果ての光~軍人侯爵の秘密と強制結婚の幸福~

百花

文字の大きさ
上 下
23 / 45
第七章

第二十三話 ロードリック視点

しおりを挟む

 あの事件が起きてから三日が経過した。出迎えた使用人に羽織っていた外套を渡すと、彼は私が問う前に口を開く。

「奥様は自室で本を読まれています」

 そんなにも分かりやすく毎日直ぐにクラリスの元へ行っていたのだなと、我ながら苦笑してしまった。

「助かります」

 礼を言えば、彼は静かに頭を下げた。私が彼女に心を奪われてしまった事を、長く共に生きてきた皆は気が付いたのだろう。そしてクラリスを遠ざける事を諦め、その事実を受け入れたに違いない。
階段を上がり彼女の部屋に向かうと、丁度ザラが部屋から出てくる所だった。ザラは私の姿を見つけると、一礼する。

「おかえりなさいませ」

「今帰りました。……彼女の様子は?」

「退屈だと屋敷を掃除しようとなさるので、阻止しておきました」

 それはいけない。ザラが見張ってくれていて良かった。どうもクラリスは自分がかなりの怪我を負ったという自覚がない。
 痛みが思ったよりも酷くならなかったと安心する気持ちもあるが、治ったと判断するには早すぎる。

「ありがとうございます」

「いえ。……それでは失礼いたします」

 ザラは私に頭を下げると、部屋から遠ざかって行った。
 クラリスの部屋の扉を開くと、大人しく彼女は本を広げ窓際の椅子に座っていた。
私の手の中のようなこの部屋に、彼女がいるのを見るだけで不思議と心が満たされていく。それは子供が宝箱に大事なものをしまう感情に似ている。
 彼女は私が入って来た事に気が付くと、頭を上げて顔を綻ばせた。

「ロードリック。お帰りなさい」

「ただいま戻りました」

 こうしてクラリスに一言もらう事が、最近の日課になっている。そうしなければ、帰宅したのにどうも落ち着かない気持ちになるのだ。
 仕事終わりで緊張していた気が開放され、寛ぐような気分になれる。クラリスの傍に寄り、新しい怪我などが増えていないか確認しつつ言った。

「今日は随分と退屈していたようですね」

 ザラから聞いていた情報を言ってみると、拗ねたように唇を尖らせる。そんな様さえ可愛らしい。

「もう、痛みもないんです。そんなに大変な事をしようとは思っていないんですよ」

 家の中から自由に出る事が出来ないクラリスにとって、退屈は最大の敵である。怪我をする前でも庭師の真似事をして気を紛らわせていたのだから、動くのを制限されている今は一層深刻だろう。

「分かっています。けれど、万が一にも怪我を長引かせる事はしたくないのです。クラリスが苦しむ様をもう見たくはありません」

 私は自分の気持ちを率直に言えば、何故だか彼女の表情が僅かに陰った。時折クラリスはこのような顔をする。
 それが何故かは分からない。けれど、私が親しくなろうと心を打ち明ける瞬間によく見るような気がした。
彼女にとって、私は強制された夫である。好意的に思ってくれているのは間違いなさそうだが、それは恋では無いのかもしれなかった。
 クラリスは私を大事にしてくれている。しかし、何処かに線があってそれを超えないようにしているような気がした。
 その線を越えたいものの、どうしていいか考えあぐねている。

「また、見させてもらってもいいですか?」

「……はい」

 私の言葉に、クラリスは少し恥ずかしそうにしながらも同意してくれた。毎日怪我の確認をしているので、随分慣れてくれたように思う。
 彼女は寝台に移動し、私に背を向けて服を開けさせていく。露わになった包帯が崩れていないのを確かめ、それを解こうと端を緩ませた。
 クラリスは力を抜いてなされるがままになっている。それが彼女の信頼を表しているようで、私の心を密かに満たす。
 包帯をすっかり取り去ってみると、その背中にあった筈の痣は全くなくなっていた。
 一か月は痛みが取れないかもしれないと憂いていたのに、まるで先日の事件が嘘だったかのように白い背中があるだけである。

「驚きました。……痣が消えています」

 昨日はまだ薄っすらと赤くなっていたのに、たったの三日でこれほど綺麗に治ってしまうとは。
 呆気にとられた私に、誇らしげにクラリスは言う。

「私、体は昔から強いんです」

 これを見る限り、本当の事なのだろう。彼女の体質について少し思考を巡らせたものの、悪い事ではないのだから構わないかと放っておく事にする。
 とにかく、クラリスが苦痛を感じなくなったならばそれで良かった。

「触れてみます。違和感があれば、言って下さい」

「分かりました」

 彼女の許しを得て、掌でそっと背中を撫でてみる。痛みがあれば引き続き軟膏を塗ろうと思ったが、クラリスが声を上げる事は無かった。

「……大丈夫なようですね」

「はい!」

 明るい声に私も口元を緩ませる。これで漸く好きに動けると喜んでいるのだろう。
 目に見えて心を弾ませながら服を着ていく彼女の姿を、最後にそっと目に焼き付ける。
 その白い肌を堂々と見る口実がなくなった事は、少し残念だった。けれどクラリスにとって治療目的でしかなかったのも分かっているので、不埒な思いを悟られないように全て隠して微笑む。
 私は、何処までを彼女に許されるのだろう。
 すっかり服を着こんだ彼女を前に、ふとそんな事を考えた。肌を見せる事も、数日前まで躊躇っていたのである。それを許されるようになったのは一つ前進には違いない。
 ならばその唇はどうだろう。さらにその先は?
 妻としてきた覚悟を持っているのである。望めば応えてくれるのかもしれなかった。けれど、恐々と震えながら私の為に我慢するようなものが欲しい訳ではない。
 だから私は距離を測るようにクラリスの頭を撫でた。受け入れるように目を細める彼女にほっとする。

「治ったとはいえ、あまり無理をしないでくださいね」

「気を付けます」

 口ではそう言ってくれているが、同じような状況になったらまた無茶をしそうな気がした。
 これは彼女の気質なので、私が気を付けるしかないのかもしれない。
 夜間警備の巡回を増やし、家の敷地の周辺には人間の警備員も十分増やした。同じ事があっても今度は阻止できるだろう万全の態勢であるが、クラリスを守る為ならばいくら気を配っても足りないような気分になる。
 犬でも飼って更に庭に放そうかと思案していると、「そういえば」とクラリスが思い出したように私に言った。
しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

貴妃エレーナ

無味無臭(不定期更新)
恋愛
「君は、私のことを恨んでいるか?」 後宮で暮らして数十年の月日が流れたある日のこと。国王ローレンスから突然そう聞かれた貴妃エレーナは戸惑ったように答えた。 「急に、どうされたのですか?」 「…分かるだろう、はぐらかさないでくれ。」 「恨んでなどいませんよ。あれは遠い昔のことですから。」 そう言われて、私は今まで蓋をしていた記憶を辿った。 どうやら彼は、若かりし頃に私とあの人の仲を引き裂いてしまったことを今も悔やんでいるらしい。 けれど、もう安心してほしい。 私は既に、今世ではあの人と縁がなかったんだと諦めている。 だから… 「陛下…!大変です、内乱が…」 え…? ーーーーーーーーーーーーー ここは、どこ? さっきまで内乱が… 「エレーナ?」 陛下…? でも若いわ。 バッと自分の顔を触る。 するとそこにはハリもあってモチモチとした、まるで若い頃の私の肌があった。 懐かしい空間と若い肌…まさか私、昔の時代に戻ったの?!

いくら政略結婚だからって、そこまで嫌わなくてもいいんじゃないですか?いい加減、腹が立ってきたんですけど!

夢呼
恋愛
伯爵令嬢のローゼは大好きな婚約者アーサー・レイモンド侯爵令息との結婚式を今か今かと待ち望んでいた。 しかし、結婚式の僅か10日前、その大好きなアーサーから「私から愛されたいという思いがあったら捨ててくれ。それに応えることは出来ない」と告げられる。 ローゼはその言葉にショックを受け、熱を出し寝込んでしまう。数日間うなされ続け、やっと目を覚ました。前世の記憶と共に・・・。 愛されることは無いと分かっていても、覆すことが出来ないのが貴族間の政略結婚。日本で生きたアラサー女子の「私」が八割心を占めているローゼが、この政略結婚に臨むことになる。 いくら政略結婚といえども、親に孫を見せてあげて親孝行をしたいという願いを持つローゼは、何とかアーサーに振り向いてもらおうと頑張るが、鉄壁のアーサーには敵わず。それどころか益々嫌われる始末。 一体私の何が気に入らないんだか。そこまで嫌わなくてもいいんじゃないんですかね!いい加減腹立つわっ! 世界観はゆるいです! カクヨム様にも投稿しております。 ※10万文字を超えたので長編に変更しました。

【完結】悪役令嬢は3歳?〜断罪されていたのは、幼女でした〜

白崎りか
恋愛
魔法学園の卒業式に招かれた保護者達は、突然、王太子の始めた蛮行に驚愕した。 舞台上で、大柄な男子生徒が幼い子供を押さえつけているのだ。 王太子は、それを見下ろし、子供に向って婚約破棄を告げた。 「ヒナコのノートを汚したな!」 「ちがうもん。ミア、お絵かきしてただけだもん!」 小説家になろう様でも投稿しています。

五歳の時から、側にいた

田尾風香
恋愛
五歳。グレースは初めて国王の長男のグリフィンと出会った。 それからというもの、お互いにいがみ合いながらもグレースはグリフィンの側にいた。十六歳に婚約し、十九歳で結婚した。 グリフィンは、初めてグレースと会ってからずっとその姿を追い続けた。十九歳で結婚し、三十二歳で亡くして初めて、グリフィンはグレースへの想いに気付く。 前編グレース視点、後編グリフィン視点です。全二話。後編は来週木曜31日に投稿します。

私が、良いと言ってくれるので結婚します

あべ鈴峰
恋愛
幼馴染のクリスと比較されて悲しい思いをしていたロアンヌだったが、突然現れたレグール様のプロポーズに 初対面なのに結婚を決意する。 しかし、その事を良く思わないクリスが・・。

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

溺愛彼氏は消防士!?

すずなり。
恋愛
彼氏から突然言われた言葉。 「別れよう。」 その言葉はちゃんと受け取ったけど、飲み込むことができない私は友達を呼び出してやけ酒を飲んだ。 飲み過ぎた帰り、イケメン消防士さんに助けられて・・・新しい恋が始まっていく。 「男ならキスの先をは期待させないとな。」 「俺とこの先・・・してみない?」 「もっと・・・甘い声を聞かせて・・?」 私の身は持つの!? ※お話は全て想像の世界になります。現実世界と何ら関係はありません。 ※コメントや乾燥を受け付けることはできません。メンタルが薄氷なもので・・・すみません。

子持ちの私は、夫に駆け落ちされました

月山 歩
恋愛
産まれたばかりの赤子を抱いた私は、砦に働きに行ったきり、帰って来ない夫を心配して、鍛錬場を訪れた。すると、夫の上司は夫が仕事中に駆け落ちしていなくなったことを教えてくれた。食べる物がなく、フラフラだった私は、その場で意識を失った。赤子を抱いた私を気の毒に思った公爵家でお世話になることに。

処理中です...