果ての光~軍人侯爵の秘密と強制結婚の幸福~

百花

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第十章

第三十八話

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 この日も軍の会議室には緊迫した空気が流れていた。いつかと同じ五人の顔ぶれが、新に齎された情報について険しい顔で話し合っている。

「アドゥーチャとフェオドラの同盟が締結されたぞ。やはりカミロ・リアスエロ議員と、フェオドラはドナート・カスト議員が主導したそうだ」

 ブレナン中将がそう話すと、皆の眉間の皺が一層深くなった。世界は未だ混迷しており、次にまた戦争が起きるのは殆ど確実なような状況である。
 前の戦争で戦いの傷が癒えきらないアビークでは、どの国と同盟を結ぶかが正に国の存亡を左右する重要事項なのだった。
 その為に各国の情報は喉から手が出るほど欲しい物であり、その一翼を担う天来衆には常に大きな期待がかけられている。
 今回もまたよろしくない流れになりそうだと、密かにロードリックは溜息を吐いた。

「ドナート議員か……。ならば南海側に傾きそうだな。レネー国辺りの情報は無いのか?」

 オールポート大将の言葉にサンフォード中将は難しい顔をして、腕を組んで唸ってしまった。

「参りましたな。あちら側の方は情報に詳しいものが少ないです。貿易会社は出入りしているようですので、呼び出しましょうか」
「ああ。そうしてくれ」

 彼らの会話がひと段落した隙を見計らって、バリエ少佐が私に向かって鋭い視線で切り出した。

「天来衆は一体何をしていたのだ? 同盟締結という、最も肝心な時にいないとは」
「……既にお伝えしたかと思います。時間がどうしてもかかると」
「しかし無能だ。必要な時に必要な情報を持ってこられないのならば、意味がないではないか」
「バリエ少佐。止めたまえ」

 ブレナン中将がバリエ少佐を諫めたが、それで収まった様子は無い。寧ろ益々感情が高ぶっているようだった。

「事実です。……前の戦争では確かに活躍したかもしれませんが、天来衆にあれほどの予算を振り分ける必要はあるのでしょうか? それならば表の諜報部隊に配分を増やした方が良いでしょう」

 金回りこそ、組織における命綱である。どんな名誉ある職務に割り当てられたとしても、予算が回ってこないのであれば何も出来ない。
 そこにはバリエ少佐の天来衆の影響力を削りたいという思惑が見て取れた。
 普段ならば周囲の者はバリエ少佐を諫めながらも、私が自ら反論するまで待ち最大限の譲歩を引き出そうとしてきていた。
 だから今回もそうなるだろうと、重い気分で口を開こうとする。しかしその前に、オールポート大将が思ってもみなかった程の厳しさでバリエ少佐に注意した。

「口が過ぎるぞバリエ少佐。彼らは共にこの国を守る同志。外国で特に危険な個人任務を担う重要な役割を担ってくれている。足を引っ張る事は止めたまえ」

 明確なバリエ少佐への非難だった。これには聞いていた周囲の者も、言われた本人も驚いて目を見開く。
 バリエ少佐は少し狼狽え、必死で自分の言い分の正しさを理解してもらおうと声を荒げた。

「しかし! 情報戦は今や戦争において最も重要な要素の一つになっています。大事であればこそ、我ら自身の手で行うべきでしょう!」
「くどいぞ。情報というものは多方より収集する事で正確性を増すのだ。ましてや、彼らの特殊性は言うに及ばず。それをあえて弱体化させようなどと……銃を捨て、剣を手に取るようなものではないか。バリエ少佐。貴殿の個人的感情は捨て、国全体の利益を考えよ」
「国の為を思えばこそです! 前線の兵士は我々の事を信頼しているからこそ、命を懸けて戦ってくれるのです。それを、天来衆という表に出せもしない者達に命綱たる情報を頼っていると知られればどうなりますか!?」
「いい加減にしたまえ!」

 オールポート大将の雷が落ちたかのような轟く声に、口角泡を飛ばしていたバリエ少佐が怯んで口を閉じた。

「天来衆が王家と共に歩みだしてから三百年。彼らは常に国と共にいてくれただろう。最早、彼等も我々が守るべきこの国の民。それを認識せよ!」

 バリエ少佐はその言葉に愕然とした表情をオールポート大将に向けた。まるで、裏切りにでもあったかのようである。
 バリエ少佐は何処かで、この場にいる人間の間には天来衆の不審がある程度共有されていると信じていたのかもしれない。
 だからこそ、あれだけ強気に私に詰め寄って来ていたのだ。
 しかし今、この場で最も権力を持つオールポート大将が明らかに天来衆の肩を持った。その認識は上意下達の軍内部において直ぐに共有されるだろう。
 今後は如何にバリエ少佐とても、鬱陶しいぐらいだったあの詰め寄り方は出来なくなるに違いない。
 私は思わぬ結末に胸を撫でおろす。どういう心境の変化かは分からないが、私にとって状況が良くなった事には間違いがなかった。
 穏やかな表情になった私に対し、バリエ少佐は真逆だった。この場の誰もが敵かのような険しい顔つきで、肩を震わせながら拳を握りしめている。
 しかしそれを表に出す事を許される状況ではなかった。

「……バリエ少佐。少し外で休んできなさい」

 サンフォード中将の気を使ってかけてくれた言葉に頭を下げ、バリエ少佐は大股で会議室を出て行く。
 残された者達は漂う微妙な空気を年の功で受け流し、次の議題へと話題を変えていったのだった。


 ◆


 その日の全ての議題が終わり、サンフォード中将とブレナン中将が出て行ったのを見計らって私はオールポート大将に声をかけた。

「ありがとうございました。オールポート大将」

 彼は机上の資料を纏めて手に抱えながら、私を見て普段よりも親し気な笑みを浮かべた。

「礼を言われる程の事でもない。客観的にああすべきだと判断したまで」
「しかし今までは違ったでしょう?」

 そう言うと、彼は私の肩に手を置いて随分と心を開いた顔を向けてくれた。

「貴殿は良い奥方を貰ったようだ」
「クラリスですか?」

 思いもよらない場所で妻の名前を聞き、驚いて目を見開く。オールポート大将は普通の新婚の若者に対するような、祝福の笑みを浮かべていた。

「クリスティアナがクラリスさんの事をとても気に入ったらしい。今度家に誘う約束をしたと喜んでいた」
「そうでしたか。オールポート夫人にお願いして正解でした。そこまで親しくしていただけるとは」
「クラリスさんの人柄の素直さは良い事だ。ムーアクラフト少佐の妻を選ぶ目は確かなようだな」
「しかし、妻が一体何の関係があるのでしょうか?」

 会話の流れが読めず首を傾げれば、オールポート大将は口を開いた。

「君は卒なく全てをこなしてしまうだろう。我々よりも年を重ねているのだから当然かもしれないが。しかしそれ故に、何処か浮世離れして見える。まるでこの地は仮初なのだと思っているかのようにな。自覚は無いだろうが」

 今まで人間からは言われた事のない言葉だったが、妙に納得してしまった。私自身も人間と交流する際、どうしても天来衆の長としての立場があった。
 それ故に弱みを見せる事など出来ず、固い態度になっていたのは否めないだろう。

「けれどムーアクラフト少佐はこの地の人間を愛した。ごく普通の、素直で可愛らしい女性を。クラリスさんから聞く君の話は、地に足をつけた普通の青年のようだった。だから私は信じてみる事にしたのだよ」

 ……受け入れてもらえたのだ。

 胸に熱いものが込み上げてくる。人間と天来衆の壁は高く、私は幾百年かの年月の間にそれを取り払う事など諦めてしまった。
 けれどクラリスは、それを容易く壊してしまう。
人間になり切れない私を人間に寄せてくれる、特別な存在だった。

「……クラリスに感謝をしなければなりませんね」
「そうしたまえ。さて、私はそろそろ行く」
「お時間を頂きまして、ありがとうございました」

 一人になった会議室で、瞼を強く閉じる。無性にクラリスに会いたかった。
 彼女の笑みを浮かべるだけで、愛おしさが溢れてくる。
 これほどに私の心を奪ってしまったのに、愛の一言を返してくれないクラリスが恨めしい。
 しかしまだ時間はある。
 共にいてくれる筈の何十年かの内に、絆されるのを待つだけの気の長さを持っていた。
 二日前からクラリスはハーヴィー様の血統を探しに旅行へと出かけていた。今頃は帰宅している頃だろう。
 ほんの数日離れていただけなのに、既に寂しさを感じていた。
 私は普段よりも手早く帰り支度をし、少し歩幅を広げて家路につく。
 馬車に乗り、揺さぶられながらクラリスがどんな様子かを想像した。

 きっと落ち込んでいるでしょうね。

 いつになく積極的にハーヴィー様の血統を探しに行くと言ったのには驚いた。
 それが泣いた私への同情か好意かは分からないが、とにかく私の事を思って行動してくれたのだ。
 嬉しくない筈がない。
 けれど二つ返事で旅行を許可したからと言って、クラリスが報告書以上の結果を齎すとは全く考えていなかった。
 だから思うような結果を出せず、気落ちしているだろう彼女をどう慰めようかと思案する。

 貴女がいるからもうそれは構わないのだ。

 残される私の事を心配するならば、千の手紙を私に書いて欲しい。一年に一つずつ読めば、千年は気がまぎれるだろう。
 或いは言葉でもいい。死後を信じない筈の私が永遠の夢を見られるような、そんな言葉が欲しかった。

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