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第十章
第三十四話
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やんごとなき方々は、洗練された所作と子供のような隠し切れない好奇の視線の二つを併せ持っていた。
ロードリックの隣に並ぶ私に群がる事はしないものの、私について何かを囁いているのが聞こえてくる。
けれど思っていたほど、見下すような視線は感じなかった。
朧会の会員は皆、少なくとも三百年は王家に仕えている家柄だという。
そこまで長く続くと、最早庶民に対して見下すという視点さえ生まれないのかもしれない。諍いというものは、自分と同じ土俵に立つ者同士で起きる事なのだろう。
そんな私への対応よりも印象的だったのは、ロードリックに対する扱いだった。爵位関係なく、一人残らずロードリックが目上の立場であるかのような接待である。
白い髭を蓄えた如何にも重鎮の雰囲気を持つ老人が、ロードリックの顔を見るや直ぐに挨拶へとやって来た。
それまで沢山の人に囲まれていた事から、恐らくこの会で長老のような立場の人だ。
「ロードリック様。お忙しい貴方が来てくださるとは」
「ええ。余りにも顔を出さないと、忘れられてしまいますから」
「ははは。まだそこまで耄碌してはおりませんよ。私はこの通り老いを感じる毎日ですが、ロードリック様はお変わりない様で安心いたしました」
見た目の年齢に騙されてしまうが、思い返せばロードリックがこの会で最も年上なのである。当然目の前の老人も随分若い頃から知っているに違いない。
そうか。だからロードリックは、馴染めないのだ。
会場を見渡すと、ちらほらと少年少女の姿が目に入る。彼等は幼い時からロードリックを見て、年上への敬意を抱くに違いない。
それが外見上同年代になっても、そして追い越して老人になっても変わらないままなのだろう。
長老が敬う人を、気軽に扱う人はいない。ロードリックが実際最も長く生きているのだから。
「所で、こちらのお嬢様が話に聞いていた方ですかな?」
「ええ。妻です」
「あ、は、初めまして。クラリスと申します。今日はよろしくお願いします」
「私はトリスタン・ディ・オ・ウィルベルンと申します」
名前を聞いて分かった。このお方は、現王の弟君である。
身分の高い方とお会いする覚悟を決めて来たものの、緊張で血の気が引いたような気がした。
「……お会い、できて、光栄です」
「私こそ、この目でロードリック様の奥様にお会いできて光栄です。今日はどうぞ楽しんでください」
それから体と口が固まってしまった私の代わりに、ロードリックがさり気なくトリスタン様との会話を引き継いでくれた。
切りのいい所でトリスタン様が別の人へと話をしに行くまで、何も出来ずにロードリックの隣に立つ事しか出来なかった。
情けない。自分から望んでこの場に来たのに。
「大丈夫ですか?」
ロードリックは私の顔を覗き込み、無理をしていないか気遣ってくれた。
帰りたいと言えば、今にでも連れ帰ってくれそうである。けれど私は少し無理をして笑みを作り言った。
「はい。頑張ります」
ロードリックは私の覚悟を読み取り、見守る事に決めたようだった。視線で部屋の隅にいる三人の女性を私に示す。
「あの方達がお時間を取って下さった方々です。オールポート・クリスティアナ様、バラクロフ・メレディス様、ライアンズ・ウルリーケ様です」
それぞれの名前をしっかりと記憶する。確か彼女たちは軍人の妻だった筈だ。ロードリックの仕事柄、よりよく知る人達なのだろう。
上品な方々はまるで人形のように指先まで美しく整えられており、その所作は全てが優美である。
年齢を重ねている方もいるが、それも寧ろ威厳や落ち着きを彩る装飾のようでさえあって、庶民の人々が忌避するものとは違って見えた。
「隣に部屋を抑えてあります。どうぞ、使って下さい」
「何から何まで……ありがとうございます」
感謝の視線を向ければ、大したことではないと笑う。
「怖くなったら、いつでも逃げて来て下さい」
私の緊張を解く為の冗談を言い、応援するように私の背中を彼女達に向けてそっと押した。
私は静々と歩みを進め、目上の人に対する貴族の礼を精一杯披露する。
「あら……、貴女がクラリスさんね」
「はい。お会いできて光栄です。ムーアクラフト・クラリスです」
「お会いしたかったわ。私はオールポート・クリスティアナです」
穏やかさを表すかのような笑い皺を持ち、豊かな白髪のオールポート夫人が初めに私に話しかけてくれた。彼女の夫がこの中で一番身分が高い。
「ふふ、思った以上に可愛らしい方ね。初めまして。私がバラクロフ・メレディスです」
「はじめまして。バラクロフ夫人」
次に私に挨拶してくれたのは赤髪のバラクロフ夫人だ。口は優雅に笑い、目に聡明の光を湛えて私に一礼してくれた。
「ライアンズ・ウルリーケです」
「はじめまして。ライアンズ夫人」
そして三人目のライアンズ夫人は二人より明らかに言葉少なく、それでも無作法にならない丁寧な礼を私に返してくれた。
夫の立場故かそれとも元々の性格もあってか、オールポート夫人が会話を引っ張ってくれる。
「ここだと女同士の話は出来ないわね。部屋に移動しましょう?」
「はい」
オールポート夫人に付き従うように、皆で部屋を移動する。
朧会の開かれている場所から少し離れた待機室のような部屋で、会話の騒がしさは殆ど聞こえない静かな環境だった。
そこに職員が紅茶を淹れてくれ、お菓子が並べられてしまうといよいよ念願だった彼女達との会話の時間がやってくる。
しかし自分で希望していながらも、余りの高貴な方々を前に私は怖気づいて口を開く事さえ出来なかった。
そんな私に助け舟を出す様にオールポート夫人が話しかけてくれる。
「私、貴女とお話をずっとしたかったのよ。だってあの、ロードリック様の奥様ですもの。あの方は私がこんな小さい頃からずっとあの調子で、誰にも丁寧だけれど丁寧すぎる所がありますから。だから今日、ロードリック様の奥様への接し方を見て驚きました。本当に大事に思われていらっしゃるのね」
「え、ええ……。いつも気にかけてくれるんです」
あちらこちらから視線を感じていたものの、面と向かって言われてしまうと照れてしまう。赤くなった私を微笑まし気に彼女は笑った。
「どうやって出会われたのかしら」
そう聞いてきたのはバラクロフ夫人だ。
「私が働いていた喫茶店です。軍事施設の近くにありましたから、時折ロードリックが寄っていたんです」
「まぁ……まぁ……! 本当に、恋愛小説みたいな出会いなのね」
バラクロフ夫人はほうっと溜息を吐く。お淑やかな筈の貴族の女性でも、こんな風に瞳を輝かせるのかと、少しだけ緊張感が解けてきた。
バラクロフ夫人は驚いた私に気付き、微笑んで少女のような笑みを向ける。
「私達、皆自分で自由に相手を決めた訳ではありませんから。勿論夫の事は尊敬しておりますし愛しておりますけれど、偶然の出会いは物語の中だけのお話なんですの」
成程。身分が高い故に体験できない事もあるらしい。そしてそれには、憧れてしまうのが人の性なのだろう。
オールポート夫人はそんなバラクロフ夫人を少し笑った後、私に優しく言ってくれた。
「……クラリスさん。きっと今まで生活していた環境と違う事で戸惑う事も多いのでしょう。ましてや相手はロードリック様です。人ではない方々の間で、困る事はあるのではありませんか? 貴女はロードリック様の奥様ですが、人間です。何かあれば私達は貴女の力になれますよ」
それはとても優しい言葉で私への思いやりに満ちていたが、少し心に冷えた風が吹き込んだ。
何故ならそれは明確に……ロードリックを区別する発言だったからだ。
ロードリックの隣に並ぶ私に群がる事はしないものの、私について何かを囁いているのが聞こえてくる。
けれど思っていたほど、見下すような視線は感じなかった。
朧会の会員は皆、少なくとも三百年は王家に仕えている家柄だという。
そこまで長く続くと、最早庶民に対して見下すという視点さえ生まれないのかもしれない。諍いというものは、自分と同じ土俵に立つ者同士で起きる事なのだろう。
そんな私への対応よりも印象的だったのは、ロードリックに対する扱いだった。爵位関係なく、一人残らずロードリックが目上の立場であるかのような接待である。
白い髭を蓄えた如何にも重鎮の雰囲気を持つ老人が、ロードリックの顔を見るや直ぐに挨拶へとやって来た。
それまで沢山の人に囲まれていた事から、恐らくこの会で長老のような立場の人だ。
「ロードリック様。お忙しい貴方が来てくださるとは」
「ええ。余りにも顔を出さないと、忘れられてしまいますから」
「ははは。まだそこまで耄碌してはおりませんよ。私はこの通り老いを感じる毎日ですが、ロードリック様はお変わりない様で安心いたしました」
見た目の年齢に騙されてしまうが、思い返せばロードリックがこの会で最も年上なのである。当然目の前の老人も随分若い頃から知っているに違いない。
そうか。だからロードリックは、馴染めないのだ。
会場を見渡すと、ちらほらと少年少女の姿が目に入る。彼等は幼い時からロードリックを見て、年上への敬意を抱くに違いない。
それが外見上同年代になっても、そして追い越して老人になっても変わらないままなのだろう。
長老が敬う人を、気軽に扱う人はいない。ロードリックが実際最も長く生きているのだから。
「所で、こちらのお嬢様が話に聞いていた方ですかな?」
「ええ。妻です」
「あ、は、初めまして。クラリスと申します。今日はよろしくお願いします」
「私はトリスタン・ディ・オ・ウィルベルンと申します」
名前を聞いて分かった。このお方は、現王の弟君である。
身分の高い方とお会いする覚悟を決めて来たものの、緊張で血の気が引いたような気がした。
「……お会い、できて、光栄です」
「私こそ、この目でロードリック様の奥様にお会いできて光栄です。今日はどうぞ楽しんでください」
それから体と口が固まってしまった私の代わりに、ロードリックがさり気なくトリスタン様との会話を引き継いでくれた。
切りのいい所でトリスタン様が別の人へと話をしに行くまで、何も出来ずにロードリックの隣に立つ事しか出来なかった。
情けない。自分から望んでこの場に来たのに。
「大丈夫ですか?」
ロードリックは私の顔を覗き込み、無理をしていないか気遣ってくれた。
帰りたいと言えば、今にでも連れ帰ってくれそうである。けれど私は少し無理をして笑みを作り言った。
「はい。頑張ります」
ロードリックは私の覚悟を読み取り、見守る事に決めたようだった。視線で部屋の隅にいる三人の女性を私に示す。
「あの方達がお時間を取って下さった方々です。オールポート・クリスティアナ様、バラクロフ・メレディス様、ライアンズ・ウルリーケ様です」
それぞれの名前をしっかりと記憶する。確か彼女たちは軍人の妻だった筈だ。ロードリックの仕事柄、よりよく知る人達なのだろう。
上品な方々はまるで人形のように指先まで美しく整えられており、その所作は全てが優美である。
年齢を重ねている方もいるが、それも寧ろ威厳や落ち着きを彩る装飾のようでさえあって、庶民の人々が忌避するものとは違って見えた。
「隣に部屋を抑えてあります。どうぞ、使って下さい」
「何から何まで……ありがとうございます」
感謝の視線を向ければ、大したことではないと笑う。
「怖くなったら、いつでも逃げて来て下さい」
私の緊張を解く為の冗談を言い、応援するように私の背中を彼女達に向けてそっと押した。
私は静々と歩みを進め、目上の人に対する貴族の礼を精一杯披露する。
「あら……、貴女がクラリスさんね」
「はい。お会いできて光栄です。ムーアクラフト・クラリスです」
「お会いしたかったわ。私はオールポート・クリスティアナです」
穏やかさを表すかのような笑い皺を持ち、豊かな白髪のオールポート夫人が初めに私に話しかけてくれた。彼女の夫がこの中で一番身分が高い。
「ふふ、思った以上に可愛らしい方ね。初めまして。私がバラクロフ・メレディスです」
「はじめまして。バラクロフ夫人」
次に私に挨拶してくれたのは赤髪のバラクロフ夫人だ。口は優雅に笑い、目に聡明の光を湛えて私に一礼してくれた。
「ライアンズ・ウルリーケです」
「はじめまして。ライアンズ夫人」
そして三人目のライアンズ夫人は二人より明らかに言葉少なく、それでも無作法にならない丁寧な礼を私に返してくれた。
夫の立場故かそれとも元々の性格もあってか、オールポート夫人が会話を引っ張ってくれる。
「ここだと女同士の話は出来ないわね。部屋に移動しましょう?」
「はい」
オールポート夫人に付き従うように、皆で部屋を移動する。
朧会の開かれている場所から少し離れた待機室のような部屋で、会話の騒がしさは殆ど聞こえない静かな環境だった。
そこに職員が紅茶を淹れてくれ、お菓子が並べられてしまうといよいよ念願だった彼女達との会話の時間がやってくる。
しかし自分で希望していながらも、余りの高貴な方々を前に私は怖気づいて口を開く事さえ出来なかった。
そんな私に助け舟を出す様にオールポート夫人が話しかけてくれる。
「私、貴女とお話をずっとしたかったのよ。だってあの、ロードリック様の奥様ですもの。あの方は私がこんな小さい頃からずっとあの調子で、誰にも丁寧だけれど丁寧すぎる所がありますから。だから今日、ロードリック様の奥様への接し方を見て驚きました。本当に大事に思われていらっしゃるのね」
「え、ええ……。いつも気にかけてくれるんです」
あちらこちらから視線を感じていたものの、面と向かって言われてしまうと照れてしまう。赤くなった私を微笑まし気に彼女は笑った。
「どうやって出会われたのかしら」
そう聞いてきたのはバラクロフ夫人だ。
「私が働いていた喫茶店です。軍事施設の近くにありましたから、時折ロードリックが寄っていたんです」
「まぁ……まぁ……! 本当に、恋愛小説みたいな出会いなのね」
バラクロフ夫人はほうっと溜息を吐く。お淑やかな筈の貴族の女性でも、こんな風に瞳を輝かせるのかと、少しだけ緊張感が解けてきた。
バラクロフ夫人は驚いた私に気付き、微笑んで少女のような笑みを向ける。
「私達、皆自分で自由に相手を決めた訳ではありませんから。勿論夫の事は尊敬しておりますし愛しておりますけれど、偶然の出会いは物語の中だけのお話なんですの」
成程。身分が高い故に体験できない事もあるらしい。そしてそれには、憧れてしまうのが人の性なのだろう。
オールポート夫人はそんなバラクロフ夫人を少し笑った後、私に優しく言ってくれた。
「……クラリスさん。きっと今まで生活していた環境と違う事で戸惑う事も多いのでしょう。ましてや相手はロードリック様です。人ではない方々の間で、困る事はあるのではありませんか? 貴女はロードリック様の奥様ですが、人間です。何かあれば私達は貴女の力になれますよ」
それはとても優しい言葉で私への思いやりに満ちていたが、少し心に冷えた風が吹き込んだ。
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