

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 冷たく殺風景な拘置所の内部で何重にもなった扉を開いた先に、漸くその小さな部屋はあった。
 鉄格子によって真ん中が分断されており、椅子が鉄格子越しに向き合う形で二つ置かれている。
 ロードリックは刑務官に案内された通りに椅子に腰を下ろして、待ち人が来るのを待った。
 やがて扉が開かれ、刑務官二人に連れられたバリエ・マクシミリアンが手錠をかけられた状態で現れる。貴族用の個室を割り当てられているからだろうか、そこまで疲弊した様子は見えない。
 軍籍を抜かれ、貴族としての身分さえ裁判により失うだろう彼は、今や只の一人の青年でしかなかった。
 彼はロードリックを見て、皮肉気に笑った。

「まさか貴方が会いに来るとは。嘲笑いに来たのか?」
「そんな事をする程、暇ではありません」

 マクシミリアンは殺人未遂の容疑者となった自分にも、以前と変わらない態度で接してくるロードリックに苦々しい顔をする。
 どれ程の事をしても内面を一切出さない、演技や擬態のように思えたからだった。
 矢張りこの男を殺し損ねた事は痛恨の極みである。
 いつか人間を裏切るだろう。或いは、人間を家畜のように支配しだすかもしれない。
 今でさえ自分が武器さえ手にしていれば、排除を試みたに違いなかった。
 殺意溢れるマクシミリアンを前にして、ロードリックは疲れたような顔をした。

「一つ聞きたい事があるのです。初めて会った時の事を覚えていますか?」

 思ってもいなかった質問に、マクシミリアンは怪訝な表情をする。

「朧会だったかと思うが。それが何だ」

 あれは高位貴族と天来衆の交流会である。幼い頃から引き合わされて、人間の貴族達は彼らがどういったものであるのかを学ぶ。

「ええ。そうです。あの時、貴方は十にも満たない年齢でしたね。あの頃から軍人に憧れていて、軍服姿の私に瞳を輝かせながら話しかけてきた」

 そんな昔の事を語られて、マクシミリアンの目に戸惑いが浮かぶ。彼にとってはもう記憶が霞むような、遠い過去だった。

「いつか共に国を守る為に働こうと、そう言ったのを覚えています。それが一体、いつから貴方の中で変わってしまったのでしょうか?」

 問われて、初めてマクシミリアンは切っ掛けが何であったのかについて考えた。 

「軍部で再会した時、ムーアクラフト少佐が余りにも変わらなかったからだ。朧会で会った大人の方々は皆、顔に皺を刻んだというのに、貴方だけは作り物のように変わらなかった。それでいて、子供だった私に言ったのと同じ言葉を大人になった私に言った。それは汚いものを知った私にとって、最早只の綺麗事でしかなかった」

 言いながら自分の感情を整理したのか、堂々としてマクシミリアンはロードリックの目を見て言った。

「だから私は、貴方の一から十まで全てが作られた物のように思えて仕方がない。この不審は天来衆を知る人間ならば皆が持っている感情だ」

 それはロードリックにはどうしようもない人間の持つ性のようだった。マクシミリアンは理屈ではないその本能的な自分の感情を直視し、受け入れ、恥じる事無く見せてくる。
 両者の間に横たわる溝は海溝のように深く、語り合う余地は無いように見えた。

「成程」

 けれどもロードリックはさして悲しむ様子もなく、納得したように頷くだけだった。

「よく分かりました。少し私が急ぎ過ぎていたようです」

 意味が分からず視線で問いかけてきたマクシミリアンに、ロードリックは勿体ぶるでもなく答えてやる。

「我々がこの国と正面から向き合って、まだたったの三百年です。世界情勢は不安定で、国もまだまだ発展途上。こんな状態では疑心暗鬼に駆られても仕方ありません」

 たったの三百年。その単語にマクシミリアンは強烈な違和感を覚える。それは十分、長すぎる年月だった。

 矢張り、違い過ぎる生き物だ。相容れる事は決して出来ない。

 改めて思うマクシミリアンに、ロードリックは静かに言葉を続けた。

「けれど、あと二千年程も続ければこの国の方々も我々を信じて下さるでしょう」
「二千……」

 淡々と告げられた数字に茫然と呟く。ロードリックは気負っている風ではない。それを事実だと心底思っているのだ。
 唐突に、マクシミリアンは自分が酷い独り相撲をしているような気がした。象に対して、鼠が足元で懸命に巣を守ろうと立ち向かっているかのような。

 視点が違い過ぎる。ああ、確かに何もかもが違う。

「は、……」

 乾いた笑いが口から零れた。あれほど胸に渦巻いていた愛国心故の熱量が去り、代わりに空しさがやってきた。
 力が足元から抜けて、立ち上がる事さえ出来ない気がした。両手で頭を抱え、相変わらず平然としているロードリックの前で、価値観がへし折れて身動きが出来なくなってしまう。
 彼の言う通りだった。二千年もこの国と共に天来衆が歩んだのなら、疑う人間など誰一人としていなくなるだろう。
 人間が天来衆に対して感じる違和感は消える事は無い筈だ。しかしそれはマクシミリアンのように敵対心ではなく、信仰心へと昇華されていくに違いない。
 生き物という区分さえ不適切なのかもしれない。この男は岩や、川や、山なのだ。
 人間という小さな視点でしか見れなかった自分が、一人で勝手に騒いでいる。それが今の事態の本質だ。
 自分の人生を捨ててこの国の為に大義を成そうとした事は、全くの無意味だった。

「教えていただき、ありがとうございました。お陰で納得がいきました」

 面会時間の終了が近くなり、ロードリックは椅子から立ち上がる。

「ああ、気にされているかもしれないのでお伝えしておきます。私の妻は無事ですよ」

 マクシミリアンは俯いていた顔を上げてロードリックを見上げる。疲れた笑いが顔に浮かんだ。

「……それは良かった」

 巻き込んでしまった事を悔いていた。それさえも天来衆を瓦解させるという使命感でねじ伏せていたが、事の本質を知ってしまった今となっては最悪の事をせずに済んで安堵しかない。

「次にお会いするのは法廷でしょう。それまで、息災で」

 名残惜しさを見せず、ロードリックは去って行く。その後ろ姿を、マクシミリアンは後悔の顔で見続けていたのだった。


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