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第七章
第二十三話 ロードリック視点
しおりを挟むあの事件が起きてから三日が経過した。出迎えた使用人に羽織っていた外套を渡すと、彼は私が問う前に口を開く。
「奥様は自室で本を読まれています」
そんなにも分かりやすく毎日直ぐにクラリスの元へ行っていたのだなと、我ながら苦笑してしまった。
「助かります」
礼を言えば、彼は静かに頭を下げた。私が彼女に心を奪われてしまった事を、長く共に生きてきた皆は気が付いたのだろう。そしてクラリスを遠ざける事を諦め、その事実を受け入れたに違いない。
階段を上がり彼女の部屋に向かうと、丁度ザラが部屋から出てくる所だった。ザラは私の姿を見つけると、一礼する。
「おかえりなさいませ」
「今帰りました。……彼女の様子は?」
「退屈だと屋敷を掃除しようとなさるので、阻止しておきました」
それはいけない。ザラが見張ってくれていて良かった。どうもクラリスは自分がかなりの怪我を負ったという自覚がない。
痛みが思ったよりも酷くならなかったと安心する気持ちもあるが、治ったと判断するには早すぎる。
「ありがとうございます」
「いえ。……それでは失礼いたします」
ザラは私に頭を下げると、部屋から遠ざかって行った。
クラリスの部屋の扉を開くと、大人しく彼女は本を広げ窓際の椅子に座っていた。
私の手の中のようなこの部屋に、彼女がいるのを見るだけで不思議と心が満たされていく。それは子供が宝箱に大事なものをしまう感情に似ている。
彼女は私が入って来た事に気が付くと、頭を上げて顔を綻ばせた。
「ロードリック。お帰りなさい」
「ただいま戻りました」
こうしてクラリスに一言もらう事が、最近の日課になっている。そうしなければ、帰宅したのにどうも落ち着かない気持ちになるのだ。
仕事終わりで緊張していた気が開放され、寛ぐような気分になれる。クラリスの傍に寄り、新しい怪我などが増えていないか確認しつつ言った。
「今日は随分と退屈していたようですね」
ザラから聞いていた情報を言ってみると、拗ねたように唇を尖らせる。そんな様さえ可愛らしい。
「もう、痛みもないんです。そんなに大変な事をしようとは思っていないんですよ」
家の中から自由に出る事が出来ないクラリスにとって、退屈は最大の敵である。怪我をする前でも庭師の真似事をして気を紛らわせていたのだから、動くのを制限されている今は一層深刻だろう。
「分かっています。けれど、万が一にも怪我を長引かせる事はしたくないのです。クラリスが苦しむ様をもう見たくはありません」
私は自分の気持ちを率直に言えば、何故だか彼女の表情が僅かに陰った。時折クラリスはこのような顔をする。
それが何故かは分からない。けれど、私が親しくなろうと心を打ち明ける瞬間によく見るような気がした。
彼女にとって、私は強制された夫である。好意的に思ってくれているのは間違いなさそうだが、それは恋では無いのかもしれなかった。
クラリスは私を大事にしてくれている。しかし、何処かに線があってそれを超えないようにしているような気がした。
その線を越えたいものの、どうしていいか考えあぐねている。
「また、見させてもらってもいいですか?」
「……はい」
私の言葉に、クラリスは少し恥ずかしそうにしながらも同意してくれた。毎日怪我の確認をしているので、随分慣れてくれたように思う。
彼女は寝台に移動し、私に背を向けて服を開けさせていく。露わになった包帯が崩れていないのを確かめ、それを解こうと端を緩ませた。
クラリスは力を抜いてなされるがままになっている。それが彼女の信頼を表しているようで、私の心を密かに満たす。
包帯をすっかり取り去ってみると、その背中にあった筈の痣は全くなくなっていた。
一か月は痛みが取れないかもしれないと憂いていたのに、まるで先日の事件が嘘だったかのように白い背中があるだけである。
「驚きました。……痣が消えています」
昨日はまだ薄っすらと赤くなっていたのに、たったの三日でこれほど綺麗に治ってしまうとは。
呆気にとられた私に、誇らしげにクラリスは言う。
「私、体は昔から強いんです」
これを見る限り、本当の事なのだろう。彼女の体質について少し思考を巡らせたものの、悪い事ではないのだから構わないかと放っておく事にする。
とにかく、クラリスが苦痛を感じなくなったならばそれで良かった。
「触れてみます。違和感があれば、言って下さい」
「分かりました」
彼女の許しを得て、掌でそっと背中を撫でてみる。痛みがあれば引き続き軟膏を塗ろうと思ったが、クラリスが声を上げる事は無かった。
「……大丈夫なようですね」
「はい!」
明るい声に私も口元を緩ませる。これで漸く好きに動けると喜んでいるのだろう。
目に見えて心を弾ませながら服を着ていく彼女の姿を、最後にそっと目に焼き付ける。
その白い肌を堂々と見る口実がなくなった事は、少し残念だった。けれどクラリスにとって治療目的でしかなかったのも分かっているので、不埒な思いを悟られないように全て隠して微笑む。
私は、何処までを彼女に許されるのだろう。
すっかり服を着こんだ彼女を前に、ふとそんな事を考えた。肌を見せる事も、数日前まで躊躇っていたのである。それを許されるようになったのは一つ前進には違いない。
ならばその唇はどうだろう。さらにその先は?
妻としてきた覚悟を持っているのである。望めば応えてくれるのかもしれなかった。けれど、恐々と震えながら私の為に我慢するようなものが欲しい訳ではない。
だから私は距離を測るようにクラリスの頭を撫でた。受け入れるように目を細める彼女にほっとする。
「治ったとはいえ、あまり無理をしないでくださいね」
「気を付けます」
口ではそう言ってくれているが、同じような状況になったらまた無茶をしそうな気がした。
これは彼女の気質なので、私が気を付けるしかないのかもしれない。
夜間警備の巡回を増やし、家の敷地の周辺には人間の警備員も十分増やした。同じ事があっても今度は阻止できるだろう万全の態勢であるが、クラリスを守る為ならばいくら気を配っても足りないような気分になる。
犬でも飼って更に庭に放そうかと思案していると、「そういえば」とクラリスが思い出したように私に言った。
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