果ての光~軍人侯爵の秘密と強制結婚の幸福~

百花

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第八章

第二十八話

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「何を言われたのですか?」
「あの……ロードリックがムーアクラフト家を乗っ取ったと。だから信用できないって」
「そうでしたか」

 ほっとしたようなロードリックの声が降ってくる。緊張していたのは私だけでは無かったらしい。

「一番私を毛嫌いしている人間です。彼はいつでも私達の弱みを探っている。きっと貴女を不安にさせて、あわよくば何か情報でも引き出そうとしたのでしょう」

 私、利用されそうになっていたのか。

 バリエ少佐へ怒りを抱くよりも、自分への情けなさが勝る。実際こんな怪しい行動をとってしまった。
 落ち込んで視線を床に下げた私を、猫を愛でるような手つきでロードリックは頭を撫でた。

「まあ、でもあながち間違いでもありませんね。乗っ取ったのは事実ですから」

 ロードリックの言葉に仄暗い感情が滲み出ている。見上げて彼の顔を見れば、初めて見る刃物のような冷ややかな笑みだった。

「ロードリック?」
「クラリスに隠す事でもありません。これは復讐です」

 冷静な面ばかり見ていたロードリックが、過去を思い出したのか眉間に皺を寄せて険しい表情をした。
 情け容赦なく、微塵の妥協も許さないような、そんな鋼鉄の怒りだ。
 それが私に向かっていないにも関わらず、背筋が寒くなる。

「ハーヴィー様の兄、ムーアクラフト・コンラッド。あの男はそれまでハーヴィー様に支えられてきたにも関わらず、息子が生まれて直ぐにハーヴィー様を殺したのです。城に火をつけられ、燃え盛るあの方の悲鳴を聞く事しか出来なかった。だから、私は奪いました。あの男があれほど欲しがっていた己の血統への名誉を全て」

 ロードリックは、まるで試す様に薄笑いを浮かべて私を見つめた。

「まだ復讐は続いている。私がこの名を名乗り続ける限り。……そう考えると、少しだけ胸がすく思いがする」

 全く取り繕っていない彼の心が、目の前にあった。

「クラリス。私が怖いですか?」

 彼は今まで見て来た人の中でも、特に理性的な部類の人だった。けれどその分、箍が外れてしまえば制御できなくなるのかもしれない。
 そんな恐ろしい一面を目の当たりにしているのに、何故だか私は無意識のうちに彼の頬に手を伸ばしていた。

「クラリス?」

 予想外の行動に、彼の声は戸惑っているようだった。
 ロードリックの深い怒りを知って、胸に込み上げたのは恐怖だけではなかった。
 どれほど傷ついたのだろう。
 そんな、彼を労わりたい気持ちが胸に湧きおこる。
 ロードリックが目に見えた傷を抱えていたならば、私は彼がしてくれたように毎日包帯を変え、治療しただろう。けれど心の中にはそんな事は出来ない。
 だから今この瞬間だけはひたと彼の目を見て言った。

「いいえ」

 本当は少し恐ろしい。けれど、今この時だけはそれを言ってはいけない気がした。
 私の答えを聞いて、ロードリックが心底嬉しそうに柔らかく笑う。
険しさが去ったその顔に、私の捨てきれない恋心が心臓を跳ねさせる。ばれないように顔を下げた。

「……空にいた頃」

 独白のように、ぽつりと彼が口を開く。

「私は船内で、唯々生きているだけの存在でした。変化のない毎日に、感情を揺らす事はありません。だからこの地に降り立って、喜びも悲しみも怒りも、思う存分味わってやろうと思っていました」

 だからこの人は、ハーヴィー様が亡くなってあれほど傷ついたにも関わらず、臆さずに私を懐に入れたのか。
 私はまた一つ、彼の心を知る。
 どんな感情であっても、長い間の虚無の時間に比べれば喜びだと。負の感情さえ望むその気持ちなど、私は生涯知る事はないだろう。
 けれど顔を上げてロードリックを見ると、まるで人間のような切実な感情が溢れているようだった。

「望みは叶えられました。この怒りさえ私が望んだ感情の一つ。それなのに……不思議です」

 浮かぶ苦悶の表情。初めて見る彼の顔に視線を奪われている内に、ロードリックは私を抱える腕に力を込めた。

「私は今、貴女が去った時の感情だけは知りたくないと願っている」

 それは。

 その意味は。

 だって私は、彼にとってハーヴィーの代わりでしかなくて。
 それなのにそんな事を言ってしまったら、まるでハーヴィーよりも深く思っているかのようで。
 言葉を失う私に、彼は顔を摺り寄せる。長い睫毛がすぐ傍にあって、彼の髪が私の額をくすぐった。

「クラリス。……私に、貴女の永遠を信じさせて欲しい」

 そんな無茶な願い、叶える力など私にはない。
 絶望するほど無力な私に、間近にある端正な顔が縋るように私に口づけた。
 




 顔を真っ赤にして逃げていったクラリスの姿に、思わず小さく笑ってしまった。
 大きく開かれた扉はどれほど慌てて彼女が飛び出したのかを示すようで、それさえも可笑しく見えてくる。

「少し、急ぎ過ぎましたか」

 けれどどうしてもその可愛らしい唇を食んでみたくて、自分を抑えられなかった。
 坂を落ちるように彼女におぼれて行っている自分を自覚する。
 クラリスは私の妻になる覚悟はあるのに、恋を抱いてはくれていないようだ。だからこのように逃げて行ってしまうのだろう。それが可愛らしくも、苦しい。
 彼女が私を愛してくれるようになるまで待つつもりではあるが、日に日に増していく感情に振り回されてしまう自分を自覚した。

「ああ、しかし……残念だ」

 もしも彼女が何処からか送り込まれてきた密偵だったなら、この広い檻の中に囲い込む絶好の理由になっただろうに。
 しかし実際はただ余計な情報を聞かされて不安定になっていただけで、裏など何もなかった。
 それに安心するのと同時に、惜しくも思うなんて。

「もどかしい」

 ロードリックは触れた熱を思い出す様に自分の唇に指を這わせ、薄く笑った。


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