33 / 45
第十章
第三十三話
しおりを挟む
眩しい日差しが閉じた目に当たって意識が浮上する。こんなに明るいのは、寝坊したからだろうか。しかし遅くまで寝た割には体が重くて動かない。
何でこんなに疲れているんだろう。
うっすらと瞼を開けて、目に映る景色がいつもと違う事に気が付く。
ホテルにでも泊まっていたっけ……?
霞がかかった頭でぼんやりと現状を把握しようとすると、甘い声が耳をくすぐった。
「クラリス」
一気に意識が浮上して、自分の現状を把握する。
私は上掛けの中で生まれたままの姿で丸まっており、声の方向に目を向ければ既に着替えを済ませたロードリックがベッドの端に座って微笑みながら私を見ていた。
「体は大丈夫ですか?」
夢じゃなかった。
本当に私、昨日この人と。 色々と自分に刺激の強すぎる記憶が思い出され、顔が沸騰したように熱くなる。
恥ずかしさの余り頭から上掛けを被って、ロードリックの砂糖のように甘い表情から逃げ出した。
けれどその稚拙な逃亡は、あっけなく捲られる事で阻止される。恨みがましい視線を向けたものの、過去最高に機嫌のよさそうなロードリックには笑われるばかりで効果が無かった。
「逃げないでください。医者は必要ですか?」
「……いえ、大丈夫です……」
「分かりました」
とんでもない沼に腰まで浸かってしまった気がする。此処から抜け出す事が出来るだろうか。
ロードリックが幸せそうにしているのを見て、心に抱えた氷が大きくなった。
彼が私をどれほど求めているか思い知ってしまったばかりに、切なさが私の心臓を締め上げる。
「クラリス?……どうしてそんな顔を?」
泣きそうな顔でもしてしまっただろうか。私は頭を横に振って、誤魔化す笑みを浮かべた。
「いいえ。何でもありません」
ロードリックは口元を引き締め、問いただしたいような顔をする。けれど私が顔を背けて拒否する姿勢を取れば、それ以上何も聞いてはこなかった。
けれど両手を寝台について、私を中に閉じ込める。そして低い声で誘惑するかのように囁かれた。
「愛しています」
答えずに顔を背け続けていると、片手で無理矢理ロードリックの顔を見させられた。少し眉を寄せて、困った顔をしている。
「愛しています」
私は繰り返された言葉にも返事をせず、頑なに口を開こうとしない。
ロードリックは切なそうに目を細めて、無防備な私の両手に自分の両手を絡ませた。
「……愛しています」
三度目も沈黙で答えた。意味はロードリックにも伝わっただろう。
「同じ言葉を返してはくれないのですね」
彼は堪えるように一度強く瞼を瞑ると、捕らえていた私の手を放して言った。
「今はそれでいいでしょう。貴女が同情、諦観、義務で私の傍にいるのだとしても、離れないのであれば」
「……すみません」
「謝らないでください。私は諦めるつもりなど微塵もないのですから」
ロードリックは立ち上がると、外出の支度をし始める。
忙しい彼がこの時間まで部屋から出なかった事はなく、私の為に待っていてくれたのだろう。
きっちりとした軍服に彼が包まれていくのに、私がこんな姿のままでいるのが如何にも今の状況を表しているようで、落ち着かなかった。
服を着ようにも少し離れた所にあり、この状態で取りに行くのが恥ずかしすぎて動けない。彼が出て行ってから支度を整えるしかなさそうだと、上掛けの中に沈みながら考える。
「そうそう。随分遅くなってしまいましたが、貴族の奥方と会う算段をつけておきました。今度の朧会に共に行きましょう」
「朧会?」
「一部の皇族、貴族だけが所属する親睦会です。我々との交流を持つ側面もありまして、所属する会員は天来衆を認識しています」
「凄い……方々ですね……」
それはひょっとして、この国で一番高貴な方々の集いではないだろうか。
私如きが行ってもいいような場ではなさそうである。しかし貴族の奥方に会いたいと言ったのは私からで、今更怖気づいたとは言えない。
手を握りしめ、しなければならない憂鬱な未来への覚悟を決めていると、ロードリックが言った。
「……クラリスの設定は、貴女のご両親へしたものを踏襲しています。朧会においてクラリスは私に惚れられ、強引に娶られた哀れな一般市民です。礼儀作法などはお気になさらず。あちらも承知の上で許可を出していますので」
それは多分、私の恥をロードリックが被ってくれるという事なのだろう。
「それに、所属会員は少ないので親族会の雰囲気に似ています。多少の無礼は気にもされません」
そうロードリックは言ってくれるが、とても真に受けることは出来なかった。ザラさんに参加までに、どうにか作法を叩き込んでもらわなければならない。
「そう固くならずとも大丈夫ですよ。朧会で問題を起こし、出入り禁止にでもなれば不都合になるのは彼方です。面と向かって争うような事はしないでしょう。利用価値でしか人を判断しない者もいますが、人柄を重視する者も当然います。クラリスなら、どなたかには気に入られると思いますよ」
「……ありがとうございます。頑張ります」
固い表情が解けない私の頭をロードリックは優しく撫でた。
「大丈夫ですよ。『人間』の貴女の方が、私より余程彼らと近しくなれますから」
「あ……」
そうか。私はロードリックをあちら側の人だと思っていたけれど、ロードリックにとってはどちらも違うのか。
それはとても、寂しい孤独のように思えた。
身支度を終えたロードリックは最後に制帽を深く被り、扉に手をかけながら私に言った。
「それでは、行って参ります」
「……どうか、お気をつけて。お帰りをお待ちしております」
愛を返せない分、せめて妻らしい言葉を送る。
ロードリックは百の言葉よりも雄弁な愛おしさの溢れる微笑みを浮かべ、扉の向こうへと姿を消した。
何でこんなに疲れているんだろう。
うっすらと瞼を開けて、目に映る景色がいつもと違う事に気が付く。
ホテルにでも泊まっていたっけ……?
霞がかかった頭でぼんやりと現状を把握しようとすると、甘い声が耳をくすぐった。
「クラリス」
一気に意識が浮上して、自分の現状を把握する。
私は上掛けの中で生まれたままの姿で丸まっており、声の方向に目を向ければ既に着替えを済ませたロードリックがベッドの端に座って微笑みながら私を見ていた。
「体は大丈夫ですか?」
夢じゃなかった。
本当に私、昨日この人と。 色々と自分に刺激の強すぎる記憶が思い出され、顔が沸騰したように熱くなる。
恥ずかしさの余り頭から上掛けを被って、ロードリックの砂糖のように甘い表情から逃げ出した。
けれどその稚拙な逃亡は、あっけなく捲られる事で阻止される。恨みがましい視線を向けたものの、過去最高に機嫌のよさそうなロードリックには笑われるばかりで効果が無かった。
「逃げないでください。医者は必要ですか?」
「……いえ、大丈夫です……」
「分かりました」
とんでもない沼に腰まで浸かってしまった気がする。此処から抜け出す事が出来るだろうか。
ロードリックが幸せそうにしているのを見て、心に抱えた氷が大きくなった。
彼が私をどれほど求めているか思い知ってしまったばかりに、切なさが私の心臓を締め上げる。
「クラリス?……どうしてそんな顔を?」
泣きそうな顔でもしてしまっただろうか。私は頭を横に振って、誤魔化す笑みを浮かべた。
「いいえ。何でもありません」
ロードリックは口元を引き締め、問いただしたいような顔をする。けれど私が顔を背けて拒否する姿勢を取れば、それ以上何も聞いてはこなかった。
けれど両手を寝台について、私を中に閉じ込める。そして低い声で誘惑するかのように囁かれた。
「愛しています」
答えずに顔を背け続けていると、片手で無理矢理ロードリックの顔を見させられた。少し眉を寄せて、困った顔をしている。
「愛しています」
私は繰り返された言葉にも返事をせず、頑なに口を開こうとしない。
ロードリックは切なそうに目を細めて、無防備な私の両手に自分の両手を絡ませた。
「……愛しています」
三度目も沈黙で答えた。意味はロードリックにも伝わっただろう。
「同じ言葉を返してはくれないのですね」
彼は堪えるように一度強く瞼を瞑ると、捕らえていた私の手を放して言った。
「今はそれでいいでしょう。貴女が同情、諦観、義務で私の傍にいるのだとしても、離れないのであれば」
「……すみません」
「謝らないでください。私は諦めるつもりなど微塵もないのですから」
ロードリックは立ち上がると、外出の支度をし始める。
忙しい彼がこの時間まで部屋から出なかった事はなく、私の為に待っていてくれたのだろう。
きっちりとした軍服に彼が包まれていくのに、私がこんな姿のままでいるのが如何にも今の状況を表しているようで、落ち着かなかった。
服を着ようにも少し離れた所にあり、この状態で取りに行くのが恥ずかしすぎて動けない。彼が出て行ってから支度を整えるしかなさそうだと、上掛けの中に沈みながら考える。
「そうそう。随分遅くなってしまいましたが、貴族の奥方と会う算段をつけておきました。今度の朧会に共に行きましょう」
「朧会?」
「一部の皇族、貴族だけが所属する親睦会です。我々との交流を持つ側面もありまして、所属する会員は天来衆を認識しています」
「凄い……方々ですね……」
それはひょっとして、この国で一番高貴な方々の集いではないだろうか。
私如きが行ってもいいような場ではなさそうである。しかし貴族の奥方に会いたいと言ったのは私からで、今更怖気づいたとは言えない。
手を握りしめ、しなければならない憂鬱な未来への覚悟を決めていると、ロードリックが言った。
「……クラリスの設定は、貴女のご両親へしたものを踏襲しています。朧会においてクラリスは私に惚れられ、強引に娶られた哀れな一般市民です。礼儀作法などはお気になさらず。あちらも承知の上で許可を出していますので」
それは多分、私の恥をロードリックが被ってくれるという事なのだろう。
「それに、所属会員は少ないので親族会の雰囲気に似ています。多少の無礼は気にもされません」
そうロードリックは言ってくれるが、とても真に受けることは出来なかった。ザラさんに参加までに、どうにか作法を叩き込んでもらわなければならない。
「そう固くならずとも大丈夫ですよ。朧会で問題を起こし、出入り禁止にでもなれば不都合になるのは彼方です。面と向かって争うような事はしないでしょう。利用価値でしか人を判断しない者もいますが、人柄を重視する者も当然います。クラリスなら、どなたかには気に入られると思いますよ」
「……ありがとうございます。頑張ります」
固い表情が解けない私の頭をロードリックは優しく撫でた。
「大丈夫ですよ。『人間』の貴女の方が、私より余程彼らと近しくなれますから」
「あ……」
そうか。私はロードリックをあちら側の人だと思っていたけれど、ロードリックにとってはどちらも違うのか。
それはとても、寂しい孤独のように思えた。
身支度を終えたロードリックは最後に制帽を深く被り、扉に手をかけながら私に言った。
「それでは、行って参ります」
「……どうか、お気をつけて。お帰りをお待ちしております」
愛を返せない分、せめて妻らしい言葉を送る。
ロードリックは百の言葉よりも雄弁な愛おしさの溢れる微笑みを浮かべ、扉の向こうへと姿を消した。
0
お気に入りに追加
73
あなたにおすすめの小説

貴妃エレーナ
無味無臭(不定期更新)
恋愛
「君は、私のことを恨んでいるか?」
後宮で暮らして数十年の月日が流れたある日のこと。国王ローレンスから突然そう聞かれた貴妃エレーナは戸惑ったように答えた。
「急に、どうされたのですか?」
「…分かるだろう、はぐらかさないでくれ。」
「恨んでなどいませんよ。あれは遠い昔のことですから。」
そう言われて、私は今まで蓋をしていた記憶を辿った。
どうやら彼は、若かりし頃に私とあの人の仲を引き裂いてしまったことを今も悔やんでいるらしい。
けれど、もう安心してほしい。
私は既に、今世ではあの人と縁がなかったんだと諦めている。
だから…
「陛下…!大変です、内乱が…」
え…?
ーーーーーーーーーーーーー
ここは、どこ?
さっきまで内乱が…
「エレーナ?」
陛下…?
でも若いわ。
バッと自分の顔を触る。
するとそこにはハリもあってモチモチとした、まるで若い頃の私の肌があった。
懐かしい空間と若い肌…まさか私、昔の時代に戻ったの?!

いくら政略結婚だからって、そこまで嫌わなくてもいいんじゃないですか?いい加減、腹が立ってきたんですけど!
夢呼
恋愛
伯爵令嬢のローゼは大好きな婚約者アーサー・レイモンド侯爵令息との結婚式を今か今かと待ち望んでいた。
しかし、結婚式の僅か10日前、その大好きなアーサーから「私から愛されたいという思いがあったら捨ててくれ。それに応えることは出来ない」と告げられる。
ローゼはその言葉にショックを受け、熱を出し寝込んでしまう。数日間うなされ続け、やっと目を覚ました。前世の記憶と共に・・・。
愛されることは無いと分かっていても、覆すことが出来ないのが貴族間の政略結婚。日本で生きたアラサー女子の「私」が八割心を占めているローゼが、この政略結婚に臨むことになる。
いくら政略結婚といえども、親に孫を見せてあげて親孝行をしたいという願いを持つローゼは、何とかアーサーに振り向いてもらおうと頑張るが、鉄壁のアーサーには敵わず。それどころか益々嫌われる始末。
一体私の何が気に入らないんだか。そこまで嫌わなくてもいいんじゃないんですかね!いい加減腹立つわっ!
世界観はゆるいです!
カクヨム様にも投稿しております。
※10万文字を超えたので長編に変更しました。

五歳の時から、側にいた
田尾風香
恋愛
五歳。グレースは初めて国王の長男のグリフィンと出会った。
それからというもの、お互いにいがみ合いながらもグレースはグリフィンの側にいた。十六歳に婚約し、十九歳で結婚した。
グリフィンは、初めてグレースと会ってからずっとその姿を追い続けた。十九歳で結婚し、三十二歳で亡くして初めて、グリフィンはグレースへの想いに気付く。
前編グレース視点、後編グリフィン視点です。全二話。後編は来週木曜31日に投稿します。

私が、良いと言ってくれるので結婚します
あべ鈴峰
恋愛
幼馴染のクリスと比較されて悲しい思いをしていたロアンヌだったが、突然現れたレグール様のプロポーズに 初対面なのに結婚を決意する。
しかし、その事を良く思わないクリスが・・。
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?
溺愛彼氏は消防士!?
すずなり。
恋愛
彼氏から突然言われた言葉。
「別れよう。」
その言葉はちゃんと受け取ったけど、飲み込むことができない私は友達を呼び出してやけ酒を飲んだ。
飲み過ぎた帰り、イケメン消防士さんに助けられて・・・新しい恋が始まっていく。
「男ならキスの先をは期待させないとな。」
「俺とこの先・・・してみない?」
「もっと・・・甘い声を聞かせて・・?」
私の身は持つの!?
※お話は全て想像の世界になります。現実世界と何ら関係はありません。
※コメントや乾燥を受け付けることはできません。メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
子持ちの私は、夫に駆け落ちされました
月山 歩
恋愛
産まれたばかりの赤子を抱いた私は、砦に働きに行ったきり、帰って来ない夫を心配して、鍛錬場を訪れた。すると、夫の上司は夫が仕事中に駆け落ちしていなくなったことを教えてくれた。食べる物がなく、フラフラだった私は、その場で意識を失った。赤子を抱いた私を気の毒に思った公爵家でお世話になることに。
廃妃の再婚
束原ミヤコ
恋愛
伯爵家の令嬢としてうまれたフィアナは、母を亡くしてからというもの
父にも第二夫人にも、そして腹違いの妹にも邪険に扱われていた。
ある日フィアナは、川で倒れている青年を助ける。
それから四年後、フィアナの元に国王から結婚の申し込みがくる。
身分差を気にしながらも断ることができず、フィアナは王妃となった。
あの時助けた青年は、国王になっていたのである。
「君を永遠に愛する」と約束をした国王カトル・エスタニアは
結婚してすぐに辺境にて部族の反乱が起こり、平定戦に向かう。
帰還したカトルは、族長の娘であり『精霊の愛し子』と呼ばれている美しい女性イルサナを連れていた。
カトルはイルサナを寵愛しはじめる。
王城にて居場所を失ったフィアナは、聖騎士ユリシアスに下賜されることになる。
ユリシアスは先の戦いで怪我を負い、顔の半分を包帯で覆っている寡黙な男だった。
引け目を感じながらフィアナはユリシアスと過ごすことになる。
ユリシアスと過ごすうち、フィアナは彼と惹かれ合っていく。
だがユリシアスは何かを隠しているようだ。
それはカトルの抱える、真実だった──。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる