果ての光~軍人侯爵の秘密と強制結婚の幸福~

百花

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第五章

第十六話

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 そして約束の二十六日がきた。

 二人で馬車に乗り込めば、御者は行き先がもう分かっているらしく直ぐに馬を走らせた。
 久々の外出で、流れる窓の外の景色が何処か鮮やかに目に映る。ロードリックは私服ながらもかっちりとした人に会うような恰好だった。
 何処に行くのだろうかと思いながらも、付いて行った先で説明してくれるのを楽しみにあえて何の質問もしない事にする。
 途中花屋に寄った彼は、小ぶりな可愛らしい花束を購入して車に積んだ。華やか過ぎない花の選択で、渡す相手の人柄を想像する。
 馬車は思ったよりもずっと遠くまで私達を運んだ。街を離れ、木々が迫ってくる。やがて森の中を抜けた小高い丘で馬車は止まった。
 丘の上は整備されているのか開けた場所になっている。けれど人の気配はなく、静かで穏やかな場所だった。
 ロードリックは花束を片手に、敬虔な信徒のような犯しがたい空気を纏って歩き出した。私は彼の後を、邪魔しないように静かに付いて行く。
 見晴らしがよい丘の頂上に、年月を感じさせる小さな墓があった。長年の風雨に曝されて薄くなっている文字を読む。

『ムーアクラフト・ハーヴィー』

 ロードリックが呟いた名前である。薄々気付いてはいたが、やはりもう亡くなっている人だった。
 ロードリックは手にした花束をその墓の上に置き、ミハル教の形式で祈りを捧げる。私もそれに倣って、見知らぬ彼に祈りを捧げた。
 風が丘を吹き抜けて、花束を揺らす。此処はとても気持ちのいい場所だった。眠る彼も、きっと安らかな眠りにつけているだろう。
 ロードリックは彼に語り掛けるように長い時間、目を閉じて祈りを捧げていた。やがてそれが終わり、ゆるゆると瞼を開いて漸く私に彼を教えてくれる。

「彼が、ハーヴィー様です。私の恩人。私が人間を好きになった、切っ掛けの人」

 ふ、と淡く微笑みながらロードリックは語る。その顔はとても愛おしそうで、鮮やかな感情に溢れていた。
 何故だか自分の体が動かない。彼が感情を表に出すほどに、私は足先から冷えていくような気がした。
そしてロードリックは教えてくれた。四百年前の『彼』の事を。





 その日は月明かりのある夜だった。森に紛れて聖である私の元へ、一族の者が集ってくる。
 けれど彼らの姿は角の生えた本来の姿で、またある者は腕を失くし、ある者は支えられなければ立つ事も出来ず、殆どが満身創痍の有様だった。
 調査に行っていたニールがふらつきながら帰ってきて、私に言った。

「長。船はもう駄目です。全部燃えてしまいました」

 予想できた事だが、失望してしまう。長い間我々を運んできた船は、此処に辿り着くまでに既に壊れかけていた。
 こうして一部だけでも生きているだけでも奇跡である。しかし我々の文明を含めた全てを抱えたまま、炎に包まれてしまった。最早この身以外、何も残っていない。

「そうですか。何名ほど生き延びたのでしょう?」

「三百ほど」

 周囲の者から失意の溜息が漏れる。たったそれだけしか、生き残らなかったのだ。
 絶滅は既に決められた運命である。それでもいつか生命のある地に立ち、最後を穏やかに迎えたいという悲願。それだけが、此処まで我々を導いてきた原動力だった。
 それを目前にして迎えた死は、さぞ悔しかっただろう。
 数瞬の間彼らを悼み、直ぐに気持ちを切り替える。

「この地に生きる知的生物と、接触した者はいますか?」

 皆に聞いてみると、一人が手を挙げた。

「はい。着陸時、吹き飛ばされた先で一人に目撃されました」

「反応はどうでしたか?」

 手を挙げた者の表情が酷く暗いものになる。

「悲鳴を上げて……逃げていきました」

 悪い事は重なるものだ。友好的であって欲しいと願っていたが、その反応では難しいかもしれない。
 せめてこちらが手土産になる物を提供できれば良かったが、全て燃えてしまっている。

「長、長!」

 片腕を失くしたキースという一族の者が、慌てたように私の名前を呼んで何処かを指さす。その方向に視線を向ければ松明の明かりが幾百と並び、光の川のようになっていた。

「山狩りですね……」

 そして威嚇のような大勢の者の雄叫びが響き渡った。彼らは見慣れぬ存在を目撃し、怖れ、排除しようとしているのだ。
 姿を変える能力がある我々だが、それには集中力を必要とする。得手不得手もあるので、怪我をしている者や衰弱している者はとても出来ないだろう。
 そして私自身も、姿を変える事を苦手としていた。

「彼らに紛れ込めそうな者はそうしてください。出来ない者は私と共に逃げましょう」

「ロードリック様、」

 何か言いたそうな顔をする者が何人もいたが、それを聞いてやる余裕は無かった。

「他に方法はありません。さあ、急いで」

 念を押して言えば、彼らはそれぞれに行動を開始した。私はキースの残っている手を肩に回し、支えながら山狩りの光と反対方向へと歩き出す。

「長、私は一人で歩けます!」

 キースがそう言うが、ふらついて一人ではまともに歩けていない。

「落ち着いてください。歩きづらい」

 私自身も余裕がないのである。強めに言えば、キースもそれ以上は何も言わなかった。
 松明の光から逃げ、歩く、歩く。
 自分の息切れがやけに大きく聞こえた。足は疲れて皮が剥け、血が出ているが休むことは許されない。
 隣のキースの歩みが少しずつ重くなっていく。当然支える私の負担は増していくが、ただ黙って彼を支え続けた。

「……長」

「なんですか」

 弱弱しいキースの声。不吉な予兆に胸が騒めくが、何も気づかないふりをして歩き続ける。

「俺、海が見たかったんです」

「きっと見れます。一日も歩けば、直ぐに辿り着けますよ」

「すみません……。俺の代わりに、見に行ってくれますか?」

 答えたくなかった。皆は私を長だと慕うが、私にとっても兄や姉のようなものである。消えて行こうとしている家族の命に、気付けば私は涙を流していた。
 我々にとって、死は永遠の別離である。あの世もなく、生まれ変わりもない。

 ああ、最後に望みを答えてやらねば。

「分かりました」

「……良かった」

 キースが笑ったのが見なくとも分かる。そして彼は歩く事を止めた。
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